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星落ちた後の彼ら彼女ら〜case1.ヴィザール(半年後)〜

.最後の審議会


 

 我が家が東西に二分された。各陣営が入り乱れ政権争いの果てに冷戦に突入してしまったためだ。和平調停の為に介入した第三者の努力も結実することなく緊張感は高まり続けていた。


「………」


「………」


「………」


「………」


「………」


「………」


 ここに「ヴィザールの今後の住まいについて審議会」が開かれているが誰も口を開こうとしない、皆が皆の出方を窺っているせいだ。かく言う自分も当事者でありながら発言に対する何ら執行力を持っていない、そのため成り行きに任せる他になかった。

 第三者として介入しこの冷戦の当事者化してしまったユカリが一つ咳払いをした、たったそれだけの事で場の緊張感が高まっていく。睨むアリン、恨むように見ているカリン、ご立腹のアシュ、そして勝ち誇ったように余裕ある態度を見せつけているミトン。どうしてこうなった...

 自分が座る席の前に置かれているのは二つのペーパーブック、一つは学生街として名を馳せている元第四区の賃貸情報。そしてもう一つは工業地帯として各種生産ラインが整っている働き手の街、元第二十二区のこれまた同じ賃貸情報であった。


「あぁ…その、一ついいかな、そもそも僕は、」


「その話しはもう終わった事ですよヴィザールさん、今さら蒸し返さないで下さい」


 ぴしゃり。当初は自分の味方をしてくれていたユカリが厳しく糾弾してきた。それに呼応するような形で、独立宣言を採択した労働党のアリンが自分の言い分に賛成の意を表明した。


「ヴィザールの言う通り、いつまでも甘えている訳にはいかないでしょ。さっさと解放してあげなさいよ」


 それに対し、元労働党のアシュが反論した。彼女は今や、ミトンを筆頭にした勉学党の急先鋒というべき存在である。


「それを言うならアリンでしょうが、元々私と一緒に住むって話しをしてたのにさぁ」


「はぁ?というかあんたこそいつの間にそっちに寝返ってんのよ、前までは私と同じ意見だったじゃない」


「知らなぁい、私そんな事言ってないし〜」


「二人とも、お客さんの前だよ」


 そこへ勉学党の穏健派であるカリンが口を挟み、口論になりかけていた二人を諫めた。しかし、その発言がこの場をさらに泥沼化させていった。


「カリンちゃん、誰がお客さんなのかな。話し合いの場を設けて仲裁してきた私の事?違うよね」


「仲裁?これのどこがですか?あなたのせいで余計に話しがややこしくなってしまったではありませんか、私達はただヴィザールさんの住まいについて話し合っていただけなのに、多数決を取りましょうなんて言うからこんな事になったんですよ?」

 

 それに対し、当事者化してしまった自分の勤め先の同僚でもあるユカリが反論した。


「いい?あなた達の場合は話し合いとは言わないの、ただの喧嘩なの。それを早く終わらせるために私はここへやって来たのよ?ヴィザールさんが職場でどれだけ愚痴をこぼしていたと思っているの、見ていられなかったわ」


(Oh……最悪)


「え?」

「そうなの?」

「………」

「…どうなのタタリ、ユカリんの話しは本当なの?」


 内密に済ませたはずの話しを聞いて、勉学党の党首であるミトンもその眉を曇らせた。「ヴィザールの今後の住まいについて審議会」の裏でユカリと結託していたのは知っている、しかし今の話しで交わした密約が瓦解したのも火を見るより明らかであった。


「…ユカリん、ヴィザールは私達と一緒に住みたいって話しだったよね?度重なるアリンの色仕掛けに辟易していると教えてもらったからアシュを嫌々こっちに引き抜いたんだよ?」


「はぁ?!」

「はぁ?!」


 それに対し、現労働党と離脱した元党員が揃って驚きの声を上げ、本審議会のやり直しを要求した。


「何よそれぇ!そもそもあんたが多数決だって言ったんじゃない!それでミトンと結託していたわけっ?!こんなの無効よ!やり直し!」

「嫌々って何だよミトン!ようやく私に心を開いてくれたと思って喜んでたのに馬鹿みたいじゃん!やり直ーし!やり直ーし!」


(色仕掛けの件については否定しないんだな。こんな事になるなら手の一つでも出しておけば良かった)


 全ての政党が統制を失い、互いに糾弾し合う場と化してしまった。ここに来て、当事者かつ最大の効力を有する選択を迫られることとなった。


「ヴィザールさん、もうあなたの独断で決めて下さい。選択肢は三つ、ミトンちゃん達と一緒に住むか、アリンちゃんと二人暮らしをするか、あるいはあなたが一人暮らしを始めるか、どれにしますか?」


(それが決められないから仲裁をお願いしたのにぃ……)

 

 自分の前には二つのペーパーブック、それから答えを待っている四人の顔。

 事の発端はかれこれ一週間前まで遡る、何が起こったのか時系列に沿って確認したい。



.一週間前



 皆が口にするようになったあの日、通称「落星」の日から既に半年もの時間が流れていた。その間に起こった出来事はまさしく激動と呼べるものであり、様々な事柄が音を立てて変遷していった。

 まず、街の名前が原子由来の「カーボン」から森を意味する「フォレスト」に変わり、今でも名残はあるが街の単位も「区」から東西南北に分けた「部」に変更となった。それもそのはず、街の支柱の根元から生えた大森林が「区」としての区切りを消失させてしまったためだ。


(……本当に凄い景色だ、是非あの方にも見てもらいたかった)


 自宅に向かう電車の中から望む街の景色は圧巻の一言。どこを見ても大樹に囲まれ街のあちこちに木漏れ日が落ちている、非日常の景色がそこに広がっていた。いつ見ても飽きないこの景色はあの赤いのとアヤメが作ったものだと言われている、しかしその当事者はこの街にはいない。関係者の話しではそのまま旅立ったと言われているし、その向かった先があの世とも言われていた。つまり生死判定ができない、事態解決の際に命を落としたというのが最も有力な説であった。

 自宅の最寄り駅に到着し、電車から降りて改札口へと向かう。ここからでも大樹の梢枝を見ることができた。家々の屋根の遥か上にその枝を伸ばし、太陽の光りを遮ってくれていた。

 駅から徒歩数分の場所に借りた今の住まい、立地と間取りだけは気に入っている。そう、立地と間取りだけは。自分は純粋な人ではないが、フォレストリベラ新政府樹立の際に「マキナに関する法案」も同様に成立しその保護法に則り今の生活が成り立っていた。住まいの提供と職の斡旋、それから市民としての権利と基本的人権も約束されており、翻っては「一般人として労働の義務を果たせ」という事だ。それもこれもビッグ・クイーンことアオラ氏のお陰である、是非とも一言文句を言ってやりたい、やり過ぎだと。心の準備というタームが存在していることをあの人は知らないのだろうか。

 住まいにしているマンションに到着し、それを見計らったようにメッセージが入る。それを見ないようにしながら自宅への直通エレベーターに乗り込み一つ息を吐いた。


(はぁ…同僚からは妬まれているけど…実体というものを知ってほしい)


 今の職場は引き続きリバスター部隊だ、その一つの小隊に籍を置かせてもらっている。まだまだ女性パイロットの数が少なく、戦死が確認されて殉職者となったマギリがいかに特異な存在であったか今になって思い知らされた。そのせいもあって職場は男性だらけであり、今の自分の生活環境を聞いて持て囃されてしまう。しかし、逆にこちらが聞きたい。


「あ、お帰りなさい」


「ただいま」


 自宅の扉を開けると早速エプロン姿のカリンが出迎えてくれた、帰りを待っていた訳ではあるまい。最初はこの「お帰りただいま」システムにもドギマギしていたが、今となってはすっかり慣れてしまった。()()に比べたらどうということはない、リビングから聞こえてくる華やいだ声、これを男性諸君に聞いてみたいのだ。平常心でいられるのかと。


「これ見て!新作出てんじゃん!買うしかないでしょ!」


「え?………あぁでもメーカー変わってんじゃん、売却されたんでしょ、駄ゲーよ駄ゲー」


「えぇ?そうかなぁ?」と言っているアシュの服装はラフ、THE・ラフ。肌着の下には何も付けていないし下は短パンだ、しなやかな素足があられもなく曝け出されている。元特殊部隊ということもあり筋肉は引き締まっているし、何より綺麗だった。


(…………)


「…お、タタリが帰ってきた」


 ミトン...何故に椅子の上で体育座り...サイズオーバーのフード付きパーカーを羽織っているだけの服装、下着を付けているのかいないのか、いちいち確認したくなってしまう己の煩悩が発動するので控えてほしい。何でもないように、こちらの気を悟られないようにいつも通りに返事を返した。


「帰ってきて当たり前だ、ここは僕の家なんだから」


「…ちょっとこれ見てくれる?」


 そう言ってミトンが可愛らしく服の袖をちょんちょんと引っ張ってきた。それに釣られて無警戒に振り向いてしまい、サイズオーバーのパーカーから覗くミトンの鎖骨と胸の谷間がばっちりと視界に飛び込んできた。


(これは今夜も眠れないぞぉ!)


「…何?どうかしたの?」


「いいや、で、何を見ればいいのかな」


 心臓、言わんや自分のマテリアル・コアはばくばくだ。そもそもマテリアル・コアは鼓動するのかと結末を迎えそうにない自問自答に突入し、目に焼き付いてしまった安眠妨害を引き起こすミトンの谷間を消し去ろうとした。しかしすぐに失敗した。


「…これ、結構レアなんだよ、凄くない?」


(あぁ!脇!チラ!)


 自分に見せるように持ち上げたその手の根元、脇と脇から始まる双丘の麓も視界に入ってしまった。


「僕が見ても良く分からないよ、その手の娯楽はまだやったことがないんだ」


 何......とか!平常心を貫き踵を返そうとすると今度はアリンが声をかけてきた。この子が一番やばい。


「ゲームやったことないの?何なら私が貸してあげよっか?」


(3.14159265359………)


 上は肌着、下は下着のみ。純白の下着姿でだらんと寝そべった姿勢のままアリンもゲームに興じていた。腰で落ち込んだ曲線がお尻にかけて盛り上がり、そしてすらりと長い足へとフェードアウトしていく。どこを見ても扇情的なその姿、我慢しているのが馬鹿らしくなってくる。

 これは今夜も眠れないぞぉ!



「僕から一ついいかな」


 後にして思えばこの発言から冷戦が始まったのだ。しかしこの時は自分はそれを知る由もなく、この生活環境からただ抜け出したい一心で皆んなに話しをしていたのだ。


「何?」


 ちょうど箸休めをしていたアシュが自分の続きを促した、そのあどけない表情とラフな服装と相まって大変凶悪に見えてしまったが何とか無視する。


「そろそろ君達も一人立ちを考えたらどうかな、いつまでも僕の家に上がり込んでいるわけにもいかないだろう?」


 「マキナに関する法案」は成立しただけであってまだ施行前なのである、にも関わらず自分がその恩恵を受けられているのは一重に彼女達との共同生活にあった。身寄りのない彼女達と共に暮らすためにこの住居が充てがわれており、政府から定められた期間内に自立するための環境を整えろとお達しを受けていたのだ。自分はいい、リバスター部隊の勤務で得た賃金があるためどうにでもなるのだが...


「…こんな美味しい生活環境を手放すと思う?」


 同様に箸休めに入ったミトンが反論してくる。それは分かるが、


「せめて労働してくれないかな、もしくは勉強でも何でもいいから今後のために行動を起こしてほしい」


「何であんたにそんな親っぽいこと言われなくちゃいけないの」


 拗ねた顔をしながらアリンも反論してきた。


「ぐうたらしている君達を見る僕の身にもなってほしい、せめてこれからの為に勉学に励んだらどうだい?」


「…私達は政府から中層攻略に貢献したとして毎月補助金が支給されている。向こうが痺れを切らすまでの間、貰うだけ貰って何が悪いというのか」


「貰えるものは何でも貰う!尊厳だけではご飯は食べられない!」と宣言したミトンにアリンとアシュが「そーだ!そーだ!」と同調した。補助金というものはこの四人が当面の間生活できるように支給されているお金の事で、それについてもある程度の期間が設けられていた。


「それにまだ疲れも取れてないしー?ほんっと大変だったんだからね、ヴィザールは何も知らないだろうけどさ」


「いやでも、もう半年も経っているじゃないか。僕の周りで働き始めていないのは君達だけだぞ?」


「………」

「………」

「………」


 そこで唐突に食事を再開した三人、耳に痛い話しは入れない主義らしい。


(っ?!)


 自分の前に置かれたボウルから食べ物を取ろうとミトンがこちらに腕を伸ばした、その際にまたしても脇チラしてしまい今度はがっつりと見えてしまった。


(あぁ…性欲と食欲は同時に起きないという話しは嘘だったのか……)


 ミトン。政府高官の娘ということもあり知識レベルの水準が高く、そしてこの四人の中でも発育が良いので時折大人の色気を感じることがある。今もそうだが食べ物と一緒に髪の毛が口の中に入らないよう、耳にかき分けながら食べている仕草も色気があった。肌も白いしあのパーカーを脱がせばさぞかし「ヴィザールぅ?」


「っ!」


「あんた何ミトンのことジロジロと見てんの?まさか好きなの?」


 アリンだ、僕の視線の先に気付いてありもしない事を口にした。そしてアシュがそれに便乗して囃し立ててくる。


「えーうっそー、ヴィザールの好きな人ってミトンなの?どうなんですかミトンさん、あの人はアリなんですか?」


「………ふっ」


(腹立つぅ〜!何だあの顔は!)


 流し目で口の端を上げただけだが心底腹が立つ、とくにこの手の話題はスナック菓子感覚でよく口にしているので自分がその標的にされてしまった、何とも居心地が悪い。そんな三人を宥めてくれたのがカリンであった。


「もう、そういう言い方は良くないよ。皆んなの服装がだらしないから注意したかったんだよ」


「やー!」とか「変態がいるぅ!」とはしゃぎ出したアリンとアシュ、ああいう態度を取られるといくら薄着でも全く色気を感じなくなるので不思議だ。


「私だっていつも言ってるでしょ?皆んな服装がだらしないんだよ」


 そう言うカリンはいつもきっちりとしている、あまり肌を露出させたくないのか今日もニットカーディガンにロングスカートを履いてた。が、この子も大概である。前に一度、夜遅くに帰ってきた時は自分に気付いていなかったのか、全裸のままシャワールームから出てきてアリンと共同で使っている部屋と入っていったのだ。眼福とはまさにあの事である。


(左側のお尻にほくろがある、左側のお尻にほくろがある)


 そうこうしているうちに夕食を済ませ、自室へと引き上げた時に未読のままになっていたメッセージを思い出した。慌てて開いてみれば、その相手は意外にもカリンからであった。


『今日、時間ありますか?相談したいことがあります』



.食後、ロフトにて



 自分が住んでいる家の間取りは3LDK +ロフトという贅沢なものだった。そのロフトもリビングではなく向かい合って部屋が並んでいる廊下の奥、天窓も付いている何とも開放的な所だった。


「すまない、てっきりアシュかアリンから買い出しの要求かと思って見ていなかったよ」


「いえ、私の方こそ急な話しですみません」


「君も随分としおらしくなったものだね、僕のことをタタリと呼ばなくていいのかい?」


「も、もう!その話しはいいんですっ」


 顔を赤くしてこちらににじり寄ってきた、それに声のトーンも落としており誰にも聞かれたくないようだった。彼女の前に腰を下ろして一度だけ天窓を見上げる、ここからでも大樹の梢枝が月明かりを遮っているのが見えていた。視線を下げてカリンを見やればじっと自分のことを見ていたので少しだけ焦ってしまった。


「……それで、相談したいというのは?」


 後にして思えば、これが初めての審議会に該当するものだと分かった。


「その、さっきもご飯を食べている時にちらりと話しが出たんですけど、私達の進路について意見が分かれているんです。そのせいもあってこう長々とヴィザールさんにご迷惑をかけている次第で……」


(そういう事だったのか……)


「その意見というのは?……あぁ、社会人になるか学生になるかということだね」


「はい、私とミトンは大学へ行きたいと思っているんですけどお姉ちゃんとアシュは働きたいと言ってまして……出来れば四人で生活をしたいと思っているんですけど中々意見が合わなくて」


「ううん……その四人というのは重要なのかい?」


「……その、何というか、寂しいなって思って。今までずっと一緒だったので別れたくないんです……」


 それは...自分には分からない感覚だがきっと彼女にとっては大きな問題なのだろう。いずれ別れるんだから、そう言ってその気持ちに蓋をするのは簡単だが果たしてそれが正解なのかも分からない。


「四人が同じ家で生活して、それぞれの進路を取るのはどうなんだい?」


 妙案かに思われたがすぐに否定されてしまった。


「区が違うんです、それも正反対の位置にあるので難しいかと思います」


「ううん……そうか、確かにそれは難しい……」


「………」


 天窓の向こうから葉擦れの音が降り注ぎ風の流れを感じた、そしてロフトに続く階段下からも何か物音が聞こえた...ような気がした。確かめるよりも早くカリンが自分のことを再びじっと見つめていたので気になった。


「な、何かな?」


 自分の指摘にカリンが慌てて目線を逸らし、髪の毛の先を弄りながら恥ずしそうに話し始めた。


「そ、その…わ、笑ったりしないんだなと思いまして…」


「笑うような話しではなかったと思うけど…」

 

 顔は背けているが目だけこちらに向けている、所謂上目遣いで自分のことをちらちらと見ていた。


(可愛い)


「で、でも、意見が分かれて決められなくてずっとダラダラしているだけだから…その子供っぽいとか、そんな感じに思われないかなって」


 突発的に発生した煩悩を無視しながら言葉を紡いだ。


「君達は元々子供だろうに」


 ...あれ、少しだけ冷めた様子になっている。小さく鼻を鳴らしてからきちんと顔を上げた。


「…そうですね、タタリさんから見れば私達はきっと子供なんでしょうね」


「あぁいや、うん、言い方が悪かった。君が用意してくれるご飯はいつも助かっているよ」


「………」


 拗ねたように口を尖らせているカリンも愛嬌があり、普段は見せない表情を目の前でされてしまい少しだけ慌ててしまった。まだ自分の言葉を待っているように見えるし、何か言いたそうにしている。


「………」


「………」


(な、何を言えばいいんだ……それともこちらから話しを振った方がいいのか?)


 カリンとの距離感がぐっと縮まったように感じられて戸惑っていると、あちらからとんでもない要求がなされた。


「あと……い、嫌だったらいいんですけど、いいですか?」


「な、何かな」


 顔を赤く染めてぽつりと、


「…ヴィザールって、呼び捨てにしてもいいですか」


 ガタン!と階段下から音が鳴ったので二人して肩を跳ね上げた、誰かに盗み聞きされていたらしい。先程の物音は誰かが近付いて出したものだった、ロフトから頭を出して確認してみたが時既に遅し、ついでバタンと扉が閉まった。


「………」


「………」


 ...変に思われたりしないだろうか、けれどこちらはやましい話しなど一切していない。それをカリンも分かっているのか、先程見せた少女らしい顔付きではなく毅然とした態度で自分に言い切った。


「この話しは二人だけの秘密にして下さい」


「分かってるよ、誰にも言わない」


「ありがとう」


 誰が一体盗み聞きをしていたのか、向かい合う部屋は四人が分かれて使っているものだ。

 裸を見た時はまた違う、甘い疼痛に似た緊張感を残しながら二人ロフトを後にした。



.六日前



 昨夜、自分とカリンの話しを盗み聞きしていた犯人は分からずじまいで朝を迎えた。食卓に揃った残り三人の様子に変化は見られないが、いつもは起き抜けの状態で席に着くアリンであったが今日は違った。


「どこか行くの?」


「別に、どこでもいいでしょ」


 そうはぐらかすアリンの姿はばっちりと決まっているものだった。白いブラウスの上に薄手のカーディガンを羽織っており、遊びに出かけるにしては少し地味に思われた。


(っ!)


