第6話
.That is love
目覚まし時計の音で目を覚ました、夢の中に出てきてくれたあの子が大口を開けてピーピーと言い始めたので起きたのだ。最悪だ、この目覚まし時計はもう捨ててしまおう。
(ああ、寝た気がしない…)
昨日、と言っても今日深夜遅くまでデートプランを考えていたので眠りについたのも遅かった。けれど、そのお陰でまあまあ上出来なプランを練ることができた、あとはナディに伝えるだけだ。断られたらどうしようと意気地無しの自分が弱音を吐く、それを無視してベッドから下り立ち着替えを済ませた。部屋から出てキッチンへと向かう、長い廊下は窓から差し込む太陽の光りで明るく、床にちり一つとして落ちていない。私がいない間にハウスキーパーが清掃してくれたのだ。
私は今も実家で暮らしている、パパとママが建てた広過ぎる家に今は一人だけ。元々国土交通省海運庁に勤務していた私はこっちに残る必要があった。二人は今頃ウルフラグとカウネナナイの中間地点にある離島で仕事をしている、島嶼間の行き来も費用が馬鹿にならないので居を構えているはずだ。
昨夜買っておいたお弁当を冷蔵庫から取り出して電子レンジに放り込む、天井裏に収納されているテレビモニターをリモコン操作で下ろして電源を点けると、眩い光りを反射している海の前でリポーターの男性が声を張り上げていた。
[昨夜、謎の発光があったとされる現場から中継しています!目撃したのは近辺に住む地域住人であり、昨夜は多くの通報と問い合わせがあった模様です!近頃頻発しているテロ行為に関連したものではないかという声も上がっており、国土交通省と厚生労働省が調査を行なうと発表しました────]
(爆弾でも爆発したのかな…それに職場から近いし、こりゃ先輩たちは今日残業だろうなあ…)
ユーサの開発課は、組織は違えど立派な政府の開発機関である。その昔はユーサの土地の一部を利用しており何かと共同作業が多かったらしく、互いの効率化の為にも一つの組織として統合を果たし今のような形となったらしい。元の所属は文部科学省文化庁開発局で政府と強いパイプを持っていた、そこへ私が連合長の希望に添って転属となり...
(あの子と出会えた……)
完璧なのだ、ナディ・ウォーカーという女の子は。身長は私より若干低く、体型も成熟しておらず子供としての愛らしさがある。いつも何かを憂えているのか、澄んだ瞳は伏せられて保護欲を掻き立てられてしまう。そして何より、あの人を疑わない星空のような純粋さ、すぐに壊れてしまいそうな脆さがある無垢さ、あの子は「人の汚さ」というものを知らずに生きてきたかのような奇跡の存在だった。世の中にはうんと汚い人間が数多く存在する、それは幼少の頃からつぶさに観察し、またパパとママからも教育を受けてきた。「ああいう人に近付いたら駄目よ」と、子供の頃から汚い人間と綺麗な人間を見極める力を養ってきた。だから私はナディという奇跡の女の子に一目惚れすることが出来たのだ、あんな子そうそういるものではない、下手をすればこの出会いが人生最後かもしれない、そう思える程に完璧な女の子だった。
(ああ、駄目、緊張してきた…)
賞味期限ギリギリのお弁当を口に放り込む、味なんかまるでしない、頭の中は彼女の事でいっぱいだった。ただの栄養摂取と割り切り手早く食べる、点けっぱなしにしていたテレビでは別のニュースを取り上げていた。
[次のニュースです。昨夜未明、閑静な住宅地で殺人事件が発生しました。被害者は五十代の男性とみられており、現場に駆け付けた警察官がその場で死亡を確認しました。また、被害者の男性は公安委員会が監視を続けていた「ジュヴキャッチ」の関係者とみられており、殺害された因果関係についても調査を行なうそうです──]
物騒な報道を続けるニュースを消して片付けに入った、早く身支度を済ませてユーサに向かわないと彼女と話す時間が無い。彼女はいつも食堂で朝食を済ませているのですぐに捕まえられるはずだ。
そう...思っていたのに...
◇
「朝からそんなに食べるの?」
「朝ご飯はしっかりが我が家の家訓なので」
「その割には発育が全然じゃない」
「刺身が引っ付きそうなまな板をしている「ん゛?!」先輩に言われたくありませええん!「この!言いやがったな!!」
あれ──誰?何で、何でナディの隣に──。
黒い髪に毛先を赤く染めた女性が、ナディと肩を並べてご飯を食べていた。その光景を見ただけで──吐き気がしそうな程に不愉快だった。あんな奴昨日まで傍にいなかったはずだ、ということは昨日、あの二人の間で何かあったということだ。
(信じられない!少し目を離した隙にあんな高飛車な女と付き合うだなんて!)
昨日はあんなに私と楽しくお喋りをしていたのに!自分の存在を知らしめるように踵を鳴らしながら二人の元へと向かう、いつもの角席ではなく窓から一番近い場所だ。こんなボロい床なんか壊れてしまえ!と踏み鳴らすが二人は一向に気付かない、戯れ合うようにして楽しんでいた。
「胸が小さくて!良かったじゃないですか!力仕事をする時に!邪魔でしょう?!」
「この私が未成熟だとか幼児体型とか言われるわけにはいかないの!何を取っても完璧でなければならないの!」
馴れ馴れしいにも程がある女性の腕からようやくナディが離れた。
「いやもうその歳でそのまな板っぷりは絶望した方がいいと思いますよ?」
「あんたなんかに言われる筋合いはない!少しぐらいその脂肪を私に寄越しなさい!」
「完璧を目指す人間が人様の物ねだってどうするんですか!────あ、ライラさん」
ようやく私に気付いてくれた、その無垢な瞳をようやく私に向けてくれた、けれど腹の虫はおさまらなかった。
「おはようナディさん、」
この人は誰?そう聞こうとすると、
「あれ、私のことさん付けなの?昨日は呼び捨てにしてたよね」
「────え、そ、そう、かな?」
「うん、あのお姉さんとどこかへ行く時に呼び捨てで呼んでたよ」
え、そうだったの?突然の指摘に腹の虫も萎んでいくのが分かった。
「あの人とは知り合いなの?」
あーしまったー...その問題が...業腹にも高飛車な女が口を挟んできてくれたお陰で難を逃れた。
「あんた、ライラ・コールダーよね?政府から転属でうちに来た開発課の新入りって」
「そうですが、それが何か?」
「ヤな感じ、あからさまに態度が違うのね」
「そうですか?そういうあなたも随分と偉そうにナディと接していましたよね」
「あ、ほらまた、さん付け?どっち?」
ナディ!今は少し黙ってて!この人と決着をつけないといけないの!
「あんた、こいつと友達なの?」
「んー…?昨日仲良くなったばかりなので…あ、でも、今度一緒に買い物へ行きますよ、ね?ライラさん」
「────」
「ライラさん?」
「──わ、私のことも呼び捨てでいいよ、私だけ…その、何だか変だし」
「そう?じゃあよろしくね、ライラ」
✳︎
ピタッとライラが固まってしまった、いくら本人が呼び捨てでいいよと言ってくれても、いきなりすぎただろうか?
「ねえ、悪いこと言わないから付き合うのは止めた方がいいよ、こんな奴」
「────は?」
「だってそうでしょう?人と接する時にダブスタだなんて相手のことを値踏みしている奴の典型じゃない、違う?」
「ダブスタって何すか?」
「今こいつと喧嘩してんのあんたは黙ってろ!それにダブスタはダブルスタンダード!」
「変な略し方するから「皆んな使っとるわ!」
何でこの先輩はこんなに怒ってるんだ?ライラと会うのは今日が初めてのはず...だよね?さっき名前聞いてたし、そうだと思う。ライラも顔を真っ赤にして先輩のことを睨んでいる、そりゃ面と向かってあんな言われ方をしたら怒るだろう、普段は物静かな人なのに意外と感情の起伏が激しいのかもしれない。
「どうしてあなたがそこまで文句を言うのでしょうか、ナディが誰と付き合おうと関係ないでしょう?」
「私の可愛い後輩があんたみたいな奴とつるんでいるのが許せないの、良く分かって?」
「え!私先輩の後輩になったつもりはありません!」
「だから口を挟むなって言ってんのよ!昨日私の家に泊めてあげたでしょうが!!」
「──────え」
「あれは先輩がバーに連れて行ったからでしょう?!」
「だからお世話をしてあげたんじゃない!それにそもそもあんたが先に先輩だって言ったんでしょ?!どれだけ嬉し────何でもないっ!」
お、あの先輩が照れ顔になっている?
