プロローグ
スーパーノヴァの襲来より十年の月日が流れた。「落星」を予見していたゼウスはアメリカ方面第三テンペスト・シリンダー[マリーン]へ避難していたが、エモート・コアに感染していたウイルスが現界を果たし物理感染、[マリーン]へ流出してしまう騒ぎとなった。
このウイルスを回収すべく、「落星の功労者」たるアヤメ、ナツメ両名が[マリーン]へ潜入し回収任務に就くのだが──。
人であれ作られた命であれ、己が命を全うするに値する理由は千差万別、それこそ星の数程ある。「義務」という檻の中で「理由」を持たずにただ日々を生きていた少女が一人の少女と出会う。混沌、混迷、流転、なすがままに翻弄される少女は最後に何を思うのか──。
ー五年前ー
ゼウスが提出した報告書から視線を上げると、淹れたばかりの珈琲の匂いが鼻をついた。
「嘆かわしい…あれだけ注意しておけと伝えたはずなのに…」
私と同じ陶器を使っているはずなのに、その体躯の良さから玩具に見えてしまった。軍人を思わせるその体は質の良いスーツでいくらか隠れているようだが、全てを包み込むにはあまりに質素な服装だと言わざるを得なかった。
その可笑しさにくすりと笑ってから私も珈琲を一口だけふくんだ。
「仕方がありませんよドゥクス、最後の最後に盤面がひっくり返ってしまったのですから」
老齢を思わせる深い声でドゥクスが答えた。
「そんなもの戦場では日常茶飯事だよガイア、それをあの若造は分かっておらんのだ。特個体の機密事項まで渡してやったのにこの体たらく、余計な火の子が降りかからない事を祈るよ」
美味かった、そう一言礼を言ってから席を立った。彼も何かと多忙を極める司令官だ、外では彼が指揮している巡洋艦も待たせてあった。
「お越し頂き感謝致します司令官殿、進展があればまたご報告します」
去り際に振り向き、蓄えたその白い髭を撫でながらこちらを見透かすように言った。
「恙無く。君もあまり無理をするなよガイア、人間の相手はまだ慣れておらんのだろう?互いに良き間柄でいたいものだ」
手の内は読まれているらしい、やはり司令官には頭が上がらない。願わくば情勢が傾き彼と敵対しないことを祈るばかりだ。
ドゥクスが見ていたモニターでは、弁護士の私的越権行為と不正取引による、五年越しの逮捕劇が報じられていた。グレーのスーツにハット姿の男性は、何度かこちらにも足を運んだことがある麻布流月と呼ばれる人だ。
(何と読むんでしたっけ……確かる、るーく?)
報道陣らに取り囲まれ不正を暴かれるようにフラッシュを焚かれている、その光りを反射してハットに付けていた小さなバッジがきらりと光った。
「………さて、私も準備を致しましょう。まずは政府に問い合わせて……それから………」
第一テンペスト・シリンダーから避難してきたマキナは三名。その全員のエモート・コアにはあるウイルスが感染しており、発覚が遅れてしまったためにこちらにも流出してしまったのだ。
「はぁ……私に出来るのでしょうか……交渉など慣れていませんからどうなる事やら……」
深い溜息を吐いて窓の外に視線を向けると、海底に作られた私達のエリアからは様々な魚が我関せずと泳ぎ回っているのが見えた。近くの海盆にはベントスに分類される生き物が群生しており海の中にカーペットを敷いているようだった。
スキャンダルを報じていたモニターを消し、今から折衝を行なう政府へ連絡を取る。心臓は早鐘を鳴らすように乱れており呼吸をするのも少し辛かった。
客人が去った広間には私以外誰もいない、いいや、ここにこうして一人で過ごすのも何百年以上の時が流れている。慣れているつもりでも、やはり他者との交流を渇望していた私は繋がった相手にこう語りかけた。
「初めまして、私の名前はグガランナ・ガイアと申します。ウルフラグ政府代表であるあなたに折り入って相談したいことがあります」
ー現在ー
