第4話
.That is power
ユーサ第一港から帰ってきた僕たちは二手に分かれて仕事に取りかかった。ヴォルターさんは局長へ報告に、そして僕は海軍へ連絡を取っていた。そのお相手はリヒテン・シュナイダー大佐、ビレッジコア近海の防衛任務にあたっている指揮官だ。
「お忙しいところ申し訳ありません──」
デスクに腰をかけて受話器を取った、先週末まで続いていたデモ行為の報告書や隣国から紛れ込んできたテロ組織による被害状況報告書で散乱している。そういえばまだこの仕事を片付けていなかったなと、繋がった相手に要件を伝えながらそう思った。
「急なお電話失礼致します、保証局のホシと申します」
[用件は何だ?番号を間違えただけなら即刻切るぞ]
早速これである、担当オペレーターからお目当ての人に繋げてもらったのだが...互いに仲が悪いのは先述した通り、そのくせ誰がどこに所属しているのか頭に叩き込んでいるのだ。大佐クラスの人間が僕のような末端の名前まで知っているのはこのせいである。
ポケットに入れてある携帯が震え出した、しかし受話器をお留守にするわけにもいかないのでリヒテン大佐を優先させてもらった。
「実は折り入ってご相談したい事があります、差し支えなければ今日のご予定をお伺いしてもよろしいですか?」
不機嫌だったその声音に疑惑の色が追加された。
[何い?相談したい事がある?この私にか?]
「はい、お電話では申し上げ難い事ですので良ければ直接お会いしてお話したいと考えております」
たっぷりと間が開いてから返答があった。どこかの埠頭にいるのか、遠くから船の汽笛が耳に届いていた。
[……いいだろう、空軍に貸しを作ってやるのも一興だ。定時報告会までなら時間がある、今すぐこっちに来られるか?]
え、まさかの一発オーケーなの?この後リヒテン大佐の居場所を教えてもらい電話を切った。向かう場所はユーサ第一港と第二港の間にあるウルフラグ海軍所有の軍港だ、ここから車を飛ばして二時間弱の所である、順調に辿り着けば話をするだけの時間はあった。
手早く荷物をまとめてオフィスを出る、すると報告終わりのヴォルターさんと鉢合わせをした。
「今からリヒテン大佐に会ってきます」
「ほう珍しい、あの曲者の集まりが良くお前の話を聞き入れたな」
腹は立てても拳は出すなと、良く分からないアドバイスを貰ってエレベーターへ向かった。
(あ、そうだ、電話)
思っていた通り煙草臭いエレベーター内で携帯を取り出し着信履歴を確認すると、新しく登録されたばかりの番号であった。
「え、こんなに早く?」
まさか私用ではあるまい、慌てて電話をかけてみれば三コールですぐに繋がった。
[あ、もしもし、リッツ・アーチーです、さっきはすみませんでした、今電話大丈夫っスか?]
「こちらこそ先程は出られずに申し訳ありません。それでご用件は?」
[それがっスね、聞き取りしてみたんスけど耳寄りな情報を得られたので早速電話した次第っス]
えー嘘っだあ、別れて二時間も経ってないのにもう進展があったというのか?これはリヒテン大佐に電話をすべきではなかったのかもしれない、いやいや、信憑性が増す情報があれば海軍を動かせる取り引き材料になるだろうと思い直して教えてもらうことにした。
[それっがスね〜…]
エレベーターを降りて駐車場へと向かう道すがら聞いた話では、異変が二つ程あるそうだ。まず一つは潮の流れに変化があったらしい、潮の満ち引きにより海水の流れが変わってしまうのだが干満時でもない時間帯に転流が起こったそうだ。
「それは高潮後に起こる現象なのではありませんか?確かに潮汐と深く関係していますが必ずしもそうだとは言い切れません」
転流には二つのタイミングがある、一つは干満が入れ替わる時だ。高潮から低潮になった時に潮の流れが変わるのは勿論の事だが、二つ目に潮汐が進行波を帯びている場合だ、この場合は高潮後からある時間を過ぎると流れが穏やかになりいずれ方向が変わってしまう。簡単に言えば、元々進む力を持っていた波が高潮に邪魔をされてしまい、その力を失ってしまうことだ。その事をアーチーさんに伝えてみたのだが、
[ううん…すんません、難しい話はサッパリなもので…ただ、専門家がどのタイミングにも当てはまらないと言ってましたので間違いはないかと…近々調査船を出して観測用ブイに故障がないか調べると聞きました]
「そうですか、それならきっと間違いではないんでしょうね。二つ目の異変は?」
スコールでずぶ濡れになってしまった駐車場に到着した、焼けたアスファルトの臭いが鼻をついた。
[ヒイラギさんは曳き網ってご存知っスか?]