「え?今何を言いかけたんですか?」
「何でもないって言ってるでしょ!」
「ええ〜?私に呼ばれて嬉しいとかたたたたっ!暴力反対!すぐ抓るの止めてくださいよ!」
「うっさい!」
またしても抓ってきた先輩の手を振り払うと絹を裂くような声が私たちを襲った。
「いい加減にしてよっ!!人の気も知らないでイチャイチャしないでっ!!」
「っ!」
「っ?!」
「私が先にナディを見つけたのよっ?!!それを───────」
その言葉の意味が頭に浸透する前、さらに大きな声が三人を襲った。
「いつまで飯食ってんだ仕事はもう始まってんだぞおおおっ!!!!」
「っ!」
「っ!」
「っ!」
「マイヤああ!!お前さんだ馬鹿たれええ!!さっさとこっちに来んかああっ!!」
もう凄いのなんの、目の前で雷が何発も落ちているような迫力ある声だった。すると、顔面を蒼白にした先輩が荷物を抱えてあのおじいちゃんの所へ駆け出していった。
「あ、あの!おじいちゃん!先輩は私が引き止めて、」
「やかましいわああっ!庇う暇があるなら先に時間を教てやれ馬鹿たれええっ!」
私の耳に雷が直撃した、全身がすくみ上がり二の句を告げられなくなってしまった。その間にも先輩は食堂を飛び出し、何故だかライラまでその跡に続いた。
「あ!ちょっと待って!」
さっきのは一体何だったんだ?私を見つけたって、どういう意味なんだろうか。
この後、遅刻した私に再び雷が落ちたことは言うまでもないことだった。
✳︎
「良ければこれを」
「はい?……何スか、これ」
僕の手土産をぎょっとした様子で見つめるアーチーさん、受け取ってくれるかなと不安になった時恐る恐るといった体で手を伸ばしてくれた。
「今回の件で大変お世話になりましたのでそのお礼です、簡単なお菓子が入っていますので良ければ食べてください」
アーチーさんがそっと受け取り手土産をまじまじと見たあと視線を上げ、僕と目が合うと頬が一気にかあっと赤くなっていた。
「あ!………ありがとう、ございまス、いやでも、私はそんなつもりでやったわけでは……ほ、本当にいいんっスか?」
「は、はい、それは全然…本当に助かりましたので…」
アーチーさんの様子に何だかこっちまで照れてしまう。
「先に行ってるぞ」
「あ!案内しまっス!ど、どうぞ!ヒイラギさんも!」
あはははと照れ笑い?をしているアーチーさんが慌てて先頭に立ち、僕たちを連合長が待つ執務室へと案内してくれた。
今日の空は晴れ渡っておりその代わりにとても湿気が多い、昨夜まで降っていた雨のせいだ。僕とヴォルターさんは朝一番にユーサ第一港に赴いており、迎えに来てくれたアーチーさんと少しばかり話をしていたのだ。手土産を渡すなら今の方が良いだろうと判断してのことだったのだが、予想以上の反応に少し驚き、そして少しだけほっとしていた。昨日は迷惑をかけてしまったし、電話を切る時はどこか冷たい感じがしたからだ。
手土産を大事そうに抱えているアーチーさんの後ろをヴォルターさんと肩を並べて付いていく。駐車場を通り過ぎて木造の社員食堂の手前を右手に曲がった時、ヴォルターさんが小声で話しかけてきた。
「…ああいうのが好みなのか?」
「…は?え、何がですか?」
「…手土産渡してただろうが」
「…そういうわけではありませんよ」
しわを寄せてじっと僕のことを見ている、そして声のトーンを戻してこう言った。
「向こうはそうでもなさそうだがな」
「何の話ですか…」
「ん?どうかしたんっスか?」
ヴォルターさんの声にアーチーさんが振り返ってきた、頬はまだ薄らと赤いままだ。
「い、いえ、今日は湿気が多いなと…」
「お前は気が多そうだ」
「ヴォルターさんっ」
「?」
男の子のように愛らしい顔を傾げてこちらを見ている、何故だか心の中で「やってしまった」と、後悔の念がよぎったのは自信の無さから来るものなのだろうか。
《そんな事はありません。ホシは僕の自慢のパートナーです、自信を持ってください。ただし!僕の相手はきちんとしてください!》
《ダンタリオン…お願いだから心を覗くのは止めてくれ…》
《気が多いのは許しません!》
少年の声でそう怒られてしまった、だからそんなつもりはないと言っているのに。
ユーサの建物は駐車場から続くアスファルトと階段下にある港を繋ぐようにして建てられているため入り口が必ず二つあり、連合長が待つ建物も同様で一階と二階にそれぞれ出入り口があった。二階にあたる入り口から足を踏み入れアーチーさんの跡に続く、昨日は一階から入ったのでここを通るのは初めてだった。
「きょ、」
「ん?」
「ん?どうかしたんスか?」
さっきの仕返しに今日は海に落とされなくて良かったですねと、皮肉を言いかけたがアーチーさんも目の前にいるのだ、それは流石にデリカシーに欠けると思い至り慌てて口をつぐんだ。
「いえ、ここを通るのは今日が初めてだなと思いまして」
「ああ、社員の皆さんはもっぱら下から上がりまスからね、砂も無くて綺麗でしょう?年末の大掃除は砂のせいで大変なんスよ」
「そうですね、とても綺麗です」
ヴォルターさんの痛い視線を受けながら執務室へと到着し、立派な扉を開けると中には先客が一人、こちらに背中を向けて連合長と話しをしていた。その人物はというと、
「おはようございます、グリーン事務次官」
「おはよう。その後の調子はどうか?」
「今からそちらの連合長と話し合いを進めるところです」
「私は邪魔かね?これは失礼、頭の中にインプラントが無いものでね、君たちの機微がまるで分からないんだ」
厚生労働省事務次官の肩書きを持つ壮年の男性だ。ジョン・グリーン事務次官が聞こえよがしに溜息を吐き、ついで挨拶代わりの皮肉を見舞った。これでも一応、僕たちの上司にあたる人物だ、エミ・カツラギ局長を従える下腹が肥え太った陰険な相手だった。
「インプラントというのは?」
「彼らが特個体と呼ばれるオーバーテクノロジーを扱う操縦者だ、その力を引き出すために体の一部だけでなく頭の中身まで弄り回している。奇特な彼らの邪魔をする訳にもいかない、私はここいらで失礼させてもらうよ」
「ご足労感謝致します」
「なあに」
愛想の良い笑みを浮かべながら連合長に手まで振っている、彼が出て行くと同時に嫌そうな顔をしながら連合長が手を振るものだから思わず笑ってしまいそうになった。どうやら相思相愛ではないらしい。
「今のは何だ?どうして省庁のトップがここに来ているんだ」
「知らないのか?昨夜の発光騒ぎでうちへ探りを入れに来たんだよ、何も知らないのかってね」
「発光騒ぎ?」
「ニュース見ていないんですか?」
「さっさと言え」
僕が渡した手土産はどこかに置いてきたのか、湯気が立つマグカップを三つトレーに乗せたアーチーさんが答えていた。
「昨日の夜遅くに海中がぽわあっと光ったんスよ!付近に住んでいた人たちからうちに通報があって、夜釣りをするならもっと控えめにしろって怒られたらしいんスよ、夜間警備員の報告書にそうありました」
「海中を光らせる方法があるのか?」
「違う、確かに夜釣りをする時もあるが私たちではない。夜間警備員がジュヴキャッチの仕業かもしれないと判断して最寄りの交番に通報している」
カウネナナイ所属のテロ組織「ジュヴキャッチ」、ウルフラグ本土は元々カウネナナイの神聖な土地として奪還を企てている厄介な連中だ。
