第2話
.That is job
(今日は平和だったなあ〜)
何やら沖の方に軍艦が一隻出ていたようだけど、軍事演習にしたって一隻は珍しいなと先輩方が煙草をふかしながら会話していた。
赤焼けに染まった空の下、無事平穏に漁を終えた私たちの船は帰港しているところだ、船の上からウルフラグの街が赤い光りを反射して輝いているように見えていた。物価が高い都心部の近くには活火山である「キラ」の頂きが、都心から離れていくと山と森に囲まれた国立公園群、それからこの季節になると毎日のように観光客が訪れるビーチがあった。私が生まれ育った島はうんと先にある、さすがにここからではその姿を見ることができなかった。
ユーサの港に到着し、先輩方が停泊の準備に取りかかった、ああいった力仕事はもっぱら男性がやってくれるので私たちは何もしなくて──ええ...プウカさんまで駆り出されている...ごっついロープを重たそうに運んでいたので私も駆け出した。
「手伝いますよ」
「あ、ありがとう!これ重いから助かるよ」
二人でひいひい言いながらロープを運ぶ、船の縁まで移動して重たいロープを先輩方に託すと、あとはいとも簡単にボラードめがけて放り投げていた。
「ふう…お疲れ様」
「お疲れ様でした」
ちょっぴり汗をかいて朗らかに笑うプウカさんの向こう側、造船課が所有しているドックの前に二人組みを見かけた。白い肌をした女の子とやせ細った男性だ、二人してあちこちに視線を巡らせて会話をしているようだった。
「あ、あの子もしかして…」
私の視線に気づいたプウカさんも振り返り、二人組みを見つけたようだ。
「ライラって名前らしいですよ、今日食堂で見かけました」
「へえ〜私もそういう可愛い名前が良かったな〜」
いやいや、プウカさんの魅力はそんなものではない、けれど歳上相手に言うにも何だか違うような気がしたので曖昧な返事を返した。
✳︎
夕焼けに染まるユーサ第一港は、帰り支度とこれから残業する人たちで大変賑わっていた。見慣れない道具を抱えて走る人や、複数の人たちに怒鳴り声を上げて指示を出す人、それから漁に出ていた船が帰ってきて獲った魚を下ろしている人たち、沢山だった。
ユーサは国内に計四ヶ所の港を抱えており、その中でもここ第一港が最も規模が大きかった。政府と共同で海底調査やそれらに必要な設備、機械、システムを開発している開発課(私が所属している)、国内で扱われている船の約八十パーセント近くを製造、販売している造船課、元々造船課は「ウッズホール」と呼ばれる民間企業でありその特色が色濃く残っていた。私が所属している開発課とは大変仲が悪いらしく、さっきも見学を希望したけど見事に断られてしまっていた。
「彼らはああいう人間だから気にすることはないよ、全く子供っぽいというか何というか…」
「そうなんですね」
その他には「観光課」と呼ばれている職場もあり、ここは女性中心で日々業務をこなしているそうだ。観光地に並べられる小物の雑貨の製造、販売、それから他課の応援などその業務は多岐に渡る。そしてナディが働く「漁業課」、合わせて四つの職場がここ第一港で肩を並べていた。
造船課の人に腹を立てているもやし先輩、角がたたないよう曖昧な相槌をうってやり過ごす。私の視界には湾曲したように延びるウルフラグの街があり、遠くになるにつれて自然が多くなっていた。造船所で働く人や広いドッグを駆け回っている人たち、その背後には赤く焼けた街と自然と、束の間ぼうと眺めていると髪に何かが触れる感触があった。慌てて振り向けば、
「あ、」
「ん?君は?」
「あ、いいえ、その…何でもありません」
ナディだ、一度も喋ったことがないあの子が私の後ろに立っていた。でも、どうして?声をかけられただけでたたたと走り出してしまった。
「ライラの友達かい?」
もやし先輩も不思議そうにしている、そしてその手には汚れた海藻が一つ、質問には答えずその海藻はどこにあったのかと聞いてみると...
