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星落ちた後の彼ら彼女ら〜case4.ナツメ、プエラ・コンキリオ(九年十一ヶ月後)〜

 疲れた体を無理やり動かして辿り着いた場所は、今回の騒動の第一発見者が待機している警官隊の個室だった。固いドアノブを回して扉を開ける、傷んで錆びついた蝶番の音が耳に障った。


「お忙しいところ申し訳ありません、聴取はすぐに終わらせますのでご協力お願い致します」


「はい」


 そう頷いた女性も声に濃い疲労が滲んでいる、向かいの席に腰を下ろし監察室から預かっていた資料を開こうとすると喉の渇きを覚えた。安っぽいデスクの上には何も無い、本当に気が利かない連中ばかりである。仕方がないと一度下ろした腰を上げ、室内に置かれた吸水機へと足を向ける。


「あなたも飲みますか?と、言っても水しかありませんが……」


「──ああはい、ありがとうございます」


 プラスチック製のコップに水が溜まるまでの短い時間の間、昨夜の演奏会の出来について考えた。予定していた演者が急遽キャンセルとなってしまったので私の所にお鉢が回ってきたのだが、あれは酷いものだった。いくら準備する時間が無かったとは言えあれはない、流行りの音楽、テレビ、ゲームミュージックを真似ただけの二番煎じ、三番煎じの演奏を行なった、きっと誰の胸も打つことはなかっただろう。


(はあ……)


 後悔か疲労か、胸の内で溜息を一つだけ吐いてからコップを持って席へ向かう。受け取った水に一口付けてからじっと私のことを見ていたので気になった。椅子に腰を落ち着けると同時に向こうから切り出してきた。


「あの……ナツメさんですよね?」


「はい、そうですが…………ん?」


 ここに来てようやく女性の顔が視界に入った、太くて凛々しい眉に優しそうに下がった目尻、見たことがある顔だった。


「────アリンか」


 そこでくすり、疲れていた顔に僅かな笑顔が浮かんだ。


「いいえ、私は妹のカリンです。あの時は本当にお世話になりました」


 今から約十年も前の話しだ、当時は互いに特殊部隊に所属し戦場に身を置いていた。


「お元気でしたか?」


「見ての通り……くたくたさ、そういうお前はどうだ?」


 当時のことがフラッシュバックした、アサルト・ライフルの重みと硝煙の臭い、常にまとわりつく緊張感に無慈悲な殺意。そして、もう忘れていたと思っていた心の傷が小さく、だがはっきりと疼いたのを感じた。仕返しでしてやったあのキスが最後の別れになったんだ、どうしたって思い出してしまう。


「疲れてはいますが、元気にやっていますよ」

 

 監査室から預かった資料に視線を落とす、そこには南部の病院に勤務している医者の個人情報が記載されていた、名前はカリン、家族は夫と一歳になる子供がいるらしい。


「医者なのか……そりゃ大変だな、頭が下がるよ」


 それから近々行われる十回忌セレモニーの役員にも選ばれているようで、資料を見ただけでもその忙しさが垣間見えたようだった。その事を伝えるとカリンの顔に翳りが生まれた。


「私はその選出には不服なのですが……数年前に行なった追悼式の件で白羽の矢が当たりまして……」


「追悼式?」


「はい、当時参加していた市民の方を集めて亡くなられた方々の追悼を行なったのです。その時に約束しましたから」


「そりゃ凄い、当たって当たり前だと思うよ」


「………」


 困ったような笑みを溢し視線を逸らした、このまま仕事の話しではなく互いの近況について話しをしたかったが、時間が遅いこともあり切り上げることにした。


「昔話しに花を咲かせる前にいいかな、さっさと終わらせてしまおう」


「はい」


 こうして、南部地方で起こった警報騒ぎの第一発見者の聴取が始められた。警官隊による聴取は既に済んでいるので彼女にとっては二度目だ、同じ話しを、それもこんな夜遅くからしなければならないのだからそれは疲れるはずだ。いくらか申し訳ない気持ちになりながら、タブレットに搭載されている録音機能を立ち上げた。



✳︎



[昨日発生しました南部地方の対侵入者システムが誤作動を起こした件について、上層部警官隊より記者会見が行われました。今のところ、この騒動における被害は確認されていないとのこです──]


[ええ──昨日に発生しました騒動についてですが、我々警官隊と監査室とで調査を進めております、ああ…これによる被害報告は今のところありません、市民の皆様におかれましては大変ご迷惑をおかけしましたこと──]


 テレビモニターから流れているニュースを耳に入れながら、自前の端末でメッセージを作っていた。場所はタイタニス・マテリアル内に置かれた中層部監査室の執務室だ、業腹にもあのゼウスが私達のボスであり「室長」のデスクに腰を下ろしていた。ナツメへメッセージを送信してから視線を上げる、上品な匂いに包まれた室内、落ち着きのある調度品、そして座り心地が大変よろしいソファは大変腹ただしかった。


「話しを進めてもいいかな?」


「手短に」


 一つ咳払いをしてから腰を上げ、私の不機嫌さなどものともせず口火を切った。


「上層部南部地方の迎撃システムが誤作動を起こした件についてだけど、どうやら何者かが違法アクセスをした疑いがあるんだ」


「それで?」


「ナツメに現地へ飛んでもらって早速調査に入らせているけど雲行きが怪しいんだ、迎撃システムを管轄している警官隊が非協力的でね」


「そりゃあんたが一枚噛もうとするからでしょ?手を引けばすぐにでも愛想が良くなるわよ」


「それがそう単純な話しじゃない、迎撃システムを管理しているサーバーは独立しているんだ、そう誰人でもアクセスできるものではない」

 

 私の皮肉にも答えない、余程の事態らしい。そりゃ私達の休日を奪うだけのことはある、本当なら昨日の演奏会から今日まで休みで私とナツメはゆっくりと、二人っきりで過ごす予定だったのだ。無責任ゼウスが余計な事をしなければ今頃は...そう思うと腹の虫が騒ぎ立てて仕方がなかった。


「独立って?結局は誰かの手で管理されているんでしょ?だったら抜け道はいくらでもあるじゃない」


「迎撃システムに限らず、街が所有している攻撃手段や火器類は全てサーバーのみで管理しているんだよ。総軍省と警官隊の承認があって初めて起動する、今回の騒動は「誤作動」ではなく「ハッキング」、それが一番の問題なんだ」


「それで管轄している警官隊が怪しいって?」


「そうとは言ってない、けれど協力的ではないのが些か不安でね、だから君達に声をかけたのさ」


 私の斜向かいに腰を下ろし、短く溜息を吐いた。こいつもこいつで何かと多忙なのだろうと思うが知ったことではない、今の今まで好き勝手やっていたのだからご愁傷様としか思えなかった。

 深みのある木製のデスクの上に置かれた飲料水に手を伸ばし喉を潤している、澄んだ瞳を私に向けてから続きを話した。


「最悪の事態を想定するならば、人間達に託した解決機を起動することになるかもしれない」


 その言葉にはさすがに驚きを隠せなかった、ちょうどナツメから返信があったが視線を落とすわけにはいかなかった。


「なんでそこまでするの?──まさか、誰かが武装蜂起するかもしれないってこと?」


「そうさ、ビーストもノヴァグも居なくなったこの街で武器を欲する理由なんてそれしか考えられない。武器はいつの時代になっても、己の欲望を乱暴に叶える道具だからね」


「つまりは抑止力になれって言いたいの?」


「そこまで大手を振る必要も無いけどね。ナツメの次は君を投入すると伝えたら、さすがに向こうも協力せざるを得なくなるだろう、それを期待している、機体だけにね」


 これは...あのゼウスが地口を言うなんて...よっぽど疲れているのか頭がおかしくなってしまったのかどちらかだ。


「はあ──まぁいいわ、協力するわよ、あんたの駄洒落なんてもう聞きたくもないし」


 話しは終わりと自分から腰を上げ、ナツメのメッセージを確認しようとすると、


「そりゃ良かった、慣れない駄洒落を言った甲斐があったというものだ」


 こいつ...ぱあん!と一つゼウスの頭を叩いてやった、まさか叩かれるとは思っていなかったゼウスが目ん玉をひん剥き驚いている、良い気味だ。


「人の心配を返せ!」


「た、叩く前に言ってくれないかな……」


 ヒールの踵を鳴らしながら扉へと向かう、近くに置かれていた姿見にはすっかりと大人になっている不思議の国の何某が映っていた。フリルこそ付いていないけれど、あの日、出会ったばかりの頃に着ていた物と似ているワンピースと赤いヒールを履いている、これもナツメを喜ばせようと思って買った服なんだけど...


「ああ、少し待ってくれないか、君に渡したい物がある」


「何?」


 振り向いてみれば、叩かれた頭を撫でているゼウスが一つのカードキーを持っていた。



✳︎



「──こんなものだろう、協力に感謝するよ、疲れているところすまなかった」


「いいえ」


 録音された内容を聞き直して聴取を終えた、向かいの席に座るカリンの顔にはっきりと疲労の色が出ていた。


「待たせてしまってすまなかった、私も急に言われたものでな……まあ、言い訳にしかならんが」


「あ、いいえ、そんな……」


 荷物の片付けに入ろうとするとカリンから話しかけてきた。


「ナツメさん、今のお住まいはどちらですか?」


「──うん?今はエディスンに家を借りているが……それがどうかしたのか?」


「もし良ければでいいのですが、今からうちに来ませんか?一緒に食事などどうでしょうか」


「ああ……すまないな、まだ仕事が残っているんだ」


 逃げの一手を打った、この後の仕事なんて一つもない。


「そうですか……良かったら昔話しの続きをしたかったのですが……」


「それは悪かった。他の皆んなは元気にしているのか?」


「はい、良く四人で集まっていますよ。ミトンも籍を入れたみたいで、毎日甘えているそうです」


 ミトンは技術開発所に勤めており、同じ所で働く年上の女性と結婚したそうだ、一時期ブームになった装着型義体はミトンが開発したらしい。


「そうか……他の二人は?」


 疲れた顔も忘れて身を乗り出してきた、昔と違って彼女は随分とお喋りになったようだった。


「それがですね、アシュなんですけどね、あのヴィーと婚約間近なんですよ」


「ヴィー?──ああ、ヴィザールのことか?」


「そうです!昔は色々とあったんですけど、まさか二人が恋人同士になっていたなんて…ほんと最近なんですよ、私達に報告してくれたの」


 最後に奴と会ったのはいつだったか...確か「枝付きの英雄」と呼ばれ始めた頃に食事へ行ったっきりになっていた。あいつもあいつなりに前へ進んでいるんだなと、心の疼きを感じながら荷物を片し終えて席を立った。


「帰りはどうする?送っていこうか?」


「あ、いえ、主人が迎えに来てくれますので。また良ければお食事にでも行きましょう」


「そうだな、また行こうか」

 

 ゆったりと笑うカリン、もしかしたらこの子が一番変わったのかもしれない、まだもう一人残っているような気がしたが聞く気にはなれなかった。

 互いに連絡先を交換してから、逃げるように部屋を出て行った。



[──自宅へ帰る途中、いつもは真っ暗なのに明かりが灯っていたので不思議に思いました。街のガイドラインに侵入者を迎撃するシステムだと書かれていたのでまさかと思ったのですが……その矢先に警報が鳴り響いて慌てて通報しました]


 南部地方もとい、湖の街として再び人気になった元第六区から車を飛ばしている間、先程聴取を終えたばかりの録音データに耳を傾けていた。唯一、大量のノヴァグの侵入を許してしまった場所ということもあり、迎撃システムも十重二十重に敷かれ厳重に管理されていたはずだった。それなのにも関わらず今回の騒動が起きてしまったのだ。


[警官隊の到着を待っている間に警報も鳴り止んで…付近に住んでいた方々も慌てて外に出てきましてちょっとした騒ぎになりました。到着した警官隊も「慌てる必要はない」と一点張りできちんとした説明もありませんでした]


 湖の上に築かれた住宅地からジャンクションに乗り上げ中央部を目指してひた走る、眼下から伸びた大樹が高速道路を覆い、天然の天蓋として向かう先にずうっと伸びていた。


[怪しい人影は見なかったかとしつこく聞かれたので見ていないと答えたのですが…後からやって来る警官隊の方に何度も同じ事を聞かれました]


「そりゃ疲れて当然だ」


 伸びる高速道路と並列して等間隔に筒状の物が立っている、役割の一つとして前方車両との距離を測る、あと一つが上空から落ちてくる葉っぱを吹き飛ばすための物だ。

 分岐ジャンクションに差しかかった時、後にした南部地方が眼下に収まった。湖を囲うようにして作られた住宅地をさらに囲うようにして迎撃システムが並んでいる。側から見たら監視塔のように居並ぶ物が侵入者を感知し即座に対応する街最大の攻撃手段であった。今日まで反応したことはない、防火池に生き物を放り込むのと同じように「使ってはならない」という意義が込められていた。その分、警官隊の焦りも強いのだろうが一般市民を詰問していい理由にはならなかった。


[それで今日も改めて事情聴取として呼ばれたのですね?]


[……はい、そうなります]


 この受け答えだけが唯一気がかりだ、今の今までこちらの質問にはすらすらと、それどころか警官隊に対する不満も隠さずに話していたのにここだけ歯切れが悪い、私の穿ち過ぎならそれに越したことはないのだが...

 分岐を中央部方面に侵入した時、中層部監査室の室長から連絡が入った。唐突に現れ「お前達の上司になる」と言われて早数年、多忙な日々を根底から作っている変わり者のマキナであった、名前はゼウス。聞くところによると、不測の問題に対してだけ()あのテンペスト・ガイアより上位に位置するらしい、胡散臭い男だ。


[やあやあ、調子の方はどうだい?たまには空を飛びたくなったりするのかな?]


 そういえば、遠い昔に一度教官も務めていたなと、その陽気な挨拶で思い出した。


「そんな訳ないだろ、それより何だ?もう仕事なら間に合っているぞ」


[仕事の話しじゃないよ。疲れているに君に朗報さ、良ければこの後食事にでも行かないかな?良いお店を見つけたんだよ]


「すまないがこの後も仕事でな、遠慮しておくよ」


 本線に合流すると車の数の多さに驚いた、さすが中央部だけあって向かう車も出て行く車も多いようだった。私の皮肉に喉をくっくと鳴らしてから本題に入った。


[功労者には嫌われているようだね……君のために部屋を借りておいたよ、今から中層に帰るのも大変だろうから]


「どこのホテルなんだ、そろそろ街に入るからさっさと教えてくれ」


[君が借りていた部屋さ、先客がいるからそのまま向かってくれ]


 先客?他人と同居しろとでも言うのだろうか。それに私が借りていた部屋といえば...複数あったので詳しい場所を聞き出そうとしたが、あっさりと切れてしまった。


(仕方がない…とりあえずあそこに行ってみるか)


 星型防護壁から最も近いあのマンションへ、中央部の摩天楼を眺めながら車を走らせた。



「あ、お帰りー」


 数年ぶりに戻ってきた単身者用マンションの一室、引き払ったはずの部屋には明かりが点いており、まさかとドアノブを捻ってみれば中層にいるはずのプエラがそこにいるではないか。


「お前、いつの間にこっちに来たんだ?」


 数年経っても体は覚えているようで、ここを寝ぐらにしていたあの隊長時代の日々が思い起こされた。いつもくたくたになって寝るだけの部屋だったのにも関わらず、玄関前の廊下にはいつもゴミ袋が散乱していたなと細かな所まで思い出していた。靴を脱いで部屋に上がり込む、体のラインが露わになるタイトな青いワンピースを着ているプエラが私の元へ歩いてきた。


「ひとっ飛び的な?」


「何だそれは」


「無責任ゼウスにナツメのことを出迎えてやってくれって言われてさ、カードキーと飛行機のチケットを渡されたの」


 こいつも随分と背が高くなった、私と並んでもほんの少ししか変わらない。常に潤んでまん丸かった目も切れ長で大人のそれに変わっている、が、中身はまだまだ子供のようで後ろで手を組みながら愛嬌を振り撒いていた。


「そりゃいい、新婚相手にボディブローを食らわされてしまったから寂しかったんだよ」


 ぽんと、プエラの頭に手を乗せると嬉しそうに目を細めた。



✳︎



「新婚相手って何?誰のこと言ってんの?」


「カリンだよ、今回の第一発見者で元特殊部隊所属の」


「────ああ!そんなのもいたわね」


「扱い酷くないか?」


 元々ナツメが使っていたという部屋、前に一度だけお泊まりしたことがある部屋はがらんとして何も無かった(当たり前)けれど、こうして二人っきりで過ごせるのなら寧ろ何も無い方が良いのかもしれない、そう思える程に互いの距離が近くに感じられた。

 帰ってきたばかりのナツメは予想していた通り疲れた顔をしていた、めっちゃくちゃ甘えたかったけどぐっと堪える。


(我慢、我慢……)


 部屋にあるのは備え付けのベッド一つのみ、あのセクハラゼウスが何を想像してここを指定したのか分からないが、まあ、私を手懐けるためにやったんだろう。そのベッドにナツメが着ていたジャケットを投げてすとんと腰を下ろした。昔と比べて大分()()()()なったように思う、今もスカートを履いているし男っぽい座り方をせずきちんと足を揃えている。けれど胸元はお留守なようで、白いブラウスの襟元から綺麗な鎖骨とほんの少しだけ下着が見えていた。そのまま視線を上げてみれば「プエラ?」簡単にリップだけを塗った艶やかな唇にすうっと小高い鼻、それから「プエラ」私とほぉぉぉぉおんの少しだけ似ている切れ長の目、そう言われた時は一週間ぐらい上機嫌だったのを覚えている。


「プエラ」


「は、はい!」


 びっくりした、あまりに見過ぎていたせいでその本人から顔をぱしんと挟まれるで気付かなかった。


「悪いけど今日は無しだぞ、さっきから熱い視線を送ってくれているけど」


「あ、ああうん、ごめん、そういうつもりじゃなくて…」


 本当はこのままその可愛らしい胸─前に一度、本人に「その胸は可愛いままだね」と、とくに他意は無かったのに言葉使いが悪かったせいでナツメを怒らせてしまい、一週間ぐらい口を利いてもらえないことがあったので二度と言わないが─に顔を埋めたかった、私の頬に触れている手のひらも暖かい、この手で全身をくまなく愛撫してほしかったがそれもぐぅぅぅぅっと堪え、気丈に見えるように微笑んでみせた。


「疲れている時は甘えたりしないよ」


 けれどさすがと言うべきか、あっさりと見抜かれていた。それすらも嬉しい。


「そうだといいんだがな」


 二度、三度と頭を撫でてくれた、私もまだまだ子供のようであった。



✳︎



 機嫌の良いプエラが食事の準備をすると言ってキッチンスペースへ姿を消すと、それを見計らったようにまた上司から電話がかかってきた。勤務時間外のやり取りは勘弁願いたいがプエラも調査に加わるとなれば、それだけ大事であるということらしい。


[やあやあ、休んでいるところ申し訳ない、司令官とは合流できたかな?]


