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第3話

.That is money!!



 誰かがそうあれと祈ったのか、それとも単なる空の気紛れか、今日は生憎の曇り空であった。昨日の快晴が嘘のよう、これではナディも曇って見えてしまうと私の心にも影が差す、しかし、今日の案内役が誰になるのか分からなかったため杞憂に終わると思われたのだが...


「おはよう」


(ばっちりナディ!)


 動揺する心を抑えつけて何とか挨拶を捻り出した。


「おはよう」


「朝ご飯はもう食べた?」


 え、私はてっきりもう一人の女性が間違えてここに来るものとばかり思っていた。だって、連合長はナディの名前を聞かず所属している職場だけを聞いていたから、もう一人の人が、


「どうかしたの?」

 

 パニックに陥り黙り込んでいた私の顔を覗き込んできた、首を傾げた拍子に前髪がはらりと落ちる、赤いピアスを付けたその小さな耳が露わになり思わず視線を奪われかけてしまった。


「う、ううん何でもない、その、あなたは?」


「私?」


 ナディが自分で自分を指で差してから、顎に指を当ててううんとさらに首を捻った。


(可愛い)


「私はそうでもないかなあ〜、ライラさんが平気ならこのまま行こっか、って言ってもそんなに詳しくないんだけどね〜」

 

 あはははと乾いた笑い声を上げ、私たちしかいないがらんとした食堂の出口へ向かって歩き始めた。

 まずまず...?どうだろう、変な事言ってないよね...?いや、ちょっとどもりはしたけどそこまでおかしくはないはずだ。こうしてナディと二人っきりの二度目の職場見学が曇り空の下に始められた。心臓の音は朝起きた時からずっと早いままだ、このままの調子ではたして保つのだろうか...



✳︎



「よし、跡を追うぞ」


「マジでやるんスか?ここまでします?普通」


「いいからさっさと行け!」


 あの二人に声が届かないよう、小さくどやしつけると私の隣で身を伏せていた秘書官が慌てて駆け出した。

 まさかこうも早く人材を寄越してくれるとは思っていなかった、連合長に就任した時から推し進めていた「女性推進計画」の一環として、未だに男連中がひしめき合っている開発課に女性を誘致したかったのだ。開発課の連中が決して無能だからではない、むしろ優秀な部類に入る。しかし、その向上心と自尊心の高さから一般採用の社員の登用を断り続けるわ造船課と喧嘩するわ、とにかく周りと歩幅を合わせようとしない偉そうな奴らがとても多かった。そこへ女性を一人放り込むのは確かに実験とも呼べる無謀な行ないにも見えるが、今後の事を考えるなら新しい風を取り入れて職場環境を刷新していく必要があった。それだというのに...

 

(こんなタイミングで厚生省の連中がうちに来るっていうんだ、呼び戻しに来たに違いない)


 何が何でも邪魔するつもりでいた、勿論あの二人には内緒で。


「ところで、あの二人は仲が良いんスか?」


「知らん、今日仲良くなればいいだろう」


 食堂を出て階段を降りていく二人を見ながら秘書官であるリッツが額に手を当てて、あからさまに被りを振った。


「何だ、何か言いたいことでもあるのか?」


「これだからロートルは…最近の子は皆んな繊細で遠慮しがちなんスよ、それなのにいきなり二人っきりにさせるなんてガサツにも程がありまスよ」


「偉そうに、それに私はまだまだ現役だ」


 階段を降りて左手に曲がり開発課の方へと足を向けている二人、視線は真っ直ぐ固定されたままで会話をしている様子はない。どことなく固い雰囲気に包まれているようにも見えた。


「どうすんスか?せっかく入ってくれたのにこのままだったら向こうに帰りかねませんよ、もう厚生省の方々が来る時間スよね?」


「だからこうして跡をつけているんだ、奴らがあの二人に接触しそうになったら海へ投げ入れろ」


「何それちょー面白そう、本当にやっていいんスか?!」


「ああ、首が飛ぶのはお前だけだからな」


 ふざけんな!とリッツが抗議の猫パンチを放ってきた。遊び人のくせに抜け目がなく、港内でも割と顔が知られているので就任した際に観光課から引き抜いてやった。礼節はさっぱりだが性格もさっぱりとして付き合い易い相手だ、勿論女性である。