「ライラの髪に付いていたからね、取ってあげんだよ」
「──ありがとうございます、先輩」
「そんな、気にしなくてもいいよ。さっき漁業課の卸市場を見学した時に付いてしまったんだろうね」
その言葉はすぐに私を通り抜け潮風に乗って遠くへと運ばれていった。そして私は走り去って行くナディの背中に釘付けになり、初めて見た時以上にドキドキしていた。
✳︎
エレベーターから降り立った先、そこはまさしく海の中であった。コンクリートが剥き出しになっているエントランスからでも海の様子が見えていた。
「何なんだ…ここは…」
本当に地下施設がありやがった...隣に立ったホシもしげしげと周囲を観察していた。
「グガランナ・ガイアはここに?ここは一体何なのでしょうか…」
「知らん、周囲に案内板がないか確認しろ」
「──ん?あれは、あれじゃないでしょうか?」
靴の音を響かせながらホシが壁際に向かっていく、同じくコンクリートの壁に一つのモニターがあった。
「………どうやら他にも似たような広場が三つあるようですね、ここと合わせて四つ……」
俺もホシの後ろ側に立ってモニターを眺めた、その広場に三つずつの小部屋があり、全ての広場に小部屋があるので全部で十二の部屋が存在することになる。そこでふと、局長から渡されたあの資料の内容が頭に思い浮かんだ。
「十二の神…まさか、」
「神とは………マキナという機械生命体……だった?まさか、そんなまさか」
モニターから離れて一番近くにある小部屋と足を向ける、ブーツが鳴らす靴音がやけに耳につく、それでも歩き湾曲した廊下から一つの小部屋に入った。ホシも俺の跡に続いていたようで、ほうと小さく息を飲んでいた。
「凄い…何だあれは…」
椅子があった、卵を半分に割って無理やり乗せたような椅子が。前に回り込み覗いてみるが、窪んだ座面に細かなスリットが入っているだけで他に何もない。その椅子の前には海中を見渡せる窓があり、いくつか魚が泳ぎ回っていた。
「ヴォルターさん、何か書かれています」
背もたれにあたる裏側に視線を走らせた後、ホシがその内容を読み上げた。
「……オリジン・ベース、プログラム・ガイア。祖たる彼女賛嘆し、今ここに創造せん。我ら海の子、その使命果たさん。星繋ぐ橋、繋ぎ止めたる心なり……」
「プログラム……ガイア?それにオリジン・ベースとは、何なんだ?」
「……これから会う方の名前にもガイアとありますが、何か関係しているんでしょうか」
「会えば分かる、他を調べるぞ」
「あ、は、はい!」
◇
六つ目の部屋を調べ終えた後に別のエレベーターを見つけ、調査を途中で切り上げて乗り込んでいた。脳内通信からガングニールも騒ぎ立てているが、俺たちがいくら考えたところで答えなど出やしない。あの古文書の続きを書いたグガランナ・ガイアという人物に会うのが何より最適解に思えたからだ。高速で降下するエレベーター内で見てきた物を頭の中で整理する。
《ワン・ベースがティアマト、ツー・ベースがタイタニス、スリー・ベースがラムウ》
《四つ目がオーディン、その次がディアボロス、その次がハデス。この順番に意味はあるのか?》
《順番〜?んなコトより名前だろ、名前。何をベースにして決めたのか知らんが神話体系がメチャクチャじゃないか》
《そんなもの創作者の好みだろうが、冥界の王が何故六番目になる?ゼウスの兄弟で生命を司る神だろうが》
《生命の神ってんならティアマトの方が適任だと思うがな、それなら一番目に作られたのも納得ができる》
脳筋の割には頭の回転が速い《大きなお世話だ!》、こういう時こそ煙草を吸いたくなるがすぐ近くにいるホシにまた嫌味なことをされるのも癪だったので我慢した。
柄にもなく興奮してしまっている、しかしそれも無理もない、何せこの国で古くから伝えられている古文書の謎を紐解くヒントが目の前にあるのだ。エレベーターの隅に立ち、俺と同じように脳内通信でダンタリオンと会話しているホシを見やる。奴のどの部位がコネクトギアになっているのか分からないため、側から見たら一般人に見えるが実体はまるで違う、あのセレン戦役を未成年でありながら闘い抜いた生粋のパイロットであった。
