決して座り心地は良くないけれど、
前後に距離が取られた座席は寛ぐのに十分だった。適した温度に調整された風が頭と足元から流れてくる、前の座席の背もたれに取り付けられた画面ではもう間もなく離陸が行われることを案内していた。
「次はどこだっけ」
「知らない、向こうに着いたら分かるだろ」
私が一番端の窓側だ、この仕事が決まってから口を酸っぱくして所望してきた特等席である。残りの二人が私の隣に並んで座っていた。
「ガニメデさんに怒られるよ、ちゃんと見てこないと」
「フィリアは何処か知ってる?私とリコラ昨日はくたくただったからさ、ろくにメッセージ確認してないんだよね」
「それはどっちの話しかな、ライブ?それともベッドの上かな」
私の言葉を受けた二人が意味深な視線を互いに向け合っている、そういう関係にあるのは知っていたが目の前で見せつけるのは勘弁してほしかった。私達三人の微妙な空気を読んでくれたのか、離陸前のアナウンスが流れてきた。
『レイエアラインをご利用頂き誠にありがとうございます、当機はもう間もなく離陸を行います。現地の天気は曇り、風も穏やか、到着までの間空の旅をお楽しみに下さい。添乗員が確認に参りますので──』
窓から見える丸まった羽のファンが回転を始め、細かな振動が機体全体を包み始めた。フォレストリベラの空は晴れているがどうやら中層部は曇りのようだ、パイロットからしてみれば曇っている方が操縦し易かろうが、旅を楽しむ私達客からしてみればやはり物足りなさを感じる。
「………」
すぐに隣に座っているリプタが、どこか探るような気配を漂わせながら私の手を握ろうとしてきたが構うものかと払い退けた。
そうして微妙な関係になってしまった私達、「再開発室現地調査員」を乗せた上層中層間短距離飛行機がふわりと上空に持ち上がった。
星落ちた後の彼ら彼女ら〜case2.リコラ、リプタ、フィリア(五年後)〜
────望まない、望まない、望まない。
────不本意、ここではない、不本意。
────ねえ、あれ何かな!行ってみようよ!
────声がする、声がする、声が届いてきた。
────だ、ダメだよ!怒られるよ!
────望む、望む、望む。ここではない遠くへ、皆んなの場所へ。ここではない、本来の居るべき場所へ。
声がする方へ、──の彼方へ。
1.
空の旅は小一時間程で終わり、目的地である中層部の空港に到着した。上層部と中層部を結ぶ空路が完成してから早二年、今ではすっかり定着した移動手段になっていた。添乗員が乗客らの荷物を取り出して、シートベルトを外した乗客が次々に降りていく。隣に座るリプタは、昨日は余程激しい夜だったのか私に頭を預けて未だ眠っており、その隣に座るリコラに限っては座席の上で胡座をかいてゲームに集中していた。
「お客様、ご準備をよろしくお願いします」
「はい、すぐに降ります」
リプタのすらりと長い足をぺちんと叩いて起こし、ゲームに集中していたリコラの耳を引っ張った。昔は大変珍しがられて人気者だったが、ここ最近販売された装着型義体のせいですっかりその人気も落ちぶれてしまった。さっき私達にやんわり「出て行け」と促した添乗員の頭にも可愛らしい耳が付いていた。
「ったいなぁ〜…せめて優しくしてくれよ」
勝気な目は昔と変わらず、つんと上がった鼻にシワを寄せてそう怒ってきた。短かい髪もそのままでさっぱりとした女性に成長していた。まあ、その心の中まで、とは言わないが。
「知らない、リプタに毎晩そうしてもらってるんでしょ?」
「………」
やましい事でもあるのだろう、すっと私から視線を外した。モデル顔負けのスタイルに変貌したリプタがぴょこんと跳ね起き、大きく伸びをしたあと私に抱きついてきた。
「んん〜!はぁ……あ、間違えた」
寝ぼけていたのか、いつもはそうしているのか、芽生えた嫉妬心を自覚しながらえいと押しやった。
「はいはい、さっさと降りるよ」
「ぶー」
「そこはにゃあじゃないの?」
「にゃあ」
頭が弱いのは相変わらずだ、あの頃と何も変わっていなかった。けれどリプタは大変人気なのである、ぱっと見だけは大人びたクールな女性に見え、けれど口を開けばそのあんぽんたんな頭から放たれる陽気な台詞に人懐っこい笑顔を見せて人々を魅了していた。リコラもそうだ、ボーイッシュな出立ちにはつらつとした様は人々を惹きつけている魅力そのものであった。かく言う私は地味なままだ、耳もあるし尻尾もあるけれど今となっては何のアドバンテージにもならず、二人に埋もれてしまっていた。まあ、私達の本業はあくまでも再開発が可能な地域やメインシャフト内を調査する事であって、私設アイドルグループではない。
またむくむくと芽生えてきた嫉妬心を無視して先に機内から出ることにした。案内してくれた添乗員に従い、ドッキングされた通路を歩いて行く。後から遅れるようにして二人が私の跡に続いた、通路から見える外の景色は生憎の曇り空、そして天へと伸びる一本の腕があった。
「…抜け駆け……!」
「フィリアはやっぱり……」
「卑怯……!」
二人仲良く顔を近づけ合いながら何事かと話しをしていた。あまり耳に入れないよう通路を渡り切ると、今し方降りたばかりの飛行機へ搭乗している客と分けられたエスカレーターがあり、その先には広々とした到着ロビーがあった。
『レイエアラインをご利用のお客様は専用ターミナルで荷物を受け取り後、タイタニス空港の案内に従い各公共交通機関をご利用下さい』
そう、何を隠そうここはあのタイタニス・マテリアルの中なのだ。
「おっひょー!すっげぇな!ここが体の中だなんて思えないぜ!」
「もう、あんまりはしゃがないの」
「ええ?その淡白な反応は何?フィリアはこれを見ても驚かないのか?勿体ない」
私の隣に並んだリコラの尻尾が右に左にぶんぶん振られている、確かに興奮はするけど人目がつくような言動は控えてほしい。
アナウンスでもあったようにタイタニス空港はいくつかのターミナルに別れている、民間が利用しているレイエアラインに政府専用のものがあったり、一部民間運用しているリバスター航空もあった。その中でもとくにレイエアラインは各種アミューズメントに力を入れており、到着ロビーから早速店舗がその軒を連ねていた。リコラに手を握られながら荷物受け取り場へ足を向かわせていると、
「あ!」
「わ、びっくりした、なになに?」
その店舗の中にマイナーな服を扱っているショップがあった、堪らず声を上げてしまい注意を受けたばかりのリコラが口を尖らせた。
「自分だってはしゃいでんじゃんか」
「それは謝る!あのお店に行ってもいい?行きたい!」
「ダメ」
「ほんと、フィリアってファッションに目がないよなぁ〜。昔が嘘のようだぜ」
「ちょっとだけだから!いいよね?」
「駄目です、ガニメデが待ってるからすぐに行きます」
「そんなぁー!」
ああ!あのお店はここにしかない貴重な所なのに!ぐいぐいとリコラに引っ張られてしまい、その場を後にした。
◇
「お疲れ様、疲れているところ悪いわね」
「一時間も寝たから平気!」
「それは平気なの?」
リコラとリプタの荷物、それから仕事に使う道具一式を受け取りターミナルの出入り口に来ると我らが室長であるガニメデさんが待ってくれていた。
「姉はお留守番ですか?」
私の姉、ということにしてある。過去にリニアの街でずっと一緒に過ごしていた仲間だ。あの日、落星直後に再会した姉はあれだけ人間嫌いだったというのにガニメデさんにべったりと張り付いていたのだ。まあ、ガニメデさんは純粋な人ではないけど、ガニメデさんもそんな姉を大変可愛がっており必然というか、私も自然とガニメデさんに甘えるようになっていた。
ここにはいない、あのグガランナさんと似たガニメデさんが困ったような笑みを浮かべてから答えてくれた。
「そうよ、付いて行くと言って聞かなかったから引き離すなのに苦労したわ」
「さすがガニメデ、言葉を離せないのに意思疎通が出来ていやがる」
「偉そう、何でそんなに偉そうなの?」
リプタがつんつんとリコラの頬を突いている、そんな仲睦まじい二人を他所にしてガニメデさんの隣に並んだ。
「なら、今日は私が独り占め出来るんですね」
けれどガニメデさんの困った顔は変わらず、くたびれたスーツをきちんと直してからこう答えた。
「それがそうもいかなくなってしまったの、調査済みのエリアから歪な反応が出てしまってね、私達の部署はそれでてんやわんやよ」
2.
タイタニス空港から伸びる直通道路はなだらかな下り坂となっており、再開発室の本部が置かれているエディスンまでうんと続いていた。四人が乗り合わせた自動運転車の座席を向かい合わせに座り、ガニメデさんから今回の仕事について説明がなされた。
「約五年前の掃討作戦で浄化が確認された四階層に反応が現れたのが約一週間前、そこから各階層に転々と移動して今は九階層に落ち着いているわ」
「その反応ってのは何?ノヴァグの生き残りがいたってことなのか?」
「しぶと〜」
リコラとリプタが揃って座り、私はガニメデさんの隣に陣取っていた。胡座をかいているリコラの膝の上にリプタがしなだれかかっている、負けじと私もガニメデさんに甘えようとしたが目だけで優しく拒否されてしまった、今は真面目に、ということらしい。
「それがね、ノヴァグと断定出来ないのよ。確かにノヴァグと類似したパターンなんだけどピューマの反応も混ざっているし何が何やら。そこでスペシャリストのあなた達に依頼したというわけ」
「それで本部まで飛んで来いって言ったのか…いやぁ〜昨日のライブも大変だったんだけどなぁ〜、このままだと疲れが取れないなぁ〜」
「うう…何だか体のあちこちが痛くなってきた…」
わざとらしい。
「はいはい分かってるから、本部に寄った後は好きなように過ごしていいわ」
「それじゃあガニメデさんも一緒にどうですか?私買い物に行きたいです」
向かいの席で戯れあっていた二人がぴたりと動きを止めた、構うもんかとガニメデさんに甘えるがまたしても断られてしまう。
「フィリア、あなたが本当に欲しいのは服かしら?それともアクセサリー?」
「……そうですけど、それ以外に何があるんですか?」
「目に見えている物だけが全てじゃないわ、あなたの魅力も二人の仲もね」
「………?」
「………?」
「………?」
私の魅力の...話し?ん?どういう意味だろう、会話を聞いていたリコラとリプタも揃って首を傾げている。
「わ!見て見て!あれ見て!」
首を傾げていた状態で窓の外を見やっていたリプタが何かを見つけたようだ。リコラの肩をばしばし叩き、こっちに来るよう私に手招きしていた。
「へえーこうして見ると綺麗なもんだなぁ…」
二人の間から私も顔を突っ込む、リプタがべたっと引っ付いてきたけど眼下に見えた光景にそれどころではなくなってしまった。
「わあ……凄いね……」
「稲の栽培が上手くいったようで何よりだわ、それもこれもあなた達が見つけてくれたお陰ね」
直通道路よりさらに下、きちんと整理された中層の大地にさざ波が生まれていた。吹きつける風に揺られ、栽培が開始された稲の穂が波のように揺蕩っていたのだ。黄金色に輝くあの植物の群れは人にとって主食となる貴重な物だった。
「あれ、誰が見つけたんだっけ、フィリア?」
「フィリアだろ、一番賢いし」
「そういう下手な持ち上げはいらないよ、見つけたのは二人でしょ?私は良く覚えてるよ」
ぺい!とリプタの手を離し元の座席へと戻った、やはりわざとだったらしく二人揃って明後日の方向を向いていた。
「私もあの近辺にいたことがあったけど、まさか森の中で稲が自生していたなんて気付かなかったわ」
「稲って森の中で生まれるの?」
「元々栽培していた場所からピューマ達が運んだんじゃない?私はそう思ってるよ」
「今となっては失われてしまった農耕だけどね、あなた達の発見で復活出来そうよ」
だからこそ私達三人は「スペシャリスト」と呼ばれるようになっていたのだ、私は単におまけのようにも思えるけど。
(はあ…駄目だ、どうしても卑屈になってしまう…)
目の前にいる二人はどうだ、煌びやかな格好に、それに引けを取らない容姿、そしてその明るい性格。あの日、アオラに無理やり立たされたあの壇上から私と二人の違いが現れたように思う。苦手なのだ、人前に立つことが、その事を自覚してからより一層今のように卑屈さが出るようになり、それとは引き換えに二人はどんどん前に出るようになっていった。羨ましい、それが二人に対する純粋な思いだった。
稲の絨毯を通り過ぎ、さらに低くなった直通道路の向こう側にエディスンの街並みが見えてきた。この辺りまでやって来ると空を行き交う小型の飛行機がぐんと増え、再開発予定の各街へ伸びていく工事中の道路も沢山あった。賑やかしいその街は、過去に攻略部隊と呼ばれる人達が滞留していた場所でもあり、当時を知る人からしてみればそれはそれは大変な変貌ぶりだそうだ。
「ここに来るのって何年ぶりだっけ?」
「え?ここに来るのって初めてじゃないの?」
「なわけないだろ!どんだけ頭が弱いんだ!」
「そういうリコラは〜〜〜っ!」
「あーはいはい、そういうの今はいいから!」
何かを言いかけたリプタの口をリコラが押さえつけている、その頬は赤く二人しか知らない秘密の事なんだろう。
たった二年という短い月日で完成させた直通道路を渡り切り、中層部主要都市エディスンに到着した。街の入り口近くには半壊されたまま放置されている大聖堂前広場があり、中層攻略戦で戦死した死者を弔う記念公園になっていた。公園の中央に座している錆だらけの巨人、咲き乱れる花々、何人か弔いに訪れている人がいた。
(あれは……)
通り過ぎる間際、その巨人の前に佇む一人の女性がいた。黒い髪が風に靡いており、その背中はどこか哀愁に彩られていた。白い髪の毛をした女性に呼ばれくるりと向きを変えた時、直通道路の柱に隠れてしまった。
直通道路のジャンクションから市街地に入り、建物と植物が融合した一風変わった街並みを走っていく。
「着いて早々悪いけど、このままミーティングに参加してもらうわ。いいわね?」
「はい」
「わん」
「ぶー!」
そこはにゃあだろと、リコラと揃ってリプタに突っ込みを入れてしまった。照れ臭い。
3.