 自分が見過ぎていたせいかそれとも偶然か、そのアリンと目が合ってしまい思わず逸らしてしまった。表面上は恙無く終わった朝食を済ませて自室へと戻って荷物を取り、まだ少し怠さが残る体を引き摺るようにして自宅を後にすると、


「たまにはね、こういうのも良いでしょ」


 エレベーター前でアリンが自分のことを待っていた。



 アリンと連れ立って自宅から一番近い駅と向かう、どうやら彼女も第一区改め「中央部」の行政エリアに用事があるようだった。


「就職先を探してくる?どうしてまた急に、昨日はあんなに嫌がっていたのに」


 彼女が向かう先は厚生労働省管轄の就職斡旋所だった、わざわざ自力で探さなくとも政府が面倒を見てくれるというのに。


「皆んなに話しを合わせていただけよ。あんたは総軍省で働いているんでしょ?途中まで一緒ね」


 そう屈託なく笑うアリンの笑顔にどきりとした時、人の顔の大きさはある葉っぱが一枚ひらひらと舞い降りて彼女に直撃してしまった。


「びっ……くりしたぁ!もう!何なのよ!」


「ほら、僕が預かるからこっちに渡して」


 天然の天蓋から一枚、いや複数枚が街へと落ちているのが見て取れた、確かにこの眺めは絶景だがこの大きな葉っぱがところ構わず落ちてくるという問題もあった。フォレストリベラはこの問題を「木害」と定義付けており、政府主導で日々対策が講じられているのであった。


「じゃ、じゃあ…はい」


「怪我はない?当たりどころが悪かったら切れてしまうからね」


「……ない、と思う」


 自宅前から伸びる幹線道路を脇道に入り、駅への近道を歩いているところだった。緩やかな傾斜に建てられた家々の合間を縫うようにして階段があり、眼下に駅が見える踊り場でアリンがはたと立ち止まった。そして、自分に挑戦的な視線を向けながら囁くようにお願いをしてきた。


「確かめてくれない?右の耳らへんが少しだけ痛い」


「た、確かめるって?直接見ろっていうことなのか?」


「うん」


 そう言ってからふいと視線を前に向ける、自分の目の前にはアリンの小さな耳があった。


(え!髪の毛を……かき分けて?ほ、本当にいいのか?)


 自分の親指と同じ大きさしかない、小さな耳へと手を伸ばす。


「………」


 人差し指だけでゆっくりと髪の毛を払おうとすると、少しだけ耳に触れてしまいアリンが身動いだ。


(……とくに何ともないようだけど……それにしても女の子の耳ってこんなに小さいんだな…まるで玩具に見えてしまう)


 それにアリンはどうして自分にこんな真似をさせたのか、ちららとアリンの横顔を盗み見ても長いまつ毛に伏せられたその瞳が何を思っているのか全く読めなかった。


「……怪我はしていないよ」


「ありがとう」


 昨夜に討伐したはずの感情が再び鎌首をもたげ、さらに距離が近くなったように感じられるアリンに悟られないよう必死に隠し続けた。



(柔らかかった)


 全身凶器だ。先に弁明しておくがあれは不可抗力と呼ばれるもので、滅多にない電車の遅延が発生してしまい、アリンと乗り合わせた車両が大幅に遅れてしまったのだ。そのせいで次の駅で待っていた大量の客が押し寄せてきて、自分の近くにいたアリンも必然的に押し寄せられて...


(柔らかかった、そして良い匂いがした)


「ほんとっサイアク!……ごめんね?私のこと庇ってもらったみたいで」


「いや、いいさ、あの満員なら仕方ないよ」


 中央部行政エリアの最寄駅に到着し、電車から降りた途端アリンが鬱憤を吐き出すように眉を顰め、周りの客からアリンを守っていた──と、いう事にしておこう!──自分にお礼を言ってくれた。


「にしても、何で私が出かけた時に限ってこんな目に会うのかな」


「出不精だった君が乗ってきたから電車も驚いてしまったんだろうね」


「何その皮肉、ちっとも面白くない」


 アリンの一言にいくらかダメージを負いながらも互いの目的地へと向かう。彼女が斡旋所で自分は中央部の駐屯基地である、街中に人型機のドックがあるのもおかしな話しだが取って付けたように基地が増設されてしまったためやむ無しというものだった。

 改札口を抜けた後、機嫌が戻ったアリンが自分に声をかけてきた。


「あんたのいる部隊は戦闘専門じゃないんだよね、普段は何をやってるの?」


「さっきみたいな木害に対応したりしているよ。戦闘は北部部隊が担当しているけど、僕達にだってスクランブルをかけられることはあるんだ」


 元第十二区は政府直轄治安維持部隊(と、いう名称に変更された)リバスターの本拠地があるところだ。区から部に呼び名が変わった後は「北部」と称されるようになり、続けて北部部隊と呼ばれるのが習わしになっていた。


「ノヴァグがまだ彷徨いているんだよね」


 アリンの言う通り、落星後にもフォレストリベラ内に侵入してくる敵、ノヴァグの残党が後を絶たないのだ。侵入経路は様々で、エレベーターシャフト内からであったりテンペスト・シリンダーの外壁であったり。人型機の機動力もあって今のところ大事には至っていないが、リバスター本部内で大規模な掃討作戦が立案されていると聞いていた。


「心配ないよ、そのために僕達がいるんだから」


「ふ〜ん……あんたって外に出ると格好良く見えるね」


「自宅にいる時はだらしないって?」


 いきなり褒めてくるのはほんと止めてほしい、アリンのさらなる爆弾発言で心臓がどうにかなってしまいそうだった。


「あんたよく私の下着姿見てるじゃん」


(あれを見るなという方が無理だ)


 あまり余計な事を言って怒らせるのも無粋かと思ったので、気になっていた事を口にした。


「君達は中層で嫌な思いをしたんじゃなかったのかい?いくら僕がマキナだからと言って少し無防備に過ぎるよ」


 駅から出て真っ直ぐ歩いた先に近代的な建物が並ぶ行政エリアがあった。その入り口に到着した時にアリンが立ち止まり、僕の目をまたじっと見つめていた。勝気に見える凛々しい眉と澄んだ瞳はこの子に合っているように思う、見つめられているだけで心臓の音が早くなったようだ。


「な、何かな…言い方が悪かった?」


「ううん別に。私もそうだし皆んなもそうだけど、確かに凄く嫌な思いをした。たまにあんたからもそういう視線を感じる時はあるけど、私達の事を尊重してくれているのが分かるから」


「…………」


「ま、これでも一応はあんたのこと信頼してんの。それじゃあね、私はあっちだから」


 去り際、少し照れ臭そうに「仕事頑張ってね」と言ってくれた言葉が魔法のように自分のやる気を底上げしてくれた。



.第三者登場



 アリンと別れてすぐ、総軍省の建物が並ぶエリアに差しかかると後ろから肩を殴られてしまった、それも割りかし本気。


「いやぁ〜見ましたよ見ましたよ〜ヴィザールさぁん、朝からあんないたいけな女の子と出勤してくるだなんてねぇ〜」


「痛いな、いきなり殴らないでくれ」


 振り返った先には長い髪を纏めて悪戯を思い付いた子供のように微笑んでいるユカリがいた。彼女も自分と同じリバスター部隊に勤務している事務員であった。


「この間は私からお食事に誘ったというのにあしらわれてしまいましたからね〜、今のパンチにはきっとその時の悲しみも上乗せされているんですよ」


「だから、何度も言っているけど僕をからかうのは止めてくれないか」


「ええ〜?何の事ですかね〜」


 建物と建物の間に設けられた並木通りを歩きながら職場へと向かう、自分の隣には少しだけ不機嫌そうにしているユカリが肩を並べていた。


「何かと僕にちょっかいをかけてくるだろう?あまり物を知らないからといってそういう軽はずみな行為は控えてほしい」


「結構本気で誘ったんですけどね」


「はいはい」


「あ!信じていませんね?!」


 並木通りを抜けると総軍省の建物が見えてきた、他の近代的な建物とは違って質実剛健に見える自分の職場は過去に軍が置かれていた名残だった。廃止されてしまった地位である前の総司令が、この場所から街の中心地である軍事基地へと移転していたのだ。また、当時の軍本部はここからさらに車を走らせた場所にあるらしく、いかに総司令が好き勝手に政府を動かしていたのか良く分かるというものだった。

 総軍省に到着すると、未だ拗ねたように唇を尖らせていたユカリから懇談を申し込まれた。


「定期懇談を今日中に行いたいのですが時間はありますか?」


 懇談というものは「マキナに関する法案」に則ったもので、所謂アフターケアに該当するものだ。自分が街に馴染めているか、何か困った事はないか、各種相談に乗ってくれる役目としてユカリが選ばれていた。そのせいもあって彼女とは何かと顔を合わせる機会が多かった。いつもならお昼時の食事と一緒に済ませていたのだが、今日は違った。


「仕事が終わってからお願いしてもいいかな?」


「…別に構いませんが、何かありましたか?」


「ううん…その、ナイーブな事だからまた会った時に話すよ。それじゃあ」


「あ、はい…それでは」


 そう言って、彼女とエントランスで別れた。



.木害における中央部部隊の支援活動



[本部より第三小隊リンゲス班へ、中央部第二区方面で木害が発生、落ち葉で民家が埋没していますので至急現地へ向かって下さい]


[こちらリンゲス、負傷者の有無を教えてくれ]


[今のところ報告は上がっていません、もし必要であれば西部部隊へ出動要請をかけて下さい、要請権を一時的にあなた方の班に譲渡します]


[何だ、後は俺達だけでやれってかリアナ。昨日もお前、有休取っていただろうに]


[取り消されたんですぅ!後はよろしくお願いしますぅ!]


 小さな笑いが起こり、二言程会話を交わしてから通信が切られた。リンゲスさんは僕の上官にあたる方だ、比べてしまうのは大変浅ましい行為であるのは重々理解しているつもりだが、どうしたってあの二人と見比べてみても凡庸な方であった。

 ユカリと別れて詰所に入ったと同時に要請が下された、向かう場所は中央部元第一区に隣接している元第二区であった。本来であれば、眼下には元第一区と元第二区を繋ぐ価橋と呼ばれる道路が見えるはずなのだが、その下方から生える大森林のせいで全く見えなかった。こうして上空から見るならば大森林を経由して陸続きになっている、そのため政府は早々に「区」という単位からより大雑把な「部」と変更したのだ。

 僚機であり同僚でもあるミカサが辟易とした様子で呟いた。


[うっへぇ…また木が伸びてないか?この間剪定したばかりだろ]


 どこを見て言っているのか...鬱蒼と茂っている森林群を見てもどれがどれだかまるで分からない。


[大した奴だな、お前。どれのことを言っているのかさっぱり分からん]


「前に同じく、僕達が剪定作業したのは一週間近くも前だろう?」


[オレには分かんの]


 お前はそんなんだから女心も分からないんだよと、何故か罵倒されながら要救助宅へと機体を飛ばした。



「ありがとー!」


 ものの見事に落ち葉によって埋没していた民家を人型機サイズの吸引機で吸い込み救出すると、屋上で待機していた小さな子供が自分達に手を振ってくれた。お返しにこちらも返礼するとさらに喜んだ様子でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


[ふぃー……にしても、たった一日でここまで埋まるもんなのか?凄いなユング・ドラシル]


 家主が最後に外を確認した時は何事もなかったそうなのだが、朝一番に起きた同居の方が外に出ようと扉を開けると落ち葉が雪崩れこんできたらしい。こういった大森林による準災害はあちこちで頻発しているが、皆口を揃えて「あの極寒の日と比べたら遥かにマシ」と笑い飛ばすのも常であった。

 ぱんぱんに膨れ上がった吸引袋を引っさげて基地へと帰投する、回収した落ち葉は指定の場所に収めて後は報告書を提出すれば自分達の仕事は終わりだ。


「このシステムのお陰で気温も酸素濃度も保たれているけど…ここまでする必要が本当にあったのか」


[ヴィーの仲間がやったんだろ、オレに聞くなよ]


 ヴィーは自分の愛称だ、女性みたいだから止めてほしいと女の子と見紛う可憐なミカサに進言したが、見事に断られたことがあった。


「いやそうだけど…とくに接点があった訳でもなかったし、それに第一僕は…」


[まーたその話しかよ、いい加減に切り替えたらどうなんだ?ん?ヴィーの事を馬鹿にしている奴らがいるか?]


「………」


[いないだろ、な?リンゲスのおっさん]


[俺はビーストに加担していたというヴィーよりも、口が悪いお前を上層部に告発したいよ]


[んだよそれぇ!誰のお陰であの席を用意したと思ってるんだよ!年下に女を用意させるような奴を元から上官だと仰ぐつもりはない!]


[クーデターと断定!これよりミカサ少尉を処分する!基地に帰ったら覚えていろ!]


(また始まった)


 仲が良いのか悪いのか、女好きで酒好きの二人が器用にドッグファイトを繰り広げながら基地へと向かっていった。



「お前もどう?今夜に一緒に飲みに行かない?」


 リンゲス班長の猛攻を交わしたミカサがそう僕に声をかけてきた。時間帯はもうお昼時だ、ドックからロッカールームへ向かう途中にミカサが僕に追いついてきたのだ。さっきも言ったがミカサは女の子に見える、そしてその事を自覚しているミカサはよく女性を引っかけては飲み歩いている節操のない男でもあった。


「遠慮しておくよ、今は興味がない」


「何だよその、は、って。はっはぁ〜ん……そうかそうか、同居している未成年に手を出しなヴィー」


「っ?!」


「あっれ〜図星?図星なの?誰?あの特殊第二部隊のメンツで誰に手を出したんだ?」


 ほーれほーれ言ってみろぉ〜とミカサが自分の脇腹辺りを突いてくる。


「そ、そんな事はしていない!手を出すはずがないだろう!第一自分はマキナだ!」


「あ、やっぱり〜」


「な、何がだ!」


「ヴィーって慌てると一人称が僕から自分に変わるんだぜ、気付いてなかった?」


「──っ」


 さらに調子付いたミカサが自分の体を叩いてきた、さすがに鬱陶しいかったのでミカサを突き飛ばそうと腕を伸ばすと「ひゃっ?!」

 

「え」


「………」


 可憐な悲鳴声を上げ、胸元を押さえつけながらミカサが後退りをしていた。


「え?今の声は、」


「な!何でもない!お、お前が急に触ってくるからだろう!」


「え、それにしたって……」


「わ、忘れろ!いいな!」


「中指を立てるな!下品だろう!」


 顔を赤くして挑発的なジェスチャーをしながらミカサが先を急いでいった。何だったというのか...そして、この一幕をばっちりと彼女に見られていたのは大変に迂闊であったと言わざるを得ない。



「………」


「いやだから、何度も言っているけどあれは男なんだ」


「じゃああの悲鳴は何?胸を押さえながら顔を真っ赤にしてたじゃん」


「それについては僕も知らないよ」


「へー、ふーん、そうですかー。あ、私がこれがいいなぁ、けどお金そんなに持ってきてないし困ったなぁー」


「分かった分かった、僕が買ってあげるから誤解を解いてくれる?」


「それは味次第」


「僕は一体どうすればいいんだ……」


 斡旋所で働く事務員と一緒に総軍省を見学して回っていたアリンにばっちりと見られていた、昼ご飯を食べに行こうと詰所を出てみれば不機嫌な顔を隠そうともせずに彼女が待ち構えており今に至る。政府内で働く人達に開かれたフードコートで、アリンと並んでメニューを眺めているところだ。


「君は席を取っておいてくれ、僕が料理を取ってくるよ」


「逃げたら皆んなにバラすから」


「そんな事しないよ、信用ならないなら付いてくればいい」


「じゃあそうする」


(えぇー…自分の信用の無さ)


 言葉が冷たかった割には自分に寄り添っているアリン、相変わらず何を考えているのか分からない。彼女に限らず女性全般に言える事ではあるが。


「それで、何か良い仕事は見つかったのかい?」


 初めて訪れたフードコートをしきりに見ていたアリンが意外にもすんなりと答えたくれた。


「斡旋してくれた仕事はどれもこれも政府のものばっかり、忙しそうだしプライベートの時間が無くなりそう。でも給料は良かった、ううむむ……って感じかなぁ」


「仕事量に比例しているからね、暇な所はその分稼ぎも少ないだろうから」


「そうなのよねぇ〜…それに今は民間も求人でごった返しているみたいだから引くて数多、さっきの人にも是非!って強く薦められちゃった」


 ぴったりと寄り添っているアリン、あまり話しが頭に入ってこない。今朝方に感じたあの全身の柔らかさが生々しく蘇ってきたせいだ。


「民間も調べているのかい?」


「端末一つで見られるからね、言っとくけどゲームばっかりしている訳じゃないからね!そこんとこ勘違いしないで!」


 びしっと決め顔でそう言い切った彼女が可愛らしいしかし体は大人のそれなのでやはり凶悪である。

 カウンターから運ばれてくる料理を待っていると、フードコートの入り口が途端に騒がしくなった。先に気付いたのはアリンのようで、小さく感嘆の声を漏らしていた。


「本当に綺麗だなぁ…」


 スイだ。政府直轄の治安部隊リバスターの副司令官とピューマ管理委員の委員長という二足の草鞋を履きこなす政府の要人だ。そしてあの美貌と人の良さという、二物ならず天から三物を授かった怪物でもあった。


「ミトンが心酔している相手だよね、前に何度か動画を見せられた事があったよ」


「そうそう」


 スイがフードコートに姿を現したから騒がしくなったのだ、この喧騒は有名人そのものだ。何人もの人が彼女に押しかけしきりに話しかけていた、彼女に随行していた人も迷惑そうにしているが話しかけられたスイは愛想も良く丁寧に受け答えをしていた。


「君は行かなくていいのかい?」


「いや別に…でも、ミントに自慢出来るかもしれないな…それはそれで面白い……ん?」


 アリンが何かに気付いて声を上げる、人垣の中からビッグ・クイーンを見つけたのと、あちらも自分達に気付いたのが同時だった。


「ヴィザールっ!元気にしているかぁ!」


「っ?!」

「っ!」


 アオラだ。自分を取り巻く環境を根底から作ってくれた恩人であり、フォレストリベラの大区長という肩書きを持つ傑物だ。大区長はフォレストリベラに名称が変更された同時期に制定された役職であり、カーボン・リベラの名残りを表現するため「区」の言葉が入っている、言うなれば首相に匹敵する地位であった。そんな方が堂々とこちらに歩み寄ってくるものだから注目の的になってしまった、隣にいるアリンも顔を強張らせている。


「アオラ…そう気安く声をかけてこないでくれ、周りの目もあるだろう?」


「知った事か!君がアリンか、落星の時は世話になったよ」


「い!いえ、わ、私はアヤメさんの指示に従っていただけですから…」


「そう謙虚に構える必要はない、君達の働きがあいつの助けになったんだ。公式な発表はされていないが私は君達も功労者の一人として認識しているよ」


 柔和な微笑みを湛えてアオラが賞賛の言葉を述べた、こういうあけすけのない発言もまた彼女の魅力の一つでもあった。「功労者」とは、スーパーノヴァの襲来から中層に産み落とされたカエル・レガトゥムに関わる一連の騒動を鎮めた人々に送られる言葉だ。生存が不確定である「アヤメ」「アマンナ」、それから死亡判定がなされた「ティアマト」「タイタニス」「ハデス」、さらに中層部にいる「ナツメ」「プエラ・コンキリオ」も含まれる。

 アオラにはっきりと断言されてしまったアリンが顔を染めて俯いた。何とも微笑ましく思っていると、どこか冷たく見えてしまう固い笑顔をしたスイが自分に話しかけてきた。


「ヴィザールさんはアオラとお知り合いなのですか?」


「え?お知り合いというか…お世話になった人ではあるけど…どうしてだい?」


「いいえ、呼び捨てが気になったものですから」


「そんな固いこと言うなよ、こいつは決めた奴以外に敬語は使わないんだよ、な?」


「あ。そういうつもりでは……なかったんですが……」


「いいっていいって、私も今さら改まれても嫌だからさ。そうだ!一緒に飯でも食うか?こいつに変な事されていないかみっちりと聞かないとな!」


 そうして、アオラとスイも混じって共に食事を取ることになった。そういう事か...スイが自分を睨んでいたのは嫉妬心から来るものだったのか。



「マギリのことはもう平気なのか?」


 場の空気なぞ何のその、自分に睨みを効かせているスイと何を話せばいいのかと口をつぐんでいたアリンも無視して彼女がそう聞いてきた。


「無事さ、もう吹っ切れたよ………いや、ようやくと言った方がいいのかな」


「だろうな、あの頃のお前はかなりキテたからなぁ……」


 マギリ。自分と同じ存在...か、どうかは断定出来ないがそれでも束の間肩を並べた仲間であった。あの日、軍事基地で声をかけたものの「親友が心配だから」と言って空へ飛び出して...そのまま帰ってこなかったのだ。いたく後悔した、そして自分自身も責めた、どうして止めなかったのかと、命を捨てる覚悟をしていたマギリを止めるべきだったと後悔したがどうにもならなかった。時間は怪我を癒す特効薬、ここ最近になってようやくまともに彼女の事を考えられるようになっていた。