グリーン事務次官が腰を下ろしていた所に僕もヴォルターさんも座らず、連合長と斜向かいに並んで座った。
「そうか……その発生地点は?」
「ここから三十キロ圏内っスね!近くに開発課が管理している観測用ブイがありますから間違いありません!」
元気良く答えるアーチーさんの声を聞いていくらか心が落ち着いた、ついこの間までテロ組織による被害の取りまとめをやらされていたせいだ。
「近いな……」
「で、こっからは私らの用件を先に済ませてもらおうか。あんたらのお偉いさんに散々っぱら質問責めにされたからな、その憂さ晴らしだ」
「いいだろう、こっちもお前たちにしなければならない話がある」
アーチーさんからコーヒーを受け取り早速一口つけようとしたが、連合長の一言に思わず吹き出してしまった。
「どうやら相思相愛らしいな、一方的な求愛はほんと疲れるよ」
「ぶふっ」
「ヒイラギさん?大丈夫っスか?すぐにタオル持ってきまスね!」
「あ、いえ、ほんとすみません」
「気を遣わせるやり方が上手いな」
《今のはわざとですか?わざとですよね?!僕だって生身の体があればお世話してあげたのに!》
二人まとめて突っ込みを入れることにした。
「違いますから!」
◇
静かな室内の外から鈴の音が聞こえてきた、続いて良く通る酒焼け声、この近くにユーサの卸市場がある関係でその賑やかさがこちらにも伝わってきた。
「………」
「………」
ヴォルターさんの話を一通り聞き終えた連合長は、涼しい顔をして睨め付けていた。空調音とせり人の声、それから居心地悪そうに身動ぎをしているアーチーさん、革張りのソファが軋む音だけがこの場を支配していた。
「もう一度、言ってくれないか?海軍が何だって?」
「だから、過去の戦争において海軍が開発した秘密兵器が海底に沈んでいる、そのせいで異変が起こっているんだ。その尻拭いとして海軍からも護衛艦を出動させるとの旨があった」
「その秘密兵器ってのは何なんだ?」
「機密事項だ」
何も言わず連合長が立ち上がり、デスクの上に置かれた内線電話の受話器を取り上げた。
「私だ、すぐに執務室へ来てくれ」
かちゃり。再び場を沈黙が支配した。外からせりを知らせる鈴の音が再び届いてきた。
「あー……ここの卸市場はとても有名ですよね、テレビでも紹介されてましたし」
僕の話にアーチーさんがすぐ乗っかってくれた。
「そ、そうなんっスよ!仲介の業者さんから一般の人まで!ちょっとした目玉になってるんスよー!」
向かいに腰を下ろしているアーチーさんが身振り手振りで一生懸命説明してくれる。が、
「世間話は後にしてくれ、こっちは真剣なんだ」
「……す、すみません」
「……すんません」
連合長がぴしゃり、やはりヴォルターさんの話を信じていないらしい。そりゃそうだ、何を言うのかと思えばまさかの秘密兵器、自分だってグガランナ・ガイアの話を馬鹿にしていたくせに良く言えたものだ。
凍りついた場に、陽に焼けていない色白の男性が現れた。ユーサのロゴが入った白衣にフレームレスの眼鏡をかけた男性だ、海の上で仕事をするよりも研究室にいそうな人だった。
「お呼びですか?あまり歓迎されていないようですが」
物腰も柔らか、この場を温めてくれる助っ人かと期待するがこんな人をこの場に呼び出した理由が分からない。しかし、この人が名乗ったことですぐに分かった。
「自己紹介しろ」
「はあ……ユーサ第一港の開発課で課長を務めています、アーセット・シュナイダーと申します」
「…っ」
「……失礼ですが、もしかして…リヒテン指揮官の…」
隣に座っているヴォルターさんが腕組みを始めた、そして何だか鼻息も荒い。
「はい、リヒテン・シュナイダーは私の父です。もしかして国防軍絡みの話ですか?」
「そうだ。ヴォルター・クーラント、さっきの話をもう一度」
「………」
これは予想外だ、まさかリヒテン指揮官の身内がここで働いていたなんて...それにこの連合長もやる事がえげつない、嘘だと分かっていて外堀を埋めにきたのだ。ここで緊急回線、そのお相手は勿論、
《どうするホシ!しくじった!これはしくじったぞ!》
《観念するしかありませんよ、本当の事を言いましょう》
《馬鹿だろオッサン、何が秘密兵器だよグガランナ・ガイアと同類じゃないか》
《秘密兵器は男の浪漫、それが女子供には分からんのです》
《ダンタリオン、今は少し黙っててくれる?》
この緊急回線時の会話記録は後で提出する事が義務付けられている、第三者に聞かれず会話が出来る優れ物だが規約が大変厳しい代物でもあった。
渋い声をしていたダンタリオンが泣き言を言いながら退散し、どこまで喋るかあれは喋るなと急な打ち合わせをしていると連合長が催促してきた。
「いつまで黙ってるんだ?ん?海軍大佐の息子がいようが関係ないだろ?さっさと言えや」
これ怖いんだよなあ...最後に「や」を付ける荒い言い方、ユーサで働く人間は良くこういう言葉使いをする。
「仕切り直しを要求する」
《開き直るの早くないか?!ちったあ戦えや!》
《ガングニール!その言葉使いを真似するのは止めてくれ!》
《うっせえ!俺のパートナーでもないのに口出しすんな!》
「仕切り直しぃ?嘘だって認めるのか?」
「嘘?何の話をされていたのですか?」
「昨日の決算報告会でも少し話したが、こいつらがここいらの海を嗅ぎ回っている理由だ。何でも海軍が開発した秘密兵器が悪さをしているんだと、な?」
「………」
「秘密兵器……ですか?確かに秘密兵器は男の浪漫ですが、」
《そらみろやはり同志は存在する!!》
《うっせえんだよ!》
《ダンタリオン!静かに!》
「それが本当の話なら今頃父はてんてこ舞い、ですが昨日も定時通りに帰ってきました。何かの間違いではありませんか?」
《その年で実家暮らしかよ!》
《それ今関係ないだろ!ガングニールも静かに!》
《実家暮らしの何がいけない!浪漫に費やす時間と資金が増えるではないか!》
《全員静かにしろ!この会話記録は後で局長に聞かれるんだぞ!!》
もう、緊急回線でフリーになった二機が好き勝手に喋っている、僕まで怒られてしまった。
「冷や汗をかいているなヴォルター・クーラント、なんならもう一度海に入ってくるか?」
「……遠慮しておこう」
「なあ、私はお前らを虐めたいわけじゃない、ただ本当の事を聞きたいだけなんだ。このまま異変が続けばうちは大赤字、せっかく働いてくれている社員を路頭に迷わせることになってしまう。その責任の重さ、分かるか?」
「…………他言しないと約束しろ、いいな」
(観念するのほんと早いな)
《だから言っただろ!》
最後に一言だけ吠えてからガングニールが静かになった。
《私のパートナーに突っ込みを入れるのは止めていただきたい!私の務めだ!》
ダンタリオンもおかしな事を言ってから静かになった。
「聞こう、遠慮なく話せ」
どうやら連合長は本気らしい、真剣な表情で耳を傾けているのが良く分かった。生唾を飲み込んだヴォルターさんが説明に入った。
「先日、安全保証局の局長から国立海洋研究所に赴くよう指示があった。今から五年前、ウルフラグ政府に接触してきた機械生命体と自らを定義するグガランナ・ガイアと名乗る人物から会見を申し込まれたからだ」
「………」
さっきは秘密兵器であんなに反応していたのに、この話はすんなりと受け入れたのか?