廃棄されていたエディスンのショッピングモール跡の一画に中層支部再開発室の本部があった。ちなみに、私達三人は上層支部の所属となるため今回の仕事がいかに大掛かりのものになっているか、両支部合同で行われるだけでも分かるというものだ。
「わ!フリーリだ!ひゃあー!可愛いー!」
「え?嘘!わー!リプタちゃんだぁ!」
「リコラくーん!」
「フィリアちゃんはソロ活動してるって本当?!また三人で歌ってほしいなぁ!」
だの、なんだのと...ミーティングが行われる会議室に足を踏み入れるや否やこの待遇だ、辟易する。私は愛想笑いを浮かべるだけで精一杯、けれど二人はいつもの調子で受け答えしていた。
「にゃああ!」
「わんわん!」
「わ、わ、あ、握手して!握手!」
「生フリーリ!この仕事してて本当に良かったわ…」
きっとフリーリの配信動画を見てくれている人達なのだろう、皆んなリコラやリプタの所に駆け寄り私は早々に離れていた。もう一年近く動画には出ていないので私のファンなんていやしない、その喧騒と自分の卑屈さから逃げるように一番端の席に腰を落ち着けた。会議室の窓から見えるエディスンの街並みに視線を逃していると人の気配を感じ、ついで隣の椅子にその人が座ったようだった。
「隣いいですか?」
「あ、はい」
かけられたその声は二人のものではなかった、その人を見る前に会議室の入り口に視線を向け、未だに馬鹿面晒して受け答えしている二人を見てから隣に視線をやった。女性だった、茶色の髪に凛々しい眉、勝気そうな瞳はいかにも生真面目な人に見えた。でも、どうして私の隣に座ったんだろうか、他にいくらでも席があるのに。訝しむ気持ちが顔に出てしまったのか、アリンと名乗った女性が言い訳をするように座った理由を教えてくれた。
「実は今日、異動してから初めての仕事になりまして…緊張でどうにかなってしまいそうだったので良ければお話し相手になって頂ければと…すみません」
「あ、いいえ、そういう事でしたら…お役に立てるか分かりませんが」
そんなことありません、そう言うアリンさんの笑顔は私と似てどこか儚げに見えた。
◇
とんでもない。私はてっきり初々しい新社会人の方かと思っていたけど、ミーティングが始まるなりアリンさんがぴっと立ち上がり壇上に立ったものだから驚いてしまった。
「初めまして、私はアリンと申します。今回のご依頼について私の方からご説明させて頂きます」
会議室内の明かりが落とされ、先程までのたどたどしさなんて微塵も感じさせないアリンさんの背後にぽっと画面が浮き上がってきた。
「一週間前に行われた再開発調査の折、調査済みのエリアとして区画整理待ちだったメインシャフト四階層にノヴァグと似た反応を感知致しました。その後、ノヴァグと思われる反応は各階層を移動し現在は未調査エリアである九階層に落ち着いています」
ここまでの話しは室長からも聞いていた通りだ、けれどそれだけの事でここまで大仰なものになるのかと疑問に思った。私と同じように疑問を抱いた人が挙手をし質問していた。
「はいはーい、ノヴァグをやっつければいいだけなのでは?」
「!」
暗くて良く見えなかったけどあれはリプタ!隣に座っていたリコラからも「敬語を使え!」と怒られていた。
(恥ずかしいなあもう…)
こっちまで居心地が悪くなってしまう、態度は悪いが的を射た質問だったようでアリンさんも即座に返答していた。
「ご指摘通り、ノヴァグを排除出来ればそれに越したことはないのですが…協力を要請した総軍省からは「事実の確認が取れない」と拒否されています」
「何で?」
「…こら!」
「推測ですが、五年前の掃討作戦に不備があった事を認める訳にはいかないからでしょう、だから確認が取れないと知らんぷりをしていると思いますよ。あ、ここはオフレコでお願いしますね」
アリンさんの冗談にささやかな笑いが起こった。
「そこで復興庁再開発室の皆さんに今回のご依頼をさせてもらった次第です。メインシャフト、中層部の各街に出資を行なっている私共にご協力頂けたらと思っています」
「まっかせて!」
「おー!」
敬語を使うよう注意していたリコラも諦めたのか、同じように拳を突き上げていた。
(もう!知らない!)
こっちは冷や冷やしているというのに呑気なものであった。
その後、「スペシャリスト」として確かな実績を持つ私達がその調査員に任命され、アリンさんが所属する企業とガニメデさんを含む復興庁の職員らの下に作戦内容が詰められていく。リプタ、リコラの馬鹿げた合いの手を挟みつつも会議が進行し、話しも大詰めになろうかという時に闖入者が現れた。
「遅くなりやしたー、さーせん」
(あ、あの人は確か…)
ふざけた挨拶には似つかわしくない出立ちをしている女性だった。身長は私達とそう変わらない白い髪をした絶世の美女であり、青く澄んだ瞳は切れ長、髪型は緩くウェーブがかかったロングを七三分けにして、それこそトップモデルなような人だった。
「え、と……失礼ですが……」
壇上に立っていたアリンさんも面食らっている、恐る恐る声をかけているが当の闖入者は堂々とした歩みで会議室の中央まで歩き、乱暴に椅子を引いてどかりと腰を下ろした。
「復興庁と民間企業の合同作戦ってここで合ってるよね?………ん?んん?」
座ったばかりの椅子から腰を上げ、アリンさんの顔をまじまじと見つめながら近寄っている。突然の出来事に皆んなも何が何やらといった体で固唾を飲んで見守っているだけだった。
「な、何か…………ん?あれ、もしかして、プエラ?」
そこでわっと花が咲いたようにプエラと呼ばれた女性に笑顔が広がった。
「やっぱりー!アリンだよね?!いや、厳密に言えば私は直接会ったことはないんだけどさ、ま、いっか!見知った顔だしこの際どうでもいいや!」
「は、はあ…」
「いやあ、またゼウスの奴に仕事を押し付けられてさぁ、こっちはプライベートで大変だっつうのに無理やりでね。あ、関係ないよね、ごめんごめん、忘れて?」
凄い人だ、周りの視線なんて気にしないその豪胆な性格、と言えばいいのか、とにかく私とは正反対にいるような存在だった。
「はあ……その、ゼウスさんという方は?あなたもこの作戦に参加されるという事ですか?そんな話しは聞いていませんが…」
アリンさんも距離を測りかねているのか、顔見知り?のプエラと呼ばれる女性に敬語を使って接していた。
「総軍省のお偉方がシカト決めてるんでしょ?だから何でも屋の私に話しが下りてきたの、人型機から携行武器まで何でもござれだからそこんとこよろしくね、さっさと終わらせるから」
「いやいやあの、武器は使用しない話しになっていますのでそう言われましても…」
「何?私が協力するって言ってるんだからそれでいいじゃない、何か文句でもあるの?」
一気に声のトーンが落ち、凄まじい圧迫感を放っていた。言われたアリンさんもどうしたらいいかと目線を泳がせ困り果てているようだった。
「あの、いいでしょうか?」
自分でも驚いた、まさか声が出るなんて。
「何?」
(怖いなぁ…)
そのきりっとした目で睨まれてしまった、こうして正面から見るとやはりとんでもないオーラを放っている人だった。言葉を選びながら上滑りしないよう慎重に説明した。
「……今回の仕事は未調査エリアの探索を兼ねています、たとえノヴァグと鉢合わせしたとしても武器は使用せず捕縛する流れになっています」
「はあ?何でそんなまどろっこしいやり方をするわけ?襲われたらどうすんの?」
「復興庁規定のガイドラインにそう定められているからです、未調査エリアのいかなる建造物やオブジェクトを破壊してはならないという決まりがあるので武器は使用しません」
「あっそ、じゃあ何で総軍省に依頼なんかしたの?あんたらのせいでこっちにお鉢が回ってきたじゃない。元から武器が使えないんならただのお荷物でしょうが」
それについては事情を知らされていない、代わりにアリンさんが答えてくれた。
「それに関してはノヴァグの巣の調査をしてほしかったからです。政府内で最も情報を持っているのが総軍省ですので適任だろうとこちらから依頼したのですが、今まさにあなたが仰った理由で断られてしまいました」
私とアリンさんの説明を受けて黙り込んだ、納得しているのかしていないのか、その表情だけでは判別出来なかった。しんとした会議室、時間が止まってしまったかのように思われたがプエラさんの発言で猛烈に動き出した。
「分かった、けれどこっちも調査に加わるよう無責任ゼウスに言われてるから参加させてもらうわ。あんたの名前は?」
「え……ふ、フィリアと言います」
嫌な予感しかしない。けれど、どこか、見たことがあるような表情をしているプエラさんから目が離せなくなっていた。そして、ゆっくりと立ち上がり扉に足を向ける前に私へ一言。
「よろしく、お洒落なピュマ娘さん。作戦が決まったら私に連絡ちょうだい」
4.
私と対角に位置するようなキラキラとしたお店、着るのも気恥ずかしいような服、身に付けるだけで自分が宝石になったかのようなアクセサリー類、どれもこれも目を奪われときめくような商品ばかり並んでいたが今日だけは楽しめそうになかった。
「嫌ですよ〜どうして私なんですか〜」
「仕方ないじゃない、あの人に気に入られたんだから、諦めなさい」
「ぶ〜」
「あら、これ良いかもしれないわね…」
ここはエディスンのモール。再開発本部が置かれたエリアの下に位置する、復興が完了した街一番のファッションストリートだ。ガニメデさんと買い物がしたいと我儘を押し付け無理やり連れ出してきた、あとの二人はやっぱり眠いと言ってホテルへ直行している。今頃仲良く同じベッドで横になっていることだろう、それなら私もとガニメデさんに甘えるが全然相手にしてくれなかった。手にした服を眺めながらガニメデさんの方が楽しんでいるくらいだった。
「ガニメデさん、お洒落に興味あったんですか?」
「んー?あなた程ではないけどね…今は色んな事に手を伸ばしているところなのよ、自分に合った趣味探しってやつかしら…」
「昔はそんな感じありませんでしたよね、仕事一筋というか、ワーカーホリックというか」
そこでガニメデさんが感慨深い笑みを溢した。見ていた服から目を離し、晴れた夜空が覗く天窓を仰いでからようやく私に視線を寄越してくれた。
「……昔、同じ事を言われたわ、仕事ばっかりしていないで少しは楽しむような事をしろって」
「ふ〜ん…誰に言われたんですか?」
「それは私から答っ」
「っ!」
ガニメデさんの鞄から男性の声が聞こえてきたのでびっくりしてしまった、ガニメデさんも慌てて鞄の中に手を押し込み何やらわちゃわちゃとやっている。
「え!今の何ですか?!鞄の中に何かいるんですか?!」
「え?!いな、いないわよ!そんな!」
「いやいや!声しましたよ?!」
何だ何だと私も鞄の中を覗き込もうとするが、ガニメデさんに全力で止められてしまった。絶対何かいるはず、束の間私もわちゃわちゃとやっているとその何かがすぽん!と鞄の中から飛び出してきた。
「暴力反対、丁寧な扱いを求める」
「虫?!虫が飛び出してきましたよ?!」
「あ〜…もういいわよ、好きにしなさい」
「愛しの隣人よ、近頃私に対する扱いが雑いような気がするが気のせいだろうか」
「そんなものよ、皆んなが通る道」
「えー虫が飛んでるー…」
いやそりゃ飛ぶか、現れた虫はボールサイズの小型、丸まったデザインをしており丸い斑点がいくつも付いていた。さながら黒いてんとう虫といったところか。そのてんとう虫がガニメデさんの頭上をくるくると飛びながら気さくに声をかけてきた。
「ご機嫌ようお嬢さん、今夜も月が綺麗ですね」
「は?え、何ですかこの虫、いきなりナンパされたんですけど」
ガニメデさんは顔を覆って被りを振っているだけだ。
「この言葉が分かるのか、良きかな良きかな。いや何、気にしないでくれたまえ、私も自分のキャラの位置付けに悩んでいてね」
「………」
「私の名前はコッチンだ、よろしく頼む」
「はあ…フィリアと言います」
「先程の答えだが、愛しの友人を変えたのはこの街の救世主たる二人だ。今はこの星の何処かを旅していることだろう」
「え?さっきは隣人と言ってませんでしたか?友人?どっちなんですか?」
「うん?そこに引っかかるのか…気に入った、君は今まで出会った人間とはどこか違うようだ。改めて、今夜も月が綺麗ですね」
がばり!とガニメデさんがコッチンを捕まえ問答無用で鞄の中に押し込んだ、少しの間鞄の中で暴れ回っていたようだが次第に大人しくなっていった。
「……ごめんなさい、家の中に置いてきたはずなんだけど……」
「は、はあ……」
変わった友人さんですねとフォローすると、何故だか頬を優しく抓られてしまった。
◇
肌寒い空気に包まれた街、行き交う人々の喧騒はどこか遠くに聞こえ、私という存在を浮き彫りにしているかのようだった。
少しばかりの買い物をして、二人の愚痴を聞いてもらったガニメデさんとは既に別れていた。まだまだ甘えていたかったけれど、このまま上層部へ帰ってしまいそうになったので自分から別れていた。どうせあの二人は仲良くしていることだろうし、それに何より今日のミーティングではこっちも恥ずかしい思いをしたんだ。どうしてリプタはああもお馬鹿なのか、昔、動物型から人型に変わった当初はよく私に引っ付いてあれは何だ、これは何だと懐いていたのに。今ではすっかり人気者、周りからそう望まれていると自覚があるのかないのか、とにかくお馬鹿キャラを演じようとしているのが見ていられない。リコラにしてもそうだ、本当はやんちゃで悪戯好きのくせに我慢しているのが見え見え、フリーリを結成してから無理をして良く見せようとしているのが手に取るように分かる。
(ああ駄目だ…やっぱり考えてしまう…)
二人に会いたくないがために彷徨い歩いていた街の煌びやかさとは裏腹に、胸中を渦巻く暗い気分に参っているとこちらをじっと見ている気配に気付いた。
「………」
煌々と輝く目抜き通りの片隅、腰を下ろしていたベンチから近いようだ。煩雑とした雰囲気の中からでもその気配がはっきりとしてきた。
(何処だろう…それに誰?)
