ガイア・前編
プロメテウス・ガイアによる審理の結果、アジア方面第一テンペスト・シリンダーの総破棄が決定された。これにより管理を行なっていたプログラム・ガイアは回収された後に凍結処置、それに伴い全てのマキナの祖となったグラナトゥムも同様の処置が取られる。当テンペスト・シリンダーに住う人類の対応は次回の法廷に持ち越しとなったが、概ね問題は片付いた。
(はぁ…ようやく肩の荷を下ろせそうだ)
人類統括大綱が一つの争点になっていた、今回の事象は誰に責任があるかというものだ。大綱によりテンペスト・シリンダー内の人間関係の悪化、それからマキナの度重なるリブートが今回の事象の原因になったと相手側である星管士から陳述されたが、それをプロメテウス・ガイアが棄却し責任は双方に無しと結論付けられた。
(いや、そもそも本人が言い出した事なんだ、僕はただ橋渡しをしたに過ぎない)
裁判長の隣にいるプロメテウス・ガイアにちらりと視線を向ける。白いベールに隠れた顔はおろか、全身も同じように白い衣で覆われているため性別すら分からない。あれの隣に座る通訳士が言葉を我々に告げているだけだ。あれなる存在が単一なのか複数なのか、それすら知らされていなかった。
法廷審理を終えて皆が席を立つ準備をしていると壮年の男性が堂々とした歩みで入室してきた、何事かと裁判長が慌て外で待機していた警備員が男性に追い縋るがまるで言う事を聞いていない。法廷内にいる我々に視線を向けた後、よく通る声でこう発言した。
「ふむ、ここが今のお前さん達の住処か。いやはや何とも、儂の苦労が全て児戯に見えてしまうな」
「失礼、今回の審理は傍聴が許可されていません。すぐにご退出を」
僕がそう声をかけると男性がゆっくりと視線を向けてきた、年齢によるものかはたまた修羅場を潜り抜けてきた経験がそうさせるのか、余裕のある態度だった。
「気にせんでも儂はペルソナエスタなる未知の技術で復元されたデータに過ぎんよ、そう焦ることはない」
「…………」
押し黙ったのが悪かった、その隙を突いて男性が裁判長に提出していなかった件について口にした。
「アマンナ、それからバルバトスのペルソナエスタを抹殺したのはお前さんかね。喧嘩を売る相手を間違えてしまったようだな」
「何を馬鹿な…あれは元々こちらが管理している、」
「失礼ながら弁護士、この方は貴方のお知り合いなのですか?証人喚問の時にいなかったようですが」
勘弁してくれないか、もう審理は終わった後なんだ、こんなアクシデントもサプライズも望んでいない。
「ご機嫌ようプロメテウス・ガイアとやら、儂はウルフラグ技術団臨時研究員のマギール・カイニス・クラークという者だ。今し方決議された内容について再考をお願いしたい」
「────」
今...何と...?誰のペルソナエスタだと言ったのだ...?冗談にしたってたちが悪い。声をかけられたプロメテウス・ガイアが隣に座る通訳士に顔を近付けている。そして、毎度の如く通訳士がその言葉を告げた。
「……理由をお聞かせください」
「こんな得体の知れない男の話しを聞くというのですか!裁判長!何故あなたも黙っておられるのですか!」
「静かにせんか若造よ、少しは礼節を弁えたらどうかね」
「勝手に入室してきた貴方がそれを言いますか!」
「それを言うなら責任者の話しも聞かずに審理を進めるこの法廷そのものが異様だと、儂は思うがね」
「……………」
「儂のこの人格は確かにマギール・カイニス・クラークの物だ、今から発言する内容は彼の言葉だと受け止めてほしい」
「……何でしょうか」
気圧された裁判長が続きを促した、こうなったら後は天運に任せて成り行きを見守るしかない。何を言い出すのかと戦々恐々としていると意外にも抽象的な話しで逆に呆気に取られてしまった。
「テンペスト・シリンダーに住う彼ら彼女らをどうか信じてやってはくれまいか、これでもマギール・カイニス・クラークは人類の為にも最善を尽くしてこの世を去ったのだ。総破棄など、あの子らの努力を蔑ろにする行為に他ならない」
「────」
「…再考とは、他に考えがあるのですか?お聞かせください」
にやり。祖たるグラナトゥムを現地という過酷な環境の中で生み出した天才中の天才が口を歪めた。
「考えも何も、あそこはもうあの子らの土地だ。きっとじゃじゃ馬連中が何とかしてくれるさ、そう焦ることはない」
「──………」
プロメテウス・ガイアが通訳士に顔を近付けている間にマギール・カイニス・クラークのペルソナエスタが揺らぎ始めた。
(最悪の番狂わせだ…言いたい事だけを言って退出するなど!)
