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第1話

.What for?



 確かに、確かにここ最近になって職場で見かけるようになったあの子はとても綺麗だった。どうやら政府からの転属でやって来たらしい、私と同い年のあの子は真っ白な髪を二つに括っており、この職場には似つかわしくない透き通るような白い肌をしていた。さらに、海の上で仕事をする関係上いつ濡れてもいいようにセパレート型の水着を着用し、その上から会社指定のベストとスカートを履いている。そしてあの子も同じような格好をしているので大変刺激が強い、私のように焼けて黒い肌になっているのならまだしもあの子は白い肌をしているため、職場内にいる男性の誰しもが釘付けになっていた。今も社員食堂に入ってきたあの子を皆んなが見つめている、私もそうだった。


(何もこんな野暮ったい所でご飯を食べなくても……っ!)


 あの子と目が合った、ラベンダーの花を思わせる薄いすみれ色の瞳が私を捉えていたので驚いてしまった。偶然...とは思えない、私を私だと認識して見ている...ようだったけど、自意識過剰にも思えたのですすっとメニュー表の裏に隠れた。



✳︎



 今日もあの子はあそこにいた。いつもの角の席、くたびれた観葉植物の隣に座ったあの女の子がもそもそと一人でご飯を食べているところだった。黒い髪は宝石のように輝いて横に流しており、覗いた小さな耳には赤い宝石をあしらったピアスが一つ。このユーサで働く皆がそうだが、あの子も良く陽に焼けており健康的なその四肢を臆面もなく曝け出していた。

 名前はナディ。ユーサ漁業課に勤務している新入社員の子、私と同い年...のはず。一度も喋ったことはないけれど彼女についてならある程度知っていた、何せ日がな調べ回っているからだ。


(ストーカーみたい……)


 自分の臆病さに辟易してしまう。今もあまりに見すぎていたせいか、私の視線に気付いたあの子がメニュー表の裏に顔を隠してしまった。

 話しかけてみたい、あの子と言葉を交わしてみたい。嫌々ながらここの職場に転属となってしまったが、あの子との出会いだけは感謝している。まあ、まだ一言も話せていないんだけど。


「ライラ、君もこっちに来るといい」


(ナディ、またね)


 私が勤務することになったユーサ開発課の先輩(心の中でもやしと呼んでいる、だってヒョロいから)に声をかけられて彼女の元から離れた。

 海の上に建てられた木造平家の社員食堂、吹き抜けの窓から潮風が入り込み、今日は穏やかな海には何隻もの船が浮かんでいた。ビレッジコアから車で一時間ばかりにここ、ユーサ第一港と呼ばれる私の新しい職場があった。



✳︎



 あの子の名前はライラ、というらしい。居丈高な人が集まる開発課の人にそう呼ばれ、ふわりと髪を靡かせながら颯爽と歩いて行った。そして私は鬱屈とした心持ちで社員食堂を後にし、昼から海に出て漁をする船へと向かっていた。


「面倒臭い」


 周りに誰もいないことを確認してから、そう愚痴をこぼした。面倒臭い。よくお母さんにも叱られていたけど、私は大変面倒臭がりなのである。やる気と向上心はお母さんのお腹の中に置いてきたと一度豪語したことがあったけど、平手打ちを食らってすごすご退散したことがあった。厳しいにも程がある。


「はぁ、早く終わんないかな」


 大雨でも降ればいいのに、そうなれば漁は引き上げになって後は内勤で過ごせる。適当に道具の手入れをして日報を書いて提出すれば終わり、さっさと借りたばかりの我が家に帰ってアニメ鑑賞と洒落込みたい。いいや、帰る途中にモールへ寄って買い物をするのもいい。ユーサの仕事は大変酷ではあるが、他所へ就職した友達と比べたら給料が高いのだ。口座にはびっくりするぐらいのお金が残っており、未だ手付かずで眠りについたままなのである。勿体ない。しかし悲しいかな、仕事が忙し過ぎて買い物に出かける体力すら残っていないのが現状だった。

 社員食堂から海の上の道を歩き、漁業課の船が並ぶ港へとやって来た。沿岸に出る船の上では早速先輩方が準備に取りかかっており、まだ昼休みじゃんと文句を─心の中で─言いながら私も駆け出した。


「ナディ!お前も手伝ってくれ!」


「はあーい!」


 全く嘆かわしい...私が配属された班は皆んなやる気という、目を瞑りたくなる善性に溢れている人ばかりだ。昼休みだというのにもう仕事を始めていた、私も船に乗り込み磯臭い道具箱を抱えながら先輩の指示に従った。