「言葉だけなら聞いたことはありますが、詳しくは分かりません」
[曳き網をしている子に聞いてみたんスけどね、獲れる魚が変だって言ってたんスよ。海中に網を投げ入れるやり方と、海底に投げ入れるやり方があるんスけどね、何故だか海中の曳き網で珊瑚やら貝類が獲れたらしいんスよ]
「……つまり、海中の生態系がごちゃ混ぜになっている、って事ですか?」
貝類の中には移動する物も存在するので変だと断定はできないが、珊瑚が海中を泳いでいるはずがない。
[そうだと言い切れないっスけど、海に異変が起きているのは間違いなさそうっスね〜]
アーチーさんの言う通り、グガランナ・ガイアという特異な存在からもたらされた話に信憑性が出てきた。
車に乗り込みエンジンをかける、電話を切る前に気になっている事を口にした。
「もしかして、僕らのために無理をされましたか?こうも早く情報がもらえるだなんて思ってもいませんでしたので」
[いやいや、情報はスピードが命でスからね、お役に立てないと意味がありませんから、それだけっスよ]
そうだろうか...あの場面で提案してくれただけでもこちらとしては御の字だ、役に立つ立たないはまた別の話のような気もする。
「そんなことはありませんよ、確かに情報も大事ですがお声をかけてくださっただけで感謝しています」
すると、あんなにすらすらと喋っていたアーチーさんが急に黙り込んでしまった。何かおかしなことを言ったのだろうかと不安になると、どこかうわずった声で返事があった。
[い、いやあ!そ、そうっスか!そんな風に言われたの初めてなもんで何と言えばいいのか……私ってこんな性格だから嫌がられる時もあったりとか、いやいやこんな話関係ないっスよね!すんません、お仕事頑張ってくださいっス!]
はじゃあ!とか初めて聞く挨拶をして電話が切られた。お礼を言った程度であんなに慌てるだなんて、あまり男慣れしていないのだろうか...いやいや、そう邪推するのは相手に失礼だ。
(次行く時は何か手土産でも持って行こうかな、それぐらいの事はしてもらったんだし)
よくよく考えてみれば自分も異性に慣れているわけではない、幼少の頃から訓練ばかりしていたのだから仕方がないと言えば仕方がない。
貴重な情報を得られたところで車を発進させ、リヒテン大佐が待つ軍港へとハンドルを切った。
✳︎
私たちが乗る漁船にもいくつかの種類があった。昨日乗った漁船の正式な名前は「曳網漁船」、そのまんまである。次に底引き網をするための「トロール漁船」、何だか強そうな名前である(棍棒とか持ってそう)。さらに漁船自体にも大別される種類が存在し、漁を行なう漁船は「漁猟船」、遠洋にて漁業を行なう場合は「母船」及び「工船」、他には「運搬船」と呼ばれるものまであった。母船の役割は漁猟船が獲った魚を受け取ってまとめて港へ運ぶものであり、工船に関しては船内に加工場を設けて海の上で新鮮な魚を美味しく頂くということである(多分違う)。この二つの船は遠洋にて効率的に仕事を進めるためのものであり、私たちのように沿岸で漁をする班では利用する機会が滅多にない。担当する海域の違いから仕方ないのだが、だからと言って羨ましいとも思わなかった。
「おっきいね〜、この船で沖まで行くんだよね」
「でっかいですね〜、中に映画館とかないんですかね、沖に出るまですっごく暇そう」
勝手に聞き耳を立てていた班長が勝手にどやしつけてきた。
「んなもんあるか馬鹿たれ!冗談言ってないで真面目に見学しろ!」
班長には見えない死角でぺっ!と舌を突き出した、隣にいるプウカさんがくすくすと笑っている。
私とプウカさんは造船課が所有しているドックにお邪魔させてもらい、他班が使っている大型船の見学をさせてもらっていた。造船課の船溜まりが最も広い、大型から小型まで何でもござれ、見たことがない船まで停泊していた。けれど悲しいかな、見たところできっと家に帰ってる頃には綺麗さっぱりと忘れているに違いない。可哀そうな脳みそである。
(でも見学だなんてラッキーだな〜、ぶらぶらしてるだけで良いだなんて)
案内役は口うるさい班長のみ、その班長も頻繁に抜け出して何やらやっている様子なので実質二人だ。まさにうぇっへっへーい!である、自分でも良く分からないがテンションが高いことだけは確かだ。
だらしない笑みを浮かべていたに違いない私、プウカさんにも見抜かれていた。
「どうしたの?そんなに嬉しそうな顔をして」
「だってー、散歩してるだけで良いんですよ?毎日見学会してくれたらいいのに」
「ナディちゃんは何をしに会社に来てるの……」
あのプウカさんが呆れている、少しは自重しよう。
造船課が所有する船溜まりの奥には大型の造船ドックもあるらしい。陸地の一部を埋め立てその中で一から船を作っているのだ。ダイナミック。作る船の種類は民間に卸す物から海軍が使用する戦艦まで実に様々、その分造船課にはエキスパートの方が大変多く在籍しており皆んなから煙たがられていた。どうしたかって?