エレベーターの降下スピードが緩やかになり、程なくして最下層と思しき場所に到着した。開いた扉の向こうへいの一番に出ると度肝を抜かれてしまった。
「………」
「はあ〜…まるで博物館…いや、それ以上の……」
一度目に降り立ったエントランスとは比べものにもならない程、圧倒される場所だった。まず、壁一面が強化ガラスに覆われ自分が海の中に立っているような感覚に襲われた。どこを見ても海中が見え、珊瑚礁の群生が見られ、星の数をも超えそうな魚の群れが辺りを泳ぎ回っていた。
《陰気な所だぜ。こんな所にいるなんてきっとろくでもない奴に決まっている》
ガングニールがそう毒を吐いたところで、薄暗く青色に統一されたエントランスの奥から一つの影が現れた。男が鳴らす靴の音ではない、軽く、涼やかにヒールの音がエントランスに響いた。
「ようこそいらっしゃいました」
その声音も涼やかでどこか甘さを含んだものだ、また一つ、ヒールの音が響く。
「どうぞこちらに」
白銀のドレスに身を包んだ女が、薄暗い影の中から現れた。光量が乏しいはずなのに、そのドレスにあしらわれている細かな宝石の類いが光っている。肩から深い紺色をした厚手のショールを羽織り、それらの服飾に劣らない程輝く金色の髪を長く伸ばしていた。何より目を引くのが足元から太腿にかけて入ったスリットだ、白く柔らかそうに肌が露出している、どうやらこの女がグガランナ・ガイアという人物のようだった。
「お前か、俺たちを招待したというグガランナ・ガイアとやらは」
「はい、突然のお声かけ、大変恐縮に思っております。まずは移動の疲れを癒されてはどうでしょうか、簡単な客室がありますのでどうぞこちらに」
グガランナ・ガイアが踵を返した、ホシと視線を合わせ周囲に危険が無いか索敵を行ないながらその跡に続いた。
✳︎
獲った魚を卸市場の人たちに預け、いくつか雑用をやらされた後ようやく帰り支度に入れた。これからユーサの港では夜市場が開かれ、私たちや他の班が獲ってきた新鮮な魚がお店の軒先に並べられる。昔に一度、お母さんたちとこの夜市場に来たことがあったけど、まさかその時はこんなに大変な思いをしていたなんて知る由もなく、「魚くさ〜い」と妹と一緒にぶうぶう文句を言っていたのが今となっては懐かしく思える。
ユーサ第一港は海岸線沿いに作られているので構造でいえばS字に近い形をしている。Sの先端から開発課、カーブに差しかかる所から漁業課、ストレートから二つ目のカーブが造船課、そして最後が観光課とそれぞれに分かれている。社員食堂や更衣室、机仕事をする事務室などは点在しており私が利用している更衣室は開発課と漁業課の中間地点にある、というか今日利用した社員食堂の隣にあった。
(恥ずかしかった〜、あんなさらっと髪の毛に触れるとは思わなかった、付き合ってるのかな、あの二人)
赤焼けの太陽もお尻まで海に浸かっており、空の端から夜の色が忍び寄る時間帯だ、結局残業である。とぼとぼと木板で作られた海の上の道を歩き更衣室へ向かっていると、社員食堂前に設けられた階段の前でさっきの女の子と...誰だったけあの人、確かお偉いさんだった思うけど、入社式以来見ていないので名前を忘れてしまった、とにかくその二人が階段前で何やら話をしているようだった。
「お疲れ様でしたー」
大方、政府からやって来てどうだのこっちの方がいいだろうと話をしているのだろう、私は関係無いと挨拶をして通り過ぎようとすると、
「ああ、ちょうど良い、ちょっとこっちに来てくれないか?」
そのお偉いさんに呼び止められてしまった。
(えータイムカード切ってるんですけどもうー)
巻き毛になった金の髪が潮風になびいている、白いブラウスの上から船上作業用のベストを羽織り腕を組んでいるその様はぱっと見て男性に見えてしまう程だ。その傍らには少しだけ視線を下げたさっきの女の子、ライラが立っている。あまり明るい話題ではなかったのだろうか。
「な、何でしょうか」
「そう身構えなさんな、この子の面倒を見てやってくれないか?」
「え?面倒?」