✳︎



「ホシ、お前も来い」


「──あ、はい?──はい!」


 名前を呼ばれたので生返事を返しながら、慌てて画面から視線を上げると僕の上司であるヴォルターさんがオフィスの出入り口へ向かっているところだった。


(えー…何かやらかした?呼び出しだなんて珍しい)


 オフィス内の喧騒が耳に届いた、電話のコール音、喧嘩し合うように仕事の話をしている先輩たち。特殊安全保証局という立派な名前はあれど、他所の職場から溢れてしまった仕事を一手に引き受ける、言うなれば何でも屋のような立ち位置にあるためその分変わり者も多い仕事場だった。

 オフィスを出ると潮の香りを含んだ風が窓から入り込んできた、さんさんと降り注ぐ太陽の光りがビーチの砂浜を熱し、観光に訪れている人たちを容赦なく照らしていた。この日差しの中泳いだらさぞかし気持ちが良いことだろう、気ままに波と戯れる人たちを羨ましく思いながらヴォルターさんの跡に続く。

 エレベーター前でようやく追いつき、怒っているのか考え事をしているのかよく分からない背中に向かって声をかけた。


「何かあったのですか?」


「ボスから呼び出しだ」


 低くしゃがれた声でそう答えただけで続きは無い、何を考えているのか掴めない人だが今日は輪にかけてそれが掴めなかった。


(怒っているわけではない…けれど良い話でもなさそうだ)


 つまり、ボスから厄介事を押し付けられた?軽い電子音と共に到着したエレベーターにヴォルターさんが乗り込む、こちらに振り向いた時コネクトギアになっている両目が太陽光に反射してきらりと光った。


「さっさと乗れ」


「……はい」


 観念して僕もエレベーターに乗り込んだ、ヴォルターさんの服に染み付いた煙草の臭いが鼻をつき、咳をするのも何だか嫌味なような気もしたのでぐっと堪えた。

 エレベーターが止まった場所は上層部の役員が詰めている最上階だ、開放的なエレベーター前ロビーにも紫外線を大幅カットされた太陽光が差していた。真っ直ぐに伸びている廊下の先には当局の局長である女性の部屋があったはずだ、ここに赴任した時に一度入ったきりで今日が二度目、いよいよをもってこれは只事ではないと一人戦々恐々としてしまった。


「失礼します」


「入りなさい」


 ヴォルターさんが唯一敬語を使う相手でもある局長、エミ・カツラギが室内から応答し表面が薄らとコーティングされている扉をヴォルターさんが開いた。


「お話とは何でしょう」


 デスクに腰をかけていた局長がやおら立ち上がり、その手にしていた資料をヴォルターさんに渡した。


「これは?」


「おとぎ話の続きよ、読んでみなさい」


「………」


 両目がコネクトギアになっているため瞳の動きがまるで読めない、側から見たら紙面に視線を落としているだけのようであるがすぐに顔を上げ、眉間にしわを寄せながら感想を述べていた。


「良く出来ています、俺たちに読ませるのではなく文部省に提出されては?」


「そこに書かれている内容は事実らしいわ、ホシ・ヒイラギ、あなたも目を通しなさい」


 え、僕も読むの?その前に聞きたい事があったので口を挟ませてもらった。


「その前に一ついいですか?どうして僕がここに呼ばれたのでしょうか」


「お前が俺の部下だからだろうが」


 ヴォルターさんも口を挟んできた、そういう事ではない、部下なら僕以外にも沢山いるだろうに。局長が僕の頭から爪先にまで視線を滑らせた後にこう答えた。


「あなたがセレン戦役の従軍者だからよ、今回の件は特個体を出撃させる可能性が極めて高い、だからヴォルター・クーラントとあなたを指名したの。これでいいかしら?」


「良く分かりました、読ませていただきます」


 資料に書かれた文面に目を通す、そこにはこう書かれていた。



ー世界創生神話ー


 『一つの大地が割れ、十二の神がこれに嘆き悲しんだ。』


 『神々はともに手を取り、これに橋をかけた。星をもつなぐ立派な橋だ、皆んな喜び神々も喜んだ。』


 『もう二度と割れないよう、神々が世界を覆い尽くした。太陽も月も隠さず、遍く星々の光りも遮らず、あるがままの姿をそのままにして、もう二度と割れないように。』


 『神々はこうして神となった。』


(普通の文のように思えるけど……ん?続きがある?)