「邪魔、どこ歩いてんの?」
「あ、すみません…」
(偉そう)
プウカさんと一緒に頭を下げる、手にタブレット型端末を持っていた社員が舌打ちをしながら去って行った。これだ、皆んな凄く偉そうに振る舞うものだから漁業課も観光課もとにかく距離を置いている。船の製造に関わっているので頭も良いし体力も必要なので、基礎ステータスが高い人にしか務まらない。だからこそプライドも高くなるのだろうが、いくつになってもああはなりたくないなといつも思ってしまう。人に避けられたら終わりだ、私みたいな面倒臭がりは世の中で生きていけなくなってしまう。
(そんな事はどうでも良い)
ちょっぴり傷付いた顔をしているプウカさんと並んで見学を続ける、やっぱり造船課の人たちは怖いですねと言いながら歩みを進めた。
◇
「ちょっといいか、一緒に来てくれ」
船溜まりを一巡して見学を開始した場所まで戻ってくると、班長が渋い顔をして私たちのことを待っていた。陽に焼けて真っ黒、煙草をばかばか吸うくせに真っ白い歯をしている班長だ、名前は覚えていない。
「え、私ですか?」
「馬鹿言え、お前じゃない」
主語って大切ですよ、誰を呼んでいるのかさっぱり分からない。どうやら呼ばれたのはプウカさんのようだ。でも何で?呼ばれたプウカさんも傷付いている顔をしたまま班長に付いて行ってしまった。
(えー、いきなり一人ぼっち?)
何で呼ばれたんだろうか...急ぎの仕事が入ったから、とか?でも今日は内勤でもやる事がないと言われてプウカさんと二人、急遽この見学会が決まったのだ。
造船課の船溜まりで一人、途方に暮れていると後ろからとんでもない声量で怒鳴られてしまった。
「おらぁあそこのぉおお!!!」
「は、はいぃ!!」
およそ人が出せる声ではない、体を揺さぶれる程の大きさだった。慌てて振り向けば私と同じ背丈の老人がすっと立っていた、え?この人が?
「な、何でしょうか…」
「何でしょうかじゃねえっ!!きちっと仕事しろやぁ!!」
「え?仕事?私違います!漁業課の、」
慌てて否定した、てっきり造船課の人に間違われてしまったと思ったからだ。そりゃ就業中に一人でぼうっとしていたら誰でも怒るだろう、しかし違ったようだ。
「てめえがナディだな?!ぼんくらから預かってんだよ、さっさとこっちに来い!!」
「えええ?!いやちょっと!!」
私と同じ背丈、そしてしわだらけの腕に掴まれてしまったのだがこれがまた力が強いのなんの、なすがままでびくりともしなかった。
「な、私こっちの仕事なんてまるで知らないですよ?!いいんですか?!」
「やるのはただの雑用だ!見学会の代わりにぼんくらから預かったと言っただろうが!」
ぼんくらって誰?!ああ、班長のこと!道理で造船課が見学を許可したわけだ、あの班長が私を労働力として売ったからだ!