 猫みたいにつり上がった目をきょろきょろとさせて二人の様子を観察している、リッツの言う通り...なのかは確かめようがないが、二人はずっと前を向いたままだ、お互いに気を遣って距離を置いているようだ。


(私らの時は…何て言えば爪弾きにされるから言ったりしないが、雑魚寝が当たり前だったんだけどな…)


 こうして海の匂いと音に晒されていると昔を思い出す、当時は男ばかりのユーサに女一人、この私が入社した時のことだ。面接官にも散々っぱらまだ女性が多い観光課を薦められたがそれを断り漁業課へ、女が入ってきたと珍しがられ、もしくは腫れ物のように扱われた。観光課で働いている女性との共同生活は十畳一間、プライベートもへったくれもないような環境で過ごしていたのだ。それを今の子に分かれというのも...まあ確かにお門違いのような気もする。


「リッツ、何かきっかけを作ってこい、見ているこっちまで緊張してしまう」


「無茶振り!」


「いいからさっさと……ん?ちゃんと会話しているじゃないか」


 リッツの背中を押そうとすると、前を歩く二人がようやく顔を合わせて会話しているところだった、一体何を話しているのやら。



✳︎



(怖いんですけど、何でついてくるの?)


 後ろに二人、連合長と見たことがない少年のような女性が食堂を出てからずっとついて来ていたのだ。ライラさんに聞いても分からないと、そりゃそうだ。

 そのライラさんもずっと黙り、涼やかな視線を前に向けたまま何も話しかけてこない、もしかしたらユーサに居ること自体が嫌なのかもしれなかった、だって政府からやって来たんだし、本当はあっちで働きたかったのかもしれなかった。私の方からえいやと声をかける。


「ライラさ、」

「あの、」


 まさかのシンクロ、向こうも話しかけてきた。調査船や深海調査に使われている探査機が並ぶ船溜まりで二人、はたと立ち止まった。どうやら無口ということではないらしい。


「ごめん、先にいいよ」


「う、ううん、なっ!…ナディさんから、で」


 あれやっぱり無口な人なのかな、必死になって話をしている様子を見てそう思い直した。


「そう?もしかしてライラさんってこっちに来るのが嫌だった、とか、したりする?」


「……え?どうして?」


「いや、昨日からずっと元気がなさそうだったしあんまり気乗りしてる感じでもなかったからさ、そうなのかなって」


「私の事、知ってたの?」


 うん?


「え、そりゃまあ…凄く綺麗な子がうちに入ってきたって皆んなで騒いでたから。私もどんな子何ですかって聞いてたし」


「き、綺麗だなんてそんな、な、ナディさんの方が…」


「えーやだなあ、そんな事ないよライラさんの方が綺麗だよ………ん?私の名前知ってたの?」


 赤くなっていた頬が途端に青ざめ始めた、ころころと顔色が変わる表情が賑やかな子らしい。


(面白い)