「さぁさぁ!出発の時だよ君達!心の準備はいいかな?いいよね?早く行ってほしいんだけどね!話しがまとまってからもうニヶ月近くも待たされたんだから尻を蹴飛ばしたいぐらいだよ!」
「本音が出てるぞ」
「すみませんゼウスさん、私の為に待っていただいたみたいで」
「いやいや、落星の英雄がご帰還したとなれば話しは別だよ。それより君もいいのかい?」
タイタニス・マテリアルの中は何と驚いた事に居住エリアとなっていた、その内の一角にはゼウスさんが束ねる「監査室」と呼ばれるエリアがあり、大きく放たれた窓の向こうには抜けるように青い空があった。大変見晴らしは良い、けれど地球の空を知った今の私にとっては物足りなさが否めなかった。
「いいとは?」
「フォレストリベラだよ、ここの街もそうお目にかかれる景色じゃない。向こうに行ったら暫くは帰ってこれないだろうからね」
「構いません、帰ってきた時にゆっくりと堪能しますから」
私の言葉を聞いた、すっかり大人びたナツメが言葉尻を捉えて含むような言い方をしてきた。
「自分の故郷を堪能するね…」
「何?」
「いいや別に、この十年間どれだけ心配かけたと思っているのか、聞いてみたいんだがな」
あの頃と比べてやはり老けている、当たり前だが。それでもその老いもナツメにとっては十分に魅力的であった。落ち着いた雰囲気を纏い、ゆったりとした所作は年齢による重みを感じそれと同じぐらいに懐の深さも思わせた。
ここでこうしてナツメと会うのは二カ月ぶりだ、向こうが私に会ってくれようとしなかったのだ。前言撤回、今は拗ねた様子も隠さず私を睨みつけているだけだった。
「黙って出て行ったのは悪かったよ、けど、ナツメなら分かってくれると思ったんだけどね。私が居なくて寂しかった?」
「いいや、別に」
不貞腐れたように視線を外して窓の向こうを見やっている、外から涼しい風が入り込み私達三人の髪を優しく撫でていった。
「さて、再会の挨拶も済ませたことだし本題に入ろうか。君達が向かう場所はアメリカ方面第三テンペスト・シリンダー、差別化と簡略化のためにこれから「マリーン」と呼ぶよ」
「そのマリーンにノヴァウイルスが感染してしまったんですね」
「………」
「うん?まぁ、そうだけど……」
「何か?」
「いやいや、そのノヴァウイルスがどのように作用しどのような症状を生むのか現時点で定かではないんだ。事が大きくなる前に君達には現地のマキナと協力して回収してほしい」
「回収とは、サーバー内にそのデータが存在しているということか?」
「いいや、既に現界している。あちらのガイアからの報告では近海の底に沈んでいるそうだ」
「海………」
海、私がまだ一度も触れていない場所。巡った十年間は全て内陸部だったから未だ知らぬ世界であった。その言葉を聞いて胸がときめき、二人からの不審な目も気にならなくなった。
「言っておくが、遊びじゃないんだぞ」
「分かってるよ」
「さぁて…事前説明も済んだことだし…」
ゼウスさんがデスクに駆け寄り何やら持ち出そうとした時、窓の外がにわかに曇り始めた。空には一点の曇りもないというのにおかしな景色だ、ついですっかり聞き慣れてしまった低く豪快なファンローターの回転音が届き始めた。
「……ん?あれはまさか、グガランナ・マテリアルか?」
「いやいやいやいや!君は呼んでないよグガランナ!きちんと持ち場についていないと駄目だろう!」
慌てるゼウスさん、しかしあのグガランナが言うことを聞くとも思えない。予想通り、外部スピーカーからグガランナの声が轟き渡った。
ーせっかくあの子が一人立ちしたんですもの!この機会にアヤメを独り占めしないわけにはいかないわ!ー
「おいおいおい…お前、ずっとあんな調子のグガランナと一緒だったのか?」
「そういうナツメだってあのプエラとずっと一緒だったんでしょ?」
「………」
図星らしい。
こうして、私とナツメ、それからグガランナ・マテリアルと共に地球の大空を移動することになった。
こういう旅も悪くない。