「未だにその呼び名を使っているのはお前だけだぞ。で、プエラを投入しなければならない程切迫詰まった事情でもできたのか?」


[さすがは功労者、見抜かれているみたいだね]


「当たり前だろ、お前は目標達成のためなら公私混同を平気で行なう奴だからな」


[そりゃごもっともで。聞きたいことがあるんだけどね、今日の警官隊の様子はどうだったかな?]


 警官隊の事か...


「それなら飛びっきりのニュースがあるぞ」


[それは是非とも聞きたくないね]


 ゼウスの言葉を無視して今日あった出来事について語ってやった。まず、警官隊の分署に到着してから眉唾物で扱われたこと、誰も私の相手をしようとしなかったこと、それからカリンが一方的に受けた尋問とも呼べる事情聴取を受けた件についてだ。それらを聞いてからゼウスがあからさまな溜息を吐いてみせた。


[それはほぼ黒と言っても差し支えないね〜。ああ、やだやだ、どうして僕が探偵の真似事をしなくちゃならないのか…]


「現場を走り回る助手のことも気にかけてほしいもんだ」


[人間相手に折衝しなければならない探偵の身にもなってほしいね。まあ、こんな所で愚痴を言っても仕方がない、明日南部地方の本署に出向いてくれるかな、話しはこっちで付けておくよ]


「そらみたことか。警官隊の仕業だって言いたいのか?クライマックスにはまだ早いだろ」


[違うよ、彼らが犯人だとは思わないけど確実に何かを隠している、黒寄りの白ってところかな]


「今回の警報騒ぎは事前に分かっていた可能性があるということか?」


[う〜ん…それはどうだろうねぇ〜…けれど、警報騒ぎを起こした犯人か、あるいはシステムの不具合については何かしら知っているんじゃないのかな?僕はそう思っているよ]


「システムを洗いざらい調べればいいだろうに」


[何かと承認がいるんだよ、マキナである僕も例外にはならないんだ。だから、君に下地作りをしてほしいのさ]


「さいですか」


[期待しているよ、落星の功労者]


 取って付けたように言いやがって...またタイミングを見計らったようにキッチンスペースからプエラが顔を覗かせた。


「誰と喋ってたの?」


「ゼウスだよ、仕事の話しさ」


 可哀想に...と、言いながらプエラが再びキッチンスペースへ引っ込んだ。青いワンピースはそのままで最近になって流行り出した「キッチンエプロン」なる物を着用している、きっとどこかの店で買ってきた物だろう、昔住んでいた時はあんな物どこにも無かった。

 不思議と足が動いた、疲れていたはずなのにするりするりと動いてキッチンへと向かう。後付けで何とかスペースを確保している場所でプエラが料理を作ってくれていた、健気に見えるその姿、無防備に見えるその背中、髪の毛を括って見えるそのうなじ、その全てが「私の物」なんだと思った時にはひっそりと抱き付いていた。


「──びっくりしたぁもう」


 抗議の声を上げはするが抵抗はしない、目の前にある後頭部にゆっくりと顔を埋めた。爽やかで甘い匂いがする、胸いっぱいに吸い込んで未だ疼いていた傷を束の間でも忘れようとした。


「──なあ、お前もやっぱり子供が欲しいとか思うのか?」


「………別に、私はナツメさえ居てくれたらそれでいいよ」


 その声音に戸惑いの色を見出した私は、縋るようにもう一度後頭部に顔を埋め息を吸い込み、そしてそっと離れた。



✳︎



 頭からうなじ、背中、尾てい骨にかけて甘い電気が駆け抜けていった。立っているのもやっとの甘さだ、あのナツメが私に甘えてきたのだ、嬉しくないはずがない。けれど、どうして子供の話しをしてきたのか、暴れる心臓と混乱する頭と甘い余韻に浸っている体のせいで手元がとんでもない事になっていた。


(あっちゃ〜…一個失敗しちゃったよ…)


 まあいいやとシンクの角に置かれたゴミ箱にぺい!と捨てる、お腹は減っていたけどそれどころではなくなってしまった。


(子供が欲しいって何?……まさか!私との間に欲しいってことなのん?!)


 あまりのパニック具合に最近見出したアニメキャラのモノマネまでやってしまった。ナツメは子供が欲しいのかなとか、子供が好きなのかなとかそれなら今の私はどうなんだろうとパニクったままハンバーグをくるくるひっくり返していると、下着姿のナツメが再び現れた。手には着替えとタオルを持っている、どうやらご飯の前にシャワーを浴びに行くようだ。さっきの事など、まるで何事も無かったように声をかけてきた。


「すまないが先に入るぞ」


「えーそこは待っててほしかったなあ〜…」


「お前の分もついでに入ってくるよ」


「いやいや何言ってんのさ」


 ナツメのお腹には小さなポート穴が付いており、私の後ろを通り過ぎたあとに背中を見やれば大きな傷が斜めに入っていた。私と、私ではない他人の証、ナツメの裸を見ているだけで心の中が掻き回される気分になってしまう。


(もういい加減、あの傷も治してもらえばいいのに)


 唯一無二の副隊長も同じ位置に傷があったらしいが...ナツメは気丈に振る舞い強くあろうとしているが、その実メンタルはとても弱い。副隊長の事もそうだし、あの人の事も未だに引き摺っているきらいがあった。

 一瞬にして憂鬱な気分になってしまい、料理もひと段落していたので気分転換にでも音楽を流そうとベッドルームに向かう。慌てて荷造りしたカバンの中から端末を出そうとすると、ベッドの上でちかちかと光っているナツメの端末が目に入った。何年も型落ちしている古い物だ、ホログラムウィンドウに着信があったことを知らせていた。


「……ん?」


 私はてっきりセクハラゼウスだろうと見やったのだが、そこには未登録のままになっている知らない番号が表示されていた。


「え、誰だろう…」


 握り易いがダサいグリップ型の端末を手に取る、履歴ではナツメから一度電話をかけておりその後すぐに折り返しがあったようだ。


(誰?誰にかけたの?)


 ...こんな夜遅くに電話をする相手って誰?ゼウスなら分かるがはっきりと言って非常識と言える時間帯だ、それでもかけられるということはただの知り合い程度ではあるまい...友達?けど、ナツメは殆どプライベートの付き合いはしてこなかったと言っていた。


(誰…誰なの?)


 心臓をぎゅううと締め付けられたように不快感が襲ってきた、私の知らない相手と何を話そうとしていたのか...もしかしたら会う約束でも取ろうとしていたのか、さっきはあんなに甘えてきたくせに?今度は違う相手に甘えようとしているのだろうか...駄目だ、考えがどんどん悪い方へ、悪い方へといってしまう。


「プエラ?」


「──っ!」


 シャワールームから出てきたナツメが声をかけてきた、慌てて端末を元の場所に戻してから何事も無かっ──────まさか...私がさっきあんな事を言ったから?だから甘えるのを止めてしまったの?


「ん?何?」


 普段と変わらない声音を出せた自分に驚いた、そして反吐が出そうになった。


「もう食べてもいいのか?」


 キッチンで物音がする、私が作った料理にあやかろうとしているのだろう。こんな事になるなら失敗したあの一個は残しておくべきだったと、下らない仕返しを考えてしまいさらに反吐が出そうになっていた。



✳︎



 さすがは本署と言うべきか、昨夜のような塩対応ではなかった。


「この度は監査室の方々にもご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。所要があれば何なりと申し付けてください」


「ご丁寧な対応感謝致します」


 訪れていたのは南部地方警官隊本署の中の応接室である。上った高速道路を再び下りて南部方面に入り、稲妻のように曲がりくねった樹が並ぶその根元に本署の建物があった。昨夜訪れた分署から車で半時間程の場所である、応接室の窓からはカリンが住んでいる住宅地と監視塔を見下ろすことができた。

 対応してくれているのは本署勤務の副署長、歳の割にはスラリとしている、体を鍛えているのが一目で分かる男だった。


「その後、迎撃システムに異常はありましたか?」


「今のところはありません。私共の方からも総軍省へサーバーのアクセス権を要求しているところです、まだ返事はありませんが今日中に許可が下りるかと思います」


 深々と、けれど社交辞令に過ぎない礼をした後に向かいの席に座った。


「総軍省の見解はお聞きになっていますか?」


「おそらくはシステムの不具合であろうという返事は頂いております、分署の聞き込みでも怪しい人影は見なかったとの報告が上がっておりますから、我々もシステム側に視点を置いて調査を進めるつもりです」


 総軍省と言えば...結婚逃しが在籍している所だ、頭の中で連絡先を登録していたかと思い返している間にも、昨夜の一件について伝えさせてもらうことにした。


「失礼ながら、昨夜は私も管轄している分署にお邪魔させて頂いたのですが、市民への聞き込みには些か疑問に思うところがあります」


「と、言いますと?何か不手際がありましたか?」


 心なしかこちら側に距離を縮めてきたように思う、のっぺりとした薄い顔ではあるが冷たさも感じるようになった。こういう場は慣れっこのようらしい。


「過度だと仰りたいのです。第一発見者の方にも詳しくお話しを聞かせてもらったのですが、あなた方に何度も同じ事を聞かれて疲れているご様子でした」


「それは第一発見者からの進言があったという理解でよろしいですか?」


「いいえ、私個人の見解です」


 銃を持たなくなった代わりに言葉という弾を良く撃つようになった。あの機械生命体とはまるで勝手が違う、奴らは口の中に銃身を突っ込めば綺麗さっぱり終わらせることができたが、人間相手に言葉を撃つのは信じられないくらいの慎重さが求められる。後腐れにならないよう言葉を選ぶ必要があるし、かと言って下手に出過ぎても今度は相手にしてもらえなくなってしまう。撃ち易さで言えばビーストの方が遥かにマシだった。


「それは失礼致しました、私共もまさか急な横槍が入るとは思いませんでしたので配慮が足りなかったようです。聞き込みにあたった警官へは厳重注意をしておきましょう」


 それはあってないような処置だ、誰が誰に聞き込みをしたかなど、それこそ時間を割かねば分からない話しである。それを分かってて言っているのだからあしらわれたと解釈していいだろう。


(まあ…これが本題ではない)


 こんな事でいちいち手を休めていたら仕事にならない、私も嫌な慣れ方をしたものだと思いながら話しを続けた。


「対応して頂いてありがとうございます。今日、ここに伺った本題に入らせてもらいますが、侵入者用迎撃システムが稼働してから昨夜の警報騒ぎまでの管理データをこちらに提出して頂きたいのです。よろしいですか?」


「………」


 すうっと体を引いて何も喋らない。


「何か不都合がありますか?」


「いいえ、そうではありませんが…目的をお聞きしてもよろしいですか?」


 おや、と思う、そんな分かりやすい発言をしてしまう程に動揺しているということだろうか。


「我々監査室の仕事を行いたいだけです、他意はありません。きちんと申し上げるならあなた方の勤務内容に不備が無いか調べさせてもらいたいのです」


「………」


 ゼウスが何と話しを付けたのか知らないが、公安員の前で見せて良い表情ではなかった。明らかに動揺している、眉を寄せて言うか言うまいか、二の句をどう告げるべきか悩んでいた。


(でもまあ…こっちの方がやり易い)


 私も少しだけ距離を縮め、内緒話をするようにいくらか声のトーンを落とした。


「差し支えなければ今から管理データを見せてもらえませんか?」


「……提出ではなく?」


「はい、私が見るだけです、提出する必要はありません。もし今後、何かしらの不備があったとてしもそれは私の責任ですので」


「………」


 副署長が安堵している、ゼウスの見立ては間違いなかったようでプエラの言葉を借りるなら「めっちゃ真っ黒やんけ!」である。監査室に提出するのはデータではなく私の報告書のみであれば、警官隊としてもいくらかやり易かろうと思い持ちかけた話しであったが...こうもあっさりと食い付くあたり、私の買い被りであったようだ、この男も大したことはない。

 さあ話しがまとまろうという時に余計な奴が応接室に乱入してきた。


「──ここかあ!私の休日を奪った馬鹿たれわあぁ!!」


「っ?!」


 アオラだ、スーツ姿ではなく昔と同じ男っぽい出立ちをしている。ロング丈のコートの下はスウェット生地の上着とスキニーパンツ、ぼろぼろのスニーカーを履いており髪もさっぱりと短くなっているので側から見たら本当に男にしか見えなかった。驚く私達をよそにして大股でこちらに歩いてくる。


「うだうだと下らない話し合いは止めてさっさと私らに管轄権を寄越せってんだ!お陰でこの私が出向く羽目になっちまっただろうが!ええ?!」


「ちょ、な、あ、あなたは確か、大区長の…」


「見りゃ分かんだろ!」


 負傷していた足は公務に差し支えると数年前に暴れるアオラを押さえつけて無理やり治療させた、らしい、今はピンピンとしており今にも副署長を蹴り飛ばしそうになっていた。


「いいのかああっ?!私の権限を使えばここ自体を取り押さえることだってできるんだぞ!己らのメンツに気ぃ遣ってやらなかっただけで今すぐやってもいいんだぞ!」


(己らて…どこのマフィアだ…)


「し、しかし!私の一存で決められる話しでは、」


 アオラに食ってかかられている副署長が可哀想だ、いきなり乱入されて一方的に捲し立てられている。


「いいか!そこに座ってる女はなあ!気に入らないってだけで自分の部下の足を撃ち抜くイカレだぞ?!」


「!」


 こいつ!


「てめぇも五体満足で死にたかったら今すぐ署長でも誰でもいいから許可を取り付けて持って来い!いいな?!」


「は、はいぃぃい!!」


 アオラに唾を飛ばされた副署長が逃げるようにして応接室から出て行った。大区長なのかマフィアなのか分からないアオラが、副署長の代わりにすとんと腰を下ろした、腹が立つことに顔はご満悦そのものである。


「こんだけ言えばあとはちょちょいのちょい──待て待て、お前の事を悪く言ったのは謝るからその拳を下ろしてくれ」


「ふざけるなよこの馬鹿たれ!せっかく話しが穏便にまとまりかけていたのに余計な事をしやがって!」


「お前が穏便とは、変わったもんだ。久しぶりだな、元気にしていたか?」


「言うに事欠いてそれか!今更過ぎるだろ!」


 数年ぶりに会う元整備長は何も変わっていないようだった。



「ゼウスに頼まれた?」


「そうだよ、私の所にも話しが回って来たんだ。南部地方の警官隊が非協力的だからと言って解任要求を出しやがってな、そんな面倒臭い事になるなら直談判して協力を取り付けた方が早いって話しになったんだよ」


「あいつ…やりたい放題だな」


「お陰でせっかくスイちゃんとお出かけに洒落込もうとしていたのに…やってらんないぜ全く」


 姿を消した副署長はもう数十分と戻っていない、今頃お上はてんやわんやとしていることだろう。アオラなんかと昔話しに花を咲かせたくなかったが、スイの事が気になったのでこちらから話しを振ってやった。すると、アオラが途端に元気を失くしてしまった。


「何かあったのか?」


「いやまあ……うん、ちょっと近頃上手くいってなくてな……お互い仕事で忙しいってもあるんだが、すれ違っているんだ」


「珍しい事もあるもんだ」


「いやいや、喧嘩なら良くするぞ?」


「違う、お前が落ち込むことがだよ」


 何様だと私の頭を叩こうとしてきたので必死になって避けた、いくら付き合いが長いからといってそんな容易く体を触れられて良い相手ではない。


「今回は尾を引いているというか…私のせいでもあるんだけどな…ちょっと目を離し過ぎたんだ、それでスイちゃんが怒ってな」


「他所の女に手を出したのか?それこそ今更だろう」


 こいつが改心したのは知っている、あれだけ女好きであっちへふらふらこっちへふらふらとしていた奴がスイ一筋で仕事に励むようになったんだ。ただの冗談のつもりだったが、さらにアオラが視線を落としたので思わずデスクに身を乗り上げてしまった。


「お前!まさか本当に手を出したのか?!」


「違う違う!そうじゃない!そうじゃないんだけど…そう思われても仕方がないくらいにはずっと一緒にいた相手がいるんだ」


「誰なんだ?」


「お前も知ってるアリンって子だよ」


 続けられた言葉を聞いて自分の耳を疑ってしまった。


「あの子、未だに固執しているんだ、アヤメに」


「………は?」


 どうしてそこでその名前が出てくるのか...いや、固執しているというのはどういう事なのか...