「そ、それは他の人から教えてもらったわけで、そういうナディさんも私の名前を知ってたの?」


「昨日食堂に来てたよね?それでライラさんの名前が呼ばれたからああそうなんだって。私の名前は誰から聞いたの?」


 決して有名人というわけではない、皆んなが私の名前を知っていたとも思えないので誰から聞いたのか気になったので聞いてみると、


「ろ、ロッカールーム……ち、違う!そうじゃなくて!」


「え、ロッカールーム?」


「ちょっといいか?」


「え?」

「え?」


「───ぅぅうおおりゃやああ!給料のためにーーー!」


「ん?」

「え?」

「え?」


「っ?!?!こら!!お前!何をしているんだっ!!」


「え!」

「え!」


「ちょちょちょ!何をやっているんですかあなた!ヴォルターさんが落ちてしまいます!」


「こんのっ──ホシ!こいつを引き剥がせ!!何なん────」


 どぼおん!!と飛沫を上げながら見たこともない男性が海に落とされてしまった。



✳︎



「………」


「………」


「私がこの港を預かる連合長のピメリアだ。そういった用件なら事前に話を通しておいてほしかった」


「すみませんでした」


 ぺこりと、ヴォルターさんを落とした女性が頭を下げた。しかし、指示を出したと思われる連合長は一切頭を下げようとしない。

 怒涛の展開だった。到着したユーサ第一港、連合長の執務室がも抜けの殻になっていたので辺りを散策し見かけた先程の社員二人に尋ねようとすると、頭を下げた女性がいきなりやって来てあろうことかヴォルターさんを海に落としてしまったのだ。何とか引き上げ替えの服に着替えさせてもらって今に至る。びしょ濡れになっていたヴォルターさんは今なおご立腹だった。


「これが通常業務でしたら即刻上に通報させて頂くところでした、そちらさんにも事情がおありのようで理解致しましたが今後は仲良くやりたいものです」


(こっわ。やり辛いな〜)


「で、海中探査の結果だったか?そんなもの調べてどうしようってんだ」


「そちらさんには関係無いことです、見させてもらうだけで十分ですので」


 いやいや、最初は協力してもらおうと...ああ、もうその気が無くなってしまったのか。仕方がないと僕の方から説明することにした。


「保証局の方で調べている事がありまして、この海域にどうやらあるらしいと判明したのでお邪魔させていただいた次第です」


「何を調べているんだ?それを教えてもらわないことにはこっちから何も出せないぞ」


「一通りの結果を出して、」


 ヴォルターさんの話を遮りぴしゃりと連合長が言い切った。


「海中探査ってのは潮の流れから魚の種類に分布、それから海底の地形から地殻変動後の様子まで様々なんだ。これを全部出せって言うのか?」


「………」


「あー…そうですね、そう言われてみれば確かに…」


「お前ら何しに来たんだ?」


 どうしてこの人は僕たちにこう言葉が厳しいのか...海の関係者には荒くれ者が多いと聞くがそれらの類いではあるまい。かといって本当の事を告げるわけにもいかない、そもそもまだ確証ある事象でもないんだ、他所の場所から持ち込まれたウィルスを調べたいだなんて言えやしなかった。

 ぴりぴりとした雰囲気の中、連合長の隣に座っていた女性が助け船を出してくれた。


「あー、資料保管庫に案内してあげるのはどうっスか?調べたい事があるなら後はご自身で、ってやつで」


 それは有り難い話ではあるのだが...


「馬鹿言うな、あそこには軍から預かった資料もたんまりとあるんだぞ?国防に関わる物にまで手を付けるって言うんなら私たちの判断だけで許可は出来ない。そういった令状も持っていないんだろ?もしくは海に落としてしまったか?」


「もう結構です。邪魔をしたようで、これで失礼させていただきます」


 連合長の皮肉に怒ったヴォルターさんが腰を上げ、さらに連合長が追撃してきた。


「邪魔したという自覚があるんならそれでいい」


 無言!何も言わずに連合長を掴みにかかったので一瞬だけ対応が遅れてしまった。


「ヴォルターさん!」

「ピメリアさん!余計な事まで言わなくていいんスよ!」

 

「──んだと誰が余計か言ってみろお!!」


 もうてんやわんや、ヴォルターさんに怯むことなく連合長も応戦し始めたので二人を引き剥がすのにとても苦労した。



 リッツ・アーチーと名乗った女性は驚いたことに秘書官を務めているらしい、少年のような顔立ちをいくらか曇らせて頭を下げてきた。


「ほんとすみませんでした、うちの連合長はクーラントさんみたいな人を毛嫌いしていまして…元軍人の方っスよね?」


「まあ…それなら僕も前は軍に所属していましたけど…」


 曇らせていた表情をぱっと変えて、僕の顔や体に視線を行ったり来たりさせている。


「え?そうなんスか?でもどこにもありませんよね」


「まあその、それは口に出来ないというか…」


「あ!すんません、ついじろじろと。あー、良ければ私の方から色々と聞いてみましょうか?海に探し物があるんスよね、もしかしたら社員の誰かが何かに気付いているかもしれません」