 『その橋を壊そうとする者が現れた、その星々を喰らわんとする者が現れた。慌てた神々と人々はともに手を取り合ったが失敗してしまった。』


 『言葉は分かれ、住処も分かれ、神々も分かれ、何もかもが一つでなくなってしまった。恐れていた未来を自ら招き寄せてしまった。』


 文面から視線を上げて局長を見やる、無感動に思える瞳が僕を捉えていた。


「これだけですか?」


 書かれていた内容は、この国の人間なら皆んな知っている古い昔話だった。最後は謎かけとして終わるので、皆んなも一度は何だろうと考える、幼少の頃は頭を捻ってはいたが結局分からずじまいの内容であった。


「その続きの文章を提出してきた人物がいるの、今から約五年程前にね。それで我々も対応してきたけれど、状況がいっぺんに進んでしまったから保証局で一旦預かることになった」


「待ってください、五年前にこの古文書を提出してきたのですか?これが本物なら大発見ではありませんか」


 ヴォルターさんが食ってかかるように聞き直している、それは確かに、けれどその人物というのは一体誰なんだ?


「そうよ、政府としても公にせず密かにコミニュケーションを取り続けていたの、その人物というのがグガランナ・ガイアと名乗る機械生命体、ということになっているわ」


「馬鹿ばかしい、俺は帰ります」


「あ、ちょっと!ヴォルターさん?!」


 本当に帰ろうとしている?!これだから歳上連中は!


「待ちなさいヴォルター」


「こういう与太話ならメディアの方が好むでしょう、俺はカメラマンまでやるつもりは、」


「そのグガランナ・ガイアから面会を申し込まれたの、場所は国立海洋研究所の地下施設、既に立ち入り許可も下りているからすぐに行ってきなさい。海軍に軽巡洋艦を一隻出させているから、今さらなかったことにできないわ」


 諦めなさいと言った時、エミ・カツラギ局長が初めて笑顔になった。セレン戦役より前から働き続けている古い人間はああいう笑い方に弱いらしい、はあとか、はいとか、曖昧な返事を返しながら素直に従っていた。


(これ、やっぱり僕も行くんだよね)


 嫌だなあ...しかしヴォルターさんから車を回しておけと言われてしまったので、僕もはあとか、はいとか、曖昧な返事をしながら指示に従った。



✳︎



 快晴であるちくしょう、雲の一つもありはしない、ん?やる気あるのか地球さんよ、少しぐらい雨を降らせたらどうなのかね。


(はいはい、今日も大量大量)


 曳き網にかかった魚たちを次から次へと魚倉に放り込んでいく、沿岸で得られる魚は小型の物が多く取り扱いがとても楽だ。同じ班の先輩方から「手際が良いな!よし!お前の仕事だ!」と言われてこればっかりやらされていた。暑い日差しと無風の中で作業を行なうので汗だくだ、早く帰りたい。


「ん?」


「どうかしたの?」


 同じ班で周りの人たちから「お母さん」と呼ばれているプウカ先輩が私の呟きに反応してくれた。面倒見の良さと名にし負う(失礼)その外見からお母さんというあだ名を付けられている、年齢は私と二つぐらいしか違わないのに可哀想な話である。プウカさんの柔らかくてぷよぷよした手が、網にかかっていたある魚を取り上げた。


「あれ?今日って底引きだったっけ、何でこのお魚さんがかかってるのかな」


「さあ…そいつって確か砂の中に隠れてる臆病者でしたよね」


 カレイやヒラメに属する魚...のはず、平べったいし変な形してるし、とても泳ぎが得意そうには見えない。作業の手を止めていた私たちを船長が目敏く見つけて怒鳴り声を上げてきた。


「何やってんだあ!さっさと仕事しろ!次から次へと上がってくるんだぞ!」


 二人揃ってびくりと肩を震わせる、聞こえないよう小さく毒吐いてから作業の手を進めた。


「っさいなあ〜…自分はレーダーと操舵輪を預かるだけのくせに」


「ふふふ、聞こえたら怒られるよ、早く終わらせようよ」


 怒られた事も気にせずそう朗らかに笑うプウカさん、この人が同じ班で本当に良かったと思う。乱暴で汗臭くてすぐに「あ?!」と聞き返してくる先輩方とは比べものにもならない程付き合い易い人だった。


(でもお母さんはないよね〜)