「ああ、今日一日開発課の奴にここを回らせたんだがな、現場ばっかりで肝心な所は全然回っていないらしいんだ。今後にも差し支えるから君の方から教えてやってくれないか」
「肝心な所……ああそういう、でも私でいいんですか?」
「ん?それはどういう意味だ?」
「開発課にも他の女性が、」
「ああ、この子が初なんだよ、開発課に女性が入るのはライラが初めてなんだ」
「そうだったんですね……」
ちらりとその子に視線を向ける、未だに視線を下げていた。
(え、本当に私でいいのかな、何だか嫌がってるようだけど…)
その様子に気付いていないお偉いさんがぽんと私の肩を叩いてきた。
「ま、そんなわけだからよろしく頼むよ!あー…君の所属は?」
「漁業課です」
「オーケー、課長には私の方から言っておくから明日は頼む」
「あ、はい」
ライラと呼ばれる女の子を促し階段を上っていった、結局最後まで喋らず終い。最後にちらりとその子が振り返ってきたので、明日はよろしくねという意味で小さく手を振ると、何も返してくれず慌てて前を向いてしまった。
(照れ屋さん?でもそういう雰囲気でもないような……ま、いっか、明日は漁に出なくていい!)
いやっほう!とテンションも爆上がりだ、るんるん気分で私も階段を上り始めた。
✳︎
名前を聞いてよ名前を!どうして所属を聞くのよ!あー...せっかく自然に名前を聞き出せるチャンスだったというのに...ピメリア連合長があの時名前を聞いてくれていたら、私も自然にあの子の名前を呼ぶことができたのに...
いやちょっと待って、展開がいきなり過ぎて付いていけないわ、え?明日ナディと二人っきり?いきなり?いきなり過ぎない?
「どうしよう…いや普通にしていればいいんだけど…」
ドキドキを通り越えて緊張してきた、胃の辺りが何だか重たい、どうして?嬉しいはずなのに...そうか、人は幸せ過ぎてもストレスを感じることがあるのかと一人合点したところで何も変わらない、どうやって更衣室まで歩いて来たのかも覚えていない程だった。
「と、とりあえず美容院に行って整えてもらって、今から予約って取れるのかな…」
もう何から始めたらいいのか分からない、本当はあの時私も色々と喋りたかったけれど視線を上げる勇気が持てなかった。それに、もやし先輩と一緒にいた時もどうして近付いてきたのか、それも聞きたかったし...あー!胸の内は言葉で溢れ返っているのに口が固くて何も出てきてくれなかった。
仕事着から私服に着替えて帰り支度を済ませ更衣室を出る、観光課の人たちは仕事着のままで職場と自宅を行き来しているようだけど、とてもじゃないが私にはそんな真似できない。水着の上からベストとスカートを履いただけの格好なんて破廉恥にも程がある、ここへ来るのが嫌だった理由の最たるものだった。
陽はしっかりと沈み街は夜空に覆われていた、遠くにある首都のビル群にも明かりが灯っており騒つく胸の内にもその夜景が綺麗に届いてきた。更衣室側の階段下には社員用の駐車場が広く取られており、広葉樹が等間隔に並べられているその奥にはユーサ専用の送迎バスの停留所もあった。そこにぽつんと、一つの影を見かけた。
(ナディ、明日はよろしくね)
遠くからでも分かるあの可憐な容姿、そう、至近距離でナディに見つめられるのがとても怖かった。どうにかなってしまいそうだったから、いつも遠くから、もしくは視界に映らない陰から見ていた存在が目の前に立っていたあの緊張感、澄んだ瞳に捉えられた時に私が私でなくなってしまいそうな恐怖に駆られてしまった。ここまで誰かに想いを寄せたのは生まれて初めてだった、だからどうすればいいのかまるで分からなかった。さっきは返せなかった挨拶を、ナディに向かって小さく手を振るとその瞬間にこちらを振り向いたので思わず驚いてしまった。まさか相思相愛?!しかし私に気づいたわけではないらしい。
「誰、あの人?」
ナディに向かって小走りで駆けて行く太った女性、そしてあろうことかナディの隣に図々しく座ったではないか、信じられない。あそこはいずれ私が座る場所なのに──あれ、待てよ、確かあの女性も同じ漁業課の...同じ班だった...はずよね?