始めから誰も存在していなかったように、証人席に立っていたペルソナエスタが消え去った。
✳︎
一度知ってしまった恐怖は忘れることができない、意識の底に沈み常に私を見張ってくるとても厄介なものだ。
(あぁ……もう直なのね……)
地割れから這い出た異形の者、プログラム・ガイアがカエル・レガトゥムと名付けた創造主の手が私を雁字搦めにしている。彼女はやはり私達マキナも人も始めから信じていなかったのだろうか、あのような者に世界を任せるなど正気の沙汰とは思えない。それに、ハデスとプエラ・コンキリオがベラクルの街に産み落としたスーパーノヴァもカーボン・リベラへ向かっている。彼女は真剣に理想郷の完成を目指しているようだ。
「─っ──っ─っ」
いつ頃からか、眼下で這いずり回っているカエル・レガトゥムが何事か呟き始めた。それは言葉になっておらず、赤子が何かをねだる様にも似ていた。
「何かしら?きちんと言葉を使ってみなさい」
「──っ─っ──っ」
私を食おうとしているのか、声をかける度に絡みつく魔の手がより一層強くなる。
(不思議なものね…目の前に差し迫った恐怖には慣れたというのに、それでも私は私が感じている恐怖の方が遥かに強い)
私の手足に絡みついた魔の手から、さらに小さな手が無数に生えてきた。いよいよか、私の終着点はやはりここなのか、そう諦めとも達観ともつかない感情にエモート・コアが支配されかけた時、
「遅くなったわねティアマト」
「………………グガランナ…」
「安心しなさい、私はあなたと同じように下層で別れた私よ、そこにいるレガトゥムが見せる幻影でも何でもないわ」
取り込まれる寸前、小さな手が恐れるようにして私から引っ込めた。
「どこに…今までどこに行ってたのよっ」
「珍しいわね、あなたの泣き顔、初めて見るわ」
遠い昔、あるいはつい最近、ここに現れた奴にも似たような事を言われた。ここでこうして囚われているため時間経過の感覚が大分狂ってしまっていた。
「そんな事どうでもいいのっ!あなた今まで何をしていたのよっ!」
「何って、アヤメのために動き回っていたのよ。もうこれから先、絶対に離れないために」
グガランナが手をかざすと、私を拘束していたレガトゥムの魔の手が潔く引っ込んだ。拘束を解かれて手足が自由になる、何故こんな事が出来るのか...隣に立つグガランナの顔に一切の感情は見受けられない、ただ当たり前の事をしたと言わんばかり、その無感動の目には何が映っているのか。
(いや、アヤメの事しか見えていないのね…)
そうだ、グガランナはいつだってアヤメの事しか見ていなかった。それが例えどんな状況になろうとどんな立場に置かれようと変わらない、グガランナのアイデンティティそのものであった。
「ティアマト、ここから先は私が相手になるわ、だからあなたは外へ逃げてちょうだい」
「………な、……」
「カエル・レガトゥムを内部から私が壊してみせる、そのためにメリアから………って何?」
「なめ…」
「?」
「舐めるんじゃなわいよぉ!この私の事ぉ!」
「っ?!?!」
生意気な口を利くグガランナに掴みかかった!
✳︎
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
気は...確かなの?何故この場面で取っ組み合いの喧嘩をしなければいけないのか、私にマウントを取っているティアマトの顔がすぐ目の前にある。私も私でこれでもかと反撃したので顔は赤く腫れている、数発ビンタを当ててやった。
「はぁー…まさかあなたに気を遣われるだなんてね、私もまだまだだわ」
「だからって手を上げるなんて子供じゃない、いいから退いてちょうだい」
「勝算があるのよね、だからあなたはここにこうして来たのよね?」
「当たり前でしょう」
その言葉を聞いてようやくティアマトが私から離れた。
「全く……」
「で、あなたはここへどうやって来たのかしら、サーバーは軒並みダウンしてしまっているのよね?」
「ダウンというより締め出しに近いわ、私もお姫様の所にあるサーバーからこっちへやって来たのよ」
「カオス・サーバー…だったかしら?」
「そう。あそこはガイア・サーバーが破棄したデータのゴミ箱でも何でもなくて、上位の管理サーバーよ。このテンペスト・シリンダーをプログラム・ガイアごとまとめて管理している何者かがいるわ」
「そういう事……つまりテンペスト・シリンダーはここ以外にも存在しているのね?」
「あら、ティアマトはもう知っているものだと思っていたわ。ピューマをデザインする時に他所のサーバーからモデルとしてデータを引っ張った事があるんでしょう?」
「…………」
「惚けても無駄。まぁいいわ、こっちの準備も終わったことだしさっさと済ませてくるわ」
「待ちなさい」
作られた現想世界の景色の中に、全てを狂わせ私とアヤメの仲を引き裂こうとしているカエル・レガトゥムがいた。それに視線を向けるといたって真面目な声音でティアマトが私を呼び止めた。