「いつ帰ってくるかも分からない相手に固執しているのが見ていられないってカリン達から直々に相談を受けてな、それで私が面倒を見ていたんだよ。あの子だけなんだ、未だに立ち直れていないのは」


 それは違うと、開きかけた口を慌てて閉じた。私もそうだったからだ。


(アヤメ……)


 その時、忘れたいと思っていた唇の感触が激烈に蘇ってきた、蘇ってしまった。


「……ナツメ?どうかしたのか」


「……いや、何でもない、少し驚いただけだ」


「そうか……ん?ようやく来たようだな」


 私の耳にも届いていた、この話しを終わらせてくれた複数の足音が、扉の向こうから慌ててこちらに向かってきているようだった。



✳︎



 昨日から今朝方にかけての記憶が曖昧だった、とくに何かをした覚えも何を話したのかも覚えていない。ただただナツメの顔色を窺っていたように思う、同じベッドで横になるのも何だか嫌だった。


「あ〜あ、何やってんだろ」


「え、何か仰いましたか?」


「いいえ、別に何でもありません」


「はあ……」


 私を案内してくれる...名前は何だっけか、良く聞いていなかったので知らない。とにかく細身の男性が私の呟きに反応してくるりと振り返ってきた。ごうんごうんと大型製造機械が音を立てているのに良く聞こえたものだ。

 ここは警報騒ぎを起こした対侵入者用迎撃システムの開発、製造を行なった工場である。たまには役立つゼウスから一声かかり、北部地方最大規模を誇る製造現場に足を向けていた。お陰でナツメとはまだ顔を合わせていない、簡単なメッセージだけ残してマンションを後にしていた。訪れた理由は簡単だ、システムに組み込まれているプログラムを精査するためだ、今は細身の男性の案内で工場長がいる事務所へと向かっている。


「ここで製造されているのは迎撃システムだけなのですか?見たところ飛行機の翼のような物もあるようですが」


 他所行きの口調でそう話しかけた、安全通路を歩いているだけでとくにする事もなく、単なる暇潰しであった。


「ん?聞こえていない?」

 

 さっきは耳聡く聞いていたくせに?無視されるのもそれはそれで嫌だったので、仕方なく肩をつんつんと突いた。


「あ!はい!何でしょうか!」


「ここで作っているのはー!迎撃システムだけですかー!」


 確かに、入り口から中に進めば進むほど製造の音が大きくなっている。緑色で塗られた安全通路と安全柵の向こうでは、迎撃システムの外形を大型旋盤で加工しているところだった。旋盤とは、物を高速で回転させながらダイアモンド(この街にそんな物があるのか甚だ疑問だが)刃で削り取って形を整えていく作業だ。その音のせいで声を張り上げても相手に伝わった気がしなかった、すると男性が装着しているヘルメットの耳元をとんとんと叩いた。


[これで聞こえるはずです、説明するのを忘れていました]


 ヘルメット内に埋め込まれたスピーカーから男性の声が聞こえてきた、こういう事は早めに言ってほしいものだ。


(つまり、私の独り言がバッチリ聞かれていたってことよね)


 嫌な男だ、黙っているなんてどうかしている。喋る気も失せてしまったので「とても大きな音ですね」と当たり前のことを言ってお茶を濁した。

 そうこうしているうちに、現場内に建てられた質素な二階建てプレハブ小屋が見えてきた、あそこにここのボスがいるらしい。



「すみません、こんな所にまでご足労頂いて…実は私も早速ではあるんですがプログラムの精査に入っておりまして…」


(何というか…仕事人間!ってカンジ)


 髪はボサボサ、髭はボーボー、目の下にはクマ!そのくせ目だけはギラギラとしている中年の男だ、どうやらこいつがここのボスらしい。カフェインと男臭い汗の匂いを嗅ぎながら話しかけた。


「失礼ですが…あー…あなたがここのボスですか?」


「ボス!良いねその響き、大区長とお揃いだなんて照れ臭いぐらいだ」


 しまった...こいつの名前もろくすっぽ覚えていなかったのでつい自分呼びの名前を口にしてしまった、けれどあちらさんは気を良くしたようですらすらと話し始めた。


「けれど僕のことはレイと呼んでほしいかな。君が監察室から出向してきたプエラ君だね、話しは聞いているよ、ま、とりあえず座って座って」


 汚いデスクの上を汚く片付けている、勧められた席にもゴミが落ちていた。あまり気乗りせず、生返事を返すがおやと思った。


「はあ………ん?」


 ...レイ?あのレイエアラインの社長?それがどうしてこんな所で技術者の真似事なんか...それよりも「レイ」という名前は確か...


(だからあいつが私を指定してきたのか…)


 テッドの父親だ、この男は。

内心驚いている私をよそにして、レイと名乗ったボスがすらすらと進捗状況を教えてくれた。


「メインにもサブにもエラーは見当たらない、ソフトからハードまで洗いざらい調べてみたけど何ら不具合は無いようだ。ううむ……これは困ったぞ、株主に何て説明すればいいのやら……」


「はあ」


 そりゃハッキングされたからでしょと今は言うまい、余計な火種は自分から振り撒かないことにしている。変わりに当たり前のことを聞いていた。


「このシステムは政府が所有しているサーバーで管理されているんですよね?それもカーボン・リベラに構築されていたスタンドアロン型を基にして設計されていると聞きましたが」


「そうさ、普段は電子の海の底に沈んでいるんだ、誰かがアクセスしても必ず履歴が残るし承認無しの状態で行なえば必ず通報される仕組みになっている」


「政府内で秘密のアクセスがあった疑いは?」


 自分で言ってて聞き方が幼稚過ぎたと思ったが、相手はとくに気にしていないようだ。


「それも無い、何せ解体しているプログラムがその件の物だからね、綺麗さっぱり何も残っていなかったよ」


「あらら」


 ついタメ口で答えてしまったのですみませんと言ってから、さらに気になっていた事を口にした。


「予め仕込まれていた形跡はありましたか?」


「………それをやる理由は?意味もなく警報を鳴らすバグを仕掛けて何の得があるって言うんだい?」


「それは仕掛けた奴にしか分からないと思いますが、こうも何も無ければ作動した後に自己デリートするようプログラムされていたと思うのが自然かと思いますよ」


 大きく鼻で息を吐きながら無言でタブレットを叩き始めた。画面には次から次へと三次元プログラムコードが流れていく、作った本人しか分からない暗号化された図形のようなものだ。つまりはこのレイという男が作成したらしい、何者なんだ、この男。


「駄目だ、その線も無さそうだ、どこかを弄られた形跡も無い」


「ありゃりゃ、これは暗礁に乗り上げましたね」


「いやいや、技術者というものはここからが正念場なんだよ、君」


 えー面倒臭いなこの男、さっさと諦めて上に投げればいいものを...袖を捲って臨戦態勢に入った、さらに調べ上げるつもりでいるらしい。


「もしかしたら意図していないところでコードが二次的反応を見せているのかもしれない…これだから三次元は面白いんだよ、まるで学習する生き物のようだ、わくわくするね〜」


(こいつ…マジモンだわ…)


 責任者として問題の解決にあたっていたわけではないらしい、技術者としての知的好奇心を満たしたいだけのようだ。ヤバい。さっさと戻ろうと踵を返しかけた時、画面から目を離さずに、まるで世間話しをするように話しかけてきた。


「僕の息子とは友達だったみたいだね、その節はお世話になったよ」


「……え、と、友達?」


「違うのかい?息子からのメッセージの中に君の名前も入っていたからね。ガサ入れする公安員の名前を見ておやと思ったんだ」


(ガサ入れて…いやまあ合ってはいるけど)


「良ければでいいんだけど生前の息子がどんな風に過ごしていたのか教えてほしい、これでも僕は一児の父親だったんだよ」


 そう言われてしまったら...断るに断れなかった。それにだ、まさかあいつに友達だと思われていたなんて、驚きでもあった。



「あっはっはっは!暴力性欲お化けロリお兄ちゃん!何だいその呼び名は!」などとゲラゲラ笑いながら作業の手を休めない、その様はまさにマッドサイエンティスト、マジモンだ。


(帰りたい…)


 私が知る限りのことは一通り話してやった、初めて出会った時から、それこそ最後に過ごしたあの夏祭りのことまで。あいつを一言で表すのならまさに「暴力性欲お化けロリお兄ちゃん」である。ただの悪口のはずなのに、レイはどこか嬉しそうにしていた。


「どうやら寂しい思いはしていなかったようだね、それを聞いて安心したよ」


 デスクの上に置かれたアヒル型のガジェットを弄りながら合いの手を入れた。


「そんな事を気にするだなんて仲が悪かったんですか?」


「うう〜ん…悪くはなかったけれどね、僕と妻がラブラブだったものだから距離を空けられていたと思う。あの子とは長話しもせずに別れてしまったから、その辺りの事は良く知らないんだよ」


「そうなんですか…」


 ぐえ!ぐえ!と不細工に鳴くアヒルにしかめっ面を晒し、もう飽きたとデスクの角に追いやった。


「奥さんとは今もラブラブなんですか?」


「うう〜ん…」


 お、予期せぬ返事。てっきり「そうなんだよ!」と返ってくると思っていたからつい身を乗り出していた。


「え、何かあったんですか?」


「それがねえ〜…家を出て行かれてしまったんだよ、僕があまりに仕事熱心なものだから愛想を尽かされてね〜…」


 道理で身なりが汚いわけだ、どうせここに寝泊まりしてろくすっぽ自分の世話もしていないのだろう。


「今はどちらに?もしかして他の男性の所ですか?」


 そこで初めて画面から視線を離し、私の顔を見やった。


「何でそんな事まで聞くんだい?君には関係ない話しだろう?」


「いやいや、ただの興味本意ですよ」


「他人の不幸は蜜の味って?そういうのは関心しないな〜」


「いやいや、恋バナは乙女の栄養源です、いついかなる時でも他人の恋路が気になるものなんです」


 説得力を持たせるために、デスクの上に置かれたままの空き容器を手に持った。


「あなたがカフェインを取って仕事に励むように、乙女も恋バナを聞いて仕事に励むのです」


「いやいや、それは僕のじゃないよ、手伝いを頼んでいるエフォル君の物だから」


「そうですか……」


 ちっ、紛らわしい物を置くんじゃない、マッドサイエンティストの別れ話しが聞けくなくなってしまったではないか。


「…………ん?その名前は確か、」


 その名前について教えてもらおうと思ったのだが、ちょうど作業が終わったようだった。


「こんなところかな。面白い事が分かったよプエラ君」


 面白い事?


「それは何ですか?」


「プログラムコードの二次元的反応を全て予測してみたんだけどね……答えは白!全くもってノーアンサーという結果が出たよ」


「はあ……つまり?」


 嫌な予感がしてきた。


「つまり、どんな組み合わせにおいても警報装置だけが作動するなんてアウトプットは存在しない、ということさ。第三者の介入がなければ今回の事象は発生し得ない。いやあ〜粘った甲斐があるってものだよ、システム側に一切の不備は無かったと株主に説明ができる」


「え、え〜と、つまり?」


 疲れた顔に喜色満面の笑みが浮かび、こう答えた。


「誰かがシステムにハッキングを仕掛けたということさ。もしかしたら君は知っていたんじゃないのかな?」



✳︎



「………脅迫状?」


「はい……」


 疲れ切った顔をしている南部地方本署の署長が、そう頷きながら一枚の紙切れをデスクの上に差し出した。世の中には私より疲れている人間がごろごろいるらしい、世も末だ。


「実は、先月頃からこのような物が届くようになりまして……当初は手の込んだ悪戯の類いだろうとまともに調査もしなかったのですが……」


 隣に座っていたアオラがふんだくるように取り文面に目を走らせ、一通り読み終わったあと私に渡してきた。


「お前も読んでみろ」


 言われるまでもなく私も目を走らせてみれば、そこには「加担シタ者、白日ノ元ニ晒ス、自首ナクバ、機械ノ神ガ鉄槌ヲ下ス」と書かれていた。


「加担した者白日の元に晒す…自首なくば機械の神が鉄槌を下す…」


「機械の神ってのは迎撃システムの事だろうな、で、加担した者ってのは何なんだ?」


 そうだろうな、私もそう解釈した。


「字面からして、およそ良い意味で使われるものではありませんよね?この場合だと頭に「悪事」と付くはずなのですが、何か心当たりは?」


 私の丁寧語にアオラが眉を寄せている、後で鉄拳制裁するとして、問われた署長が大仰に手を振って否定し始めた。


「滅相もない!私共は誓って悪事になど手を染めておりません!このような暴力的アクターと同じにしないでもらいたい!」


「それはそれは、何故この犯行を行なった者が組織だと分かるのですか?単独犯かもしれないでしょう」


「それはっ、」


 周りにいる者は視線を落とし、口を滑らせた署長は何度も舌なめずりをしている。この紙切れだけで何故組織的な犯行だと分かったのか、答えは明白だった。が、推理を披露したのは隣に座っているアオラだった。偉そうに足を組んでソファの背もたれに肘までかけている。


「つまり、あんたらは昔にいざこざがあった派閥かグループか、あるいは複数人が集まった暴力的アクターに脅され、自分達の悪事が明るみに出るのを恐れて隠していたって事なんだな?迎撃システムの誤作動に大慌てしていたのはそれが理由だろう」


「だからあなた方は一般市民にしつこく怪しい人影はいないかと聞いて回っていたのですね」


「そ、そのような事は、」


 往生際の悪い、昨夜録音したカリンの音声データを聞かせてやった。


「…………」


 黙り込んだ署長にアオラが畳みかけた。組んでいた足を解き、ドスの利いた声で署長にこう告げた。


「なあ、あんたら自分が何をやっていたのか自覚はあるのか?犯行声明を出されているのにてめぇらはプライドを守るためにこれだけ多くの人間に迷惑かけたんだぞ?」


「………」


「さっさと吐けこらああっ!!!」


「っ?!」


 生まれて初めだった、猛り狂ったアオラを止めに入ったのは。



[それは良いニュースと言えるのかい?僕には面倒事が増えたようにしか聞こえないよ]


「ぐだぐだ言うな、今回の一件は全部警官隊の不始末だ、後はお前の仕事だ」


[うう〜ん…まさか大区長の機嫌が悪かったなんて…そんな所まで読めやしないよ。余計な事をしてくれたね〜こっちは全面的な協力さえ得られたらあとの事なんて目を瞑るつもりでいたのに]


「今のは聞き捨ててやる、切るぞ」


[え、それを言うなら聞き捨てならな]


 切ってやった。


「奴は何て言ってんだ?」


 署長から押収した管理データをつまらなそうに眺めていたアオラが声をかけてきた、相変わらずの気分屋だ、こいつの傍で公務に励んでいる者はさぞかし迷惑していることだろう。


「それの検分が終わればお役御免だ」


「お前は気楽で良いな、こっちは審議会の要請と招集をかけなくちゃならないってのに」


「場所ぐらいなら押さえておこうか?良い店を知っているぞ」


「そりゃいい──何か忘れてないか?」


 本署の電算室でデータを眺めていたアオラがはたと顔を上げた。


「何を──いやいい、お前一人で考えろ、私はこのまま失礼させてもらう」


「いやいや、急に逃げるなよ、どうしたんだ?」


「お前は知らないだけだ、あのゼウスがいかに人使いが荒い男か、逃げられるのなら逃げておくべきだ」


「あいつはマキナだろうが。それよりどうして組織的って分かっていたんだ?この紙切れだけで判断はできんだろうに」


 ピラピラと、指紋が付くのも構わず振っている。


「大方、その紙を扱っている企業だか業者だかを突き止めたんだろう、このご時世に紙を扱う奴なんて限られているからな」


「そりゃまあ、そうなるが…えー、民間にも声をかけないといけないのか?っどくせえーなあ、ナツメ!お前も手伝え!勝手に降りるのは許さないぞ!」


「知るか!こっちだって毎夜毎夜くたくたなんだよ!休日を返上してまで働いている身にもなれ!」


「私もだこの馬鹿!大区長舐めんな!」


「そんなに嫌ならさっさと辞めてしまえ!」


 売り言葉に買い言葉、喧嘩口調はそのままで肝を冷やしてくるような事を言ってきた。


「誰が辞めるか!この街は私が守ると決めたんだよ!アヤメが寂しくなっていつでも帰って来られるように守ってやらねえとな!」


「──っ」


 瞬間、あの、うんと昔の記憶が蘇ってきた。アヤメのためにとお手伝いに励むこいつの姿が。いつもそうだった、ふらふらしているかと思えば、こいつが先に道を決めて走って行く、そして私はその背中を眺めて焦ってばかりいるのだ。


「──お前は、あいつが、生きていると思うのか?もう十年近く経っているんだぞ?」


「それぐらい、地球って場所は広いってことなんだろ?お前は死んだと思っているのか?」


「違う!そうじゃない、けど、」


「──信じられないってか?」

 

 図星をさされた、二の句を告げられない。


「だっせえ奴だな、お前、何のために音楽やってんだよ、あいつに特等席を用意させてやれるぐらい有名になりたいんだろ?」


 立ち上がったアオラにどんと胸を叩かれた。


「偉そうな事は言えないが、仕事も音楽も人生も、全部自分の心で決まると思うぜ。しっかりしようや兄弟、私はお前にアヤメを預けたんだ、いいな?そこんとこ忘れんなよ」


「………ああ、身に染みたよ」


 変わっていないなんてとんでもない、見違えるようだ、小さかった頃なんて人形を大事に抱きしめていただけのに、今となっては街一つを抱きしめようとしていた。

 何か言うか言うまいか、凛々しい顔付きをしているアオラの前で黙ったままでいると端末に着信が入った。これ幸いと思わず出てしまったが...後の祭りだった。相手はゼウスからだった。


[ナツメ、署長と話しが付いた、これから警報騒ぎの主だった捜査は僕達監査室に移行することとなった]


「頑張ってくれ、草葉の陰から応援しているよ」


 しまった...忘れていた...


[とりあえず北部の高官住宅地へ赴いてくれるかな、脅迫状を受け取ったという警官隊の関係者がいるんだ。その後は、]


 こっちの皮肉に一切反応しない、慌てて止めに入った。


「待て待て、私はまだやるとは一言も言っていないぞ!それに何だ?脅迫状はその北部に届けられたんだろ?どうして他にも足を、」


[複数なんだ、それも同時刻]


「は?」


[脅迫状が届いたのは管轄している警官隊分署、それに加えて北部に一通、南部に一通、それから中央部に一通の全部で四通だ。届けられた時刻もどうやら同じタイミングらしくてね、だから彼らは暴力的アクターと断定したんだ、個人でできる事じゃない]


「いや、そりゃそうだが…私一人で回れってか?」


[司令官にはハッキングを仕掛けたと目されるリニアに飛んでもらっている、残念だけど君一人だ]


 リニアの街てまた...プエラも災難だな、昨日こっちに来たばかりだというのに。


[いやあ〜僕としてもここまで裾を広げるつもりはなかったんだけどね〜、捜査権をこっちに移行さえすれば僕個人の手で収まったんだけど…警官隊が隠しているという過去の不祥事まで暴かれたらそうもいかなくなってしまったよ。アオラと変わってくれるかな?]


「………んだよ、相手はゼウスだろ?」


 こいつもゼウスが苦手らしい、凛々しい顔付きもどこへやら、思い切りしかめっ面をしていた。


「審議会の打ち合わせだとさ、ゼウスも呼ぶんだろ?」


「はあ?………ああ、勘の良い奴だなー、話しがややこしくなるから声をかけるつもりなかったのに……」


 ちっ!と舌打ちしてから端末を受け取った。


(こいつ…下手すりゃ全員から嫌われているんじゃないのか…?)