 網にかかった魚たちを外しながらそう考えた。

漁船で漁を行なう時は複数のやり方がある、一つが今やっているようにレーダーで魚群を捉えて網を投入し船で引っ掻き回すやり方、もう一つが海底に網を投入してゴミから珊瑚礁から何から何まで一網打尽にするやり方である。さらに色々とあるようだが知ったことではない、遠洋に出たり大型の魚を一本釣りするやり方もあるらしいがやるつもりも覚えるつもりもなかった。けれどさすがに何が獲れるのかまでは覚えていた、今日は確かに魚群に網を投入して獲ったはずなのに、その網にかかっていたのが底引きで獲れる種類がとても多かったのだ。平べったい魚から貝類や海藻類まで網の中にあったので、これはさすがに班長がやらかしたなと、一人でほくそ笑んだ。

 

「ん?何だこれ」


「ナディは良く見つけるね、今度は何?」


 ある魚が咥えていた貝殻...?のような物だ、それを手に取り矯めつ眇めつした後、プウカさんにも見せてあげた。


「綺麗だね〜、宝石が海に落ちちゃったのかな?」


「ああ、宝石かあ……」


 プウカさんの手のひらにはつるりと丸い真珠のような物が乗っていた、銀色をしているがどこも錆びた様子がない、変わった真珠だった。真珠なのかこれ?


「お母さあーん!そろそろ休憩にするぞー!」


「あ、はあーい!」


 プウカさんが先輩に呼ばれて網の前から離れていった、私の手元には預かった真珠?がある、ついで私の名前も呼ばれてしまったので慌てて駆け出し真珠?をベストのポケットに捩じ込んだ。



✳︎



 内ポケットに捩じ込んであった煙草を取り出すと、傍らで運転していたホシが車の窓を素早く下ろした。


「嫌味か?」

 

「え?いや、そういう訳ではありませんが…一応社用車は禁煙ですので…」


 やり難いったらない、文句があるならすっと言えばいいものを、最近の奴らは面と向かって文句を言わず遠回しにアピールしてくるばかりだ。

 ビレッジコアから車で一時間半程の場所にある今回の仕事場は、国内最大手の企業である「ユーサ」と事実上合併を果たした時に封鎖が決まった国立海洋研究所と呼ばれる施設だった。聞けば「マキナ」と名乗る人物が接触を試みてきたようで、そのお役目を俺たち二人が預かることになった、何とも馬鹿げた話である。


「お前はどう思う?」


 一言だけ詫びを入れてから煙草に火をつけた、オイルの匂いがふわりと漂いその度に戦場の空気感を思い出す。


「どうって……ああ、例の人ですか?会ってみないことには何ともですね」


「機械生命体とやらを信じているのか?」


 ビレッジコアから延びる国道をひた走り都市部を離れてかれこれ一時間近くは経っている、沿岸には数隻の船が浮かんでおり平穏そのものの海の上で漁に勤しんでいるようだった。視線を車内に戻してナビを確認する、画面内にマーカーが現れていたのでもう間もなく到着する頃合いだった。


「まあ…AIの技術も飛躍的に発展していますので、なくはないのかなと思っていますけど。ヴォルターさんは?」


「特個体の関係者だと思っている、それ以外に何があるっていうんだ」


「ああ、それもそうですね」


 国道はユーサ第一港を過ぎた辺りから湾岸道路に切り替わる、海沿いに走っていた道が山中へとその進路を変えた。むせ返る程の草いきれが鼻につき、今年も健気に土の中から生還した蝉が交尾の為に喚き散らしていた。

 義眼レンズが建物を捉えた、瞬時にズームアップし異変がないか調べる。


「おかしな所は無いようだ」


「そのようですね、ダンタリオンからも報告がありました」


 舗装されてはいるが、長い年月によって悪路に変わっていた坂道をのぼっていく。程なくして国立海洋研究所の正門ゲートに到着し、ホシを車内に残して一人地面に降り立った。


《ガングニール、開けろ》


《タバコが吸いたいって始めっから言えよオッサン、あんたも十分ダサいぜ》


《言われた通りにやれ》


 ちょうど煙草を吸い終えたと同時に錆びついた音を鳴らしながらゲートが開いた。敷地内に車を乗り入れるよう指示を出し、雑草に塗れたアスファルトの道を歩く。適当な場所に車を停めたホシが降りてきた、先に中へ入っておくよう顎でしゃくって促した。