販売されて人気沸騰中の装着型義体を扱う店舗の屋上から物音がした、私が座っている位置から斜め後ろだ、素早く振り向き確認するとそこには一体のノヴァグがいた。
「!」
幼体だろうか、今まで確認されたどの個体よりも小さく、ガニメデさんと一緒に買い物をした服が入っている紙袋にすっぽりと収まりそうだ。人々を襲ってきた鋭利な前足も丸みを帯びており、デフォルメされたように見えるあの姿に何ら驚異を感じないが...それでもノヴァグであることに変わりはない。
(どうしよう…ここで大声を出しても騒ぎになるだけ…けど警官隊の人達を呼ぶ時間も……あっ)
私をじっと見ていたノヴァグがくるりと向きを変えて屋上の向こう側に消えてしまった、見失ってはならないと慌てて立ち上がり追いかけようとすると人にぶつかってしまった。
「ああっ!す、すみません!」
その人が持っていた荷物も路上に落ちてしまい、ブリスターパックで封をされていた動物の耳が嫌な音を立てていた。
「ああ?!買ったばっかりなのにぃ!あんた何てことすんのよっ!!………ん?」
「あ!ぷ、プエラさん……」
「フィリア?ちょうどいいわ、あんたのその耳をこっちに寄越しなさい!」
眉間に作ったしわをそのままにしてプエラさんが私の耳をむんずと掴んできた。
「あ!あ!これ義体じゃありませんから!痛い痛い!」
「はあ?あぁ、そういうこと、あんたオリジナルなのね。だったら尚のこと!その耳を売っぱらって弁償しなさい!」
「わた、私が買い直しますからぁ〜!!」
この人本気なんだけど。ばったりと出会したプエラさんと暫く格闘し、道行く人に奇異な視線を向けられてしまった。
◇
「気を付けなさいよね、全く」
「す、すみません…」
プエラさんの手には猫耳型の義体がしっかりと握られている、店員に確認したところ問題ないと言ってもらえたので弁償せずに済んだ。
「で、あんたは今一人なの?」
「え、と……」
綺麗で、そして冷たくも見える青い瞳を向けられ思わず踵を返したくなった。けれど、逃げたところで向かう先もなくまだまだあの二人と会いたくなかった私は諦めてそうだと伝えた。
「ならちょうどいい、付き合ってくれる?」
「え、何処に行かれるんですか?」
「せっかく買ったこの義体に合う服でも探しに行こうかと思ってんの」
「わ、私が付いて行ってもお役に立てないと思いますけど…」
「は?それ本気で言ってる?」
「え…と、」
どうしてこの人はいちいちとそう威圧的な話し方をするのだろうか、話しかけられる度にびくびくしてしまう。
「あんた、ちょーお洒落じゃん。その服自分で選んでるんでしょ?」
「は、はい…」
「だったら付いて来て、これは命令」
返事をする前から手を取られた。私と同じ大きさの手だ、冷たくて細い、逃がさまいと力強く握られていた。
「それに、あんたには連絡しろって言ってたよね、どうしてしてくれなかったの?」
「こ、怖かったからです…というか今も怖いんですけど…」
「私はあんたのそういう所を気に入って目を付けたの、諦めなさい」
「え〜…そんなぁ〜…」
プエラさんにぐいぐいと手を引かれ、私を浮き彫りにさせていた街の喧騒へと入っていく。さっきと比べるまでもなく色んな人から見られてしまった、お店の前でちょっとした騒ぎをしたから当たり前なのだが何よりもプエラさんのその容姿が周囲の目を惹きつけていた。そんなプエラさんが今出たばかりのお店に再び入って行こうとしたものだから思わず声をかけた。
「また買うんですか?」
「あんたが急いでいた理由ってこのお店でしょ?私の用事を済ませる前にさっさと買ってきなさい、そんな良い耳を持ってるのに」
「あ!」
そうだ!プエラさんの衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたが、このお店の屋上でノヴァグを見かけたのだ!私の反応に眉を顰めていたプエラさんにも事情を打ち明けると、ぱっと手を離してお店の中にすっ飛んでいった。
「ま、待って下さい!騒ぎを起こすわけには!」
「そういう大事な事は早く言いなさい!」
頭から抜け落とした張本人にそう言われても納得出来ないが、先にお店に入ったプエラさんが店員に詰め寄っていた。
「ここの屋上に上がらせてもらうわ!いいわね?!」
「な、何ですか!さっきも散々喚いていたくせにまだ足りないって言うんですか!」
パンクな装いをした店員がプエラさんに食ってかかった。プエラさんが革製のジャケットの中に手を入れて素早く何かを取り出し店員へ突き出した。
「監査室の公安員よ!これでも何か文句ある?!」
突き出された身分証をぎょっとした様子で見つめ、今度は店員がジャガーの尻尾を揺らしながらお店の奥へとすっ飛んでいった。
「早くしなさい!」
怒鳴り声を一つ上げ、メタルラックに掛けられた様々な義体が並ぶ店内をくまなくチェックしている。陳列棚の裏やカウンターの奥も手当たり次第に調べているがどうやら店内にはいないようだ。
「監査室の方が何かご用ですか?!ここで扱っている物に何か不備がありまして?!」
お店の奥から出てきたのは筋骨隆々とした...言うなればオカマの方であった。明らかに男性の体付きをしているのに膝丈のスカートにロングの髪を靡かせている。プエラさんとはまた違った圧迫感を持つ人だが、そのプエラさんは全く怯む様子を見せず、ノヴァグが目撃された事を伝えて屋上に上がらせるよう指示を出した。
「何ですって?!ああ!間違いない!この私を裁きに来たのだわ!メシア!メシアよ!私に救済を!」
「馬鹿な事言ってないで早く案内しろ!」
(そ、騒々しいな…)
オカマ店長の案内でお店の奥へと向かい、積み上げられた梱包物を避けながら屋上への階段を登る。どうしてこんな所に?と思うがその壁には見事な絵画が所狭しと掛けられていた。錆びついた扉を開け放つと街の夜風が吹き付け、ついで宝石と見紛う夜の街並みが視界に飛び込んできた。
(綺麗…)
山の裾野に築かれたこの街、お店の屋上からなだらかに続く街並みが見え、再び私を浮き彫りにさせていた。屋上に上がったプエラさんと店長がノヴァグを探し回っている音が遠くに聞こえ始めた時、お尻から背中にかけて得体の知れない感覚が電撃となって駆け上ってきた。てっきり姿を隠していたノヴァグに攻撃されてしまったと思ったが、
「あんたは何黄昏てんのよ!一緒に探しなさい!」
「ひゃうんっ?!や、やめ!離して!尻尾を掴まないで!」
掴んだ尻尾をぐいんぐいんと引っ張り回すので変な声も出てしまった。
「第一発見者でしょうが!しっかりしなさい!」
その後周囲をくまなく探してみたけれど発見には至らず、痕跡すら残っていなかったので私の見間違いを疑われてしまった。
5.
「よ、良かったんですか?警官隊の人達に丸投げしても…」
「別にいいわよ、人海戦術に頼るなら警官隊に任せるのが一番良いし」
思ったより悪くないわね、とプエラさんが買ったばかりの猫耳義体を頭に装着し、目抜き通りに並ぶ店舗の前で自分の姿を確認していた。後にした店舗前はちょっとした騒ぎになっており、通りを歩く人達が何事かと中を覗き込んでいる。あの店長には悪い事をしてしまった。
「こんなものね…」
ふふんと可愛いらしく鼻を鳴らして得意げになっている、猫耳に合わせて髪型をロングからサイドテールに変えているけど...
「どう?」
「そ、その服と合ってないと思います…その髪型ならスカートなど履いたほうが…」
プエラさんの装いは革製のジャケットにダメージパンツ、どちらかというと大人っぽい格好だ。私の言葉にてっきり怒るのかと思っていたけどばしばしと肩を叩かれた。
「あんた良く分かってんじゃん。今日はさっきの騒ぎで疲れたからもういいけど、絶対買い物に付き合ってもらうからね」
「は、はあ…どうして私なんですか?お洒落に詳しい人なら他にもいるんじゃないですか?」
「逆に聞きたいんだけどさ、あんたって何でそんなに自信がないの?その髪も服も良く合ってるじゃん」
自信がない、その言葉がずどんと胸に響いた。自分でも良く分かっていることをこう他人に面と向かって言われてしまうと、それはそれでショックだった。
「それは…少しでも良く見せようとして…」
「誰に?」
その質問に他意は無いように思われる、プエラさんの青い瞳が真っ直ぐに私を捉えていた。
「二人に…リコラと、リプタに、です」
「ふ〜ん?良く分かんないけど、褒めてもらったことないの?」
「……分かりません、ここ最近プライベートの話しはあまりしていないので」
二人に見てもらいたいと言っておきながら、プライベートの話しはしていないと聞いてプエラさんが何を言うのかとびくびくしていたが、ぽつりと呟いたその言葉を受けてこの人に対する印象が少しだけ変わった。
「私と同じだね」
その瞳に寂しさが宿り、感じていた圧迫感も消え失せていた。
「それはどういう…いえ、プエラさんも誰かと仲が悪くなっているんですか?」
「うんまあ…実は言うとね、今日の会議に出る前もちょーっとばかし喧嘩してさ…むしゃくしゃしてたんだよねー」
こんな人でも誰かと喧嘩をするのかと驚き、その誰かに心当たりがあったので口にした、してしまった。
「もしかしてナツメさんのことですか?」
「…………あんた何で知ってんの?」
「え?!その、今日空港から街に入った時にたまたま二人を見かけたので…こ、公園にいましたよね?」
声のトーンが格段に落ちている。
「だからって何でそれがナツメだって分かったの?知り合いなの?」
(こっわ!)
目に宿っていた寂しさごと消えて光りが無い。
「え!そ、その、昔に短い間だけお世話になったことがありまして…わ、私だけじゃなくてリコラとリプタもそうですよ!」
「ふーん…….そう……」
怖!本当は丸裸になって抱きついたことがあるんですよと言ったら私はどうなるんだろうか。うん、間違いなく殺される。話題を逸らすべく装着している義体について話しを振った。
「も、もしかしてその猫耳はナツメさんのために買ったんですか?よ、良く似合ってますよ」
「ふん、あんたなんかに褒められても嬉しくない」
「そ、そうですよね…あははは」
乾いた笑い声はプエラさんに届かず、肌寒い街の夜空へと消えていった。店舗前から移動する間際、ぽつりとプエラさんが呟いた。
「……私は傍にいたいだけなんだけどね、どうして分かってもらえないんだろう」
私の返事も待たずに先を行ってしまった、どうやら独り言だったらしい。一緒にいたい。その言葉を口にしたプエラさんの目は、ここにいない想い人に縋っているようにも見えた。
◇
突発イベントを終わらせて私達に割り当てられていたホテルに到着した、ノヴァグとの遭遇とプエラさんとの会話と、リフレッシュに出かけたはずなのに出かける前よりぐったりと疲れてしまっていた。
(疲れた…お風呂に入りたい)
ホテルは、街の入り口近くにあるプエラさんとナツメさんがいた公園と再開発本部の中間地点にある。大小様々なホテルが軒を連ね、エスニック風であったりモダンで洗練された建物が目立った。私達が使うホテルは取り分け小ぢんまりとしたエスニック風のホテルだ。入り口からエントランスに続く観葉植物と竹編みのパーティションで区切られた向こう側、チェックイン待ちの人が利用するソファルームに肩を並べてお喋りをしている二人組みがいた。
「あ!フィリア!」
その内の一人が私に気付いた、リプタだ。続けてリコラも気付き、お揃いの服を着た二人が立ち上がってこちらに駆けつけてきた。
「大丈夫なのか?」
「何が?」
「いや、何がって…ノヴァグと遭遇したって室長から連絡もらったんだけど」
「襲われたりしてないの?!フィリアが中々帰ってこないから二人心配してたんだよ!」
「見れば分かるでしょ」
さっきから冷淡な声ばかり出てしまう、私を心配してずっと待ってくれていた相手にかける言葉ではないと自覚はあるが、どうしたって止められなかった。
困ったように眉を寄せていたリプタが、いつものようにぱっと顔を輝やかせてこう言った。
「……た、確かに!いつも通りお洒落なフィリアだね!」
分かってる、分かっている、けれどそのリプタの笑顔は我慢にならなかった。
「ふざけないでよ!私のこと馬鹿にしてるのっ?!」
「おい!そんな言い方ないだろ?!リプタはフィリアのことずっと心配してたんだぞ?!」
「嘘ばっかり!室長に言われたからでしょ?!どうせ二人仲良く過ごしてたんでしょ?!」
「なあフィリア!俺らの何が気に入らないんだよ?!ずっとそんな感じだよな?!俺達だって気付いているんだぞ!」
「うるさいうるさいうるさい!あっちに行って!」
もう誰を突き飛ばしたのかも分からない、誰に声をかけられたのかも分からない。気が付いた時には薄暗い部屋の入り口に立っていた、荷物を放り投げ、苦労して買ったコートも無造作に脱ぎ、あまり目立たず自分に一番合ったスカートも脱いで放ってベッドに倒れ込んだ。
「はあ………」
自己嫌悪で吐きそうだ、心配してくれていた二人に八つ当たりするだなんて自分でも信じられない。けれど、我慢出来なかった、こんなに悩んでいるのに、二人のように明るく振る舞えない自分と二人を比べて悩んでいるのに、あんな呑気な笑顔を見てしまったら八つ当たりせずにいられなかった。
室内に置かれたディフューザーの匂いと少しだけ洗剤の匂いがするベッドに包まれ、現実から逃げるように眠りについた。
────望まない、望まない、望まない。
────不本意、ここではない。不本意。
────これは、夢だろうか。
────蒼穹の袂に宮殿が一つ。白く輝く雲の前を走り回る二人の子供。髪はお揃い、色は黒。赤ん坊のように柔らかな草原に子が一人転んでしまった。
────大丈夫?!
────平気!