 こうして、押し付けられた仕事をこなすため、久しぶりに再会したアオラと別れ北部地方へ向かうことにした。



✳︎



 ごうんごうんとうるさかった現場から移動し、今はふぃんふぃんと聞こえる飛行機内にいた。そして、私の手元には捜索差押許可状なるものがあった、所謂令状と呼ばれる物だ。あのゼウス野郎、私に立ち合いをさせて、総軍省が管理している迎撃システムがハッキングを受けた事を裁判所に認めさせ、それを差し押さえるためにこんな物まで作っていたのだ。

 ハッキングについては初めから分かっていた事ではあるが、「郷に入らば郷に従え」と人間達の手続きに則るために私を使っていたのだった。


(相変わらず腹立つぅ〜っ!このレールの上を走らされてる感が嫌なのよね〜)


 ここまでゼウスの読み通りであろう、大方、落とし前の付け方も既に決まっているのかもしれない。それに巻き込まれないよう祈るばかりだ。


「!」


 離陸前のアナウンスが行われている中、ポッケに入れていた端末が細かく震え出した。いつの時代になっても飛行機の離着陸直前は端末の使用が禁止されており、近くを通りかかった添乗員に目線で注意を受けてしまった。


「………」


 一瞬で心臓が跳ねる、相手はナツメからだった。


(え、何だろう…仕事中に電話なんて滅多に…)


 何かあったのか、いや私に用事なのか、昨日の事?やっぱり気にしていたのかな。出るわけにもいかず、鳴り止んでから慌てるように端末の電源を落とした。

 黒くて重いモヤが胸にのしかかってきた、慌てて端末から目線を離し窓の外を見やった。北部空港の展望デッキでは何人かがこちらに向かって手を振っているところだ、きっと身内がこの飛行機に乗っているのだろう。可愛らしい女の子が二人、飛行機から発生している風に顔をしかめながらもお別れの挨拶をしていた。


(あれがもし…私とナツメの子供だったら…)


 そう考えた途端、さっきとは違う意味で心臓が跳ねてしまった。


(待ってそれやばくね?!ちょー特別な存在じゃんか!私とナツメの子供………いや私女だったわ)


 もし私が男の人だったら...ありもしない妄想を楽しんでいると機内に二人、慌てた様子で駆け込んできた。


「危なかった〜!ギリギリ間に合ったね!」


「は、はい…ひ、久しぶりに走ったので息が…」


(バカップル)


 一人は小柄でもう一人は私と同じ背丈がある、どちらも女性だった。前を走っていたのは...あれは何だ?天使か何かなの?年齢が全く分からない、小柄でとびっきりに可愛い女性だった。髪を愛らしいお団子にしており、目鼻立ちはどこかで見覚えがあるものだった。


(あんな人見たことあったっけか?)


 そしてその後ろを歩いている人は茶色の髪を長く伸ばしており、勝気そうに見える目は天使みたいな女性に注がれていたというかあれはアリンだ。


(え!まさかの再会!)


 周囲の目も気にせず二人は恋人同士のように手を繋いでいた。こうして見るのは五年ぶり、ノヴァグの騒ぎの一件以来だった。


(あいつもアヤメのことが好きだったんじゃ……)


 詳しく聞いたわけではないが、風の噂でそう耳にした覚えがあった。分不相応にもと思うが、じゃあ私は何様なんだっていう話しだ。二人は最後列の座席まで移動し、慌てて手荷物を棚に押し込んでいる。駆け込み乗車はおやめくださいとアナウンスは無いのかなと思っていると、あまり好きではない短距離間飛行機がメインエンジンを起動させていた。



 北部合同空港を飛び立った飛行機は、テンペスト・シリンダーの外壁を螺旋状に旋回しながら高度を下げていく。その変わり映えしない景色は見る必要もないし、とにかく退屈な空の旅であった。


(自分で飛ばした方が楽しいのに)


 外壁近くに雲が滞留していなければ、うんと広がる空を見ることができる。けれど今なお大地は回復の途中であり、そこまで見せる必要は無いと中層近くの空域から窓には仮想風景が流される、ごく一部の人間にしか知らされていないフォレストリベラの悲しい秘密だった。

 空の旅は小一時程、その中頃になって花摘みのために席を立った。機体の前後にパブリックスペースがあるため、私の席から近い後ろ側を利用させてもらうことにした。


(いない…)


 確か、最後列にあの二人、アリンと天使と見紛う女性がいたはずだ、けれど席はもぬけの殻になっていた。気流に揺れる機体に足をすくわれながらも到着すると、


「──あ」


 一つしかないお花畑の前にアリンが端末を弄りながら立っていた、その奥にはちょっっっとしたカフェテラスもあるが誰も利用していないようだった。


「何やってのん?もしかして順番待ち?」


「いや、別に……そういうわけじゃ……」


「?」


 何をそんなに怯えているのか、私の気のせい?けれどアリンは一向に目を合わせようとしない。


「お待たせ〜、あら、この可愛らしい子はアーちゃんのお友達なの?」


 お花畑からすっきりとした表情で恋人?が出てきた、身長は私より少しだけ低い、もしかして、


「歳の差ってやつ?」


「ち、違うから!」


「ま〜!それは私が子供に見えるってことよね?嬉しい〜!」


「ど、どうも……」


 凄いオーラだ、私より小柄なのに目力がハンパない。それに愛くるしいと言うべきか、私の手を握り、お団子をぷるぷると震わせながら小さくジャンプしていた。


(素でこれをやっているのか…世の中ってほんと広いな…)


 パッと見たその手の甲にはハッキリとしたシワがあった、思わずギョッとしてしまい、失礼だと分かっていながらも聞かずにはいられなかった。


「おいくつなんですか?」


「ちょ!」


 さっきまで他人行儀だったアリンが私の肩を掴んで止めに入ったがもう遅い、可愛らしい天使があっという間に凄みのある表情に変わっていった。


「──それは歳の話しをしているの?それとも身長?」


「え、両方……かな?」


「こら!せっかくの助け船を!」


「もう!許しません!あなたも私に付き合いなさい!これは命令です!」


 揺れる機体もものともせず、(まだ花摘みを済ませていない)私とアリンの手を掴んで奥のカフェテラスへと引っ張っていった。年齢不詳の天使はバランス感覚も優れているらしい。



「え………テッドの……お母さん……?」


「はい、息子がお世話になりました。あなたのお名前もメッセージで良く拝見させていただきました」


 小さなカフェテラスはちょうど三人分の席しかない、お花ばた...もうトイレでいいや、トイレの奥にある小さな階段を上った所、天井は球体状の強化ガラスがはめ込まれており、仮想展開されていない本物の太陽光がデスクに降り注いでいた。

 お互いに自己紹介をし合い、「え、あのプエラさん?」と言われ、(何でこの人は知っているんだろう……)と心の中で戦々恐々としているとアリンが教えてくれたのだった。


「お母さん………?妹とかではなく……?」


「はい、良くお巡りさんに止められて「ご両親はどこ?」と心配されるけど迷子じゃありません!!」


 うぇーん!と泣き出してしまった、自分で言っておきながらセルフ突っ込みを入れるだなんて...自由奔放な人らしい。


「あ、あの、レイさん、その辺で…」


「え、レイ?」


「はい…私の名前は夫と同じなんです…」


 駄目だ、頭が追いつかない、以前はマキナの司令官を務める程の処理能力があったというのに、今ではタスクを一つずつでなければ処理できない。


「待って、その前にどうしてアリンはテッドのお母さんと一緒にいるの?何かあったの?ラブラブみたいだったけど」


「そういうわけじゃ、」


「心のケアをしているところなの、ね?」


「心のケアあ?あんたが?」


「こら、そういう風に悪く言うのは感心しないわ、誰でも怪我はするものなの、いい?」


「はい…」


 子供か大人かパッと見で分からない天使にめっ!をされたら頷くしかない、凄いオーラだ...自分が何百年と生きているマキナであることすら忘れてしまいそうになった。


(マジモンだわ……)


「アーちゃんと一緒にリニアの観光地を巡ってリフレッシュしようと思っているの、良ければあなたもどう?」


「次のタスクに入ります」


「た、たす……な、何?」


 アリンは若干引いているがこうでもしなければ自分のペースを確保できない。


「飛行機に乗る前、北部地方の工場であなたの夫であるレイと会ってきました。仕事に現を抜かして奥さんには家を出て行かれたと言っていましたが、男ではなく女に走ったという解釈でよろしいですか?」


 そこでばあん!とアリンがデスクを叩いてきた。そうそう、あんたは静かにしているよりそっちの方が似合っている。


「人の話し聞いてた?!私のために時間を割いてくれているの!変な誤解はしないでちょうだい!──喧嘩しているんですか?」


「あんたも知らなかったのかよ!」


「聞いて!聞いて!そうなのよ!レイったら私のことをほっぽり出して仕事ばっかりしているのよ?!このまま他所の男の人のところに行っちゃうぞ〜って脅しても「子供と間違えられて逮捕される相手が可哀想」って言ったの!信じられない!」


 カオス!


「ネクストタースク!」


「その言い方何とかならないの?」


「聞いて!それでね!」


「あんた、アヤメのことで引きずっているって本当なの?」


 ぴたり。騒がしかった空気も一瞬だった。


「………それは、」


「あんたにとってアヤメって何なの?そんなに大事な相手だったわけ?」


 ちょうど太陽が雲に隠れてしまい、アリンだけ日陰に入っていた。隣にいるレイ(天使)もどこかそわそわとした様子で見守っている。


「……違う、アヤメさんにとって私が大事なの、だから今日まで頑張ってきた、それを他人からとやかく言われる筋合いはない」

 

「──は?」


[パブリックスペースをご利用のお客様へ、もう間もなくタイタニス空港に到着致しますので座席にお戻りになり、シートベルトを着用してお待ち下さい。本日もレイエアラインをご利用頂き──]



 収穫を終えた畑は寒々としており、人工肥料に塗れた中層の大地がどこまでも広がっていた。空も同じように薄く、年の瀬にぴったりな風景だった。

 到着したターミナルで二人とは別れている、向こうも同じ目的地だが旅の道連れになる理由もなかったので今は一人、自動運転車の座席で寛いでいた。リニアまでの経路は、一度エディスンに寄って飛行機に乗る必要があった。近い将来、タイタニス空港からも直通便の運行が開始されると思うが、リニアの街自体がまだまだ再開発の途中にあるので空港という広い敷地が存在していなかった。最寄りのエディスンに到着するまで時間があったので、ゼウスから貰ったガサ状にもう一度目を通すことにした。


(にしても、アリンの奴……相当捻じ曲がっていたわね……)


 目的地はリニアの街に置かれた中層部方面の軍事基地、総軍省が大枚を叩いて買い付けたという湖が見える大きなお城だ。


(でもまあ……気持ちは分からないでもない……きちんとお別れもせずに離ればなれになってしまったら、ああいう風になってしまうのかもしれない)


 例えばどうだ、あの日、今は立ち入りが制限されている下層で私はナツメと再会することができた、それも間一髪の状態で。もし、あの時再会できなかったら、ナツメに拒否されてしまったら、ナツメだけがこの世の人でなくなっていたら...この余りある想いが行き場を失い私も狂っていたことだろう、アリンが弱い精神の持ち主だとは思えなかった、寧ろ強過ぎるぐらいだ。


(忘れられない想いって、強さにもなるけど縛り付ける鎖にもなるのね…)


 文面を舐めるようにして読んでいたためろくすっぽ頭に入っていない、とにかくリニアの街に置かれた新型の管理サーバーからハッキングが行われたのは間違いないようだ。

 もう間もなく街入りするかという時、再び端末に着信が入った。


「もしもしナツメ?どうかしたの?」


 やはり声音はいつも通りだ、心臓はバクバクしているというのに。


[リニアの街に出向いているみたいだな、今日はそっちに泊まっていくのか?]


「うう〜ん…定時通りに終われる気がしないからそうなるかもね」


[私達に定時という概念があるのかどうか、甚だ疑問だがな]


「ふふふ、そうかもね」


 昨日、夜遅くに電話した相手と繋がらなかったから私にかけたのかなと、不信からくる下らない憶測をしているとドキリと心臓が跳ねた。


[何かあったのか?]


「──え、な、何が?」


[昨日から様子が変だ、今もそうだが...もしかして子供のこと、気にしているのか?それなら悪かったよ、ただの気の迷いだ]


 気の迷い?カチンときた。


「何それ私との子供はいらないって言いたいの自分から言ったくせにぃー!!そーですかそーですか昨日の電話は新しいお嫁さん探しですかそーですか!人の気も知らないで何が気の迷いよこのすけこましぃいい!!」


「あ、あの…」


「何よっ!!」


 声をかけられたので同じように唾を飛ばしてやった、窓ガラスの向こうでは困惑している様子の案内員が立っていた。


「ご、ご乗車のお客様がお待ちですのでそろそろ……」


 しまった、既に到着していたのに一人でヒートアップしてしまった、案内員の後ろには自動運転車を利用しようと列が出来ていた、恥ずかしい。「明日お芝居があるからね!熱がこもっただけからね!この車乗り心地とても良いわね!」と喚くように言い訳を言いながら走り去った。



✳︎



 耳が痛い、プエラの怒鳴り声は本当に良く響く。


(昨日の電話……?ああっ、これのことか……)


 着信履歴を見返すと、教えてもらったばかりの番号があった、これはカリンのものだがプエラが誤解してしまったのだ。道理で昨夜はずっと上の空だったわけだ。


(まあいい、人の端末を盗み見た罰はあとでするとして……)


 車から降り、政府の高官ばかりが住う住宅地に降り立った。目指すのは脅迫状を送り付けられたという警官隊関係者の自宅だ。来客用の駐車場から既にずらりと建物が並んでいるのが見える、どれもこれも立派で値段が張りそうな家ばかりだ。駐車場から出ると前の通りから私服姿の警官隊と高度に訓練を受けたピューマが一体、こちらに歩み寄ってきた。


「失礼ですが、身分を明かせるものはありますか?警報騒ぎの一件で今は厳重に警戒を強化しておりまして」


「Wwptpw!Wwptp!」


「このピューマは私のことを疑っていないようですが?随分と人懐っこいのですね」


 警官隊が地声で「こら!いきなり近くんじゃない!」と叱りつけた。


「も、申し訳ありません…ピューマと合同で任務を行なうようになったのがここ最近なものでして…」


「構いませんよ」


 そう言いながら私の身分証を示すと、警官隊の顔がみるみる青ざめていった。こういう時、名前が割れているのは便利である。


「し、失礼致しました!ご、ご用件は?」


「元警視総監のヒルトン氏の所へ案内していただけませんか?ここの地理には明るくないので案内していただけると助かります」


 その後、案内してくれる警官隊と私の足にじゃれつくピューマと連れ立って件の人物の元へ向かった。



「初めまして、私は監査室公安員のナツメと申します。今日は脅迫状の件についてお話しをお窺いしようと参りました、急な訪問で大変恐縮なのですが、」


 まだ前口上を言い終えていないのに、ヒルトンが口を挟んできた。


「今かね?少し取り込んでいるんだ、できれば日を改めてもらいたいのだが」


「……何かご不都合がありましたか?」


「知らないのか?まあいい、少しの間だけ待っていてくれるか、すぐに向かう」


(何なんだ?)


 ヒルトンは落星の際、人命救助に貢献したとして勲章を授かり政府のお膝元で隠居している老年の男性だった。元警視総監ということもあり、その声には今なお威厳が満ちて有無言わせぬ力があった。家の主が何処かへ姿を消したあと、この家のホームメイドが現れ私を応接室へと案内してくれた。


「暫くお待ちください」


 綺麗なお辞儀をしたあとホームメイドも姿を消し、立派な応接室に一人置いてけぼりにされてしまった。立派ではあるがシンプルなデザインをした室内にテレビモニターが置かれていた、先程のヒルトンの発言が気になり無礼も承知でテレビモニターを点ける。また何かしらの騒ぎが起こったのかと思ったが...


[──では、銀行口座が一斉に凍結してしまったのはシステム側の不具合ということですか?]


(凍結?)