《まだ吸うのか?いい加減自分の体を大切にしたらどうなんだ》


《煙草は何も言わずに安らぎを提供してくれるんだ、どこかの特個体と違ってな》


 それっきり静かになった。もう一度内ポケットから煙草を取り出し火をつける、屋内で喫煙が禁止されてからこうして新たな習慣が生まれてしまった。どれだけ吸っていようが建物の中に入る前は一本吸うようにしているのだ。

 煙草の先から紫煙が上がる、風が無い山の中なのに、何かに煽られたように煙がふわりと歪んだ。



✳︎



《ホシ、反応はありませんが十分注意してください》


《ありがとう、いつも助かるよ》


 今日はどうやら少年のようらしい、声変わりをしていない幼い声でダンタリオンがそう話しかけてきた。

 足を踏み入れた研究所内は予想に反して綺麗な状態を保っていた。海底に住む生き物たちの模型がガラスケースに収められ、受付カウンターの奥には一隻の船の模型も飾られていた。エントランスの右手にエレベーターがある、おそらくあそこから地下へと向かうようだけど...そもそもこの研究所に地下施設自体無かったはずだった。


《あのエレベーターは使えそうかな》


《少し待ってください、調べていますのでその間に何かお話でも聞かせてもらえたら》


 厳密に言えば特個体がシステムに介入するのに時間は必要ない、瞬き一つで済んでしまうのだが、ダンタリオンがこういう言い方をする時は構ってほしいのだ。


《それじゃあ、海の向こう側について話をしてあげるよ。ダンタリオンは海の向こうには何があると思う?》


 薄暗かったエントランス、順次明かりが点き始めた。端の方から一つずつ、丁寧に。


《うう〜ん…別の大陸、とかですか?あ!もしかして未発見の大地とかですか?》


 僕の頭上に設置されている蛍光灯が点いたり消えたりと点滅を繰り返している。


《残念、ウルフラグの海の向こう側はウルフラグなんだよ》


《え?そうなのですか?》


《そうさ、この星はとても小さい、数ヶ月もせずにぐるりと一周できてしまうんだよ。別の方角に向かえば違う国があるんだけどね》


 エレベーターにも電力が供給され、扉の開閉ボタンに明かりが灯った。それなのに僕の頭上ではずっと点滅を繰り返したままだ。


《知っています、その国の名前はカウネナナイ、今なお──供給が完了しました、お待たせしてしまってすみません》


 表で煙草を吸い終えたヴォルターさんが所内に入ってきた、苦手意識を持っているダンタリオンが話途中で切り上げて素早く報告してきた。僕を引き止めるためにわざと点滅させていた頭上の蛍光灯も、今はしっかりと点いていた。


《いいよ、また話をしよう》


《何だ、またイチャイチャしていやがったのか?ホント、お前はガキそのものだな》


《愚弄する言葉は控えてもらいたい、こちらはホシの指示に従ったまでだ》


 少年の声から、はっきりとした拒絶の色を含む青年のそれに変わっていた、ダンタリオンが彼と話をする時に必ず採用される人格だった。


「さっさと行くぞ」


「あ、はい」


 気を回して先に使えるようにしていたのに...けどまあ、得てしてヴォルターさんの年齢層はこういう人間が多い、報われそうにない気疲れを感じながらエレベーターに乗り込んだ。


「ここからどうするのですか?」


 僕の質問には答えず、内ポケットに手を忍ばせたので、まさかここでも煙草を吸うのかと冷やりとしたが、薄いカードキーを一枚取り出しただけだった。


「屋内は禁煙だろうが」


 どうやら顔に出てしまっていたらしい、少しだけ不機嫌になったヴォルターさんが取り出したカードキーをボタン式の制御盤にかざした。タッチ式でもないのに反応するのか?そう訝しむと同時にエレベーターが一人でに動き始めた、それも思っていたよりスピードも早い。


「だ、大丈夫なんですよね?」

 

 不安になり、隣に立っているヴォルターさんにそう声をかけると、


「わ、分からん…このままケツが浮いてしまいそうだ、ああ、これは断っておくべきだったのかもしれん……おい!どうやったら止まるんだこのエレベーターは!」


 今さらのように慌てだしたヴォルターさん、こういう一面も持っているから僕も心底嫌いになれないでいた。普段は口数も少なくムスッとしているけど、予想外の出来事に出会すと一気にお喋りになるのだ。

 ありとあらゆるボタンを押し始めたヴォルターさんを後ろから眺めながら、エレベーターの到着を待った。

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