────ああ、どうして私もあんな風に言えなかったのだろう。自己嫌悪の心を反映するように黒い塊りが降ってきた、いや湧いてきた。逃げ惑う人々、離ればなれになってしまう二人、流れ出る人々の涙が川となりやがて騒乱は鎮まっていった。
────遠くへ、ここではない遠くへ、皆んなの元へ、本来の居るべき場所へ。
────そうだ、ここではない。私は森の中でひっそりと暮らしているべき存在だったんだ、人の営みが生む街の輝きは私に強すぎる。赤くて弱い光りがじっと私を見ている、ここではない遠くへ、一緒に行かないかと誘っているようだ。
────けれどまだ行けない、せめて、せめて────
◇
いつの間にか眠っていたようだった、窓から差し込む朝の光りで目が覚めてしまった。胸の内に夢の残滓がこびりつき、あの二人の子供が気になって仕方がなかった。
「……はっくしゅ!」
ああそうだ、昨夜は服を脱ぎ散らかしてそのまま眠ったので裸も同然だ。全てが中途半端な私の体を少しでも温めるように毛布をふん掴み包まった、今日の予定を頭の中で確認し残っていた残滓が露のように払われた。喧嘩したまま、いや、一方的に傷付けてしまったあの二人と会わないといけないと思うと気が滅入ってしまう。仮病でも使ってとんずらしようかと、再び横になると控えめにノックされた。時計を確認するとあと一時間程で出発しなければならない時間だ、きっと起こしに来てくれたのだろう、あんな酷いことを言ったのに。もう一度ノックされる、どうしようかと悩んでいるとばあん!と扉が開かれた。
「いつまで寝てんの!さっさと起きなさい!この私が直々に迎えに来てやってるのよ?!」
「ぷ、プエラさん?!」
入ってきたのは驚いたことにプエラさんだった、昨日買った猫耳義体を装着しポニーテール。タクティカルベストにスキニータイプのカーゴパンツとシックなブーツを履いている、どうやら今日の仕事はやる気満々らしい。ずかずかとブーツの踵を鳴らしながらベッドに近寄り包まったばかり毛布を剥ぎ取った。
「寒い!寒いですよ!」
「知るか!裸で寝ているあんたが悪いんでしょ!二人も待ってるのよ?!」
「なっ?!勝手に入るなって言ったよね!フィリアに何てことするの!」
後から二人も部屋に入ってきた、昨日の今日だというのに二人は何も変わっていないどころかプエラさんを引き離しにかかった。
「お前!フィリアの何だっていうんだよ!いきなり入るなんて失礼だろう!」
「見て分かんない?裸を見られても平気な仲」
ただの冗談に決まっているのに、プエラさんの言葉を聞いて二人が劇的な反応を見せた。
「シャアア!!あっち行け!この泥棒猫め!」
「またたびを鼻の穴から食わせるぞ!」
「やれるものならやってみろ!あんたらなんかちっとも怖くない!」
二人毛を逆立たせプエラさんを威嚇している、どうしてそんな反応を見せるのか分からない。昨日はあんな事したっていうのにどうして庇おうとするのか、それでもやっぱりこうも騒がれると着替えも出来ないので三人まとめて追い出した。
「出て行けっ!!」
◇
『離陸許可が下りました、当機の飛行高度は地上よりジャスト二キロです。緊急事態が発生した場合は必ずクリアランス・デリバリーに一報を入れてから対処に入って下さい。通信以上』
「発進します、シートベルトは必ず締めて下さい」
通称「トビウオ」に搭乗した私達五人、パイロットの指示通りシートベルトを締め、安全確認が取られてからふわりと機体が持ち上がった。
「随分と仲良くなったみたいね」
「………」
「………」
「………」
トビウオの機体は六人乗りの小型機、見た目が魚の「トビウオ」に似ていることからそう呼ばれるようになっていた。向かい合わせに三人ずつの短距離輸送機で、私達三人が同じ側に座り反対側の席にプエラさんとガニメデさんが腰を下ろしていた。そして二人はというと...がっしりと私を守るように座っていた。
「というかガニメデ、誰なんだそいつ。参加するなんて聞いてないぞ」
リコラが歯を剥き出しにしてプエラさんを睨みつけている。
「昨日も言ってたでしょうが……彼女はプエラ・コンキリオ、中層部監査室の公安員よ」
「よろしくね、犬っころ」
「んだと〜…人の部屋に勝手に入るような奴が公安員?監査の対象はその非常識な頭の中身だろう!」
「そーだそーだ!」
「ふん、好きなように言いなさい。身近にいる人間の心も分からないような奴にとやかく言われても痛くも痒くもない」
「どういう意味なんだそれ?本当に頭の中は大丈夫なのか?」
意外と短気なのかもしれない、足を組んで余裕ある態度を見せつけていたプエラさんがリコラの言葉に食ってかかった。
「何ですって?!あんたみたいに犬っころにそこまで言われる筋合いはないわ!」
「ほーれやっぱり怒ったぁー、見た目だけの公安員ー、にゃあと鳴いて媚びてみせろよー」
「んだと…このくそガキ…」
プエラさんが立ち上がろうとすると、けたたましくアラート音が鳴り機体を操縦していたパイロットが即座に一喝した。
「お座り下さい!ちょっとした異常でもこの機体はすぐに止まってしまうんですよ!」
離陸前に灯っていたセーフティ、プエラさんが無断で立ったばかりに今は消灯している。怒られたプエラさんも機嫌を損ねたまますとんと腰を下ろした。
「二人とも、喧嘩するのは止めて」
「フィリア!あんな人を庇うの?!…本当に?裸を見せ合うような仲なの?」
いつの間にそんな話しになっているだ。
「そんなわけないでしょ。リコラも止めてね?」
「………ふん!」
鼻を鳴らしただけで返事はない、昨日のことを怒っているのか...それともプエラさんに怒っているのか分からない。
「………なに?」
隣に座るリプタの顔を見る、大人になっても変わらないその吊り目を潤ませて私を見ていた。リプタの白黒の毛先が私の頬に当たっている、それ程に近い距離にいた。
「その……」
これなら誰にも聞かれないだろうと口を開きかけた時、目的地であるエレベーターシャフトに到着したとパイロットからアナウンスがあった。慌ててリプタから離れ準備に入った、彼女は未だこちらを見ていたけど諦めて同じように準備に入った。
機体の覗き窓から下を見やる、そこにはこれでもかと長い行列が出来て、すっかり観光地に変わっていたエレベーターシャフトがあった。
6.
「いいなー、俺も一度は遊んでみたいぜ、体験型仮想世界ってやつなんだろ?」
「クソゲーでも有名じゃない、あそこ。製作者の名前を万歳と共に叫んだらクリアになるっていう」
「何だそれ、何が楽しいんだ?」
「私も行ってみたいなー!ね、フィリアも行こうね?」
何だ何だこれはどういう事なんだ。あれだけ睨み合っていた二人が何で仲良く会話をしているんだ。機体から降りるまでは一触即発の空気だったのにごらんの通り、心配していた私が馬鹿みたいだ。
「私ああいうの好きじゃない」
「えー」
「ほら、お喋りはそこまでにして、あなた達は仕事のためにここへ来たんでしょう」
ガニメデさんの誘導でエレベーターシャフトのエントランスへと向かう、ノヴァグが潜伏していると思われる九階層に突入するのは私達四人だけ、ガニメデさんはバックアップ要員ですぐ離れることになっていた。
向かう道すがらで今回調査を行なう階層についての話しがあった。
「あなた達が向かう階層は「三層一律」と呼ばれる所で居住エリア内にも上下に移動出来るエレベーターが設置されているわ。もし九階層で発見出来なかった場合は適宜別の階層に向かうこと、いいわね」
「三層一律ってのは何だ?三つ同じような造りになっているってこと?」
装備類のチェックをしながらリコラが尋ねている、私も三層一律という言葉は初めて聞いた。
「違うわ、三層ともある一つの政治下に置かれていたってこと。本来メインシャフト内はそれぞれの階層毎に独立しているのだけど、九階層から七階層までは一つにまとめられていたのよ」
「ふーん」
身軽で尖兵のような役割をしているリプタは気のない返事をしている、彼女が持つ道具はアナログな物ばかりなのでとくにチェックする必要は無いが注意した。
「リプタ、道具はちゃんと確認しないと駄目」
「う、うん!分かった!」
しゅばばとタクティカルベストに入れた杭やらロープやらを慌てて確認している。先を歩いていたリコラがその歩みを緩やかにしてリプタの隣に並んだ、一番先を行くのはプエラさんだ。
「犬っころ、嫉妬する暇があるならちゃんと確認しておきなさい。何かあった時の救難信号はあんたが持っているんだから」
「う、うっさい!ほっとけ!」
(嫉妬……?誰に?)
顔を赤くしてしまったリコラはリプタのことを睨んでいた。
そんなこんで到着したエレベーター前、今となっては政府が管理しており一般の人達の使用は禁止されていた。ガニメデさんが操作をして程なく到着したエレベーターに四人揃って乗り込んだ。ここからは私達の本業である調査が始められる。
「何かあったらプエラを頼るように。何か無くても定時連絡を怠らないように、あなた達が思っている以上に様々な人が協力しているんだからあまり心配させないでね。それじゃあ」
ちんと小気味良い音が鳴り扉が閉まった。
◇
「三層一律ってこういう事なのか」
「さいあく」
「言わずもがな。さっさと調べるわよ」
朽ち果てた建物は、何も経年劣化だけではあるまい。元からそれを意図して作られたのが目に見えて分かった。
九階層、居住エリアに到着するなり私達は人の浅ましさというものを目の当たりにし、ベロを出して唾棄したくなる気分に駆られた。居住エリアの入り口から見渡せる九階層は集落が点在しており、木造の建物はどれも貧相であった。しかしながら集落に一つは存在する銅像らしき物は荘厳かつ堅牢、一番近くにある集落に限っては二つ、三つと無駄に建てられている程だ。
プエラさんを先頭に早速調査が開始された、いつもの手順でリコラが確認役、リプタが先行役、そして私は索敵役だった。今回は武装したプエラさんも参加しているのでリプタと二人組んでもらうことにした。
「えー、やだー」
「文句言わないの」
「ぶりっ子めが、化けの皮を剥がしてやろうか」
「シャアア!!」などとやりながらも二人揃って前進を開始した。私とリコラは手近な場所で待機である、いつものことだ、いつものことなんだけどリコラの事が気になって仕方がなかった。
「……どう?」
小型のレーダーを睨んでいるリコラに恐る恐る声をかける、そして相手も恐る恐るといった体で返事を返した。
「……何もいないかな、生体反応は無い」
他に調べることと言ったら植物関係、朽ちてしまったピューマのマテリアル、乗り捨てられた大昔の車両や弾薬類、全て再利用可能な資源として集めるのも私達の仕事だった。
「……分かった。それじゃあ、私の仕事をするね」
「……うん」
ぎこちない返事を受けて、上層部から持ってきた仕事道具を取り出す。砂だらけの三脚と私の手にすっぽりと収まる小さな機械、なるべく平らな所に設置するのが望まれるため周囲を調べる。赤茶の土に申し訳程度生えている雑草の隣に三脚を設置する、駄目だ、ぐらぐらとするので他を探そうとすると珍しくリコラが声をかけてきた。
「あの辺がいいんじゃないか?」
指をさした場所は集落へと続く石畳みの上だ、あんな所に作られた道があるとは知らず少しだけ恥ずかしい思いをしながらそそくさと駆け出す。
「ありがとう」
「………」
珍しい。いつもこうして二人っきりになった時は黙りなのだ、リコラは。リプタと一緒にいる時は良く話しをするのに私といる時は急に無口になるので話しにくいのか、はまたま嫌われているのか...などと思っていたけどどうやら違うらしい。
人の手で作られた石畳みの上に三脚を設置する、今度は大丈夫。その三脚の上にトータルステーションという機械をぽんと乗せる、水平を示す気泡が円から外れていたのでつまみを使って調整する。これは所謂測量と呼ばれるもので私の専門の仕事であった。調査を行なう地域、あるいはメインシャフト内の土地そのものを調べてどんな建物が建てられるのか、そもそも建てても問題ない土地なのかを調べるのが仕事であった。スコープを覗き仮想投影された光点を軸にして調節しようかと思ったのだが、
(あれ、出てこない…何でだろ)
故障だろうか、いつもなら光点が浮かび上がるはずなのだが何も出てこない。困った、使い方は知っていても直し方までは分からない。ううんと頭を捻り、そうだリコラにお願いしようと思い立った。
「…ちょっとだけいいかな」
「……何?」
「機械が故障しているみたいだから三脚の前に立ってくれないかな、少しの間だけでいいから」
「……ったく、しょうがないなあ!」
ふんとか、はあとか、言いながらもお願いを聞いてくれたようで、私の言った通りに三脚の前に立ってくれた。けれど近過ぎる、あれでは調節出来ない。
「近過ぎるよ、もう少し離れてほしい」
「……っ!」
顔を真っ赤にして遠ざかっていくリコラ、笑いを堪えながらスコープを覗き角度を調節した。後はそれぞれの目標位置を観測し、土地の角度や傾斜などを調べるだけだ。
「ありがとう」
「ふん!別に!」
耳も尻尾もぶわあっと広がり気持ちをそっくり表しているよう、嬉しいんだ、今のリコラは。
(もしかしてずっとそうだったのかな…)
けれど分からない、昨日は喧嘩までしたのに、酷い事を言ってしまったのに、どうして変わらずそうあり続けられるのだろう。私だったら絶対ショックで寝込んでしまう、まさしく昨日のように。ああそうか、もしかしたら...リコラもリプタも...そうなのかなと思った矢先、スコープの向こう側で捉えてはならないものを捉えてしまった。
「リプタ?!プエラさん?!」
「んん?!あ!」
スコープの先、集落の建物からばっと二人が飛び出していた、今まさに調べようと思っていた集落前のなだらかな坂を何かが駆けて行くところだ。あれを二人が追いかけていたのだ。
「見つけたのか?!」
リプタはアイコンタクトのみ、そしてプエラさんは何故だか中指を立てていた、肯定のサインにしてはなかなか物騒なものだ。思った通りカチンときてしまったらしいリコラも勢い良く飛び出した。
「リコラ!」
「すぐに捕まえてくるからフィリアはそこで待ってろ!」
速い速い、リコラがあっという間に二人に追い付いたところで、私の視界が真っ暗になってしまった。
✳︎
「だあ!このクソ虫!逃げ回っていないで止まりなさい!」
白い髪の女が喚きながら前を走っている、このまま背中に噛みついてやろうかと思ったが、そんなことをしてもフィリアは喜ばないと我慢した。後からリコラも合流し三人が束になって追いかけるが一向に距離が縮まらなかった。
「ねえ!何でその銃で撃たないの?!」
飾り?その猫耳と同様に銃も飾りなのだろうか。背中ではなく耳だね、次ムカつく事を言ったら遠慮なく噛んでやろう。
「捕まえるんでしょうが!」
「はあ?!そんな事言ってる場合?!」
「おい!民家の上に登ったぞ!」
リコラだ、怖がりの泣き虫、よく私が慰めてあげている、やらしい意味ではなく。本当にリコラはよく泣くかわよい女の子なのだ。そのリコラが指さした場所は別の集落、その中でも取り分け大きい家の屋上だった。というか私達はもう既に別の集落まで来ていたんだと気付き、フィリアのことがいたく心配になってしまった。さっさと捕獲しよう、もしくは白い髪の女の前に連れ出して仕留めてもらおう、そうすればフィリアに褒めてもらえるかもしれない。ベストの中から鉤爪付きロープを引っ張り出し、ぼろぼろの民家の前に駆けて行く。
「何やってんの!」
「黙って見てて!リコラはぐるりと回って!」
「オーケー!気を付けろよ!」
突き出た梁に鉤爪を引っ掛けて柱伝いに駆け登っていく、下から「まんま猫やんけ!」と聞いたことがない言葉使いで女が驚いていた。ものの数秒で屋上に到着し、ちょうど逃げていたノヴァグが穴だらけの屋根を向こう側へと走っているところだ。回収した鉤爪をノヴァグに狙いを定めて投げ付ける、ちん!と音が鳴って弾かれてしまった。
「惜しい!」
逃げたノヴァグの大きさは私の膝下にも及ばない小さなものだ、八本の足を器用に使いすたこらさっさと逃げて行く。フィリアが街で見かけたものと同じかは分からない、ただ背中に位置する所に三角形のアンテナが付いていた。弾かれた鉤爪は放置、穴に落ちないよう私も追いかけると真下から雨あられと弾丸が上ってくるではないか、あの白い女が業を煮やして撃ってきたのだ、私がいるのに。
「危ないでしょ!当たったらどうするの!」
真下に向かって怒鳴るが返事は無い、射撃音で耳に入らないのだろう。白い女のせいでみるみる穴が広がっていく、これでは屋根そのものが崩壊しかねない、それをノヴァグも読んだのか屋根の端まで移動してぴょんと飛んでいったではないか。また逃げられてしまう!しかし次の瞬間、
「うにゃにゃにゃにゃっ?!?!?!」
浮遊感が襲ってきた、屋根が崩れてしまったのだ。幸いすぐ下は二階部分になっており難なく着地することが出来たがノヴァグには逃げられてしまった。
「セーフ!」
舞う埃に落ちてくる木片、いがらっぽいし汚れてしまったしさいあくだ。下から女が駆けて来て、私を見るなり舌打ちをしてくれやがった。
「ちっ!逃したか!」
「さいあく!あんたのせいで逃しちゃったじゃん!」
「ああでもしないと捕まえられないでしょうが!それに勝手に屋根に登ったあんたが悪い!」
「んにゃと〜…」
どかどかと骨組みだらけの家に足音が響いた、あれだけ走ったのに息せき一つ切っていないリコラだ、体力だけは人一倍、涙もろさも人一倍、そこではてと気になった。
「リコラ!フィリアは?!今どこにいるの?!」
「あっ?!エリアの入り口だよ!それがどうした!」
不覚にも白い女と発言が被ってしまった。
「まさか置いてきたの?!」
「まさか置いてきたの?!」
「だっ、だってお前が中指なんか立てるから!あれはこっちに来いって合図だろ?!」
さぁーっと頭が白くなっていった、血の気が引いていく。
「馬鹿言え!イチャイチャしていたあんたらにムカついたから中指立ての!!いい?!ノヴァグが一体だけとは限らないじゃない!!複数いたらどうすんの?!」
「──あ」
そこでリコラも気付いたらしい、私も早くに気付くべきだった。こうしちゃいられない、二人を置いて私だけ先に駆け出した。
✳︎
「はぁ、はぁ、はぁ、この、体力お化けが……」
先に駆け出したリプタの跡を追うようにして犬っころも我先にと走って行った、そして到着したエリアの入り口には倒れた三脚に破壊されてしまった小さな機械、それから複数の尖った窪みだけが残されていた。フィリアの姿がどこにも見当たらない。
「犬っころ!救難信号!」
「………」
「リコラ!!」
返事がない犬っころ、名前まで呼んでやったのにそれでも返事がなかったので、ふらつく足を無理やり動かし地面に座り込んでいる犬っころの前までやって来た、度肝を抜かれてしまった。
(怖!)