[はい、私はそう思っていますね、ここ最近はハッキング対策に各企業が管理サーバーに力を入れていますので、その関連で起こった不具合ではないかと思います]


 テレビモニターではニュースキャスターと共に何人かが話し合いをしているところだった、所謂ワイドショーと呼ばれるもの。モニターの角に「警報騒ぎの次は凍結騒ぎ?!」という見出しがあった、何だこれは。ニュースキャスターと話しをしていたコメンテーターとはまた別の出演者が口を挟んできた。


[いや僕が思うに今回の騒ぎは「爽快機」によるものだと思うね。どんなシステムでも即座に介入できるという、未知のテクノロジーを搭載した人型機を用いた実験さ]


「馬鹿ばかしい……」


[その「爽快機」と呼ばれる物は噂程度のお話しだったと思うのですが…]


[いやいやそんな事はない、退役したパイロットから教えてもらった話しさ、何でもカサン大佐がそんな風に演説をしていたらしい。それに総軍省指示の下、爽快機の実力テストとしてハッキング行為をしていたらしい、その一環として警報騒ぎと無差別凍結騒ぎが起こったと思うよ、僕はね]


 「爽快機」とは間違った広まり方をしているだけで字で表すなら「総解機」、勿論私とプエラのみが搭乗できる「バルバトス」の事を言っているのだ、この男は。そもそもパイロットである私がここにいるのだからバルバトスの起動は不可能、ただの噂話しをこうも賢しらに語るなんて聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。


「アホだろ、こいつ」


「何がかな?」


「!」


 立派な応接室にヒルトンが入ってきた、どうやら私の独り言を聞かれてしまったらしい。


「し、失礼しました…汚い言葉がつい、」


「だろうな、私も唾の一つでも吐きたくなるよ。この騒ぎのせいで私は無一文の身になってしまった」


「……は?──え、まさか、この凍結騒ぎに…?」


 テレビモニターを斜めから見る位置にヒルトンが、体を庇いながらゆっくりと腰を下ろした。どうやらその身には名誉の負傷があるらしい。


「そうさ、君がここに来るほんの一時間前にな。各地の銀行で起こっているようだから被害額は相当なものになるだろう、どこもかしこもサーバーがパンクしてしまっている。君は大丈夫なのかね」


「は、の、後ほど調べてみます…」


「そうかい。で、話しというのは?」


 だ、大丈夫だろうか、私の口座...最悪ゼウスに全額補填させればいいと謎理論で気分を持ち直し、早速切り出すことにした。



「改めてお聞きしますが、脅迫状についてです。それを貰う心当たりはありますか?」


「性急な公安員だな。そんなものはない」


「ここ最近、不審な人物を見ましたか?」


「今目の前にいるよ、バルバトスの専属パイロットでありながら公安員などと監査室の犬を演じている女がな」


「脅迫状は同時刻にそれぞれの場所に届けられたそうですが、あなたとの関係性はありますか?それとも赤の他人でしょうか」


「財布の中身が真っ青な支店長が一人、あとの一人は聞いたこともない名前だった」


「良ければそのお名前を教えていただいてもよろしいですか?」


「レウィン、それからアコックという男だ」


「この中で関係を持っている方は?」


「今まさに凍結騒ぎの渦中にあるレウィンだ。せっかく支店長に返り咲いたというのに、補填額で奴の財産も消し飛んだだろう」


「アコックと呼ばれる方はお知り合いではありませんか?」


「違う、私の知り合いではない。共通の知人ということではないのか」


「脅迫状はどのようにして届きましたか?」


「君の目に私の家のポストが映らなかったのか?そこに入っていたに決まっているだろう」


「何時頃に発見しましたか?」


「メイドが私の元へ持ってきた、警報騒ぎがあった前日の朝だ」


「脅迫状の内容についてお聞きします。加担した物白日の元に晒す、とありますがこれは誰をさした言葉か心当たりはありますか?」


「きっと私であろうな、過去にカリブンの強奪事件を企てたとしてその脅迫状を送ってきたんだ」


「………」


「この脅迫状が届いてから警官隊の方へ出頭したが、公表はしないと言われてしまってな。勇退した警視総監が不正取引きに関与していたとあれば、信用問題に影響が出てしまうからだろう」


「──そ、ああ…不正取引きの件について認める、という解釈で間違いありませんか?」


「それで構わない、別の解釈があるなら是非とも聞いてみたいものだ」



✳︎



 露払いをされてしまった。


「──は?日を改めろ、ですか?」


「はい、申し訳ありませんが只今所用にて席を外しております。私どもも何時頃に戻られるのか把握しておりませんので改められた方がよろしいかと…」


「え、このガサ…捜索差押許可状の件について連絡がそちらにもいっているはずなんですが…」


「はあ……」


 困った顔をした受付の方がもう一度端末に目を走らせた。

エディスンから飛行機に乗って到着したリニアの街は何ともヘンテコな所であった。広大な盆地に形成されたこの街は居住スペースを確保するため、街の上にさらに街を作ってきた。その結果として、リニアは三層に分かれ窪んだ大地の底にある湖を、蓋をするようにして存在していた。

 今は中間層にある行政エリア、その一角に置かれた総軍省の建物に訪れていた。受付を済ませてさっさと足を運ぶつもりでいたが、眼下に望む総軍省のお城へはまだ行けそうにないらしい。


「……こちらではそのご用件は把握していないのですが……カサン大佐でお間違いありませんか?」

 

「あー、すみません、少し席を外しますね、こちらも急な来訪でしたから」


「はあ…」


 何だあの受付嬢、「はあ」しか言えないのか!

様々な人が行き交うロビー、人混みをぬうように移動しロビーの端まで移動した。官公庁の建物としては少し趣きが凝っているように思うが、リニアの街そのものが凝っているからだろう。ゴシック建築にまとめられたロビー内はどこか中世を思わせる、その壁際によりかかり窓の外に視線をやりながらゼウスに連絡を入れた。


[やあや、]


「ふざけんじゃないわよ!全っ然話しが通っていないじゃない!」


 開口一番。周りにいた人も何事かとこちらを見ているのが気配だけで分かった。


[それがね、脅迫状を受け取った一人がゲロっちゃってね、今上層は大変なことになっているんだ]


「はあ?ゲロった?」


[そ、君は知らないだろうけど約十年前にカリブン受取所襲撃事件が起こったんだ。しかも、かの落星の際に勇退した元警視総監がそれに関与していたってんだからもうてんやわんやなんだよ、脅迫状の件について今から審議会をしようって時に時効直前の犯人がしゅっ]


「どうでもいいからそんな話し、で、私はどうすればいいの?用が無いならもう帰りたいんだけど」


[さすがにそこは居づらいのかな?スーパーノヴァの試験機を運用していた君にとっては]


「…………………………別に」


[認めるんだね、てっきりしらを切ると思ったけど]


「別に、事実だから。で、それをネタにしてまた何かやらせようって?」


 視線をちらりとロビー内に向ける、そこには元気に動き回る沢山の人が、何かしらの目的を持って忙しなく歩いていた。


[まさか、ちょっとした世間話しのつもりだったんだけど……君は何かと……まあいいか。とにかく警官隊の連中がひた隠しにしていた事実が暴露されてしまった訳だから、また話しが変わってきてね]


「何?要件を早く言いなさい」


 視線を自分のつま先に向けた。多忙な日々と人の営みの中で忘れてしまいそうになっていたが、私は一度、このテンペスト・シリンダーをめちゃくちゃにするつもりでいたのだ。どの面下げてここにいるのかと糾弾されたら返す言葉は無い。が、私にだって生きる権利ある、作られたこの最後の命を全うする義務があるのだ。


[今回の警報騒ぎは警官隊に対する特定的犯罪か、あるいは愉快的行動かと思っていたんだよ。警官隊内部を良く知りかつ外部にいる人間、あるいは組織の犯行かと考えていたけど、元警視総監の出頭によって外部だけに特定するわけにはいかなくなってしまった]


「──ああ、その警視総監の悪事をバラされたくなかったらってやつ?」


[そう、内部の人間による犯行も視野に入れなければならない。それをやる動機が彼らにも発生してしまったからね、それと、]


「まだあるの?」


 話しが長くなりそうだったので近くにあった木製の椅子に腰を下ろした。見た目は固そうなのに座り心地は悪くなかった。


[迎撃システムの製造を行なっていた企業から正式にハッキングを受けたという発表があった。まあ、君が立ち会った訳だから知って当然だけど]


「元々そういう話しだったじゃない。私は面倒事にならないよう黙っていたけど、あんたは最初っからそう踏んで調査を進めていたんでしょ?だからリニアの街を特定したんでしょうが」


 それがねえ、とどこか困惑した様子をゼウスが見せた、大変珍しい。


「何?そういう勿体ぶった言い方好きじゃ、」


[ハッキングを受けたのはどうやら迎撃システムではないんだ、リニアのサーバーから末特定のアカウントを確認したから君に飛ぶよう指示を出したんだけどね、特別個体機みたいなんだ]


「──切ってもいい?切らせて」


[駄目駄目、ちゃんと聞くんだ、リニアのサーバーから誰かが二度、特別個体機を管理しているプログラムにアクセスを試みた形跡があった。勿論、この話しは今のところ僕と君しか知らない]


「切らせてー!もう嫌ー!」


 近くを通りかかった優しそうな男性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたがそれどころではなかった。


「ちょっと待ちなさいよ!…警報騒ぎとそのハッキングは全く別の案件でしょ?!あんたが一人で、」


[未特定と言っただろ?もう特定は済んでいる、そしてそのアカウントというのがアコックと呼ばれる人間なんだ]


「──はあ?それって確か…」


[そう、脅迫状を受け取った一人だ。これは僕達が思っている以上に何か大きな事が裏で動いているのかもしれないね]


 やれやれ、探偵業務まで請け負った...あたりまで聞いてから電話を一方的に切ってやった、知るか!



(何でこんなに面倒臭い事になってんのよ〜、いやまあ、いつかはこんな日が来るとは思っていたけど何で師走の時期に……)


 師匠という立派な立場にある人間も走り回る程忙しい時期である、だから年の瀬は師走と呼ばれているのだ。そんな事はどうでも良い。


「すみませんでした、お待たせしてしまったようで」


「……いいえ別に、あなたのお師匠もお忙しいのでしょう」


「いやいや、カサン大佐は僕の師匠ではありませんよ」


 ゼウスと電話を終えたあとすぐに係の者がやって来てくれた、「はあ」しか言わない受付嬢相手に受付けを済ませて今は総軍省のお城へと向かっている、大型のドローンで。ふぃんふぃんと音がうるさく乗り心地も最悪、同席している男性はあまり気にしていないようだが早く降りたかった。


「監査室の方が来られるのは承知していたのですが、緊急の会議が入ってしまいまして…何でも元警視総監が自首をしたとかで呼び出しを食らってしまったのです。今はオンラインで会議に参加されています」


「そうですか…それなら仕方がありませんね」


 口元にあるマイクに向かって相槌を打ちながら眼下に広がる森を見やった。もう既に開発が進められているようで、あちこちの木々が倒され地面が露出していた。さらに建築資材も積まれており、ここを丸ごと軍事基地にするつもりのようだ。リニアの森にはピューマも住んでいたと思うのだが...私の視線に気付いた男性が聞いてもいないのにピューマ達の事を教えてくれた。


「ここには野生のピューマもいて、移動させるのに大変苦労しました。一部は既に別の所へ移住してもらったのですが、まだ残っている個体もいまして…」


「ピューマ管理委員会は何と?」


 あの負けん気だけが取り柄の委員長が聞いたらさぞかし怒ることだろう、私の推測は当たっていたようでまさにそのスイがここへ視察に来ているらしい。


「開発規模の縮小を要請しておりまして…今、話し合いが難航しているところです」


「でしょうね」


「あははは…僕達もピューマとは仲良くやりたいのですが、こうも落とし所がないと苦労します」


 係の男性と身にならない会話をしながら、自動運転による大型ドローンに運ばれお城に到着した。着陸したのは臨時発着場になっているお城の正門前、堂々たる佇まいをしている尖塔が見えていた。けれど、立派なのは上側だけのようで正門から近い壁が崩落し復旧作業の真っ只中だった。


「あれは──」


 何か、と男性に質問しかけたが途中で思い出した。アマンナだ、あのクソ生意気なマキナがアヤメの専用機を使って壊した跡だった。


「何でしょうか?」


「いえ…何でもありません、立派な建物ですね」


 その後、男性の案内でお城の中を目指した。向かう場所は新型の管理サーバーが置かれている電算室である。そこで今日までの管理データを押収してしまえば私の仕事は終わり、後はゼウスに投げてさっさと帰るだけだ。帰るだけなんだ、それなのにどうしてあんたがそこにいるのか。


「お久しぶりですプエラさん、こうして会うのは何年ぶりになるでしょうか」


 開け放たれた大扉の向こう側、復旧作業のために足場が組まれ、煩雑とした雰囲気に満ちている玉座にて、怖い顔をした管理委員長が何故だか私を待ち構えていた。



✳︎



[はい、ナツメさんの言う通り、警官隊の方に口止めをされていたのは事実です。何でも騒ぎが解決するまでの間、あまり他の人に話しはするなと言われていまして…]


「そうか…それならいいよ」


[え、と…確か、こういった時って虚偽罪とか、何とか…]


「それは裁判における偽証罪と呼ばれるものであの場には適用されない、だから心配するな」


 端末の通話口から安堵の溜息が聞こえてきた。

もうてんやわんやもいいところだ、ただの事情聴取で伺った先でまさかの告白だなんて誰が予想できるというのか。


[……ナツメさん?]


「ああいや、何でもないよ」


 黙っていた私を不審に思ったのか、どこか探るようにしてカリンが声をかけてきた。来客用の駐車場の周りには様々な車や人が来ているため騒々しい、早速情報を入手したメデイア関係者の姿もあった。それらを目に入れながらカリンに別の話しを振った、姉であるアリンについてだった。


「ところで、アリンは元気にしているか?」


 虚を突かれたように少しだけ間が開いた。


[………え、姉、ですか?]


「ああ、昨日会った時にアリンの話しをしなかったのが気になってな、何かあったのか?」


 私の元へ歩み寄ってきたメディア関係者を追い払いながら耳を傾ける、本当は何があったのか知っていたが自分の口から言うのは何故だか躊躇われた。


[その…実は、今休職しているんです。十年も前にお世話になった方のことを未だに引きずっているらしくて…昨日は言い出せなくて…]


「アヤメのことか?」


[はい…それでアオラさんに直接相談させてもらって、姉が働いている会社の社長さんと懇意にされていたみたいなのでリフレッシュに休職させてはどうかと勧めたそうなんです。私はてっきり姉が反対すると思っていたのですが、あっさりと了承したみたいなので相当参っていたのかなと……]


「そうか…分かった、言い難いことなのに聞き出してすまなかった」


 護送車に連れられて行くヒルトンを見かけたが、逮捕されるというに落ち込んだ様子でもなく、肩の荷が下りたように晴れやかな様子でもなかった、これから戦場に赴く戦士のように険しい顔付きをしているのが気になった。付き人に二言ほど話してから車に乗り込み、メディア関係者に目もくれず颯爽と去って行った。


[ナツメさんは大丈夫なのですか?]


 その凛とした声に今度は私が不意を突かれてしまった、まさかそんな質問が来るとは思わなかったからだ。


「……どうしてそう思う?」


[仲良くされていたみたいなので、アヤメさんも未だに帰ってこないですし…噂されているように、]


「そんな事はない!お前もおかしな事をっ──いや、すまない、忘れてくれ」


 周囲にいた人間も私の声に気付いて振り向いてきた。そんな折り、タイミング良くゼウスから着信が入ったので、電話をしているカリンと周りの視線から逃げるようにして車へ乗り込んだ。自分が何を言って通話を切ったのかも覚えていない、すぐにゼウスと繋がり心の動揺を外へ追いやるよう、次の話し相手に耳を傾けた。


[一先ずご苦労様、とだけ言っておくよ]


「そりゃどうも、で、次は何だ?」


[二人目の元へ向かってくれるかな?場所は中央部の銀行だ、レウィンと呼ばれる支店長からも事情聴取を行なってほしい。まあ、彼も今頃は大変だろうけど、話しは通してあるから構わずに行ってほしい。くれぐれも、これ以上は広げないでくれたまえよワトソン君]


 助手の名前をついに言いやがった、けれどその下らないジョークは今の私には有難かった。車のエンジンをかけながらナビを立ち上げる、ここから中央部までのルートと到着予測時間が表示され、車内通話に切り替えて話しを続けた。


「お前は今回の件をどう思っているんだ?」


[どうとは?]


「南部地方で起こった警報騒ぎ、その前日に届けられた脅迫状、そして警官隊がひた隠しにしていた元警視総監の不正取引き、私が察するにヒルトンが暴露したことによってもう次の騒ぎは起きないかと思うが?」


 一連の流れから見てみればそう考えるのが妥当のように思う。おそらく、警報騒ぎを起こした犯人はヒルトンの事実をネタにして警官隊へ金銭の要求を行なうつもりでいたのだろうが、その本人が自ら出頭したのだ。これで幕引きのはず...


(いや、それにしたってあのヒルトンの表情は何だ?)


[本当にそう思うのかい?その割には君の声にもまだまだ疑いの色が残っているようだけど]


 確かにそうだ、不思議とこれで終わる気がしなかった。

通話を終えた後は真っ直ぐ中央部を目指した、並び立つ木々の合間から見える太陽は高い位置から下がり始め、もう間もなく夕焼けの空へと変わる時間帯だった。街の景色も年の瀬の姿に染まつつある、少し遠くにある大樹に至っては飾り付けまでされている始末だ、その天辺にはどこかの部隊が乗せたのか星が一つ、そしてその隣を飛ぶ赤い機体を見つけた。


「──っ!」


 車のコンソールから前方不注意によるアラートが鳴った、それと同時に飾り付けをされた大樹が付近の木々に隠れてしまい、赤い機体も同様に見えなくなってしまった。あれはいったい...まだ夕焼けの時間帯ではないので太陽の光に染まったわけでは...もしくは私の見間違いだろうか。

 それとも、やはりあいつがこの街に帰ってきたのだろうか、分からない。



「お話しは窺っております」


「お忙しい時に申し訳ありません」


「いいえ、私もそろそろ身支度を整えなければなりませんでしたから」


 そう言って、支店長であるレウィンが廊下の奥へと姿を消した。

 到着した銀行は予想通り、システムの不具合により口座を凍結されてしまった顧客でごった返していた。慌てて対応している銀行員や取り乱した様子を隠そうともしない顧客、それらの中には指定暴力団として私達に睨まれているマフィアの連中もいる程だった。

 エントランスは騒がしいが奥の応接フロアは静かなものである、パーティションと観葉植物で区切られたそのフロアには一人の先客がいた。


「久しぶりだな」


 アコックだ、脅迫状を受け取ったとされる最後の一人。


「こんな所で何をしている、お前も口座が使えなくなったのか?」


「今は隠居の身でな、生憎と金には困っていない」


 昔と比べて随分と()()()ように見える、負傷した足も治療せず車椅子を使い続けているせいもあろうが、加齢による衰えも体格に表れていた。


「それは羨ましい。今から支店長と話しがあるんだ、すまないが席を外してくれるか?」


「互いに銃を向け合った仲じゃないか、そうつれないことを言うな」


 アコックがテーブルの上に手を伸ばし、そこで初めてコーヒーの匂いが鼻についた。一口だけ啜った後、ゆっくりとした動作でテーブルに戻し目線だけで座るよう私を促した。


「元気にしていたか?」


「見ての通りだ、あいつと同じになってようやく俺も腰を据えられたよ」


「──マギールか」


「ああ、元気な足があれば下らない企みばかり考えてしまうからな、今の姿が俺にはちょうど良いのかもしれん。それにこう見えて毎日退屈していないんだ」


「ほお、それはまたどうして?」


「あの時のガキが何かと俺の所へやって来るんだよ、この間も恋人まで連れてくる始末でな、まさかこの年で可愛くもない弟ができるとは夢にも思わなかった」


「それはエフォルに言ってやるんだな、あいつもきっとお前の言葉に腹を立てるだろうな」


「違いない、素直に言えない口は昔からなんだ」


 ゆったり笑いながらそう言うアコックの姿は随分と変わったように見えた。


「あいつは今どうしているんだ?」


「北部の工場地帯で働いている、あそこは何かと落星の関係者が集まっているみたいでな、元特殊部隊の人間も働いているそうだ」


「アリンか…」


 来る途中で見たあの機体が脳裏にフラッシュバックした、頭の中に意識を取られかけたところで厚手のコートを手にしたレウィンが現れた。


「お待たせしました」


「……失礼ですが、そのコートは?今から外出されるのですか?」


 レウィンの返事を聞いて、実はこの支店長は変装しているゼウスではないかと思う程、自分の耳を疑ってしまった。


「私共も出頭しようと思っておりますので、その為のコートです」


「──は?出頭……?それは何故……」


「十年前の落とし前というやつさ、お前が気にする事は何もない」


 レウィンの代わりにアコックがそう答えた。


「いやいや待て、どうして今なんだ?私は脅迫状について話しを聞きに来ただけで身柄を拘束しに来たわけでは、」


「あなたの上司は大変有能なお方のようですね」


「ゼウス室長、のことでしょうか?」


「はい、計算外でした」


「何の事ですか?分かるように言ってもらえませんか?」


「気にするなと言っている、タイミングが重なっただけだ」


 何を言っているんだこの二人は?間違いなく会話が噛み合っていない、それなのにこの二人はその事を見越した上で話しをしていた。


「何のタイミングだ?警報騒ぎと凍結騒ぎと脅迫状のことか?それともお前の言う十年前の事を言っているのか?教えてくれ」


「それで合っている。すまないがレウィン、俺を運んでくれるか?」


「あの子には何と言う?随分とお前のことを慕っているようだからな」


「面会室に来てくれるなら話しぐらいならしてやるさ」


「おい!」


 状況についていけない、アコックとレウィンは元から出頭するつもりでいたようだが訳が分からない、去り際にアコックがこちらに振り向きこう言った。


「五通目の脅迫状で答えが出る、それとお前もボスの元へ戻っておくんだ、これから忙しくなるぞ」



✳︎



 案内をしてくれた男性とは別れ、その代わりに委員長が私の前を歩いていた。意外にも、こいつの方が私より背丈が高い。高いと言ってもほんの少しの差だが、まさかあの時出会ったただの仮想データに背丈を越されるだなんて夢にも思わなかった。髪も随分と伸ばしており、今は大地の奥深くで眠っているであろう大地母神と同じように括って横へ流している、仕事着には見えないニットセーターの背中が怒っているように感じられた。