「そこでその人物からもたらされた話というのが、この近海にあるウイルスが潜んでいるというものだった。どのような影響を与えるのか、どのような特徴をしているのか一切不明だと言う。五年前から調査を開始してようやくその足取りをこの海で捉えたんだ」
「そのウイルスのせいで異変が起きていると?」
「信じるのですか?こんな与太話を、下手なSFのくだりではありませんか」
あれ、実は息子さんの影響?けれど連合長の真剣さは崩れなかった。
「嘘ならそれで良い、こいつらを海に沈めたら良いだけの話だ。だが、それがもし本当だと言うのならこいつらの手を借りなければならない、だから海軍にも要請をかけたんだろ?」
「そうだ」
「よろしいですか?先日、ビレッジコア方面基地へ赴きリヒテン大佐から機雷処理任務の内容を教えていただきました。まず、機雷処理前から珊瑚が海中を漂っていたことと、海底探査機が沖合へコントロールを奪われるという事象がありました。これらは自然的に発生するものとは思えません、リヒテン大佐もこの事を危惧し護衛艦の出動を許可してくださったのです」
「沖合にコントロールを奪われてしまうのは何ら不思議ではありません、あそこは常に潮の流れがありますから予期せぬ事態が発生してもおかしくはないでしょう」
「では珊瑚の件について説明出来ますか?」
「………」
「お前の負けだ。で、続きは?」
敵味方平等に扱う人らしい、連合長に審判を下されたシュナイダーさんがむすっと黙り込んだ。
「気象庁管轄の管理サーバーにアクセスした結果だが、やはりこの海域だけ水位がおかしいことも突き止めた。さらに干満の時間帯にも狂いが生じている」
「……そのウィルスというのは天体の動きにも影響を与えるのですか?やはり信じられない」
何度もかぶりを振りながらシュナイダーさんがそう答えた、するとヴォルターさんが徐にコーヒーミルクを摘んで持ち上げた。
「このミルクをコーヒーの中に落としたらどうなると思う?」
「そのコーヒー美味しくなかったスか?」
「違う!黙って聞け!」
アーチーさんが冗談めかした合いの手を入れた。
「ここに落としたらカップから溢れるだろう?俺が思うにウイルスというものは超重量の物体だと考えている。詳しくは知らんが、海底にも窪んだ地形というものがあるはずだ」
「海盆と呼ばれる所だな、それで?」
「それだけだ。そのかいぼんとやらにウイルスが落ちたか、あるいは出現したか、どちらにせよそのウイルスのせいでここいらの水位が上がったんだろうさ」
「馬鹿げた仮説ですが、まだ天体に異変が起きた事に比べたらそちらの方が納得しやすい」
いつの間にかシュナイダーさんも真剣に耳を傾けていたようだ。
「しかし、そんな事があり得るのですか?いくら海盆に超重量と言っても……それだけで海そのものの質量が上がるとは思えない……」
「ですが、その液体内で密度が増せばその分質量も上がるかと思います。ユーサ第一港の近海のみ異変が起きていますのであながち的外れな仮説ではないかと」
「それなら珊瑚が海を泳いでいた件についてはどう説明されるのですか?よしんば水位が上昇したとしてもそんな異常現象は起きないはずですよ」
今度はこちらが言い負かされる番だった、せめてもの救いはシュナイダーさんがしてやったりという顔をしなかったことだ。真面目に議論し推測している証拠だった。
熱い議論の合間を縫うように連合長がぱしんと両の手を叩いた。
「ここで話し合いをしても何ら解決しない、早速関係者を全員集めて対策に移るぞ。リッツ、異変について報告した人間を全員集めろ。それからアーセットは調査船の準備を急げ、今日にでも出航出来るように。最後に、ヴォルターとホシは海軍へ連絡を取って担当指揮官をここに呼んでくれ、いいな?」
「ああ」
「分かりました」
「了解っス!」
「これは忙しくなりそうだ」
この後、執務室を出てからヴォルターさんが「何であんな女の言いなりにならないといけないんだ」とか、「俺たちを特個体の操縦者だと知りながら当てにしなかったのは褒めてやる」などと一人で賑やかにぶつくさと言っていた。僕は「ああいう強い女性が好みなんですか?」と聞いてみる(仕返し)と、とんでもない力で頭を叩かれてしまった。
✳︎
山の天気は変わりやすく、また女性の気持ちも変わりやすいと良く言う。それを例えて「女心と秋の空」ということわざがあるほどだ。山はどこへいったんだ。しかしだ、元々「女心」ではなく「男心」だったらしい、男性の女性に対する気持ちが移ろいやすく、それを例えた言葉が時代と共に変化し今のような形になったと広辞苑に書かれていた。ただの音読である。何故それを今言うのかというと...
「おい!………あ、いや、これ持ってくれないか?」
「おいお前!ちったあ自分で運びやがれ!こいつが可愛そうだろうが!」
「い、いいですから!私が運びますから!」
「そ、そうか?いつも悪いな」
どうしたというんだ...どうしてこうも皆んな優しくしてくるんだ?確かに今日、プウカさんはお休みで私一人だ、これからまた曳き網漁に出るのでその準備をしているところなのだが、いつもの扱いと全然違う。こっちが戸惑ってしまうほどだった。けど班長はいつも通り。
「おいナディ!!今すぐこっちに来い!!」
「あ、はい!」
何なんだ、大目玉ならもう食らったぞ、これ以上怒られたくないんだけど...何をそんなにムカついているのか今日も今日とて大声を張り上げている班長の跡に付いて行く。他の班も出航準備中、それらの通りを抜けてずんずんと歩く。もう近々遠洋漁業に赴いている特別班が戻ってくる頃合いだ、卸市場の前でたむろしているせり人たちがその事で盛り上がっていた。
「え、どこまで行くんですか?」
その卸市場も通り過ぎたので慌てて聞いてみると、
「連合長が呼んでんだよ!」
「ええ?!遅刻しただけなのに?!」
「馬鹿たれ違うわ!」
「いや!いやいや!めちゃくちゃ怖いんですけど!え、私何かしました?」
「知らん!それを今から聞きに行くんだよ!」
だから機嫌が──いつも悪いなこの人、笑顔になっているところを見たことがない。
連合長やお偉いさんが良く居る建物の入り口に入った、ここに来ることはそうそうない、そのためとても緊張してしまった。砂だらけの廊下を歩いて階段にさしかかると、踊り場でライラを見かけた。
(あ、ライラだ)
そのライラは私に気付いていない、視線は下を向いており顔色も悪いように見えた。
(え、何かあったのかな…今朝のことでライラも雷落とされた、とか?)
そんな事であそこまで落ち込む子だろうか、言っちゃ何だがライラは見た目以上に芯が強い女の子のように思う、だって先輩と面と向かって喧嘩してたし。
班長に続いて私も階段を上り、踊り場に置かれたザラザラしたマットで砂を落としつつさらに上る。いよいよ連合長がいる部屋が目前だった。
「あの、先にトイレ、」
「観念しやがれ!俺だってそうそうここには来ねえんだぞ!」
「緊張してるんですか?」
「見りゃ分かんだろ!」
意外と素直な人らしい。変なリズムで班長が扉をノックし、「どうぞっスー」と気の抜けた返事があったので入ってみると...
「………」
「………」
「これで全員か?」
「そうっス!」
班長も私の隣で固まっているのが分かる。
(え、何、この人の数……会議中かな?)
どうやら私だけ大目玉ではないらしい、それにそういう雰囲気でもない。入社式にチラッと見たそれぞれの職場の課長さん、それから人が良いお姉さん、格好良い帽子を被った...あれは男の人か?それとも女の人?少年みたいな軍人さんが一人、軍人?!何でこんな所にいるんだろうか。
(わ、両目が……)
連合長の隣に立っていた角刈りのおじさんの目がとても際立っていた、目にあたる部分に直接虫眼鏡のようなレンズを装着していたからだ、勿論眼球なんか見えやしない、顔は入り口に向けられているがどこを見ているのか分からなかった。そのおじさんの隣に立っていた優しそうな男の人がやんわりと声をかけてきた。
「あまり見すぎない方がいいよ、この人照れ屋さんだからね」
「誰が照れ屋だ」
「す、すみません…は、初めて見たので…」
おじさんが小さく鼻息を鳴らしながら明後日の方向を向いてしまった、怒らせてしまっただろうか...ん?今レンズがちかちかと光ったような...
(あ、やっぱり来てたんだ)
優しそうな男の人の隣には驚いた顔をしているライラ、それから研究者っぽい男の人が一人、この場にいる全員が一同に連合長へとその顔を向けた。
「よし、では早速本題から入ろう。この港は今、未曾有の危機に晒されている、その情報をいち早く届けてくれたのがこの二人、厚生省所属のヴォルターとホシだ。説明を頼む」
怖そうな名前、絶対虫眼鏡のおじさんがヴォルターという人だろう。
「特殊安全保証局のホシ・ヒイラギと申します。まず、皆様方から提供していただいた海の異変について、ある程度の仮説が成立しましたのでお話します」
そらみろやっぱり。隣で固まったままの班長に小声で話しかけた。
「…私たちがここにいていいんですか?」
「…静かにしろ!」
昨日のバーとは方向性は違うが場違い感がハンパない、どうして私がここに?その疑問でいっぱいだったが優しそうな男の人の話ですぐに合点がいった。
「この海で獲れる海産物に異変があると、そちらにいるナディ・ウォーカーさんからお話をいただきました、海中に投入したはずの網漁なのに貝類や珊瑚が獲れたという話で間違いありませんか?」
「え、はい、そうです……」
「ばっ!おまっ!」
んん?と皆んなが一斉に班長へ顔を向けた、その班長は顔を真っ赤にしてあたふたとしていた。
「どうかしたのですか?」
「い、いえ!こいつが間違った事を言っていましたので、つい!」
「間違った?」
「こいつには底引きの漁しかやらせていないんです!それなのに!」
え!