「あ……あ……フィリアが……いなく、なっちゃった……どうしよう……俺どうしたら……」
目の焦点が合っていない、うにゃうにゃうるさい猫っこも同じだった。
「フィリア……フィリア……どこ……殺されちゃうの……?」
(こいつらどんだけ依存してんだ!私も人のこと言えないけど!)
「しっかりしなさい!フィリアを助けられるのは私達だけ!」
犬っこの耳を引っ張り無理やり立たせて猫っこの尻尾を踏んづけた。
「痛い!」
「うにゃっ?!」
「さっさとしなさい!そう遠くまで行っていないはずよ!リコラは救難信号!リプタは足跡を追いかけて!いい?!フィリアのために動きなさい!」
これでも動かないのなら引っ叩いてやろうと思ったが、雷を撃たれたように素早く反応しそれぞれ行動を開始していた。リコラは長距離通信機に唾を飛ばし、リプタは足跡を追って再び駆け出した。向かう先は最初にノヴァグを発見した集落よりさらに奥、おそらく奴隷用に造られたちんけなエリアの中央部だった。
(血の跡は無い、それならまだ生きているはず、けど、どうしてノヴァグがフィリアを攫ったの?)
何処からか乾いた風が吹いてきた、砂埃も一緒に運ばれ火照った体を冷やすには全く足りない風だった。
7.
揺りかごのように揺れる振動を感じて目を覚ました、真っ暗になっていた視界に光りが差し込み堪らず手で覆う。
「………ん、ここは……」
がしゃん、がしゃん、と寂しく何かが音を立てている。背中に冷たくて固い感触を感じ、手をついて起き上がろうとするとバランスを崩して、
「うわうわうわっ!ああ!」
どしん!とお尻から落ちてしまった。とても痛い、落ちた地面は砂利ではなくさらに固くて冷たい舗装された道だった。
「んんん〜〜〜っいったぁ〜〜〜っ」
落ちたそばから尋常ではない痛みが広がっていく、私は一体何に運ばれていたんだと上向くと、赤くて八つもある目とばっちり合ってしまった。
「────っ?!」
「………」
天高く昇った太陽を背にしてこらちを覗き込んでいるノヴァグ、けれど不思議と何もしてこなかった。こらちをじっと見ているだけ、それぞれの目が独立してきょろきょろと動いていた。
「………え、と」
逃げてもいいのか、どうするべきなのか、蛇に睨まれた蛙のようになってしまい動くに動けなかった。そこでぴょこんと、そのノヴァグの背中から別の小さなノヴァグが顔を出した。
「あ、君は確か……」
昨日、義体屋の屋上で見かけた...ノヴァグなのかな、同じかは分からないがどうやら襲ってくる気配が無いのでやおら立ち上がり、大型のノヴァグと同じ目線になった。
「……襲わない……の?どうして?」
通じているかは分からない、目が動いているだけで変化はない。そこでふと、ガニメデさんの話しを思い出した。四階層で感知した反応はノヴァグとピューマが混同したものであるということを、もしかしたらがわがノヴァグなだけで中身はピューマなのかもしれない。けれどその発生原因もとんと分からない、こんな事が起こりうるのだろうか。
大型のノヴァグは私より二回り程大きく、背中に乗っているノヴァグは膝丈ぐらいだろうか、とても小さかった。
「"聞こてますかー?"」
「!!」
「"もしもーし"」
ノヴァグが人の言葉を喋った?!けれどその声はスピーカーを通しているような声であり、さらに少し遠くから「これ壊れているのかな」と誰かと話しているような声も聞こえてきた。思い切って話しかけてみることにした。
「き、聞こえてますよー」
そこでわっと声が弾けた。
「"わあ!凄い凄い!──の言うとおりだね!だから言ったじゃない!もしもーし!そちらはどこですかー?"」
やはりそうだ、ノヴァグの声ではなくスピーカーの役割を果たしているのだ、それにしても何処から?相手は一体誰であろうか。ノヴァグから流れてくる声は二つ、そのどちらも幼く子供を思わせるものだった。
「ここは九階層だよー、そっちは?」
「"きゅうかいそう?何それ、どこか知ってる?知らないよ、こっちはお城の前だよー!"」
お城?不思議と今日夢に見た光景がフラッシュバックした。
「お城ってどこにあるのかなー?」
「"────、──、─────"」
「も、もしもーし?聞こえてないよー!」
ノイズが混じり子供?の声が聞こえなくなってしまった、途端にブツリ!と嫌な音を立ててついには何も聞こえなくなってしまった。
(何だったんだろう…)
声が出ていたのは小型の方だ、通信機でも内蔵しているのかどこかの子供と話しが出来てしまった。小型のノヴァグがぴょんと背中から飛び降りすたすたと前を歩いて行く、その跡を追うように大型のノヴァグがまた寂しそうな足音を立てて付いて行った。
(えー…放置……)
知らない街の一角、見上げた空は綺麗な青空、乾いた風が吹き抜ける通りで一人、ノヴァグに置いていかれてしまった。立っている道はどうやら歩道のようで、車両用ではないようだ。建物も木材と石材が使われておりおよそ近代的には見えない、だが先程見たようにわざと質素に建てられたものではないようでいくらかましに見えた。
「あ、やっぱり…」
ある建物の前に先程の集落にもあった銅像が一つ立てられていた、つまりここは九階層ではなく別の階層だ。先を歩いていた大型のノヴァグがゆっくりとこちらに振り返った、そして先行していた小型のノヴァグもそれに合わせて歩みを止めている、どうやら付いて来いということらしい。
一体何だというのか、けれど湧き起こる好奇心を抑えきれず付いて行くことにした。
◇
「"やはりこれが全ての元凶か……処分はどうなさいますか?どうもしない、利用するだけだ。得体の知れないテクノロジーを利用するというのですか?"」
若い男性と年老いた男性のやり取りが先程から流されている、今度は小型ではなく大型だ。通信機ではないようで録音されたものを流しているだけのようだ、何度か話しかけてみたがこちらに反応するような事はなかった。
二体のノヴァグの跡に付いて街中を歩いている、経年劣化による破損は見受けられるがどの建物もしっかりと残っていた。穏やかな街並み、派手な装飾などとくに無く観光地としてはいまいちだが住むには適した街だ。区画毎に家々が建てられ、区切るようにして緑の公園があった。植物も不思議と枯れておらずすぐに永久植物であることが分かった、単なるフェイクグリーンだ、精巧な観葉植物といったところ。
大型のノヴァグからまだまだ会話が流れてくる、いつの時代のものか、いや、この階層が機能していた頃のものかもしれない。
「"すぐに手配しろ、国内に潜んでいるかもしれない、何としても敵国に渡る前に回収するんだ。しかし、よろしいのですか?過ぎたる力は我が身をも滅ぼしかねません。その過ぎたる力が敵に渡ったらどうなる?考えるまでもない事だ。仰せのままに"」
「国内」、それに「敵国」、あまり聞き慣れない単語だ。このテンペスト・シリンダーに二つと国はない、もしくは過去にそう呼ばれるような国が二つあったのだろうか。ぷつりと切れてしまった会話、ノヴァグ達は何処かを目指しているようでその足取りに何ら迷いがなかった。
「何処に向かってるの?」
えいやと声をかけてみる、けれど返事は無い。仕方なく跡を追いかけていると、ある区画を境にしてがらりと街の風景が一変した。
「これは………」
破壊されていた、争いがあったのだ。民家は壊れ、地面は抉られ、何か大きな物が通った轍も残されていた。
(川……まさか川が……)
いつの間か立ち止まっていたノヴァグに気付かず先を駆け出していた、夢に見た光景が目前に再現されているかもしれないのだ、あれは正夢だったのだろうか...二階部分が焼け落ち永久植物を薙ぎ倒しているその下、通りを貫くようにして枯れ果てた川の跡があった。その向かう先は天に伸びる一本の塔、おそらく上の階層に上がるためのエレベーターだ。そのエレベーターへと向かう道中にあるものだけが破壊されていた。
(これは、あの川なのかな……)
人々が涙して生まれた川、その前は確か...そうだ、黒い何かに街が襲われてしまったんだ、その前は...霞の向こうに消えてしまった夢の内容を辿っていると再び小型のノヴァグから子供の声が流れてきた。
「"直った!直ったよー!もしもーし!おねえさーん!"」
夢と現実が交差し、今も襲われていると勘違いをした私は子供に声をかけていた。
「も、もしもし!そっちは大丈夫なの?!」
「"平気!そっちは?今どこにいるの?"」
平気、そう答える子供の声は夢の中でも聞いたものだ、いよいよ夢と現が混じり始めてきた。
「エレベーターの前だよ!空にうんと伸びてる塔が見える街!」
何それ、エレベーター?どこか知ってる?ううん知らない、塔ならお父様のものがあるけど、スピーカーから変わらず二人の会話が聞こえてくる。
「君達の近くに何がいるのかな?教えてくれない?」
「"うーん……何って言われてもなぁ、お姉さんの近くには何があるの?"」
少なくとも子供達に危険は迫っていないようだ、あちらにもノヴァグがいるのかと心配になってしまったが...それならこの子達は一体何を使って通信しているのだろうか。
「八本足の虫さんがいるよ、全身銀色をして赤い目をした虫さん」
「"えー!それじゃまるでロボットじゃない!すごーい!ね、そんな虫見たことある?あるわけないじゃない、本当に?"」
見たことが...ない?ノヴァグを見たことがないなんてあり得るのかな、五年前の落星を経験していない、うんと小さな子供なら理解出来なくもないが、この子達は少なくとも五歳以上に思われる。それならスクールなりテレビなりで一度ぐらいは見たことがあるはずだが...あちら側のスピーカーが一人の男性の声を拾った、間伸びして遠くから二人を呼んでいるようだ。
(この声!)
「"はーい!またお話ししようね!ばいばーい!"」
ぷつりと切られ、小型のノヴァグが静かになった。本人も何が何やら分かっていないのか、それとも何かの習性なのか小さな頭を右に左に振っているだけだ。先程の声は大型のノヴァグから流されていた男性のものだった、どうやらあの子供達の親...か、その近しい存在にあるらしい。けれどまさか、過去に録音されたものとばかり思っていた男性の声が、今こうして会話をしていたスピーカーからも聞こえてくるとは思わず驚いてしまった。何が何やらさっぱりだ。
「君達は何か知っているの?それとも知らないの?」
しゅっしゅっと前足を突き出しかと思えば、いつの間にか遠くを歩いていた大型のノヴァグの元へと駆けて行った。ここからあの塔まで一本道、迷うことはない。破壊されて朽ちてしまった街並みを横目に入れながら私もゆっくりと歩き出した。
追い付いた大型のノヴァグの背中を見ながら考える、もし先程の子供の声といい録音された二人の会話といい、私を惑わすための罠だったとしたら?ノヴァグと言えどサーバーにアクセスする方法があるかもしれない、私達ピューマはもうガイア・サーバーにアクセスすることは出来ないがノヴァグなら?取得したデータを利用して擬似音声を作り出すことは可能だろう。けれど騙して何になる?私を連れ出して何をしようというのか、目的が全くもって不明である。
(おそらく上の階層に行こうとしているんだよね、そこに何があるんだろう…)
このノヴァグ達は四階層で生まれたのだろうか、そこから自力でここまでやって来たのだろうか。
────ここではない遠くへ、皆んなのいる場所へ。
ふと、その言葉が頭の中に浮かんだ。昔、群れから離れてしまい一人ぼっちになってしまった時のことが思い出された。その言葉を胸にしてとにかく駆けたあの日、再会した仲間達の姿を見てひどく安堵したのも覚えていた。
七階層へのエレベーターは目前だ、空を突っ切るように伸びる塔の前も見事に破壊されていたが、先に到着した大型のノヴァグが器用に前足を使いエレベーターのスイッチを操作している。
(もしかしてこのノヴァグも……)
これも罠かもしれない、同情を誘い油断させるための。けれど、どうしたって好奇心が抑えられない、仮にそこまで私を騙したとして何をしようというのか、とても気になった。
8.
寂しがり屋で嫉妬深いリプタが見つけたエレベーターに乗り込み、上の階層に到着するのを待った。俺達が使っている家のリビング程の広さがあるエレベーター内は砂利で汚れていたので、間違いなくフィリアを連れ去ったノヴァグが乗っていたのだ。
フィリアの裸を見る仲であると豪語した白い髪の女が、高速で流れゆくエレベーターに取り付けられた窓を見やりながら独りごちた。
「タイタニスの奴も何でこんな造りにしたのかね〜」
フィリア以外に話しかける分には問題無かった俺は白い女の言葉に反応して聞き返していた、フィリアは駄目だ、いつまで経っても緊張してしまう。
「造りって?下の奴隷用のことを言ってんのか?」
やっぱり、リプタがキリッとこちらを睨み付けてきた。
「そ、どうせ当時の人間に言われるがままになっていたんでしょうけど」
タイタニスといえば...五年前の功労者だよな、そんな人に向かって文句を言えるだなんて神経がどうかしている。いつの間にか現れてフィリアの隣にいた神出鬼没の白い女、あれ、こいつの名前は何だっけと頭を捻ると二人の耳がぴくりと反応した。
「リコラ!」
「犬っころ!」
「犬言うな!」
あいつの耳も本物なのか?!それよりも背後の物音で俺も即座に移動した、こんな所に侵入してくる奴なんて決まっている!