「いいんですか?それは願ってもない話なのですが」


「まあ、持ちつ持たれつってやつっスよ、私も困ったことがあればその時は〜ってやつでお願いします」

 

(しっかりしてるなあ、この人)


 持ちかけられたギブアンドテイクの話に乗ることにした、互いに連絡先を交換して駐車場前の入り口で別れヴォルターさんが待機している車へと足を向けた。結果的に収穫はゼロだ、出会いが悪印象だったこともあり話し合いが難航したこともそうなのだが、こちらが抱えている問題があまりに特殊過ぎるためだ。実際に話す場面になってから思い知らされてしまうのは準備不足と言わざるを得ないが、事情を打ち明ける相手は見極めないといけない。

 厚く垂れ込めた曇り空の下、ヴォルターさんが運転席に身を沈めている車に到着した。窓は下げられており中で紫煙を燻らせているようだ。


「遅くなりました」


 社員食堂で買った缶コーヒーの空き缶に煙草を捩じ込み、僕が乗る前から車のエンジンをかけている、余程ここから早く離れたいらしい。助手席に座ると同時に車が発進し、首都方面へ向かう幹線道路に進路を取った。


「で、これからどうしますか?思い切って軍に要請をかけてみましょうか」


「できれば話かけたくなかったんだがな」


「それか、局長にギブアップ宣言をしに行くかですね」


「そんなダサい真似ができるか」


 窓は下げられたままで湿気を多分に含んだ風が車内にも入ってくる、僕の右手にはヤシ科に属する南国特有の木が等間隔に並んでおり、その向こうには後にしたばかりのユーサの建屋があった。このまま真っ直ぐ向かえば国道に乗り上げさらに右手に進路を取れば、昨日向かった国立海洋研究所へと行くことができる。

 潮風と湿気と、車内に残った煙草の匂いでむせ返りそうになりながらリッツ・アーチーの件をヴォルターさんにも伝えることにした。


「先程の秘書官が内々で調べてくれるそうです、一応連絡先も交換してあります」


「秘書官?あれがか?連合長の身内じゃなかったのか」


「みたいですね」


 喧嘩っ早いがその分根に持たないのもヴォルターさんという人間だ、海に突き落とされた件について触れることはなかった。

 国道に進入し進路を左に取った、ここから数十分でビレッジコアに到着する。正面に首都のビル群を捉えた時ヴォルターさんから早速指示が下された。


「向こうに帰ったらお前はリヒテン指揮官に連絡を取れ、昨日も船を出してくれた局長の犬だよ、すぐに頷いてくれるだろうさ」


「そういうヴォルターさんも…」


「あ?」


「な、何でもありません」


 つい余計な事を。リヒテン指揮官は首都近海の防衛を担当している海軍所属の大佐だ。

 ウルフラグの軍は全部で空軍、陸軍、海軍の三つから構成されており、ウルフラグ政府とは独立した権限と執行権を有している。基本的な姿勢は国防に努めることにあり、敵国が侵入した際も政府の要請無しにこれを迎撃する義務があった。他にはウルフラグ政府内で認可された案件についても、要請を受理する義務があり軍内部で協議にかける権利があった。言うなれば、「今回の仕事はやりたくないので拒否します」が可能という事である。その逆は無い、基本的にウルフラグ政府とは別の組織なので政策に口出しすることも介入することもできないのだ。これらをまとめて「ウルフラグ国防軍」と呼ばれていた。

 

(リヒテン・シュナイダー大佐か…元空軍の僕を相手にしてくれるかどうか…)


 ちなみにこの三つの軍は全員仲が悪い。力と勲章が全ての世界なので、互いに切磋琢磨し合っていると言えば聞こえはマシになるが...