(ちくしょうめ〜!結局仕事させられるのかよ!)
ぐいぐいと造船課のおじいちゃんに引っ張られて向かった場所は船溜まりより奥、見学が許可されなかった造船ドックだった。
(たっか!こっわ!)
船溜まりからも見えていた高い、高いクレーンの足元には、どうやって排水したのか分からない大きく長方形に作られた造船ドックがあった。欄干から下を覗き込めばお尻がきゅううとなってしまう程に高く、船体の下部が露わになった造船現場も迫力があった。大型クレーンの足元にはおかしな形をした運搬車両が列を作り、その荷台にはおそらく船の部品と思われるこれまたでっかい鉄の塊りが乗せられていた。
(え、え、こんな所で雑用って何をやらされるの?!)
私がこんな所に居てもいいのかと不安になり始めた時、ようやくおじいちゃんが腕をパッと離してくれた。掴まれていた所にくっきりと赤い痕が残っている。
「あそこに入っておけええ!!」
「は、はい!」
言われるがまま、目前にあったプレハブ小屋に突撃して勢いのままに扉を開け放つ、熱せられた空気がむわっと広がり少しだけむせてしまった。
「な、何なんだ、ここは……」
ガラクタの山...?えー...色んな工具箱やらゴミやら...え、まさか...あれだけ怒鳴り散らしていたおじいちゃんが軍手を片手に一言。
「掃除しておけ、要るもんと要らんもんに分けろ、終わったらゴーダまでに連絡するように」
えー。
✳︎
曇天、青空をどこにも見つけることができないこの天気。湿った空気を胸いっぱいに吸い込み、強い風が吹いていないことに惜しむ気持ちを抱きながら会議棟へと歩みを進めた。
連合長もそうなのだが、現場から管理職に上がってからというもの毎日毎日退屈な日々を過ごしていた。運が良かっただけだ、もうここにはいない私の恩人に目をつけられ、女性という立場でありながらも周りの反対を押し切り出世させてくれたのだ。「お前も俺と同じ苦しみを味わえ、そうでないと気が済まん」私が当時課長に就任した際、贈ってくれた花言葉だ、全くもって腹ただしい。
(たまには海に出たいもんだ、事務仕事はいい加減飽き飽きしてきた)
こういう天気こそ血が滾るというもの、悪天候の中で一仕事終えたあの達成感、いつ何が起こるか分からない緊張感、全て自分の判断で事にあたり成功へと導かなければならない難しさ、それもこれも私の恩人から授かった海で生き抜く知恵と力であった。それを試す機会が無くなってしまったのは何とも歯痒い。
会議棟の外階段を上り建て付けが最悪な扉をこじ開け中に入る、潮の音もぴたりと止んで今度は静けさが押し寄せてきた。砂だらけのカーペットを歩いて会議室へと向かう、壁には過去の有志らが作成したユーサ特性のタペストリーが飾られている。何枚か写真も額に収められて飾られているが、その中に過去の私が映っている物もあった。満面の笑みを湛え、男共と肩を組んで漁船の前に並んでいる。その甲板には過去最高と言わしめた大物のマグロが一匹、私が釣り上げた物だ。
(あの頃は本当に楽しかった)
過去の栄光に引きずられながらも会議室の扉を開けると一気に現実が襲いかかってきた。全員渋い顔をしており円型のデスクに視線を落としている、今日は上期の決算報告会だ、誰だって参加はしたくなかっただろう。
「遅れてすまない、早速始めようか」
口火を切ると皆が準備を始めた、それぞれが決算報告書をデスクに出して私を睨んでいる。
「まずは観光課から、手短に」
ユーサ第一港観光課課長のリョウ・マースが口を開いた。外見はパッとしないがメンタルが異常に強く、「告白はオーケーを貰うまで続ける」が心情の女好きだった。
「今期の予測は黒字………かと思われます、売り上げも例年並みでとくに気になる点はありません」
その言葉を受けて漁業課課長のカズ・ウエスタンがせせら笑いを見舞った、かくいう私も何だそれと肩を落としそうになってしまった。
「お前、何言ってんだ?気になる点があるから黒字になるかもしれないって曖昧な言い方をしたんだろうが」
この二人は同期でプライベートでも仲が良い、互いに同じ歳ということもあり何かとつるみやすいのだろう。そのカズ・ウエスタンはリョウ・マースと違ってメンタルが豆腐並みに弱い、「勝てない試合には出ない」と豪語しているヘタれであった。しかし海の上では滅法強く、私ほどではないが大物を何本も釣り上げる、海の女神に愛された強運を持っていた。