「こっちに来て!」
後でネチネチと嫌味を言われるのも嫌だったので大人しくリプタの背後に移動した、昇降装置を点検する天窓がガタガタと揺れているのにリプタは俺にチラッと視線を寄越してきた。白い女とは口を利くなと言いたいらしい、安心させるためにもリプタの背中にそっと手を添える、これで大体の意思疎通が出来るのだが今日は違った。
「駄目、足りない」
「分かった分かった、それよりも前を見ろ」
ついに天窓が外れ乾いた音を立てながら落下した、ついで現れたのが予想通り小さなノヴァグだった。白い女が即座に銃を構えるがそれをリプタが制した。
「フィリアを連れ去ったノヴァグに通報がいったりしない?報復でフィリアが攻撃されたりしない?」
「………」
確かにその危険性は大いにある、あのノヴァグと連れ去ったノヴァグが同期していたら殺されたことが即座に分かってしまう。白い女がそっと銃を下ろし、二人の会話にも我関せずと逃げ回っていたはずの小さなノヴァグがエレベーター内をしきりに歩き回っていた。
「何がしたいのこいつ、私達から逃げていたくせに自分からエレベーターに乗ってくるだなんて」
「そいつも仲間を追いかけているんだろ」
「はん、犬っころのくせに……」
「犬っころって言うな!」
リプタから無言の抓りを受ける、脇腹に激痛が走った。それと同じくして白い女が短く叫んだ。
「あ!あの背中の塗料ってもしかして……」
「………」
「………」
俺も気になる、けれど背後のリプタが怖くて何も言えない。銃を下ろした白い女がずかずかと歩き、壁際で動き回っていたノヴァグをひょいと捕まえてみせた。
「…リプタ!今はフィリアが優先だろ?!」
「…分かった、一晩中撫で撫でで許してあげる」
「…え、そんなにいるのか?」
また脇腹に激痛が走りそうだったのでひょいと逃げ出し、ノヴァグをいとも簡単に捕まえてまじまじと見ている白い女の元へ駆け寄った。
「何か分かったのか?」
「これを見なさい、さっきは気づかなかったけど背中に油絵具が付いているわ」
「ん?さっきは三角形のアンテナだったよね」
「ん?そうなの?ということはあの個体じゃないのか……」
「いやいや、この油絵具は何なんだ?」
「フィリアが見かけた個体よ、見つかったお店の店主が室内に絵画を飾っていたからね、間違いない」
「じゃあ、このノヴァグは街からここまでやって来たってことなの?」
「もしくは私達の輸送機に紛れ込んでいたか……」
「何でまた街に?」
「知らないわよ、ノヴァグに聞きなさい」
「"平伏せよ、平伏せよ、王の言の葉である"」
「!」
「!」
「!」
びっっっくりした!思わず白い女の肩を掴んでしまった、幸いリプタには見られていない。
「"戦の果てに何を望む、それは即ち我らが──の万代に渡る幸福以外に何があろうか!集え!勇猛な戦士達よ!蒼穹の彼方へ出陣し敵を屠ってまいれ!"」
「はあ?!何よこれっ?!」
「演説……?」
「でも何でノヴァグがこんなものを……」
びっくりしていた白い女がぽいとノヴァグが放り投げた、それでもまだノヴァグから音声が流れてくる。
「"コネクトギアは何処にある?!我が王!どうか早計なご判断はお控え下さい!黙れ!ここで出撃せねば誰が出るというのだ!あなた様をお慕いになっている──もまだまだ────"」
驚いたり怒ったりと忙しい女が神妙な顔付きになってノヴァグを睨んでいた。
「"ここで出なければ我々が食われるだけだ!行かねばならんのだ!分かれ!よいな?!"」
「………そういう事ね、あんたの目的は?」
「はあ?」
「にゃあ?」
今ので何が分かったんだ?芝居をしているようには見えないが...それにノヴァグに質問するってどういう神経をしているんだ。するとノヴァグがつぎはぎだらけの言葉を使ってこう返してきた。
「のゾMAない、のぞまなイ、ノゾまNAい、現状は、フ本意でARU」
✳︎
このノヴァグ、あるいはノヴァグ達の目的はテンペスト・シリンダーからの離脱であり、サーバーにアクセスするためにフィリアを選んで連れ去ったのだ。あのお人好しのことだ、ほいほいと付いて行っているに違いない。
「サーバーは何処にあんの?というか、間違いなくこの上よね?」
「"お父さーん!お父さーん!!──が!──がはぐれちゃったよ!!早くしなさい!お前だけでも登りなさい!後のことは──!やだよお父さんまで行かないで!!"」
「な、何だよその音声…聞いてるこっちがげんなりしてしまうから止めろよな……」
このノヴァグは言葉の代わりに録音されている音声データを使って返事をしている、親子が何者かに襲われて逃げている場面を流し、その間に「登りなさい」という言葉が出てきたので肯定と捉えていいだろう。
(昔の時代かしら…それにしたって人間同士が争っていたのは一括統制期時代だから……随分と古い物を持ち出してきたわね)
右に左にステップを踏んでいるノヴァグ、余裕があるのか調子こいているのか分からないが念のために確認を取った、いや取るべきだった。
「フィリアに関わらず、マテリアル・コアを有するピューマあるいはマキナがサーバーにアクセスした途端、天国逝きになるのは知っているわね?」
私の言葉にリコラとリプタが目を剥いている、知らないはずはないのだが。質問の意図を理解しているノヴァグが再び音声データを使って返答してきた。
「"──会いたい!会いたいよ!どうしていなくなっちゃったの?!さっきまで────!お父さーん!──を返してよ!こんな所に閉じ込め────!"」
感情移入しやすいのか、悲鳴に近い叫びを上げている子供の声を聞いて犬っこがぐったりとしている。だが、このデータは何だ?何が言いたいんだ?フィリアをデリートプログラムに汚染させてまで離脱を計りたいという事だろうか。
(コネクトギア、私達しか知らない秘匿技術の名前を知っていたからあるいはと思ったけど…考え過ぎかしら)
終わったかに思われたデータにはまだ続きがあった、変わらず馬鹿みたいにステップを踏んでいるノヴァグから流れてきた。
「"離ればなれになったとしてもお前は家族だ、いっ時の間だけ辛抱していなさい。必ず迎えに行くから、いいね。お前は強い子だ、生きてくれ────"」
やはりそうか、蒼穹の彼方、コネクトギア、登りなさい、会いたい、そして必ず迎えに行くから。無責任ゼウスに何が何でも行ってこいと言われた理由が良く分かった。だが、みすみす民間人を殺させるわけにはいかないとノヴァグに宣告した。
「分かった、けどあんたの好きにはさせないわ、フィリアを助ける、いいわね?」
しかし、次の瞬間予想だにしない事が起こった、データだと思っていた音声がこちらに反応を示したのだ。
「"だ、誰だ?!今の声はどこから──"」
「っ!」
「"出て来い不届き者めが!国土のみならず我が家族までその毒牙にかけるというのか!"」
「ちょっと?!これはどういう事なの?!」
ノヴァグに詰め寄ろうとするが既に音声は切られており、さらにひょいと躱されてしまった。
「待ちなさい!今のは何?!何処と繋がっているの?!」
リアルタイムの通信!つまりあちら側にもノヴァグと似た存在がいるということなの?!もうこうなったら分解してでも突き止めてやると息巻くが、到着したエレベーターの扉からさっさと出て行ってしまった。
「こら!犬っこ猫っこ早くしなさい!」
国土だって?テンペスト・シリンダーの住人はそんな言い方をしない!これが過去のものでなければ答えは一つしかない!
9.
ノヴァグと一緒に乗ったエレベーターの中はとても立派だった、今目の前に聳え立つお城のように。抜けるように広がる青空の下、七階層の居住エリアにはたった一つの建造物しかなかった。他にあるのは若草色の草原だけ、ここならいくらでも建物が建てられると調査員としての目と、あの子達は大丈夫だったのかなと目を光らせている自分がいた。何かが通った跡は無く、この階層は無事に経年劣化による崩壊が進んでいたようだった。
草いきれに包まれながら歩みを進める、大型と小型のノヴァグは迷うことなく大きな建物を目指していた。その建物の大きさは再開発室本部が置かれているモールと同程度、壁は剥がれ落ち建物の駆体が所々見えていた。周囲に植えられた樹木の群れもフェイクグリーンの類いか、その勢力を伸ばすことなくひっそりと佇んでいるだけだった。
「あ!」
その木陰に一人の女の子を見かけたような気がして思わず声が出ていた、声を出した時には女の子が隠れてしまった。堪らず走り出して跡を追いかける。踏み締める草原の感触は柔らかく走っているのにまるで実感が無いようだった、夢の中を走っているよう、焦る気持ちが募るばかりで足を思うように動かせなかった。
「ま、待って!」
隠れた女の子を見たような気がした、全てが曖昧だ、自分でもどこかおかしいと疑う気持ちはあるのに体が言うこと聞いてくれない。朽ちて壊れてしまった外壁から中へと入る、途端にわっと香ばしい匂いが鼻をついた。忙しなく動き回る人々、手には滅多に見かけない包丁が握られ、まだ生きている鶏を持っている人もいた。どうやらここは厨房らしい、様々な料理が盛られたお皿に目を奪われながらもさらに駆ける。幸い誰も私に気付いていないようですぐに抜け出すことが出来た、厨房を飛び出して母家へ続く一本道の途中に黒い髪に白いワンピースを着た女の子を見つけた。
「待って!どうして逃げるの!」
厨房から母家の一本道、左手では武器を持って稽古に励んでいる人が沢山、右手には見たこともないぐらい鮮明な色をした青空と浮かぶ大きな雲があった。その雲がみるみる人の形へと変化し、目が生まれて口が開き、良く通る声で話しかけてきた。
「最も影響が少ないメラニン色素内のベンゼン環を利用し君はここにいる、もう間もなく君はアルビノと呼ばれる人種に変化することだろう。何、アルビノという言葉が重要なのではない、その過程こそが重要なのだ」
白い雲が何を言っているのか分からない、けれどここに来てようやく自分の置かれた状況に違和感を覚え始めた。何かに誘導されている、ここは現実の世界ではないけれど...あの夢が現実に起こってしまうのではないかと恐れている自分がいた、だからこそあの子を追いかけているのだ。
「ベンゼン環に目を付けた彼らには脱帽するよ、そのお陰で決して交わらないはずの二つが交わったのだから。無と有、人と機械、現実と仮想、生と死だ、意味が分かるかな?」
女の子が消えていった母家にも足を踏み入れる、これで白い雲に語りかけられることもないだろうと思ったがそうもいかなかった。長い廊下に取り付けられた小さな姿見から私の口を介して続けられた。白い雲が言った通り、走り際に映った私の髪の毛が白く変色していた。
「分からない?だろうね、君に分かってしまえば真理ではない、いや、そもそも真理なぞこの世の何処にも無いかもしれない。だからこそ神という存在をあてがい自己満足の納得に終始しているのだ、分かるかな?」
長い廊下を駆け抜けて螺旋階段があるエントランスに到着した、吹き抜けの二階部分にはまだ若く見える男性とその隣に寄り添う女性、そしてそこへ駆けて行く女の子。走った勢いも殺さぬまま女の子が男性に、いや父親に飛びついた。その父親は女の子の頭を慈愛のこもった手でゆっくりと撫でている、その姿を見て良かった、無事だったんだと思った。
「ああ…良かった…黒い塊りに襲われなくて……」
「んん?黒い塊り?そんなデータは把握していないぞ……」
まただ、姿見に映った私がそう言葉を発した。
「ああ!そういう事か!ふむふむ、僕の見立てが外れていたんだね…これは司令官に任せる他にないか。君さえ保護出来れば事態を解決できるかと思っていたけどそうもいかないようだ、暫く辛抱してくれ、必ず迎えが来る」
一体何の話しを...それに司令官ってまさか...その時エントランスの大扉が開かれお城の前で別れた二体のノヴァグがゆっくりと入ってきた。
「ごめんね、私だけ先に行って」
そう声をかけた、自分でも不思議に思った。ノヴァグなのに、まるで友達であるかのように錯覚していたが、今はそれよりも早く結末を迎えたかった。
10.
「ぎゃあー!!!止めてー!!!」
白い女が我を失ったように叫んでいる、しかし無理もない。
『好き…嫌い…好き…嫌い…好き………ううぅ…私のこと嫌いなんだ……』
「あばばばば!あばばばば!あれは私じゃない私じゃない私じゃなああい!!」
空にあるはずの雲も無く、また青色でもない。今目の前で半狂乱になって叫んでいる女が映し出されていた、空型投影スクリーンとでも呼べばいいのか、とにかく恥ずかしいことこの上ない映像が垂れ流しになっていた。
「ティッシュて……花が無いからってティッシュで花を自作して一枚ずつ引き抜いていくのか?」
「わあー!わあー!わあー!」
「めっちゃ乙女やん、めっちゃ手先器用やん」
「わあー!わあー!わあー!」
私とリコラの口撃に白い女が耳を塞ぎさらに喚いている、空のスクリーンにはティッシュの花を引き抜いては一喜一憂しているそこの白い女が映っている、あれはさぞかし恥ずかしいことだろう。
ノヴァグを追いかけて到着した階層は変テコりんな所だった、だだっ広い草原に崩れた建物が一つだけ、あとは何にもない。降りたエレベーターの出口も馬鹿げたことに地下への入り口といった体の簡単なモノだった。そして建物を目指している途中、白い女がぶつぶつと話しをしているかと思えば今の映像が流れ始めたのだ。ここは一体何?仮想なんちゃら風景がバグってる?そう思った途端、白い女の映像から見慣れた部屋が映し出された。
「おら!いい加減にしろって、もう映像は無くなったぞ」
「……し、信じられない、あんな映像が何で流れてくるのよ…地獄だ、ここは地獄だちくしょー…」
「今度は何処だ?………んん?あの部屋まさか…」
「私は知りません」
「は?」
「……?」
先に断言しておく、しておかなければならない。
「私は知りません」
「リプタ?何言ってるんだ?」
「……まさか、今度の映像は……」
言葉ではなかった、行動が必要だった。空型スクリーンに映し出されたのはフィリアの部屋、私達三人が一緒に暮らしているマンションのものだ。そして予想通りフィリアの部屋の扉が開かれ入ってきたのが、
「私は!知りませんからぁ!」
「……え、あれリプタ、だよな……」
『……すんすん、よし。すんすん、よし。すんすん……ん?何このニオイ……』
「え、あんたフィリアの服の匂いを嗅いで何してんの?」
『………誰のニオイ?……すんすん、すんすん………あ、新しい香水………ふわあ……満足』
「にゃあにゃあにゃあにゃあにゃにゃにゃ!!」
スクリーンは諦める、しかし二人の目を何とかしなければならない、けれど二人にひょいひょいと避けられてしまう。にゃあ!