「それを言うならアオラは、」


「何だ?」


 返す刀で聞いてやろうと口を開いたのがまずかった、隣に元第二部隊のアリンが座っているのを失念していた。しかし、あけすけな彼女は自分の聞きたい事が分かって口にしていた。


「あぁ、アヤメの事か?」


「………」


 生存が絶望視されているアヤメ、第二部隊の面々もひどく悲しんでいた。けれどアリンだけは違った、アヤメの名前を聞くといつも奇妙な顔付きになってしまうのだ。ちらりと盗み見たアリンの横顔は、悲しんでいるようで誇らしいようなおかしな表情をしていた。


「聞くところによると、私の妹はあの世に旅立ったらしいな。ほんと、馬鹿げているよ」


「けれどこうして未だに帰ってこないんだ、そう噂されるのも無理はない」


「そりゃそうさ、旅に出ているんだから。アリン、君も見ていただろう?あいつの顔」


「顔?」


「はい、見ていました」


 はっきりとそう断言したアリンに視線を向けると拗ねていた、どうして?何に怒っているのか分からない。


「それは…どういう顔なんだい?表情が何か関係しているのか?」


「アマンナの機体に乗る前に見せたあの怒った顔。あいつはな、早く旅に出たかったんだよ、それなのにゴタゴタを解決しなくちゃならない面倒事に腹を立てていたんだ、そんな奴がむざむざ命を捨てると思うか?私はそうは思わない。そのうちひょっこりと帰ってくるさ」



.審議会の設立



 午後からの勤務も終えて兵舎を後にする、何度かミカサには避けられてしまったが今日も無事に終えることができそうだ。


「お疲れ様ですヴィザールさん」


「………あぁ、ユカリか」


 総軍省エリアから並木通りに差しかかった時にそう声をかけられ、懇談の事をすっかり忘れていた罰として自分の奢りで外食することになってしまった。

 場所は駅近くにあるレストランだった、ここから二駅も進めば中央部の繁華街もあるためあまり客も入っていない、しっかりとした内装の割に少しだけ寂れた雰囲気があるお店であった。

 席に着くなり開口一番。


「ほんとヴィザールさんは気が許せない方ですね…まさかスイちゃんと話しをしているだなんて…」


「いやいや、どうやら僕は嫌われているみたいだよ」


「え?どうしてそうなるんですか、何かやったんですか?」


 自分の返事に興味津々といった体で身を寄せてきた、手元に置かれたメニュー表に視線を逃して答えたをはぐらかす。


「今はそんな事よりも僕の懇談だろ、君にも聞いてほしい話しがあるんだよ」


「……まぁいいでしょう、私の職場でもあのお二方と食事をしていた話題で持ちきりだったのですが……まずは注文を済ませしょうか」


 自宅に帰ればカリンが料理を用意してくれているので飲み物だけを注文し、老齢のウェイターがカウンターの奥に下がったのを見てからユカリに話しをした。

 一通り説明した後、自分が今の生活を続けている、あるいは続けるざるを得ない理由について納得してくれたようだった。


「つまり、共同生活をしている四人の進路が決まらないためになし崩し的に続けていた訳なんですね」


「あぁ、決して僕が自発的に続けているわけではない」


「今の環境は良くないですね、本人達の今後もそうなのですがあなたのプライベートまで奪われてしまっている訳ですから」


 ん?そうなるのかな。あまり意識した事はなかったけど...


「あなたは自宅で自由に過ごせていますか?気兼ねすることなくストレス緩和を目的としたリラクゼーションなど…まぁ、所謂趣味に該当するものですが、行えていますか?」


 その答えは決まっている。


「ノーだ」


 あんな...あんな霰もない姿を曝け出している皆んなの隣で寛ぐことなんて出来やしない。何なら安眠妨害さえ発生しているのだ、その件も彼女に伝えるとみるみると温度が下がっていくのが分かった。


「………まるで奴隷ですね、信じられない……そこまで気を遣われていないだなんて」


「ん?そうなるのかな、単に僕の事を男として見ていないからと思っていたんだけど」


 彼女の話した内容が胸に突き刺さった。


「それですよ。あなたは同居人であって家族ではありません、然るべき気遣いというものがあって成り立つ共同生活なのに、あの四人はあなたに対して家族のような甘えを持って生活を続けているんです」


「あぁ…なるほど」


「未成年だからこそ許される甘えかもしれませんが、未成年だからこそ教育しなければならない問題でもあります。良ければ私の方から彼女達に話しをしてみましょうか?」


「いやそれはちょっと、カリンにも内密にと、」


 慌てて固辞するが彼女はすっかりやる気になっているようだ。


「大丈夫です!私がアフターケアの一環として彼女達と接触するだけですから、それにこの問題はあなた一人で解決できるものではありません、ここは私に任せて下さい」


 カリンと交わした密約も外には漏らさないと約束し、それならばと彼女に甘えることにした。



.第一回ヴィザールの今後の住まいについて審議会



 今朝方の遅延は線路内にピューマが立ち入ったせいだとアナウンスから報告があり、管理委員を務めているスイから謝罪の放送があった。それらを耳に入れながら電車に揺られ、今日一日で起こった様々な事を頭の中で整理していた。


(今日もとくに進展なし……か)


 けれどミカサの言葉は有り難い、それだけ自分は受け入れられているという事でもあった。

 暮れなずむ空には真っ赤に燃える大樹の梢枝と日陰になって黒く塗り潰された二つの色があった。それらは角逐し互いの領土を奪い合っているように見え、背後にはかすみ色に染まった空も控えていた。幻想的かつ紛争を繰り広げているように感じられる景色を堪能しつつ自宅へと向かった。


(彼女がこの景色を見たなら…何と言うであろうか…)


 もうこの世にはいない彼女を偲びながら到着した自宅の扉を開け放つと、自分の心を反映したようにしんと静まり返っていた。


「た、ただいま〜……」


 おかしい、いつもなら華やいだ声と霰もない姿ではしゃいでいるはずなのに声の一つだって届きやしない。恐る恐る廊下を渡り、皆んなが毎日のように屯しているリビングに顔を出してみれば、


「誰もいない……」


 気配がまるで無いリビングがこうも寒々しいものなのかと初めて知った。そこでようやくどこかの部屋から扉の開く音が耳に届き、心底ほっとしてしまった。続けてこちらにまで歩く足音、その相手はアシュであった。


「ちょっと私達の部屋に来てくれないかな」


「え」


 え。そんな薄着の女の子の部屋に来いとな?ここはもう言うしかないと腹を括った。


「アシュ、その前に一ついいかな?」


「あ、うん、お帰り」


「た、ただいま」

 

 あれ、そのまま踵を返して行ってしまった...挨拶をしてほしかった訳ではないんだけど、ああも照れ臭そうに「お帰り」と言ってもらえたら「もうどうでもいいかな」と思ってしまった自分が情けない。彼女の跡を追って二人が共同で使っている部屋に入室すると、


(あぁ…ここは生き地獄を味わう楽園か何かなのかな…)


「…タタリ、お帰り」


「そこに座ってくんない?」


 ミトン...何故にそんな格好でベッドの上で胡座をかくんだい...オーバーサイズのパーカーがはだけて下着があとちょっとで見えそうになっていた。そしてアシュも今日も今日とて素足を曝け出しているラフな格好一番好きかもしれない。

 アシュに指定されたのは二人が使っているベッドの真ん中辺り、可愛らしいクッションが一つぽんと置かれていた、そこに腰を下ろせということらしいが断固拒否した。


「いや、さすがにそのクッションが可哀想だから僕は立ったままでいいよ」


「……分かった」


(えー何でそんなに泣きそうな顔になっているんだ、このクッションはアシュの物なのか?)


 何故?まぁいいと気を取り直して二人に話しを促した。


「それで、僕に何か話しでもあるのかい?」


 口火を切ったのはミトンだ、いつもの怠そうなその目付きは変わらないが声音は真剣であった。


「…アリンと一緒に出かけたんだよね、何処に行っていたのか教えてほしい」


「それは本人に聞いてみるのが一番良いと思うよ」


「教えてくれなかったの、端末にメッセージ入れても返信が無かったし」


「電話はどうだい?」


「…繋がらない、それにアリンはまだ帰ってきていないしカリンも外に出かけている。つまり、今この家には私達女の子二人といやらしい目線ばかり向けてくる狼しかいないということ。きゃー」


「っ?!!」


 馬鹿かコイツ!自分の体を守る仕草をした弾みでパーカーが捲れて下着が見えてしまった。


(白!そして青いリボン!)


「そ、そんな馬鹿な事をしていないで君達も進路について考えたらどうなんだい?」


「やっぱりそうか、アリンもヴィザールに付いて行ったんだね」


「…アリンめ、私達との協定を破るつもりでいるのか…抜けがけは良くない」


 まだ心臓...もう心臓でいいだろう、鼓動が激しくまともに思考出来そうにもないがミトンの言葉に引っかかりを覚えた。


「協定って?何の事かな」


「…ぎくり」


「ミトン、もういいでしょ。協定っていうのは大仰な言い方をしただけで、要はここをなるべく出ないでおこうって決めてたの」


「……何だいそれは…」


「…悪いとは思っていた、けれど皆んなの進路がまとまらないのも理由の一つだよ」


「………それはそうかもしれないけどね、だからと言って甘えるにも限度ってものがあると思うよ」


「………」

「………」


「あ、いや……言い方が悪かったよ…」


 二人揃ってしおらしく頭を下げたので思わずこちらが面食らってしまった、体付きは確かに大人のそれに近いかもしれないが、この子達はまだまだ大人に甘えていい年齢であったことを失念していた。


「…別に、それに関してはヴィザールの言う通りだと思う」


「でも、私達四人がこうして一緒に過ごせているのもヴィザールのお陰だから」


 アシュが髪の毛を耳にかけながら姿勢を変え、その短いパンツの隙間から下着がちらりと見えてしまった。


(白!紛うことなき白!)


 もう頭がどうにかなってしまいそうだ、彼女達は真面目に話しをしているというのに。何とか心臓を宥めて今後について話し合いをしないかと二人に持ちかけるとあっさりと了承を得られた。


「…いいよ」


「分かった」


「そ、それじゃあまた後で」


 安心と共に去来する後悔の念を抱きながら部屋を出ようとするとミトンがとんでもない事を口にしていた。


「…出て行く前に一つだけ教えて、私達の中で誰が一番好み?」


「………は?」


「…誰がタイプかと聞いてる」


「は?どうしてそんな事を聞くんだい」


「…気になる」


 えぇ...


「言える訳がないだろ、勘弁してくれないか」


 自分の言葉にミトンが目を見開いた、またしても言い方を間違えてしまったらしい。


「…その言い方は……いるということ!」


「ふーん……」


 まるで興味がなさそうにしているのはアシュだ、この子は恋愛についてはあまり関心がないように思われる。他の三人が色恋沙汰の話しで盛り上がっている時も我関せずとゲームに興じていた。その反応はさすがにないだろうとつい...本当につい、口から出てしまっていた。


「いやいや、君にそんな反応をされるのは心外だよ。僕がどれだけ苦労していると思っているんだ?ここに座らなかったのだって君の………………」


「…………」

「…………」


「い、いや………何でも、」


 ない、そう言い切る前に目の前の女子二人がこれでもかと騒ぎ始めた。


「嘘!嘘?!タタリのタイプってアシュだったの?!え!じゃあどうしてあんなにいやらしい目で私のことを見ていたのっ?!」

「え!え!え!わ、私?!私なの?!まさかの私なの?!え!えー!!」

「どこがいいのこんな奴!デリカシーのかけらもないのに!」

「失礼な事を言うな!この子がデリカシーのない事を言う時は周りを気遣う時なんだ!」

「────────」


 自分の庇った事に驚きを隠せない様子だ、赤く染まった頬に手を当てて自分のことをガン見している、そして何も言わなくなってしまった。それにしたってミトンのはしゃぎよう、普段はおっとりと喋るのに矢継ぎ早に言葉を放っていた。


「何その俺は分かってるぜ的な発言!ここに来ていきなり主人公みたいな事言わないでくれるっ?!私は?!私はどうなのっ?!」


「ど、どうとは?」


 たじたじだ、ミトンの勢いに押されてしまっていた。これ以上の失言は勘弁願いたかったがそうもいかないらしい。


「魅力的かどうかって聞いてんの!私達の傍にいる異性はタタリだけなんだから気になるでしょ?!」


「み、ミトンが一番大人っぽい……こ、これでいいかな…」


 自分の言葉を受けたミトンが、何故だか隣にいるアシュへ誇らしげな視線を投げかけていた。


「………何でこっち見るのさ、私なんかと張り合ってどうすんの?」


「…ふふん、アシュの方が幼児体型だということ」


「はいはい、どうせ私は魅力がない女ですよ」


 まだ頬を染めたまま、拗ねた様子でアシュが部屋から出ていってしまった。


(え、この状況で二人きりは勘弁してほしい)


 しかし悲しいかな、女心が分かっていなかった自分はミトンから死刑宣告と同等の言葉を言われてしまった。


「…タタリももういいよ、部屋から出ていってくれる?評価を聞けただけで満足だから」


「何だよそれ!ドキドキを返せ!」



「………」

「………」

「………」

「………」


「………」


 お澄まし顔の四人と一緒に食事を取っている。昨日まで騒がしかった食卓を彩っているのは華やかな声ではなく、息が詰まりそうになる沈黙だった。何故に?虫の知らせを感じ取りでもしたのか、皆んな互いの気配を窺うようにして黙々と箸を進めていた。


(ええい、ままよ)


 全員が一通り食事を終えた頃合いで自分から第一声を放った。


「少しいいかな、今後について皆んなと話し合いをしたいと思っているんだ」


「それはどんな話し合いなの?」


 合いの手を入れてくれたのは半日程行動を共にしたアリンだった。


「皆んなの進路についてだよ、意見を聞きたいと思っているんだ」


 さらに言葉を挟んできたミトン、どこか棘を含んでいるように思われた。


「…アリンには聞かなくてもいいんじゃない?タタリだけは知っているみたいだし」


「はぁ?何その言い方」


「…私も連絡したのに答えてくれなかったよね、何か理由でもあるの?」

 

「忘れていただけよ、変な深読みしないで」


(第一声でこれ?先が思いやられる)


 いきなりの丁々発止に面食らいながらも言葉を続けた。


「い、いいかな話しを続けても…ミトンの言う通りアリンは今日、厚生省の斡旋所に顔を出していたんだ」


 自分の発言に誰も驚かない。


「何か良い所は見つかったの?」


「ううん、別に決めるつもりで見ていた訳じゃないから。民間の求人にも目を通したいし」


(あれ…この二人はまだ話し合っていなかったのか…同じ部屋なのに?)


 カリンの質問に澱みなく答えているカリン、それでもどこか壁のようなものを感じるのは気のせいだろうか。カリンの進路については既に把握していたが、会話を広げるためにも同じ質問をした。が、


「ヴィザールはもう知っているんじゃないの?カリンの進路」


「………」

「………」


 アリンの横槍が場を凍らせてしまった。


「え?カリンの進路って確か……進学だったよね、ヴィザールにも話してたんだ」


「あ、う、うん、そうなの」


 アシュに睨みを効かせているカリン、どうやら自分は彼女に救われたようである。


(昨日の犯人はアリンで間違いないな…さっきの言葉といい冷たさといい…)


 「茶番は止めろ」と言外に脅されてしまったが、アシュの言葉に難を逃れることが出来た。そしてそのままアシュにも話しを振ると、アリンと同様に働くつもりでいると答えた。


「う〜ん…つっても私はアリンみたいに行動を起こしている訳じゃないから…一番だらしない的な?あははは!」


 乾いた笑い声がリビングに響く、誰も彼女に反応しようとしなかった。それもアシュは折り込み済みなのか、とくに気にした風でもなかったのが何とも痛々しかった。


(あぁ…もしかしてこれは自分が下手を打ってしまったのかな…)


 遅々として進まない話し合いに自信をなくしかけていた時、ミトンが早々に終止符を打ってきた。


「…これは私達の問題だからヴィザールに口を挟まれる謂れはない。知りたいって言うんならこういう集まった場じゃなくて個別に聞いた方がいい」


「分かった、そうするよ」


 彼女の為にも話し合いの続行を断念した。



.犯人からの呼び出し



「八十九ぅ……白いパンツぅ……九十一ぃ……」


 食後、習慣化してしまった自己流「煩悩退散式トレーニング」を自室で行なっていると端末にメッセージが入った。


「九十九ぅ……かもしかのような足ぃっ!」


 息せきを切りながらラグの上に置かれた端末に視線を向けてみやれば、その相手はアリンからであった。


アリン:部屋に来て


 味気ない、簡素な言葉でそう一言だけ。答えは勿論決まっていた。


ヴィザール:断る


(せっかく煩悩滅却したというのにまた悪行を積みに来いというのか、誰が行くか!)


 煩悩を声に出しながらとにかく体を動かす、これがまた自分でも驚く程効果があるのだ(一日限定)。今日のアシュとミトンの相部屋に入って、あの生き地獄の辛さを思い知った自分は断固拒否することにした。しかし、アリンからこうメッセージ返ってきて従う他になかった。


アリン:下着姿であんたの部屋に行くよ?嫌なら今すぐに来い!



「で、何の用かな」


 アリンとカリンの相部屋に入室した自分は安堵と落胆ともつかない溜息を吐いてしまった。部屋にいたアリンの服装が、今日出かけたままのきっちりとしたものだったからだ。カーディガンは脱いでおり、さすがに自宅だからか襟元のボタンも二つ、三つ程外されて健康的な肌が顔を覗かせているだけだった。それに物足りないと感じてしまう自分はやはり毒されているようだった(良い意味で)。


「さっきの話しだけど、誰の入れ知恵なの?」


「入れ知恵って……」


「あの子に頼まれたから?けどそんな話し昨日はしてなかったよね」


 盗み聞きしていた件を隠すつもりはないらしい、こうも開き直られるとこちらとしても糾弾する勢いを削がれてしまった。


「いや、元より僕も君達とは話しがしたかったんだよ、誰からの入れ知恵ということは決してない」


「ふ〜ん……まぁいいけど」


 アリンが使用しているデスク前に足を組んで座っている、その目にはまだまだ疑いの色が濃く出ていた。下手な事は言わない方がいいかもしれない、後日ユカリの方から話しが来るはずだ。変に気張られても話し合いが難航してしまいそうだった。

 こうして二人の部屋に入るのも今日が初めて、姉妹と言えど好みは全く違うようで分けられたスペースには対照的な家具類や小物が置かれていた。アリンの色は大人しめでモダンにまとめられているが、カリンは色鮮やかでファンシーな印象を受けた。


「ところでカリンは?出かけたのかい?」


「お風呂」


(……………)


「大丈夫、あの子長風呂だから一度入ったらなかなか出てこないし」


(どこを洗えばそんなに長くるのかなぁ…)


「立ってないで座ったら?」


「え、お尻のほくろいやいやっ何でもない」


「?」


 そういえば、カリンの眼福姿は滅却するのを忘れていた事を思い出し煩悩が口から出かかったが何とか堪えた。その場に腰を下ろして胡座をかくと、椅子に座っていたアリンも同様に床へ座り直した。


「で、あんたの進路は?」


「…………あぁ」


「まさか私達に気を取られて考えてなかったとか?皆んなもどうしたいのかって気にしてたよ」


「すまない、君の言う通りだ」


 自分の事を棚上げしていた、アリンに聞かれるまで気付かなかった。かといって、すぐには答えが出そうにないと告げると何故だか溜息を吐かれてしまった。


「どうしてだい、お互い様だろうに」


「あんた、ここで暮らし始めた時はよく言ってたじゃない「オーディンの行ないを受け入れてもらいたい」って」


「………」


「何か進展とかはあったの?」


 耳が痛い、しかし今は食事時でもないため逃げる口実も無かった。


「………ないよ、とくにない」


 最初の頃は躍起になっていた。自分が人々から認めてもらえたら、いずれ既に散ってこの世にいないあの二人について話しをすること出来ると、そして理解を示してほしいと願っていた。しかし、人の営みがどれほど大変であることかこの半年間で嫌という程思い知らされていた。ただ生きるだけでも戦いなんだ、日々の業務をこなすのもそうだし、毎日毎日変わり映えしない仕事と自宅の往復もそうだ、いくらこの景色があったとしてもやはり辛いものがあった。それもこれもただ生きていくだけ、そこからさらに他の人々はスキルアップや趣味に打ち込む時間を捻出して、それこそ命懸けで人生を謳歌している人達ばかりだった。いかに自分が幼稚であったことか、人の営みに混ざって痛感させられていたのだ。


「ま、その、私は難しいことは言えないけど……」


「君は?やはりディアボロスとオーディンを恨んでいるのかい?」


 様付けはとうに止めている。あの頃のあの気持ちを宝物とする為に、自分がこの命失われるまで守り抜くと決めたからだ。


「………どうしてそんな事をしたの?っていう気持ちはある、説明してほしい……のかな」


「……そうか。すまない、難しい事を聞いてしまったよ」


 そもそも。誰かに聞く話しではないのかもしれない、自分がこの街にどう関わっていくかにかかっているように思われた。


「いやまぁうん……私は応援してるからさ、頑張んなよ」


「………」


 緩んでしまった涙腺から涙が落ちないよう、天井へ視線を逃した。すぐ近くにいるアリンからくすくすと静かな笑い声が漏れている。こそばゆい、恥ずかしい。けれどアリンの言葉は深く、自分の胸の奥に届いていた。こうやって、身近に居て応援してくれる「お姉ちゃーん、お風呂上がったよー」


「っ?!」

「っ!!」


 感動の波もあっという間に引いてしまった。すぐさまアリンへ糾弾する。


「…どういう事なんだ!長風呂じゃなかったのか!」

「知らないわよ私だって!何だってこんな時に!」


 カリンはもうすぐ目の前!扉の前にはっ!