「遠慮は要らん」
私も助け舟を出すとリョウが観念したように口を割った。
「はあ…では、現在調査中で、完了する見込みもなかったので発言を控えていたのですが……なかなか潮が引かないんですよ」
「ん?それはどういう意味だ?」
「ユーサ港に隣接したビーチにデートスポットとして設けた場所があるんですけどね、潮が引いた時にだけハート型の模型が現れるように設置したんですけど…それが現れないっていうことでここ最近客足が遠のいてしまっているんです」
そこに造船課課長でこの職場最年長のゴーダ・カズトヨも口を挟んできた。職人気質な老人で絵に描いたような気難しい人物だった。
「馬鹿言え、潮が引かないなんてことがあるか。そんな下らないガラクタを放り込むから海も怒ってさらったんだろうさ」
「いえいえ、ちゃんと模型はあります、浅瀬に沈めただけですのでちゃんと肉眼でも確認できますよ」
「あまりに重すぎて沈み込んだということは?」
「それもありません、目印にしている岩場と比べてみても模型が移動したようには見えないのです」
...そこで、午前中に押しかけてきたあの二人組みの話を思い出した。この海域で何やら用事があると言い、しかし多くは語れないと去って行ったあの元軍人の二人だ。何か関係しているのだろうか...私の隣に腰かけていたリッツに視線をやるとこくりと頷いた、早速何かを掴んでいるらしい。
「あ、ああ、自分の方からいいっスか?お伝えしたい話があるのですが……」
「何だ、また催促か?お前が勝手にやった事なのに随分と厚かましい奴だな」
「カズ、今回はそういった話じゃない、黙って聞け」
「ふん」
あからさまに挑発的な態度を取ったのでカチンときてしまった。
「お前、豆腐並みのメンタルのくせにやたらとリッツには強気だな?ん?何なら海の上で勝負してみろや、手助けしてもらってんのにその態度はないだろ、海の女神もこいつに微笑むぞ?」
さらに渋面を晒して黙り込む、カズはリッツを毛嫌いしている傾向があった。
「あ、ああ、そのっスね、自分が調べた限りでは……その、ここ最近の、」
「声が小さああいっ!!もっとはっきりと喋らんかあああ!!」
「は、はいぃぃ!!」
リッツもリッツでカズに対して苦手意識を持っているためいつもの調子が出てこないようだ、そこへさらにゴーダから叱責を受けたものだからすくみ上がっていた。
(あーあー見てられない、手が震えているじゃないか……)
後でうんと可愛がってやろう、手助けしたい気持ちは山々だが庇ってもこいつの為にならない。震える手で端末を持ちながらリッツが続きを話した。
「え、えーとっスね!午前中に来られた政府の方々がっスね、何やら海に異変が起きたとかで意味深なことを言うだけ言って帰られたんでスが「何だそれ」気になったので調べてみたんスけど、まず潮の流れに変化があったこと、それから獲れる魚にも異変が起こっていたらしいんスよ。マースさんも言われていたんスけど「僕のことは呼び捨てでいいよ」あはは、どうもっス……それでマースさんが言ってたように「あれ、照れ屋さんなのかな」「今すぐ黙れ」潮の流れに変化があったからそのハートマークが現れないんだろうなって、報告以上っス!」
はあと、大きく溜息を吐きながら席に着いた、決して駄洒落ではない。ずっと黙りを決め込んでいた開発課課長のアーセット・シュナイダーがやんわりと口を開いた。ここいらの防衛を担当している海軍大佐を父に持つ男だ。
「良く調べましたね、アーチーさんの言う通りなんですが……ちょっと口が軽すぎるような気もしますね、解明されるまで他言無用と指示を出していたはずなんですが」
それを聞いたリッツが慌てて謝罪を口にしていた。
「す!すんません!教えてもらったのは最近配属されたばかりのコールダーさんでして…半ば私が無理やり聞いた感じなんスよ」
女の情報はきっちりと頭に叩き込んでいるリョウが素早く反応を示した。
「コールダー?もしかして、国内でも随一の貿易商を営むあのコールダー家ご令嬢のライラ・コールダーのこと?」
「そ、そうっス」
「コールダーと言やあ、あのカウネナナイとも商いをやっている連中だろ?うちにも何度か足を運んでいたのを見たことあるぞ」
「そいつぁまた、とんでもないのが入ったきたもんだな。シュナイダー、荷が重いなら俺が変わってやろうか?」
「そんな下らない人材合戦は後にしろ。それよりカズ、お前も現場から何か聞いていないのか、獲れる魚に異変があるって大問題じゃないか」
