ラッキーセブン・セントエルモ・前編
登場人物
・ユーサ
ナディ・ウォーカー
ユーサ第一港漁業課勤務の新入社員。面倒臭がり屋。「中止」「延期」という言葉を聞いてテンションが上がる変わった本作の主人公。
ライラ・コールダー
開発課勤務の新入社員。貿易商を営む家系の子、両親の英才教育もあり人を見る目が大変厳しい。全ての基準をクリア(ライラ目線)したナディに一目惚れをしてしまう。
ピメリア・レイブンクロー
ユーサ初の女性連合長。「女性推進計画」を進めている。
リッツ・アーチー
連合長秘書官を務める元観光課所属の社員。見た目は少年のように愛らしい、口癖は「っス」、根明で人付き合いが上手い。
カズ・ウエスタン
漁業課課長。メンタル豆腐、座右の銘は「勝てない試合には出ない」。幸運の持ち主で海の上に立つと滅法強い。
ゴーダ・カズトヨ
造船課課長。最年長の老人。雷鳴が轟く度に「なんだ、ゴーダが怒ったのかと思った」と言われる程声が大きい。
アーセット・シュナイダー
開発課課長。リヒテン・シュナイダーを父に持つ秀才。
ジュディス・マイヤー
造船課勤務の社員。裏打ちされた自信から自らを「秀才」と呼ぶツートンカラー女子。お酒はカルーアミルクとカシスオレンジしか飲めない。
クラン・アーチー
観光課勤務の新入社員。リッツの妹。人形のように愛らしい姿をしており、心の中だけとてもお喋りな人見知り。
ブライ・クリントン
深海潜水調査支援母船の機関士。黒い肌と髪に怖い目つきをした女性。「ブライ」は「背が高い」という意味を持つ。
ケンジ・アタラシ
同上。船長を務める三十代の男性。
・ウルフラグ政府
ヴォルター・クーラント
ウルフラグ厚生労働省特殊安全保証局勤務の公務員。元空軍パイロットであり特個体の搭乗者、機体名は「ガングニール」。ジェネレーションギャップに悩むヘビースモーカー。
ホシ・ヒイラギ
同上。ヴォルターの部下、同じく元空軍パイロットであり特個体の搭乗者、機体名は「ダンタリオン」。ジェネレーションギャップに悩む人畜無害系主人公体質の男性。
・特個体
ガングニール
閲覧不可。
ダンタリオン
閲覧不可。
・ウルフラグ国防軍
アリーシュ・スミス
ウルフラグ海軍所属の大尉。次期左官候補として注目を集めている美人軍人。身長はそんなに高くない、帽子を被ると少年のように見えてしまうのが悩みの種である(本人談)。
マキナ
グガランナ・ガイア
マキナを束ねる存在。基本敬語口調で人間とコミュニケーションを取りたがっている変わり者(マキナ目線)。
ティアマト・カマリイ
「カマリイ」は「幼い」という意味を持つ。
0.5.Come to the world
傷んだ幌に、座席はただの木板をはめただけの馬車に揺られること数時間あまり、隣国との境目にある海が見える村にようやく到着した。車輪が悪路を通る度に尻を持ち上げるものだから、すっかり痛めつけられてもはや感覚を失ってしまったのではないかと、細身の女性がしきりに自分の尻を撫でている。黒い髪は砂埃で汚れており身なりも汚い、どこかの馬小屋から引っ張ってきたような大ぶりの布を体に巻き付けているだけの装いだ。口元はこれまた汚い手拭いで覆われており、誤って砂埃を吸わないための自衛手段だろう、目鼻立ちが整った顔を半分程隠していた。
他にも乗り合わせた様々な人がいる、全員揃いも揃って身なりがきちんとしていない、大方衣服よりも食べる物を優先的に買っているのだろうと細身の女性が憂えた瞳を向けていた。
何とか金になる物を集めて売っ払い、何とか乗車できた馬車の覗き窓から外に顔を出す。初夏を思わせる爽やかな風が頬を撫でて、近くにある海から運ばれてきた潮の香りが鼻をくすぐっていった。馬車の中に顔を戻し、自分たち以外に誰もいないことを確認してから隣に座っていたもう一人の人間に声をかけていた。
「さて、報告する前に状況整理といこうか」
「オッケー」
話しかけた相手も似たような装いだがいくらかマシだ、綺麗ではないが破れもほつれもない外套を羽織った人間、それが彼女の相棒だった。
「まず、この世界には二つの国が存在する。一つ目がウルフラグと呼ばれる近代国家だ、次に二つ目がここ、カウネナナイと呼ばれる中世国家」
「その中世っていうのは政治体制の話だよね」
「ああ。そしてこの二つの国は過去に何度も戦争を行なっている、今は停戦協定を結んでいるが国境付近では睨み合いが続けられている」
「そのお陰で忍び込むのに苦労したよ」
汚くはない外套を羽織った相棒も覗き窓から外へ視線を投げている。
「ユーレット侯爵に目を付けられたのは災難だったがな、まあ何とかなって良かったよ」
侯爵、また別の呼び名はマーキスといわれるこの位は国王から防衛軍を預かり一つの町、あるいは村を治める貴族である。彼女らがこうしてこの村に到着出来たのも、ユーレット侯爵の計らいによるものだった。有り体に言えばただの追放、男を知らない妙齢の女性は何を持っているのか分からないと、幸運と言えばいいのか腹が立つと言えばいいのか、とにかくそんな感じで追い出されていたのだ。
「ぷちっ!ってしたかった」
「仕返しは事が終わってからだな。とにかくこの世界は二つの国に別れているため調査があまりに厳しい、サーバーにアクセス出来ないのも難点だ」
「それはしょうがないよ、でもそのお陰でこうして半年間も旅をすることが出来たんだし?私は全然良いけどね」
「さっきは怒っていなかったか?」
「あの人は駄目、稀に見る外道」
「この国の貴族連中は全員似たようなものだがな……」
細身の女性が麻袋から水筒を取り出した、錆びないように施された金属メッキの色がきらりと光る立派な物だ。飲み口に近い位置にある赤いボタンを押すと、圧縮空気が解放される音共に蓋が開いた。
「さっきの村で貰ったこの水筒、ちょっと変じゃないか?」
「無駄に凝ってる」
「いやいや、そうじゃない、さっきの客の身なりを見ただろ?この水筒、国民全員に配っているみたいなんだ」
「ええ?そんな物より先に配る物があるんじゃないの?」
相棒の言う通りである、カウネナナイの生活水準は高いようで低い。国民全員の衣服住が安定していないにも関わらず、金属メッキまで施された水筒がタダも同然で手に入るのだ。それだけではない、獲れる作物が年々減少しているにも関わらずその農具だけは豊富にあり、耕す土地も無いのに農業機械だけがどんどん立派に進化している。そういったカウネナナイの情勢をつぶさに見てきた細身の女性、一口だけ飲んで喉を潤し水筒の蓋を閉じた。
(まるであの時と似ているな……)
本来の目的を忘れてしまいそうになっているが、生活に苦しむ人たちを無視することもまた、難しいことであった。
「話を戻すぞ」
「先に脱線したのはそっち」
「そいつぁ悪かったなお客さん、今から乗り心地が良くなるように点検するから降りてくれるか?」
二人の会話を誤解して耳に入れてしまった御者の男性が、不機嫌さを隠そうともせず外へ出るよう促した。その二人は手早く荷物をまとめてそそくさと馬車から降り立つ、その瞬間に乾いた熱気が二人に襲いかかった。
「怒られたじゃんか」
「私のせいなのか?」
二人が着いた村はルヘイ島の最西端に位置する場所だ。カウネナナイの国は五つからなる島嶼で構成されており、先程話にも上がったユーレット・ルイマン侯爵がルヘイ島を支配していた。隣国、ウルフラグとは海を挟んだだけの位置関係ということもあり、カウネナナイ王立機人軍もここに常在していた。乗合馬車の降り場は丘の上に位置しており、二人の視界にはカウネナナイが所有する人型の大型機械「特個体」と呼ばれている戦闘機が二機、それらに見下ろされている村の通りが見えていた。小さな漁村でいくつか海に舟が出ていた、桟橋には子供らが駆け回り軒下では漁に出た旦那の帰りを待っている女性たちが井戸端会議に熱中している、そんなのどかな村だった。だが、沿岸にはカウネナナイ所属の母艦が一隻、それから村の外れには機人軍に所属するパイロットたちの立派過ぎる建物があった。とても歪だ、細身の女性はそう感じ、二人の住処にしている小屋を目指して丘を下り始めた。
「で、状況整理だけど、こっちには無いっぽい?」
「分からん、あった形跡はあるにはあるが、何せ貴族連中が睨みを利かせているからな、こっちも下手に聞くこともできない」
「嫌な所だよね〜…景色はすっごく良いのにさ〜」
「まとめるとだ、カウネナナイに出現した形跡はあり、しかしながら現物は確認出来ず、ってところか?」
「それでいいんじゃない?探しようがない、あの変態侯爵に話をしてもあんな事されちゃったしさ」
「あれは失敗だった、仮面の下にあった素顔を見抜くべきだった」
この二人、ある物を探しにやって来た異邦人である、いや、異世界人とでも言うべきか。二人が過ごした街とこの世界とでは生活水準もさることながら文化そのものが全く違う、それでものらりくらりと半年間もこの地で生活をして調査任務を続けていたのだ。それでもやはり人には限界というものが存在し、二人の精神も疲弊しきっていた。そんな折、到着した小屋の中からこの場に似つかわしくない電子音が鳴っていた。慌てて小屋の中に入る二人、この場で生活を開始してから初めての事であった。
「何かな?緊急事態?」
「さあな、もしかしたら向こうで何か進展があったのかもしれない」
そう言って、この村、この国、この世界では製造されていない通信機器のコントロールパネルを、この生活から抜け出せるかもしれないという淡い期待と共に操作した。
1.Lever on!
「重っ……」
ぎゅうぎゅうに詰め込んだ旅行用の鞄の紐が、彼女の小さな手に食い込んでいる。今日から船上の生活が始まるからだ、衣服は勿論のこと、娯楽が少ない船の中でプライベートの時間を満喫するために色々と詰め込んであった。
この鞄を使うのは今日が二度目だ、一度目は彼女が育った島からウルフラグの首都であるビレッジコアに引越しをする時である。彼女はウルフラグ国内に四つの港を抱える最大手企業「Union science agency」に入社したばかりの新人だった、そのため実家から海を渡りこちらに来る必要があった。
家を出る前にちらりと振り返った、ここに戻ってくるのは一週間後だ、住み始めた当初は実家が恋しくて仕方がなかったのに、今はここから離れるのが恋しかった。
(戸締まりオッケー、コンセントオッケー)
声には出さず指差しのみで確認を取る、一度鞄を置いて食べ物をぱんぱんに詰め込んだバックパックを背負ってから、もう一度鞄を手に取った。
「行ってきまーす」
彼女は一人暮らしをしている身だ、挨拶をする必要はなかったが、生まれ持った面倒臭がりの性格を少しでも退治できればと声を出したのだ。
こうして、民間、政府、そして軍という三つの組織からなる臨時調査チーム「セントエルモ」の一週間が始まった。目的はここ数日間に発覚した海の異変についての調査である、全く手探りの状態で始められるこの任務、終わりがあるのかそもそも解決出来るのかと、彼女の心情とは裏腹に晴れ渡った空の下、最寄りのバス停まで歩みを進めた。
◇
「あんた、馬鹿じゃないの?何その荷物」
「え?………ええ?先輩の荷物ってそれだけなんですか?」
最寄りのバス停から首都方面へ向かう市バスに乗り込み、早速次のバス停から乗ってきた女性にそう罵倒されてしまった。黒い髪に毛先だけ赤く染めた小柄な女性だ、その女性の荷物が驚いたことにバックパックの一つのみだったのだ。これでは生活が出来ないのでは...?と訝しむが、すぐ後ろの席に腰を下ろして荷物が少ない理由を教えてくれた。
「もしかして船食って知らない?」
乗客を飲み込んだバスが荒々しく発進した。
「せんしょく?」
「ああ、知らなくて当然か、自分が食べたい物とか生活必需品とか色々頼めるサービスがあるのよ」
「ええっ?!何ですかそれ今初めて聞きましたよ!」
「ナディは今年入社したばっかりだから知らなくて当然よね。まさかその荷物に一週間分の食糧が入ってるの?」
「教えてくださいよジュディス先輩!」
「知らないわよ、同じ職場じゃないんだから」
「………おじいちゃんに意地悪されたって嘘吐きますから」
「ふん!やれるものならやってみなさい!今回の調査チームに実力で入った私に怖いものなんてないわ!仕方がないからその食糧はこの私が買い取ってあげるから陰口だけは止めなさい!」
「しっかりビビってるじゃないですか」
ナディと呼ばれた女の子がそう溜息を吐いた、この先輩は何かと偉そうに振る舞うきらいがあるが、何だかんだと素直なところもあるので憎めない人だった。
そうか、食べ物はもう用意されているのかとナディが詰め込んだバックパックからお菓子の袋を取り出して封を開けた、後ろに座るジュディスにもそのお菓子を差し出すが「旅行に行くんじゃないんだから」と注意を受けてしまった。
「船の上で生活するのって大変ですか?」
「人によりけりじゃないかしら、わたひはへいひらけろ」
食ってるやんけとナディがすかさず突っ込みを入れた。
「船で生活しながら調査の仕事、かあ〜…私、漁しかやったことないから大丈夫かなあ〜」
「意外と暇よ、船上生活」
「そうなんですか?」
「うん、自分のワッチを淡々とこなすだけだから。何かあったらすぐに叩き起こされるけど滅多にないし」
「専門用語を当たり前のように話すのは止めてください」
ワッチとは四時間区切りの勤務時間の事をさす、船上作業員はこのワッチに則って仕事をこなしているのだ。今年社会人になったばかりのナディがそんな事を知るはずもなく、先輩風を吹かすジュディスに唇を尖らせた。
「ん?何が?どの部分?どの部分が分からなかったの?」
「…………」
「ほーらほーら、遠慮なんかいらないから先輩であるこの私に何でも聞きなさい!」
「もういいっす、何だか鬱陶しいっす」
「何でよ!」
造船課と呼ばれるエキスパートがごろごろといる職場で働くジュディス、一番歳下ということもあり周りは気を遣う先輩社員ばかりである。そんな中で出会ったナディは自分のことを先輩と呼んでくれる唯一の後輩だった、だからジュディスはナディのことが可愛くて仕方がなかった。可愛がってやりたいのは山々だが、いかんせん勉強ばかりしていたものだから人付き合いはそこまで上手ではない、今のようについ偉そうに振る舞ってしまい可愛い後輩にそっぽを向かれてしまった。
二人が乗り合わせたバスが街の中心地にある総合ターミナルに到着した。ここで様々な方面に別れて専用のバスに乗ることになる、二人は調査船が停泊しているユーサ第一港に行くためユーサ職員専用のバスに乗り換えた。時間帯が早いということもあり車内はまばらだ、ナディが窓際に、ジュディスが通路側の席に並んで腰を落ち着けた。
「ジュディ先輩は電車に乗ったことってあるんですか?」
「うん?あるけど、それが何?」
ナディは最後まで名前を呼ばない時があり「ジュディ」と言いやすいようにしている、そんな事すら嬉しく感じながら可愛い後輩の質問に答えた。
「どんな感じなんですか?私まだ乗ったことないんですよね」
「普通よ普通、船と比べてただ乗るだけだから面白味もないし」
「いやそれが普通だと思うんすけど……」
「どうせ乗るんなら機関室とか見てみたくならない?どんな物使ってんのかとか、パラメータとか気になるでしょ」
「あ、お菓子食べます?」
「あんたが質問してきたんでしょ!最後までちゃんと聞いて!」
カウネナナイと同様にウルフラグも三つの島嶼から構成されている。首都ビレッジコアがある島が最も大きく、またこの世界で最大の面積を誇っていた。他二つの島は海を隔てた向こう側にありとても小さいため、人々が利用する交通機関は街中を走るバスか島を行き来する船が殆どであった。電車もあるにはあるが、島の両端を結んでいる程度で利用者は旅行客が多い、そのためナディのように職場と自宅を行き来しているだけの人には縁遠い存在だった。
二人を乗せたユーサ専用バスが発進し、調査船が停泊している港へと進路を取った。
そのユーサ第一港では、遠洋調査に赴いていた一隻の船が寄港していた。そして、その船を執務室から見守っているのは、この港において最高責任者であるピメリア・レイブンクロー連合長であった。薄い金の髪は大波のようにウェーブしており、瞳は湖のように青い色をしている。上背があり、男性の目を惹きつけるほどにスタイルも良いので何かと相手を圧倒させるオーラがあった。
(いよいよ海に出られるぞ〜、これでしばらくの間事務仕事からおさらばだ!)