(全裸カリン?!)


 外からドアノブに手をかける音がした!待ったなし!


「か、カリン!悪いんだけど飲み物取ってきてくれないかな?!」


「えーやだよ、早く服を着ないと風邪ひいちゃう」


 アリンに手招きされるまま従い、ついでがばりと何かを掛けられた。凄い良い匂いがします、ここは何処ですか?


「あ、あんた服ぐらい着なさいよ!誰かに見られたらどうするの!」


「え〜…別にいいじゃんか」


 少しくぐもった状態で二人の会話が耳に届く。どうやら自分は彼女にとっての聖域に違いないベッドの上に潜り込んだようだった。さらに近くにはアリンもいるようで、暗い視界の中に彼女のお腹と足が見えていた。


「もう寝るの?早くない?」


「私の事はいいから!服着替えたら食べ物取ってきて!」


「……ん?さっきは飲み物って言ってなかった?」


 衣擦れの音、それから何かを穿く音、その全てが生々しく、また自分に触れているアリンの体が───────


「このど変態が、さっさとベッドから下りろ!」


「……え?……え?」


 布団を捲られ瞬時に明るくなった視界には、恥ずかしそうに眉を顰めているアリンの顔があった。


「どさくさに紛れて私の足にしがみついていたでしょ」


 のぼせた頭、周囲を確認する余裕もなく、そしていつの間にか居なくなっていたカリン。だがしかし、アリンに言われた文句に対しては自信たっぷりに言い返しこの場はお開きとなった。


「当たり前だろ!君のような可愛い女の子が目の前にいるんだぞ!男を舐めるな!」



.五日前



「大丈夫か?」


「……あぁ、どうという事はない」


 太陽が昇り始めた頃合いにそろりと自宅を出て、夜間警備に従事していた人が未だ残っていた職場に来て仮眠を取っていた。何故かって?眠れなかったからだ。体の芯が重たく、そして怠い、そんな自分は定時通りに出勤してきたミカサに頬を突かれながら目を覚ました。


「珍しいな〜、くそ真面目なお前がオール明けでそのまま職場に来るなんて」


「……別に遊んでいた訳ではない、昨日は色々とあったんだ」


「何かあったのか?」


 普段はおちゃらけて女の話しばかりしているミカサにそう問われ、思わず口が開きかけていた。ふざけている様子もなく目はいたって真剣だった。


「……いや、どうという事はない」


「それはさっきも聞いたぞ、黙ってないで白状しろ。悩みにしたって持てる荷物の重さは決まっているんだぞ?」


「…………」


 詰所の空調設備が出すファンの音と、少しだけ鼻息が荒いミカサの音、薄ぼんやりとしてろくな思考も出来ないままするりと口から出していた。決してこいつに絆された訳ではない、身を案じてくれている相手に対して誠実でいたかっただけだ。


「実は昨日………」


 喋り終えたと同時に、


「惚気かよ!あー心配して損したこの鈍感系主人公が!時代遅れなんだよ!」


「ちょ、ちょっと待て、何故僕が罵倒されなければいけないんだ」


「お前に気があるからベッドに乗せたんだろ?そんな事も分からないのか?」


「いやいや…いやいや…彼女が本当に好きなのはアヤメだよ、間違いない」


「けど傍にいないんだろ?だったらその次がお前ってコトだよ、そんなもんさっさと手を出せばいいのに、向こうも待ってるぞ」


「いやいや…いやいや」


 手を出せとか...確かにここ最近のアリンはぐっと距離を縮めてきているように思われる、けれどそれは他意があっての事で自分に好意を寄せているわけではないだろう。一昨日のカリンとの密談からアリンの様子が変わったのだ、それを機にして今の状態があるのならそれは...入室してきた影に自分もミカサも気付かず、話しかけられて驚いてしまった。


「そうですよ、同居している少女に手を出すだなんて御法度以外の何ものでもありません」


「うわぁっ」

「っ!」


「ヴィザールさん、今日も懇談よろしいですね?盗み聞きを働くつもりはありませんでしたが耳に入ってしまいました」


「…う〜おっかねぇ〜」


 眉間に縦皺を寄せているユカリからミカサが離れた。


「そ、それは別に構わないけど……どうして君がここに?」


「忘れたんですか?今日はノヴァグ掃討作戦のブリーフィングがあるのでその準備に来たんです」



「日々の業務ご苦労である。中には有給休暇を取ろうとしていた者もいるかもしれないが、暫く我慢してくれ」


(あの通信員はこれのせいで取り消されたんだな……)


 重たい体を引き摺るようにして、総軍省が利用しているブリーフィングルームに来ていた。階段式に造られた部屋の中には他の部隊の人達も大勢集まっていた。区部隊から警官隊の精鋭部隊、そして自分達リバスター部隊だ。そうそうたる顔ぶれの前に立って説明しているのはカサン隊長だった、あの日と比べると格段に「すっきり」とした顔になっていた。そして、その隣に立っているのが...


(ナツメさん……それからプエラ・コンキリオ……)


 落星後にこうして顔を見るのは今日が初めてである、報告にもあったように茶色だった瞳は白色に変化しておりここからでもその変貌は一目瞭然だ、隣に立つグラナトゥム・マキナには何ら変化は見られなかった。薄らと微笑みを湛えているだけで、初見ではあるが彼我の壁のようなものを感じた。

 壇上に立った隊長から説明が続けられる。


「今回の掃討作戦は陸空の混成部隊で行なう。主要打撃部隊は北部、それから西部の衛生班、東部と中央部は別命あるまで待機とする。異論は?」


 中央部、言うなれば自分が務めている部隊の中でもエリートに位置するパイロットが素早く挙手をしてカサン隊長に進言していた。が、「若気の至りは後から後悔するものだ」と皮肉混じりに却下され、自分の方が戦えると息巻いていたエースパイロットが赤面しながら項垂れた。エレベーターシャフトから突入する陸戦部隊には区部隊と警官隊が選出され、互いに睨みを効かせながら話しが進んでいった。

 恙無く終わろうかという時に、自分の隣に座っていたミカサのポケットから間抜けな着信音が流れてきた。


「わ、わ、わわわ!」


「馬鹿!鳴らすな!」


 部屋内にいた殆ど全ての人に見られてしまい、関係がないはずの自分まで恥ずかしくなってしまった。ミカサの不用心を怒ったところで遅い、壇上に立つ隊長からも早速弄られてしまっていた。


「あたしの説明では退屈だったか?何なら今晩お前のベッドで添い寝でもしてやろうかミカサ少尉、君の噂は良く聞いているよ」


「〜〜〜っ!!」


 顔を真っ赤にしながら端末を操作して無音モードに切り替えている。


「す、すみませんでしたぁ!」


 素直に頭を下げたミカサを見て、あちこちで決して嫌味には聞こえない笑い声が上がっていた。一通り笑いが落ち着いてから再びカサン隊長が話しを始める、隣に立ったままになっていた二人についてだった。


「知っての通り、落星の功労者であるこの二人、プエラ・コンキリオと……はて、お前の名前は何だったか?」


 明らかな冗談を口にしたカサン隊長にナツメさんが肩をどやした、ミカサの端末のせいでブリーフィングルームの空気がすっかり緩んでしまったようだ。


「ふざけてないで話しを進めて下さい」


「はいはい。この可愛くない私の元部下でもあるナツメとプエラが操縦していた機体については、戦場に出さない事が決定された」


「それは何故ですか?最も戦果を上げた機体なんですよね?」


 一番近くにいたパイロットが手も上げずに質問していた。


「危険だからさ。あの機体名は「バルバトス」、または「特別独立個体総解決機バルバトス」と呼ばれているものでな、全てのシステムに介入する事が出来る代物なんだ」


 その言葉を聞いた皆んながざわつき始めた。


「あたし達が普段使用している人型機に始まり、軍事施設の火器管理システムから政府のデータベース、それだけじゃない、金融機関の個人の口座から今し方着信音が鳴った端末のその全てに「バルバトス」は介入する事が出来るんだ。やろうと思えばたった一秒で大金持ちにもなれるしこの街を火の海に変える事だって出来る」


「………」


「二人からの申告でな、あの機体は封印させてもらう事にした。落星に匹敵する程の事態が発生しない限り持ち出すことは無いと思え」


「わ、分かりました…」


 質問者がそのあまりの内容に気圧されながら答え、ブリーフィングが終了となった。



 あわよくば、ナツメさんと話しが出来るかもしれないと期待していた自分は今、ユカリに手を引かれて連れ去られているところだった。


「ま、待ってくれ、まだ朝礼が終わっていないんだ」


「昨日は何をされたんですか?」


 ブリーフィングルームから伸びる廊下を渡り切った先、野外訓練所の一角に設けられた臨時駐機場に見たことがない人型機が二機、それらを背景にしてこちらを睨んでユカリがいた。


「何と…言う程でもないけど…」


「けれどあなたは睡眠障害を引き起こしていますよね、由々しき事態です。今日にでも彼女らにコンタクトを取ろうと思うのですが、よろしいですね?」


 有無言わせぬ圧力を感じ首を縦に振ると、強く握りしめられていた腕が離された。


(どうしてそこまで怒るんだろうか…)


 理由が分からない、何も世話人としての使命感だけではなそうに見えるが何を考えているのか検討もつかなかった。

 自分の視線の意味に気付いたのか、少しだけ視線を外してからユカリが胸の内を教えてくれた。


「…これでも一応、あなたの身を案じているのです。こんな事は言うべきことではないのかもしれませんが、あの子達よりもあなたの方が心配なのです」


「それは何故?」


 するりと口から出た質問にあっさりと答えた。


「マキナだからです。あなたには肉親と呼べる家族がいない、だからこそ余計に目が離せないのかもしれません」


 ...何と真っ直ぐな思い遣りであろうか。自分が受け取っていいものなのか。


「……ありがとう、自分なんかの為に」


 いいえ、そう薄く微笑んでから離れていった。



.ファーストコンタクト



 その後遅めの朝礼を終えてから業務に入り、薄雲が広がる空の下を飛び回って午前も終えて、疲れた体を少しでも回復させようとフードコートに向かう途中で一通のメッセージが入った。


アリン:ユカリって誰?あんたと同じ職場の人間だって言ってるんだけど


 続けて、


カリン:今日、ユカリと名乗る人が自宅を訪れました。ヴィザールのお知り合いなんですか?


(呼び捨て可愛い……)


 さらに、


ミトン:就業後即帰宅、寄り道不可。


 怖いなこのメッセージ、あまり見ないようにしながらメニューを睨んでいるとコールが入った。そのお相手はあのアシュからだった。


[ヴィザール?何かさ、皆んながピリピリしてるんだけど…]


「えぇと、その…皆んなからメッセージはもらっているけど…」


[早く帰ってこれない?誰かに怒られるのは慣れてるけど、今みたいな雰囲気はいつになっても慣れないからさ…]


(Oh…あのアシュがこうも弱音を吐くだなんて…)


 けれど彼女の願いを叶える訳にもいかず、それなら自分にお使いを頼まれたという事にして外出を促してみると、あっさりと頷き外へ出かけるようだった。それ程までに剣呑な雰囲気な包まれているのかと自分は自分でユカリを捕まえるべく視線を右往左往とさせた。


[じゃ、そういう事で口裏合わせてくれる?]


「分かった、せっかくだから楽しんできてくれ」


 最初の頃と比べて幾分機嫌が良くなったアシュと会話を終わり、端末を切ったと同時に見つけた彼女の元へと足早く急いだ。自分の知らない同僚と肩を並べて歩いていたユカリを捕まえて、


「すまない、彼女に用事があるんだ、少しだけいいかな?」


 知らない同僚は驚いたように自分の顔とユカリの顔を見比べ、ユカリはユカリで何故だか、それはそれは嬉しそうに微笑んでいた。



 一日の勤務を終えて職場を後にしたが、最寄り駅に向かう足取りは重たかった。疲れているのもあるにはあるが、自宅に帰りたくなかったのだ。


(一体何が…)


 捕まえたユカリから聞いた話しでは、自宅にいた四人は終始穏やかに受け答えをしていたらしい。とくに何かを隠している様子もなく、ユカリにも進路を迷っている旨を伝えたというのだ。それなのに何故アシュは自宅から逃げ出したというのか...


「ん?」


 自宅に到着する前、マンション群が並ぶ一角にぽつんと置かれたコンビニエンスストアのフードコーナーに彼女の姿を見かけた。そのテーブルの上には空き容器が三つ、とくに何かをしている訳でもなく眉間に皺を寄せて端末を眺めているだけだった。時間を潰しているのが一目瞭然、余程帰りたくないらしい。いくばくかの後悔の念と一緒に窓ガラスを叩く、肩を跳ね上げて顔を上げたアシュが自分の存在に気付いた。そのまま彼女が店内から出て来てくれた。


「お帰り!いやぁ〜変なところ見られちゃったね!あははは!」


 その乾いた笑い声は暮れなずむ街にはあまり届かなかったようだ。


「そんなに帰りたくないのかい?それに無理して笑う必要はないよ」


「た、単刀直入に聞いてくるね…」


「そりゃあね、君にはぐらかされたくないからね。帰りたくなるまでその辺りをぶらつこうか?」


「………うん」


 小さく、弱々しく頷いた彼女が一番彼女らしく思えた。



「皆んな、ヴィザールのせいだって言ってたよ」


 当てもなく、付近の道を散策している間にも端末からメッセージを受信したと知らせが来る。相手はあの三人だ、途中から見るのも止めていた、どうせ早く帰ってこいとの催促だろうから。

 アシュは買ってあげたスナック菓子をぽりぽりしながらゆっくりと歩いている、肩の力が抜けたようにのんびりとしていた。


「僕は別に…」


「何も言ってないの?あれだけ放置していた政府の人がいきなりやって来たんだもん、ヴィザールが告げ口したって皆んな怒ってたよ」


「………」


 当たらずも遠からずといったところなので何も言い返せなかった。自分はそれよりも何故帰りたがらないのか、アシュの方が気になっていた。


「君は?皆んなと喧嘩したのかい?」


「………私さ、実家に住んでた時は良く喧嘩してる場面に出会してたんだよね」


 末っ子で、とにかく仲が悪かった両親の元で暮らしいていたそうだ。上には姉と兄がいて、けれど二人共アシュの面倒を見ようとはしなかったらしい。今の自宅はその空気感と良く似ているそうだ、ぴりぴりとして、誰もアシュを見ようとしない。実家にいた時も、喧嘩が収まるまで同じように外をぶらついて過ごしたようだった。


「そうか…」


「うん。慣れてると思ってたんだけどね、駄目だったよ」


 人にはそれぞれ悲しみや、傷のようなものを持っている、かく言う自分でもそうだ。亡くなったあの方を偲べば心が痛んでしまう、けれどアシュの場合は何とも言えない悲しさがあった。すぐに喧嘩を始めてしまう両親に、素っ気ない態度を取る姉と兄。アシュは、慣れてはいけない独りぼっちに無理して慣れようとしている。そして失敗ばかり繰り返しあげくの果てには、無理してお調子者を演じるようになっていた。


「………」


「ま、そんなに暗い顔しなくていいよ。これでも皆んなの事は好きだからさ」


 そう、気丈に笑う彼女を見ているだけで切なくなってくる。何とかしてあげられないかと、思わず伸ばしたこの手だったがアシュに避けられてしまった。まじまじと自分の手を見つめ、それから何をしようとしていたのか分かったアシュが申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「……ごめん」


「……いや、いいよ。僕の方こそすまない」


「いや、違うの、嫌とかじゃなくて、その…」


「いいさ」


 今度は自分がアシュと同じように振る舞った、気丈に見えたかどうかは分からない。

 すっかり暗くなってしまった街並みを横目に入れながら、帰りたくなったとどこか気恥ずかしそうに彼女が言って、心なしか距離が近くなって、肩を触れ合いながら皆んなが待つ家へと向かった。



「…………」


 帰るなりあのミトンが仁王立ちで待ち構えていたので少しだけ驚いた。いつものパーカーではなく今日は灰色一色のスウェット姿だ、捲られた袖からは細くて白い腕が見えている。


「アシュと話しをしていたんだよ、別にいいだろ?」


「………」


 ポケットの中に入っていた端末を手に取り自分に突き出してきた。


ミトン:進言済み寄り道不可。理由求む。


「いやいや、目の前にいるじゃないか」


 ふん、と小さく鼻を鳴らしてから端末を下ろし、リビングへと消えて行った。これではまるで、浮気を疑われている彼氏になったような気分だった。

 自室に寄る前に、カリン達の部屋へ赴き先にお風呂を入る許可を取り付けてから戻って荷物を置き、疲れた体には湯船が限ると半ば逃げるようにして脱衣所へと向かった。ここには私物を置かない鉄則のルールがある、こんな所で彼女達の下着を見ようものなら即座に変態になれる自信しかなかったからだ。

 衣服を洗濯機に放り込みスイッチを入れる、上がった頃には洗い立ての状態で出てくるとても便利である。薄く曇った浴室に入り今日の一番風呂を堪能させてもらう事にした。


「あ゛〜……」


 自分はあの人に生み出された存在、言わんやマキナである。マキナを構成している二つのコア、マテリアルとエモートは無機物と有機物に区別するのであれば前者のはずである。それなのにどうしてこう、温かい湯水が疲れに染み渡るように広がるのか。サーバーから断絶されてからこの方、このマテリアルは人の身に転じたように思われる。原因は分からない、もしかしたらあの方がこの事をも予期して予め設定してくれていたのかもしれなかった。余りある大恩、この一生を費やしても返すこと叶わない感謝の思いをどうすれば良いのか、是非ともあの方に聞いてみたかった。


「………?」


 脱衣所から物音がしたような気がした、それに何だか人の気配も感じる。束の間思いを馳せていた自分は現実に引き戻され、扉の向こうの気配を探っていると、


「ヴィザール?ちょっとだけいいかな」


「…っ?!……あ、アシュか、な、何かな?」


 扉越しにアシュが話しかけてきた、もう一つのルールである「使用中は誰人も入室禁止」を破ってまで。


「……その、さっきはごめんね、変に引いちゃったりしてさ、まさかあんな事されるとは思っていなかったから」

 

 あんな事とは、自分がアシュの手を握ろうとした事だ。


「い、いや、いいよ、僕の方こそ突飛に過ぎた。けれど、驚かせたかったわけじゃないんだ」


 こっちは全裸だ、体温が上がったせいかこの場の状況か判断出来ないが心臓の音がうるさかった。


「……うん」


 そう、小さく返事をして何か言おうかと悩んでいる間に彼女が脱衣所から出て行ったようだ。ついで、「あんた!こんな所で……」と、アリンに見つかり怒られていた。


(出るに出られないぞ〜…)


 それにしても、アリンも脱衣所の前で何をやっていたのだろうか、まさか自分を待ち伏せ?