 煙草の匂いが抜けたのか、ヴォルターさんが窓を閉め切りエアコンをかけてくれた。その事にお礼を伝えると、「そういう事は口にしなくていい」と何故だか注意を受けてしまった。まだまだ歳上連中が何を考えているのか、さっぱり掴めなかった。



✳︎



 ざあざあと雨が降り頻る中、いつもの角席は誰かに取られており長蛇の列をなしている食堂の中でライラさんと二人、順番待ちをしているところだ。

 午前中でほぼほぼ回り終えていたので昼食を取ったらそれで解散だ、勿体ない、というかだな、どうして今日なんだ地球さんよ、昨日に大雨を降らせてくれたら良かったのに。このままでは職場に復帰して仕事をさせられてしまう。

 私の隣に立っていたライラさんがおずおずとした様子で話しかけてきた、開発課前の船溜まり以来である。そう、今の今までずっと無言で過ごしていたのだ。


「今日は、ありがとう」


「ううん、それよりもごめんね」


「え、な、何が?」


「ずっと歩きっぱなしだったでしょ?疲れてない?」


 何度か瞬きをした後、思ってもみないことを聞かれた。


「昨日、」


「え、昨日?」


「うん、昨日も私の髪に付いていた物を取ってくれようと………した、よね?」


 ああ、それの事か、でも何で今?


「う、うん、そうだけど……お邪魔だったよね」


「……お邪魔?何が?」


「だって、あの開発課の人と付き合ってるんでしょ?」


 目を見開き口をぱくぱくさせている、あれ違った?まるで信じられない事を聞いたかのような反応だ。次の瞬間、


「そんな訳ないでしょ!誰があんなもやしみたいな人と付き合うと────」


 剣幕を立てて怒ってきた、その声が食堂中に響き渡り辺りがしじまに支配された。誰もが私たちに視線を注ぎ何事かと見守っているように感じられる。


「──ご、ごめんなさい、急に大声だしてしまって」


「う、ううん!…こっちの方こそごめんね?良かったら外に出よっか」


 私のせいだ、私のせいで余計な注目を集めてしまった、ライラさんが可哀そう、細くて今にも壊れそうな腕を掴んで外へと連れ出した。

 食堂の外、駐車場側にも見晴らしが全く良くないテラスがあり、その手近な席に座ってもらった。軽食しかない自販機コーナーで適当な物と飲み物を買ってライラさんの元に戻ると、その手には立派な財布が握られていた。


「ごめんなさい、私の分まで」


「いいよいいよ、私のせいなんだから、こんな物しかないけど良かったら…」


「うん、ありがとう」


(高そうな財布、私もそろそろ買い替えようかな)


 少しだけ湿っているベンチに私も腰を下ろした、そして最後にもう一度だけ謝ることにした。


「さっきは本当にごめんね、余計な事言っちゃったよね、あんな風にさらっと髪の毛に触ってたから、もしかしたらそうなのかなって思って」


「違うよ、別にあの人とは付き合ってもないし仲良くもないの」


「けど、その割にはずっと一緒のように──ああ、開発課の人だから?」


「そう、何かと私の面倒を見てくれるんだけど距離が近くて…決してそういう関係じゃないからね?」


「うん分かった。ね、さっきの財布はどこで買ったの?」


「うん?これ?これはママから──ち、違う!」


「ママ!お母さんのことママって呼ぶんだ〜へえ〜もしかしてお嬢様だったりする?」


「ち、違うから!これは自分で買ったの!それでこの財布が何?!」


「えーそんなに怒らなくてもいいじゃんか、その財布が大人っぽくて良いなって思ったからさ、で、ママからのプレゼントなの?」


「違うって言ってるでしょ!ママと買い物へ行った時に自分で買ったの!」


「あははは!また言ってるじゃん!」


 もう!とか、ふん!とか言いながら、買ってきたよれよれのハンバーガーを口にしていた。私も私で萎れたウィンナーが挟んであるホットドッグを口にして、きっつい炭酸飲料で胃袋に流し込んだ。