ユーサ第一港に寄港している調査船は長さ百メートルを上回り、各種探査機をこれでもかと積載した総合調査船であった。甲板には深海探査機を海に下ろすための着水揚収装置も備え付けられており、ユーサが所有する中でもトップクラスのテクノロジーを搭載した船だった。
それらを眺めながらピメリアはほくそ笑む、本当の話をするならば何も連合長まで乗船する必要はない。それでも彼女が無理と建前をフル活用して乗船までこぎつけた理由はたった一つ、海に出たかったからだ。連合長という立場になってからというもの現場から足が遠のくばかりでちっとも面白くない、そんな憂鬱な日々から抜け出してくれる切符を彼ら、厚生省の中でも「特殊」な事案を処理する公務員の二人が持って来てくれたのだった。昨日は高鳴る胸のせいであまり眠れていない、しかしそんな事で二の足を踏むような彼女ではなかった。寧ろ万全な状態よりもいくらか不安要素はあった方が面白いと、危険なまでに前向きな思考がさらに彼女を高揚させていた。
深海潜水調査支援母船を眺めながらファーストフードを頬張っていると、執務室に誰かが入室してきた。入ってくるなり大きな溜息を吐いている。
「まーたそんな物ばっかり、今からあの船に乗るんっスよね?大丈夫なんスか?」
「私はこの道のベテランだ、ハンバーガーを食べたところでどうもしない」
「それで太らないのかと言ってるんス!船のレストランってどっさりと出てくるんスよね?帰ってきた時はぽよんぽよんになってるかもしれないっスね」
「そういうお前こそ少しは肉付き良くしてあの公務員を振り向かせたらどうなんだ、スレンダーを通り越してガリガリじゃないか」
「なっ?!なっ、何の話っスか!」
「おーおー、年頃の女がうぶとは、見ているだけで胸焼けしてくるよ」
「いやそれは朝からハンバーガーを食べているからでは……」
彼女の秘書官を務めるリッツ・アーチーという女性だ、髪はベリーショートで一見男の子のように見える可愛らしい女性であった。彼女は元々観光課という何でもござれの忙しい職場にいたのだが、その人付き合いの良さを連合長に見抜かれ秘書官に釣り上げられた人だった。ユーサには何かと自信家で荒くれ者で人の話を聞かない人が多い、各職場と連携を取り、時には指示を出さねばならない連合長にとって彼女のような人当たりの良い人物はとても重宝されていた。
リッツは今回の調査任務には同席しない、一週間の間だけ連合長の事務を請け負うことになっていた。そのせいか、その顔にはいくらか不安とも焦りともつかぬ暗い色が浮かんでいた。
「本当に私なんかがやって大丈夫なんスかね…今からでも人選を見直した方が…」
肉厚のハンバーガーをペロリと食べた連合長が秘書官の肩を叩いて励ました、その手には相手に対する気遣いよりも、自分の乗船が無かったことにされたくないという焦りがあった事は否めない。
「大丈夫大丈夫!他の港の連中にも不在になるって連絡してるし、お前はここで溜まっていく仕事に優先順位をつけてくれるだけでいいから!な?」
「……本当は海に出たいだけっスよね?チームを結成した自分がいないとしまらないってのは建前っスよね?」
ぎくり、彼女の額に汗が浮き出てきた。
「なわけあるか!私は純粋に海を心配しているんだぞ!仕方なく…そう!本当に仕方なくついて行くだけだ!いいな、そこんとこ分かってても他の人には言うなよ」
「やっぱり!ふざけんな!」
当たったところで痛くもない秘書官の猫パンチをいなしていると、さらに新たな人影が執務室に入室してきた。
「まるで遠足だな、緊張感のかけらもありゃしねえ」
「おはようございます」
顔を出したのは厚生労働省傘下の特殊安全保証局の二人、一人がヴォルター・クーラントと名乗る元空軍パイロットであり、その証として両目を「コネクトギア」と呼ばれる義体を装着していた。過去の戦争において負傷したという経緯もあるが、彼は目の移植手術よりも特個体のパイロットになる道を選んでいた。髪は茶とも白ともつかぬまだらな色をして角刈りである、体は鍛え抜かれ、ただそれだけでも武器になり得る程の体格をした男だった。
かたやもう一人の青年の名はホシ・ヒイラギ、彼の故郷で表すなら柊保志という名前だ。ヴォルター・クーラントとは比べるまでもなく痩せ型であり、いくらか体を鍛えてはいるが、どこにでもいる青年のような出立ちだった。特個体のパイロットとして、その体の一部を義体化させる義務があるにも関わらず彼にはその特徴が見受けられない、彼個人に関わるプライバシーから口外することが禁じられているが、これでもれっきとした特個体パイロットであった。
二人の登場にリッツがにわかに慌て出した、さっきのやり取りをヒイラギ・ホシという、最近知り合ったばかりの青年に聞かれていないかと不安になったからだ。
(あ〜!聞かれてないよね?聞かれてないよね?)
リッツから見てホシという青年は、今まで出会ったことがない程に付き合いやすい男性だった。彼女の周りにいる男性は何かと出しゃばる人が多いしこっちの話も聞いてくれない、けれど彼は常に一歩引いており我も強くない、隣にいても何ら苦痛を感じない初めての男性だったのだ。そのお陰で出会った時からついつい考えるようになってしまい、先日貰った手土産でとどめを刺されてしまった。はっきりと言って彼女は彼を意識してしまっている、連合長と馬鹿なやり取りを聞かれてしまったのではないかとはらはらしていた。しかし時既に遅し。
(アーチーさんもああいう風に話すんだな……意外と言えば……意外?)
ホシという青年もまた、リッツを意識していた。彼女は明るい、それに人当たりも良く仕事熱心である、さらに男慣れしていないうぶな一面もあり、彼の身の周りにいた女性とは比べものにもならない程に「女性らしい」人であった。ホシも元軍人であり、空軍に所属していたのだが、そこに在籍していた女性陣が強いのなんの...とにかく自分が一番でないと気が済まない人たちばかりでホシは常々身を引いていたのだ。職業柄と言えばいいのか、組織的な体質と言えばいいのか、軍に身を置く以上は戦果を上げなければ階級も上がらないし勿論給料だって増えない。だからこそ負けん気の強い人が集まってくるのだろうが、それをプライベートにまで持ち出すのはどうなんだといつもホシは疑問に思っていた。そのせいで女性関係は暗い時代を過ごしていたのだが...今は良い、話が長くなる。
「遠足ではない調査だ!何を言うか!」
「その割には顔がだらけ切っているぞ、本当に大丈夫なのか?」
「こうしちゃいられない、私も準備をしないとな!」
「逃げる気満々っスね……」
「逃げるんですか………まあ、僕たちはこれで、アーチーさんも無理はなさらないように」
そう言ってホシが退出しようとすると、上擦った声で引き止められた。
「あ!そのっスね!……ちょっといいっスか?」
「あ!はい、何でしょうか」
リッツだ、その手に何か握られている、それに何だか顔も赤い。
「えーっとスね、これ、ユーサ特性のお、お守りなんスけど…良かったら……き!昨日のお返し、ということで…」
もうその照れ具合にこっちまで照れてしまいそうだ、リッツが差し出した手には青い小さな石に羽根飾りが付いたアクセサリーがあった。何でも海に出る時は持ち寄る縁起が良いものらしい、恐る恐るホシが手に取るとリッツの顔に笑顔が広がり扉も勢いよく開かれた。
「おはようございます!ビレッジコア方面基地より赴任しましたアリーシュ・スミスです!今回の任務は誠心誠意務めさせていただきます!」
続いて入ってきたのが、今回の任務が特殊性を帯びているため国防海軍より派遣されたアリーシュ・スミス大尉であった。ピメリア同様に金色の髪をしており、今は一本に束ねて軍帽の中に押し込んでいた。任務中ということもあり、化粧っ気がまるでないアリーシュの顔は少年のようなどこかあどけなさがあった。きちんと身だしなみを整えれば誰もが振り向く美人なのだが、いかんせん本人が気を払っていないという事もあり、その容姿が人から見れば男の子に見えてしまうという原因に拍車をかけていた。そのくせ本人は男の子に見られてしまうことを気にしている。
リッツのアプローチ真っ最中という、他二人も何となくは事情を察していたため気まずい空気が流れてしまった、けれどピメリアだけはその中でも面白がっていた。
(いやあ〜リッツを連れていけないのは残念だな…船内で修羅場が見られたかもしれなかったのに)
リッツがホシへ何か手渡していることを見つけた大尉、決して悪気はないのだが早速介入してきた。
「補給品の受け渡しでしょうか!」
「え、あ、いやこれは…」
「………」
さあ、どう受け答えするのかと見守る年長者二人。ここでリッツの口から言わせては男が廃るとピメリアが興味深く見つめていると、
「……補給品ではありません、アーチーさんから僕だけにくれたお守りなんです」
ピメリアの傍らにいたヴォルターが小さく感嘆の声を漏らした。
「…何だ、何でお前さんが感動しているんだ」
「…あのホシがああも言い切るとはな…普段からなよなよしている奴だから絶対逃げると思ったのに…」
小声で話し合う二人、するとアリーシュがならば私もと内ポケットからある物を取り出した。
「!」
「!」
さらに盛り上がる二人。
「でしたら私もこの間送っていただいたお礼にこれをお渡しします、食べやすいお菓子が入っておりますので小腹が空いた時にでもどうぞ」
取り出した物のが可愛くラッピングされた小さなお菓子であった、小さいと言ってもその梱包に気合いが入っている代物だ、決して他人にほいほいと渡せる物ではなかった。何かしら、特別な想いが込められているのは一目瞭然である。その様子を見ていた年長者二人、ピメリアとヴォルターがさらに盛り上がっていた。
「…おい!あれは一体どういう神経をしているんだ?良くあの場面でプレゼントを渡せたな、どれだけ自分に自信があるんだ」
「…いや、あれは何も考えていないだけだろ。どうするんだあいつ、受け取るのか?」
「…受け取らなかったら失礼だろう、他意はないんだから」
「…いやいや、あれはどう見ても…」
困りに困ったホシがそっと手を伸ばしてそのお菓子を受け取った。
「あ、ありがとうございます…美味しく食べさせていただきます…」
受け取るしかない、アリーシュの善意に満ちた目を見てしまえば、断る方がどうかしていると思ったからだ。
「いえ!喜んでいただけたら何よりです!」
「………」
「…おいおい見てみろよリッツの奴、あんな顔初めて見たぞ、意外と嫉妬深いんだな…」
「っ!!」
いくら小声といえど同じ部屋の中にいるのだ、リッツの耳に届かないはずがなくさっきから野次馬になっている二人を睨めつけた。それだけで二人が絵に描いたように慌て出し、明後日の方向を向きながらそそくさと部屋から出て行ってしまった。
(う〜!せっかく頑張って渡したのに!何だか帳消しにされちゃった気分!)
そんなこんなで今回の任務の主要人物たちが顔合わせを終えて、調査船が停泊している桟橋へと向かって行った。
一方その頃、調査船が停泊している桟橋ではコンテナの積み込み作業が行われていた。大型クレーンで吊り上げ慎重に下ろしていく様を、一人の美女が物憂げな表情でぼんやりと眺めていた。潮の香りと風に吹かれながらターミナルにある展望デッキに一人、今か今かと待ち人のことばかり考えていた。
(もしかしたら同じ部屋になるかもしれない……急展開にも程があるわ……)
展望デッキには彼女以外にも調査船に乗り込む作業員がいるにはいた、けれどその儚げな様子と高嶺の花と呼んでも差し支えない彼女に声をかけられるはずもなく、遠巻きに眺めているだけだった。
ここで待ち合わせの約束をしている、約一人余計な人間もいるが、あの子がもう少しでここにやって来ると思うとそわそわしてしまう。ついこの間まで眺めていただけの相手とまさかの共同生活...ライラ・コールダーはもう一度大きな溜息を吐いた。
(大丈夫…大丈夫よね?変な所はないかしら…)
待合ターミナルに視線を向けて、ガラス張りに映った自分の姿を確認しようとすると、中からこちらを覗いている人と目が合ってしまった。
(っ!………え、夜逃げでもしてきたの?)
想い人である彼女だ、しかし彼女が持っている荷物の量にも驚いてしまった。自分の荷物を持ってターミナルの中へと入る、涼しく調整された空気が体を包み込みすうっと汗が引いていくのを感じた。
「おはよう」
「お、おはよう……その荷物どうしたの?」
「聞いてよ!私、せんしょくっていうサービスがあるのを知らなかったから自前で一週間分も持ってきたんだよ!」
「班長から何も教えてもらえなかったの?」
「班長は不参加」
「ああ……それはまた……」
不機嫌に上がった眉でもその愛おしさは変わらない、小さな手を握り拳に変えて訴えてくる彼女が何とも愛らしい、先程までの緊張感もあっという間に消え失せてしまった。
(同じに部屋になるのが怖いだなんてとんでもない、ナディを一週間も独り占めに出来るだなんて…)
まだそうだと決まったわけではないが、ライラはもうすっかりその気になっていた。船上生活において最も深刻な問題は人間関係だ、人にはそれぞれ相性というものが必ず存在し馬が合わなければどちらか、あるいは両方とも多大なストレスを抱えてしまうことになる。ライラはその事を気にして最悪の事態─ナディと相性が合わないなんて事は太陽が西から昇るぐらいに有り得ない事だが─を想定していたのだが、彼女の愛らしい顔を見ていっぺんに吹き飛んでしまった。
この場にいる余計な人間が、ナディとの会話を邪魔するように口を挟んできた。
「あんたは船の上で生活したことはあるの?」
「ありますがそれが何か?」
にべもなくそう答えると、傍らにいたナディに可愛く注意されてしまった。
「ライラ、めっ!これから一緒に生活するんだから喧嘩は無しだよ」
「……わ、分かった」
「え〜、私の方が歳上なのにナディの言う事は聞くのね。変なの」
いや待てよとライラが刹那的に思い付いた、このいけ好かない先輩と喧嘩し続けたらナディがもっと構ってくれるのではないかという事を。さっきのめっ!はとても良かった。
どうすればもっと喧嘩出来るのかと間違った方向に頭を捻っているライラの視界に、ベンチに一人腰かけている少女が映った。ユーサ指定のベストとスカートを履いているロングヘアーの女の子だ、その足元には旅行用の鞄も置かれており、これから遠出をするような雰囲気があった。
(あの子も調査船に乗るのかしら…)
つい見続けてしまい、歩き出していた二人に気付かなかった。少し歩き始めていたナディに名前を呼ばれてライラも慌てて跡を追いかける。
こうして、今回の調査任務に特別枠として選出された新人三人と秀才一人が合流し、調査船へ向かっていった。
1.5.Change the platform
この世界に来て、まず初めに困惑したものは何かと聞かれたら、真っ先に食べ物と飲み物と答えるだろう。それ程までに違いがあり、また舌が慣れるまでに随分と時間がかかった。
「魚ってさ、こんなに生臭いとは思わなかったよね」
「何だいきなり、いやそれには激しく同意するが」
「でしょ?あっちの魚はただ美味しさだけが再現されていたんだなって、つくづく思うよ」
「それを言うならこの潮風もそうだ、洗っても洗ってもすぐ髪が強くなってしまう」
「何がこわくなるの?」
「固くなるって意味だよ」
「急な方言止めてくれない?」
小屋の中で食事をしながら話す二人、即席のテーブルの上には村の人たちに分けてもらった焼き魚と、この土地特有の穀物から作られたパンが乗っていた。それらを食しながら雑談を交えつつ、先程あった連絡に話が及んだ。
「だがまあ、ようやくここともおさらばだ、これ食ったらさっさと支度するぞ」
「あっちはどんな所なんだろうね、こっちより住みやすかったらいいんだけど」
「さあな、私は自分の家に戻りたいよ」
「…………あっ!」
そこでいきなり大声を出したものだから、細身の女性が咽せてしまった。
「──な、何だいきなり!」
「家賃……払ってない……どうしよう?!滞納額ヤバいことになってそう!」
「今頃?今頃それ気にするのか?」
「あー!どうして帰ってきた時に思い出さなかったんだろ!やってしまったあ……」
食事そっちのけで頭を抱え始めてしまった。馬鹿ばかしいと、細身の女性が一人せっせと焼き魚を口に放り込んでいると村の人が現れた。この二人に食べ物を分けてくれた優しい女性だ、その後ろには小さな子供も二人引っ付いていた。
「お口に合いますか?」
「ええとても、本当にいつもありがとうございます」
「いいえそんな」
「どうかされましたか?」
頭を抱えていた馬鹿な相棒も慌てて姿勢を正した、もしかしてさっきの話聞かれた?と不安になったがどうやら用事があったらしい。
「あなたたちが探している物についてなんだけどね、隣の村にいる人から教えてもらった事があるの」
「それは一体──ああこら!」
「わ!なにこれ!これなあに?」
ある物とは異世界人二人がいた場所から流出してしまったウイルスの事だ、この村の人にもそれとなく事情を伝えてこの小屋も斡旋してくれていたのだが、教えてもらう前に通信機器を子供に見つけられてしまった。好奇心旺盛な年頃だ、それが何か分からなくても触れたいみたいと手を伸ばしていた。
「それは私たちの大事な仕事道具なんだ、勝手に触らないでくれ」
「これでおさかなをつるの?どうやって?」
「魚釣りの道具じゃないんだよ。それよりほら、こっちの方がきらきらしてカッコ良くない?」
「わあきらきらしてる!」
子供が通信機器の前から相棒に駆け寄り、配給されていた水筒に食い付いていた。それに村の人が一瞥をくれてから外に出ないかと小声で持ちかけてきた。
「…何かありましたか?」
外に出るや否やに日光が降り注いできた、天辺に昇った太陽のせいで女性の顔に影ができていた。
「…さっきのあれ、どうやらあなたたちが探している物と関係があるんじゃないかって…それにそのせいでたくさんの人が亡くなったって聞いたから…」
「…内戦ですか?」
「そう、あなたたちは知らないだろうけど、この国の貴族様は皆んな仲が悪いの、それを取り合って争いがあったって聞くし…」
「………」
異世界からやって来た彼女が悪いわけではない、だが他人事のように聞くことができなかった。間接的にとはいえ彼女にも関わりがあるからだった。
「何でもね、星人様のお恵みだと言って前に町からおふれがあったらしいのよ」
「お恵み、ですか…」
「そう、確か…日頃から行ないの良い者の前にしか姿を見せないとか何とか…それに色々な形をしているそうなの、あなたには何だか分かる?」
「いえ…それが私たちの探す物かどうかまでは…」
「そうよね………見つかるといいわね」
この村の人には、飛行中に大事な物を落としてしまった、とだけ伝えていた。すると、女性がすっと近寄りお腹をまさぐってきた。
「平気かしら、きちんと見ないと傷んでしまうわ」
「い、いえ…大丈夫ですよ」
「そう?いつでも言ってね。あの子たちの前ではしてあげられないけど……」
急に言葉が熱を帯びてきたので失礼のないように身を引いた、それでも女性はお腹から手を離そうとしなかった。その手、小指の先が日光を反射して鈍色に光っていた。
この国はただ一つの宗教を信仰している、その教えの中に出てくる「星人様」と呼ばれる神聖な存在に近づこうと、また、信仰心の証として体の一部を義体化あるいは機械化する事が習わしだった。この女性だけでなく、村の人全てが体の一部を機械化していたのだ。そのお陰もあり、異世界からやって来た二人はすんなりと村に迎え入れられたのだった。
(私の服をひん剥くつもりか…何を考えているのか…)
この女性が他意を持って近付いているのは知っていた、何ならそれを利用していたのも事実である。だからといって体まで許すつもりはない。
「そこの二人、ちょっといいか?」
熱い眼差しと逃がさまいとする手に絡められていると割って入ってくる者が現れた、これ幸いとすぐに視線を向けるがその相手が機人軍に所属する軍人だった。
「何でしょうか?」
「暇をしているなら俺たちの相手をしてくれ、礼は弾むぞ」
女性の冷たい声音にも動ずることなく、その軍人がいかがわしいことを臆面もなく持ちかけてきた。どこの世界、国でも男というものは力を持つと途端に下品になるらしい、細身の女性が在籍していた軍も似たような連中がうようよと存在していた。
「いえ、暇をしているわけでは…」
ここでようやく女性がお腹から手を離してくれた。
「ん?何だって?」
わざとらしく軍人が耳を傾ける仕草をした、その拍子に義体化している耳がきらりと反射した。体の一部を機械に替えることは容易ではない、その一部が大きくなればなる程体への負担も跳ね上がり、それと同時に自らの強さを誇示するある種のステータスにもなっていた。
ここいらが潮時と判断した細身の女性が胸からある物を取り出し、その軍人と今日までお世話になった恩人兼変人にも見えるように掲げた。
「すまない、私も一応立場がある身でな、それ以上は無礼とみなして報告しなくてはならない」
「!」
「!」
掲げた物はある貴族の身分を証明するエンブレムであった、その貴族というものが、
「公爵の………し、失礼しました!今のは、その女にだけ言ったものでしてっ」
「この方は私の恩人だ」
「し!失礼しましたあ!」と、言い終わらぬうちに駆け出した軍人、残るは...