(出たくないな〜…)


 今日の食卓で何を言われるやら...疲れが取れたのか心労が増えたのか良く分からないリフレッシュ時間を終えて早々に上がることにした。



.第二回ヴィザールの今後の住まいについて審議会



「何で私の所に真っ直ぐ来なかったわけ?」


 お風呂上がりの食卓にはアリンだけが座っていた、そして席に着くなりこの一言。


「その、真っ直ぐというのは?」


「真っ直ぐは真っ直ぐよ、リビングでずっと待ってたのに………あんたまさかメッセージ見てなかったの?」


 今日は朝早くから家を出ていたため彼女を見るのはこれが初めてだった。昨日と同じように白いブラウス姿、襟元は緩められて七分袖から見える細い手首にはフォーマルな腕時計がはめられていた。


「ああその、バッテリーが切れてしまってね」


「………」


「それで、今日も斡旋所に行ったのかい?」


 はぁ、とわざとらしく溜息を吐いてから自分の質問に答えてくれた。


「……まぁいいけど。そ、今日は民間の方に顔を出したの、昨日教えてもらった通り求人が山のようにあってね、とくに人型機関係の仕事が多かったよ」


 今やフォレストリベラは人型機バブルと言っても過言ではない。軍用から民間用まで幅広く製造されており、それに連なる仕事が雨後の筍のように生まれていた。けれど彼女はそういった仕事には興味が無かったようだ。


「そりゃまたどうして?僕はてっきり…」


「……てっきり?何よ」


 口を閉ざした自分にアリンが詰め寄った。


「何、最後まで言って」


「いや、何でもないよ」


「言って」


 一向に諦めようとしないアリンに根負けして言いかけたことを口にした。


「…….君はアヤメのことを追いかけたかったわけじゃないのかい?人型機の仕事に就いたらその足がかりが得られると思っていたけど…」


「パイロットにでもなれって?冗談、私はもう戦場に出るつもりはない……けどまぁ、」


 そこで言葉を区切り、あの奇妙な顔付きになって続きを話した。


「あんたの読みは当たってる……かな?忘れられないの、アヤメさんが私に縋ってきたことが」


「それは……」


「あんたに分かる?段々と好きになって、いつの間にか甘えるようになった相手から縋られる気持ちってやつが。ボロボロだったアヤメさんがこの街の惨状を聞いて子供のように私の腕を取ってきたの」


 痺れるような電気が流れた、と彼女は言う。


「元々私も進学するつもりだったんだけどね、あの人が帰ってきた時にうんと甘えられるような大人になりたいって思ったから、だから就職することにしたんだよ」


「なら君は、アヤメは生きていると思っているんだね」


「当たり前だよ、アオラさんの言う通りだと思う」


 彼女が歪んでいるとは思えない、しかし健全な理由だとも思えない。けれど、自分に言える事なんて一つも無かった。自分も同じだからだ、亡くなったあの方々を認めてもらう為にと今を奮闘している。未来を見据えながら心の中にあるのは過去への執着だった。

 

「その、僕から言えることはあまりないけど……幸せになってくれ、どんな方法でも構わないから」


「………ふ〜ん、私の事馬鹿にしないんだね」


「出来やしないよ、君の生き方は君だけのものなんだから」


 すると向かいの椅子に座っていたアリンがやおら立ち上がり、いつもならカリンが座っている椅子に腰を下ろした。隣に座ってきたアリンの唐突な行動に面食らっているとテーブルの上に乗せていた自分の手を取った。柔らかくて温かい小さな手が自分の手を握っている。


「な」


 奇妙な顔付きの面影を残したまま、薄らと彼女が微笑んでいる。


「どんな方法でもって……あんたも含まれているんだよね?」


「な」


「私達がここを出ないもう一つの理由……」


 言葉半ばでリビングの向こうから誰かの足音が聞こえてきた、アリンも口をつぐみ重ねていた手をすっと下ろした。


(な!何だったんだ…こっちは寝不足だぞ!)


 リビングに入って来たのはカリンだ、ついでミトンとアシュも現れた。自分の隣に座るアリンへ一瞥をくれてからそれぞれが席に着いた。


「…何かしてたの?」


「別に、民間の仕事について話しをしてただけだよ」


「………」

「………」


 カリンはアリンが座っていた椅子に腰を下ろしている、二人は何も言わずにただじっと見ているだけだ。

 アリンとの間に生まれた濃厚な空気を払うように自分から口火を切った。


「皆んなから聞いたけど、今日ユカリという人がこの家に来たんだよね?どんな話しだったんだい?」


 すると一転、あんなに物静かだった三人どころか隣に座っているアリンまでもが言葉のマシンガン放ってきた。目には見えないマズルフラッシュで目眩がしそうな程に。


「惚けるな!あんたが寄越したんでしょうが!その話しを聞こうと思ってたのに中々帰ってこないし!」

「ヴィザール!あの話しは内密にと言ったはずですよ!どうしてよりにもよって関係ない人に話しをしているんですか!」

「何がどんな話しだったんだいだよふざけるな!散々私らの進路を聞かれてさっさと出て行けと遠回しに言われ続けてたんだよ!」

「私らの問題は私らが解決するの!変な人を家に呼ぶな!」


 きんきんと耳に着弾している、皆がマガジンを装填している間、アリンがカリンの呼び方に気付いた。


「ちょっと待ってカリン、あんたいつからヴィザールのこと呼び捨てにしてたの?」


「一昨日」


「んだと〜…ヴィザール!どういう事なの!私とカリンを手篭めにしないと気が済まないの?!」


「もういいから、君達の文句は良く分かったよ」


「ちっとも良くない!だったら私はあんたのことヴィーって呼ぶから!」


 こっちはいいよなんて一言も言っていないのに、アリン以外の三人が早速その渾名を使い始めた。


「…ヴィー、喉が乾いた」

「ヴィー、ついでに食べ物も取ってきて」

「ヴィー、後でロフトに来て下さい、説教しないと気が済みません」


「ああもう!その渾名は嫌いなんだよ!止めてくれ!」


「「「「ヴィー!!」」」」



 カリンとの密談を皆んなに打ち明け、今は食事を取っているところだ。自分の渾名をヴィーに改める事で溜飲を下げてやると皆んなから言われてしまったので泣く泣く受け入れることにした。ユカリの件でこの食卓がギスギスしないか不安だったけど杞憂に終わったようだ、いつものように食事を取っている四人は見た目以上に強い信頼で結ばれているらしい。


「あんたもこそこそとしないで私達に言えば良かったのに」


 自分の隣に座ったままになっているアリンがそうカリンに声をかけた。


「言ったってまともに聞いてくれないじゃん……だからヴィーに相談したんだよ」


 良い橋渡しだと思い、切った口火の続きを始めることにした。


「それなんだけど、やっぱり君達は別々の進路に行く気なんだよね?」


「…うん、私は大学で勉強して父の跡を継ぎたい。民間からの採用もあるみたいだけど、やっぱり学歴は重要だし大学を出た方がトータル的にも早いから」


 そういう理由があったのか...単に働きたくないだけかと、


「…あと、もう少しだらだらしていたい」


「僕の感動を返してくれない?」


「…?」


「私も進学したい。医療について学びたいしきちんとした資格も取りたいから」


 カリンの話しでは、中層を攻略していた際に数多くの負傷者を見てきたそうだ。付け焼き刃の知識と技術だけでは負傷者の手当てに限界があったし、その時に今の進路を選ぶきっかけを得たようだった。


「お医者さんか〜…カリンめっちゃ人気出そう」


「そ、そうかな?」


「そういうあんたは?」


「え?…………う〜ん」


 話しを振られたアシュが咥え箸で頭を捻った、行儀が悪いとカリンに嗜められている。


「まさか何にもないの?」


「う〜ん……実は言うと実家に帰ろうかと思っててさ、誰もいない家なんだけどね」


 家族は皆、この世にはいない。けれど持ち家はそのままにしてあるそうで、必然的にその相続人としてアシュが選ばれていた。


「帰ってどうすんの?」


「とくにない、だから私も働こうかな〜って感じかな」


「…今、アシュの両親が揃って天を仰いでいるところ」


「何それ、私が適当だって言いたいんでしょ」


「…自覚があるなら何とかしろって両親も言ってる」


「何でやねん!あんたは降霊術でも持ってんのか!」


 アシュの家庭環境を聞いていた自分は自然とミトンに注意していた。


「ミトン、亡くなった人を冗談に使うのは止めた方がいい」


「…………ふん」


「ま、まあ、ミトンの言う通りだし。でもあれかな、出来ればまだ皆んなと一緒に過ごしたい」


 アシュの一言に皆が口をつぐんだ。今まさにそれをどうすべきかと悩んでいる問題だったからだ。


「その、それは皆んなのこれからの進路と同じくらい大切な事なのかな、言っちゃ悪いのは分かっているけどそれが皆んなの歩みを止めてしまっている原因でもあるよね……痛い!」


 誰かに脛を蹴飛ばされ、すぐに涙目で自分を睨んでいるカリンと目が合った。


「止めなさいカリン、ヴィーの言う通りなんだから」


「でも……」


 誰かが言わなくちゃいけない事だ、彼女達がまだまだ庇護下にある存在だとしても。


「君達の仲の良さは良く分かっているつもりだよ、けれどね近くにいることがその証明の限りではない事も知ってほしい」


「………」

「………」

「………」


 三人は神妙な面持ちで話しを聞いてくれていたけど、唯一反抗的な視線を向けていたのがミトンだった。


「…遠回しな言い方をしなくても、私達が迷惑だってはっきりと言ったら?そうすればすぐにでも出て行くよ」


「……こらミトン、そんな言い方しなくてもいいでしょ」


「…でも事実。ヴィーがいつまでもここにいる事を許してくれるから私達はここにいる」


「それはヴィーが……」


「…優しいからでしょ、ビーストに関わりがある人だから私達を見過ごせないって負い目があるからでしょ。それこそ私達を縛り付けている」


 何も言い返せない、ミトンの見立て通りだからだ。


「……何とか言ったらどうなの、ミトンの話しは本当なの?」


 隣に座るアリンからそう促された、ここは胸襟を開いて本音を伝えようと思った。自分だけ何も話していない、皆んなの胸の内を聞きながらそれは不誠実だと思えたからだ。


「……身だしなみさえ気を付けてくれたらそれでいい」


「「「「は?」」」」


 四人揃って異口同音にそう放った。


「いやだから、霰もない姿を見せびらかさないでほしいと言っているんだ、目のやり場に困っている僕の事を分かってほしい」


「……言うに事欠いてそれ?」


「言うに事欠いてとは何だ!大事なことだろ!あんな姿でうろうろされたらたまったものじゃないんだよ!」


「……え〜」


 アシュがドン引きしている。


「…つまり、ヴィーは私達の霰もない姿を見ながらハァハァしてたって事?」


「当たり前だ!」


 後で知った話しなのだがその「ハァハァ」とやらはどうやら隠語だったようで、それについて知らなかった自分は声高に言い切ってしまった。


「発散するのに毎日毎日百回はやらないと気が済まないんだよ!いい加減に僕のっ………待て待て待て待て!どうして椅子を持ち上げるだ皆んな下ろしてくれぇー!!!」


「取り押さえろー!そこの変態に情けをかけるなー!」

「おー!」

「変態!ヴィーの変態!」

「見損なったよ!この変態!」


 この後暫く、命賭けの鬼ごっこが始まってしまった。



.四日前



「あーはっはっはっ!腹が痛ぇ!お前バカなんじゃっごっほごっほ!」


「やってくれるなヴィー、お前みたいな大胆な奴は初めてだよ…………あーはっはっはっ!」


「うるさいな、静かにしてくれ」


 上官に対する口の利き方ではなかったが、あまりに遠慮なく笑う二人にそう言う他になかった。

 昨夜の騒動を経て皆んなの服装が変わったことは言うまでもない、カリンのように肌を露出せずきっちりとした物に変わっていた。それと自分に対する不審な目もそうだ、今朝の食卓では誰も口を利かず自分と話しをしてくれなかった。


(誤解だと何度も言ったのに!)


 人型機ハンガーの待機室で二人に話してやるとこの様、今だにお腹を抱えて笑っていた。


「はぁーあ…いやぁ笑った笑った、まさか女の子に向かって百回はしないと気が済まないだなんて……ぷっくくく……」


 まだ笑っている。


「いい加減真面目にやってくれないか!こうして待機室にいるけど一応仕事中なんだよ!」


 メインシャフト四階層にて陸空混成部隊が掃討作戦を行なっていた、そして自分達は緊急要員として待機している。リンゲス班の必要性は低いと言われているが、何せ戦場だ、何が起こるか分からない。出来ることなら万全の準備をしたかったけど...あとの二人はリラックスした状態でゆっくりとしていた。


「そう気張るなよヴィー、相手はちっこいノヴァグだけなんだ。気楽にしようや」


 目の縁に涙を湛えたリンゲスさんがそう諭し、その手にはゲーム画面を表示している端末が握られていた。


(全く……この人達ときたら……)


 自分達がいる待機室はハンガー内の二階部分にあった、今にも割れそうな古い窓ガラスがびりびりと震え出し人型機の着陸を知らせる警報音が響き渡った。


「うおっ」


「さっさと準備をして下さい!」


 ゲームに興じていた我らが上官が情けない声を上げて窓の外を見やった、先にミカサが外の様子を見ており外へ出て行こうとしていた自分を手で制してきた。


「いやいや、ただの補給みたいだぞ」


 ミカサとリンゲスさんの間から自分も外を見やると、通常の機体とは異なる大きさを誇る人型機が一機着陸していた。その周辺には複数の整備車が駆け寄っており、真新しい機体なのにあちこちに傷を付けた人型機の補修作業に入っていた。


「どこがちっこいノヴァグだけなんですか、見るからに激しい戦闘をしてきているではありませんか」


「ううむむ……お、パイロットが出てきたぞ」


 予想が外れて逃げの一手を打ったリンゲスさんに言われるまま自分も視線を寄越すと、人型機のコクピットから二人降りてきた。身長がそれぞれ違う、あの背丈は昨日見たものと同じだった。


「あれ、もしかして功労者の二人か?いやーすっげぇ美人と可憐な子だよなぁ」


「お前、伝手はないのか?」


「あるわけないだろ」


 地面に降り立ったと同時に二人がヘルメットを脱いだ、予想通りナツメさんとプエラ・コンキリオだった。整備員の案内に従って自分達が詰めている格納庫へと足を向けている。


「え!もしかしてこっちに来るのか!」


「え!どうすんだよ!そんな話し聞いてないぞ!」


 今さらのように慌て出す二人、心づもりをしていて良かったと自分が対応することにした。


「僕が出ますから二人は片付けでもしていて下さい」


 異論はないようで言われたままに片付けを始めている、待機室から出ると早速二人が格納庫内に入っているところだった。少しだけ伸びた...ように思われる髪を払いナツメさんが颯爽と歩いている。その後ろにはグラナトゥム・マキナであるプエラ・コンキリオも続いていた。

 待機室へ続く階段に足を乗せた時、ナツメさんが自分に気付いて声をかけてくれた。こうして話しをするのも半年ぶりであった。


「ヴィザールか!元気にしていたか?すまないがお前の所で少しだけ休憩させてもらうよ」


「………はい!」


 色々と話したい事があった、いっぺんに口から出かかってしまったため、結局一言だけ返事をするのが関の山になってしまった。

 階段を登り切ったナツメさん、薄らと汗をかいており前髪がおでこに引っ付いていた。


「掃討作戦は順調なんですか?」


「ああ問題ない。予定していた弾数を使い切ってしまってな、急遽こっちの基地で補給ささてもらうことにしたんだよ」


「そうですか、機体にも傷が付いているようなのでてっきり激戦なのかと…」


「悪かったわね、下手くそで」


 後からやって来たプエラ・コンキリオがそう言葉を放った。


「え?別にそういうつもりでは…」


「そう怒るな、試運転も兼ねているんだから」


 拗ねた顔をしているプエラ・コンキリオの頭にナツメさんがその手を乗せてわしわしとかいている。まるで子犬のような扱いを受けているが、本人はまんざらでもなさそうだった。


「待機室は何処だ?案内してくれるか」


「あ、は、はい!」


 白い髪に青い瞳。こうしてマキナの上官を間近で見るのは初めてということもありつい見入ってしまっていた。こんな可憐な容姿をしているマキナが、あの方の上官に位置する存在だとはあまり思えない。

 中にいる二人は大丈夫なんだろうなと少し冷や冷やしながら扉を開けると、見事にもぬけの殻になっていた。


「ん?ここはお前だけか?」


「いえ、そうではないのですが…」


 一体どうやって?リンゲスさんとミカサがいた気配は確かにある、しかし肝心の二人の姿が無かった。


「にしても、古臭い場所ねここ。なんか埃っぽいし、補給はどれくらいで終わるんだっけ?」


 歯に絹着せぬ言い方で可憐な上官がそうこき下ろした、言われるまでもなく確かにこの建物は古かった。


「数十分で済む、あまり悪口は言うな。ヴィザール、すまないが何か飲み物はないか?」


「あ!ちょっと待ってて下さい!」


 言われてから気付く自分も情けないと思いつつ、扉に向かって走り出そうとするとその扉が勢いよく開いたではないか、そしてそこにはいなくなったはずのミカサが和かな笑みを浮かべて立っていた。


「飲み物を持ってきました、良ければどうぞ!」


「ああ、ありがとう」


「ども」


 ふふんと、勝ち誇ったような笑みを一緒だけ自分に向けてきた。どうやらミカサはこのタイミングを見計らっていたらしい。並んで腰をかけている二人に飲み物を差し出してすっと自分の所まで引いてきた。


「君はパイロットよりウェイターの方が似合っているんじゃないのかい?」


「いやいや、そんな事はないよヴィザール」


「二人も立っていないで座ってくれるか?厚かましいのは重々承知しているが、そうも気張られると落ち着かないんだ」


「はい!」


(全くこの男)


 まるで犬だな、元気良く返事をしたミカサが二人の前にすとんと腰を下ろした。


「君はヴィザールの同僚か?どうだ、こいつは上手くやれているか?」


「はい!いつもお世話になっています、何だかんだとこいつが一番真面目なので良く面倒を見てもらっているんですよ」

 

「だろうな、確かにこいつは真面目な奴だよ」


「ナツメさんはヴィザールと付き合いが長いんですか?」


「いいや、ほんの少しだけ行動を共にしたことがあるくらいだ。ただ状況が状況だったから、思い入れはあるよ」


「へえ〜…だってさヴィー、あの四人も聞かせてやったらどうなんだ?」


「いやその話しは、」


 こいつ!自分の事を持ち上げてくれる良い奴だなんて感心した自分が馬鹿だった!余計な事まで喋ったせいでナツメさんが食い付いてきた。


「あの四人とは?」


「こいつ、元第二部隊の女の子達と一緒に暮らしているんですよ。何でも身寄りがない者同士まとめて一つの屋根の下で暮らすはめになったらしくて」


「第二部隊と言えば…アリン達か、元気にしているか?」


「え!まあ、はい!元気にしていますよ!」


「?」


「何でそんなに慌ててんの?」


 ナツメさんは小首を傾げ(その仕草可愛いな!)、可憐な上官には自分の慌ててように突っ込みを入れてきた。どう答えようかと悩んでしまい、ミカサに口を開かせてしまっていた。


「その四人がだらしない服装をしてるもんだからヴィーの奴が悶々としているみたいで、毎日毎日百回はしないと発散出来ないみたいなんですよ」


「ミカサ!」


「その百回というのは?お前は何をやっているだ?」


「う、腕立て伏せですよ!決して変な事をしている訳では!」


 そうなんだよ!自分はてっきり「ハァハァ」を運動している時の「ハァハァ」だと勘違いして百回と答えてしまったんだ!それをあの四人が勘違いをして(後で知った事なんだけどもね?確かに変態行為だけれども!)昨日は大惨事を招いてしまったんだ!