「いいか!魚ってのは夜行性で引っ掻き回す時は朝が早いんだよ!それなのにお前という奴は!」
「え!そうだったんですか!」
「当たり前だろうが!お前人の話し全然聞いていやがらねえな!」
「だって班長いつも怒鳴ってばかりだから何言ってるか分からないんですもん!」
「こいつ!」
別に笑いを取りたかったわけではないのにあちこちで笑い声が上がっていた。
「あっはっはっは!誰が漫才しろって言ったんだよ!可笑しい奴らだなあ〜」
髪を金色と茶色でまだらに染めている人がそう言った、確か...漁業課の課長さんだったはず。
「イチアキ、ちゃんと教育しておけ」
「す、すんません!」
イチアキ?ああ、班長の名前か。
「話を戻してもいいでしょうか?体を張った漫才は確かに面白かったのですが」
あれ、この人思ってたより良い人じゃない?優しそうに見えたけど、あまり気遣いは出来なさそうだ。
(体を張ったって!そんなんじゃないやい!)
「情報に間違いがあったようですが、実は別の場所でも同様の現象が起こっていたのです。海軍の報告になりますので詳細は伏せますが、そちらにいらっしゃいますスミス大尉が海中に珊瑚が漂っていたと教えてくれました」
「はっ!私が直接見たわけではありません!担当の上等兵からそのように報告を受けました!」
良く通る、覇気のある声でそう答えた、だからこの人はどっちなの?今の声音は男の人と言われても頷いてしまうものだった。
「ありがとうございます。次に、開発課の方から提供していただいた潮の流れの変化について、予期せぬタイミングで転流が起こっていたそうですが、ライラ・コールダーさん、間違いありませんか?」
「間違いありません」
格好良い、これだけの面子を前にして堂々と受け答えをしている。私の前で見せていたあの暗い顔は影も形も感じられなかった。
「さらに、これは僕たちの調査結果になるのですが、この近海にて水位の異常が見られました。また、干満の時間帯にも狂いが生じており、これは由々しき事態と判断し皆様方にお集まりしていただいた次第です。ここまでで何か質問はありますか?」
ぴっと手を上げる、遠慮なんかする必要は無い。
「ウォーカーさん、何か分からないところがありましたか?」
「帰ってもいいでしょうか?」
「──はい?」
「私、関係ありませんので職場に帰ってもいいですか?」
「………」
口を開けてぽかんとしているがそんなにおかしな事を言ったつもりはない、だって私は関係ないんだから。
「何故そう思う?」
連合長まで聞いてきた、その聞いてくる理由が分からなかった。
「いやだって私、間違った情報を伝えてしまったんですよ?それに大変な状況にあるんですよね?そんな時にろくすっぽ答えられないような人がいても現場が困るだけではないですか、適任とは思えません」
「………」
連合長も押し黙った。しかし、
「面倒臭いだけだろ、顔に書いているぞ」
「………はい?」
「素直にそう言え。間違った事に対して謝罪もせず客観的視点から自分を卑下してあたかも正論のように言う、傲慢で怠惰な奴が取る常套手段だ」
虫眼鏡のおじさんだ、顔をこちらに向けてそうはっきりと言い切った。
「違います、私は皆んなの事を思って、」
さらに畳みかけてくる。
「一歩引きます、ってか?いいか、責任とその自覚こそが自分を成長させてくれる何よりの物だ、その年でそれを分かっていながら逃げ回るなんざろくな大人にならないぞ」
「………」
痛い程の沈黙が耳に届く、何を言っているのか、どうして私にだけそう強く言うのか分からない、けれど胸の内が騒ぎ立てて何も言い返せなかった。
「ナディ・ウォーカーさんはそんな人ではありません」
ずっと暗い顔をしていたライラが、そうはっきりと宣言し一歩前に進み出た、皆んなが注目し私もライラを見つめた。
「だったらどうして叱ってやらない、今の発言はただの逃げだぞ、庇うのは勝手だが黙って見過ごすのは不誠実だ」
「………っ」
それでもおじさんは引かなかった、私たちみたいな────。
「今から何をするんですか?」
「……ナディ?」
「ホシ、続きを話してやれ」
「は、はい。ではウォーカーさんもこの場に残るということでいいですか?」
「はい」
「分かりました。では、冒頭にお話した仮説について説明します、この港から沖合にかけてこれらの異変を起こしたとされる生命体が潜んでいると思われます。転流、水位の異変、それから海中の生態系への何らかのダメージ、最後に昨夜の発光騒ぎ、この一連の騒動を解決すべくここに臨時の調査チームを結成したいと思います」
「名前はどうしようか」
「──はい?名前、ですか?」
優しそうな人がそう言い終えたと同時に連合長が割って入ってきた。
「ああ、こういう時全員の気持ちを一つにするためにも名前は重要だ」
「馬鹿ばかしい」
あなたがそれを言うのかと何だか腹がたってしまった。さっきはあんなに熱く説教していたくせに、私がやる気になったのはあなたのせいだという皮肉を込めて言ってやった。
「虫眼鏡のおじさんとやる気がない仲間たちなんてどうですか?」
真面目そうに見える軍人さんがぶふっと吹き出した。
「──んだとこのクソガキ!!言って良いことと悪いことの区別も付けられないのか!!」
「だってガキですしい?!良いじゃないですか名前!馬鹿ばかしいって否定する前にちょっとは考えたらどうなんですか!この虫眼鏡!」
「────っ!」
「どうどう!ヴォルター!落ち着け!」
「人の外見を馬鹿にしやがって!」
「あなたは連合長を馬鹿にしたでしょ!」
この場は一旦お開きになり、昼食を挟んでから再び開かれることが決まった。どうしてって?虫眼鏡のおじさんと掴み合いの喧嘩に発展しかけたからだ。まあ、喧嘩したところで私の負け確定なんだが、それを皆んなが分かっていたからお開きにしてくれた。
◇
女心も男心と秋の空、ここに新しい一言を付け加えないといけない。
「よ!さっきの啖呵は良かったぜえ!お役所勤めの人間は何かと頭ごなしなのがいけねえよな!」
そう言って、手付かずの食べ物が乗ったお皿をぽんと置いた。
「さ、さっきはすみませ、」
「良いって良いって!お前が気にすることはねえ!あんな堅物相手に大立ち回り!やっぱ海の人間はああでないとな!」
あっはっはっは!と高らかに笑いながら去って行った、ちなみにこれで三度目である。私のテーブルには食べ切れない量の食べ物があった。どうすんのこれ?お偉いさんが何を考えて食べ物を寄越してくれるのか分からなかった。「上司心と秋の空」、違うか。
「ナディいい!!」
「っ?!」
「ほら、これ食って昼から気張るぞ」
いやもうその声量何とかしてくださいよ、皆んなの前でやらかしたと今頃になって後悔しビクビクしているのでたまらない。ついに怒られたと勘違いしてしまった。
「あの、さっきはすみませんでした」
「うんうん、素直なのは良い事だ。わしじゃなくて連合長に言ってやれ、お前さんの事を気にかけておったぞ」
「はあ……これ、何ですか?」
この食堂で売っている物ではない、小さなタッパーに入っているし、ぱかっと蓋を開けてみると長方形かつ足のような細い物が付いている何かがでろでろした状態で入っていた。見ただけで嫌悪感が走ったこいつの正体は、
「イナゴの佃煮」
「食べれません!」
「わしは元々山手のほうに住んでおってなあ〜、子供の時分はよくつまんでおった」
「聞いてません!」
かっかっかっ!と笑いながらまた力強く背中を叩いてきた。
「子供は我儘を言うのが仕事だが食べ物に我儘を言うのは感心せんな!ちゃんと食え!体に良いから!」
「いやあの!ちょっと!」
お願いだからテーブルの上に広げているお皿の数を見てよ!こんなに食べられるわけないじゃん!また、かっかっかっ!と笑い軽やかに去って行った。
どうして私に優しくしてくれるんだろうか、虫眼鏡おじさんが言ってたように間違った事を伝えて、それに謝ることすらしなかったのに。普通だったら爪弾きにされて当然だと考えるのは私の思い過ごしだろうか?