頭をガリガリと掻いてから観念したように答えた。
「いやあ…今はそれよりもある従業員が辞める辞めないって話になって揉めててな、そっちに手を取られているからそれどころじゃなかったんだ」
「何い?そいつは誰なんだ?」
「沿岸で漁をしている班のライゼンって子だよ。周りから重宝されてるからうちに残ってくれって説得した経緯があってなあ…本人は一年経ったら観光課に移るつもりでいたんだが引き止めていたんだよ」
「それはお前らが悪いんだろうが!何で今まで黙ってたんだ!」
「元から言うつもりがなかった」
「ふざけるなよ!」
秘書官から待ったが入った、話が脱線しつつあったので私も息を落ち着かせた。
「けれど獲れる魚の種類まで分かるものなのか?それは誰からの報告なの?」
リョウのねちっこい視線に耐えながらリッツが答えた。
「こ、今年入社したウォーカーさんでス…曳き網漁で珊瑚やらゴミが沢山獲れたから何か変だって言ってました…」
「ああ、あの子かあ。専門校を次席で卒業した優等生」
「どんな子なの?」
「物覚えも良いし手際も良いし、何より癖がなくて素直だから仕事も捗るって現場の連中が喜んでたよ」
「へえ〜…何だか良い人材がカズの所に偏っているような気もするけど」
全くである。
「だったらお前も一人でシコシコしてないで運つけてみろや、こっちはどれだけ人材に恵まれても大変なんだよ」
「カズ、次下品な事を言ったらナニをもぐからな」
「へいへい」
また秘書官から待ったが入った、さらに小声で「ピメリアさんも下品っス」と言いやがった。
「話をまとめるとだ、保証局の連中が言っていた通り何かしらの異変が起きているとみて間違いはないだろう」
そこへアーセットがさらに待ったをかけた。
「お待ちを連合長、それは些か性急すぎると思いますよ、潮の流れはそう簡単に変わるものではありません。こちらで調査船を出してさらに詳しく調べてきますので結果をお待ちください」
「それでも黒だったらどうする?」
「それは無いと断言できます、潮汐に狂いが生じたということは天体の動きに異変があったということになります。そんな天変地異クラスの問題が起きていればとっくに騒ぎになっているでしょう」
確かに。だが、その前触れを持ってきたのが保証局の連中だ、絶対に何かを隠している。
「リッツ、保証局の人間と連絡は取れるか?もう一度ここに呼べ、詳しく話を聞く必要が出てきた。このまま異変が続けばこの港の損益に関わってくる」
「はいっス!」
「ひと段落したところで、決算報告の続きをしようか」
すると、全員があからさまに溜息を吐いた、タイミングもぴったりだ。
「だから会議は嫌いなんだよ、時間通りに終わった試しがねえ」
「それを言うなら開発課は決算なんて関係がないんだけどね。いい加減この会議は免除にしてほしいよ」
「それが会議だ我慢しろ。次、造船課、」
ゴーダを指名しようとすると、その本人が携帯を取り出して会話を始めてしまった。
「何だ、今会議中────何ぃ?!もう整理が終わっただあ?!嘘吐くんじゃねえ!あんなゴミ溜がすぐに終わるわけ────だったら掃除でもさせとけぇ!!────は?それも終わってる?」
珍しい、あの堅物が素っ頓狂な声を上げている、どうやら部下とやり取りをしているみたいだ。会議室にかけられた時計をしきりに見ている。
「嘘吐いたら承知しねえからなああ!!今すぐそっちに行くから待ってろおお!!」
会議中にもかかわらずゴーダが勢いよく席を立ち出て行こうとしたので止めに入った、この場にいる全員が。
「待てコラあ!!逃げんなやああ!!」
「逃げるのは卑怯ですよカズトヨさん!!」
「カズトヨさん、まだ報告が終わってませんよ」
「ゴーダ!今すぐ席に着け!会議が終わらんだろうが!」
それでも無視するゴーダ、表情がどこか嬉しそうにしているのが目に付いた。
「何かあったんスか?」
リッツの問いかけにようやく答えた。
「おいカズ!おめえんとこに面白い奴が入ったみてえだな!数年間ほったらかしにしてた物置き小屋の整理をたかが一時間でナディが終わらせやがったぞ!」
「ああ?つか、あんた人様の従業員に何やらせてんだよ!」
「ナディ・ウォーカー!掃除も終わらせてこのわしを驚かせるとあ気に入った!」
呵々大笑としながら颯爽と会議室を後にした、だから残れっつってんだよ!!