「ね、今度良かったらそのお店に連れてってもらえない?」


「財布が欲しいの?……もしかして拝金主義者とか?」


「は、はいきん?そうじゃなくて、子供の頃から使ってる財布だからさ、いい加減人前で出すのが恥ずかしくなってきて」


「どんなやつ?」


「やだ、見せたくない」


「駄目、見せて、というかどんなやつ使ってるのか見てみたい」


「やだ!」


「いいから!」


 形成逆転?きっとママのことをからかわれて怒っていたのだろう、今度は私がからかわれる番だった。


「見せてくれないと連れてってあげないよ!」


「いいよそれじゃあ!私が勝手に付いて行くから!」


「ふふふっ何それ!一緒に行く意味がないじゃん!」


 今までずっと暗い顔をしていたライラさんがわあっと、花が咲いたような笑顔になった。


(綺麗な人だな、ほんと)


 その笑顔に一瞬だけ見惚れてしまった。

お互いくたびれたファーストフードを食べ終えた時、テラスの入り口から一人の女性がぴょこんと顔を出してきた。先に気付いたのはライラさんだ、大人っぽい目をぎょろりと開いて入り口を見ていたので私も振り向けば、その女性が声をかけてきた。


「おーおー!仲良くしているようで何より〜!私も同席していいかな〜?」


「駄目!あっちに行って!」


「え?知り合いなの?」


 私の質問には答えず勢いよく席を立ち、入り口へと歩き出した。


「そんなツれないこと言うのはナシだよー、せっかく色々とおしえっ──?!」


 目にも止まらぬ早さでライラさんがその女性の口を塞ぎにかかった、ああいう乱暴な事もするんだと少し驚きながら私も入り口へと近付いていった。むぐぐと呻く女性がライラさんの手を叩いている、良く見てみれば鼻まで押さえているではないか。


「ちょ!ライラさん?!その人呼吸が出来ないんじゃない?!」


「ぷはあっ!死ぬかと思った!」


「ナディは相手にしなくていい、私のお客さんだから」

 

 え、今私のことナディって呼んだ?いきなり呼び捨てなの?


「あ、ああうん…飲み物はもういい?」


「うんありがとう、またお返しするわ」


「あ、うん」


 何なんだ?急に人が変わったように...男の子みたいな女性を引き連れてライラさんが食堂へと再び入り、スコールが止んだテラスに一人取り残された私は机の上の片付けに入った。


「げっ、雨が止んだということは……」


 これで解散、そして私は職場に復帰。最悪のタイミングだった。



✳︎



 せっかくの...余計な邪魔さえ入らなければ...しかし、この人の言う事を無視するわけにはいかなかった。


「それで何か?私に用事ですか?」


「う〜ん…用事があったのはライラちゃんじゃなくてナディちゃんだったんどけね、そんなに近付けたくなかった?」


「違います!余計な事をバラされたくなかったから引き離したんです!」


「やだな〜そんな事ペラペラと喋るわけないじゃんか〜」


「どの口が言う!」


 さっき言いかけていただろ!

利用客が減った食堂内、ナディお気に入りの角の席でリッツ・アーチーと肩を並べて腰かけている。こんな事にならなければ今頃はもっと...あんなに話が弾むだなんて思わず今でも興奮している程だった。財布に目を付けたのはちょっとだけ意外だったけど、それでも今まで知らなかった一面を知ることができて凄く嬉しい。気が利くし優しいし、かと思えば私のことをイジってくる、財布を見せたくないと駄々をこねたり...さすがに大声を張り上げたのは間違いだった、けれどそのお陰で今に至っているのだからまあ良しとしよう。それよりも今はリッツ・アーチーの相手をしなければならない。