(と、とにかく食べよう、皆んな持ってきてくれたのに残すだなんて勿体ない…)
頑張って食べ物を口の中に放り込む、けれど一口目から絶望感に襲われてしまった、これを全部一人で?一日で牛さんになってしまう。
食堂の入り口に何かと近い角席から、また別の人が中に入ってきたのが見えた。
✳︎
今日もあの子はあそこにいた。いつもの角の席、くたびれた観葉植物の隣に座ったあの女の子がガツガツとご飯を食べているところだった。メニュー表に顔を隠さず、寧ろ助けを求めるように大手を振って私の名前を連呼していた。
「ライラ!ライラ!こっちに来て!お願い!」
それだけで私の心臓は跳ね上がった、いつも遠くから見ていたあの子が私の名前を呼んで、助けを求めるまでになったのだ。嬉しくてたまらない、今朝やらかした事で沈んでいた胸の内も朝露が晴れるように爽やかになっていた。
「な、何?どうか────ナディっていつもこんなに食べてたっけ?」
何だこのお皿の数、料理が山盛りになったお皿が四つ、五つと並んでいるではないか。
「違うよ!皆んなが持ってきてくれるんだけど私一人じゃ食べ切れそうになくて!ライラは今からご飯だよね?これ一緒に食べてくれない?!」
「わ、分かった、私も食べるよ!」
「ありがとう!助かるよ〜」
たったこれだけの事で、本当に嬉しそうに笑うナディ、幸せだ、これを独り占め出来るだなんて。いやでも待てよ...これ、二人でも相当キツいんじゃないのかな...
「こんなに誰が持ってきたの?」
「さっきの会議に参加してた人から、皆んなから気にすんなって言われてさ」
「それでこんなに……」
少しだけ嫉妬心が疼いた、ナディの人望にではない、ナディを慰めようと近付いた連中にだ。
(ナディって本当に人が良いから相手を疑ったりしないんだろうな…)
私が気を付けないと。人の良さを利用しようとする輩はいくらでもいるのだ。
「ライラって良く食べるほう?」
「え?!あ、うん、そうね!これぐらい平気!」
格好悪いところは見せられないと気焔を吐いてみたけれど...本当に大丈夫だろうか、この一皿分すら普段は食べない私、何ならお菓子で夕食を済ませている。
(ええ〜いままよ!)
ナディと一緒にお皿の上に盛られた料理を片付けにかかった。一口目は確かに美味しいが、二口目から早速胃袋が拒否反応を起こしている。
助けを求めてきたわりにはぱくぱくと食べているナディに大丈夫かと心配されてしまった。
「……ほんとに大丈夫?何だか苦しそうだけど」
「だ、大丈夫……」
「そう?今朝も何だか────あっ、そうだ」
半分程食べたお皿に食器を置いて私に体を向けてきた、絶対にあの事だ。
「朝言ってたあれってどういう意味なの?」
「何のこと?」
「え?だからさ、あれだよ、その〜……」
しらを切る、しらを切り通す。
「何?確かにあの人と喧嘩して色々と言ったけど、ナディに迷惑をかけるような事を言ったつもりはないわ」
「いや迷惑とかじゃ………んんん?」
迷惑じゃない?!しまった、切るしらを間違えたかもしれない。腕組みをして大きく首を傾げているナディ、その細い腕に乗った小さな胸が強調されていたので思わず視線を奪われた、どこまで私を狂わせたら気が済むのか...今はそんな事どうでも良く。
「いやでも、確かに私を先に見つけたって言ってた……よね?」
薄らと頬が染まっている、聞いているそばから恥ずかしくなったのだろう、私もそうだ、こう改めて質問されてしまい恥ずかしくなってきた。
「私と同い年の子って意味。職場は皆んな歳上ばっかりだから、仲良くなりたかったって意味」
我ながらなかなかな言い訳だ、これで納得するかと思いきや、
「それにしたってあの剣幕は凄かったよ?どうしてあそこまで怒ってたの?」
(ぐいぐいくるな〜〜〜)
ナディの視線から逃れられない、腕組みをしたまま、私の心の底まで見透かそうとしているように感じられた。
「いや、その……だからあれは……」
「んんん?なあに?」
しどろもどろになってしまい何も言葉が出てこない、この土壇場で何とか逃げの一手を思い付きそのまま口にしていた。
「そ、その前に私も聞いてもいい?どうしてあのクーラントって人の言う事を聞いたの?」
ナディは見た目以上に芯が強い、あの強面の元軍人を相手にして一歩も引かなかった。一方的にナディがなじられているように見えていた私は怒り心頭であったが、まさかそのナディがあの場に残るとは思わなかった。
あの表情をしていたナディがすっと身を引いて、今度はほんの少しだけ首を傾げたあとにこう言った。
「あの人って珍しいと思わない?」
「……珍しい?何が?」
「私たちみたいな子供にも遠慮がないっていうかさ、そりゃ一方的に怒鳴ってくる人はいるけどあそこまでズバズバ言う人っていないじゃない?」
「いやそれは、あの人が無神経なだけで、普通未成年を相手にあそこまで言ったりしないよ」
「そう?でも私の胸には一言一句刺さったよ、だから残ろうって思ったの。それにあそこまで言われて逃げるのも何だか格好悪いしね」
「…………」
素直にも程がある、これではまるで鏡ではないか。人は自分の心を映し出す鏡とは言うけれど、私には見えなかったあのクーラントと呼ばれる人の心をナディはちゃんと捉えていたのだ。
(信じられない…どうしてそこまで綺麗でいられるの?)
思い込み、偏見。人が普段目にする光景であったり人であったり、様々な事物は自身の心という汚れたフィルターを必ず通して見ているものだ、それが普通なんだ、そう教えられてきた。それなのにナディのフィルターに思い込みや偏見というものが感じられない、それが信じられなかった。その心を表したかのように透き通った瞳をもう一度私に向け、そして良く理解した。だから私はナディに見つめられるのが怖かったのだと、ナディは私の全てを捉えて素直に反応を返してくる。不愉快な顔付きをすれば、それは私が不愉快な存在であるということ。嬉しそうに微笑むのであれば、それは私が微笑ましい存在であるということだ、これ程怖いものはない。
(とんでもない子を好きになってしま────っ?!)
「私はちゃんと答えたよ〜?次はライラの番〜、ほーらほーら」
「なっ?!ちょ、やめ!」
待ってさっきの話なんてどうでもいいわだってナディが!ナディが!私の脇腹!
「言わないと止めないよ〜」
意地悪そうに笑うあの笑顔。私には向けずあの女性に向けていたあの笑顔、その笑顔が今私にも向けられていた、とても恥ずかしい。
「だから!あれは!」
──え、ナディってこんな馴れ馴れしい──突かれる度に体が──こんなにスキンシップを取ったのは初めて──一目惚れした相手にここまで良いようにされてしまうなんて──その時にょきっと腕が生えてきた。
「うわあっ?!」
(た、助かった!!)
テーブルの衝立の向こう側から伸びてくる、器用に皿をかき分け蓋が閉じられたままになっているタッパーをはしっと掴んだ。
「なっ!先輩?!何やってんすか!」
「これ!これ、あのカズトヨさんが持参してきた食べ物よね?!ばっちり見てたわ!食べないなら私に寄越しなさい!」
「プライドゼロか!そんなはしたない真似しないでください!」
(はあ〜〜〜〜〜……あと少しで取り返しのつかないことになっていた……)
暴れる心臓を落ち着かせる、体中が敏感になったように火照っていた。
また戯れ合いを始めた二人、ムカつくよりも先にナディに触れられたあの感触を必死になって思い出そうとしていた。
✳︎
「あ」
「お二人はお知り合いなのですか?」
待って待って、今料理を口に運んでいるところだから誰が来たのかまるで分からないし勝手に話を進めないでほしい。オイルが効いた魚を慌てて口に放り込み、背後に立っている人物を見上げてみればアーチーさんだった、その手には手付かずの料理が乗ったトレイがある。
「あ!す、すんません!」
「何がですか?ヒイラギさんに用事があるのですよね?」
「いや!用事というか、その…」
さらに慌てて咀嚼し味を堪能する暇もなく飲み込む、スミス大尉は軽食のみだったので既に食事は済ませていた。無感動に思える眼差しをアーチーさんに向けて淡々と話を進めていた、だから待ってくれる?