「連合長はナディの名前、知ってるはずよね?」
いやいやそんなまさか...緊張から一転、今度は不安に支配されてしまうのであった。
✳︎
(平常心、平常心…平常心ってどんな時でしょうか)
さっきは失敗してしまった、同じ事を二度も言ってしまったので未だに頬が熱く感じられる。
私の目の前には二人の男性が、借りてきた猫のように大人しく座っていた。心なしか緊張している様子である、淹れた珈琲にも手を付けずしきりに視線を彷徨わせていた。
「改めまして、私はグガランナ・ガイアと申します。良ければ自己紹介して頂けませんか?」
そう促すと、義眼レンズを装着した壮年に見える男性が先に口を開いた。
「ウルフラグ厚生省特殊安全保証局所属のヴォルター・クーラント、隣にいるのが同じ所属のホシ・ヒイラギだ」
「よろしくお願い致します」
「ご丁寧にありがとうございます」
よし、まずまずといったところでしょうか、けれどヴォルターと名乗った男性はどうやら性急な方のようで早速本題を切り出してきた。
「俺たちをここへ呼んだ理由について教えてもらいたい」
(できれば世間話でもと思ったのですが…)
そういう雰囲気ではないのも明白だ、仕方がないとあちらの要望に応えることにした。
「あるウイルスがこのテンペスト・シリンダーに感染、流出してしまっているのです。五年程前からウルフラグ政府と共に調査、回収を行なっていましたが、このままではままならないと判断して特個体を有するお二人を紹介してもらったのです」
「────」
「────」
あれ、固まっているのは気のせいでしょうか。
「………テンペスト、何だって?」
「テンペスト・シリンダー、正式な名前はアメリカ方面第三テンペスト・シリンダーと言います。地球上で現在稼働している全十二基の内の一基がここになります」
「話に付いていけない……」
「あなたが教えてほしいと言ったではありませんか……」
そう言われても困ります...するとここにきて初めて、隣に座るホシ・ヒイラギと呼ばれる青年がくすりと笑みをこぼした。
「それもそうですね、失礼しました。アメリカとは、太古の昔に一つになっていた国の名前ですよね?」
「一つ……まあ、そのように解釈されても問題はありませんが……」
「そしてその大地が割れて十二になり今に至ると、我々はそう教えられてきました」
──ああ、そういう事か、この人たちは...いいやこのテンペスト・シリンダーの住人は「テンペスト・シリンダー」そのものを知らないのだ。
「あの古文書の件についてまずはお聞きしたいのですがよろしいですか?十二の神とは、あなたと似た存在なのでしょうか」
「ええそうです。オリジナルではありませんが、我々は「マキナ」と呼ばれる存在です、このテンペスト・シリンダーを管理、運営している者たちと認識してください」
ヴォルターはずっと頭を抱えているが、ホシは興味津々といった体で耳を傾けていた。
「管理、運営とは?」
「テンペスト・シリンダー内で過不足がないか、過度な争いが起こっていないか、人々が十全な生活を送れているか、それを管理し不足があれば都度調整を行なうのが私たちの役目なのです」
「まるで神様だな」
「いいえ、私たちは神などではありません。人類に傅く奴隷のようなものと認識してください」
ふん、と小さく鼻を鳴らし、ようやく淹れた珈琲に手を付けてくれた。お口に合うかどうか見守っていたかったが、ホシがさらに質問を重ねてきたので視線を変えらざるを得なかった。
「繋ぐ橋とは何のことですか?星をも繋ぐ橋と記述されていましたが」
「それは人の心を差しています。私たちは離れてしまった人の心、言わんや星を繋いで平和に導いていく使命があります」
「そういう事だったのですね…いや、これは途轍もない事ですよ、あの古文書がこうして詳らかになる日が来るだなんて」