「で、ナディに用事って何ですか?」


「今日さ、厚生省の人らが来てたじゃん?私が突き落としたあの人」


 厳しい顔付きに短髪、そして両目を義眼に替えているあのいかにも軍人気質な男性が脳裏に浮かんだ。


「あんな事して良く無事でしたね、というかあの人は軍人ではないんですか?」


「違うみたいだよ〜、退役してお役所仕事に就いた口じゃない?でさ、その二人がここいらの海に用事があるみたいでね、何か異変が起きていないか聞き取り調査中なんだよ」


「用事?それって何ですか?」


「シークレット、私らも教えてもらえなかったんだよ〜」


 何だそれ。


「変な話ですね。でもまあ、ここで借りを返してもいいですか?」


「お!まさかの情報提供?何なに?」


 借りとは、ナディについてあれやこれやと聞いた件だ。私が陰で調べ回っていたことを知られたくなかったから、この人をナディから引き離したのだ。


「開発課の人たちが近頃潮の流れがおかしいと言っていましたよ」


「潮の流れ?」


「そうです、潮って何かご存知ですか?」


「やらしい意味の──嘘ウソ!嘘だからね?続き話してくれる?」


「全く……いいですか、潮というのは簡単に言えば海水の流れです、そしてこの流れは海の満ち引きに深く関係しています」


「あー…(ちょう)(せき)?だっけ?」


 腕を組んでぐぐぐと頭を捻っている、ナディと比べてちっとも可愛くない。


「そうです、それでその満ち引きによって潮の流れが決まっているんですけどその相関関係が崩れてしまっているんです」


 高潮と低潮、言わば海面が高い時と低い時である。高い位置から低い位置に水が流れるように海でも同じ現象が起こっている、潮汐によって日に何度か海面の高さが変わってしまうので、その度に潮の流れが変わる「転流」と呼ばれる現象もまた起こっていた。この転流が発生するタイミングには二つ程あるのだが、そのどちらにも当てはまらないタイミングに潮の流れが変わっている...らしいのだ、先輩方の話を聞いた限りでは。

 掻い摘んで掻い摘んで何とか説明してあげると、リッツ・アーチーがううん?とさらに頭を捻った。


「それってつまり引力にも関係してるってこと?ヤバくない?」


「そんな大仰な話ではありませんよ」


「ううん……潮の流れって完璧に把握してるの?それもヤバくない?」


「どうでしょうか…」


「単に観測していなかった潮の流れを捉えたってだけの話じゃない?良く分からないんだけどさ」


「まあ、それと併せて観測用のブイが故障しているだろうって話になって、近々調査船を出すって言ってましたよ」


「ふむふむ…それは耳寄りな情報ですな…」


 自前の携帯を出して私の話をメモに落とし込んでいる、あれ、ここまで喋って良かったのかなと不安になったが後の祭りだ。


「先に言っておきますけど、」


「分かってる分かってる、私はただ情報を伝えるだけだから、その後の事は二人の仕事だよ」


 そう言いながらリッツ・アーチーが軽やかに席を立った。


(本当かな〜…この手の人間って後々持ちかけてくるからややこしいのよね)


 貸し借りだのあの時は世話をしてやっただろと、パパとママの仕事相手にもこういった人種が多かったので、何かと頭を抱えていた二人を幼い頃から見てきたのだ。じゃあ何で声をかけたんだと言われたら何も言い返せないが、リッツ・アーチーのような人間は利便性が高いのも事実だった。何せ入りたてで何の後ろ盾も持っていない私のような人間でもお願い事を聞いてくれるのだ、魔がさしたと言えばそれまでである。


「じゃ!ナディちゃんと仲良くね〜」


「もう跡をつけたりしないでくださいよ」


 念のため釘を刺しておこうと声をかけると、ぴくりと肩を反応させた。


「いや〜あれはピメリアさんの命令で仕方なくだよ、二人っきりになったからもう仲良くなったのかと見守っていただけサ!」


 じゃ!と二度目の挨拶をして今度こそ去って行った。


(はあ〜…これでチャラ、もう声をかけることもないでしょ)

 

 だがそんな事もなく、終業間際になってナディとお出かけする約束を思い出し、必死になってリッツ・アーチーを探したのはまた別の話なのであった。

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