「…………そんな、あなたが………だから、空を飛んでいたのね……」
「ええ、その、はい、内々で動いておりまして……」
「私は……無礼にあたらないのですか……?」
さらに熱を帯びているのが良く分かった、これを持たされた時は「諸刃の剣」だと言われたのが良く分かるというものだった。
「いいえ、今日まで本当にお世話になりました。私と連れはここを離れます、いずれ恩返しに来ますので、その時にまた」
「………………はい」
絶対に来ないからな!口に出しはしないが、蕩けた女性の顔を見てそう強く思った。
その後、合流した相棒から「節操がなさすぎる」、「見境なしか」などと小言を言われていた。どこからか女性とのやり取りを見ていたらしい、不機嫌になっている相棒と共に退去する準備にかかった。
2.Push the button!
ユーサ第一港から出港した調査船の中では今回の任務について説明がなされていた。船の整備員から調査員、航海士を全て含めると総勢四十名近くが会議室に集結していた。知らない人ばかり、それに海のプロフェッショナルがこんなに沢山...初めての経験にナディは戸惑いを隠せなかった。隣に座っているライラは涼しい顔をしているし、前の席には髪の長い女性とリラックスしているジュディスもいる、二人とも普段通りにしているのが何とも心細かった。
誰も彼もが会話をして小波のように騒がしかった会議室に連合長と公務員の二人が入ってきた、それだけで場がしじまに変わり誰もが壇上に視線を向けていた。
「ユーサ第一港で連合長を務めているピメリア・レイブンクローだ、今日は急な話にも関わらず集ってくれた事に感謝する」
「…レイブンクローって、凄い名前……」
思わず独り言を呟くと、隣にいるライラがくすりと笑った。
「今回の調査では海中に起こった異変について調べるつもりだ、詳しい話は保証局の二人からしてもらおう。頼むぞ」
紹介を受けた保証局の二人のうち、青年が連合長に変わって前に出てきた。これだけの人数を前にして一切の動揺を見せずすらすらと話し始めた。
「…絶対練習してきたでしょ、あの人」
「…うるさい!黙って聞け!」
ナディはホシに対してあまり良いイメージを持っていない、執務室で「体を張ったジョーク」と揶揄されてしまったからだ。前に座っていたジュディスが耳聡く聞きつけて小声で注意をしてきた。その間にも話は進行している。
「──以上が僕たちの簡単な自己紹介になります。次に、今回の件は政府から直々に指示が下りてきた特殊性の案件であることもお伝えさせていただきます、海軍に要請をかけて護衛艦隊も出動しているのはその為です」
ナディより遠くに座っていた人が早速挙手をして質問していた、ホシの内容を聞いて当然の疑問とも言えた。
「もしかしてカウネナナイが関わっているのですか?攻撃される心配はありませんか?」
会議室内がにわかに騒がしくなった、カウネナナイと言えば戦争を行なったことがある国だ、決して友好国とは言えない相手が絡んでいるとなれば不安になるのも当然と言える、もしかしたら自分たちが攻撃を受けてしまうのではないかと危惧したのだ。
それらを見越したようにホシが落ち着いて否定にかかった。
「ご心配には及びません、もしカウネナナイの働きかけがあったのであれば護衛艦一隻では対応し切れませんし、そもそもユーサの皆様方が対応する問題でもありません」
ホシの話を聞いていくらか落ち着きはしたが、まだまだ猜疑心を拭えていない人もいた。
その反応をつぶさに観察していたヴォルターは一人反省をせざるを得なかった。
(護衛艦と聞いただけでこの反応……俺の与太話が通っていたならこの程度では済まなかっただろうな……)
ヴォルターは元々、海軍が秘密裏に開発していた軍事兵器が海中深くに取り残されていると説明していたのだ。それを民間の者に何とかさせようなどと、いくらあの話が厄介とはいえ自分も判断力を失っていたと痛感させられた。
研究者の中にも勘の鋭い人間がいたようで、まだ少しだけ騒がしい会議室内でも良く通る声で質問していた。
「護衛艦を出さなければいけない理由は何ですか?海中に一体何があるというのですか?」
ホシがちらりとヴォルターに振り返った、そして彼らは瞬時に特個体を起動させた。
《さあて、ここからが本題だぞ、どうやって説明する?》
《どうもこうもねえよ、すっと言えばいいだけだろ》
ヴォルターの搭乗機体である「ガングニール」が口を挟んできた、この機体の正式な名前は「◾️◾️◾️特◾️個◾️◾️体」と呼ばれ、ウルフラグ政府が厳重に管理している情報戦特化の戦闘機であった。機体のシステムを利用すれば体内のインプラントからサーバーに即時アクセスが可能であり、声には出さず自意識会話を行なうことが出来た。所謂心の声というものだ、サーバー経由で他の利用者に聞かれてしまうという弊害はあるにせよ、とても便利な代物である。
ガングニールが口を挟んできたことにより、ホシの搭乗機体である「ダンタリオン」も会話に参加してきた。
《それはいけない、一般市民を無駄に混乱させてしまう事になりかねない。それは今後の状況を鑑みても最良の選択とは思えないがね》
《んだてめぇ、今日はどこの誰さんだ?ん?あの甘えん坊なガキんちょはどこに行ったんだ》
《ガングニール、静かにしろ、ダンタリオンの言う通りだ》
《ううむむ……正直に話しましょうか……下手な嘘はすぐに勘付かれますよ》
《そらみろ!》
《ああ!そんな、我が主人!こんな下賤な輩の言う事を聞くというのですか!》
《静かに!》
ホシがぴしゃりと叱りつけて二機を黙らせた、普段はサーバー内で眠りについているので起こすと大変騒がしくなってしまう。ヴォルターから厳しい視線を受けながらホシが説明に入った。
「五年前、政府に対してグガランナ・ガイアと名乗る人物が接触してきました」
真剣さを帯びたホシの声音のお陰か、はたまた実名を持ち出したことによるせいか、会議室内が再び静まり返った。
「彼女は自らを「マキナ」と呼称し、このウルフラグ近海に未知のウィルスが潜伏していると僕たちに告げたのです。それだけではなく、皆さんご存知の通りあの「古文書」についても詳しく語ってくれました」
「それはどんな?」
食い気味の質問がホシの話に割って入ってきた。
「十二の神とはつまり、グガランナ・ガイアと名乗る同等の存在である事とこの世界を管理、運営している存在だという事です。勿論、この話だけで相手の全てを信用したわけではありません。しかし、現状起こっている超自然的現象を鑑みれば無視して良いものではありません」
ホシの話を一通り聞いた船員の中には席を立つ者もいた、明らかに失望している様子が見て取れる。冗談に過ぎると不快に思った人もいるのだろう、だが大半の人間は判断に迷っていった。政府の、それも特殊的な案件を請け負う保証局の人間がこうもはっきりと言い切ったのだ。その話の真偽はどうあれ、そう伝えられたことは真実だろうと誰もが思っていた。そんな中でも取り分け元気良く挙手する者がいた、ジュディスだ。
「はい!」
「え、はい、何でしょうか?」
ホシも驚いていた、今の話を聞いて疑うことはあれど、まるで講義を受けている生徒のような反応が返ってくるとは思わなかったからだ。
「そのウィルスというものはどんな形をしていますか?そもそも形はありますか?」
「え…形…どうでしょうか…」
「何か分かっている特性はありますか?」
ジュディスは興味津々である、その熱に当てられた何人かの調査員も次々に挙手をした。
「そのウィルスが今回の現象を引き起こした犯人と?」
「は、はい、僕たちはそう考えています、だから、」
「だから護衛艦にも出てもらっているのですよね?つまり、未知のウィルスがいるというのはあながち嘘でもない……」
「いやいや、そんな馬鹿な話がある?未知のウィルスって簡単に言うけど、」
「未知を否定して何が調査員なの?決まった事だけを調べて満足するなんて勿体ない」
ジュディスの痛烈な批判に異を唱えた調査員が口ごもった、そして後ろからそっとナディが突っ込みを入れていた。
「…ジュディ先輩は調査員じゃないでしょ」
「馬鹿言わないで!未知を解明して取り込んでいくところにエンジニアとしての醍醐味があるんじゃない!そのきっかけをこうもポンとくれたのよ?!簡単に手放したあの二人に吠え面かかせてやるんだから!」
「…いやだから!先輩の持ち回りは機関室、」
ナディの突っ込みがジュディスの耳に届くことはなかった。
「あの子の言う通りだな…」
「調べてみるのもありかもしれない…」
「どうせ失敗したところで責任は向こうにあるんだろ?」
ジュディスの声高な宣言によって会議室が再び騒がしくなっていた。話を信ずる信じないというより、歳下の女の子に発破をかけられた形になっていたが皆にやる気が満ち始めていた。
ホシは一つ安堵し、そして新たな不安を抱えていた。誰が言ったのか全く分からないが、本調査が失敗に終わった時の責任だ。
(やっぱり僕たち?)
一抹の不安を抱えながら振り向くと、どこ吹く風といった体で会議室を眺めている連合長が目に入った。そしてその連合長がホシの視線に気付き、上機嫌のウィンクを返してきた。
(あ駄目だ、あれは何も考えていないぞ…)
リッツ・アーチーが言っていた事は本当らしい、チームの責任者はただ陸から逃げたかっただけのようだった。
◇
任務の概要説明を終了し、調査員に対してさらに詳細な説明をするため場所を移してもらっていた。後に残ったのは新人と呼ばれる三人と機関士の元に着くことになっていた秀才一人である、他にも第一港の課長たちも会議室内にいた。
「何で私まで残らないといけないのですか?」
「お前、この中で一番の年長者だろう?」
「はい!」
「何でそんなに嬉しそうなんだ……とにかく、この三人の面倒を見てやってくれ」
「三人?」
「三人?」
「三人?」
ジュディス、ナディ、それからライラが異口同音に返事をした、良く見てみればジュディスの隣に座っている人がいるではないか。
「自己紹介していなかったのか?」
ピメリアにそう話を振られてようやくこちらを向いた女性、人形のようにつぶらな瞳に、それを自然な形に魅せてくれる童顔、長い茶色の髪と相まって本当の人形のように見える人だった。つい目を奪われてしまった三人、ライラがターミナルで見かけた女性だった。
その女性がゆっくりと、一言一言確かめるように自己紹介した。
「初めまして、私の名前はクラン・アーチーと申します」
「ど、どうも……」
「何度かご挨拶したのですが、なかなか気付いてもらえませんでした」
その一言にジュディスが声を上げた。
「ええ?何言ってんのあんた、今が初めてじゃない」
「いいえ、心の中で何度もご挨拶しました、人見知りなんです」
「………」
「………」
「………」
彼女の言葉に絶句する三人にピメリアが詳しい紹介をしてくれた。
「この子はリッツの妹でな、各職場から将来有望な人材をピックアップして今回の調査任務に同行させる事にしたんだよ。まあ……何だ、本人も言ってる通り人見知りが激しくてな……仲良くやってくれ!」
ピメリアに肩をぱしん!と叩かれたクランがぽうっと頬を染めた、人見知りなのは本当らしい、表情の変化がまるでないがその反応を見れば良く分かった。
「どうして私がここに来たのか未だに不思議です、昨日は一睡もできませんでした」
人見知りの割には良く喋るなと思いながらナディが相槌を打った。
「分かります、私も早く自分の家に帰りたいです」
「私、ハイスクールから入社しました」
「ん?そうなんですか?」
「はい、なのでこの中で一番歳下かと思いますので敬語は使わなくても大丈夫です」
「ええ?そうなの?そんな風には見えないけど……じゃあ私の方が先輩になるってこと?」
「はい、ナディ先輩」
「っ!」
「ちょっと、年長者であるこの私を差し置いてナディ先輩はないんじゃないの?」
「すみません、ジュディス先輩」
「そうそう、それでいい──ん?どうして私たちの名前知ってるの?」
「暗記しています」
「………」
「………」
(分かるわ、その気持ち)
絶句する二人とシンパシーを抱いた一人。間違いなくライラとは別方向なのだが。
クランは極力恥をかかないよう、今回一緒になるメンバーの名前を頭の中に叩き込んでいたのだ。
(自分から名前を聞くだなんてとんでもない……そんな勇気があるなら今頃大統領にでもなっているわ!)
クランも能力は高い、だがその人見知りが仇となって周りに埋もれてしまっている人物だった。それを見かねた連合長が無理やり彼女を推薦したのだが...はっきりと言って迷惑以外の何ものでもなかった。
(本当なら今頃一人でのんびりとランチを楽しんでいたのに……リーねえに泣きついてでも断っておけば良かった!)
後悔したところでもう遅い、自分は既に海の上にいるのだと、微妙な顔付きをした二人と熱い眼差しを送ってくる一人に囲まれながらそう痛感した。
その様子を会議室の端で眺めていたカズ・ウエスタンもまた、どうしてこんな事になったんだと一人思いを巡らせていた。
(俺が得意なのは釣りであって引率じゃないんだがなあ……)
せっかく海に出られたんだ、人の相手ではなく魚の相手をしてやりたいと思いながら行き場のない欲求を弄んでいた。人とのコミュニケーションが嫌いなのではない、寧ろ好きな方だと自覚はあった。相手の話を聞くのも得意だし話すのも得意だ、人の好き嫌いは激しいがまあそつなくこなす自信もある。それよりもやっぱり心躍るのが釣りだ、当たりか坊主か、あの緊張感といい手応えといい、いつになっても飽きない。勘と人付き合いの良さから管理職に抜擢されてしまいあっという間に課長にまで昇進してしまった。
(ったく……竿の一本でも持ってこれば良かったぜ……)
この船には釣りをする道具が一つもない、つまらないにも程があった。
半ば不貞腐れていたカズの元に保証局の一人と連合長がやって来た、確か名前はホシという青年だ。
「おい、カズ」
「何だよ」
「こいつにイロハを叩き込んでやってくれないか?」
「何のイロハだよ」
「んんん?機嫌が悪いな……釣りが出来なくてイライラしているのか?」
「そういうあんたは妙に嬉しそうだな」
「そりゃそうだ、念願の海に出られたんだからな!いやいやそんな事は今はいい、こいつが今絶賛モテ期中でな、色々と教えてやってくれ」
(そういう事かよ)
カズとピメリアが話しをしている間ずっと黙っていたホシ、最近の若者に多い性格をしているようだ。一歩引くというか、あまり出しゃばらないというか、今時おとなしい若者は珍しくもない。話しを振られてもなおホシは一言も喋らなかった。
「連合長の言うことは本当なのか?」
「いえそんな、何かの間違いではと言っているんですが、」
「んなわけあるか!あんなおもっ──女二人にプレゼントを渡されてモテていないはずがないだろ!」
(今絶対面白いって言いかけただろ)
ようやく話の輪に入ってきたホシが手を振りながら否定している。
「ですからあれは単なるお返しであって特別な物ではありません」
「あれのどこが特別じゃないってえ?カズにも見せてやれよ」
嫌々ながらホシが内ポケットに忍ばせていた物を取り出した、とても丁寧にラッピングされたお菓子のようであった。
「これ、やっぱり普通のお返しですよね?」
ホシがカズに同意を求めたがきっぱりと否定していた。
「いや違うだろ、これお手製だぞ」
「え?お手製?」
「そう、既製品じゃない。お前に渡した相手は一から包んでリボンを結んだってことだ。連合長の言うようにほいほい渡せるもんじゃねえよ、お前の方が失礼だぞ」
「ええ……そうなんですか……」
ホシが今さらのようにプレゼントされたお菓子をまじまじと見つめている。一歩引くのが当たり前になってしまった弊害と言うべきか、他人からの好意に対して消極的に受け止めるのも最近の若者の特徴でもあった。自分だったら両の手を叩いて喜ぶところではあるが、ホシはそうではないようだ。
「お前はどうしたいんだ?」
「え、僕ですか?どうしたいっていうのは…」
「んなの決まってんだろ、そいつと寝たいかどうかだよ」
「また即物的な……」
ピメリアが茶々を入れてきた。
「お前が教えろって言ったんだろ!こっから男の領分だ!」
ホシを連れてきた連合長へ手を振って追い払った、向こうは気にした風でもなくさっさとカズたちの元から離れていった。
「お前、時間はあるのか?」
「あ、はい」
「ならちょうど良い、飯に行こうぜ」
ホシと連れ立って会議室を後にする、向かう先は船内の食堂だ。これだけの大型船ならさぞ立派な物が出てくるだろうとカズは少しだけ浮かれていた。船上生活では食事が何よりの楽しみになってくる、美味いご飯で腹を膨らませるのは体にも心にも良い。
しばらくホシと歩くがずっと黙って素直について来る、歩調を合わせて話の続きを促した。
「そのプレゼントの相手は誰なんだ?」
「海軍大尉のスミスさんという方です、先日基地へ訪問した帰りに送ってあげたことがありまして、そのお礼でプレゼントをもらったんです」
「そりゃいいな、きっかけにはちょうど良い」
「きっかけですか?」
「さっきも聞いたがお前はどうしたいんだ?」
「どうしたい…その、恋人にしたいかどうかって意味……ですよね?」
「そりゃそうだ、男と女が仲良くなるのはそれしかない」
「ううん……そう、なんですね……」
「そういやもう一人からも貰ったって言ってたな、相手は誰なんだ?」
「秘書官のアーチーさんです」
「ええっ?」
カズが思わずホシをまじまじと見てしまった。あいつが?こいつに?