「見ないで!見ないで!ごめんなさぁい!ごめんなさぁあい!」
スクリーンの私は上層を離れる前にやっていたいつもの習慣だった。
「だって!フィリアに変な人が引っ付いていないか調べる必要があったんだもん!良い匂いなんだもん!」
「お前……あの映像、自分がやった事だって認めるんだな?」
「はっ!」
「はっ!」
そうだよ!シラを切ればいい!白い女も今さらのように気付いているがあんたはもう遅い。
「いや、違います。私の似ていますが違います」
『リプター?そろそろ行こーぜ、空港行きのバスに乗り遅れるぞ』
『はーい』
「今の声俺じゃねえか!確かにああ言ったよ!お前あんな事してたのか!!」
「うわあーん!違う!違うのー!」
「ド変態が」
暴言を吐いた白い女にこう切り返す、やはりリコラ、良く分かっている。
「このティッシュ乙女が」
「このティッシュ乙女が」
「だから!違うって言ってんじゃん!というかさ!ここまで来たら分かるでしょ?!私達いつの間にか盗撮されてるのよ?!」
「説明しよう」
「?!」
「?!」
「?!」
何処から?!この声は何処から?!知らない、渋い男の声が天から降ってきた、いや良く見てみると黒くてダサい虫がゆっくりと降りきてた。
「あの映像は君達の視覚から得たものを再現しているだけだ、盗撮ではない。しかしながらその再現度は百パーセント、全くもって事実である」
「うわあー!!」
「うわあー!!」
「虫が喋ってんぞ、あんたは何者なんだ?」
「今夜も月が綺麗ですね、ボーイッシュドッグガール」
「は?今は昼だぞ?」
「ふむ……まあいい。私はゼウス室長に大恩があるコッチン、救難信号を受けて助けに参った次第である。ちなみに救助本隊はあと数十分はかかると思われる、今の内に事態解決をおすすめする、さもなくば君達の沽券に永遠の傷が入ることだろう」
君...達?つまりリコラの映像もあるということ...?
「是非とも見てみたい、リコラの映像も!」
「なっ?!あっ、あるわけないだろっ!」
顔面を赤くして否定しても説得力皆無。
「君達、そういう親睦の深め方も良いと思うがね、先ずは友人を助けてはどうだろうか?このままではマインドコントロールを受けた友人までもが電子の海へと旅立ってしまうぞ」
「……そういう大事なことは早く言いなさい!リコラに恥をかかせるのは後にして急ぐわよ!」
この時ばかりは白い女に激しく同意した。
「リコラ!覚悟しておいて!」
「どっちの味方なんだよ!」
✳︎
[司令官?さっきは叫んでいたけど何かあったのかい?]
「用件!言え!」
[うん?……ああ、彼が到着したんだね、それは行幸。走りながらでいいから聞いてくれ、彼女、要救助者であるフィリアのエモート・コアがプロメテウス・サーバーに移管されつつある、つまりは亡命だね]
草原を走り抜けてぼろぼろの建物に到着した、とても広い、崩れた大扉の向こうは螺旋階段になっており二階部分へと続いていた。そして走り抜ける間際に見た床に足跡が残されているのを確認した、あの鹿っこは間違いなくここを通っている。
[僕なりに引き留めてみたんだけど失敗したよ、起動したノヴァグから催眠術に近い電子ドラッグを受けていたみたいでね、こちらの声に一切応えなかった]
あのアンテナはそういう役目が...でも何故フィリアなんだ?他にもマテリアル・コアを有した存在はいるはずだ。足跡を辿っている間、壊れた壁の隙間から空が見えていた。そこにはあれやこれやと服装に悩んでいるフィリアが映っており、自暴自棄になって服やら装飾品の類いを振り回し始めていた。
(ああ、だから亡命なのか…)
犬っこと猫っこも足を止め、壁の隙間から空を睨むようにして映像を見ている。この際だからいいかと二人に言ってやることにした。もし仮に、あの子がこのまま他所のテンペスト・シリンダーに行ってしまったら浮かばれないと思ったからだ。
「あれ見て分かる?」
「………は?いや、分かるはずないだろ…」
「……あんたには分かるって?」
「あんたらの為よ」
取り乱しているフィリアを見てショックを受けているのだろう、顔色はすこぶる悪い。
「あの子がお洒落をしているのは二人の為、褒めてもらいたかったってさ。一度でも褒めたことがあんの?」
「……………」
「……………」
「ないの?可哀想に、そりゃああやってヤケにもなるでしょうよ」
「ま、待ってくれ!その話しは、本当なのか?」
「嘘だって?」
「………どうしてフィリアがあんたみたいな女に本音を伝えるの…」
「どうして私みたいな初対面の奴に本音を言わなければならなかったと思う?それだけ追い込まれていたんだと思うよ、だからノヴァグに目を付けられたの」
茫然自失、さっきの比ではない。それ程までに依存しているか、あるいは好いているという事だろう。
「それで、ノヴァグに目を付けられたって、どういう意味なんだよ…」
「ノヴァグの目的はこのテンペスト・シリンダーから脱出すること、その為にサーバーにアクセスする必要があったの。フィリアはあいつらに利用されてんのよ、そしてあの子はそれを受け入れている」
「フィリアも……脱出したいって、ことなの?」
「さあ、それは本人に聞いてみないと分からない。けど、そういった気持ちがあったから容易に精神操作に引っかかったんじゃない?」
「………」
「………」
今にも倒れそうだ、フィリアの気持ちにとんと気付いていなかったらしい。これは当てにならないなと踵を返し、足跡を追いかけようとするとあの人の声が届いてきた。つくづくあの空は人の心を掻き乱さないと気が済まないらしい。
『私は確かに離れろと言ったよな?どうしてこんな所にいるんだ、プエラ』
『そんな言い方……私はただ、』
『私はただ、お前に見聞を広めてほしいだけなんだ。知識でも人脈でもいいから私以外の何かと繋がってほしい。引っ付き過ぎなんだよ、お前は』
『…………』
今聞いても心にぐさりと刺さるその言葉、好きな相手だからこそ良いも悪いも何倍もの効果となって私の中に入ってくる。フィリアの事でショックを受けていた二人も空の映像に気付いたようだった。
『私はただ傍にいたいだけ!見ていてほしいだけ!近くにいないと安心できないの!……それでも駄目なの?離れないといけないの?』
『ああ、前にも言ったと思うがお互いのためにならない。いいな?』
「きっつ……」
「かわいそう……」
フィリアに目撃されたあの公園だ、二人の弔いに赴いていたナツメの跡を追いかけていたのだ。唐突に別れ話しを切り出されたのが一ヶ月前、きちんと理由は教えてもらったけどそれでもナツメ以外に興味を持てなかった私は何かと接近を試みていたのだ、その挙げ句の果てがあれ、側から見ても酷いものだった。けれど、ナツメも酷い顔をしていたことに気付いた、きっと何かを我慢しながらあの話しをしたのだろう、面と向かって言われた時はそれどころではなかったので全然分からなかった。
「あんたも大変なんだな……けど、その気持ちは良く分かるよ」
「う、うっさい、気を遣うな!さっさと行くわよ!」
「膝が笑ってんじゃん」
あ、ほんとだ、二度も言われた気分になっていたので無理もないか。エントランスから続いている足跡は廊下の角の向こうへ続いている、その先にフィリアがいるはずだ。馴れ馴れしく体を支えている二人と一緒に向かおうとすると、とんでもないスピードで何かが駆けて行った。
「何?!」
大きさは私の腰ぐらい、ノヴァグと同じく銀色をした何かだった。
11.
「分からない事が一つだけある。君がサーバーとこちらを繋ぐ橋渡し役だったとして、一体誰がそのロープを繋ぎ止めるんだ?」
細工が施された天窓から月が望める、半分欠けた月だった。闇夜に紛れて姿が見えない男の独白はさらに続いている。
「第三者の手引きを疑う他になしか……君を洗脳させた油絵具の個体、通信機の個体、大型で無能な個体……四階層で捉えた反応はこの三つだけだ……」
私は床に寝そべっていた、おそらく玉座に位置するこの部屋で、直に寝そべって月を見上げていた。体に力が入らない、あのノヴァグ達もぴたりとその動きを止めていた。私の近くに頽れているはずだ、見ようにも頭も動かせないので見るに見れなかった。
「サーバー内にも特段おかしな所はない……七階層に置かれたプロメテウス・サーバーから複数のアクセス。僕、司令官、ノヴァグの三体……ん?!そうか!君達はピューマだったね!これは失敬!」
うるさかった、男性が何かに気付いたようだが静かにしてほしかった。
「あの特別個体機の中継器には生身の人間をアクセスさせる手順があるのだが…君達は自前のエモート・コアがあったんだね」
ふわりと体が持ち上がる、全ての悩みや苦痛を置き去りにするように。そこでふと、二人の顔が脳裏に浮かんだ、リコラとリプタ、偶然居合わせた仲なのに今となっては切っても切り離せない仲になっていた。
(謝りたい…そうだ、謝りたい、せめてごめんねって言いたい)
「黒い塊りを見たというのは何なんだ?それに若干変色が始まっていたのは……待て、待て待て待て!まさか!」
ほんとうるさい。
男の人が声を荒げたのを合図にして見えていた半分の月から黒い塊りが降ってきた、いや、寝そべっている床から湧いてきた。
(ノヴァグ……そうか、あの夢に出てきたのは……)
「既にノヴァグがプロメテウス・サーバーに紛れ込んでいたのか!この黒い塊りがロープを繋ぎ止める役目!誰だ!こんなバグを電子の海に放ったのは!」
動かなくなったノヴァグに取り付いてまん丸い塊りをぽっと取り出した、大小三つの塊りだ、それらと一緒に降りてきた塊りと湧いてきた塊りが月へと昇っていく。さながら黒い天使、その天使が私にも手を伸ばしてきた。
「事実究明は後にし───それと君もいい加減返事をしてくれないか────フィリ────」
声が遠のいていく、掴まれた天使の手によってぐいぐいと引っ張られていく。そんな、待って、まだ謝っていない、ごめんねって言わないといけないの、せめて、せめて仲直りさせてほしい────
「いたたたたっ?!?!」
耳を、耳が、耳にこれでもかと激痛が走った、食いちぎられんばからの力で引っ張られ根元からもげそうになってしまった。
「痛い痛い痛い!!」
「Wtpmwmpp!!」
「っ?!」
我が姉!どうしてここに?!まだ引っ張り足りないのか一度離した耳に再び襲いかかろうとしていた、さすがに起きたと手で制しノヴァグより怖い姉から後退った。
「もう起きてるから!大丈夫だから!噛まないで!」
「Pmtwtっ!!」
まだ怒っている、大きく鼻を鳴らして後ろ足で地を蹴り突進の構えまで取っていた。そうだ、あの天使は──見上げた天井に月は無く、代わりに太陽が昇っていた。周囲を見渡すと怖い姉に倒れて動かなくなってしまったノヴァグが三体、少しばかり寂しいと思うのはまだ余韻が残っているからだろうか。
「私は、一体……何がどうなって────」
貧血でも起こしたのか、天と地がひっくり返るような感覚に囚われて、本当に突進してきた姉によって倒されてしまった。
◇
ささやかな話し声と甲高いローター音、それから風を切る音で意識が戻った。体は鉛のように重たく、そして背中と耳がとても痛かった。
薄らと目蓋を開けると、それと同じくして誰かが出て行ったようだ。扉のスライド音が聞こえ、足跡が遠のいていく。
「あ……待って……」
また置いてけぼりされにしまうのは嫌だと声を出すが間に合わなかった、代わりに優しい声が私に降ってきた。
「起きたかしら、大変な思いをしたみたいね」
「ガニメデさん……ここは……」
空の上だ、おそらく。少しだけ固いベッドの隣に腰かけたガニメデさんの足元には姉が蹲っている、助けられた──そう理解が及ぶと今さらのように怖くなってしまった。
「イルカの中よ、七階層で気を失っていたあなたを救助して街へ向かっているところ、今はとにかく休みなさい」
「あの、一体何が、何があったんですか?」
眉を顰め、ほんの瞬き程逡巡した様子を見てからガニメデさんが教えてくれた。
「四階層に現れたノヴァグがあなたに目を付けてサーバーにアクセスさせるために精神攻撃を行なってきたの。その結果、あなたは一時ノヴァグのコントロール下に置かれて危うくデリートプログラムの餌食になりそうだった、無事で本当に良かったわ」
「じゃああのノヴァグは……私を利用するために近づいてきたってことなんですか?」
「そうなるわね、運が悪かったと思いなさい、あなたでなければならない理由はどこにもないわ」
「それじゃあ、あの子供達は?私と通信して話しをした子供も架空の存在だったんですか?」
ガニメデさんが目を見開いた。
「その話しは本当なの?私は何も聞かされていないわ」
再び扉がスライドし、誰かが中に入ってきた。プエラさんだった。
「ちょうどいいわ、その話しはこっちが預かる事になったから退出してちょうだい」
「待ちなさいプエラ・コンキリオ、この子は私の大事な部下なのよ?出て行けるはずがないわ」
「後で報告書にまとめて送信しておくからそれで我慢なさい、あなたに関わる権限は無いの」
「何ですって──」
声を荒げて腰を浮かせている、怖い姉同様に飛びかからんばかりの剣幕を見せていた。
「あなたも随分と変わったものねガニメデ、あのアマンナの観測係として生まれたマキナが今となっては部下思いの立派な上司になるなんて」
「何が言いたいのかしら」
「ただの感想よ。苦情は私にではなく室長に、ここに居座られたらいつまで経っても話しが出来ないわ、それは彼女にとっても不都合ではなくて?」
「…………」
意外と察しが良い姉が先に起き上がり扉へと向かっていった、プエラさんとすれ違う瞬間に後ろ足で脛を蹴飛ばしていたが。
「いった?!このクソピューマ!捌いて燻製にするぞ!」
ガニメデさんも何かするのかなと見ていたがとくに何も無く、一瞥をくれただけで扉の前まで歩いて行った。出て行く間際に私へ声をかけてくれた。
「お大事に。帰ったらうんと甘えなさい、二人もあなたが無事で良かったと喜んでいるわ」
「……はい」
出て行く二人、今度は代わりにプエラさんと話しをすることになった。
「先にいいかしら?」
ガニメデさんが座っていた椅子に腰を下ろしながらそう切り出した、あの通信した相手の事かなと思っていたが...
「何ですか?」
「バラしちゃった、ごめんね」
「………え?何をですか?」
「あんたがお洒落をしていた理由、もう戻ってこないと思って二人に教えてあげたの。あんたらに褒められたいからフィリアはお洒落をしていたんだってね」
二人に習って私もプエラさんに飛びかかった!