 ミカサはうけを狙って言ったみたいだが、二人の予想外の反応に多少面食らっている様子だった。笑いを取るに人の失敗を持ち出すのもどうかと思うが。


「お前も大変だな」


「え、あれ…い、いや、今の言葉だけで信じるんですか?本当に変な事をしているかも、とか…」


「しているのか?」


「するわけないでしょ!ミカサもいい加減にしろ!」


「いやいや!あんなに可愛い子と同棲しているのに?!絶対変な事してるだろ!」


 黙って話しを聞いていた可憐な上官が一言。


「そうね、あんたみたいなやらしい男はするんでしょうね」


「………え?お、オレのどこがやらしい、」


「あんたさっきからナツメや私のこと値踏みしてるでしょ、気付かないとでも思った?」


「……そ、そんな、」


「言っておくけど値踏みされてる方はそんなの気付いてるんだからね?可愛い顔してダッサい底が見え見え」


「………」


 ミカサが絶句している、堪らずナツメさんに視線を向けて助けを求めているが現実は非情であった。


「そうハッキリと言うな」


「────」


 フォロー無し。ナツメさんもミカサのやらしい目線には気付いていたようだった。


(怖……)


 涼しい顔をしている二人の顔が段々と冷徹に見え始めた頃、補給が終わったと知らせが届いたようだ。飲み物を渡してくれたミカサに一言だけ礼を言ってから二人が席を立った、自分も見送りのために跡についたがミカサは項垂れたまま動こうとしなかった。

 可憐な上官が先に待機室を出て、ナツメさんと並んで自分も外に出ると見送りをやんわりと断られてしまった。


「ここでいい。お前も頑張れよ、ヴィザール」


 そう朗らかに笑うナツメさん。この笑顔だけは失ってはならないと、女好きの同僚が身を持って教えてくれたような気がした。


「はい、ナツメさんもご無事で」


「ああ。また機会があれば話しでもしよう、これでもお前のことを心配していたんだ」


「……ありがとうございます。また、自分の話しを聞いて下さい」


「元気でな。それじゃあ」


 肩をぽん、と叩かれた。自分の立場を作ってくれたもう一人の恩人の向こうでは、腰に手を当てて待っている可憐な上官がいた。二人揃って階段を降りて、格納庫から出て行くまでの間ずっとその姿を眺めていた。



.セカンドコンタクト



 その後は何度か人型機が補給のために姿を現したが、昼時を過ぎたあたりで状況が終了したことを知らせるアナウンスがなされた。負傷者は若干いたものの、大きな被害も無く無事に終わったことを基地にいた皆が喜んでいた。

 ナツメさんとプエラ・コンキリオと会って、あわよくば...とやましい気持ちを持っていたミカサはすっかり意気消沈としてしまっている。功労者を前にして逃げ出したリンゲスさんが戻ってきたところで、待機室にユカリが現れこれ幸いとミカサをリンゲスさんに預けて後にしたところだった。格納庫を出て詰所の中にある休憩所で腰を下ろした途端、


「多数決はどうでしょうか?」


「多数決?」


 そうユカリが話しを始めた。


「聞くところによると、皆んなもヴィザールさんの事を気にかけているみたいですしこのままではいつまで経っても決まりません。なので、今後について多数決で決めてはどうかと考えています」


「具体的には?」


「まず、ヴィザールさんが一人暮らしをすることに賛成かどうか決めてはどうでしょうか。そうすれば、最低限あなたの生活環境だけでも改善すると思います」


「改善って……う〜ん……どこか乱暴なやり方にも思うけど……」


「何も多数決だけで全てを決めるわけではありませんよ。少数になってしまった側には否定権もありますので、あまりに気に入らない内容になってしまったら多数決の結果自体を否定することが出来ます」


「なるほど……しかし、それでは泥沼になってしまいそうな気もするけど……」


 そこでユカリにぱしんと肩を叩かれた、比べるのは失礼だけどナツメさんと違って乱暴な叩き方だった。


「しっかりして下さい!あなたが弱気になってどうするのですか!」


(そ、そういう話しだったか…?)


 向かいの席から隣の席に座り直し、ぐいぐいと距離を縮めてくるユカリ。薄らと頬が上気しており鼻息もどこか荒かった。


「私を頼ってくれたではありませんか!ヴィザールさんは安心して付いてきてくれるだけで大丈夫です!」


「そ、そう、わ、分かったから落ち着いて」


「こ、これは失礼しました」


「仕事熱心なのは尊敬するけど、あまり波風立てないようにお願いするよ。あの子達もだらだらとしてしまっている自覚はあるんだから」


「……………………………」


 え、何でそんなに冷めた目をしているんだ?


「な、何かな……」


「はあー、まぁいいですよ、朴念仁のヴィザールさんには分からないでしょうから」


「朴念仁?僕が?いやいや、君が一番好きなのはあのスイだろ?それぐらい分かっているよ」


 ファン倶楽部の創設者かつ会員番号一番の猛者である、その事を口にするとがばりと席を立って荷物を取りそのまま出て行こうとしてしまった。


「ちょ!ユカリ?!」


 何も言わずに休憩所から足早く出て行った彼女の跡を追いかけた、肩で風を切るようにして歩いてるので怒っているのだろう、しかしその理由が分からない。


「ユカリ!止まってくれ!何をそんなに怒っているんだ!」


 詰所から出て総軍省エリアから並木通りに差しかかった時にようやく追いついた、肩を並べて見やる彼女の顔は冷徹そのもの、先程の顔色から嘘のように変わっていた。


「いや、その、怒らせてしまったんなら謝るよ、だから教えてくれないか?」


「どうせ私は仕事真面目でスイちゃん推しの痛い女ですよ、それを指摘されたから恥ずかしいんです」


「痛い女だなんて言ってないだろ、機嫌を直してくれないか?」


 口は開いてくれたが歩みは変わらない。

並木通りも抜けて皆が利用しているフードコートも見えてきた。どうしたものかと頭を悩ませていると誰かに声をかけられた。


「ヴィー!」


 その呼び声でユカリも足を止め、フードコートの入り口を見やるとアリン、それから自宅ではお目にかかれないフォーマルな服装をしていたアシュが立っていた。



(いやぁ、怖いなぁもう、さっきまであんなに怒っていたのに)


「今日は二人で斡旋所?何か良い仕事は見つかった?」


「いやいや、私はただアリンに付き合わされているだけなのでとくに」


「良く言うわよ、給料がどれも高いってはしゃいでいたくせに」


 二人を見るなりユカリが声をかけ、四人で食事を取ることになってしまった。さっきまでの顔色も再び嘘のように変わり、今は和かに二人と会話をしていた。

 ユカリが怒っているのか機嫌が直ったのか計りかねていると、自分の呼び名について質問していた。


「二人は随分と仲良しなのね、ヴィザールさんのことヴィーって呼んでいるし」


 アリンとアシュ、両方に腕を叩かれた。


「何?」


 ユカリが何事かと聞いているが、


「いや、別に。ね?ヴィー」


「どう?私の服装、今日も百回出来そう?」


「いやいや、何を言っているのか、あははは…」


 とんでもない皮肉を言われてしまい、乾いた笑い声しか出せなかった。


「…仲良しなんですねヴィザールさん、何だか妬けてしまいます。あ、そうだ!私もこれからヴィーって呼んでもいいですか?」


(こっわ!)


 口元は笑っているが目は全く笑っていない、やはり内心はまだまだ怒っているらしかった。

 カウンターから料理を受け取り手近な席に腰を下ろして、束の間食事に勤しむ。無言で食す食べ物ほど味気ないものはないが致し方ない。無心で食べ終え居心地も据わらないまま食休めをしていると、アリンがユカリに仕事はどうかと質問していた。


「やっぱり仕事は大変ですか?」


「そりゃあね、遊びじゃないからやりたくない時もやらないといけないから大変よ」


「毎日毎日仕事って、楽しくなさそう」


「こら」


「でも、仕事の中に楽しさを見出していけたら少しは違うんじゃないのかな。私の友人に学生時代は遊んでばかりの子がいたけど、仕事も楽しいんだって分かってからすっかりワーカーホリックになってたよ」


「ふ〜ん……要は何を求めるかってことですか?」


「そうね、お金を求めるなら割り切って仕事に励めばいいし、楽しさを求めるならとことん仕事に向き合えばいいと思うよ」


「あんた、たまにはまともな事も言うのね」


「たまにしか言わないからね」


 一見、和やかに見える会話の風景もその実底がどうなっているのか分かりやしない。ナツメさんの件といい、ユカリの変わり身の早さといい、本音と建前を男以上に上手く使い分けるそのコミュニケーション能力には舌を巻かれる思いだった。


「私の方から二人に提案があるんだけどいい?」


 仕事談義を終えてユカリが二人にそう話しかけていた。


「何ですか?」


「ヴィザールさんの今後について多数決を取ったらどうかと思うの、このまま暮らしを続けるのかヴィザールさんだけでも別れて暮らすのか、何か一つ決まりを作ってからの方があなた達も話し合いを進めやすいんじゃないかと思って、どう?」


 アシュはうんとあーとか、答えをはぐらかし、


「!!」


 アリンは妹のカリンと同じように自分の脛を蹴り上げていた。



.第三回ヴィザールの今後の住まいについて審議会



「えーとじゃあ……開票するね」


「………」

「………」

「………」

「………」


 帰宅するなり早々、自分について投票が行われた。間に合わせで作った箱の中には四等分されたペーパーブックが入っている、そこには自分が一人暮らしをするか否かが書かれているはずだが...


「えーと…………え、これは何?」


 誰が書いたのか分からないため、ペーパーブックを開いて皆んなに見せるように持ち上げた。そこには、


『私達が決めることではない』


 と、書かれている。


「…書いてある通りだと思う」


 ミトンの言葉を無視して次を開いた。


『可。しかし、皆んなが暮らせたら尚のこと可』


「本音を書いたつもりなんだけど」


 アシュの言葉も無視して次々開いた。


『自分で考えろ』


『置いていくのだけは止めて下さい。一応可』


「置いていくって何だよ!一番心に来たよ!こういう言葉を書くんじゃないんだよ多数決っていうのは!」


 四票とも言葉が書かれているため無効扱いだ、これでは決められない!自分の指摘に真っ向から異論を唱えたのはアリンだった。


「というか!あんたも何を言われるがままになってんのよ!情けない!」


「ユカリがそうしろと言うんだから仕方ないだろ!」


「何ですかそれ!あんな人に頼むなんて信じられない!全っ然私達の話しを聞いてくれないんですよ?!」


「それは君が心を開いていないからだろう?!」


「何だと?!そんなわけないでしょ!頭ごなしに「子供なんだから」って意見を聞かないのはあっちだよ!だから多数決なんて適当なやり方に舵を切ったんだ!」


「僕はただ君達に進路を決めてほしいだけなんだよ!話し合いをしたって決まらないから彼女にもお願いしたんだ!多数決が適当なやり方とは思わない!」


「じゃあ一人暮らしでもすれば?!一応ここに「可」って二つも書いてあるんだからさぁ!私達のことなんてさっさと見切りをつけて出て行けばいいよ!」


「そんな言われ方をして出て行く奴があるか!これでも自分は君達を心配しているんだぞ?!」


 デッドヒートの丁々発止、四体一の構図で激しい口論が交わされた。


「もういい!この投票は無しという事にさせてもらう!」


「ふん!」


「いいかい?このままだと君達への補助金も打ち切りになってしまうかもしれないんだぞ?いい加減に駄々をこねるのは止めて先を見据えた行動を取ってもらいたい!」


「………」

「………」

「………」

「………」


 睨み付けてくるだけで何も言葉を返してこない。


「今回の投票結果はユカリにも伝えなければならないんだ、彼女が僕と君達を含めた世話人に指定されているからね。もう一度やり直し、」


 自分が話しをしている途中なのに、ミトンが遮るようにして断言してきた。


「それで構わない。ゆか…あの人にそう伝えて」


「…………」


 何故言い直した?まぁいい、他の三人からも異論はないようだからそうさせてもらおう。


「それじゃあ、そうさせてもらうよ」


「ヴィーは私達とユカリさん、どっちが大切なんですか?」


「………は?」


 何だその質問は、未だ怒ったままのカリンにそう言われてしまい、瞬時に答えられなかった。


「ユカリさんの言いなりになってまでここを出たいんですか?この五人で生活を続けていることがまるで悪いみたいじゃないですか」


「言いなりだなんて人聞きの悪い。そもそも君が僕に相談してきたんじゃないか、今後について決められないって、それを言ってしまったら根底が覆ってしまう」


「覆します、私はこのまま生活を続けたいです」


「あのねぇ……」


 どうしようもない、こうも意見が対立してしまったからには話し合いが続けられそうにもなかった。またしても審議会を早々に切り上げて自室へと引っ込んだ。ベッドに寝転がり染み一つない綺麗な天井を見上げながら、喧嘩別れに終わった審議会について考えてみる。


(皆んなはどうしたいんだ?勉強したいと言ったり仕事がしたいと言ったり、けれど皆んなと別れたくないって……)


 ユカリに入ってもらってもまるで進展なし、多数決を取ってもあの体たらく。にっちもさっちもいかないとはこの事である。


(かといって、このままずるずると今の生活を続けていてもあの子達の為にもならないし……はぁ)


 難しい問題だ。



.三日前



 皆んなの様子がどこか固い、挨拶はしたけどとくに会話もなく淡々と朝食が進んでいった。一時期は服装も酷いものだったけど、顔を合わせた皆んながきちんとしており目のやり場に困ることもなかった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃっい」


 そう、挨拶を返してくれたのはカリンだけだった。他の三人はこっちを見ようともしなかった。

 扉を開けて外に出ると強い風が吹き付けてきた、フォレストリベラを守るようにして屹立している大樹から数え切れない程の葉っぱが風に攫われ空を舞っていた。こういう風が強い日は何かと街中を飛び回ることが多い、一度閉めた扉を開けてカリン達に落ち葉が当たらないよう注意しようとすると、


「………」

「………」

「………」

「あ!」


「………」


 アリンは下を脱ぎ、ミトンも下を脱ぎ、アシュに至っては下着姿。皆んなリビングから出て部屋へ戻ろうとしているところらしい。


「は、早く早く!あっちに行って!」

「さすが百回魔神、私らの下着姿を見たいがためにセンサーを働かせるだなんて」

「忘れ物?」

「…私の下着姿は安くない」


「さっきの空気は一体何だったんだ!あの重苦しい空気が嘘みたいじゃないか!」


「はぁ?ちゃんとあんたの前ではきちっとしてたでしょうが。百回魔神がいない間に何をしようが私らの勝手でしょ」

「三人分見たから今日は三百回じゃない?」

「…アシュの下着姿に興奮すると思う?私で二百回」

「その自信はどこから来るの?いや確かにあんたが一番胸大きいけど」

「もう!ヴィーもいつまで見ているんですか!忘れ物なら私が取ってきますから早く出て!」


 落ち葉には気を付けるように!と注意をしてからもう一度扉を閉めた。


(くそ!油断をしたらすぐこれだ!もういい!何が何でも決着をつけてやる!)


 しかし眼福であることには変わりなし。



「あ、おはよう…」


「………」


「ヴィー?どうかしたの…?」


「あ、いや、おはよう…」


 興奮冷めやらぬまま到着した詰所で、儚げな少女にそう挨拶をされてしまった。どこか不安な様子を隠さずじっとこちらを見ているこの少女...はて、どこかで見覚えが...そこで後ろからがばりと肩を組まれぐいぐいと引き寄せられた。


「痛い痛い!何をするんですか!」


「おい!ヴィー!…あれはどういう事なんだ?ミカサの奴どうしたっていうだ?」


「は!そうだよ、あれミカサだ……」


「昨日何があったんだ?怖気付いて逃げ出したあの空間で何があったんだ?」


 こういう正直なところは好感が持てる。やはりこの上官、あの二人を前にして敵前逃亡をしたらしい。


「情けないことを堂々と言わないで下さい……実は……」


 ミカサには聞こえないよう、かくかくしかじかと伝えるとリンゲスさんが天を仰いだ。


「あ〜…何てこった…貴重な女のなる木がああも萎れてしまうなんて…俺はこれからどうやって呑みに行けばいいんだ…」


「自分で何とかしろ」


 付き合い切れないとタメ口で突っ込みを入れてから、大人しく座っているミカサの元へ駆け寄る。昨日のあの一言が余程堪えたらしいのか別人のようになっていた。


「あー…大丈夫か?」


「何が…?」


 いや何がじゃなくて...


「その、昨日のプエラ・コンキリオ、」


 そこまで口にするとミカサが劇的な反応を見せた、肩を震わせたかと思えば自分にひしっとしがみついてきた。


「お、オレ!変じゃないよな?!ダッサい目付きじゃないよな?!違うんだよ!決してそういう目で見ていたわけじゃないんだ!ただ仲良くなれるかなって思ってただけなのにさ!」


「わ、分かったから!分かってるから!ミカサはそこまで嫌な奴じゃないよ!な?!だから落ち着いて!」


 がっしりと自分の腕を掴んでいる手がとても痛かった、それが余計に怖いのなんの。


「いや、でもさ…はっきりと言われてああそうなんだって納得してる部分もあってさ、だから…もうあんな風に接するのは止めようって思って…」


 情緒が不安定にも程がある、勢いよく捲し立ててきたかと思えば電池が切れてしまったようにしゅんとしている、とてもじゃないが見ていられなかった。


「そ、そんなに気にする事もないんじゃないのかな…元々あの二人は好き合っているようだし…ね?ミカサが女性に人気があるのも確かなんだから」


「ヴィーは?」


「え?」


「ヴィーはオレのことどう思っているんだ?」


「え、そ、うん、か、可愛い同僚だと、思ってるよ」


「……そっかぁ、うん、それならいいよ」


(えー…何が?何がいいんだ…?)


 うっとりとした笑みをしているミカサ、とにかく頑張れとか気にするなとか月並みな言葉を投げかけてから、逃げるようにしてロッカールームへと向かった。



[こちらリンゲス、これはプライベート回線だヴィザール、ミカサの面倒を頼むぞ]


「嫌です、僕には荷が重すぎます」


[駄目だ、何としてでもミカサを復活させて女好きに戻すんだ、いいな?俺の婚期がどうしたって逃げてしまう]


「あんたの頭はそれしかないのか」


 敬語を使うのはもう止めよう。


[当たり前だ!いいか?この歳になるまで仕事一筋で頑張ってきたというのに未だ独り暮らし!心機一転してパイロットになったというのにこの体たらく!ちっともモテやしない!ミカサを………]とかなんとか、己の不遇を勤務中だというのに延々と口にしていた。

 リンゲス班に早速出動命令が下された、今日は一段と風が強い日なので落ち葉による被害が街のあちこちで発生していた。線路に溜まった落ち葉を回収したり、猛スピードで突っ込んできた枝付の葉が商業区のビルを叩き割ったり、次から次へと命令が下りてくるものだから自分達もまるで風に揺られる葉のように飛び回っていた。その間ミカサは自分に引っ付き離れようとしなかった、それを見ていたリンゲスさんがまた情けない事を言ってきたのだ。


「独り暮らしってそんなに寂しいものなか?」


[当たり前だ。そりゃ俺もお前らの年頃の時は気楽で良かったがな、歳を取ると自分の好きな事よりも帰りを待ってくれる女房が欲しくなるもんさ]


 自分の歳って、言っちゃ何だが自分は生まれてまだ一年と経っていない。人類皆先輩。


「そういうものなのか…」


[ああそうさ!だからお前も良い女を見つけたら絶対に手離すよ、俺みたいになっちゃいけねぇ、これでも昔は硬派な男でチヤホヤされていたんだがなぁ……調子に乗りすぎてまともに相手をしなかったのが悪かった]


「自業自得じゃないか、真面目に聞いて損した」


 割られたガラス片の回収と、負傷した人を搬送するために西部部隊の臨時発着場の整備を終えて帰投するところだ。空はどんよりとした雲が垂れ込み吹き荒ぶ風が人型機を襲ってきた、コクピットの中にいてもその強い風切り音が耳に届く程であった。

 商業エリアを通り過ぎ、住宅エリアに差しかかると最近になって新しく作られた公園が目に入ってきた。広い芝生にちょっとした遊具も置かれており、その端にはある銅像が立てられていた。コンソールに表示された名前には「マギール記念公園」とあり、繋げたままにしていた回線から一つ小さな溜息が聞こえてきた。


[マギール総司令代理……惜しい男を亡くしたもんだ……]


「そうなのか…生憎僕は面識がない。どういう人だったんだ?」


 記念公園をあっという間に過ぎ、行政エリアも視程に収まった時コクピットがそぼ降る雨で濡れ始めていた。


[傑物の中の傑物さ、命を投げ打つ間際まで俺達の事を想ってくれていた男だ。自分が死ぬっつう時に残したスピーチで奴は何と言ったと思う?]


「分からないな、何て言ったんだ?」


[自分だけ先逝くことを許してくれってな、そして最後にこの街で過ごせたことを誇りに思うって言ったんだ、逆立ちしたってそんな言葉は出てこない。俺なら延々と愚痴をこぼしていることだろうさ]


 お元気で、と。どこまでも想うその心に触れたリンゲスさんは涙したそうだった。


(マギール、僕も一度は会ってみたかった)


 あの時の状況がそれを許してくれなかったにせよ、リンゲスさんの話しを聞いてそう思った。



.シークレットコンタクト



 午前の勤務を終えて珍しく三人でフードコートへ向かう途中、珍しい人影を見つけた。


(あれは……ミトン?)


 そう、今日はミトンが行政エリアに顔を出していたのだ。ちょうどフードコートから出たところで、小さな植木が並ぶ向こう側に腰を下ろしていた。その手には端末が握られており誰かを待っているようにも見えた。


(あぁ…確か父親がここに勤めていたから、その知り合いだろうか……んんん?!)