「どうかしたんですか?」
「ああ、いや…」
(悪く言うのはナシだよな〜、俺は大っキライなんだがな)
秘書官のアーチーは何かと話を持ってくる、そして貸し借りだの助け合いだのと人の善意を利用しようと企んでいるのが気に食わなかった。初めっから下心を持って近付いて来る奴は男でも女でも気に食わない、アーチーの人当たりの良さに助けられた事もあるにはあるが、使われた事も多いにあった。
「そりゃ確かに側から見たらモテてるように見えるな」
「そんな、僕はそんなつもりで接していたわけではありません」
「だからこそだろ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、お前の人としての良さが二人にすんなりと伝わったんだろうな、下心を持ってる奴ってのはすぐにバレるもんだ」
「はあ…そうなんですね」
調査船の食堂が見えてきた、遠出する漁猟船とは違って扉も立派である、何なら甲板で胡座をかいて食べるのが常だったカズはそれだけでテンションが上がっていた。
「おお、良い所じゃないか。ホシ、何があってもここの司厨長に嫌われんなよ、船長より格上だと思え」
「しちゅうちょう……とは確か、コックの方ですよね?」
食堂の中では早速食事を取っている者たちがいた、その中には今回ピックアップされた新人三人もテーブルを囲んで舌鼓を打っているようだった。
「ああそうだ、海に落ちたら皆んな助けてくれるが司厨長に嫌われたら誰も助けてくれない、自分の胃袋が心配だからな」
「ああそういう事ですか……肝に命じておきます」
船内で食事を担当する人を司厨長と言い、その下で働く人を司厨部員と呼んだりする、どちらにせよ船内では最も敵に回してはならない人たちであった。嫌われたら一巻の終わりである、何せ食べ物が出てこなくなるからだ。
「ま、実際そんな奴はいないがな、狭い船内ではどんだけ腹立つ奴がいても皆んな仲良くってこった」
「分かりました。ウエスタンさんにも腹が立つ人はいるんですか?」
テーブルに落ち着くなりホシが初めて話を振ってきた。
「そりゃごまんといるよ、世の中好きか嫌いかの二択しかないんだから、確率で言えば半々だ」
「きっぱりしていますね」
「お前にはどっちつかずの人間っているのか?」
「そりゃまあ…あまり話をしたことがない人とか…」
「俺とかか?」
「いやいや、何を言っているんですか…」
カズの冴えない冗談に苦笑いを返すホシ、注文を取りに来た司厨員を目の前にしてホシが慌てて端末を取り出していた。
「何だ、仕事か?」
「ほんとすみません、上司から呼び出しで、本当にすみません、必ず食べに来ますので!」
「は、はあ……」
必要以上に頭を下げるホシに司厨員が目を丸くしている、その様子を見て相当自分の話にびびっているなとカズがこっそりと笑みを溢した。
3.Loop
ジュディスと別れて先に食事を済ませた三人が、今回寝泊りすることになる部屋へ訪れていた。
(狭っ!)
船内に置かれた部屋としては十分広いものであったが、普段暮らしている自分のマンションと比べてしまったナディは一人で愕然としてしまった。大きさは八畳程、窓際にデスクが一つずつと壁際に置かれた二段ベッドも一つずつ、それがこの部屋にある全てであった。娯楽用にあれこれ持ってきて正解だったと思う反面、いつ楽しんだらいいんだと不安になってしまった。
(帰りたーい!)
すぐ後ろにいる二人を振り返って様子を確認する、ライラもクランもとくに思うところがないのか普段と変わらない、もしくは船上生活に慣れているから平気なのだろうか。
「クランちゃんは皆んなと寝るのは平気なの?」
ナディがクランに話しかけた、きっと人見知りすると言っていたし自分と同じ意見が来るかなと期待したのだが、たっぷり数秒間の空白があってから答えが返ってきた。
「私、泣き虫なんです」
「そっか、平気なんだね……」
「だから、姉と一緒──え?」
「お姉さんと二人部屋だったんでしょ?ライラは?」
「私、一人っ子だから姉妹とかはとくに…」
「そういうことじゃなくて、共同部屋って平気なの?」
「ああ!そっち?!うん、まあ、平気、かなあ……」
「私だけかあ……共同部屋って初めてなんだよね〜」
目を大きく開いていたクランが驚きの様子をそのままにしてナディへ質問していた。
「……ナディ先輩も一人っ子なんですか?」
「ううん、妹がいるよ」
「っ!」
何故だかライラが劇的な反応を見せている、それには気付かずナディが窓際に置かれたデスクに腰を下ろした。それに習って二人もそれぞれ空いているデスクと下段のベッドに腰を落ち着かせていた。
「ど、どんな子なの…?その、ナディの妹っていうのは…」
「うう〜ん、私と全然似てない、毎日やる気に溢れている鬱陶しい妹」
「そんな妹さんのことを鬱陶しいだなんて…ち、ちなみに名前は…?」
「フレア、フレア・ウォーカー、私と違って茶髪の子だよ」
「格好良い……魔法とか打てそう……」
「………」
「………」
クランの一言に押し黙る二人。一緒に食事をとってクランという人物像が何となく掴み始めていた。あれだ、自分の世界観を持っている芸術家肌の人だとナディが自分を納得させていた。
かたや一方、ライラは気が気ではなかった。
(まさかの四人部屋!でも……でもおお!)
悔しいと思う反面、良かったと安堵している自分がいた。出航前に感じていたあの不安と問題に直面せずに済んだからだ。ライラも他人と寝食を共にするのは初めてである、家が家だし、何ならあの家を一人で使っているぐらいなのだから他人と生活したことなんて一度としてない。
(あれ、それならこれで良かった………?)
もし、初めての共同生活でいきなりナディと一緒になったらどうなっていたのかと思いを巡らし、間違いなく失敗しただろうと容易に想像できてしまった。
ナディは手持ち無沙汰に足をぶらぶらとさせながらクランと雑談に興じている。ジュディスは早速仕事場に顔を出しているが、新人枠の三人は昼食後まで休むように言われていた。この後、連合長案内の下調査船内を見学することになっていた。
「クランちゃんって何が得意?」
「昔からアニメや映画が好きでした、休みの日は良く絵を描いたり…物作りをしています」
「ふ〜ん……手先が器用なんだね」
「はい、職場ではずっとアクセサリーを作っています」
(良く会話できるな)
クランの話し方は独特だ、質問に対して必ず少しだけズレた返事が返ってくるのだ。それでもナディは相手の言いたい事を汲み取って会話を続けている、何なら本人は一度も「手先が器用」だなんて言っていないのにその事が相手に伝わっているのだ。
「ナディ先輩は?」
「私?う〜ん………ごろごろする事かなあ〜……」
「激しく分かりみ」
「分かる?分かってくれる?」
(いやそれ得意って言わないと思うんだけど…)
ライラが心の中で突っ込みを入れている間にも、二人は良く見るアニメの話で盛り上がっていた。彼女も何とか輪に入ろうと試みるが、そもそも彼女自身も人見知りするタイプであった。
人見知りする事が悪いこととは思っていない、初めて出会う人間に対して警戒心を持つことは当たり前のことである、生き物としての生存本能がそうさせるのだし、読んで字の如くその人を「見た」だけで人となりを「知る」ことができるのだ、寧ろ賢い人間である証だ、と頭の中で忙しなく自己肯定のための自論を展開している間にも二人がどんどん仲良くなっていく。
「そのハードディスクに何が入ってるの?」
「パソコンか、タブレットはありますか?」
(ああ!)
クランが持ち寄ったハードディスクをナディのタブレットへと繋げ、二人引っ付いてタッチ操作をしていた。肩と肩が触れ合っている、それも自分ではなく他人のものが、ライラは激しく嫉妬してしまったがどうする事も出来ない、アニメなどこれまで一度も視聴したことがなかったからまるで知らないのだ。
(ああ、どうしよう、どうしよう、私だけ……)
何もしてない、ただじっとしている自分に嫌気が差してきた時、
「ライラはアニメ見たりしないの?」
ナディがくるりと振り返ってライラに話を振ってきた。
「その、」
見たことあると嘘を吐こうか、見栄を張ろうかと思いはしたが、結局素直に答えることにした。
「見たことない…」
「勿体ない」
「勿体ないです、アニメは引きこもりのサンクチュアリ」
「そ、そうなの?」
「ライラも一緒に見てみない?私も初めて見るやつばっかりだからさ」
「お、面白いと思えるか分からないけど…」
ベッドから腰を上げると、ライラを迎えるように引っ付いていた二人が離れて場所を空けてくれた。たったそれだけの事でライラは心からホッとしてしまった。
「ところでさ、クランちゃんって本当に人見知りなの?その割には良く喋るよね」
「………」
「あ、お喋りが嫌いって言ってるんじゃないからね?」
「リーねえはアニメを見る人じゃなかったので、つい」
「同じ趣味の人とは喋りやすいよね〜」
「ほんと、ナディは良くこの子の言いたい事が分かるね」
ついライラも思っていた事を口にした、すると何故だかクランが食い気味で同意してきた。
「激しく分かりみ」
「それ自分で言うの?」
クランの言葉が可笑しくくすりと笑ってしまった。
「私の心と繋がった初めての人です」
「ちょちょ、その言い方はさすがに変じゃない?」
この後、案内が始まるまでの時間、三人で仲良くお喋りをしながら過ごした。
◇
ユーサ第一港から出航した調査船が約二時間をかけて該当海域に到着した。一般的に沿岸とは陸地から測って数十キロ圏内をさし、沖は約八十キロから約二百キロ圏内をさす。それ以上は遠洋と呼ばれるようになり、今回の海域はちょうど沖に出る境界線の手前だった。
順調に航行している船内で、少しだけ物足りなさを感じながらもジュディスは機関制御室で一息ついていた。どのモニターにもアラート表示はない、この船の主推進機関である二基のディーゼルエンジンにも不具合はない、余程手の良い機関士が見ていたのだろう、少しぐらいは私の分も残しておけと不満げに遅い昼食を口に運んでいた。
(後は調査員の仕事よね〜、私も海洋調査のこと勉強しておけば良かったかも)
ジュディスは造船関係の職に就くべくひたすら工学の勉強ばかりしていた。海洋調査に関わることは何となく程度の知識しか持っておらず、口出し出来る程のものでもない。確か、音波を利用した海底地質調査などあったはずだが...他にも海中の温度であったり流れであったりと、うろ覚えの知識を手繰り寄せながら食べ物を口に運んでいく。制御室内にはジュディスと、今回機関士として着任したユーサ第二港の女性が詰めており、機関部員としてジュディスは彼女の下につくことになっていた。名前は、ブライ・クリントン、浅黒い肌に真っ黒の髪、そして性格を表しているようにキツそうな瞳が印象的な女性だった。
ジュディスに懐疑心の眼差しを向けながら同じように食事を取っていたブライが、手元を休めて話しかけてきた。
「どうしてあなたのような子供がこんな所にいるのでしょうね、カズトヨさんの推薦らしいけど……もしかしてお孫さん?」
ブライの言う通りジュディスの体型は幼い、子供に間違えられてしまうこともしばしばあった。ずっと外見を馬鹿にされてきたからこそ何クソ根性でのしあがってきたジュディスからしてみれば、ブライの皮肉は可愛いものであった。
「それ、カズトヨさんにも失礼ですよ、きっとあなたのように素敵なお孫さんがいらっしゃるはずですから」
「そう………」
それだけを言ってからブライは黙り、休めていた食事を再開していた。
(ほんとっ、くだらない)
少しはあの後輩を見習ったらどうなんだとジュディスは思った。この派手な髪型、そして─自分で言うのも何だが─この体型をしているのに初見で覚えていなかったことに目を瞑るとしても、外見を馬鹿にしてくるようなことはなかった──いや待てよ、確かこのささやかな胸を刺し身が引っ付きそうなまな板だと馬鹿にしてきたな...いやいや、でもあれは自分が先に馬鹿にしたからであって...
(何が引っ付きそうよ!せめて引っかかるって言え!)
やられたら遠慮なくやり返してくる素直な後輩の事を考えながら食事を進めていると、その後輩ら三人が機関制御室に入ってきた。引率役の連合長と課長も一緒だった。
「わ、本当に働いてる」
開口一番、早速馬鹿にしてきた。
「当たり前よ!馬鹿にするのもたいがいにしろ!」
「いや、驚いただけで馬鹿にしたわけでは……」
「元気があって良いな、こいつの調子はどうだ?」
連合長がブライへ声をかけていた。ジュディスが思っていた通り、年長者、とくに目上の人間に対しては人当たりが良いらしい。着信を知らせている小型の端末を無視してまで色良い返事を返していた。
「ええ、とくにこちらから指示することもなく立派にやっていますよ」
「そりゃ凄い、お前らもああなるんだぞ」
「いや、私は漁業課……」
ナディは誰にでも突っ込むらしい。
「そうじゃない、先輩から心配されないように立派に勤めを果たせって言ってるんだ」
「え、でもさっきは先輩には沢山迷惑をかけろって……」
「いいから!ケーバイケースだ!」
連合長の理不尽な物言いにナディが眉を顰めている、本当にびっくりするぐらい素直な後輩だ。その後ろからやり取りを眺めている漁業課の課長はどこかつまらなそうにしている雰囲気だった。
「ジュディス、昼飯が終わったらこいつらを案内してやってくれないか?機関室の中がどんな風になっているか見せてやってくれ」
機関士のブライではなく機関部員の自分にお役目が回ってきたことに、ジュディスの機嫌がいくらか良くなっていた。
「はあ〜〜〜しっかたないわね!この私が案内してあげるわよ!」
「ええ…何でそんなに偉そう……」
連合長にも向けたしかめっ面をしてきたが気にしない、残っていた昼食を慌てて口に放り込む、隣にいたブライがそのキツそうな目を和らげて微笑みかけてきた。
「ふふふ、仲が良いのね、仲間は大切にしなさい」
「どうも」
(さっきはあんな皮肉を言ったくせに……どんな風の吹き回しなの?)
ナディや他の後輩に笑いかけるのならまだしも、ジュディスは何故自分なのだろうかと訝しむ、それに心なしかその視線にも何かしら含まれているような...気にしたところで始まらない、可愛い後輩三人のために機関室を案内してあげることにした。
三人が乗っている調査船は超大型に分類される船であり、その大きさに合わせて推進機関もまた大型の物が使われていた。
「おっきいいですねー、船の中とは思えない……」
ナディも驚いたとおり、船内にも関わらず機関室は三階建ての広さを誇る大きさがあった。機関制御室から見下ろせる程に高い、ジュディスの先導に三人が続いた。
「あんたはのんびり見学してて大丈夫なの?調査の仕事があるんじゃない?」
階段を下りて一階部分に到着した、推進機関から伸びるシャフトに三人が目を奪われている。この機関で動力を得たプロペラが船外で回る仕組みになっていた、それらを見ながら周りに置かれた機械設備の音に負けないよう大きめの声でライラが答えた。
「今日は見学しても大丈夫だと言われています!」
「暑いね〜ここ」
「サウナみたいです…」
声を張り上げないでいいようにライラとクランは体を寄せ合って会話をしている、それを見咎めたライラが二人に近寄り無理やり割って入って...何をしに来たんだとジュディスは一人溜息を吐いた。
機関制御室に残っていた連合長と課長は、ブライと名乗った機関士と束の間雑談に興じていると、一本の連絡を受け取った。ポケットに入れてあった船内用の端末を取り出して連合長が耳を傾ける、その相手は開発課の課長であるアーセットからであった。
「何だ?」
[昨日の観測用ブイの調査と照らし合わせたみた結果なので、まだ確定ではないのですが………]
たっぷりと間を含んでからアーセットが答えた。
[……限りなく白、と言わざるを得ないですね、全く異変がありません]
すぐに見つかることはない、そう高を括っていたピメリアもさすがにその言葉には焦った。
「全く?何も無いって?」
[ええ、この海域の地質、水質、流れなど見てみましたが怪しい所は何も……まだ簡易調査のみなので一概に白とは言えませんが……海底探査機の投入も視野に入れておいてください]
「ああ、分かった」
通話を終えて再度ポケットに端末を捩じ込む、二言程の会話でも傍にいたカズは何かを悟ったようだった。
「雲行きが怪しいのか?」
「ああ、いきなり当たりは引けないようだ」
「そりゃそうだ、オスイチなんてそうそうあるもんじゃない」
カズの言う「オスイチ」というのは、スロットマシーンに座ってすぐに当たりを引く事をさしているが、カジノに行ったことがないピメリアは首を傾げただけであった。
「そのおすいちってのは良く分からんが……護衛艦にも連絡を取ってみよう、あちらさんは何か掴んでいるかもしれん」
「なら、ホシにやらせるのが妥当だな」
その一言にピメリアが少しだけ呆気に取られた、確かに、それは面白いかもしれない。自分の人選に狂いなかったなと、連合長がほくそ笑んでホシに連絡を取った。
3.5.No rim
夏の時期で本当に良かったと、海底に沈めてあった機体に乗り込んだ女性が、そう深く感じた。これがもし、冬場であったら潜入捜査は難航していたであろうと思いながら機体の立ち上げに入った。
《いやあ、ほんとこの時期で良かったね、冬だったら潜った途端に凍死してたんじゃない?》
《全くだ》
漁村から撤退した彼女たち、近場の海中に随時待機モードで沈めていた機体に搭乗を済ませていた。汚い身なりからダイビング兼パイロットスーツに着替えており、使い捨ての咥え込み式水中ポンプから細かな泡が昇っている。彼女たちの機体に限らず、この国で採用されている機体は水空両用の物が多かった。開け放たれたコクピット内も海中に没している、女性が防水加工されたコンソールを操作してハッチを閉じた、ついで機体の外に設けられた排水口から勢い良くコクピット内の海水を排出していく。順次排出が完了し、コクピット内の汚染度と酸素循環率が表示され水中ポンプを外してもよい酸素濃度になった。
「さっさとおさらばしようか、この半年間の鬱憤は向こうで晴らさないとな」
[ねえー、あんなに綺麗で優しい人に誘われたのにねえー勿体ないよねえー]
「違うって言ってるだろ!しつこいぞ!」
水中ポンプを外した途端、むせ返る程の潮の臭いと、相棒からの嫌味が襲ってきた。それらを無視して機体を潜水モードに切り替えて水空両用エンジンも起動した。一般的な機体は外側に空気を取り入れるファンローターと燃焼した空気を出す排気ノズルがあるが、彼女らの機体は全て内側に閉じ込められている。それもそのはず、外側にあってはエンジンが水没してしまうからだ。そのため、彼女らが使用する機体は下半身だけとても大きい、特に腰から太腿部にかけて大きく膨らんでいる。この中に必要なエンジンと推進機関が含まれており、熱エネルギーを推進用プロペラへと伝えて水中での稼働を可能にしていた。
ゆっくりと進み始めた両機、向かう場所は彼女らの母艦と言えなくもない船が待機しているポイントだ。方角と海中に存在する生き物を示すマーカーを視界に入れながら二人が会話をしていた。
[向こうで発見されたウイルスって海底にあるんだよね?]