興奮冷めやらない様子のホシをヴォルターが宥めた。
「馬鹿を言え、真偽はともかくこんな話を世の中に広められるはずがないだろう、だから政府もひた隠しにしていたんだ」
「ヴォルター殿の仰る通りです、今の内容は決して他言しないよう私もウルフラグ政府から言い付けられていますから」
「そうですか……」
「で、そのウイルスとやらの危険性は?」
頭を抱えていた割には飲み込みが早いのか、それとも単に割り切っただけなのか、ヴォルターの方から話を戻してきた。
「不特定です、今なおどのように作用するのか、何が起こるのか検討もついておりません。しかし、そのウイルスをようやく感知することができました」
ホシも珈琲に手を付けてくれた、とくに不快に思った様子はなく一安心である。しかし、代わりに私の話を聞いたヴォルターが不快そうに眉を顰めた。
「何なんだそれは?危険性はおろか、何も分かっていないのに何故ウィルスがあると判断したんだ」
「ご指摘はごもっともなのですが、ウイルスが感染したと報告してきたのがアジア方面第一テンペスト・シリンダー所属のマキナからによるものでして…」
「眉唾物、って言葉を知っているか?」
「……ええ、存じております」
「テンペスト何たらって話も信ずるに値しない、挙句にその余所者から感染したという報告だけで何も証拠が無い。政府のお偉方もあんたの扱いが面倒になって俺たちに投げてきたんだろうさ」
「ヴォルターさん」
彼の言う事は最もである、私ですらそのウィルスを確認したわけではない。反応を感知したと報告してきたティアマトを信じるしかないが、彼らには伝わらない話でもあった。
情け容赦ない物言いを諌めたホシをヴォルターが睨んでいる...ように見えた。
「何だ、いつもの嫌味はどうした?」
「嫌味だなんてそんな、けれど今のは言い過ぎです」
「あのな、この際だからはっきりと言うが、誰かが言わなくちゃならない事は率先して言え、そいつの為にならない」
「………」
「遠回しな言い方で気付けばいいが全ての人間がその限りでもない、その時は確かに傷付くかもしれんが今後の為になるんだ」
「──分かりました、それなら言わせてもらいますが車内で煙草を吸うのは控えてください、臭いんですよ」
んだとこの野郎お!と目の前でいきなり喧嘩を始めてしまったではないか。
「や、止めてください!喧嘩だなんてそんな!」
ああもう!どうすれば!私はただ人と触れ合いたかっただけなのに!ヴォルターが掴みかかった弾みで、空になっていた陶器が床に落ちて乾いた音が鳴り響いた。それを合図にして二人が再び腰を落ち着けた。
「全く!今言うことか!」
「ヴォルターさんがそうしろって言ったんでしょ!」
「ああもういい!それで、そのウィルスとやら何処にあるんだ!」
ええ、とばっちりではありませんか...何故だか私まで怒られてしまった。
「こ、ここから近いと思われます、距離にして約百キロ地点、海中に反応を捉えました」
「その海域であれば、ユーサも何か掴んでいるかもしれませんね」
「明日ユーサ第一港に行くぞ、話を通しておけ」
「分かりました」
あら?さっきはあんなに喧嘩していたのにもう仲直り?人の心ほど移ろいやすいものはないと教えられましたが、こういう風に良い方向へいくこともあるのですね。
その後、二人で細かな話し合いをした後席を立った。去り行く二つの背中を見ながらほうっと息を吐く、この短い時間でここ数十年分の疲れが一気に溜まったように感じられた。やはり人との交流は刺激がとても多い、疑い、戸惑い、怒り、挙句に喧嘩。喧嘩って...見ず知らずの他人の前で喧嘩もするのかと考えながら、割れた陶器を片付けていると足早くこちらに向かってくる足音が響いてきた。視線を上向けるとホシが慌ててこちらにやって来ているところだった。
「申し訳ありません、カップを片付けるのを忘れていました」