 スイの案内で玉座の奥に設けられた石造りの廊下を歩いている、ここもゴシック建築にまとめられたようで中庭に置かれた豪華な花壇を眺めていると自分がまるで王族になったような気分だった。中庭を抜けて木彫りの扉を潜るとつい声を出してしまった。


「幻滅」


 どうやら中世風に作られているのは入り口付近のみのようで、奥はただの無機質な廊下が続いているだけだった。私の声に反応したスイがちらりと視線を寄越してきた。


「公務を行なう場所に調度品は必要ありません」


「そうね、まさにあんたのように不要な物かもね」


 私の売り言葉に早速反応を示した、不愉快そうに眉を顰めて買い言葉を放ってきた。


「中層に出向している総軍省まで巻き込まなければ仕事もできない監査室の方々も同じかと思いますが」


「なるほど、だからあんたは怒ってんのね、今日はお忍び?カサン大佐を仕事に取られて怒ってるんでしょ」


「そんな訳、」


「良く分かるわ、その気持ち。私もナツメと一緒に過ごせなくなったからイライラしていたもの。ねえ、せっかく会ったんだからこういう会話は止めしない?」


 そこで初めて、スイが毒気を抜かれたように柔らかな表情になった。


「……すみません、つい八つ当たりを……」


「いいわよ別に。で、何があったの?本当に大佐を取られただけでそこまで怒ってるの?」


 余計なことを、


「その、実はアオラさんが……」


 余計なことを聞くんじゃなかった。



 総軍省が買い付けて工事真っ最中のお城は元々市役所と観光地としての役目があったらしく、入り口にすぐ玉座を置いていたのもそういった理由があるからだった。入り口を起点にして左右に伸びているお城、その内側には中庭から続いているさらに大きな庭があり、目の前にはあの湖もあった。スイに案内された場所は右側の端、庭と湖を同時に堪能できる会議室であった。幻滅。お姫様のような部屋が良かったけど贅沢は言えない、景色は最高なのに場所が味気なかった。

 ちらりと腕時計(ナツメからのプレゼント、私の瞳の色に合わせて青い針をした可愛らしいデザインの物だ。実は今日まで何度か故障してしまっているが、時計屋に駆け込み店員を脅しつけて無理やり修理させて使っている。話しが長くなるのでこれぐらいにしておくが)を見やると短針がきっちりと一周したところだった。


「アオラさん…私に飽きたんでしょうか、そりゃもう十年近くも傍にいるので昔のようにとはいきませんが…」


 ずっっっっっっっっっとこの調子でスイが愚痴をこぼし続けているのだ、悩める乙女の愚痴は奈落の底より深い、聞いている乙女の身にもなってほしい。


「だから、何度も言ってるけどそうじゃないって、あんたの気のせいでしょ」


 もう何度同じことを言ったのか分からない、だが八回目にしてようやく事が進んだあのアニメのように新たな進展があった。さっきまでは「アオラさんのことを知らないから…」とかうんぬんかんぬんと言ってループしていたがこう切り返されてしまった。


「プエラさんはナツメさんと上手くいっているんですか?」


「──え?何、急に」


 鼓動が一瞬にして早くなってしまった、かくいう私も昨日のあの番号について悶々としているところだったので上手く言えなかった。


「ま、まあ、それとなく?」


「それとなく?上手くいっていないんですか?」


「何でそうなるのよ、まあ、昨日はちょっとアレだったけど」


「え!何かあったんですか!」


 こいつもやはり奈落の乙女のらしい、自分の事は棚上げにして他人の恋路に首を突っ込める嫌な奴のようだ。私も人のことは言えない。ぐぐとスイが身を乗り出してきたので仕方なく教えてやることにした。


「知らない番号にかけてた」


「あー………地味にヤキモキするやつですね、それ」


 思ってもみなかった同意を得られたので私もつい身を乗り出してしまった。


「そうなのよ!それも夜遅くだよ?!あんな時間帯に電話できる相手なんて限られているじゃない!」


「誰か聞いてみたんですか?」


「あんたは聞ける?」


「無理ですね……でも、あまり見ない方がいいですよ、知らない間にロックされちゃいますから」


「あんたも見るのかよ!」


「当たり前じゃないですか!アオラさんって仕事の合間に遊ぶような人なので目を光らせていないと誰に会うのか分かったものじゃありません!」


「アグレッシブね〜…その点ナツメは大人しい方だからあまり気にせずにいられるんだけどね」


「けど、そんな大人しい方が夜遅くに電話するって相手って、よっぽどって事ですよね?」


「そうなのよ〜!だから気になって仕方がないの!昨日はせっかく一緒になれたのにギクシャクしちゃってさあ!」


「う〜ん…プエラさんは激しい方なので、たまには、こう…煮物のようにほっこりする方を求めたくなるナツメさんの気持ちも分からなくもないです」


「あんたはどっちの味方なのよ!優しくしてくれないんならあんたの恋人にハニトラ仕掛けてやる!」


「やられるものらやってみせて下さい!枕を涙で濡らしてやりますから!」


「買い言葉は最後まできちんと言え!あんたそれダメダメじゃない!」


 ぎゃあぎゃあと喚く私達の元へ、ようやくお目当ての人物が現れた。


「騒々しいな、そんなに元気ならあいつの元へ帰ったらどうなんだ」


「カサンさん!」


 けっ!やっぱりそうか、少し疲れた顔をしている大佐の元へスイが犬のように喜びながら駆けて行った。


「はいはい、後少しで仕事も終わるから待っていろ」


「はい!」


(けっ!恋人が二人もいるなんてけしからん奴め!)


 腕に巻き付いているスイをいなしながら私の前に立った、しわがハッキリと目立っている女だ、けれど目には力が宿っており衰えを感じさせない、いかにも軍人気質を持った相手だった。


「管理データの押収に来たようだな。お前の相棒のせいでこっちは迷惑を被られた、会った時にでも文句を言っておいてくれ」

 

「ナツメのせい?何言ってんの?」


 どうせさっきの会話は聞かれているんだ、今更敬う必要もあるまい。タメ口で話してもカサンと呼ばれる軍人は気にした様子がなく、さっぱりとした性格のようで言葉を返してきた。


「警報騒ぎの一件で脅迫状を受け取った三人が自首したんだよ。カリブン受取り所の襲撃事件に関与したとして警官隊の所へ出頭している、その内の一人が総軍省傘下の男だからあたしも対応に呼ばれたんだ」


「自首ぅ?何でまたこのタイミングで?」


「会議でもその話題で持ちきりだったさ、どうして脅迫を受けた側が逮捕されるんだってな。それに加えて銀行口座の凍結騒ぎ、中央部の支店長であるレウィンと呼ばれる男も脅迫状を受け取っていたらしい」


「何だかややこしい話しですね…」


 隣で話しを聞いていたスイがそう口を挟んだ、カサンが言葉の代わりにやや強めのデコピンをお見舞いしていた。


「そういうお前も十分ややこしいぞ、アオラと喧嘩したからといってあたしに泣きついてくるな。あいつから毎晩電話がかかってくるんだぞ?いい加減機嫌を直せ」


「………」


 少しだけ赤くなったおでこを摩っている、こいつはこいつで幸せな居場所を手に入れられたようだった。


「で、お前さんはどうする?ハッキングが確認された管理データを持ち帰ったところで役に立ちそうにもないが…」


「まあ、一応は持って行くわ」


 そう言って席を立つ、カサンが先に歩き出しその背中を追いかけた。てっきり付いてくるものとばかり思っていたスイが後ろへと下がり道を空けてくれた。


「あんたは来なくていいの?」


「今はプライベート中ですから」


「あの時、消えなくて良かったわね」


「──え?」


「何でもないわ」


 今更言って何になるのか、けれどそう言わずにはいられなかった。



 スイの話しではないが、確かに今回の仕事はややこしい部類に入っている。南部地方の警報騒ぎを発端にして元警視総監、現役の支店長、それから元政府高官の男が自首をし過去の犯罪行為についてその罪を認めたことになる。これらの事実だけで推測するならば、脅迫状を送ったのは警官隊側であり、三人に対して何らかの脅迫行為があった、そしてその脅迫に従わず自ら罪を認めて潔く幕引きを行なったように見えるが...ハッキングの件がまだ残っていた。何故ハッキングする必要があったのか、それにそもそもハッキングを行なったのはアコックと呼ばれる男で警官隊ではない、色々と辻褄が合っていなかった。

 カサンの案内で来た道を戻り、扇子で例えるなら要の部分、玉座がある入り口辺りまで戻ってきた。そこから中庭の方へ足を向け始めたのでさすがに声をかけた。


「向かうのは電算室でしょ?庭を堪能したいわけじゃないわ」


「いいから黙って付いてこい」


(何?こんな所にサーバーがあるって言うのん……?)


 スイと一緒に通った中庭からもう一度広大な庭へと足を向け、色取り取りの花々や剪定されて整えられた植物を目に入れながらカサンの跡を追う。入り口の正門から見えていた尖塔の真下辺り、アーチ状にツタが伸びた木々のトンネルを潜り抜けると呆気に取られてしまった。


「何あの樹…」


 親骨のように伸びる事務棟からは一切見えなかった立派な樹が、私の目の前に堂々と立っていた。


「あれだよ、新型の管理サーバーとやらは」


「──ああ、樹の中に電算室を作ったってやつ?」


「違う、あれそのものが管理サーバーだ」


 そう言ってからカサンが再び歩みを進めた、慌てても私も歩みを進めると足元に一匹のリスが現れた、毛並みもきちんとしているリスだ。そのリスを皮切りにして次から次へと本物の小動物が木陰や植え込みの隙間から顔を覗かせてきた。


「ああ、そういうこと…手が込んでるわね」


「ここら一帯は仮想風景を展開させている、中に入った者と外から見る者では景色が違って見えているはずだ。ただの趣味のように思うかもしれんが、これも立派な防犯対策でね」


「タネさえ分かればどうでもいいわ、さっさと行きましょう」


「さすがはマキナってところか?この手の類いに今更驚いたりしないか」


「十分驚いたわよ、まさか人の手でここまで出来るだなんて。誰がやったの?」


「ん?」


 新型の管理サーバー、別称「リビング・サーバー」が目前の所でカサンが歩みを止めてこちらに振り返ってきた。


「リューオンから話しを聞かなかったのか?」


「リューオン?誰────」


 いや、ちょっと待て、その名前は...


「ここの開発者だよ、私の代わりにお前を迎えに行ってもらっていたんだが」


(バルバトスの元パイロットの名前じゃない!そうだ思い出した!エフォルとリューオンはバルバトスの関係者!)


 一気にきな臭くなってきたところでお目当てのサーバーに辿りついた。とくに柵などで囲っているわけではない、人が歩き易いように出来た獣道がぐるりとあるだけで何も無かった。生い茂る雑草を突き破るように屹立している樹の表面には細かなスリットがいくつも入っていた。


「ところで……お前さんは何のデータが欲しいんだったか?」


「え?だから、ここの管理データって…」


 二度もハッキングされた特別個体機、そして警報騒ぎに始まり銀行口座の凍結、それらのサーバーとシステムの製造に関わったバルバトスの元パイロットの二人、目まぐるしく頭の中でパズルを組み合わせていたのでカサンの様子に気が付かなかった。


「管理とは?サーバーそのものか?それとも特別独立個体機のことか?」


「──あんたまさか、」


 カサンが樹の表面に手を這わせると、一つのハードドライブがアウトプットされた。それは透明な樹脂で出来ているようで、濁った光りを放っていた。さらにもう一つ、合計で二つのドライブを手にしゆっくりと私の元へ歩いてきた。


「どこの世界にも物好きという命知らずがいるようで、たった一度の騒ぎでここを嗅ぎつけたお前さんの上司には脱帽するよ」


「あんた、バルバトスがハッキングを受けていたのに報告しなかったのね」


「白い髪をした不思議の国のお嬢さん、物事には守らなければならない順番ってものがあるんだ、そしてここへ来るのが少々早すぎたようだ」


 その手にしたハードドライブをどうするのかと見守っていたが、あろう事か地面に叩きつけたではないか、乾いた音が鳴り濁った樹脂が砕け散って周囲に飛んでいった。私とカサンを見つめていた小動物達も慌てて木立の向こう側へと逃げていった。


「何してんの?自分が何をやったのか、勿論理解しているわよね?」


「ただの実験さ、まあ見ていろ」


 カサンが脇へと退いて一部を抜き取られた樹へ顎をしゃくってみせた、何が起こるのかと視線を向けると抜き取られた一部が既に再生を始めていた。樹の内部から樹脂が溢れ出して穴を埋め、凝固が始まりあっという間に元の姿に戻っていた。


「──これは良いな、破損したデータの複製と復旧を同時にやってのけたわけだ。リューオンが推し進めていた理由も頷けるというものだ」


「それが「生きたサーバー」の特権だからでしょ」


「回収したスーパーノヴァの遺体、それからメラニンコントロールでアクセスした仮想世界からこの着想を得たんだそうだ。お前も随分と詳しいようだな元司令官のプエラ・コンキリオ、やはりテンペスト何某の下で言いなりになっていただけの事はある」


「──何が言いたいの?」


「贖罪のつもりで働いているのかもしれんが…あたしはお前とハデスがやった事を忘れるつもりは一切ない、スーパーノヴァの出現によって多くの人命が失われ仮想世界の囚人に成り下がってしまった」


「………」


「そこでだ、お前に一つだけ選択肢を与えてやろう。あたしらの尻を追いかけ回すのは止めて総軍省の下に来い、マキナとしての知識を洗いざらいあたし達に提供するんだ」


「なら、やっぱり今回の騒ぎに関与していると認めるのね?」


 影が差す、太陽が雲に隠れ、カサンの表情をも隠した。ここから見えるのは不敵に歪められたその口元だけ。


「──だったらどうする?ここがあたし達の箱庭だってこと、忘れた訳ではあるまいな?」


 不敵に笑ったままゆっくりと、ただ確実に距離を縮めてきた。


「安心しろ、スイの体で扱いは慣れているつもりだ…時に激痛よりも甘美さが屈服させる拷問であることを教えてやろう…」


 あれ目がめっちゃ怖いんですけど?!何か変な話しの流れになってないですかこれ?!え!今から私の体に悪戯するのかこの大佐!

 こうして私は暫くの間、カサン大佐に軟禁されてしまうのであった。



✳︎



[ナツメく〜ん、僕言ったよね〜?これ以上広げなくてもいいってさ〜「無理を言うな」どうして脅迫状を受け取った三人が自首してるのかな〜「私に聞くな」お陰で捜査権を握った僕が疑われてるんだけど〜「日頃の行ないが悪いからだろ?」


 こんなに人のため世のために頑張っているのにとゼウスが嘆いている。


「すまんがそろそろ切るぞ、私は今から機上の人になるから絶対にかけてくるなよ」


[逃がさないよ、君だけは絶対に逃がさないからね]


 気持ち悪い。

アコックの言った通りになった。何故ならば、中央部のカリブン受取り所が突如として備蓄していたカリブンを市場に流すと、それもある限り全ての在庫を放出すると発表したからだった。お陰で前線から退いた私の元にも出動要請が下りる始末、最寄りのリバスター基地に急行してパイロットスーツに着替えたところだった。幸いだった、もういい加減何かがプツンと切れてしまいそうだったので、要請をかけてきた見ず知らずの隊長に「はい!喜んで!」と相手を引かせてしまう程に二つ返事を返していた。そこへゼウスからの電話兼愚痴である、誰が相手にするものか。

 備蓄在庫は優に千単位を超えている、一つの家庭で消費する量は一月あたり数個程度なのでいかに多いかが分かる。中央部だけでは捌ききれないとして各部へ輸送することになった。そのため各部隊に要請が下り、それでもパイロットの数が足りないため私にも声がかかったのだ。


[とにかく、その仕事が終わったら僕に連絡するように!いいね!]