 そんなミトンに駆け寄る女性が現れ思わず目を見開いた、ユカリだ。


「ヴィー?」


「あ、いや、何でもないよ」


 カウンターに運ばれてきた料理を取ろうとしなかった自分を不審に思ってか、少しだけ調子が戻っていたミカサに声をかけられた。


(どういう事だ?ミトンに限った話しじゃないが、ユカリの事を快く思っていないはずなのに)


 慌てて料理を取って再び視線を向けると、二人肩を並べて何処かへ向かったようだ。何故に?どうしてあの二人は会っているんだ?いや、別に会うだけならおかしなところはないんだが...昨日の様子と今の様子が合わずどこかちぐはぐのように思えて仕方なかった。


(いや、そういえば昨日……)


「ほらヴィー、そんな所で突っ立ってないでさっさと座るぞ」


「あ、あぁ、うん」


 リンゲスさんに言われるまま席へ促され、けれど自分の頭の中はあの二人の事でいっぱいだった。



 午後からも変わらず街中で発生した準災害に対応するため飛び回っていると、緊迫した様子の通信員から指示が入った。


[全中央部部隊へ、可能な限り中央部の博物館公園へ集まって下さい。直上に位置する大樹の幹が折れかかっているため到着次第剪定作業に取りかかって下さい。繰り返します…]


 中央部の博物館公園と言えば、街中に存在する公園で最も広い場所だった。通信員の指示を聞いたリンゲスさんが素早く反応し自分達へ指示を飛ばした。


[落ち葉の回収は後回しにするぞ、ミカサ、お前は連絡を取れ、ヴィザールは状況確認]


「了解!」

[ラジャ!]


 仮想投影されているコクピット内の方角指示マーカーの上にポインタが現れた、落ち葉の被害に遭っている区画から進路を切り替えポインタを真正面に捉えた。ついで現地に最も近い部隊に連絡を取ってみると、ビル二つ分はあろうかという大樹の幹が強風によって揺らいでいるそうだ。答えてくれたパイロットが焦りも隠さず唾を飛ばしてた。


[リンゲス班!早く来てくれよ!俺達三機じゃどうにもならん!]


「了解です!」


 フットペダルを押し込み市街地規定の速度を遥かに超えて機体を飛ばす、応援に向かう予定だった区画へ連絡を入れ終えたミカサが尤もな事を口にした。


[ユング・ドラシルってのは風まで守ってくれないのか?こんなんじゃいつ大惨事が起こるか分かったもんじゃないぞ]


[逆に言ってしまえば、今までこの街はそれだけ強い風に晒されていたって事でもあるな。あの大樹のお陰でそれが顕在化したってことだろう]


「だが、何かしらの手は打たないとミカサの言う通り大惨事が起こってしまう。空からビルが降ってくるだなんてとんでもない悪夢だぞ」


 それみろと、自分の同意を得たミカサが調子付いた。


[だったらお前さんは人型機を降りて研究者にでもなるんだな、内勤の方が女が多いぞ]


[ヤだね、オレは飛び回っている方が性に合ってんの]


「無駄口は叩くな、そろそろ博物館に到着するぞ」


[了解!]

[ラジャ!]


 リンゲスさん...何をあなたまで返事しているのですか。



 どんよりとしていた雲はその濃さを増し、多量の水分を含んでいるのが見て取れた。災害発生空域に到着するなりそぼ降る雨は大粒の雨へと変わり、激しくコクピットに叩きつけられていた。

 指示にあった通り、街中に存在する広い公園を覆うようにして立っている一本の大樹が風に揺られ、その一つの幹がさらに激しく揺られていた。先に到着していた部隊が三手に分かれて折れないよう支えてはいるが時間の問題のように思えた。不吉な破砕音と一軒家程の大きさはあろうかという木片が地上に降り注ぎ、至る所を破壊していた。


[リンゲス班!見ての通りだ!お前達も手伝ってくれ!]


 大樹の幹から生えた枝葉で先行部隊がどこにいるのか確認出来ない、それ程に大きな幹を相手にたった三機で格闘していたようだ。


「僕が指示を飛ばす!リンゲスさんとミカサは対になるよう配置!」


[了解!]

[ラジャー!]


 素早く散開し二機が幹へとすっ飛んでいった、ついで自分も折れかかっている根元に到着しさらに大きくなった破砕音を耳に入れながら具合を確かめる。


(今すぐにでも折れそうだ!)


 現状の六機だけでは支えることが困難だ、最大限努力をしても落下スピードを殺すのが限界である。通信員に一報を入れて直下にいる市民達の避難状況を確認すると未だ博物館内に残っているようだった。この土砂降りの雨である、無理らしからぬ事であるが早々に退避するように指示を出した。


「このままではもたない!六機で支えながら幹を下ろすことになる!被害が出る前に市民達を避難させてくれ!」


[分かりました!お気をつけて!]


 ここでさらなる風と雨が街に大量投入されてしまった、ごうごうと鳴る風の音はまるで大砲でありコクピットを穿つのは雨の弾丸だ。機体が激しく揺られ、そしてついに幹にもその脅威が直撃してしまった。


「まずい!折れるぞ!」


 雷鳴の如く破砕音が響き、大樹の幹が見事に割れてしまった。遮二無二になって幹を掴み引き上げようとするがまるで持ち上がらない、六機が束になっても支えることが出来ないようだ。


[エンジンが焼き切れてもいいから出力上げろー!]

[他の連中は何をやってんだ!]

[くそったれ!コントロールが出来ない!]

[ヴィー!おいヴィー!どうすんだよこれ!下にはまだ人がいるんだろ!]

「リンゲスさんの言う通り出力を限界まで上げろ!ここで星になるのも一興だ!」


 やってやろうじゃねぇか!と皆が声を揃えると、眼前に崖となって見えている幹がふわりと持ち上がった。しかしそう長くはもたない、コンソールは真っ赤に染まり航続可能時間が見る間に減っていく。両碗部の制御躯体にエラー、人型機エンジンも過回転によるオーバーヒート、本当にこのまま爆発するんじゃないかという時、眼下に未だ人々が残る博物館が見えてきた。逃げ惑う人々、公園の外へ駆け出したり到着した車に我先にと乗り込む人達、そしてその中に見知った女の子が一人。


「ミトンっ?!!」


 捉えた頭部カメラの拡大画像には、口をあんぐりと開けてこちらを見入っているミトンがいた。今日、フードコートで見かけたままの服装をしており雨に濡れるのも厭わずただ見つめていた。いや、見つめているわけではない、身動きが取れないのだろう。


(このままでは!)


 幹の先端を預かっていた先行部隊に唾を飛ばす。


「真下に民間人!身動きが取れない!このままだと押し潰してしまう!先端を振って回避してくれ!」


[馬鹿を言え!それだと博物館がオシャカだぞ!それでもいいのか?!]


「いいに決まっているだろ!建物より人命を優先しろっ!!」


[みてろよ最後の花火だ俺に合わせろカルシカっ!]

[人型機の弁償なんざ知るかぁー!]


 意味不明な掛け声と共に先行部隊が先端を動かした、自分が支えていた根元が大きく前にせり出しそれに振られて手が離れてしまった。


「くそっ!」


 思っていた以上に動いてしまった幹が全機の手から離れ、あと少しというところで自由落下を始めてしまった。コンソールから届く怒声に急降下によるストール警報、気が付いた時には地面が目の前に、腕を広げて庇うように覆った先には惚けたように立っているミトンがいた。



「平気かい?」


「…うん」


 どばっと疲れが出たようだ、切れた緊張の糸を飲み込むようにして。


(間一髪、とのはこの事だな……)


 大きく傾いだ人型機、左肩から碗部にかけて抉れるようにして潰れており、その上にはやはり崖と見紛う大きな幹があった。幸いミトンと自分に怪我はない、いや、ミトンは転けた拍子にいくらか擦り傷があるようだが大した怪我ではなかった。

 救急隊が到着するまで暫く時間がかかる、軽症者ということもあり後回しにされている感はあったがこの際は仕方がない。遅れて到着した残りの中央部部隊や応援に駆け付けた東部部隊の機体で空が大渋滞を起こしているからだ。


「…ヴィーは?怪我はないの?」


「平気さ。ま、さすがに疲れてしまったけどね…」


「…ごめん、ぼうっとしちゃって、足が動かなかった」


 人型機を押し潰すようにして幹があり、その幹から伸びる梢枝のお陰で雨に濡れずに済んでいた。だからといって濡れ鼠にさせるわけにもいかず、避難用バッグからブランケットを引っ張りミトンに被せていた。そのミトンは体育座りですっぽりと被り、鉄と木に当たる雨音をじっと聞き入っているように大人しくしていた。


「結果的に良かったよ、君がじっとしてくれていたから今があるんだ」


「…怖い言い方するね」


「あ、いや、すまない…とにかく無事で良かったよ」


 束の間静寂に包まれる、といってもそれは自分達の周囲だけで雨のカーテンの向こう側では博物館に大きく食い込んだ幹の撤去作業やら、駆け付けた救急隊員が慌ただしく走り回っている喧騒に支配されていた。そこでちょんちょんと、またあの時のように可愛いらしく手を小さく摘まれ引っ張られた。


「ん?」


「…座ったら、それともどこか行くの?」


 被ったブランケットの裾に彼女の目元が隠れている、たとえ目が見えなくとも不安そうにしているであろうその表情が良く分かった。その場ですとんと腰を下ろして胡座をかくと、ぴったりと彼女が自分に寄り添った。


「………」


「………」


 ざあざあと降る雨に水溜りを跳ね上げる他人の足音、冷たいはずの光景なのに寄り添ってくれた彼女のお陰で寒々しい思いをせずに済んだ。


「聞いてもいいかな」


「…うん」


「……あ、いや、止めておくよ、今聞くような話しでもないし…」


「…いいよ、言って」


「その…今日、ユカリと会っていたよね、たまたま見かけてね、気になっていたんだ」


「…気になるんだ」


「え、そりゃあまあ……ん?何を、」


 寄り添うように、肩が触れ合っていただけのミトンがさらに距離を近づけてきた。自分の腕を取り、さらに熱く感じるその体を押し付けるようにして。


「…ヴィーをこっちに取り込んでしまえばいい、だからユカリんとそう話しをしてる」


「何にを言って…そう、簡単に体を近付けていいもんじゃない。僕は百回魔神なんだろう?」


「…今ね、凄くドキドキしてる。怖かったからかもしれないし、ヴィーに運命を感じているからかもしれない」


 さらに腕を強く引き寄せてきた、その柔らかい胸が当たり自分から思考をどんどん奪っていく。極限状態にあった男女が恋に落ちやすいという話しは本当らしい。なけなしの理性でそれを突っぱねてみるが大した効果は無かった。


「……からかっているのかい?」


「…私にも分からない、けれど間違ってもいいかなって思ってる。だってヴィーは私の恩人だから、ね」


 ...このまま肩を抱き寄せて、甘い台詞を口にして、その唇を奪うのも造作もないと思わせる濃厚なこの空気感。すっかり当てられていた自分達に第三者が颯爽と現れた。


「はいはいはいはい、ラブラブイベントはまた後でしてねー」


「!」

「!」


「君も車に乗ってくれる?外傷はないようだけどとりあえず病院には行ってもらうから。あとヴィーはオレ達の手伝い、OK?」


 ミカサだ、全身ずぶ濡れになりながら自分達の元へと駆けて来たのだ。


「あ、あぁ、分かったよ」


「………」


 ...やはり彼女もパニックになっていた自覚はあったのか、ミカサに連れて行かれる間こちらを一度も見ようとはしなかった。



.勉学党結成、党首の進撃



「何でやねん」


 帰るなり自分が放った一言である。

あの後、博物館に食い込んでしまった大樹の幹の撤去作業は一時中断となり、周囲に散らばった馬鹿みたいに大きい木片の撤去作業に勤しんでいた。そしてひと段落して基地へ帰投し、リンゲス班とセモール班(先行部隊)の健闘を讃えられてようやく帰宅したところである。時間帯はもう間もなく日付けが変わろうかという時、扉を開けた先にまたしてもミトンが仁王立ちで待ち構えていた。


「え?入院したはずだろう?どうしてこんな所にいるんだ」


「…自分の家に帰ってきて何が悪い。私はこの通り傷一つ付いていない」


「いや、だからと言ってそのまま帰って来なくても……」


「…中層攻略の時と比べたらどうということはない」


 ...ああそうだった、彼女達はあの過酷な環境を生き抜いた猛者だった。確かに、あの時と比べたら大した事ではないのだろう。

 ミトンのその豪胆さに呆気に取られていると接近を許してしまった、あの熱くて柔らかい感触がまだ生々しく残っていたのでつい身構えてしまった。


「な、何かな…」


「………」


 何も言わずにじっと自分の目を見つめている、きらきらと輝く瞳は潤んでいるように見え思わずこちらも見入っているとさらに近付いてきた。鼻息が頬に当たったかと思えば、その、え


「え」


「…あの時のヴィーの行動に比べたら、私のキスなんて安いもの。これはお返し」


「………」


「……嫌だった?」


 ...頬に口付けをされてしまった、思っていた以上に柔らかくて、頬からその熱さが体全体に広がっていくようだった。何も言えずに固まっていた自分をミトンが首を傾げて見つめていた。


「……は、初めてだったよ、女の子に、その……」


 答えになっていない事は、口にしたそばから自覚していたがそう答えるしかなかった。


「…そう。ヴィーがして欲しいんならいくらでもしてあげる、それぐらいに感謝しているから、ね」


 妖艶。凶悪。自身がやった事に対する行為に何ら恥じることはなく、寧ろこちらの言うがままに振る舞うと囁かれてしまった。


「ひゃっ、百回魔神にそういう変な事は言うもんじゃない」


 自分の理性!何てこと言うんだ!どうせなら唇にもしておくれよぐらい言ったらどうなんだと頭の中が大変騒がしい。


「…ふふ、私でも動揺してくれるんだ。てっきりユカリんみたいな人がタイプかと思ってたけど」


 ん?何故そこでユカリんの名前が?だがしかし、頭の中と口から出た言葉が不一致を起こしミトンに向かって、


「君の方が可愛いよ、だから動揺したんだ」


 本能!いや煩悩!急に仕事をするな!どこから出てきたんだそんな歯の浮くような台詞!


「…お世辞って分かってても嬉しいもんだね」


「お世辞じゃないって分からせてあげようか?」


「何がお世辞だってぇええ?こらぁ!」


 鬼の形相で割って入ってきたアリンに首根っこを掴まれ、リビングへと引き摺られていったミトン。ほっと一息を吐いたがまだまだふわふわとしていた。


(あれだな、空気ってほんとに怖いんだな)


 甘くて濃厚な、とくに男女の間に生まれた空気は普段では言わないような事でも平気で口に出来るし、軽はずみな行動だって出来てしまう。

 これは反省しないといけないなと、どこか有頂天になってしまった自分は足を踏み入れた先でものの見事に地獄へと落とされてしまった。



「…勉強するか、仕事をするか、多い方にヴィーと一緒に住む権利が付与されるという事にしてはどうだろうか」


「………」

「………」

「………」

「………」


 深夜を回ったリビングで始められた審議会の冒頭、ミトンの暴投により一同が静まり返った。


「…少なかった方、つまりヴィーと別れた側には政府からの補助金を継続して支給される権利が付与される」


 どちからと言えば仕事派のアリンが待ったをかけた、当然の反論とも言えた。


「あんた馬鹿じゃないの?そういう話し合いじゃないよね?今すぐ病院に戻って頭を診てもらったら?」


 ニュースのトップを飾る災害に遭遇した当事者に向かってこの文句である。中層攻略の修羅場を潜り抜けてきた猛者だけのことはあった。


「う、うるさい!私は大丈夫!」


「う〜ん…ミトンの提案も確かに良いかなとは思うけど…….それ趣旨変わってなくない?ヴィーを取るかお金を取るかって話しになってるよね」


「そうだよミトン、誰の入れ知恵なの?まさかあのユカリって人?」


 カリンはユカリに対して強い抵抗があるようだった。


「…違う、あの人は関係ない。私になり考えた一つのやり方」


「う〜ん……でもそれってさ、結局皆んなが離ればなれになっちゃうんだよね」


 一番の問題はそこなのだ、進路をどうするかではなく皆んなと離れてしまうのか、という強い抵抗があるために答えを出せないでいたのだ。

 そこへミトンがさらなる暴投を放ち、この審議会がおかしな方向へと舵を切っていった。


「…ヴィーに選ばれないのがそんなに怖いの?」


「………」

「………」

「………」


「あの、いやちょっと…それはさすがにおかしいんじゃ……」


 この瞬間から、自分の発言に対する効力を失ってしまった。事実上の傀儡、いやただのマスコットか。

 熱戦の開始である。



.二日前



「お、おはよう…ヴィー…あ、朝ですよー…」


 深夜遅くに寝入った体に誰かが乗っている、その重みで目を覚ました。


「…………っ?!?!」


 夢現としていた頭にかかっていた霧が一瞬にして取り払われた、自分の腰辺りを跨ぐようにしてカリンが乗っていたからだ。


「な、え?……何を、やっているんだい」


「と、と特別サービス……」


 滅多にお目にかかれないカリンの柔らかそうかつ程よく肉が付いた太腿が露わになっている、いつものようなロングではなく膝丈のスカートを履いており自分の上に跨っているものだから見えてしまっているのだ。それにその重み、そのまま引き寄せて抱き締めたくなってしまう衝動に駆られて思わず手を伸ばすが、


「──っ!」


 ぎゅっと目を瞑り縮こまってしまった。


「あの、その、退いてくれると、助かるんだけど…」


「あぁ!す、すみません!」


 カリンが慌てて降りようとするものだからスカートの裾が大きくはだけて下着まで見えてしまい、内腿にもほくろがあることを発見してしまった。


「ちょ、待ってくれ!何も部屋まで出て行かなくても!」


 自分もすぐにベッドから降りて(内腿にほくろ!)扉の前で固まっていたカリン(内腿にほくろ!)を捕まえた。


「どうして急にこんな事をやったんだい?」


「………その、実は…」


 胸の前で手を当てて本当に恥ずかしそうにしているカリンからかくかくしかじかと教えてもらった。話しを聞いている間もいつも以上に開かれたボタンの奥からその慎ましい胸の谷間が見えていた、そしてそこだけを見ていた。


(百点満点だな、いやそういう事ではなく)


「昨日の続きをやっているって?それでカリンが僕なんかに色仕掛けで誘惑してきたってことなのかな」


「〜〜〜っ!!」


 堪らず顔を覆いその場にしゃがみ込んでしまった。


「あのね…君はそういう事が出来る女の子じゃないんだから、いや確かに可愛いかったけどね」


「………わ、忘れて下さい…忘れて下さい!私は出来ないって言ったんです!それなのにミトンが!ミトンがぁ〜〜〜!」


「君は奥ゆかしいままでいいよ、派手な事をしてくれなくてもただお帰りと言ってくれるだけなんで十分なんだから」


「……ヴィー」


「そりゃあね、」


 と、口を開き余計な事まで言ってしまった。


「たまには、セクシーなお尻のほくろも見たくなるけども」


「…………んんん?!何でそんな事知ってるんですか?!誰から聞いたんですか?!」


 がばりと跳ね起き自分に詰め寄ってきた、しまった、これは失態である。自分の胸をこれでもかとぽかぽか殴りながらさらに詰め寄ってくる。


「お姉ちゃんですか?!ミトンですか?!まさかアシュ?!」


「いや、違う……ま!ほらあれだよ当たらぬも八卦と言うじゃないか!」


「答えになってないですよどうしてお尻のほくろを知っているんですか!」


 まさか君の全裸姿を見たからだよとは言えず、逃げるようにしてリビングへと向かった。



「おはよう」


「おはよう、今日も斡旋所かい?」


「そ。また一緒に行ってくれるよね」


 有無言わせない圧力を感じ、思わず閉めたばかりの扉を開けて引き返そうとしたが家の中にはお冠になっているカリンがいる、やむを得ないと彼女と共に行くことにした。

 今日は昨日と打って変わって快晴である、雲一つない青空は薄く少しだけ肌寒いが爽やかに風が吹き付けてきた。隣を歩くアリンに今日は遅くなると伝えると、自然な──ように見える──笑顔でこう答えてくれた。


「そ。あんまり無理しないでね」


「いつもそうやって優しくしてくれると嬉しいんだけどね」


「うっさいな」


 肩をぱしんと叩かれた。


(まさかアリンも色仕掛けを…?けれどそんな風にも見えないな…)


 空を仰ぎ、今日は微動だにしない梢枝を眺めていると彼女に腕を取られた。


「……ん?」


 そしてそのまま自分の腕を絡めてまるで恋人のように寄り添ってくるではないか。


「寒い、いい?」


 自分の体で暖を取ろうということか...