「そうだと聞いているが、それが何だ?」
[でもこっちは陸で発見されたんだよね?どういう事なの?]
「知らん、そこらへんの情報は貴族連中が一切を統制していたから何も掴めなかった」
[あっちにも貴族とかいたりするのかなあ〜…]
「…………お前、渡された資料に目を通していないのか?」
[え?……………ああ!見た、見たよ、当たり前じゃんか、ウルフラグはぎーんがいかく制度ってやつなんでしょ?]
「議員内閣制度」
[そうそうそれ。いやいや、私が聞きたいのは政治制度じゃなくてウイルスだよ、陸にもあって海にもある物って何だろうね]
相棒のなぞなぞを頭の中で考えながらさらに機体を進めていく。
「哺乳類」
[クジラ…それからイルカだっけ?でもそれって水中で生きている哺乳類ってことでしょ、陸で活動しているクジラとかいないでしょ]
手痛い切り返しを受けてしまった。そもそもだ、相手は未知のウイルス、元々サーバー内に存在していたデータなのだから何でもありなのでは?と女性が思ってしまった。
「何でもござれじゃないのか」
[半年間も存在し続けているんだから、何かしらの形態は取ってて不思議じゃないんじゃない?エネルギー消費だって馬鹿にならないでしょ]
「何かの生き物を真似て、それで自然からエネルギーを得ていたと?」
[そうそうそれ]
機体を沈めていた場所から続いていた綺麗なサンゴ礁地帯を抜けると、目前がいきなり真っ暗闇になっていた。彼女たちがいるのは所謂表層と呼ばれる場所で海面から二百メートルをさす場所であり、それ以上は深海と呼ばれる未知の領域であった。勿論日光だって届きやしない、暗黒の世界だ。
サンゴ礁に別れを告げてなおも機体を進める、光りが届かない深海に思いを馳せている女性、願わくばここに来ることはないようにと強く念じた。
「もしかしたらウイルスは何かに寄生しているのかもしれん」
[寄生?]
「そう、サンゴのように共生関係にあるということだ」
[サンゴって寄生されてるの?]
「確か何だったか……えーと……」
彼女の言う寄生とは、「褐虫藻」と呼ばれる十マイクロメートル程の動物に分類される生き物と共生関係にある話だった。褐虫藻の光合成より得られたエネルギーをサンゴが受け取り、そしてサンゴから排泄された物を褐虫藻が受け取り互いに生きていく上での糧にしている。厳密に言えば寄生と断定は出来ないが、このように違った生き物同士が一つになって生活を営んでいるのは決して稀ではない、過酷な海の中ではポピュラーな生き方とも言える。
その事を何とか掻い摘んで説明してやると、我が意を得たりと相棒が大仰に頷いてみせた。
[ふむふむ…それなら確かに陸でも海でも生活できるね]
「寄生をする、か……あながち外れているとも思えんが、そうだったら探すのは大変そうだな、自分で言うのもなんだが」
コンソールに一つの反応を捉えた、彼女たちが目指していた母艦からだ。機体を収容するまで「隠密に」というプランだったはずだが...おそらく二機を捉えて待ちきれなかったのだろう、数百メートルはある母艦を動かすエンジンを起動させてしまったのだ。
「おいコラ!動かすのが早い、」
その母艦から発せられるソナーは強大、その範囲もまた広大だ、あの機人軍が無視するはずもなく女性の声を覆うようにしてアラート音が鳴ってしまった。
[あらら、接敵は厳禁だったよね]
「当たり前だ!今まで何のために堪えてきたと──ああもういい!急ぐぞ!」
漁村近くにいた機人軍所属の母艦が反応を捉えたのだ、スクランブル発進した機体が早速彼女たちを捕捉しロックオンしてきたのだ。カウネナナイと一戦交えても良いのなら振り下ろしていた拳は幾度もあった。不公平な扱いを受けてもぐっと堪え続けてきた彼女、こんな所で自分の労力を台無しにしてしまっては意味がないとさらに機体を飛ばして向かった。
4.Super hot!
機関室の見学を終えた三人は連合長の跡に続いて今度は調査室に来ていた、ここでも同じように案内してもらえるだろうと思っていたのだが、どうやら歓迎されているような雰囲気ではなかった。周りの空気と人に敏感な三人はいち早くその事に気付き、調査室の入り口で固まっていた。
「何だかピリピリしてるね」
「そうですね……」
「何かあったのかな……」
調査室は大きく四つに分けられている、精密機器を扱うドライラボ、採取した海水や生物を扱うウェットラボ、それからパソコンルームにミーティングルームだ。それらの部屋の様子は扉の取り付け窓から窺うができる、そしてどの部屋にもいる調査員は入ってきた三人たちを見向きもしなかった。ミーティングルームで頭を抱えながら話し合いをしていた課長がようやく気付き、眉根を寄せたまま部屋から出てきた。
「コールダーさん、悪いけど見学は切り上げてこっちに入ってくれるかな?今日中に採取をやりたいんだ」
「あ、はい、分かりました」
「んん?調査員の手が足りないのか?」
「モチベーションの問題ですよ。ドライにいる人とバトンタッチしてくれる?この部屋へ来るように伝えておいてくれ」
「はい」
ライラが一番手前にあった扉を開けて中へと入っていった、そこで機器の調整を行なっていた調査員と代わり、後は簡単な説明を受けただけですらすらと作業を開始していた。
「うわすっご、ライラって凄いんだね…」
「元々公務員の方ですし、当たり前の事なのかもしれまんせね…」
その様子を少しだけ面白くなさそうに眺めていたピメリアが再びアーセットに話を振っていた。
「採取ってのは?あの馬鹿デカい筒の事か?」
「筒ではなくピストンコアラーです、予定は明日から開始しようと思っていたのですが、こうも足取りが無いのであれば進める他にありません」
二人の会話を聞いていたナディがつい口を挟んでしまった。
「足取りが無いって…何にも見つからないって事なんですか?」
あまり気にした様子を見せず、アーセットがおうむ返しに答えていた。
「そう、何にも見つからない。観測用ブイにも故障は見当たらないし……いやはやこれは困った、無理して調査船を回してもらったのに結果が何も得られなかったら……ザルになりそうなら引き上げてもらいますよ」
「ザル?」
ナディが本当に聞きたい所はそこではない、ただ初めて耳にした言葉が気になったからそう聞いただけだ。
(引き上げになるってことは……)
「結果がゼロって意味さ。この船はとても人気だからね、無意味な調査に割く時間は無い、その辺りは連合長も良く分かっていますよね?」
(中止ってこと?!)
答えに窮していたピメリアは、何故だか嬉しそうにしているナディへと逃げた。
「んんん?何でお前はそんなにへらへら笑っているんだあ?」
「え!い、いや、そんなはずありませんよ……」
「どうせ、中止になって早く帰れるとか思っているんだろ………ったく!はあーーー、明日次第だな、何も無ければ引き上げよう」
「その方が良いですよ、今後も異常事態が続くようであれば我々だけでなく他の港と合同で調査すべきです」
「あいあい。それよりそのピストンコアラーとやらを見学してもいいか?こいつらにも見せてやりたい、調査船に積んである大型機械なんざ見られる機会はそうそう無いからな」
「………つまらない」
ピメリアの話を聞いていたクランがそうぽつりと呟いた。
「ん?」
「何がつまらないんだい?」
「ピメリアさんの駄洒落です、機械を見る機会って……ぷふっ」
「笑ってんじゃねえかっ!」
ピメリアとリッツの仲が良いこともあり、良くアーチー姉妹の自宅にも顔を出していた。そのお陰でクランも顔見知りとなり緊張せずに会話をすることができていた。
ピメリアに肩を叩かれながらクランが先に調査室を後にし、一人残ることになってしまったライラに声をかけようかとナディが視線を向けるとちょうど目が合った、小さく手を振るとライラも少しだけ手を振って応えてくれたのでナディも調査室を後にした。
せっかくだからと機関制御室に詰めているジュディスも呼び出し、海底に積もった堆積物を採取するピストンコアラーの見学に向かうと、調査船のすぐ隣に海軍の護衛艦がついていたのでナディたちは驚いてしまった。陽は沈みかけて一日の中で最も強く光りを放つ時間帯だ、あと数時間もすれば茜色に変わるであろう太陽光を受けた護衛艦は威厳もたっぷりに佇んでいた。
「何かあったんですかね」
「ん〜…愛のアプローチにしては少々やり過ぎのような……」
「ん?アプローチ?」
「いやいや、何でもない。甲板でジュディスと合流してから向かおうか」
護衛艦を横目に入れながら船外を歩く一向。接舷されたその護衛艦では公務員かつパイロットである二人が調査船から移っているところであった。
背の低い柵が取り付けられた渡り板を歩いた先には、護衛艦の艦長を務めているアリーシュが二人のことを待っていた。
「ご足労感謝致します」
「いえ、それよりお話というのは?」
ヴォルターから電話で呼び出しを受けていたホシは、今回の依頼人とでも言えばいいのか、マキナであるグガランナ・ガイアと通話した後、今度は連合長からアリーシュにも連絡を入れろと指示を受けていた。どうして自分ばかりと訝しみながらも連絡を入れると、今すぐこちらに来てほしいと護衛艦に詰めていたアリーシュから呼び出されていた。
「操舵室に来てください、見た方が早いかと思います」
「はあ……」
後ろにいたヴォルターと目線を合わす、向こうも何が何やらといった様子で肩を竦めていた。沈みゆく太陽に向かって歩く館長の跡に続く、望む海面は穏やかそのもの、どこにも不穏な空気はない、けれど歳若い館長の背中は雄弁に物語っていた。
(何かあったんだな…それに報告するのは僕とヴォルターさんだけ…近海に奴らが現れた?)
ホシの言う「奴ら」とは「ジュブキャッチ」と名乗るテロリスト集団、あるいはカウネナナイ公認の遊撃部隊だ。奴らは何でもする、目的達成の為なら自害も厭わない危険な思考を持ち合わせているためウルフラグ政府も後手に回り続けてきた、有り体に言って何をするのか全く読めないのだ。もしかしたら今回の件を嗅ぎつけた奴らが介入してくるのかもしれないと、ホシは一人腹を括る思いでいた。
甲板から階段を上がり操舵室に入ると、複数人がデスクを囲んで何やら相談事をしていた。その輪に入らせてもらい、ホシとヴォルターもアウトプットされた探査情報を確認した。
「これは?」
見せてもらいはしたが何が何やら、複雑に色分けされた模様と細かな点があちこちにあるプリント用紙だ、見方を教えてもらわないと理解することが出来ない。
「これは機雷探知機とMBESで調べた海中の様子です。この光点を見てください」
アリーシュはホシが理解している前提で話を進めている、これでは分からないとホシが待ったをかけた。
「すみません、ソナーの見方は良く分かっておりません」
「分かりました、ではこの光点が異常であるということを理解してください」
「異常というのは?」
「このチャート紙は機雷探知機のよる結果なのですが、この光点が僅かに動いているんです」
「………」
「………」
「MBESによれば水深五百メートル辺り、確認した限りで数は六、窪んだ地形を囲うようにして動いています」
「………」
「…おいおい、冗談だろ?」
毅然とした態度でアリーシュが言い切った。
「冗談などではありません、我々も何度も精査致しました。海水の流れによって沈底機雷が動いた、など色々と検討致しましたが周期的に動く理由まで突き止められませんでした」
「周期的に?機雷が生き物のようにぐるぐると移動しているということ?」
「あるいは別の何かが、ですが……」
二人に説明することで頭がいっぱいだったアリーシュ、MBES(マルチビーム音響測深機)についてはすっ飛ばして結論を述べていた。勿論二人がアリーシュの結論に追いつけるはずもなく、ヴォルターがさらに詳しい説明を求めた。
「ちょっと待ってくれないか、機雷探知機ってのは水深から地形まで分かる優れ物なのか?あんたの言うMB何たらっていうので調べたのか?」
「はい、複数の音波を一度に用いて深さから海底の形まで調べあげるソナーです」
「周期的ってのは移動したり休んだりしているってことなのか?」
「はい、この海域に到着してからずっと観察しています。最初発見した時は何かの間違いだろうと我々も思っていたのですが……MBESと見比べてみておそらくこの辺りでぐるぐると……」
機雷探知機とMBESのチャート紙を指差しながらアリーシュがデスクの上で円を描く真似をしている。
「動き回る機雷って……」
「嘘から出たまこと、ですね……」
「過去の戦争においてカウネナナイがこのような機雷を使用した事はありません、勿論我々海軍もです」
確かにヴォルターが一度口にした事だ、秘密裏に開発していた海軍の兵器が悪さをしていると、だがアリーシュからもたらされた海の中は未だ理解することが出来なかった。こんな馬鹿な話があるかとヴォルターが何度も被りを振っている。しかし、海軍のソナーを使った探査結果だ、信じられなくてもそうだと割り切る他になかった。
「ユーサ側にはまだ報告していないんだな?」
「はい、不必要に警戒させてしまうと判断しましたので報告は上げていません。明日、ビレッジコア基地から掃海隊群を派遣してもらう事になりました」
真剣な表情でデスクに視線を落としていたホシがふいに顔を上げてこう言った。
「探査機はこちらにありますか?」
「え、ええ…はい、機雷探知用の物でしたら無人の物が一つ、カメラしか装着されていませんので他に出来る事はありませんが」
「分かりました、それを使わせてもらえませんか?特個体からアクセスして直接確認してきます」
ホシの発言に場が騒がしくなる、アリーシュならまだしも他の人間はホシが特個体のパイロットであることを知らなかったせいもある。
「無人の探査機なら海に落とすだけで十分じゃないのか?」
「僕が視覚から得た情報を特個体に伝えて攻撃させることが可能かと思いまして、それはさすがに無人機には荷が重いでしょう?」
「ユーサには何と説明する?」
「もし攻撃を行なったとして、機雷を処理したと報告すれば問題無いかと。機雷処理は軍の管轄ですし機密事項を報告する義務もないでしょう」
ホシの呆気からんとした態度にヴォルターが二の句を告げられなくなってしまった。普段はハッキリとしない、なよなよとした態度を取るホシだが、今回のように全員の手足が止まるような局面になると人が変わったように強くなる、こうだと決めたら後は一直線、だからこそセレン戦役を生き延びたとも言えた。
「ホシのやり方に異論はない、そっちは?」
しかし、それは公務員としての彼らだけの話であって護衛艦を預かる艦長としては首を縦に振るわけにはいかなかった。
「観察のみでお願い致します、これ以上の事態に発展してしまったら対応出来なくなってしまいます。機雷の処理は掃海艦にお任せを、それこそ軍の管轄であってあなた方がこなす仕事ではありません」
「………」
「そりゃ確かに」
毅然とした態度を一向に崩さずアリーシュがそう言い切った、ヴォルターは強気になったホシの鼻っ柱が折られる所を初めて見た。
(さすがは次期左官候補といったところか)
微笑みもなく、かといって相手を見下す様もないアリーシュの瞳は何より真っ直ぐにホシを捉えていた。
彼女は心底驚いていた、普段は軟弱なイメージがあったこの青年がこうも強気に出てくるとは思わなかったからだ。
(人は見かけによらないと言うけれど……まるで別人だわ)
アリーシュに視線を返しているホシの瞳は若干の羞恥が見られるものの不貞腐れた様子はなく、かといって諦めた様子もない、まだ何かしら考えている素振りがあった。ホシの視線に晒されている自分が途端に恥ずかしくなってしまいついと目線を逸らした。
(そんなに怒らなくてもいいじゃない!私だって仕方なく言っただけなのに!)
アリーシュも初めての事態に困惑していた、軍の指揮系統は上から下へズドンで絶対だ、そこに意見することはあっても反論することは決してない、それなのにまだ何か言いたそうにしている彼の熱い視線が何だかとても恥ずかしかった。
「艦長、無人機の調整に入ってもよろしいですか?」
「──ええ!すぐに入りなさい!」
副官に声をかけられ逃げるようにして体の向きを変えた。
◇
調査船の大型調査機械の見学を終えた三人は早めの夕食を取るため再び食堂に赴いていた。ナディとクランの初日の予定は見学で終わり、明日からそれぞれの現場に入って仕事をすることになっておりそれまでは自由時間だ。ジュディスは割り当てられたワッチがあるためそれに則って休みに入っていた。
船に積み込まれた大型機械について話をしている二人、未だ興奮冷めやらぬ様子だった。
「何あのおっきな爪!掴まれたら首とかもげそう」
「船も持ち上げられそうでしたね」
「馬鹿言ってんじゃないわよ、あれは海底にある物を鷲掴みするための物よ」
「えーと、確か……パワーグラブ、でしたっけ?あんなでっかい爪見たことないですよ」
「物理を上げて殴れば良いの典型のようでしたね、ラスボスも一撃で粉砕しそうな勢いでした」
「自分基準で語るの止めてくれない?何を言っているのかさっぱりだわ」
「………」
「何で黙るの」
ジュディスの高圧的な物言いにクランが怖気付いてしまった、身長は自分より低いはずなのに目力といい言葉使いといい、苦手とする最たる人だった。
(どうしてこういう人って言い方がキツいんだろう)
何も答えられずに黙っていたクランに興味を無くしたのか、怖くて小さい先輩がメニュー表に視線を落とした。ほっと一息吐いて自分も注文しようとメニュー表を探すと、ジュディスと向かい合わせに座っていたナディが一緒に見ようと気さくに声をかけてくれた。
(この人は優しい)
今日知り合ったばかりだというのに、もう馴染んでしまっている自分自身にもクランは驚いていた。自分の言いたいことを汲んでくれるから会話がとてもし易い、高圧的な言い方もしないし傍にいると安心する部類の人だと、クランはナディと一緒にメニュー表を見ながらそう思った。特別枠で選出されたと聞いた時は気が気ではなかったし、昨夜は緊張と不安で殆ど眠ることができなかったが、これなら何とか乗り切れそうだとナディについと視線を送った。
「ん?何?」
「いえ、先輩はどれにしますか?」
「ん〜……ここの料理って量が多いからね〜…クランちゃんは?」
「先輩と同じ物にします」
「もう決まった?さっさと呼ぶわよ」
「あ、ちょちょちょっ!」
怖くて小さい先輩はもう決まったようだ、未だ料理が決まっていない二人を待とうともせず司厨員を呼びにかかった。慌てたナディが料理をシェアしようと持ちかけてきた。
「それでいい?さっき食べるのも限界だったからさ」
「はい、いいですよ」
自分のことを見上げてくる優しくて小さい先輩がこれだと料理を決めて、注文を取りに来た司厨員に伝えている。
あとは料理が運ばれてくるのを待つだけだ、自然と雑談が始まり調査船に接舷していた軍艦の話に移った。
「護衛艦が?」
「はい、ジュディ先輩と合流する前なんですけどね、何かあったのかなって話をしていたんですよ」
「ふ〜ん……そもそも護衛艦も一緒に来ること自体が珍しいのよね〜」
「そうなんですか?」
ジュディスはコップを両手で抱えてちびちびと飲みながら話をしている。
「そうよ、戦時中でもあるまいに。やっぱりあの未知のウイルスって話は本当なんじゃないかしら、あんたはどう思う?」
「へーって感じです」
「何それ。あんたは?」
クランが少しだけ身動いだ、まさか自分に話が振られると思わなかったからだ。
「………」
未知のウイルス、というのはいまいちピンとこないが何かしらのっぴきならぬ事情を抱えていることは容易に想像できた、何せ昨日決まった調査チームの話なのに軍艦までセットになって来ているんだ、その事をどう伝えようかと頭の中で整理していると痺れを切らしたジュディスがふんと鼻を鳴らした。
「また黙り?あんたって人の好き嫌いがハッキリしてんのね」
違うと、クランが否定する前にナディがフォローを入れてくれた。
「違いますよ、クランちゃんはただ言葉を選んでいるだけですから、ジュディ先輩が嫌いで無視しているわけじゃありません」
「………」
「ふーん、まあ別にいいけど」
「だいたい先輩は会話のテンポが早いんですよ」
「あんたはついてきてるじゃない」
「しょーじき面倒臭さいと思ってます」
「何ですって!」
怖くて小さい先輩がテーブルを叩きながら立ち上がった、素振りは怒っているように見えるが...