 ゼウスの叫び声を聞き流しながら通話を切り、今回の輸送任務の隊長に選ばれた大男が付近にいたパイロットに招集をかけた。いよいよ空へ逃げられ...大事なカリブンの輸送任務が始まるらしい。


(少しぐらいはいいだろ、息抜きも必要だ)


 私は臨時の編成班に入ることになり、意外にもその隊長役があいつだったので思わずふざけた口調で声をかけてやった。


「よろしくお願いします隊長、今日は初飛行なので緊張しています」


 奴はこちらを向かずにこう答えた。


「初めてはそんなものさ、肩の力を抜くといい」


 手元にある端末を見ながら輸送ルートの確認をしているらしい、その表情はとても真剣だ、余計にふざけたくなってくる。


「聞くところによりますと、隊長はあの特殊部隊に在籍していたアシュとご結婚なされるそうですね?アシュが羨ましいですよ」


「何を言っているんだ君は────」


 そこでようやくヴィザールが視線を上げて私に気付いた。間抜けに口を大きく開けて、まるで信じられないものを見ているように驚いていた。次第に口を何度もぱくぱくさせてようやく言葉を発した。


「──な、な、何やって、ナツメさんではありませんか!」


「あっはっはっは!」


「何でこんな所にいるんですか?!公安員も空を飛ぶっていうんですか?!」


「あっはっはっは!なーにが肩の力を抜けだ!あっはっはっは!」


「そ、そこまで笑わなくても!というかアシュのこと誰から聞いたんですか!」


「はー……笑った笑った、良いストレス解消になったよ、感謝する」


「人の話し聞いてます?!」


 周囲にいたパイロットも何だ何だと私達に近付き、賑やかな雰囲気に包まれながら駐機場を目指した。



[アリンか…あの子は本当にお喋りになってしまったなあ…昔はあんなにお淑やかだったのに]


「そうだな、お前も偉そうに肩の力を抜けだなんて言うぐらいだから誰でも変われるってことなんだろう」


[まだ言いますかそれ…]


 暮れなずむ赤焼けの空を飛ぶのは何とも気持ちが良い、積載限界量ギリギリまでカリブンを持っているので自由にとはいかないが、それでも他人の顔色を窺っているぐらいならこちらの方がよっぽどマシであった。箱詰めされたカリブンをバックユニットに乗せて空を飛ぶ、気の早いサンタクロースのように各部へ転々として運んでいた。


[それにしたって何故いきなりカリブンを放出したのでしょうか、市場操作にしても乱暴過ぎるでしょう]


「供給過多になって得する人間でもいるんじゃないのか、知らんが」


[そうでしょうか、普通逆ではありませんか?需要を高めた方が販売価格も上がりますし、市場に流す量を減らせこそすれど増やすメリットがあまりないように感じます]


「お前も随分とこの街にかぶれたな」


[え?]


 のんびりと飛行しながら最寄りの受取り所へと向かう、私の言葉にヴィザールが呆気に取られたようだった。


「オーディンやディアボロスの件はもういいのか?この街の人間に認めてもらいたかったんだろう?」


 十年前のあの日、こいつは敵でありながら私達に手を貸してくれた奇特な存在であった。その理由についても、自分という存在を生んでくれた恩あるマキナが忘れ去られてしまうのを嫌がったためだ。それなのに当の本人はその理由も過去に置き去りにしてしまったようだった。


[ああ、もうその事はいいんですよ。今はそれよりも隊長職をこなすのに必死で、考えている余裕すらありません。それに、これから安定した生活を送るためにも色々と手を伸ばし始めたところで、]


 まだまだ話しが続きそうだったが遮った。


「なあヴィザール、余計なお節介だが聞きたいか?」


[何でしょうか?]


 受け渡しをする受取り所を視野に収めながら切り出した、これが終われば私は一旦監査室まで戻ることになっていた。それを惜しみながらコントロールレバーを操作しゆっくりと高度を下げていく。


「初志貫徹、という言葉を知っているか?」


[……初めに抱いた志しを貫く、という意味ですよね、言っておきますけど僕だって、]


「分かっているならそれでいい。その日が来た時に後悔しないことだ、いくら周りを騙せても自分の心だけは騙せないと思え」


[……その日とは何のことですか?]


「あの世に行く時だ、私もマギールのようにありたいと思うよ」


[…………]


「正直に言う、昔のお前の方が今よりずっと良い」

 

[あなたが副長は要らないと仰ったではありませんか]


「……そうだったな」


 ヴィザールの返す刀に何も返せないでいると、向こうから離れていった。やはり、自分を騙している奴が何を言っても説得力は無いらしい、自分で口にしておきながらその言葉が一言一句胸に刺さっていたのは事実であった。

 その後、バックユニットの荷物を下ろしてから私一人だけ飛び立った。上層部監査室がある中央部の行政エリアへ向けて、独りだが自由の空を、いくばくか後ろ髪を引かれながら満喫した。



[プエラと連絡が取れなくなってしまった、かれこれ二時間近くになる]


「…………」


[彼女には中層部のリニアに飛んでもらっていると言ったね?そこで何かが起こっていると思うんだけど調べ「どうしてそう大事な事を早くに言わないんだ!」


 中央部リバスター基地のロッカールームでそうシャウトした、連絡が取れない?それも二時間前?私が飛び立った時より前の時間じゃないか!


[いやあすまない、愚痴をこぼすのに必死で伝えるのを忘れていたよ。五通目の脅迫状の件については既に手を打っているから、すまないがナツメはそのままリニアに飛んでくれるかな?管制室にも話しは通してあるから好きなように向かってくれ]


「お前なあ……ほんと、いつか絶対シメてやる!」


[端末に電源が入っていないのか、それとも総軍省のお偉方に口封じをされてしまったのか、どっちか分からないんだけどまあ大丈夫でしょ、念のためだよ、念のため]


 脱ぎかけていたスーツをもう一度着直し、ロッカールームを後にした。

 仮にそれが本当だとしたらただ事ではない。


「どうしてプエラが捕らえられているんだ?あいつは確か、管理データの押収に向かったんだろ?」


[その管理データを持っていかれたくないんだろうね〜、もしくは僕達ですら知らない何かを司令官が掴んでしまったのか、そのどちらかだと思うけど]


「その何かっていうのは、やはりこの一連の騒ぎに関係することか?」


 機体の整備に入ろうとしていた整備員を手で制し、今から離陸することを伝えた。


[そうじゃない?それとあそこにはリビング・サーバーと呼ばれる新型の物があるから総軍省と喧嘩になったのかもしれないね]


「それはまたどうして?」


[君は司令官の恋人なのに良く知らないんだね。リビング・サーバーはスーパーノヴァにも使われていた技術で、プログラム・ガイアが作り出した二つ目の傑作だよ。その片棒を担がされていた司令官からしてみれば、人の手によって復元されたところを見ても良い気はしないでしょうに]


「ああ、それで相手を怒鳴り散らして……」


[そうそう。悪いんだけど迎えに行ってくれる?]


 一度降りた人型機にもう一度乗り込みメインコンソールを立ち上げた、無機質な電子音と共にユーザー認証画面に切り替わった。


「いきなり前時代的になったな…」


 認証画面でユーザー名とパスワードを入力するという、何とも味気ない承認方法を取っているのが最新型の人型機だった。まあ、生体認証式は手間も金もかかるので、頻繁に扱うシステムならこういった安上がりな物が結果的に良いのは分かる、が、こう...何というか、もっと非現実感を与えてほしかったと思う。これではただの端末操作と何ら変わらなかった。

 赤焼けを通り過ぎ、いつ見たのかも忘れてしまった濃紺色の空を一人、泣き虫で甘えん坊の相棒の元へと飛ばした。これでようやく上層から離れられる、はっきりと言って今回の仕事は訳が分からないし何より荷が重かった。ロッカーに入れっぱなしの仕事着はどうしようとか、せっかく借りたワンルームマンションも結局一日しか使っていないとか、あれやこれやの考え事も吹き飛ばすようにエンジンスロットルを上げた。



✳︎



「くっ……こんな程度でこの私が────はわぁ〜……」


「ん?この程度で何だって?ほーれ、ほーれ」


「はわわわ……あ〜……はっ!な、ナツメの方がもっと上手いんだからね!こんな程度で────はわぁ〜……」


「くっくっく、ナツメの愛もたかが知れているな、どうだ?これであたしの言う事を聞くようになったか?」


「……だ、誰があんたなんか……」


「お前さんの体は正直の「何をやっているんですか?」


「っ!」

「っ!」


「…………」


「…………」

「…………」


「聞こえませんでしたか?お二人は何をやっているんですか?お仕事中でしたよね」


「…………あ、いや、違うんだ」

「た、ただのスキンシップのようなもので…」


「スキンシップ?カサンさんに顎を撫でられるのがただのスキンシップ?随分と仲がよろしいのですね」


「いやいや、ちょいとな、事が終わるまでここで幽閉しようと思ってな?それにこいつもマキナ「そんな事は聞いていません!!」


「…じゃあ何を話せってんだよ…」

「…しっ!聞かれたらどうするのっ」


 待ちぼうけだった犬が怒りを爆発させた。


「もーっ!!何なんですかこっちは言うことを聞いて大人しくしていたのに!!少しぐらい私に構ってくれてもいいじゃないですか!!」


「いや、お前は毎晩「そんなにプエラさんがいいんですか?!どこがいいんですかこんな人「んだと?!どうしてそこまで言われはくちゃいけないの!恋人が二人もいるからって調子に乗るな!」


 カオス!



「カサンさんも意外と手癖、悪いですよね」


「だから何度も言ってるだろ、あれはただの遊びだよ」


「ふん!」


「今仕事中なんですけど、痴話喧嘩なら他所でやってくれない?」


「そいつはすまない、ここいでらあたしは「あんたはここにいなさい!」


 ぴしゃりと一つ。

軟禁、と言いはしたがただの拘束だ、いや拘束も十分ヒドいと思うけど。大佐の部屋に連れ込まれ、湖が大きく綺麗に見える特等席で両手を縛られ顎を撫でられ続けてしまった、たまに耳も撫でてくるからこれが意外と...スイはこんな事を毎日やってもらっているのか?少し離れた位置で私とカサンを睨んでいるスイに言ってやった。


「あんたもまだまだ子供ね」


「生まれて十年しか経っていませんから」


 そりゃそうだ。

仕事中だっつってんのに大佐の部屋に乱入してきたスイで修羅場になりかけたが、私はカサンの端末を見逃さなかった。運が良かっただけとも言うが誰かしらからメッセージが入り、その瞬間に拘束を解いたのだ。繰り返して言うがカサンは修羅場になりかけたから解いたわけではなく、誰かの合図があって私の拘束を解いた、つまり待っていたということだ。


(一体何を考えているのか…)


 今回の騒動に総軍省が絡んでいるのは一目瞭然だ、その中心的位置にカサン大佐がいるのもまた明白、しかしその目的が分からない。警報騒ぎに始まり、口座の凍結騒ぎ(私の口座はセーフ!)、カリブンの一斉放出、そして二度もハッキングを受けた特別個体機、それをひた隠しにしている総軍省、さらにゼウスから報告があった出されていない五通目の脅迫状、そこで全ての答えが出るという。


「五通目の脅迫状、ここで待っていればその差出人が分かりそうね」


 ようやく私の頭の中で一つの仮説が生まれた、これを伝えるのは目の前にいる女しかいない。


「──ほう、何故そう思う?」


 スイの猫パンチをいなしていたカサンが私に振り返った、さすがに空気を読んだのかスイも大人しくなった。


「今回の騒動、総軍省が絡んでいるわけではなく総軍省が引き起こしたものだからよ」


「聞こう」


 加齢によるそのしわ(私もいつかはああなるのか…)さえも、カサンの静かな闘志を際立たせるアクセントにしかならなかった。私の言葉に動じず寧ろ、挑むようにして瞳を覗き込んできた。


「…まず、事の発端は特別個体機の(じっ)テから始まるわ」


 喋り出し一番、生徒のようにカサンが手を上げた。


「じってとは何だ?」


「実力テストの事よ!」


 いまいち空気が締まらないがそれでも話しを続けた。


「特別個体機が持つポテンシャルを調べているのは私も聞いているわ、その一環で誤作動を起こし南部地方の迎撃システムに介入してしまった。私も立ち会ったけど、当の技術者はどんな組み合わせでも警報だけが作動することはないと言ったわ」


「だろうな、あれは厳重な防壁が張られたカタブツだよ」


「次の凍結騒ぎも同様に介入してしまった結果と言えるわね。だからあなたはデータの提出を拒んだ、上層の各システムに介入してしまった事が露呈してしまうから、違う?」


「脅迫状の件についてはどう説明する?」


 あヤッベ忘れてた...


「仮にお前さんの話しが事実であったとしても、じってを行なう前に総軍省から脅迫状を出す必要性がない」


 じって、そう発言する時だけおばさん臭くなるのは黙っておこう。カサンの隣ではスイがしきりに頷いていた。私もそう思う。


「それならアコックと呼ばれる男がハッキングをしかけた事実については?きちんと把握しているんでしょうね」


「リニアの街に置かれたサーバーが主な管理を請け負っている、これで分かったか?」


「ああ…そういう事ね」


 くそゼウス!全っ然駄目じゃない!私はてっきりリニアのサーバーのみが特別個体機にアクセスできる権限を持っている思っていたのだが、これでは話しが違ってくる。「主な」管理を請け負っているだけならこのテンペスト・シリンダー中からアクセス出来るという事だ。リニア経由でそれこそ、あのワンルームからでもアクセスが可能だ。


「だからアコックという男は自首をしたの?あんた達にバレてしまったから?」


「いいや違う、十年前の不正取引きに関与していたと自ら申し出たからだ」


「じゃあ何?別件で再逮捕するの?」


「まずは調査が必要だ、これについては外部の者に話す必要は無いと考える。アコックが今回の騒動を企てた犯人と仮定しても、その動機がまるでないように思うが?」


「それは、本人に聞いてみないことには、」


「凍結騒ぎの一件でも奴は被害を被っている、普通は逆だろう、よしんば全ての口座の金をせしめるにしても自分のだけは生かせておくはずだ」


「ううむむ………金ではなく警官隊や政府、どこかしらの組織の解体が目的だとしたら?」


「………」


 お、意外な反応、一瞬だけ目が泳いだのを見逃さなかった。


「何か知ってそうね、カサン大佐?」


「いいや、お前さんの推論があまりに突飛すぎてな、思わず笑いそうになってしまったよ」


「どの辺りが?警官隊?それとも政府?」


「………」


 ついにカサン大佐が押し黙った、まだまだ私の頭脳も馬鹿にはできないようだまあ殆ど勘なんだけど。


「さあて、時間はたっぷりとあることなんだし、好きなだけ私を軟禁してくださってもいい──そういう意味じゃないから!あんたは余計な勘ぐりしなくていいの!」


 私の挑発に何故だかスイが乗ってきたのでそれを制して、もう一度カサン大佐に視線を向けた。心なしか、額に汗をかいているようだった。



✳︎



 陽が暮れたエディスンに到着し、中層支部リバスター基地に機体を預けてから一度自宅へと足を伸ばした。さすがにパイロットスーツのままリニアへ飛ぶわけにもいかなかったので、私服を取りに戻ったのだ。小さな階段がうんと伸びる区画に新居を借りている、あの階段だった。街頭に照らされ苔むした階段を足早く上っていると、どうしたってあの日のことを思い出してしまう。私は本当に弱い人間のようだ、いつまでもいつまでも過去に縛られてしまっている。

 階段を途中で曲がり自分の家へ向かおうとすると、二人組みの女性が軒先の前でお喋りに興じていた。一人は子供、もう一人はその家族の者だろうか、何も自分の家の前で、そう思いはしたがすぐに考え直した。


「何かご用ですか?」


 私に用事があってきたのだろう、そうでもなければこんな所にまで足を運んだりはしない。けれど、そのまま踵を返して逃げておけばといたく後悔してしまった。


「あ!あなたがナツメさんですか?申し訳ありません、急にお邪魔させてもらって。私はレイと申します、息子が大変お世話になりました」


 息子?それに何故過去形でお礼を────ああ、この人が──


「実は今日、ご相談したいことがあって来ました。ほら」


「……お久しぶりです、ナツメさん、私のこと、覚えていますか?」


「──ああ、覚えているよ、昨日、お前の妹とも話しをしたんだ」


 子供のように見えるこの人が母親なのか、それにどうしてアリンと一緒なのか、家に招いて話しを聞かざるを得なかった。



「下層へ、行かせてほしい?それはまたどうして」


 アリンについてならある程度聞き及んでいる、何を言うのかも予想はついていた。


「下層にグガランナ・マテリアルがあるのかどうか、調べたいからです」


「この子は今日までずっと思い悩んでいたの、それで白黒はっきり付けられるならそうしようという話しになって、アオラにあなたの家を教えてもらったの」


 他に言う事があるんじゃ...こうして対面してもやはり子供にしか見えないレイがそう付け加えた。

 私の家は平屋である、玄関を入ってすぐリビングがあり少し奥まった所にキッチン、その反対側にはちょっとした庭園を望めるバルコニーがある。リビングから伸びる廊下の奥に寝室とシャワールームがあるのだが、「工」の字型の造りになっているためバルコニー前に置かれたソファからでも寝室の窓が開けっぱなしになっているのが見えていた。プエラか、あるいは私か、そんなどうでも良い事に現実逃避をしながら会話を続けた。


「アヤメのことか?」


「………はい」


「マテリアルを調べてどうするつもりなんだ」


「もし下層にマテリアルが無ければ旅に出たと判断できます。けれどもし……マテリアルがあったのなら……」


「ここ最近、そんな事ばかり考えてしまっているそうなの、どうにかしてあげられないかしら?」


「…………」


 思わず口を閉じた。こいつは真実を調べる勇気があるらしい、私にはない。


「……ナツメさんは?どう思っているのですか、アヤメさんのこと」


「私は旅に出たと思っているよ、それ以上考えたことはない」


「どうして戻ってこないのか、考えたことはありませんか?」


「ないな」


「もしかしたらと、不安に「そもそも、下層は立ち入り禁止になっている。そこには誰人も入ることはできない、禁止にした政府だってその例外ではないんだ、私に言ってもどうすることだってできない」


 彼女は私だ、私の心を代弁するように言葉を表に出している、聞いていられなかった。もし、アヤメが────そう考えただけで...それにその横にはあいつの母親だっているんだ、平常心でいられるはずもない、今日の今日まで逃げ続けてきた事がいっぺんに襲いかかってきたような気分だった。

 願いを込めてこう口にした、自分と彼女の希望になればと思って。


「……今日、中央部方面で赤くカラーリングされた人型機を目撃した」


「!」


 すぐにピンときたらしい、俯いていたアリンが素早く顔を上げた。


「それってもしかして──」


「確証はない。だが、赤くカラーリングされた人型機はどこの部隊にも存在しないものだ」


「何処ですか?!もしかしたら付近のカメラに映っているかもしれません!」


「──全て調べるのか?」


「はい!」


 そう気焔を吐くアリンに圧倒された、こいつは何が何でも調べるつもりでいるようだ。隣に座るレイも他人事なのにどこか嬉しそうにしている、慈愛に満ちた笑みを湛えながらくるりと視線を変え、私を真っ直ぐに見つめてきた。