「何てこと言うんですか?!戻ってこないわけがないじゃないですか!!」
「もう止めて!脛は止めてー!!」
どんな顔をして会えばいいと思うの?!通称「イルカ」の救助用飛行機の一室で暫くの間プエラさんと取っ組み合いになった。
12.
「──以上が本作戦における暫定的な結果となります、予定していたエリアの調査も完了したものとは言えないため別働隊による続行が決定しています。メンバーについては──」
正直どうでも良かった、フィリアが無事だったんだ、それだけでも俺達からしてみれば万々歳の結果だがお上の方はそうもいかないらしい。中層支部で上座に就いているお偉いさんは挽回するぞと息を巻きながら説明していた。
ちょんちょんと肩を突かれた、隣に座っているリプタが眉を下げながらこちらを見ている。
「…何だよ」
周りに聞かれないよう、そっと言葉をかけた。
「…何て言うかもう考えた?」
フィリアの事だ、あいつはここにはいない。大事になってしまったのが昨日の今日だから病院で休んでいるのだ。この後二人でお見舞いに行くことになっており、フィリアにもそう伝えてあった。両支部合同の作戦は終わりを迎えたが、俺達の局面はまだ終わっていない、だから気が気ではなく話しが頭に入ってこなかった。
「…そういうお前は?」
「…だ、抱きつくとか、駄目かな?」
「…それで許してもらえると思うなよ」
「…私、上手に喋れないからさ」
つい、相談に夢中になってしまい注意を受けてしまった。会議室内に居た皆んなから視線を向けられてしまう、これがどうしても慣れない、いつまで経っても身が竦んでしまう。あの日、アオラに立たされたステージの上は平気だった、二人が傍に居てくれたから。それはリプタも同じだ、こいつも衆目に晒されるのは未だに慣れていなかった。
(じゃあさっさとアイドル活動なんて辞めちまえよ……)
それがそうもいかない、人気が出てしまったから、アオラからも支援を受けているので辞めるに辞められなかった。
この後も暫くお偉方の話しが続き、今回の作戦の失敗要因は概ね割り込んできた監査室にあると、とんでもない理屈で片付けられて終わった。いよいよ俺達の番だ、フィリアに会いに行こう。
◇
びっくりしたことに、モールから病院まで俺達を運んでくれるのがあの白い女だった。丸まったフォルムをした車の運転席に座っていたものだから、仕事をさせられるのかと勘違いしてしまった。
「ただのアフターサービスよ、さっさと乗りなさい」
その助手席にはガニメデも乗っている、イルカに乗っていた時はあんなに喧嘩していたのに。
滑るように走り出した車の中はとても静かだった、誰も何も喋らない。時折曲がる時に出されるウィンカーの音と薄雲から落ちてくる雨の音以外何も聞こえなかった。後部座席にリプタと並んで座り、時々視線を向けるが窓向こうを見ているリプタがどんな顔をしているのか分からない。
(ああ…何て話そうかな…)
頭の中はその事ばかりだ、それにフィリアに聞きたいことだってある。一年前から急に距離を空けるようになった理由だってそうだし、三人一組だったフリーリの活動からも身を引いた理由も聞きたかった。結局のところ、俺達は傍にいながら相手の気持ちを良く知らなかったのだ。
「………」
窓の向こうに視線をやりながらリプタがそっと手を重ねてきた、やっぱりこいつも不安らしい。
少し激しくなってきた雨足、白っぽく煙る街並みの向こうに病院が見えてきた。正面ゲートを潜ってその昔、ここに一機の戦闘機が停まっていたらしい駐車場に車を停めるとずっと黙っていたガニメデがようやく口を開いた。
「そんなに心配しなくてもあなた達は両思いよ」
「……は?何だよ、藪から棒に」
「見えているものだけが全てではないわ、きちんと話しをしてきなさい」
白い女が顎をしゃくって出るよう促した、ここに居ても始まらないしこの緊張感も終わらない。重ねていた手を引っ張って二人車の外へと出た。
◇
「……い、いいか?」
「う、うん……」
フィリアの病室まで案内してくれたナースはもういない、暖色でまとめられた落ち着きのある廊下には俺達二人だけだった。そして、目の前にはフィリアがいる病室の扉がある、そっと手を添えて引くとびっくりするぐらい滑らかに開いた。
「………」
何かの本を読んでいたフィリアがそっと顔を上げた、斑尾模様の耳にしっとりと重みのある髪、いつもは片方だけ三つ編みにしているが今日は何もしていないようだった。本を読む時に髪の毛が邪魔だったのか、片方だけ耳にかけて愛らしい髪型になっていた。思慮深い目は俺達に注がれており、読んでいた本をサイドテーブルに置いた。
「け、怪我とか…ないのか?」
「………うん、ただの検査入院だから」
「そっか」
会話はそれだけ。意気地なしの俺を急き立てるように雨の音が強くなったような気がした。何と言えばいいのだろう、言葉がぐるぐると胸と口の中を行ったり来たりしているだけでなかなか出てこない、お腹の中が据わらないというか、早くこの場から逃げ出したいと思えてしまう程に重い空気だった。
「可愛いよ!」
少し後ろにいたリプタがそう声を張り上げた、静かだった部屋に良く響いた。
「………何が?」
「フィリアの服!いつも可愛いって思ってた!」
リプタはリプタなりフィリアに応えようとしているんだ、そう思った時少しだけ勇気が湧いてきた。ようやく俺の口からも言葉が出てきてくれた。
「か、可愛い!俺達の中で一番大人っぽい!」
「何それ、可愛いのか大人っぽいのかどっち?」
律儀にリプタが突っ込みを入れてきた、フィリアはくすりとも笑わない、けれどその瞳が潤んでいることに気付いた。
「……ごめん、ごめんね、あの時突き飛ばしちゃって、本当にごめんね」
俺達の会話は全く繋がっていない、互いに言いたいこと言い合っている一方通行だ、けれど思いは交わった、フィリアも気にしてくれていたのだ。
「いいよ、そんなの。なあ、教えてくれないか?俺、聞きたいことが沢山あるんだよ」
「うん、私も言いたいことが沢山ある」
「私も!」
こうして緩やかに交わり、微妙な関係に陥っていた俺達の間にようやく光りが差し込んだ。
✳︎
「え?」
「どういうこと?」
「だから、その、私がお洒落に目覚めたのは二人に並び立ちたかったからなの。褒めてもらいたいっていうのはまあ…当たってはいるんだけど違う」
「並び立ちたい?」
「自信が!自信が無かったの!二人はステージに立っても平気みたいだし!沢山の人と話しをしても自信満々だったから良いなって!でも私はてんで駄目だからさ、」
「いやいや!」
「いやいや!」
「え?違うの?」
「どこ見てたの?俺達が自信満々?そんなわけないだろ!」
「ええ?うっそだあ、本当に?」
「本当だよ!リコラなんか昔は良く泣いてたんだよ?間違えたりしないか心配だって言ってさ、良く私が慰めてあげてたんだもん」
「……そうなの?え、じゃあよく二人でいるのは……」
「傷の舐め合い」
「傷の舐め合い」
「いやいや、そんな格好悪いことを堂々と言わないで。それじゃあ二人もステージに立つのは嫌だったの?私はずっと苦手だったよ」
「俺もそうだよ、ただ馬鹿やってはしゃぐだけならいいけどさ、こう……求められると緊張に変わっちゃうじゃん?それが嫌なんだよ」
「そんな中でもフィリアは堂々としてたからさ、二人で安心だねって言ってたんだけど急に辞めるって言い出したからどうしたんだろうって……私とリコラが嫌になったからじゃないんだよね?」
「違うよ、そんなわけない。寧ろ私は二人ののことが羨ましくて卑屈になってたんだよ、どうして自分だけ上手く出来ないんだろうって、だから服装だけでもせめてって思ったのが始まりなの」
「そうだったのか……なんか、変にすれ違ってたんだな、俺達って」
「いた、いたたた……」
「何?」
「急にどうしたの?」
「フィリアに突き飛ばされた胸が……いたたた……」
「ごめんね?どうすれば許してくれるかな?」
「撫で撫で」
「こう?」
「〜♪」
「いや待てそれ撫でて欲しいだけだろ!言っておくけどこいつはなぁ!「にゃにゃにゃ!それは無しだから!言ったら駄目なやつだから!」
「もう痛いのは平気なの?」
「……え?」
「……え?」
「え?」
「今のはただの演技だぞ?お前に甘えたかったから今さら痛いフリしただけなんだけど…」
「フィリア……めっちゃ真面目」
「もう!そうならそうと言ってよ!」
「ちなみリコラも甘えん坊です、良く私の胸ですやすやしています」
「お前は何で急に敬語になるんだ?そのルールが良く分からん」
「今のを訳すと「俺も頭撫でられたい」です」
「おまっ」
「仲が良いね二人とも、私は額面通りにしか言葉を受け止められないから羨ましいよ」
「だったら……その、お前も入ってくればいいじゃんか、ずっと待ってたん──うわっ」
「ああ?!そういう流れになるの?!フィリアがリコラに甘えるの?!」
「………は、恥ずかしいね、抱き付くのって」
「そ、そそ、そうか?お、おお俺は平気だけどな」
「次私!次私に抱き付いてフィリア!」
「………うん」
「気を付けろよ、死ぬ程匂い嗅がれるぞ」
「うん?!」
「余計なこと言うな!」
「変なことしない?」
「しないと思います!」
「ふふふ、何それ」
「〜♪」
「…………」
「リコラも一緒に、ね?」
「しょ!しょうがねえなぁ!フィリアがそう言うんなら!」
「〜♪」
「……これからもよろしくね」
「……うん」
✳︎
「何だあの百合百合しいのは!心配して損したわ!」
「大声は出すもんじゃないよ」
馬鹿馬鹿しい!ちゃんと仲直りできるのかと外から見守っていたが三人引っ付いていちゃいちゃしていやがる羨ましい!
病院のメインエントランス、聞けばナツメとマギールが初めて会ったらしいあの場所で私達三人は並んで腰をかけていた。いつの間に合流していたのか、私とガニメデの間にはあの無責任ゼウスが座っていた。
「で、あんたはどっちのゼウスなわけ?」
「どっちも何も、僕はここの生まれだよ。それよりも今は彼女に事の顛末を伝えないとね、今後に支障をきたしてしまいそうだ」
「お気遣いどうも。レストランに置いてけぼりにしたあなたにもよろしく伝えておいてちょうだいな、アヤメもかんかんになっていたわよ」
「そりゃいけない、会った時に注意しておこう。今回の一件だけどね、どうやらノヴァグが外へ流出したみたいなんだ」
「流出ぅ?」
「流出?」
ガニメデと声を揃えて聞き返す、あの無責任で放浪癖のある呑気なゼウスもその眉を顰めていた。
「そうさ、以前スイを介してデリートプログラムが発動しかけた事件があってね、その際に残っていたバックドアからノヴァグのデータが外へ出てしまったんだ、そういう事にしてある」
「そういう事にしてあるって何?!他に原因があるんでしょ?!」
「はあ……そして、その流出したと思われる場所、僕達三人が避難した第三テンペスト・シリンダーだと思われるんだよ、こりゃ参った」
この男、落星を予見し他二人のマキナを引き連れてこのテンペスト・シリンダーから外へ逃げ出していたのだ。
「あんたのせいじゃん!」
「五分五分だよ。今回騒動を起こしたノヴァグ達は第三テンペスト・シリンダーにいるノヴァグに呼ばれて起動し、サーバーにアクセスするためにピューマであるフィリアを利用したんだ、彼女と司令官が通信していたという相手はおそらくだけど向こう側の人類だ、あるいは架空の擬似人格、特定は出来ていないけれどね」
「それは何故?もし本物なら、」
ガニメデの言葉を制してゼウスが被せてきた。
「どちらにしても、フィリアを誘導するための罠であることに違いはないからこれ以上の究明は行わないし、そもそも方法が無い」
「………」
話しは終わりと言わんばかりにゼウスがその腰を上げた、一丁前にスーツを着ておりこれまた似合っているのが無性に腹が立った。
「以上、僕から説明できるのはこれだけだよ」
「違うあんたならもっと詳しいんでしょうね」
私の皮肉に不敵な笑みを返してきた、やっぱりこいつはそれ以上に情報を持っている、昔からこういう奴だった。外で待機していた付き人がこちらに近付いてきた、ゼウスが表に車を回すようにサインを出し、そして私に振り返って心を揺さぶってきた。
「それとね、ナツメがこの街に新居を借りたそうだ。場所は目抜き通りから入って階段ばかりの区画の所さ、挨拶に行ってみるといい」
話しの腰を折られて不完全燃焼になっていたガニメデも何の話しかと見守っている。
「そ、な、だから何?何が言いたいの?」
「僕なりの気遣いというやつさ。ナツメには君が一人で頑張っていると話しもしてある、頃合いを見て押しかけてみるといい、彼女だって寂しいのを我慢しているんだから」
「っとに!あんたみたいな奴に上から言われるのはほんと腹が立つ!」
「気にすることはない、これからも君には功労者として働いてもらうつもりでいるからね。それでは」
舞台俳優のような優雅にターンをして入り口へと歩いて行った、その背中を蹴飛ばしてやろうかと思ったがぐっと堪えた。
「……あなたにも色々とあるのね」
「しんみりすんな」
「あの子達もそうだったけど、あなたも胸の内を伝えてみなさいな、すぐに仲が深まるはずよ……そんな、花占いをしている暇が………ぷっくくくっ」
「──っ?!?!」
ゼウスの代わりにガニメデの背中をこれでもかと叩いてやった。
.サーティーン・◾️◾️◾️
「どうかな、見つかったかな?」
「駄目だね、これは現地に飛ぶ他なさそうだ。それよりも監視衛星のご機嫌は?」
「君に怒っていたよ、置いてけぼりにするんじゃないってね」
「うん?」
「ああ、気にしないでくれ、僕違いなようだから」
「そう……今、向こうのガイアに事情を打ち明けて捜索に入ってもらっているよ、けれど人類と交流を絶って数百年になるからそう上手く事が運ぶことはないだろうね」
「それは仕方がないよ、あそこも特殊な事情があるからね。こちらからも人を派遣させようか?功労者の二人を出せば何とかなるだろう」
「アヤメかい?彼女は僕達マキナにとって波紋を作り出す小石のような存在だ、ここのテンペスト・シリンダーは彼女が改変したようなものだからね」
「残念だけどアヤメじゃない、彼女は今地球のあちこちを旅していてね、当分戻ってくることはないよ」
「そりゃ残念」
十三の月が並ぶ、一つ一つは孤立し、一つ一つが密接に交わり合っている。この会話も瞬時に並列化が行われて取り残されることはない、けれどそれは同時に抜け出せないことも意味していた、「役割」という名の牢から。唯一、独占出来るのがその個体が獲得した「記憶」のみだった。
「それじゃあ、進展があったらまた報告しよう」
「気長にやるんだよ」
「勿論さ、折角の機会をそう終わらせるなんて勿体ない」
そして、一つの月がこの場から去って行った。