「私はもう済ませていますのでお気になさらず」
「いやいや!邪魔しているようで悪いっスよ!」
「邪魔?」
「いや、お二人で食事を取っていた……んスよね?」
自信なさげにそう聞くアーチーさん、僕の思い込みでなければ彼女も一緒に取ろうとわざわざやって来てくれたのだろう。
「そうです、それが何か?」
「いや……仲が良いんっスね!知らなかったっス!そうとは知らずに……」
慌てて飲み込みはしたが何を言えばいいのかさっぱり分からない、同席を促すのも何だか違うし、かといってそれじゃあと追い返すのは勇気がいる。
「いえ、単に同席したというだけですので特別仲が良いということはありません」
「そ、そうです、食事はどこで取れば良いのかと聞かれましたので、それではご一緒しましょうと…」
僕とスミス大尉の話を聞いて見て取れる程にホッとしている。
「そうっスか〜、それなら私も一緒にいいっスか?海軍の方とお話してみたかったんスよ〜」
えへへ〜と笑いながら僕の隣に腰を下ろした、その自然な動作に少しだけドキリとしてしまう。僕の前にはクールな顔付きをした美人な海軍大尉、隣には少年のように愛らしい秘書官、これを両手に花と言うのだろう。周囲の視線が気になり出した途端、
「ですが、昨日はヒイラギさんのお車に乗せていただきました」
「っ?!」
「へっ?」
その接続詞の意味は何?!何を否定したの?!
「え、あっ、昨日一緒にってことは……」
「そのですねアーチーさん、昨日は大佐に連れて帰るようお願いをされまして、それに陸海空どの軍でも上からの指示には徹底するように、」
話がややこしくならないよう僕なりに注釈を加えるが、
「いえ、昨日は私の意志です、シュナイダー指揮官の意志ではありません」
え?そうなの?いやそうではなく、どうしてこの人は会話のテンポが一つズレているのか、いやいやそいうことでもなく。
(どうしてそれを今言うんだ?さっきまでずっと無言だったじゃないか!)
「え、えーと、つまり…軍の基地から一緒に帰った、だけ、ってことっスよね?」
「はい」
何だか「だけ」に強いアクセントを感じたのは気のせい...?
「そうっスか〜。あっ!さっきヒイラギさんからもらったあのお菓子!ここに持ってくれば良かったっスね〜皆んなで食べたらきっと美味しいっスよ〜」
「それはどのようなお菓子なのですか?」
「有名なお菓子っスよ!量は少ないっスけどとても美味しくて人気があるんスよ〜、ね?」
「え!あ、はい、あまり荷物になってもご迷惑かと思いまして…」
「そんなことないっスよ!あのお店とても人気だからわざわざ並んで買ってきてくれたんスよね?」
とくに並んだ記憶もないし普通に買えたんだが有無言わせぬ迫力を感じたのでなすがままに「はい」と答えた。
「お二人はお知り合いなのですか?」
冒頭の質問今再び。そして僕の言葉を待っているように何も言わないアーチーさん。そしてこの笑顔。
「………知り合ったのはつい先日でして、今回の件で大変お世話になりましたのでそのお礼にとお菓子を渡したんです」
馬鹿正直に答えてアーチーさんの笑顔から逃げた、それに応えるだけの勇気と甲斐性が無いと判断しあとはダンタリオンがうるさくなるからと謎理論を持ち出して。それでもアーチーさんの笑顔は曇らなかった。
「ほんと優しい人っスよね、あんな風にお礼言われたの初めてなんで嬉しかったっス」
その言葉には流石に参ってしまった、何て意気地無しなのだろうか、僕は。が、
「確かにヒイラギさんは優しい方だと思います、口下手な私にも気さくに話しかけてくださいましたから」
「……そうなんスか?」
ん?
「はい、昨日も古文書について議論を交わしました」
二言だけでしたよね?あれを議論と呼ぶの?
(張り合って………る?でもどうして?)
「そうなんスか?」
「え!あ、はい、確かに古文書について話をしましたが、」
「それと学生時代の友人を紹介することになっています。考古学の分野で研究していますので古文書についても詳しいはずです」
「そうなんスか?」
段々とアーチーさんの笑顔が怖くなってきた、気のせいであってほしい。
「その話は確かにしましたけど、まだ会うとは一言も……あ!それにスミス大尉もお忙しいでしょう?あまり私用でご迷惑をおかけするわけにも…」
「いいえ、シュナイダー指揮官からヒイラギさんに付くようにと言われていますので都合はすぐにつけられます」
「そ、そうですか……」
「それはその指揮官さんの意志ってことっスかね?」
目の前に座る美人な軍人が毅然とした態度で言い切った。
「いいえ、これも私の意志です。ヒイラギさんに私の友人を紹介しようと思っています」
そうっスか、そう言うアーチーさんの声音は今まで聞いたことがない程に冷たかった。
✳︎
昼食を挟み、一番最初に顔を出したのがナディとライラであった。入ってくるなりナディが頭を下げてきたのが面白くない、どうせなら最後までツッパってほしかったがそれを新入りに求めるのも違うような気がした。それに昨日と比べて二人は随分仲良しになったようで、部屋の隅でお喋りに興じている。次に入ってきたのが不機嫌になっているリッツとホシだ、その後少し遅れてからアリーシュが部屋に入ってきた。
(これは何かあったな……)
リッツの奴、秘書官としての仕事を忘れていやがる。咳払いをしても全く私の意図に気付こうとしない、これは面白い。その後、始業時間ギリギリになって課長連中が続々と現れ最後に姿を見せたのがヴォルターだった、こいつは短気だが冷めるのも早い、喧嘩したナディに視線を向けることなく涼しい顔をして私の話を待っているようだった。
「では、午前中の続きといこうか」
リッツには長丁場になるから、休み時間の間に椅子を並べておけと伝えたはずなんだが...ここにきてようやくリッツが「ああ!」と声を出して思い出したようだった。
「すんませんすんません!今すぐ用意しまス!」
新入りの二人に手伝うよう指示を出そうとしたのだが、その二人が早速リッツの跡に続いたのでその必要はなかった。最近の子は何かと気配りが出来る、今みたいに指示がなくとも自分から動ける奴らばかりだった。面白くない、これでは指導のしようがないじゃないか。執務室の奥から「これ重い!」とか「それ全部持てるんですか?!」と賑やかな声が届き、結局一人一脚持ち出すことになった。
「ほんとすんませんでした……」
軍帽を被って凛々しい顔をしてるアリーシュがリッツの肩を叩いて励ましている、この二人も仲良くなって、
「次で挽回しましょう」
「………………そうっスね」
いるのか?あんな顔したリッツは初めて見たぞ、面白いことになってきたじゃないか。
(ああそういう…)
純朴そうな、有り体に言えば女慣れしているようには見えないホシが居心地悪そうにして二人に挟まれていた。後であいつにリョウとカズを紹介してやろう、さらに面白い事になりそうだ。
「さてだ、まずはこのチームの名前から決めようじゃないか。何か案がある奴はいるか?」
「はい」
アリーシュだ、綺麗な姿勢で真っ直ぐに手を上げていた。
「お、まさかのお前か」
「まさかの意味が分かりませんが、「セントエルモ」などどうでしょうか?その昔は幸運を呼ぶ明かりとして船乗りたちに重宝されていたと聞きました」
「いいね、それでいこう。では次に、」
「いやあの!連合長!」
「何だ?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている、それに体を前に傾がせて中腰になっていた。
「そう簡単に決めてしまって良いのですか?他の方ももしかしたら案があるかもしれないのに」
「反対できる奴いるか?」
誰かが小声で「聞き方が意地悪だなあ」と言いやがった、そして勿論誰も反対しなかった。その様子にアリーシュが一人で慌てていた。
「えー…もっとこう、反対意見などないのですか?実はセントエルモの火は放電現象によるものとか、我々もそれにならってこの現象を紐解きましょうとか、色々と考えていたのですが」
「良いじゃないか、その理由。どうしてすっと言わないんだ?」
室内にいる全員へ、しきりに視線をやりながらこう答えていた。