「急で本当にごめんなさい、けれどこの子のことが放っておけなくて。私からも一つだけ聞きたいことがあるの」


「………何でしょうか」


 意を決してそう受け答えした、聞かれる事なんて一つしかない。


「私の息子はどうでしたか?」


 言葉はそれだけ他に何も無い、私の事を責めたいのか、それとも怒っていないのか、レイの端的な言葉とその表情だけでは判別できなかった、だから素直に言葉を述べるしかなかった。


「……私は今日まで逃げておりました」


「何から?」


「あいつの両親から、つまりはあなたから、あいつは私を庇って大きな傷を背負いました、心にも体にも。そして二度目は命を失いました、だから私はここにこうしているのです」


 しんと響き渡る静かなリビング、空間さえも私の言葉を待っているように全ての音を遮断しているようだった。レイもアリンも何も喋らない、まだまだ言葉が足りないと、言外に糾弾されている気分だった。


「あいつ以上の副隊長はいませんしもう要りません、何度助けられたことか、けれど私はそこまで強い人間ではありません、未だに引きずっている始末です、あの時ああしていればと……後悔ばかりしています」


「それはね、あなたがとても優しい人だからよ」


 知らず俯いていた視線がレイの言葉によって引き上げられた。


「この十年間、私の息子を想ってくれて本当にありがとう」


 持ち上がった視線がもう一度、涙と共に落ちてしまった。



 二人はこれからさらに街の夜へ出かけるらしい、アリンが休職しているのは本当らしく、またレイも旦那であるレイ(同じ名前…?)と喧嘩中らしく暫く家に戻る気はないそうだ。私も身支度を済ませ三人揃って表に出た、長らく待たせてしまった監査室の公安員が今か今かと通りの端で待っていた。


「同じ名前だったのですね」


 私を車で運んでくれた公安員が「まだ話すのか」と驚いている、話しを振られたレイが子供のように顔を輝かせてはつらつと答えてくれた。


「そうなの!お店で名前を呼ばれた時に私とレイが同時に振り向いてね、そんなに男らしい人なのにどうして女の子みたいな名前をしているだろうって話しかけたのが始まりなの!レイはテッドと同じで子供の頃は女の子みたいに可愛らしいかったんですって!」


「じゃあもしかしたらテッドさんももっと大人になっていたら…」


「私は一番良い時にあいつと知り合えたようだな」


 心から、と言うのもおかしな話しだが自然と冗談を口にすることができた。二人もくすくすと笑っている。


「それでは私はこれで、今日の今日までご挨拶もせず本当にすみませんでした」


「いいの!その代わりにこれからうんと付き合ってもらうから!アーちゃんもね」


「あ、は、はい…」


 さすがにこれ以上待たせるのはまずいと思い二人と別れた、元気良く手を振ってくれるレイは本当に子供のよう、けれどその明るさと面倒見の良さは確かに母親と呼べるものかもしれなかった。

 無言で踵を返した公安員の跡を追う、その背中には多少の苛立ちもあるようだが何より焦っているようにも見えた。目抜き通りに設けられた駐車場に到着し、車に乗り込んだそばからエンジンをかけたので声をかけた。


「待たせてしまって申し訳ありません、何かあったのですか?」


「室長からの報告なのですが、それとこの件は内密でお願い致します」


 そう前口上を述べながら目抜き通りを街の入り口方面へと向けた、歩行者に気を配りながらも速度を緩めない。


「迎撃システムの作動を確認しました、しかしながらその目標が一切不明なんです」


「ノヴァグが侵入した訳ではないと?」


「はい、支柱に張り巡らされた監視カメラやセンサーに反応はありません、総軍省の出方も分からないため公表は控えているのですが…」


「まだ騒ぎは終わっていないということなんですね、五通目の脅迫状について進展は?」


「全ての政府要人に対して監視行動を続けていますが何ら変化がありません」


 大聖堂前を通り過ぎて発着場へと向かう、あそこには二人のマキナと十年前の大規模作戦の際に命を落とした全ての人の墓があった。脳裏にヴィザールの顔が浮かんだ、お前は一度でも墓前に立ったことがあるのかと説教してやりたい気分に駆られたが、それはそれはだ、今は頭の片隅に留めておこう。


「もしかしたら白雪姫が捕らえられているのも今回の騒動に関係しているのかもしれません。室長も単独行動をさせてしまったのは失敗だっと言っていました」


「……分かりました、私が直接伺って確かめてきます」


「危険な事になりかねませんが、よろしくお願いします」


 それを最後に口を閉じ、程なくして既に一機の人型機が待機している発着場へと着いた。当初の予定では、総軍省の許可を得てから飛行機で向かうつもりでいたが状況が変わってしまった、許可を得られずとも捕縛した公安員を回収しに来たと、意思表示を行なうためだ。


(何をやっているんだ結婚逃しめ…下らない事に巻き込まれやがって…)


 三度着替えを済ませ、あれ、これなら家に帰る必要が無かったのでは?という疑問を地上に置き去りにして三度目の空に舞い上がった。



✳︎



[──騒ぎを受けて、被害を受けた銀行側が紛失額を補填すると発表致しました。しかし、当銀行の支店長であるレウィン氏は十年前に発生したカリブン受取り所襲撃事件に関与していたと自ら認め、警官隊に出頭している模様です。次に、近々催される十回忌セレモニーについて────]


 豪華であったファーザーのデンは痛い沈黙に支配され、誰もがその口を重く閉ざしていた。僕が最も望んだ光景だ、この日の為にこの館に潜り込んだのだ。全てはあの女の子の為に、あの言葉をきちんと受け止められる人間になるために始めた事だった。


「もうお終いだよ、全てやられた、やられてしまった」


 政府にその席を置くファーザーの友人が、何度目になるのか分からない嘆きを溢した。


「口座の金もカリブンも何もかもだ…だから私は余計な事をするなと言ったんだ!全てお前の失態だぞ!」


 詰られたファーザーが顔色一つ変えずに鋭利な言葉を返した。


「真の友人とは一体何なのか、考えた事はあるか、我が友人よ」


「知れた事か!今はそんな言葉遊びをしている時ではない!何のために今日まで協力してやったと思っているんだ!私だけではない!他にも、」


「真の友人とは、いかな状況に立たされても取り乱さず、互いに信頼し合う仲だ。お前はどう思う、アルトナよ」


 名前を呼ばれたのでゆっくりと歩みを進めた、懐に忍ばせた一通の書状を手にしながら。しがない執事の離反と捉えた側近達が殺気立ちその手に銃を握るが、それをファーザーが手で制した。


「小遣い稼ぎのために割りを食らったお前を今日まで大切にしてやったんだ、自分が今から何をしようとしているのか、きちんと自覚しているのか?」


「勿論ですファーザー、これをあなたに」


 忍ばせていた脅迫状をデスクに差し出した。


「………」


「共に白日の元に晒されましょう、あなた方が生きてきた世界はとうの昔に崩壊しているのです」


 側近達がさらに殺気立った、ファーザーの制止もきかずに安全装置を解除している。今日の今日まで甘い汁を吸い続け、危機管理もできなくなった老体がやおら立ち上がった。


「貴様か──我々を売ったのは──この犬めが!」


「犬?犬はファーザー本人でしょう、全てのシステムに介入出来るというタレコミを信じ、果てのない我欲に尻尾を振ったのがこの末路。大人しく表に出てください、さもなくばこの館ごと蜂の巣になるでしょう」


 これでもまだファーザーは動じない、いつ引き金を引かれるか分からない張り詰めた緊張感の只中でも、その懐の深さと度量の広さが窺えた。


「お前に出来るのか?銃すら握ったことがないだろう」


「ファーザー!そんな悠長なこと言ってないで「お前は黙っていろ!!!」


 落雷の如く怒声が響き渡った。最後の審判を待つ信者のようにひっそりと静まり返る。


「アルトナよ、もう一度聞こう、お前はこの俺を裏切るというのだな」


 ファーザーの声が空気を震わせ鼓膜に届き、心を揺るがす重さとなって体に浸透していく。それらを断ち切るように、懐に忍ばせていたもう一つの物をゆっくりと取り出した。


「これが僕の答えです、この端末で「物見櫓」を操作する事が出来ます」


「我々兄弟、家族を殺すと言うのか、お前は」


「従わなければ、その覚悟でここに立っています」


「血で塗れたお前の手を見て喜ぶ人間はいるのか?」


 力ではなく言葉でねじ伏せる、それがファーザーのやり方だった。この組織に入り込んだ時から間近で見続けてきた恩人の姿を、今こうして対面した形で見るのは辛いものがあった。けれどやらねばならない、この組織を解体しなければ影で泣く人が後を絶たない。

 睨み合う僕達に痺れを切らした老体が口を挟んできた。


「──こんな物を信じるというのか?あの物見櫓が我々を狙っていると、本気で思っているのか?」


「ご覧にいれましょう」


 端末を操作し警報を作動させる、すると次の瞬間、


「────!」


「──っ?!」


 ファーザーの落雷など比ではない、身体そのものを揺るがす音が響き渡った。そもそも、過去は栄華を極めたファーザー邸の近くに迎撃システムの一部を配置させるよう、手を回したのがこの老体だった。これで襲撃されても一安心と、浮かれる彼らの姿が脳裏に浮かんだ。

 警報が鳴り止み静寂が戻ってきた、しかしそれは安堵と呼べるものではなかった。


「ファーザー、どうか諦めて下さい、もうあなたの時代ではなくなったのです」


「────────そのようだ」


 深く、静かに厳かに、息を吸い込み、吐き出すようにそう答えた。耳鳴りとも呼べるしじまの向こうから、新たな警報がこの館に届き始めた。



✳︎



 静寂の向こう側、何のその。私の心配も何処へやら、向かう先は天国はたまた地獄か、それを決めるは扉の向こうの阿呆三人。


「失礼しまーす」


「はっ!」

「はっ!」

「はっ!」

 

「……………」


「……………」

「……………」

「……zzzzz」


 寝たふりをしている奴は後で懲らしめるとして、今は二人に視線という名の射撃を見舞った。直撃を受けた一人が慌てて立ち上がった。


「あー…いやその、何だ、な?」


「何が、な?何ですか?状況をさっさと教えろください」


「こ、言葉遣いが変だな、よし!今日は特別にお前も撫で「ふざけるなよこの結婚逃し!!!」


 要約するとだ、ただの骨折り損のくたびれ儲け、私の心配なんかよそにして三人仲良く戯れ合っていたではないか。

 到着したリニアの総軍省は何というか、平常運転のように見え、その時からちょっとした違和感はあった。監査室の一人を拘束しているはずなのに「何かあったのですか?」と応対にやって来た職員に聞かれる始末。これは何かの間違いがあったに違いないと結婚逃しの元へやって来たらこの体たらく、三人仲良くいちゃいちゃしていやがった。何か?この世は私の心配度合い反比例にして幸せが満ちていく仕様になっているのか?前にも似たような事があったなと束の間思い出した。

 私の罵声を浴びたはずなのに呵々大笑としていた。


「あっはっはっは!お前も元気なようだな!結構、結構!」


「何があったのか洗いざらい喋ってもらいますよカサン隊長」


「だから物事には順番というものがある、功労者のくせに要職にも就かないお前に言うのは後回しだ」


 痛い所を突かれたので思わず押し黙っていると、代わりに雄叫びを上げた奴がいた、さっきまで寝たフリをしていたくせに。


「ざっけんじゃないわよ!!なんで今から上に飛ばなくちゃ────目の前に容疑者がいるのよ?!そいつの口を割った方が────今?!今ここでそれを持ち出すの?!だからあんたは皆んなから嫌われんのよ!!」


 端末に向かって唾を飛ばしているプエラから、そっとスイが離れて私の元へやって来た。


「こ、この度はお騒がせしてすみませんでした、久しぶりにプエラさんとお会いしたのでつい…」


「いいさ、気にする必要はないよ」


「おい、あたしの時と態度が雲泥だぞ」 


「優しくされる歳か、身の程を弁えろ」


 結婚逃しに掴みかかられるすんで躱しプエラの元へ向かおうとすると、あちらはあちらで私に視線も向けずに部屋から出て行こうとしたのでさすがに引き止めた。


「プエラ!何で無視をするんだ?」


「し、仕事だから…」


「またゼウスに何か言われたのか?」


「う、うん、まあ…そんな感じ」


 よそよそしい態度、ひそひそと話し合う二人、この場にいるのが居た堪れなくなってきたのでプエラの細い腕を掴んで外へと連れ出した。


「先に言っておくが、昨日の電話はお嫁さん探しではない」


「………」


 冷んやりとした廊下で二人向かい合う、本当に世話が焼ける────抱いた疑問を振り払うようにプエラの頬にそっと手を這わせた。さすがに観念したのか、上目遣いで視線を寄越してきた。


「………じゃあ、誰」


「カリンだよ、聴取の件で確認したい事があったから電話したんだ」


「──────」


 綺麗に整った顎も上げて、少女のそれではなくなり豊かになった唇をぽかんと開けている。見る間に頬が赤く染まり、瞼をぎゅっと閉じた。


「はっずかっしいぃ〜〜〜っ」


「ふふふ、一人で勝手に盛り上がっていたようだが、浮気をする程私は器用ではないよ」


「あ〜〜〜っ」


 その場でしゃがみ込んでしまった、両手で顔を覆い何度も被りを振っている。そして次の瞬間にはがばりともう一度立ち上がり私に詰め寄ってきた。


「だ!だってさ昨日さナツメがいきなり子供欲しいとか聞いてくるからさ!思わず勘繰っちゃってさ!」


「私のせいか?カリンにも家族がいるみたいでな、未だに所帯を持っていないからお前はどう考えているのかと気になっただけだ」


「だ・か・ら!そういう聞き方が私を狂わせるの!今の受け取り方によってはプロポーズになるんだからね!気を付けてね!ほんと!」


「それは知らん、お前の勝手だろうに」


「むきー!」とか叫びながらポッケに手を突っ込み端末を取り出している、大方ゼウスから催促が来たのだろう。案の定「今から飛んでやるわよ!」とプエラが端末に向かって怒鳴り声を上げていた。


「ん!」


「ん?私にか?」


「そう!」


 真っ赤に顔を染めたプエラが私に端末を突き出した、取りたくなかったが仕方ない。


「本日の営業は終了致しました、ご用件のある方は営業時間内に、」


[そういう下らない冗談はいいから聞いてくれる?]


 冗談をかますがものの見事にスルーされてしまった。


「で、何だ?プエラは無事だったぞ」


[その件はもういい。南部地方の迎撃システムが再び誤作動を起こした、今から司令官に現地へ飛んでもらうけど、君は自宅で待機していてくれ、寝てくれても構わないよ]


「はあ?気味が悪いな」


 電話の内容を知らないはずのプエラが「そりゃゼウスだから仕方ないよ」と外野から同意を示してきた。


[いいから、それと明日は朝一番に僕の所まで来てくれ]


 それだけを言ってから電話が切れた。未だに拗ねているプエラに端末を返すと早速踵を返して発着場へとその足を向けた。


「さっさと終わらせてくるから」


 私といるのが恥ずかしいのか、それとも怒っているのか、その背中に一言だけ声をかけた。


「家で待ってるよ」


 その言葉に素早く振り返り、どこか嬉しそうににんまりと笑った。最後にもう一言だけ付け加えた。


「寝てたら悪い」


 また振り返り、べー!と舌を突き出してから颯爽と歩いて行った。



✳︎



 鉛のように重たい体を持ち上げてベッドから降りた。どうやら太陽より早く目覚めたらしく、ナツメの寝室は未だに薄暗かった。

 起き抜けに思い出しても腹ただしい、結局昨夜、というより今日の深夜頃までかかった現地確認の成果は無し、フォレストリベラの制空圏に到着した頃には事件の全容が掴めたと奴から電話があった。そしてそのままとんぼ返りで帰ってきてみれば、プロポーズをしてくれた恋人は眠りについており、さらに腹が立ったので無許可ベッドステイをしてやった。


(あー、ダル…起きたらうんと甘えてやろう…)


 今回の騒動に総軍省が絡んでいるのは間違いない、さらにシステムを開発した研究者の元にバルバトスの関係者であるエフォルが、そして特別個体機の管理サーバーを開発した第一人者が同様に関係者でもあるリューオンと呼ばれる男、この二人が事件の中核にいるのも疑いようがなかった。

 脅迫状に関してはただの隠れ蓑だろう、大方自前で用意し自演のための小道具に過ぎなかった。さらに警報騒ぎが発生した昨夜の場所には、「ファーザー」と呼ばれる男を筆頭にしたある組織の館があった。


(私の読みが正しければ……)


 昨夜買っておいた食べ物を手にしながらテレビモニターを点けた、ちょうど昨夜に起こった警報騒ぎについてニュースをやっているところだった。


[──指定暴力団として指名手配されていた「ファーザー」の関係者が、一斉に検挙される事態となりました。昨夜遅く頃にも発生しました警報騒ぎに関連し駆けつけた警官隊が、指定暴力団が所有していたみられる建物の前で職務質問をしたところ、自らの立場を認めたということです──]


 何とも間抜けな逮捕劇である、いや、あの場で警報を鳴らされた事自体が彼らにとっての最後となったのだろう。その建物内には総軍省の協力を得ていた人物がいるはずだ。


(ん……?誰だあれ……)


 ファーザーと呼ばれている老齢の男性を先頭にして、続々と列をなしている暴力団、所謂マフィアの方々が映し出されていた。その列には十回忌セレモニーにも呼ばれている男性も加わっており、組織内の腐敗がこうして間接的に炙り出された形となった、そしてその最後列には思っていた人物が映っておらず、代わりにどこにでもいる中年サラリーマンのような男が列に参加していた。


(あのリューオンという男はいないのか…じゃあ誰があのシステムを掌握したんだろ…)


 お気に入りのハムサンドイッチを頬張りながら頭を回転させてみたけど上手く回らず、それよりも体が糖分を欲していたのでフルーツ入りヨーグルトの封を開けた。今日は私とナツメが中層部の監査室に呼ばれているのでそろそろ起こさないといけない。


[……落星十回忌セレモニーが催されるフォレストリベラ中央区には参加する遺族の方が多く集まっています。また、フォレストリベラ大区長アオラ主催の式典には各部地方から代表者が集い──]


 ベッドから身動ぐ音が聞こえた、いつの間にか太陽もその重たい瞼を開けたようで部屋の中もいくらか明るくなっていた。


「音……下げてくれないか……」


「んー」


 チープなプラスティクスプーンを咥えたまま返事を返す、昨日は色々とあったけど、私が愛する人も起きたようだった────。

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