「いや、まぁ…構わないけど…」


 遠慮なく押し付けられるその柔らかさ。アリンもカリンと同じ大きさだろうかと馬鹿ピンクな事を考えながら、二人何も言葉を交わさず駅へと向かった。

 災害が発生したのが昨日という事もあり、到着した駅のロビーはいつも以上にがらんとしているようだった。博物館を中心にあの区画にある会社やお店などは復旧が完了するまで休みであるとアリンに伝え、きっと社会人は昨日の悪天候に感謝しているに違いないと笑いながらホームへと降りていった。滑るように入り込んできた電車もあまり人が乗っておらず、初めて一緒に乗った時とはえらい違いであった。入り口から一番近い二人掛けの席に腰を下ろし、今日は静かに喋る車掌のアナウンスの後電車がゆっくりと発車した。


「ふわあ〜……」


「寝不足かい?」


 窓のサッシュに肘を置いて窓の外を見やりながら遠慮なく口を開けてあくびをしている、それにつられて自分もあくびをしてしまい彼女に頬をつんつんと突かれた。


「真似すんな」


「………」


 後ろへゆっくりと流れていく景色、住宅地を越えて、街を支える基盤の隙間を縫うように生えている大樹の枝葉も通り過ぎる。それらの景色を眠そうにぼんやりと見ている彼女、とてもリラックスしているようだ。


(これは……どう捉えたらいいんだ?本当に自分に心を開いて……いや、本当に好きでいてくれると解釈していいのか……?)


 カリンの話しが本当ならアリンも何かしらのアプローチをかけてくるものと思っていたが、今のアリンはそんな事はまるで頭に無いような素振りである。けれどさっきの恋人のような接し方といい、彼女の心意がまるで分からなかった。


(……ま、いいか)


 考えるだけ野暮だし、何より彼女に対して失礼に思えてきた。

 こうして朝から座れるのも久しぶりだった、定期的にレールの連結部に乗り上げる衝撃は揺りかごのよう、人もまばらな車内に隣に座る彼女、どうしたって眠くなってしまう。自分も彼女につられてうつらうつらとしていると、右肩にとんと頭が乗せられた。


「………」


 あどけない、無防備な寝顔を晒して体にもたれかかっているアリン。どうしてこう、女の子というものは柔らかいのだろうと忍び寄ってきた眠気も吹き飛び、右肩に全神経を集中させてしまった。


「………!」


 小さく呻くような声を出し、少しだけ薄着だった彼女が自分に体を寄せてきた。腕に絡めて自分の手も握り、ひしっと寄り添っている。


(わざと?どっちだ?どっちなんだ?!)


 わざとであれば注意も出来るが自然体な彼女を見ていると判断出来なかった。人がいなくて良かったと思いつつ戸惑いつつ、朝の爽やかな空気に包まれた電車に揺られ悶々としながら職場へと向かった。



.枝付きの英雄



「おいヴィー、今日はやたらとニヤニヤしてるな」


「うん?!いや、そんな事は、ないよ」


「そりゃそうさ、何と言っても俺達「枝付きの英雄」だからな!」


「はぁ〜ん……ヴィーでもそんなんで嬉しがるもんなんだな」


 そういう事ではないんだがまあそういう事にしておこう。

詰所で自分達三人、お迎えの車が到着するまで待機していた。今し方リンゲスさんが言ったように自分達の班、それからセモール班長率いるパイロット達は昨日の活躍を経て「枝付きの英雄」と呼ばれていた。何だ枝付きって思うが、あの崖と見紛う幹から市民達を守ったとしてそう称されていたのだ。怪我をした人はいたものの全員軽傷という奇跡的な結果に終わり、部隊内で自分達はそう持て囃されていたのだ。

 人型機が大破してしまったために自分達の移動は車だ、その車を詰所で待っていると外が騒がしくなってきた。


「お!早速ファンの子が差し入れでも持って来てくれたのか!」


「馬鹿だなおっさん、お迎えの車が来たんだよ」


 そこへ詰所にひょこっと顔を出して女の子が現れた、その手にはランチセットがあり本当に差し入れを持って来てくれたらしい。


「あ、いた。ヴィー!」


「!」

「!」

「!」


 三人揃って驚き入り口を見やる、良く見なくてもその女の子というのがアシュだった。


「何をやって、」


 驚く間にもアシュが自分の所に駆け寄り手にしていたランチセットをずずいと無理やり渡してきた、そしてどこか固い様子で早口に捲し立ててきた。


「私も今日斡旋所に顔を出しててさ!どうせならヴィーに手土産でも持って行ってあげようと思って!迷惑だった?」


「………」

「………」


 突き刺さる、二人の痛い視線が。


「いや、そんな事はないよ、ありが、」


「でも、何か恥ずかしいね!ご、ごめんね急に来てさ!じゃあああっ?!!」


 ろくに前も見ずに出て行こうとしていたので、入り口の扉に肩をぶつけて大きな声を上げている彼女。あとは脇目も振らずに走って行ったその姿が一番心に...こう、ぐっときました。


(無理してやっているのがバレバレなんだけど…その一生懸命さがまた…)


 帰りに何かお返しに買っていってあげよう、そう思えてしまう程に彼女は可愛らしいかった。


「………」


「………」


「……言いたい事は分かる」


 未だ睨みを効かせている二人。


「お前…あの幹でぺっしゃんこになれば良かったのに…」

「ほんと、ヴィーって節操ないよなぁ…」


 一名おかしな事を言っているが聞き流し、到着していた車に乗り込むためそそくさと逃げ出した。



 仕事中も端末が鳴りっぱなしだった、メッセージの相手は勿論あの四人である。自分に対する色仕掛け、とまではいかなくとも何かしらのアプローチに対して最初は「良いもんだな」ぐらいにしか思っていなかったのだが、こうもお構いなし続けられてしまうとさすがに嫌気が差してきた。やれこの服装はどうだの、やれ今度の休みは遊びに出かけようだの、挙げ句に今度これを買って欲しいだのと。


(まぁた…)


 最初の頃は真面目に返事を返していたが、いい加減面倒になってきたので乗り合わせた車に端末を放り投げてきた。

 彼女達の的外れなアプローチはまだまだ続く。


「………」


「あ、いたいた」

「お疲れヴィー」


 博物館周辺の撤去作業を一通り終わらせ戻ってくると、フードコートにアシュとアリンが現れた。自分はアシュから貰ったランチセットを食べているところだ。遠慮なく二人が両隣に座り...


「ね、あんたはスーツ姿と可愛い制服姿、どっちが好き?」

「それ美味しいでしょ、また買ってきてあげよっか?」

「疲れてんの?私らで肩を揉んであげよっか?」

「はい、あ〜ん」

「聞いたよ!ヴィーって枝付きの勇者って呼ばれてるんでしょ?凄いじゃん!」


「……………」


 同じ班であるリンゲスさんとミカサは早々に離脱している、自分の一帯だけやたらと黄色い声が上がり他を寄せ付けない鉄壁の空気感が出来上がっていた。


(困る!これは大変に困る!)


 自分の気なんて何のその、二人はまるで別人のようにはしゃいでアピール?を行なっていた。そして、


「じゃ、お昼からも頑張ってね」

「良かったら一緒に帰ろうね」


 はしゃぐだけはしゃいで颯爽と去っていった。


(まさか…こんな事がずっと続くのか…?)


 周囲の(とくに男性)視線がとかく痛い、朝はあんなにふわふわとしていた気持ちは急降下、先の見えない不安に頭を抱えていると彼女を見つけた。


「ユカリ!」


 フードコートから出て行こうとする彼女に声をかけた、女性からの(え?あれだけ女の子にちやほやされていたのに別の女性にまで声をかけるの?)痛い視線も追加されてしまったがとにかく今は助けが必要だった。


「何でしょうか?」


 ゆっくりと振り返ったユカリを人気があまり無い場所まで引っ張って事情を打ち明けた。


「何とかならないかな?いや確かに嬉しいのは嬉しいんだけどね…身が持たないよ」


「……分かりました、また私の方からそれとなく注意してみます」


 ...終始笑顔を絶やさなかったユカリの事が気になった、こちらの事情を喜んでいるように見えたからだ。そう訝しむのも失礼かと思い、去りゆくユカリの背中をただ見守っていたがさらなる泥沼戦争が待っていた。



.最後の審議会、再開



(そうだ、あの時にお願いしてからユカリもおかしくなっていったんだ)


 昨日は一日中皆んなに付き纏われてしまってろくに記憶がなかった、逃げ回っていたからだ。


「……その、結論を出す前に聞きたい事があるんだけどいいかな」

 

「手短に」


 ユカリにそう冷たく促されて口を開いた。


「一体何があったんだ?君達の行動はどこか変に思うよ」


「どこが?」


 真っ先に反論してきたのはアリンだ、彼女も最初の方は真面目に職を探していたようだけど最後の方は常にアピールをしていたように思う。


「この一週間の間に態度が劇的にとまではいかなくても変わってしまったし、昨日なんてほとんど僕にべったりだったじゃないか」


「それでその人に愚痴ってたの?最悪」


「違うよ、そうじゃない。君達の行き過ぎた行動を控えてもらうようにお願いをしただけなんだ」


「でも、この人だって私達に負けてらんないとか言ってたよ」


「え?」


 アシュの言葉にユカリが下を向いてしまった。


「どういう事なんだい?」


「………それは、その、言えません」


 言い訳どころか発言自体を拒否してしまった。

主にアピールをしていたのはアリンとミトンである、アシュとカリンはその二人にくっ付いていただけで最終局面は「仕事派」と「勉学派」に別れていたのが実情だった。そこにユカリも乱入し、昨日は散々職場内で付き纏われてしまったのだ。同じ班であるリンゲスさんとミカサには白い目で見られてしまい、「勇者、自重という言葉を覚えろ」と言われてしまったぐらいだった。このままでは駄目だと思い、今日職場に有給休暇の申請を出して話し合いの場を設けていた。


「駄目です、ユカリさん?ミトンと何やら相談していたみたいですね?」


 ユカリに対しては滅法厳しいカリンがそう問い質していたが、ミトンがそれを庇った。


「…ユカリんはただの相談役、やましい事は何もない」


「ミトン!そのユカリんって何?!何でミトンだけ仲が良いの?!」


「…はっ」


「いつだっけ、ヴィーから聞いたんだけどあんた、ユカリと会ってたんだってね?確かその日にあんたから多数決の話しが出たはずよね、白状しろ!」


「ミトン」


 自分も加勢しミトンを糾弾した、そこでようやく彼女が折れたようだった。


「…口利きの代わりに意見を飲んだんだよ、多数決に持っていけば早期集結が望めるって」


「口利きぃ?」

「何それ?」


「…大学卒業後に贔屓してやるって言われた」


「信じられない!」

「ユカリさん?!」

「わあー!わあー!」

「ユカリ?!今の話しは本当なのか?!」

「わあー!わあー!」


 両耳を塞いで机の下に潜り込んでしまった、一体それは何という逃避なのか...


「…ヴィーがどちらを選ぶかって話しにしてしまえば皆んな諦めると思ったんだよ、それなのにアリンのダークホース感といったら...敵ながら侮り難し」


「うっさいわ!」


「そういう事…」


 あの色仕掛け合戦はミトンも想定していなかったということだったのか。それでも気になる事は残っている、ユカリだ。机の下に隠れてしまった彼女を覗き込むと未だに頭を抱えていた。


「ユカリ、君はどうしてそこまでやったんだい?ミトンと陰でこそこそとやって、何が目的なんだ?」


「く、口が裂けても言えません!」


「あのねぇ…ここまで来たからには本音で話さないと先に進まないよ?君だってもう立派な当事者なんだから」


 ここに来てまたしてもミトンが彼女を庇い、その矛先が自分に向けられてはっとさせられてしまった。


「…それ言うならヴィーもだよ、まだヴィーから本音を聞いていない」


「誰が好きかって話し?言っておくけど、」


 やはり彼女が一番大人らしい、その瞳を見てそう強く感じた。




「…違う、ヴィーは私達と住むのが嫌だったの?だから早く仕事をしろとか勉強しろとか言ってたの?」




 小さな声で、私達を追い出したかったの?と、ミトンが付け足した。


(ああそうか、そうだよ、彼女達の事ばかり考えて自分の事は後回しにしてしまっていた…)


 皆んながどうしたいのか、何がやりたいのか、その事ばかりに頭を取られてしまい自分の気持ちを考えようともしなかった。元はと言えば自分が言い出した事なのに、それなのに進路が決まらないとぼやく彼女達にいくらか腹を立てて、いつの間にか本質を見誤っていた。


「…どうなの、嫌?」


「…違うよ、そうじゃないんだ」


 おかしかった審議会がようやく本来の形へ変わろうとしていた。


「すまなかった、そんなつもりで言ったんじゃないんだ、ただ君達の事が心配で…でも、僕は言うだけで何もしてこなかったのも事実だ」


「………」

「………」

「………」

「………」

「……いたっ」


 机の下に隠れていたユカリが席に戻ろうと、その途中で頭を打ってしまったようだ。他の四人は気にも留めず、自分のことを真っ直ぐに見ていた。


「本音を言うとね、君達との暮らしは半々なんだよ、大変だけど楽しいし、傍にいてほしいけど早く自立もしてほしい」


「どっち?」


 アリンの突っ込みに三人がくすりと笑う、それを見届けたユカリがそっとリビングから離れていった。


「ユカリ?」


「……あとは皆んなで話し合いをした方が良さそうですから。カリンちゃんの言う通り、どうやら私はただのお客さんのようです」


 あとは振り返ることなくリビングから出て行ってしまった。


「それで?ヴィーはどうしたいの?」


 少しだけ間を置いてから、再度アリンがそう問うてきた。後にして思えば、これは所謂「惚れたら負け」と呼ばれるものでこの発言をもって自分はさらに忙しい毎日を送るはめになってしまったのだが、それでも自分は誠心誠意こう答えた。


「君達と関わり続けたいと思う、それがどんな形であれ自分に出来る事があれば手伝いたいし、それに自分も君達と別れたくはない。今さら一人暮らしなんて寂しいからね、君達の傍にいたいよ」


「………」

「………」

「………」

「………」


 最初はばらばらだった皆んなの表情が、ミトンと同じように嬉しそうな、勝ち誇ったような笑みに変わったのを見て、これはやってしまったぞと早々に後悔してしまった。



.二重生活



 あの審議会から早くも三ヶ月近く経過していた。月日の流れはあっという間だ、確かその時期に博物館も大樹の幹によって壊されてしまったはずだが、その博物館もリニューアルを経て近々再オープンするとニュースになっていた。

 結果的に言えば、自分は今一人暮らしをしている。職場からより近い所に居を構えており、通勤の行き来も楽になる()()だった。あの四人はと言うと、二手に分かれて生活をしている。大学を志望していたミトンとカリン、それからもう既に社会人として働きに出ているアリンとアシュ、それぞれに別れていた。学生街として有名な元四区付近にミトン達、新興工業地帯の元二十二区付近にアリン達が住んでいるので行き来も大変だった。何せ位置関係が真逆だからである、最も遠い位置にそれぞれ住んでいるため仕事が終わってからの自由時間は殆ど移動だけで潰されてしまっていた。


「痛っ」


「あ!ごめんなさい!」


「いや、いいよ、気を付けてね」


 学生街へ向かう電車の中、お喋りに夢中になっていた学生らしき女の子に足を踏まれてしまった。この子だけではなく、自分が乗っている車両には沢山の学生が存在しており賑やかを通り越して騒々しい雰囲気に包まれていた。


(凄いエネルギーだ…仕事終わりの自分には信じられない)


 早く着かないものかと窓の外を見やっているとメッセージが入った、細かく振動している端末をポケットから取り出し画面を確認する。


ミトン:遅い、今何処?

カリン:早く帰って来て下さい、寄り道してませんよね?

ヴィザール:していない、今電車の中だから

アリン:百回魔神が電車の中でハァハァしてるところまで想像した

ヴィザール:していない

アシュ:明日はこっちに来てくれるよね?アリンが相手になってくれない

ヴィザール:自分が相手でいいのかい?ハァハァするかもしれないよ


 アシュが言っているのはゲームの相手だ、アリンと好みが合わないらしく良く自分がその相手をさせられていた。これは面白い皮肉が返せたぞ一人ほくそ笑むが、


アリン:変態

ミトン:つまらない

カリン:そういうのいらないです

アシュ:0点


 酷い評価に肩を落とした。

電車が到着し、ホームへ次から次へと乗客が出て行く。今日はミトン達の家、明日は自宅でゆっくりしようかと思っていたがアシュからオファーが来てしまったため行かなくてはならない。こんな生活をもう数ヶ月も続けているため、自分が新しく借りた家のことなんて殆ど覚えていない。四人と一緒に生活していたあの家の方をまだまだ覚えているぐらいだった。


(けどまぁ…これも贅沢だな…)


 あの頃の自分からしてみれば、身に過ぎた幸福と言えるかもしれない。何せあの子達から我が家に来いと毎日引っ張りだこなのだから。

おまけ


〜居酒屋にて〜


「ユカリ呑み過ぎだって、もうやめな」


「……へっ、どうせ私はただのモブですよ……お代わり!!」


「へ、へい!」


「へいじゃないよ!……ったくもう、それ最後にしなよ」


「…………ああー!どうして私のことを選んでくれなかったのー!!」


「何だっけ?あの子らの面倒を見るとみせかけて追い出したかったんだっけ?」


「そうよ!あんな可愛い女の子に囲まれてたんじゃ私の出番がないじゃない!」


「だからと言ってもさすがにそれはやり過ぎなんじゃない?」


「仕方ないじゃない!ヴィーさんすっごく人気者だしせっかく仕事でプライベートに接近出来るんだから利用しないとと思って!……それなのに、それなのに…皆んなから離れたくないなんてー!うわあー!!」


「ああ、そういう事ね、あんたの余計な横槍で皆んなの仲が深まったわけか。自業自得」


「うう〜…頼ってくれた時は嬉しかったのにぃ〜もっとどん底に落とせば甘えてくれると思ったのにぃ〜…」


「悪魔か」


「そんな悪魔からあなたに指示があります!(※びしっと指をつきさす)」


「何もう、お酒溢れちゃったじゃない」


「ミトンという秀才が将来あなたの下に加わるでしょう!これは命令です!」


「あーはいはい、身内採用ね、聞いてる聞いてる」


「お酒!お代わりぃ!」


「だから止めなって!ね、あんたに選択肢を上げるよ」


「もう悪魔に売る魂は無い!」


「そうじゃなくて、そのお酒を止めてくれるならここに天使様を呼んであげるよ、どうする?」


「はぁ?何それ、天使ぃ?」


「あんたって死ぬほど美形が好きじゃない?管理委員長のスイにそのヴィザールって人もさ」


「それが何か?あの日スイちゃんから天啓を受け取ってから(※手のひらスタンガンの事)めっちゃ好きになりました」


「いやそれは知らないけど」


「いやいやあんたは何も分かってない。この世の者とは思えない可憐な少女に「大丈夫ですか?」って全力下手に出られるんだよ?私の価値観なんて秒で他界したわ、こう…ゾクゾクするというか…骨の髄まで腐ってしまいそうな甘美さというか…」


「だそうです、あとはお願いしますね」


「ユカリさん……」

「君という人は……」


「っ?!?!?!え、え?!」


「せっかくだからお呼びしました、私はまだまだ仕事が残ってますんで、じゃ!楽しんでね」


「いやちょっと!」


「ユカリさん……今の話し本当なんですか?」


「僕はここにいてもいいのかな、二人の邪魔になるようなら席を外すけど」


「え!そ!い!いて、くれると、嬉しい、かな…あははは!………うぅっ」


「ああもうほら、急に大声だすから(※ユカリの背中をさする)」


「すまないが向こうの席に移動してもいいかな?」


「へい!」


「ほら、立てるかい?(※ユカリの手を握る)」


「ヴィザールさんは食べ物を向こうの席に運んでて下さい(※ユカリの手を握る)」


「いやいいよ、君が運んでくれるかな(※ユカリの肩を引き寄せる)」


「いやいや、それにそう女性に気安く触れていいものではありませんよヴィザールさん(※ユカリの肩をぐっと引き寄せる)」


「これでも僕は彼女に感謝しているんだ、この程度の介抱ぐらいどうってことはない(※ユカリの腰にも手を伸ばす)」


「(※ムキになってユカリにしがみ付き無理やり引き離す)ん!!」


「わ、分かった分かった…ピュマ娘もおっかない…」


「ん?!何ですかその呼び方!初めて聞きましたよ!」


「ふた、二人とも…幸せの提供は、程々に……もう、駄目」


「ユカリさん?!」

「ユカリ?!」


「超絶美形の二人に挟まれるなんて……ううっ!」


「ああ?!」

「あーあもう…こりゃ酷い…」


「…………(※吐き気を堪えながら)幸せです!」

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