✳︎
またしても、ポケットに入れてあった携帯電話が震え出してしまった。
(嘘、また?アーチーさんって実はやり手の人なのかな…)
きちんと画面を見ないと誰から着信が入ったのか分からないが、こっちに友人があまり多くない僕の携帯にかかってくる電話なんてたかが知れている。見ようか見まいか逡巡していると、お目当ての人物が現れた。
「待たせたようだ」
渋滞に出会すこともなく時間通りに着いた場所は、ウルフラグ国防海軍ビレッジコア方面基地と呼ばれる軍が所有する港だった。年季の入った建物が並び、過去の戦争でカウネナナイにつけられた傷跡も各所に残っていた。いくつかの湾入状のドックを抱え、その一角に建てられた管制塔の中腹に大佐の執務室があった。百八十度に開かれた執務室から曇天の下に居並ぶ各戦艦の姿が見えていた、そしてそれらを従えるように鍛え抜かれた体格をした偉丈夫こと、リヒテン・シュナイダー大佐が堂々と僕の前に立つ。胸に飾られた勲章が彼の功績と力強さを証明するように輝いている。現役時代に我慢し抜いた反動で、煙草をふかす指揮官はとても多い、彼もその例に漏れず太い葉巻きに火をつけた。
(煙草と葉巻きは違うんだっけ?吸わない人間からしてみればどっちも同じにしか見えない)
「で、用事とは何かね、空の猛者が海の犬に尻尾を振るなんざ前代未聞だ」
「お時間を頂き感謝致します。カツラギ局長からも要請があった件について、進展がありましたのでそのご報告と再度出動要請をお願いしたく参りました」
「聞こう」
立派な革で作られた椅子があるというのに大佐はデスクに尻を乗せただけの姿勢を取った。一見、砕けた様子で親しみ易さを演出しているようで、その実これも一つの皮肉だった。「姿勢を正してまで聞く価値は無い」という意思表示だ、この下らない皮肉合戦が各軍で行われているのだから抜け出して良かったというものだ。
「首都近海に異変が生じております。それもウルフラグ政府から受諾した件に端を発するものなのですが、」
「ああ、聞いているぞ。グガランナ・ガイアというSF的存在からもたらされたこの世の黙示録であろう、違うか?」
「ご存知なのですね」
これは意外だ、大佐が「SF」という言葉を発したことは...まあ、あまり関係ないのだが、「グガランナ・ガイア」という存在を容認していることだ。
「軍内部でも噂が流れている、また新しい戦が起こりそうだと言ってな。で、この海に異変が起きている、だったか?」
葉巻きを持った手で窓の外を差した、その口角が馬鹿にしたように歪められているのは言わずもがなだ。
「どこにミュータントが潜んでいるんだ?ん?我々が日々の任務を怠っていたとでも言いたいのか?」
「敵性体を捉えたわけではありません。まず一つ、潮の流れに異変が起きていることと、二つ目に海中の生態系にも異変が起きていることです」
馬鹿にしていた顔から一転真顔になり、次の瞬間には口を大きく開けて笑い始めた。
「だぁーっはっはっはっ!!そんなもの当たり前ではないか!!ここにどれだけの船があると思っている!!任務で戦艦を出せばいくらでも流れが変わるだろうが!!」
そのあまりの笑いっぷりに「そうかもしれない……」と思いかけたが、潮の流れという言葉を誤解しているように思えてきた。天体の動きと密接に関わり合っている自然現象の転流ではなく、大佐が言う流れとは戦艦が通った後に起こるただの航跡のことだ。
「いやはや…空軍にも面白い人材が入ったようだな…こんなに腹を抱えたのは久しぶりだ」
「いえ、私は空軍ではなく保証局、」
「いいだろう!お前の話を聞いてやる!」
あれ、何か気に入られた?大佐専用の椅子を引っ張って僕に勧めてきたではないか。