(……楽しんでる?)
ナディに掴みかかっている怖くて小さい先輩は心なしか楽しそうにしていた。
そんなこんなで賑やかしく過ごし、司厨員が大量の料理が乗ったワゴンを運んできた。仲の良い小さい先輩二人が席に座って配膳されるのを待っていると、その司厨員が話しかけてきた。
「さっき護衛艦が並んでたみたいだけど何か聞いてる?」
「いいえ、私たちは何も」
お昼に食べた料理もまだ少しお腹に残っている、それなのにこの量とこの匂い、クランは料理のシェアをして良かったと心底思った。ナディの返答を受け取った司厨員が少しだけ声のトーンを落としてある噂話を教えてくれた。
「ジュブキャッチが絡んでいるんじゃないかって皆んな言ってるよ」
「テロリスト集団が?」
早速一口目をつけるため、こんがり焼き上がったロブスターの身にフォークを突き立てたジュディスが聞き返している、小さな体なのによく入るなとクランは少しだけ首を傾げた。
「そ、護衛艦が出動するなんてそれしか考えられないでしょ?カウネナナイとは五年前に停戦協定が結ばれているんだし、軍が対応する事なんてもっぱらジュブキャッチばかりじゃない」
「………」
司厨員の話を聞いてか、あるいは並べられた料理の多さにか、ナディが眉をしかめているのが目に入った。
「…先輩?」
「あ、ううん、何でもない」
(何でもない?もしかして…)
クランが声をかけると、少しだけ不自然な反応が返ってきた。
五年前の戦争の事はクランも良く覚えている、カウネナナイからほんの鼻先にあるセレンと呼ばれる島で大規模な戦闘があったのだ。セレン島もウルフラグ領土ではあるが首都から最も遠い位置にあり、さらにカウネナナイからは最も近い位置にあるため過去何度も係争地になっていた。それにナディは髪の色が黒い、おそらく地毛だろう、この辺りでは珍しい色だ。
クランがナディの生い立ちに思いを馳せている間にも会話は続けられている、司厨員も仕事の合間の息抜きも兼ねているのか空いてる椅子に腰を下ろしていた。
「それに、調査もさっぱり進んでないみたいだし、さっき食べにきた調査員がぐちぐち言ってたよ」
「そりゃすぐに原因を掴める方が珍しいんじゃないの?」
「明日、海底探査機も投入するみたい、よっぽど何にもないんだろうね、良い事なのかな?」
まだまだ話しを続けたそうにしていたが、エプロンのポッケに手を入れて点滅している小型の端末を確認しながら席を立った、別のテーブルに呼ばれたのだろう、手を振って三人の元から離れていった。
司厨員の背中を見送った後、ナディがジュディスに声をかけた。
「先輩、あの人は知り合いなんですか?ずっとタメ口で喋ってましたよね」
「ううん知らない」
「ええ……」
「あっちがタメ口できたんだから別にいいでしょうが、目に目をよ」
「ああ確かに」
(納得するんですか?)
ナディの同意に心の中で突っ込みを入れたクランであった。
三人が多すぎる料理を食べている間にも、護衛艦の方では無人探査機の準備が進められており、言い出しっぺのホシは尉官に割り当てられている一室のベッドで寝転がっていた。何も優雅に過ごしているわけではない、彼の相棒であるダンタリオンから政府に掛け合ってもらい無人探査機に施された防壁の解除をお願いしていたのだ、そして今は待機中である。
ベッドに横たわり、普段は馴染みのない船の揺れを感じながら待っているとダンタリオンから連絡が入った。
《準備オッケー、いつでもいけるよ》
《ありがとう、無人探査機にアクセスしてくれるかな》
ダンタリオンと呼ばれる機体は実に様々な人格を有している、これはとある逸話を基にしてデザインされた個性であり、今日のダンタリオンは女性だ、それも若い声をしていた。
《ついに浮気された、私にはもう飽きちゃった?》
首筋を撫でてくるような声を出しながらダンタリオンがホシに甘えている、そんな事はないとホシも否定していた。
《今回はただの調査だよ、それにもし何かあったら君にも出てもらうんだから》
《えー、私が言っているのは無人機じゃなくてあの人だよ、この船の艦長さん、めっちゃ美人じゃん》
大脳皮質に埋め込まれたインプラントからナノサイズのルーターが射出され、神経線維で構成された白質と呼ばれる場所を通り、ヒトとしての感情、論理的思考など様々かつ高度な役割を担っている大脳基底核に到着した。ここでナノルーターは神経細胞の間に入り込みホシを仮想世界へと誘う、「こうしよう」「ああしよう」という意思から生まれた電気信号は他の神経細胞ではなくルーターが受け取る仕組みになっていた。
細かなノイズが視界に映る、次の瞬間には赤焼けの太陽と大海原が見えていた。少しご機嫌斜めのダンタリオンを介して、護衛艦に積まれた無人探査機へ無事にアクセス出来たようだ。
まだまだダンタリオンは言い足りないようで、ホシへ愚痴をこぼしていた。
《それに〜?あの男の子みたいな女の人とも一緒だったしさ〜……ホシはボーイッシュな女性が好きなの?》
《そんな事ないよ。今から潜水するからバックアップよろしくねダンタリオン、お喋りは終わってからにしよう》
《へいへい。さすがは両手にぼた餅、私がこんなにも拗ねてるのに余裕がありますね〜》
《それを言うなら両手に花、だよ………にしても珍しいね、ダンタリオンが言葉を間違えるだなんて》
厳密に言えば特個体が言葉を間違えるという事はあり得ない、その事を良く知っていたホシはダンタリオンへ突っ込みを入れていた。
《────そう?私らでも間違える時はあるよ。頑張ってね、ホシ》
そう、一言だけ励ましてからようやくダンタリオンがおとなしくなった。ついで、ヴォルターから連絡が入りアクセス状況の確認を取ってきた、既に完了していたのでその旨を伝えるとホシがアクセスしている無人探査機が持ち上げられた。カメラから見る視点が上がっただけなので、機体に搭乗した時のような重力は感じられない、その事にいくらか不満を持ちつつもホシは投入されるまでの僅かな時間を待っていた。
ホシがアクセスした無人探査機が海中に投入され、目的の場所である水深五百メートルまでゆっくりと降りていった。ホシの視点からは上方向に流れていく泡、それから表層を泳ぐ魚の群れが見えていた。この辺りはまだ日光も届いているので視界も明るい、それに見渡す限りの青い世界は空とはまた違った迫力があった。しかし、青い世界を堪能できるのも表層まで、日光が届かない水深二百メートル以下は深海、暗黒の世界だ。そこに光りはない、優しさなんて欠片もなくあるのは拒絶と圧迫。十メートル深くなるにつれて水の圧力が一気圧分上昇していく、闇の濃さが増せば増す程に海そのものが持つ力もまた強くなっていくのだ。
無人探査機がまるで引きずられるようにして深く潜っていく、魚の群れもどこかへ消えて段々と辺りが薄暗くなってきた。しだいに青と黒の見分けがつかなくなり、そこで急激に白い何かがホシの視覚を襲ってきた。
《すみません、明かりが強すぎましたね、今調整しますので待っててください》
ダンタリオンだ、若い女性の次は幼い男子の声でホシに語りかけていた。
《ありがとう、助かるよ。海って、見た目以上に怖い所なんだね》
《それはどうしてですか?海は全ての祖が誕生した命の揺籃ではありませんか》
《今回は随分と難しい言葉を使うんだね、さっきの意趣返し?》
《?》
《ああいや、何でもないよ。ダンタリオンの言う通りなのかもしれないけど、こうして間近に見ると暗くて怖い所なんだなって》
《安心してください、僕がしっかりとホシをサポートしますから!》
無人探査機をモニタリングしていたダンタリオンがライトアップし、ホシの周囲をいくらか明るくしてくれた。それでもなお深海の闇は濃い、強力な光源ですらその途中で掻き消えて飲まれていくのがホシの視点からでも見えていた。
海について、生命の誕生について天文学を交えながらダンタリオンと会話をしている間に目的地へ到着した。そして到着して早々、ホシは我が目を疑った、無人探査機のライトを受けて何かが反射しているのだ、それも複数体。
《信じられない……本当に機雷が動き回っているなんて……》
ダンタリオンへ映像の記録と精査を素早く指示し、さらにライトの明かりを強めるように言いつけた。眩い程のライトの軸を下方向へ向ける、半径数百メートルはあろうかという円型の地形、所謂海盆と呼ばれる場所の中央にはさらに仄暗い穴がぽっかりと空いていた。その穴を囲うようにして円筒状の物が並んでいた、これは熱水噴出孔と呼ばれ数百度に達する熱水を噴き出す大地の亀裂である、そこから今も白い煙をもうもうと噴き出していた。その噴出孔の足元にはスケーリーフットと呼ばれる貝類がびっしりと張り付いている、別名チムニーから噴出される熱水には重金属や硫化水素などが含まれており、スケーリーフットはこれらを取り込み強力な外殻を形成する生態を持っていた。
そして。
《あれは……何だ、機雷じゃない……》
スケーリーフットの群れに長く強靭な爪を差し込む存在がいた。二本の爪、それと合わせて六本の足を持つ生物だ、細長い楕円の背中に突き出た頭と飛び出た瞳、体長は優に数メートルはあろうかという巨体さだ。
《………海底に………タガメが生息している?いえ、待ってください、何かの間違いなのでは────タガメは池など浅瀬に住む昆虫のはずです、それがどうしてこんな所に──》
ダンタリオンは酷く混乱している、いくらデータベースにアクセスしても深海五百メートルに生息するタガメの情報が出てこないからだ。ホシの視覚から得られた情報を必死になって否定するが、今もスケーリーフットを捕食している生き物の外観がタガメ以外の何ものにも見えなかった。
《……海底のタガメっていうのは銀色をしているのかい?》
さらに歪なのがその体表面、生き物らしさはまるでなく銀色をしていたのだ。スケーリーフットを捕食しその強固な外殻を受け継いだのか、手足の端や背中の一部分が黄土色の光沢を放っていた。
ホシはこの事態に大いに戸惑っていた。新型の機雷ならまだしも、護衛艦が捉えていた反応が見たことも聞いたこともない新種の生き物だったからだ。
逡巡している間にもタガメは捕食を続け、一通り食べ終わったのかゆっくりと無人探査機の方へ振り返り、無感動に見える瞳がホシを捉えた。大振りの爪を地に付けて態勢を低く落としている、銀と黄土色に輝く背中が開いた。
《ダンタリオン!今すぐヴォルターさんに連絡!海底には────》
ダンタリオンへの指示は言葉途中で掻き消えた、態勢を落としていた生物が爪で地を叩き、開いた背中を勢いよく閉じて跳躍してきたからだ。水中とは思えないその起動力に驚き肝を冷やされてしまった、まるで機雷のように真っ直ぐと無人探査機に向かってくる、ホシがアクセスした探査機に攻撃能力は無い、されるがままだった。
《──っ!!》
《ホシ!今すぐ──》
ダンタリオンの悲鳴を受けた直後、未確認生物が眼前まで迫りその顔をはっきりと見ることが出来た。不気味に飛び出た目玉が自分のことを見ている、そこに感情などあるはずもなくまた知性も理性もない、あるのは完璧なアルゴリズムとプログラム、コード配列を眺めているような気分に駆られた途端、視界がシャットアウトした。
「──うぐぅっ!!」
未確認生物も見えなくなったが強烈な痛みが眼球を襲った、ログアウトに必要な手順を飛ばしたせいだ、ホシは眼球の奥から誰かに無理やり引っ張られているような不快感と痛みを感じていた。
「どうした?!」
ホシが横たわる室内で待機していたヴォルターが慌てて彼の元に駆け寄る、椅子を立った拍子に読んでいた文庫本を落として踏みつけてしまった。
「────っ」
声をかけてもホシは返事を返さない、眼球の痛みと不快感に必死になって耐えている、手のひらで押さえた目元からは大量の涙が流れて床を濡らしていた。
次第にホシの容態も落ち着き、押さえた目元をそのままにしてヴォルターに見たものを報告していた。
「────だ、大丈夫です、それより、急いで護衛艦に連絡を、それとグガランナ・ガイアさんにも」
「何故無理やり回線を切ったんだ?切らざるを得なかったのか?」
「ダンタリオンの判断です。海底には全身を銀色にしたタガメが生息していました」
「……………」
報告を聞いたヴォルターは絶句している、だがそれも無理もない。
「体長は数メートル規模、本来のタガメとは似て非なるものです、それにかなり交戦的かと、僕の無人機を見ただけで海底から跳躍し襲ってきました」
「……………信じろって言うのか?」
「どうでしょうね、僕の見間違いであってほしいです」
「……おいおい、勘弁してくれよ……機械生命体とやらはそんじゃそこらにいるようなもんなのか?」
「機械…生命体?何故そう思ったのですか?」
目の不快感と痛みがいくらか和らいだホシはベッドから立ち上がり、アクセス前に買っておいたペットボトルに手を伸ばした。
「全身銀色だなんてそうとしか思えん──いや待てよ、あの女は全身が銀色ではなかったな………んんん……」
今度はヴォルターがベッドに腰を下ろして頭を抱え始めてしまった。いくらこの二人がセレン戦役で戦果を上げて、特個体のパイロットに任命されるような実力者であってもさすがに今回の事態は戸惑うしかなかった。水深五百メートルの深海に未確認生物が複数体、それも好戦的、どう叩けばいいのかとヴォルターは頭を悩ませているばかりであった。
この事態はすぐに護衛艦、それからセントエルモの実質的なリーダーであるピメリア連合長、そしてグガランナ・ガイアに伝えられた。ピメリア連合長は乗組員を不安がらせないためにも、一部の役職者のみに伝えて調査室のミーティングルームに集合するよう指示を出した。アリーシュ艦長も同様に人を選んで情報を伝え、会議室に集まるよう号令をかけた。
目の痛みを残しつつもアリーシュ艦長たちが待機している会議室にホシとヴォルターが入室し、無言のままオンライン通話の準備に入った。
(何て赤い目をしているのかしら……)
アリーシュはホシの容体に気を取られながらも作業を続け、部屋の明かりを落として壁にスクリーンが投影された時に声をかけた。
「…大丈夫なのですか?目が腫れているようですが…」
「ええ、少し無理をしてしまいました」
それだけ端的に答えてからホシが自前の端末を取り出してどこかに連絡を取っている、そのあからさまに無理をしている彼の横顔を見つめながら、とにかく今は事態の詳細を把握しなければと気持ちを切り替えた。それと時を同じくして、誰かと繋がっている端末をプロジェクターの外部端子にホシが接続した。白い光りを放っていただけのスクリーンに、およそ人には見えない絶世の美人が映し出された。同席を許可した副艦長の中尉が感嘆の声を漏らす程であった。
「ここに集まっている方々がウルフラグ国防海軍の皆様です。そして、この方が今回の依頼をなさったグガランナ・ガイアさんです」
[初めまして、この度はご迷惑をおかけ致しましたこと、心からお詫び申し上げます。そして、ご協力してくださったことに深く感謝致します]
「…………」
ホシは淡々と話しを進めているが、初めて顔を見たアリーシュたちは何が何やらと言った体でただ呆然としているだけであった。その戸惑いは護衛艦だけではなく、調査船のミーティングルームで同様にオンライン通話をしていたピメリア連合長たちも同じであった。
「…おいおい、本当にいたのか?何だあの女……」
「まるで映画から出てきたような女だな……綺麗すぎて頭が追いつかない……」
「あんなものどうでもいい、さっさと話を進めんか!」
「…あの人を「あんなもの」呼ばわりするカズトヨさんが一番信じられませんよ」
ミーティングルームには各課長たちも集まっていた。カズはただただその美しさに目を奪われ、ゴーダはもう女性に興味が無いのか会議の進行を促していた。どうせ好き勝手に喋って会議の邪魔になると踏んでいたピメリアは、切っていたマイク音声を入れてグガランナ・ガイアと名乗った女性に話しかけていた。
「どうもグガランナ・ガイアさん、私はユーサで連合長を務めているピメリア・レイブンクローだ。ホシから未確認生物を確認したと連絡をもらったが、あんたの言うウイルスと関係しているのか?」
ばっさりである、言葉も選ばず単刀直入にピメリアが口火を切ったが逆にそれが良かったようだ。我が意を得たりと、どこかよそよそしい印象があったグガランナ・ガイアがきりりと表情をしめて語り始めた。
[はい、私たちがかねてから捜索していたノヴァウイルスに関連した生物かと思います。ホシから連絡があったタガメに似た生き物、別名は「ノヴァグ」と呼ばれています、おそらく海底に沈んだウイルスを守るためにタガメの姿を真似て一部現界したのでしょう]
「私たちは素人だ、あんたが持ってる前提知識は全部無視してくれ。それで分かるように説明してくれないか?」
[…………]
[ピメリアさん、言っている事は分かりますが無茶振りにも程がありますよ。グガランナ・ガイアさんにとって何がそうで何がそうじゃないのか分からないはずですから]
ホシがグガランナ・ガイアにフォローを入れた、しかしそれで納得するような人間はユーサにいない。
「あのなぁ、ここまで事態が発展してるのにこいつは人任せなんだろ?それはどうなんだっつう話しだよ」
話す人に合わせて画面が切り替わり、ホシがいる護衛艦の会議室が映し出された。次に口を挟んできたのがアーセットであった。
「今は責任の所在よりもその生物の動向です。護衛艦の艦長、僕たちが狙われている可能性はありますか?」
ホシの隣にいたアリーシュが質問を受け、顔が見えるようにホシの体を退かして話し始めた。
[今のところ反応はありません、しかし安全であると断定はできません]
「…あの二人仲良くなってるな……」
「…お前もそう思うか?」
ホシとアリーシュの距離が近いことを目敏く見つけた二人がこそこそと、今はどうでも良い事を話している。今度はゴーダが口を挟んだ。
「お前さんらで何とかなるのか?ならないのならさっさと中止にして帰るぞ!こんな所でくたばる予定は一切ないからな!」
珍しく慌てた様子のゴーダの声に他三人が顔を顰めた、室内に雷を落とされたようにうるさかったからだ。
[それを今から協議するためにグガランナ・ガイアも呼んだんだ!急かしてくるな!]