「──あ、いいえ、私が勝手にお出ししたものなのでお気になさらず」
「ご馳走様でした、とても美味しかったです」
そう、礼を述べてから再び踵を返してエレベーターへと向かっていった。次、会った時は簡単な菓子でも一緒に出そうかと、上向き始めた心で陶器の片付けに入った。
✳︎
「あれ、何か出てきた」
ころり、ベストを脱いだ拍子で床に落ちた物が一瞬何だか分からなかった。
「ああ、こいつ…捨てるの忘れてた、まあいいや」
脱衣所の棚に銀色の真珠?をぽいと置く、スカートも脱いで水着も脱いで、とにかく全部脱いでお風呂へレッツラゴーした。
「あふう〜…」
こっちの人、つまり首都ビレッジコアに住んでいる人たちは湯船に浸かる習慣がないそうだ、勿体ない、私が生まれ育った島にはこの習慣があったので大きめのバスユニットがある物件を探すのにとても苦労した。そのお陰でこうして首都の夜景を堪能しながら湯船に浸かれる、バスタイムは一日の中で至福の時間であった。
お風呂から上がってキッチンへと向かう、ロフト付きのワンルーム、開放的な間取りで天窓も付いており、夜空に浮かぶ一つの雲と半分に欠けたお月さんがこんにちはしていた、いや夜だからこんばんはかな?キンキンに冷えたミルクを一杯、喉をごきゅごきゅと鳴らしながら渇いた喉を潤す。
「ぷっはあ〜…お母さんがお酒を楽しみにしていた理由も何となく分かるよ」
私はまだ未成年なのでお酒を飲むことはできないが、歳を取ればいずれそうなるのだろうか。そんな折、私の心を察知したのかそのお母さんから電話がかかってきた。キッチンに備え付けられているカウンターに置いていた携帯を手に取り、通話ボタンをタップした。
「もしもし?どうかしたの?」
[そっちの生活にはもう慣れた?]
「うん、お母さんの気持ちが良く分かったところだよ」
[なあにそれ、まだ働き始めて半年も経っていないのに]
ころころと笑うお母さん、私も知らず知らずのうちにほうと心の中で溜息を吐いてしまった。実家にいた時は何かと小うるさいので煩わしく思っていたが、こうして一人暮らしを始めてから寂しさを感じるようになり、実家が恋しくなる時があった。
仕事や私生活の事で話をしていると、電話口の少し遠くから別の声が聞こえ始めてきた。やがて私にも代われとうるさくなり、観念したお母さんがその相手に携帯を渡したようだった。
[もしもしお姉ちゃん?そっちはどう?]
妹のフレアだ。
「さっきも話たよ、お母さんに聞いて」
えーつめたーいと妹が言う。実は妹のことが少し苦手だったりする、昔はそうでもなかったのだがハイスクールに通う歳になっても私から離れようとせず、シスコンと周りから言われても何のそのでべったりだったのだ。歳は二つ下、私と違って綺麗な茶色の髪をしている、お父さん譲りの色らしい。
[お姉ちゃん、ちゃんと服着てる?お風呂上がりはいっつも裸だったから心配だよ]
「なにをう、ちゃんと着てるよ、子供扱いしないで」
ちなみにすっぽんぽんである。
[夏休みはこっちに帰ってくるの?]
夏休みとはこの時期にあるちょっと長めの休みの事で、その昔は死者を偲ぶ習慣があったらしい。今は誰もやっていないがその休みだけは生き残ってくれたので有り難い話である。
「帰らないよ、遠いしお金かかるし面倒臭いし」
これで諦めてくれるか...しかし予想が外れてしまった。
[ほんと?!じゃあお姉ちゃんの家に遊びに行ってもいい?]
(げっ、そうくるのか〜…)
会うのが嫌ではない、けれど相手にするのが何だか嫌だった。お母さんと一緒ならいいよと曖昧な返事を返して半ば無理やり電話を切った。
「へっくち!」
火照った体も十分に冷えたので、携帯をもう一度キッチンカウンターに置いて服を取りに行った。
誰もいない、寂しくはあるけど自由がある、気兼ねしなくていい、そんな一人暮らしを今日も堪能して眠りについた。