「え、これに座るんですか?」
「見れば分かるだろ!さっさと座って話を続けろ、定時報告会までの約束だったからな」
やり難いったらない、大佐を目の前にして自分だけ腰を下ろすだなんて...しかし気にしなくても良さそうだ、何故なら、
「空軍を相手に見下ろしながら話を聞く機会なんざそうそうない。好きなだけ話せ!」
(この人頭おかしいんじゃないのか)
ならば遠慮なくと、次の異変についてこんこんと説明してあげるとすぐさま受話器を取り上げた。誰かをここに呼ぶらしい。
「誰かお呼びになったのですか?」
「掃海部隊を指揮していた指揮官だ、ここ数日内で海に取り残れた機雷の処理をしていた」
「まさか、その機雷の影響を受けたのでしょうか」
「詳しい場所を報告させる、それに何かしら異変に勘づいているかもしれん」
掃海部隊とは、機雷を主兵装として戦う戦艦群のことだ。平時の際には不発弾として残った機雷の処理を行なうなど、言わば機雷のスペシャリストたちの集まりだった。
室内に現れた指揮官は驚いたことに女性だった、未だ幼さが残るあどけない顔立ちに薄い金の髪、それからブルーの瞳が真っ直ぐ大佐を捉えていた。
「アリーシュ・スミス到着しました!」
完璧な礼をして微動だにしない。幼いのはどうやら外見だけのようで、その声には強い意志と高い責任感を思わせる力が宿っていた。
「楽にしろ」
「はっ!」
被っていた軍帽を脱ぐと隠れていた髪の毛がふわりと舞った、どうやら一本に括って無理やり押し込んでいたらしい。
「先日行われた機雷処理任務の詳細を述べてくれ」
「はっ!一○(まる)三五から三○まで、掃海隊群所属掃海母艦ハレー、掃海艦エンカ、ビーレで実行、当港より南東方面七十キロ地点より沈底機雷七発、係維機雷八発の計十五発を処理致しました!」
専門用語が飛び交う報告内容であったが、僕たち軍人(こういう言い方はとても嫌だが)は時間を読み上げる際は聞き間違いがないように数字を別の読み方で告げる、さらに機雷もいくつか種類が存在し「沈底」は海底に沈める機雷で「係維」はおもりを付けて任意の水深に設置する物だった。作動方法には接触した時に爆発する「接触機雷」、艦艇の水圧や音響などに反応する「感応機雷」などがあった。どれもこれも過去の戦争の際に敵味方問わずに残していったはた迷惑な置き土産であった。
大佐が葉巻きを一口分吸った後、煙草とはまた違った臭いがする煙を吐きながらさらに詳細を求めた。
「その時に何か異常はあったか?気になる点でも構わない」
「はっ!とくにありません!」
「だそうだヒイラギ、我々の任務で悪影響を与えたとは考え難い」
う〜ん...機雷の爆発に珊瑚が巻き上げられた、と言われたらそれまでの気もする。その後浮遊した状態でユーサの漁船がそれを曳き網で獲ったとなれば、別におかしな所はない。ユーサがどの海域で漁をしていたのか、詳しく聞く必要があるなと思い至った時、真っ直ぐ前を向いて休めの姿勢を取っていたスミス大尉が「あっ!」と声を張り上げた。
「何だ?」
そのシュールな光景に思わず吹き出してしまいそうになり、ほんの少しだけ頬を染めた大尉にギロリと睨まれてしまった。
「はっ!探査機に搭乗していた上等兵がおかしな事を言っておりました!」
その報告内容を聞いてさらに吹き出してしまいそうになり思わず俯いた、真面目な口調で「おかしな事!」と言ったので面白くて仕方がなかった。
「おかしな事?」
しかし、スミス大尉の話を聞いて、僕たちが置かれている状況がいかに特殊で複雑か、思い知らされたのであった。
「機雷の探索の際に珊瑚が海中を泳いでいると言っておりました!さらに探査機のコントロールが沖合に向かって奪われるとも言っておりました!」