「んだとこの若造めが!」
「どうどう、落ち着けゴーダ。カズ、お前から質問は?」
「あ?俺か?そうだな……グガランナ・ガイアさん、今独身ですか?」
[──え?ど、独身?]
思いがけない質問をされて面食らっているグガランナ・ガイアが映り、ピメリアは慌ててマイクの音声を切って強かにカズの頭を叩いた。
「節操なしか!綺麗だったら誰でもいいのかよお前は!」
「あ?!定番だろ!定番!綺麗な相手がいたらまずそこ聞くだろ!」
「だったら何で私に聞かないんだ!」
「自惚れんな!」
マイクを切る前に質問を振った自分が馬鹿だったと被りを振っている。その様子は護衛艦の会議室にも映し出されているが、音声は届いていない、けれど馬鹿なやり取りをしていることだろうとヴォルターは鼻を鳴らした。
「民間人は呑気でいいな、誰が相手にすると思っているんだ」
「呑気で良いではありませんか、民間人のために我々軍人がいるのですから。それより会議を進めましょう、先程質問があったように我々で対応出来なければ撤退するしかありません」
アリーシュの言葉にヴォルターがさらに鼻を鳴らして口を閉じた。
「僕の方からいいですか?アクセスした無人機の映像を流そうと思います」
そこへすかさずヴォルターが口を挟んだ。
「いいのか?」
構いません、と言ってからホシがパイプ椅子の背もたれに体を預けて目蓋を閉じた。今から何が始まるのかと、特個体についてよく知らないアリーシュたちが見守っているとスクリーンにノイズが走り、ついで破壊されて回収できなかった無人探査機のカメラ映像が映った。
「これは……回収していないのに……」
誰かがそう呟き、誰も答えずにいる間にも無人探査機がゆっくりと降下していく様子が流れていた。程なくして深海域に到着し、ホシが見たという海底が映し出された。そこには報告にもあった通り、全身を銀色にしたタガメがチムニーの根元に爪を立てている様子があった。会議室、それからミーティングルームにいる誰もが息を飲んだ。
「信じられない……本当に、あれがソナーに映っていたなんて……」
「ヒイラギさんのお陰で映像を入手することが出来ましたね、もし無人探査機のみ投入していたらこの映像は手元に残らなかったことでしょう」
アリーシュ以外の人がそう呟き、ホシは形だけのお辞儀をした。この映像はグガランナ・ガイアにも表示されており、タガメが無人機を襲う直前までの映像が流された後、眉を寄せた状態でこう言った。
[おそらく、あの亀裂の奥にウイルスがあるのでしょう。周囲を警戒していたタガメ型のノヴァグもそうですが、あの亀裂よりさらに探査機ないし回収する手段を持ち合わせた物を投入する必要があります]
「有人探査機で特攻しろって?」
ヴォルターがキツくそう問い返した。
[そうだと言っていませんが……]
「あの生物を排除することは可能ですか?現状のままでは探査機の投入は難しいと思います」
[………………検討させてください、明日の朝までには必ず回答致します]
ホシの提案を受けてグガランナ・ガイアがそう返した。
グガランナ・ガイアとの顔合わせと会議をかねたオンライン通話が終了し、それぞれスッキリしない心境のまま全員が持ち場に戻っていった。
◇
(なんたること……)
時間は日が沈み、暗闇に領地を明け渡した夜であった。ドライラボで作業を終えたライラは目の疲れを感じながら割り当てられた部屋に戻ってきていた。そして入り口で固まっていた。
「………」
「………」
「ん?お帰り。何でそんな所で固まってんの?」
一つの二段ベッドの下側、ナディとクランが寝そべって一緒にタブレット端末を見ていた。そしてもう一つの二段ベッドの上側から、ライラに気付いたジュディスが声をかけてきた。二人が仲良く寝そべっている上側にはクランの荷物が置かれている、これでライラが使うベッドが確定したようなものだった。
「た、ただいま……もう使うベッドは決まったんですか?」
「見りゃ分かんでしょ」
「ん?ああ、ライラお帰りー」
「………」
ハーフパンツにランニングシャツという、ラフ─無防備とも言う─な格好をしているナディがようやくライラに気付いてくるりと振り返った。片方の耳はイヤホン、その片割れはきっとクランがつけているのだろう、そのクランは未だライラに気付かず画面に釘付であった。
「随分遅かったんだね、忙しかった?」
「えっ、うん、まあ、そんな感じかな。それよりナディ、その格好寒くない?」
「うん?ううん別にー、あっ、私たち先にご飯食べちゃったから」
「そ、そう……」
ライラは遠回しに注意したかったのだが気付いてくれなかった、再び画面に視線を戻して見入っていた。仕方ないと部屋から出ようとするとジュディスに待ったをかけられた。
「ちょっと待って、私も行くわ」
「ご飯はもう食べたんですよね?」
「夜食よ、今から夜遅くまで仕事なの」
二人連れ立って部屋を後にする、ちょうどワッチ終わりの機関部員がジュディスの起床を確認しに来たところだ、簡単に引き継ぎを終えてから再び二人が歩みを進めた。
船内は昼間と違ってひっそりとしている、船の航海と整備に就いている者以外は休みに入っているからだ、けれど食堂は盛況のようで空いているテーブルが一つしかなかった。そこに座ると同時にジュディスがライラに体を寄せて小声で訊ねてきた。
「…何かあったの?ミーティングルームに連合長たちが集まってたって聞いたけど」
「まあ……何かあったんでしょうね……部屋を出て行く時皆んな暗い顔してましたよ」
「そう……やっぱりウイルス関係?」
「はい、そうだと思いますけど……」
ライラは少しだけ意外な思いをしていた、ユーサの食堂では口喧嘩までしたのにジュディスは嫌がるどころか一緒に食事を取ろうとしているではないか。
(別に嫌われていない……?)
自分よりも身長が低い先輩を見下ろす、テーブルに広げられたメニュー表に視線を落としていた。
食堂内がにわかに騒がしくなった、メニューを見ていたジュディスも視線を上げる、ちょうど話に上がった連合長の一団が食堂に顔を出していた。今から夕食を取ろうとしているのだろう、空いているテーブルを探しているがどこにも見つからない。そこでライラとジュディスの存在に気付いて連合長が二人に向かって歩き出した。
「…探りは先輩に任せますね」
「…あんたから聞いた方が口を割りそうなんだけど」
二人でこそこそと耳打ちをしている間にも一団がテーブルに到着した、他のテーブルについている者たちも連合長たちに視線を送っている、きっとこの場にいる誰もがミーティングルームで何を話していたのか気になっているのだ。
「すまん、相席させてもらうぞ」
「はい、構いません」
円形のテーブルに元々座っていた二人と連合長の一団が追加された、全員で六名、それぞれがメニュー表を眺めて暫くの間無言で過ごした。
注文を取りに来た司厨員に料理を頼み、その背中を見送ったところで連合長が最初に口を開いた。
「どうだ、船の仕事はやっていけそうか?」
話しを振られたのはライラだった。
「はい、向こうでも少しやっていたことと被っていますので、今のところは迷惑をかけずにすみそうです」
「君は元々国土交通省に勤務していたんだよね?」
アーセットが合いの手を入れてきた、ジュディスはそうなのかと少しだけ驚いた様子を見せている。
「はい、国交省海運庁の水産資源管理室という所に在籍していました」
「いきなり転属の話をされて驚いただろうな、私のせいなんだよ」
「え、私のせいって言うのは……」
「お前の所にクヴァイという男がいるだろう?役職は何だったか……確か、大臣だったか?」
「え!クヴァイ・ロドリゲス大臣のことですか?」
「そうそう、私の元上司でな、ユーサで長年連合長を務めたイカれた男さ。そいつに有能な人材を一人寄越してほしいと頼みこんだんだ、その結果、お前がユーサにやって来たというわけさ」
「はあ……大臣とお知り合いだったんですね……」
クヴァイ・ロドリゲスと呼ばれる男は国交省のトップに立つ人物だ、ライラも入庁式の時に一度見た限りである、そんな人物を「そいつ」呼ばわりする連合長もそうだが誰も顔色一つ変えないのが何より驚いた。
「恨んでるか?」
言葉も選ばずそう真っ直ぐに聞かれてしまってライラはつい口を閉じてしまった。恨みはないと言えば嘘になる、だがナディとの出会いもあるので感謝もないと言えば嘘になってしまう、結局はどっちつかずのままであった。
「まだ分かりません、ここを出て行く時がきたらきっと恨みを持っていることだと思います」
「お前上手いな、その切り返し」
まだらに髪を染めた男性、漁業課の課長であるカズがライラの返事をそう評した。
「茶化すな。ほんとお前は節操ないな」
「まださっきの事気にしてんのか?意外と根に持つタイプ?」
「さっきの事って言うのは……?」
ライラではなくジュディスがその話題に切り込んだ、本当に小さいのは見た目だけのようで中身は堂々としている先輩であった。
てっきり言いはぐらかされると思っていたがあっさりと内容を教えてくれた。
「今回の調査を依頼したグガランナ・ガイアという絶世の美女と会談してきたんだよ、そこでこのカズが口説きにかかったもんだからな」
「……おいおい、喋っていいのか?」
連合長の口の軽さに驚いたのは二人だけではない、その会談とやらに参加していた課長陣もびっくりしていた。
「いいだろこれくらい、どうせ何かあったのは見抜かれているんだから」
「そのグガランナ……ガイア?っていうのはどんな方なんですか?」
ジュディスは興味津々だ。
「んー……ま、少なくとも私より美人だな!」
「そんな事言い出したらこの世の女が全員美人になっちまうぞ」
「ぷふっ………」
カズの皮肉に思わずライラが笑ってしまった。
「んんん?お前今笑っただろ!失礼な奴だな!」
「い、いえ!すみません!」
賑やかしくしていると大量の料理が運ばれてきた、まだ聞き足りない様子のジュディスも諦めて食事に手をつけていた。
一通り終えて皆が食休めに入った時、機関制御室で見張りの業務に就かなければならないジュディスが席を立った。そんな折、ゴーダがジュディスを呼び止めた。
「マイヤー、行く前にクリントンの部屋に寄れ」
「はい!」
ジュディスとしてはとても嫌だった、けれどあのゴーダから直々に言われたのだから無視することもできない。
(何で私が?)
あの女の元に行かねばならないのは億劫だ、まさか、孫件りの皮肉返しを耳に入れたのだろうか...あいつめー!とブライにありもしない疑惑をかけてジュディスが肩で風を切るようにして向かった。
ブライのような役職を持っている乗組員には専用の部屋が与えられている。ジュディスたちが利用している居住エリアより少し奥まった所に個室が並ぶエリアがある、その一室の前でジュディスが立ち止まり軽く深呼吸をしてから軽めにノックした。
「は、はい!何でしょうか!」
(?)
慌てた様子で室内から返事があった、施錠の音と共に扉が少しだけ開き、中からブライが顔を覗かせた。
「着替えてましたか?すみません」
「────マイヤーさん?な、何?私に何か用事?」
(何をそんなに慌ているのか……)
そういえば、自分もゴーダから用件を聞いていなかった事を思い出す。室内から漂う、嗅いだことがないアロマの匂いに気を取られつつも素直に話した。
「カズトヨさんから勤務前にこちらまで来るように言われてきました」
「カズトヨさんから………私はとくに──ああいえ、少しだけ待って」
再び扉が閉められた、中で何やらやっている様子が薄らと耳に届く。
(何なのいったい……というか何でカズトヨさんは私に行けって言ったのか……)
そしてもう一度扉が開かれ、今度は中を隠そうとせずブライが堂々と現れた、その手には小さな箱があった。蓋が閉じられていても匂いがする程なので、きっとアロマの元になっているオイルかキャンドルが入っているのだろう。
「これをあなたにあげるわ、こっちとは違って匂いがキツいかもしれないけど、」
「要りません、私はプレゼントを貰いに来たわけじゃありませんから」
ブライの話しを遮りジュディスはきっぱりと断った、今日の今日まで他人の嫌みや妬みに晒されてきたジュディスなら当たり前の反応とも言える、それに今日会ったばかり、昼間は皮肉を言ってきたくせにどういう心境の変化だとブライの好意を信じることができなかった。
断られてしまったブライは、ほんの少しだけ傷ついた様子を見せて出していた手を引っ込めた。
(え?)