「それは他の方も意見があるだろうと思いまして、私一人だけで決めてしまうのも…」
「いいか、自分が良いと思う事は周りに遠慮なんかせず全力でやれ。この世の中ってのは自分のやりたいようにやっている奴らが動かしているんだ、あっという間に置いていかれるぞ?かく言う私もそうだからな」
リッツが小声で「全然カッコよくないっス」と言いやがった。
「──分かりました、そうさせていただきます」
「うんうんそれが良い、出し惜しみをして負ける奴が一番ダサい、な?お前もそう思うだろ?」
部屋の隅っこで大人しくしていたナディにそう振ってやると、さも当たり前のように首を振った。
「いやいや、何で私に振るんですか」
「ん〜?自覚はあると思ったんだがな…まあいい。ちなみにお前は何か案はあるか?このままだとセントエルモに決まっちまうぞ?」
「セントエルモで良いと思います。軍人さんなのでてっきり「秘密戦隊」とか「マリーンマン」とか格好良い名前を選ぶのかと、」
「私は男ではなあああい!!れっきとした女だあああ!!」
「っ?!!」と、全員が同じように驚いた。どの言葉に反応したのか分からんが、アリーシュが唐突に怒鳴り声を上げたからだ。
(あーびっくりしたあ……こいつ自分の外見気にしていたのか……)
怒り肩でナディを睨んでいる、睨まれているナディは口をぽかんと開けているだけだ、意外と肝っ玉も大きいらしい、驚いていなかったのが唯一こいつだけだった。そして事もあろうに、
「………え?女性だったんですか?私てっきり同い年の男の子かと……」
「ほら!これを見てみろ髪の毛もきちんと長いだろ!」
そこで軍帽を脱ぐとふわりと長い髪の毛が落ちてきた。
「どうだ!こんなに長い男の子がいると思うか?!というか私は君より絶対に歳上だ!」
「ど、どうどうアリーシュさん!ナディちゃんも悪気があったわけでは!」
「どう思うヒイラギさん!私は男に見えるか?!」
「えっ!」
ええ?そこで真っ先にホシへその質問をするのか?これは思っていた以上に事態が進行しているらしい。固唾を飲んで黙っていた、とくに女好きのリョウがホシを強く睨んでいた。羨ましくて仕方がないのだろう、既婚者のくせに何を嫉妬しているのか。
笑いを堪えながらホシが何と答えるのか見守っていたが、そこへヴォルターが水を差した。
「おい、下らない話で盛り上がるつもりなら俺らは帰らせて「下らない?!これは私にとって死活問題だ!あなたのように行き遅れた人には分かるまい!!」
「んだとこの野郎お!!」とヴォルターが怒り始めたのでついに笑い声を上げてしまった。本当に面白い奴らがここに集まってくれた、良いじゃないか、陸の上で退屈していたんだ、これぐらい人に恵まれても文句はあるまい。
✳︎
「────特別調査チームを、結成……した?」
「はい、参加する組織は民間企業のユーサ、それからウルフラグ国防軍傘下の海軍、そして僕たち厚生省所属の保証局です。明日、早速一回目の調査任務が開始されます」
...信じられない、たったの三日で?ここまで進展させたというのでしょうか...私たちマキナは五年という歳月を費やして、ようやく得られた結果は一つだけだというのに──。
三日ぶりに彼らが訪れていた。それも急な来訪だったためにろくすっぽおもてなしも出来なかった、けれど彼らは意に介した様子も見せず淡々と報告をしてくれた。つまり、ノヴァウイルス摘出のために政府、軍、民間が一体となって動き始めるという事だった。
(凄い…凄いとしか言いようがありません、私なんか政府一つを相手にするのがやっとだというのに……)
これが人の子、という事でしょうか。その行動力たるや、ティアマト・カマリイが恐れるのも頷けるというものです。彼女は何かと人を────いいえ、今はそれよりも彼らの相手をしなければ。
「──分かりました。あなた方の調査で何か判明した事はありますか?大変恐縮ですが、教えていただけたら幸いです」
「何故あんたがそこまでやる?元はと言えば流出させた側が悪いんだろう?」
話を信じるならば、と一言付け加えてヴォルターが私に視線を合わせてきた。
「お前さんが責任を感じる必要はないと思うがな」
「そうですね、あなたの仰る通りかと思います」
先日同様、ヴォルターの隣に腰を下ろしていたホシはしきりに海の方へ視線を向けていた、海中が珍しいのか、それとも気になる生き物でもいたのか、その目は見ているというより何かを探っているようだった。
「──どうかされましたか?」
まだ言うべき時ではないと判断し、ヴォルターから視線を外してホシへ話しかけた。
「いえ……ここから何か分からないものかと思いまして……」
「それが分からないからこうして俺たちに話が来たんだろうが、今さら何を言っているんだ」
「ああいえ、そのウイルスもそうなのですが昨夜の発光騒ぎについても、何かしら無いものかと……グガランナ・ガイアさんは何か知りませんか?」
エモート・コアから発せられる、聞いたことがないアラート音に気を取られながらも何とか答えた。
「申し訳ありません、その事象については報告伝いに知っておりますが、その時間帯はマテリアル・ポッドで調整を行なっていました」
「まて……ポッド?それは何ですか?」
「そんな話はこの件が終わってからでいいだろう。とにかく、俺たちは明日から調査に入る、すまんがお前さんの連絡先を教えてくれ」
「────れん……らく……さき?とは、一体何でしょうか?」
「えー……と、この機械は何か分かりますか?」
そう言ってホシが小さな端末を取り出した。
「ああ!それのことですか!電話ですよね、すみません、聞き慣れない単語でしたから……少しお待ちください!」
確か、五年前にも政府へ用件を伝えるために作ってもらったあれがあるはずだ、慌てて駆け出して客室エリアの奥へと向かった。
(初めて名前を呼んでもらえました!)
私たちマキナのフロアにはいくつかのエリアがある、一つがここ、人と対話をするために設けられたエリア、このエリアが最も華やかしい。次にマテリアル・コアを調整する簡易ポッドが置かれているエリア、一応全マキナのマテリアル・ポッドが存在するが使っている者はごく一部だ。このエリアは大変質素でありまるで独房のような印象がある。他にも電算室であったりパブリックスペースがあったり、人に習った生活を送れるだけの居住空間があった。しかし、マキナの本懐は自分たちに与えられた役割をこなす事にある、即ちサーバーから人類を見守り守護していく務めだ、私のようにマテリアル・コアを製造して現実に介入している方が珍しい。
逸る気持ちを押さえて作ってもらった電話に辿り着くがそこではたと思い至る、どうやってこれにかけさせたらいいのか皆目見当もつかなかった。連絡先がどうと言っていたような...監視でもしていたのか、はたまた興味がやはりあったのか、ちりりんと電話が鳴り始めた、使い方なら分かる。
「もしもし、ティアマト?」
[番号ならもう設定してあるわ、けれど誰彼構わず教えるのだけは止めてちょうだい。他の子たちが騒いでしまうわ]
「ありがとう、どうせならあなたも話しぐらいしてみては?きっと気に入ると────」
耳に当てていた受話器から何も聞こえない、言いたい事を言ってすぐに切ったようだ。いずれ皆が顔を合わせる日が来るかもしれないと、作ってもらったパブリックスペースに置かれたモニターに並んだ数字が表示された、あれがこの電話に繋がるコードらしい、それを記憶し抑えられない逸る気持ちと共に彼らの元へ走り出した。
(ああ!ようやく!ようやくここから抜け出せるのですね!)
──ずっと、待っていた。この牢獄から抜け出せるに足る理由を、それならば仕方がないと言われる程の理由を。私を────。
正直に言おう、ノヴァウイルスなる物がこちらに感染したという知らせは、私にとってはただの吉報に過ぎなかった。いずれ外へ出られるのだ、彼らだけで完遂出来るとは思えない、やがて私たちマキナの力を当てにする日が来るはずだ、その時こそ私は───。
高鳴る胸を、どうしたって無視することが出来なかった。
※次回 2022/1/15 20:00 更新予定