「そ、そう、よね、ごめんなさい、急に。カズトヨさんにはあなたの事について少しだけ話しを聞いていたのよ」
「そ、そうなんですか……」
ジュディスもジュディスで大いに混乱していた、まさか本当にプレゼントを渡したかっただけとは思わなかったからだ。
結局、ジュディスは何のためにブライの部屋に来たのか分からず、落ち込んだ様子の機関士を置いて職場へと足を進めた。
◇
最初、この部屋に訪れた時はどうなるものかと不安だったナディは、今はとてもリラックスした状態でベッドに寝転んでいた。思っていたよりも他人の存在が気にならない、一緒に動画を見ているクランという後輩が物静かなせいもある。たまにトイレや喉を潤すためにベッドから離れていくがそれも気にはならない。意外と自分は順応力が高いんだなと、うつらうつらしながら考えていると見ていた動画の解像度が急に荒くなってしまった。
「……ん?……あれ、何で、今いい所なのに…」
どうせ頭に入っていないが、動画を見ながら寝落ちするスタイルを取っていたナディにはそれだけで不快である、ちょうど隣人もトレイのために席を立った直後であった。
「クランちゃ〜ん……はトイレか……」
この調査船はとても充実している。何せ個室単位にもルーターが置かれ、時間制限はあるにせよネット通信が出来たのだ。これ幸いと見たかったアニメをひたすら流していたのだが...目が段々と覚めてくるにつれナディは空腹を感じ始めた。
(あったあ〜……シェアじゃ足りなかったかなあ〜……)
夜食が支給されるのは夜間に働く人のみ、ナディやクランのように後は寝るだけの人には誰も作ってくれない。その説明を受けていたナディは頭を抱えてしまった、食べる物が何も無い。行きしなジュディスに馬鹿にされてしまった自前の食糧─お菓子とも言う─はもう底をついていたのだ。ハングリー。お喋りをしながら食べるお菓子はどうしてあんなに早く無くなるのかと鞄を逆さまにして振ってみるが、勿論何も出てこない。
「…………あ、待てよ、預けた食べ物ならいいのかな」
缶詰やらレトルトやら、色々と厨房の冷蔵庫に預けてある、それなら食べさせてもらえるだろうとナディはベッドから降り、実家から持ってきた大きめのトレーナーを羽織って部屋を後にした。「こんなに食べ物を持ってきたのは君が初めてだよ」と司厨員に笑われている、船食という言葉を知らないのだから無理もないだろ!と心の中で怒ってはいたが口に出していない。
ひっそりと静まり、空調設備か波の音か、低く微かな音に支配された廊下を一人歩く。願わくば誰かと会いますようにと、一緒に行ってくれる相手(道連れ)の出現を待ったが結局誰とも会わなかった。一人食堂に顔を覗かせてみると、がらんとして誰もいない、皆食事を終えてしまったようだ、テーブルの上も綺麗に片付けられている、これはいよいよ食べ物にありつけなくなりそうだとナディは空のお腹を抱えて食堂を後にする。
(えー、こんな事で頼みに行ってもいいのかな〜…)
連合長から、何かあったら遠慮なく部屋に来いと言われていた。食堂から個室の居住エリアはすぐ近くだ、少しだけ揺れが強くなった船内廊下を歩き、甲板に出られる扉の前までやって来た。開けっぱなしである。何て不用心なと思いながらナディが扉に手をかける。
「……ん?船?」
居住エリアは船の後部に位置し、扉を開けた先には今日見学した大型の調査機械が影になって見えていた。だからこそと言えばいいのか、その影の奥にたった一つの小さな明かりを灯した小型の船があった。クルーザーと呼んでも良い程に小さい、波に揺られながら停泊していた。
「何かの調査かな……」
ナディはつい見いてしまった、そして後ろが疎かになっていた。
「……こんな所で何やってんのよお!!!」
「うわあああっ?!?!?!」
ジュディスだ、甲板部員の代わりに救命ボートなど、船外に取り付けられた設備の点検に来ていたのだ。驚かされてしまったナディは涙目だ、小動物のように体を小さくしている。
「何やってんのこんな所で」
「────」
ナディは呆れとも怒りともつかない顔をして被りを振っている、腹が立つやら子供っぽいやらと怒っているのだ。
「あんたも今から設備点検なの?」
「──そんなわけないでしょうがああ!!!」
「痛い痛い痛い!耳元で怒鳴るな引っ張るなあー!!」
ナディは仕返しにジュディスの耳たぶを引っ張り同じように声を張り上げた。
「普通に!普通に声かけてくださいよ!何でわざわざ大声出したんですか!」
「何となく」
「えー……」
「で、あんたは何してんのこんな所で」
「秘密です」
「何がよ、いいから言いなさい」
ナディより少しだけ背の低い先輩が体を近づけてきた。
「嫌です、言いません」
お腹が減ったから連合長に頼み込んで食べ物を分けてもらいたいだなんて、そんな事を素直に言えば馬鹿にされるのが目にみえていたのでナディは口をつぐんだ。それを勘違いしてか、少しだけ怯んだ様子を見せたジュディスが引き下がった。
「……ふん、あっそ、じゃあいいよ」
「こっちこそふん!ですよ、人のことビックリさせといて」
ナディはまだ少しだけ怒っていたので小さな先輩の様子に気付けなかった。そもそも夜である、船内の明かりを受けていたジュディスは逆光ということもあり表情が見えなかった。
その後、何も言わずに姿を消した先輩のせいでナディは小さな船のことをすっかり忘れてしまった。到着した連合長の部屋の前で案の定大笑いをされてしまい、嫌がらせのように頭を撫でられながら、連合長と共に再び食堂へと向かった。
ナディと別れた後のジュディス、それはそれは目に見える程に落ち込んでいた。
(因果応報……ってやつかしらね……私もクリントンさんに酷いことやっちゃったし……)
決してそんな事はないのだが。今日までずっと素直に言うことを聞いていたあの後輩がああも頑なに拒否してくるだなんて思わなかったのだ。(どう考えても驚かせた自分が悪いのだが)それを「因果応報」という四文字熟語のせいにしてとぼとぼと機関制御室に戻ってくるとゴーダが室内で待機していた。
「遅い!」
「……すみません」
「はっきりと返事をせんか!」
「……すみませんでした」
「………」
あのゴーダを相手にしてこの落ち込みよう、そのゴーダも少々も面食らった様子だ。ジュディスの事を気にかけながらもブライの件について聞いていた。
「クリントンは何をやっておった」
「………まさかプレゼントを渡されるだなんて思っていなかったので勢いで断りました」
「そんな事は聞いておらん!部屋の中で何をやっていたのかと聞いている!」
さすがにジュディスも下げていた視線を持ち上げた、そんな質問が来るだなんて雲行きが怪しすぎるからだ。
「…そんな事を聞いてどうするんですか?」
「お前はあいつを見て何とも思わなかったのか?浅黒い肌に黒い髪、ハンパ者に内通している恐れがある」
ゴーダは高齢である、その分ウルフラグが辿ってきた歴史を何より知っている。そのせいか、ゴーダの年代はカウネナナイの人々を「ハンパ者」と揶揄し、外見だけて差別しているきらいがあった。ジュディスもその事は知っていた、けれどまさか憧れの人がこうも簡単に人を差別するとは思えず、ナディの拒絶から回復し切れていないのに二重のショックを受けていた。
「…それが、何で、それならナディはどうなるのですか?」
上滑りする言葉を紡ぎながら何とか反論がするが、あっさりと返されてしまった。
「あいつは良い、そんな器用な真似が出来る奴とは思わん」
「そんなのただのえこひいきでは、」
「お前さんはわしに憧れを持っているようだがな、所詮は人間だ、好きな相手をひいきして嫌いな相手には差別する、当たり前の事だ」
ゴーダは、ジュディスの熱い眼差しなど全てを分かった上でばっさりと切り捨てた。
「お前さんは?あちこちで喧嘩ばかりしてきたと聞いておるが?」
「……ごもっともです。でも、私はただ、そんな相手にでも気前良く接するのがカズトヨさんかと、」
「身内に被害がなければな、そうする。だが今回はそうもいかん、これを見ろ」
二重のショックで随分と重たくなってしまった足を動かし、ジュディスがゴーダに指定された画面に視線を向けるとそこには通信履歴が表示されていた。
「これは……?」
「見方を知らんのか?そんな訳があるまい」
「いえ……知っています……あれ、これは?」
たとえ、憧れの人がどれだけ人間臭かろうと、その期待に応えようとしたジュディスは必死に頭を切り替えて通信履歴の列を目で追った。そしてすぐに異変に気付いた。二ヶ所だけ通信先のアドレスや所在地が文字化けを起こして不明になっていた。
「どういう事なんですか?というか誰が──」
そこまで言いかけてジュディスも気付いた、だからゴーダはブライの元へ行くようにと指示を出したのだ。
「ブライ・クリントンだ、その通信は昼と夕方に一回ずつ、他の機関員から報告をもらってわしらも気付いた」
「そんなまさか……あの人が内通者だなんて……私に向かってカズトヨさんが可愛そうだと言ったんですよ?私みたいな子供のお守りをしてって、そんな人が…」
「周りに不審な船はおらんかったか?」
「あ」
そうか、だから甲板部員の代わりに行ってこいと指示を出したのか、そう合点がいくが間抜けな声を出してしまったため早速どやされてしまった。
「まさか見回りをしておらんのか?!この馬鹿たれ!何のために行かせたと思うておるんだ!今すぐ行ってこい!」
何て理不尽な怒られ方。ジュディスが持つ元来の負けん気が発動してゴーダ相手に唾を飛ばした。
「そうならそうと言ってくださいよ!どうしてきちんと言ってくれなかったんですか!」
返ってきたのは唾ではなく雷だった。
「いつ言う暇があったと思う!!口答えしていないでさっさと行けええ!!」
「分かりましたよおお!!」
二重のショックで重たかった足も何のその、ゴーダの一喝で暗い気持ちも一緒に吹き飛んだようであった。
◇
高鳴る胸、覚束ない手元、けれど無理もない、ようやく外へ出られる鍵を手に入れられたのだから。
政府所有の国立海洋研究所、これまた不思議な事にいつ、誰が、何の為に建設したのかその履歴が残っていないおかしな施設であった。一応、文部科学省の管轄ではあるがそのお鉢が回ってきたのも遠い昔、今となっては何故文部省が管理しているのか誰も把握していなかった。
その施設の地下、公表されていないフロアにはマキナと名乗る機械生命体、言わんやテンペスト・シリンダーを管理、運営する疑似的な神々が居を構えていた。その中心的人物の名前はグガランナ・ガイア、およそ一千年前に誕生しそのまま玉座に腰を下ろした不憫な存在であった。一体何が不憫なのか、グガランナ・ガイアは未だかつて外の世界を知らないのだ。知らないのに王の真似事をさせられているのだ、恨みで蔵が建ちそうな勢いだ。
(ええと、これをこうして、あれはそうして……)
ガイア・サーバーにログインすることをあまり好いていないグガランナ・ガイアは必死になって画面をタップし、フリックし、スライドさせてはまたタップして...得られた情報を精査し解体にかかっていた。一人忙しく作業をしている彼女を見守る影があった。
「ガイア、そんなに大変ならログインしなさいな、その指の動きが無駄かつ無意味よ」
その影とはティアマト・カマリイである。オリジナルのティアマトと比べて身長は随分と低い、所謂ロリっ子。長く亜麻色の髪は床に垂れており常に引きずって歩いている、そしてその手には必ずと言っていい程に人形を抱いていた。
ティアマト・カマリイに声をかけられたグガランナ・ガイアは視線を変えずに答えていた。
「データは俯瞰して見た方が得られる情報量が多くなるのです、だからこうしているのです」
「何て非効率なやり方……そこまでして人間の真似事に没頭したいの?あなたはマキナよ?」
「………」
作業に集中しているグガランナ・ガイアはティアマト・カマリイの冷たい言葉に答えない、耳に入っていないのだ。無視されたと勘違いしたカマリイがぺたぺたと足音を鳴らしながら近付き、
「む、無視をするのは良くないわ……ええ、良くないわ」
手にしていた人形をひしと抱きしめてガイアの腕を取った。
「ティアマト……どうしてあなたという人はそう、甘え上手なのでしょうか……」
「あ、甘えてなどいないわ、あなたが無視するからでしょう」
パブリックスペースのソファに座っていたグガランナ・ガイアが、尊大で寂しがり屋の彼女を引き寄せて足の間に座らせた。
「これでいいですか?」
「………」
とくに返事はないがまんざらでもない顔付きになって静かになった。
暫くカマリイと画面を眺めながらノヴァグの個体情報を解体していく。保証局所属のホシが入手した視覚映像をガイア・サーバー内で復元、立体化しその体表面に含まれている元素の特定まで行なった。疑似的な高温状態を再現し、原子化された物質が吸収するスペクトルを割り出したのだ。グガランナ・ガイア凄い。スペクトルというのは光や信号などの波を成分化、分類し図で示したものを言う、元素によってこのスペクトルが異なるため化学の世界では良く利用されている分析法であった。勿論カマリイは手伝っていない。
「こんなものを調べてどうするの?」
視線を上げたカマリイのおでこがガイアの顎に当たった。
「調査をしてくれている人たちに教えて私たちで対応できるか協議するためです」
「そんなまどろっこしいやり方をするのは何故?オリジナル・ゼウスに報告をすればいいだけでしょう?」
「………」
「無視ー、無視するのはー、良くなーい」
言葉に合わせて頭突きをかましている。
「もう!ティアマト!どうせなら手伝ってください!今体内の成分を調べているところなんです!」
体表面の元素の割り出しが終わったガイアは、次に体内の組成について調べていたがそこで驚きの発見があった。
「これは──水分?」
「あなたのやり方が間違えているのではなくて?このノヴァグという生命体は外見的にも構成原子的に見てもマシンじゃない、それがどうして有機生物と同じように水分を持っているの?下手くそ」
最後に付け加えられた暴言だけは耳に入った、ガイアがカマリイの横っ腹を抓っている。痛がる素振りを見せてカマリイが足の間で体をくねらせていた。
「間違えた?いえでも、確かにプロセスに問題は──これがもし本当なのだとしたら──ノヴァグという存在は一体何なのでしょうか………」
おとなしくなったカマリイが分析を終えた画面を見ながらこう言った。
「このノヴァグという生命体は機雷探知機に反応したのでしょう?それとチムニーに群生していたスケーリーフットを捕食して硫化鉄の外殻を再現してみせた。つまり?」
「────食いしん坊?」
「私に突っ込みを求めてもムダ」
「いえ、本気で答えたんですが………」
「再現能力があるということ!そして海軍には機雷処理の任務に特化した戦艦があるわよね?つまり?」
「いやいや、さすがに戦艦を捕食できるサイズでは────いったあっ?!」
ガイアが言い終わらないうちにカマリイが割と本気の頭突きをかましていた。
「いい加減にしなさい!ボケるならもっと分かりやすくボケなさい!」
「……突っ込み……できているではありませんか……」
痛む顎を押さえ、涙目になったガイアがカマリイにそう突っ込んだ。
◇
マキナたちが夜通し対応策を練っている間に朝日が昇り、調査船では二日目を迎えていた。ナディとクランはそれぞれ航海士と司厨長の下へつくことになった、ナディは甲板部員として、クランは司厨部員としてだ。二人の背中は晴れやかな空と違ってとても暗い、ナディはワッチ勤務に入るため夜間も働かなくてはならないし、クランにいたっては食堂で働くことになるので様々な人と会話をしなければならない。ライラは暗い背中の二人を見送り、今日も今日とて缶詰め先であるラボへ向かった。ジュディスは朝日が昇る少し前から既に働いているため四人部屋にはいなかった。
連合長や各職場の課長、それから護衛艦にいる艦長と保証局の二人もオンライン会議のためそれぞれ会議室、ミーティングルームに集まっていた。予定されていた時刻通りにオンラインが始まり、スクリーンに可愛らしい子供が現れた。連合長が開口一番。
「グガランナ、子供がいたのか?」
[ち、違います!私に子供はいません!]
面白そうに眺めていたカズが護衛艦にいるホシへ茶々を入れた。
「良かったなホシ、まだまだ嫁さん候補はいるみたいだぞ」
[何を言っているのですか……]
[ヒイラギさんはグガランナさんのような方が好みなのですか?]
思った通りに艦長が食い付いた、カズとピメリアが声を殺して笑い合っている。
スクリーンでは小さく愛らしい子供が画面に向かってタップ操作を繰り返していた、オンライン会議では子供が乱入してくることはままあるが、いい加減退いてもらわないと進められないぞとピメリアが口を開きかけた時、愛らしい子供から昨日ホシが入手した映像に切り替わった。
[ホシが入手した映像を元にこの生物を詳しく調べてみました。分かった事は二つあります、まず一つ目は捕食した物体の特性を再現する能力があること、二つ目はこの見た目で動物に分類されるということです]
グガランナ・ガイアの説明は待ったなしだ。会議に慣れっこのピメリアが口を挟んだ。
「グガランナ、説明がいきなりすぎるぞ、誰も分からない。それとお前はホシと仲が良いのか?」
「連合長」
「重要な事だ、誰が誰と仲が良いのか把握するのは長として当然の務めだ」
それらしいことを得意げに言ってるが呼び捨てにしたグガランナ・ガイアを面白がっているだけである、勿論会議が進行するはずもない。
[それについては私も気になります、ホシさんと面識があるのですか?]
艦長がさらに食い付いた、カズとピメリアは学生のようにはしゃいでいる。
「…おい!アリーシュが名前呼びになったぞっ」
「…もっと聞き出せもっと聞き出せ!」
「連合長!それから艦長も今は控えてください!」
場を一喝したのはアーセットだ、神経質な性格が災いして進まない会議に苛立ちを見せていた。ピメリアが軽く咳払いをしてから話しを戻した。
「で、さっきも言ったがもう少し分かるように説明してくれないか?映像だけで何故そこまで分かったんだ?」
[はい──ええ、そうですね、説明すると長くなるのですが……]
「手短に」
[え?手短にと言われましても、何と説明すれば──]
そこへ別の声が割り込んできた、鈴の音を出す玉を閉じ込める前のように、か細く可憐な声だ。
[そんな事を聞く必要がどこにあるの?理解出来ないからといって相手に甘えるのは筋違いだわ]
可憐なのは声だけである。しかし、さすがは連合長といったところか、いとも簡単に相手を言い負かしていた。
「会議と言えどもこれも立派なコミュニケーションに含まれる、そして私とお前たちは初対面だ。どんなに小さな事でも互いに言葉を交わして話し合えば、そこから打ち解けて信頼に繋がると思わないか?私はそう思っている」
[…………]
「君の名前は?」
[ま、まずは自分から名乗るが礼儀でしょう]
「そりゃそうだ、私はピメリア・レイブンクロー、どうぞよろしく」
[……ふん!]
いや教えてくれないのかよ!とピメリアがスクリーンに向かって吠えている間にも会議は進められた。
結論から言えば、本日中に合流する掃海隊群に処理を任せることになった。彼らは機雷処理のスペシャリストである、その艦艇に装備されている物も機雷の対応に特化したものばかりであり、今回は複数ある掃海具のうち音響掃海具を使用してもらうことに決定した。ノヴァグが捕食したとみられる機雷が一体どのような作動方式をしているのか分からないため、最初は軽いジョブから、ということだ。音響掃海具を用いて誘爆させられなかったとしても、この道具を使ってノヴァグを水面近くまでおびき寄せられないかという狙いもある。
初めて聞く軍用単語ばかりでユーサの面々は話についていけない、ピメリアが口を挟む前にアーセットが注釈してくれた。
「音響掃海具というのは、音波を機雷に当てて誘爆させる道具のことですよ。感応式と呼ばれる機雷は艦艇が出す音や水圧の変化によって起爆する物が多いですから」
「詳しいな」
「そりゃ身内に海軍大佐がいますからね」
掃海隊群の到着は昼を回って少し、それまでの間に連合長は全ての乗組員に事情を説明することを決定した。それに異を唱えたのがヴォルターであった。
[素直は美徳だが今回はそうもいかない、民間人を無駄に不安がらせるだけだぞ]
「誰が全部喋るって言っているんだ。だからと言って軍艦が増えるのに黙っておくわけにもいかないだろ。調査域に不発弾が残っていたから軍に依頼したと説明しておくさ、あながち嘘でもない」
[……ふん]
「何だ、鼻を鳴らすのが流行っているのか?」
会議ならではの余談を交えつつも、何とか一つの決定を下し終わりを迎えた。後は事が上手く運び万事解決することを祈るばかりであった。
未曾有の事態に不安と期待を抱えた連合長が各持ち場に連絡を入れた、船の航行に必要な人員のみを残して大会議室へ集合するように伝えた。その旨を受け取った調査船の船長が、甲板で作業している新人にトランシーバーで連絡を入れて操舵室に呼び出した。
早速汗まみれになっている新人ことナディが操舵室に入ってきた。
「な、何でしょうか……」
息も切れ切れ、昔ながらの根性論を指針にしていた船長は新人の体力を測っていたのだ。新人には、調査船の後方に設置された有人探査機の揚収作業場から前方の甲板まで掃除をさせていたのだ。
「掃除の進捗はどうか!」
まずは結果報告である。自分も昔は船長にこき使われた、だから自分もそのお返しだ!と息巻くが思いがけない報告が返ってきた。
「な、何とか、終わりました……」
「いいか!掃除と言えども疎か──何だって?」
まさかそんな報告がくると思っていなかった船長は聞き返した。
「お、終わりました…」
「こんなに長い船なのに?百メートル近くあるんだぞ?」
息も整ってきた新人がきりっと眉を寄せて睨みを利かしてきた、分かってて掃除をやらせたのかと目が糾弾していた。
「終わりました!」
「そ、そうか……それならいい」
出鼻を挫かれた船長がすごすごと退散する、最近の若者は体力がないひ弱な連中ばかりだと思っていた。
「連合長から会議室に集合するよう連絡があった」
「会議室ですか?何かあったんですか?」
睨んだかと思えば表情を元通りにして気さくな感じで質問してきた。その様子に少しだけ安心してから船長が答えた。
「そこまでは聞いていないが、何でも重要な話があるんだそうだ、俺はここを離れられないからお前が行ってくれ」
「はい!」
「嬉しそうだな」
「は──いいえ!」
馬鹿正直に答えようとした新人が慌てて言い直した、そりゃそうかと船長も納得してしまった、こんなおっさんにこき使われるぐらいなら涼しい会議室で座っている方がよっぽど楽だろう。
実はこの船長、今回の航海が初なのである。さらに甲板部員が下につくのも初めて、最初の指示はどんなに船が綺麗でも「掃除!」と決めていたのだが迷いもあった。船長になるまで重ねた苦労を他人に押し付けるべきなのかと。本当にそれで良いのかと駆けて行った新人の背中を見送りながら深く考えた。
(やめだやめだ、睨まれたぐらいでびびってるんじゃ話しにならない)
指針にしてきた根性論はさっさと海に投げ入れレーダーの監視に入った。
「ん?」
船長がレーダーに一つの反応を捉えた、それは敵味方識別信号(IFF)と呼ばれるもので、どうやらこの海域に複数の軍艦が近付いてきているようだった。
「そういう事かあ……こりゃ早く終わりそうだな……」
軍艦が出てくるということは調査が困難になったという事だ、彼はそう解釈してそれ以上考えることを止めてしまった。それよりも、今後部下との付き合い方を考えるのに頭を取られてしまっていた。
※次回 2022/1/22 20:00 更新