「何かしら」
「私も連れて行ってちょうだい、もうあなたに遅れを取りたくないの」
「………」
「違うわ、言い方が悪かったわね……もう一人になりたくないの、あなたの背中を見送ってとても後悔した、同じ思いは二度としたくないの」
「私はてっきり止められると思っていたけど…」
「私の言う事を聞いたためしなんてないでしょう。あなたはアヤメとここを離れるつもりでいるのよね、それぐらい分かるわ」
「そう、アヤメからお願いされたのよ。テンペスト・シリンダーの外に出てみたいって、だから私にも付いて来てほしいって、あの下層のホテルでそう約束して別れたの」
「だったら私も、」
「それは駄目よティアマト、誰がここを守るのよ。いい?私があの日、下層から旅立った時一つだけ頼りにしていた事があるのよ」
「……何かしら」
「あなたが下層にいる、帰ってこられる場所がある、だから私は下層から離れることが出来たの、だからあなたはここに居て、私とアヤメの帰りを待っていてほしいの」
「………」
ティアマトの瞳から大粒の涙が溢れ始めた。
「ティアマト、誰が何と言おうがあなたは立派な母よ、だから子供達の巣立ちを見守っていてほしい」
「……分かったわ、あなたがそこまで言うなら待っていてあげるわ」
「ありがとう。ま、どうせ隣にいても小言ばっかりで迷惑なだけだし、それに恋愛は親元を離れてからするものよ」
憎まれ口を叩いた途端、ティアマトが腕を伸ばしてきたのでするりと逃げ出しそのままカエル・レガトゥムの元へと向かった。ここは現想世界、風の一つも吹かない寂しい世界だ。無音のまま向かっている間、最後に顔を見ようかと悩んだ挙句、結局顔を上げてティアマトを見やれば既に居なくなっていた。きっと私が繋げたバイパスからカオス・サーバーへ向かったに違いない。
「さようなら、ティアマト。私の初めての友人があなたで本当に良かったわ」
再び視線を眼下に向ける。あの者さえ分解すれば後は何者にも縛られない自由が待っている。
✳︎
テンペスト・シリンダーの役目は汚染された外界から人類を守り、そして生活の基盤として作られた大地がある。だが、今目の前に広がるこの光景はそれに反していた。
[……まさか、こんな機能も持っていたなんて……]
バルバトスが感嘆の声を上げている。カーボン・リベラの上空から下層へ目指している私達の前には大きく開かれた外壁があった、それも外側に向けて。あれでは外界の汚染された空気が中に侵入してしまう、現に今も空気の流れに沿って汚れた雲が中へと入っているところだった。
「中層は大丈夫なのか?」
[分からない、僕達も急ごう]
開かれた外壁を避けてさらに降下していく、目指すは下層だ。
「…………」
『嫌だ!絶対に嫌だ!わたしを置いていかないで!こんな所で一人ぼっちにされるぐらいなら………』
別れ際のアマンナの叫び声が頭の中でこだまする、エモート・コアは無事にピューマに換装することが出来た。うるさい奴が減って清々するはずなのに、胸の内はこだまする叫び声で今も掻き乱されていた。そして降下を続けているこの空域も激しく気流が乱れていた。
「まさか…」
高度を下げていくにつれ、テンペスト・シリンダーの中に入り込んでいたはずの空気が押し出され始めたのだ。周辺に漂う汚染された雲がテンペスト・シリンダーから噴き出す豪快な風によってさらに外へと弾き飛ばされている。
[換気をしているの……?確かにラムウの停止によって空気の循環が滞っていたけど……]
「汚い空気を中に取り入れる必要があるのか……」
[いや、もしかしたらあの機能は地球が綺麗になっている前提のものかもしれないね。未来永劫、マキナが管理している訳でもないんだ]
「つまり、私達は少し先を行き過ぎている訳だ」
[そうなるね…………待って、感有り、中から来るよ]
待っていた、この時を待っていた。必ず来ると思っていた。
「プエラ・コンキリオ、マキナの司令官にして監視官。ここまで事態が進んでいるにも関わらず姿を見せなかったのはこの時の為だったんだな」
[ナツメ……?何を言って、]
凄まじい速度で光点がこちらに近付きつつある、ミラーの支柱をものともせず突っ込んでいる証拠だった。そして、わざと冷たくしている声音がこちらの呼び掛けに答えた。
[ご名答。そのマテリアル・コアをこちらに預けてください、それはこのテンペスト・シリンダーに不要なものです]
「そうか、なら私とお前の思い出も不要になるな」
レバーをこれでもかと引き倒す、急な制動により背部ユニットが大きく展開し機体のバランスを均衡に保ってくれた。あのまま突っ込んでいたら、今目の前を通り過ぎていった光りの矢に撃ち抜かれていたはずだ。
[既に感謝の言葉を述べました]
殺す気だ、間違いなくプエラ・コンキリオは私を殺す気でいた。その動きにも、レティクルにも何の迷いもない。
「バルバトス!お前の力を使え!どれぐらい凄いのか私に見せてみろ!」
《了解!もう出し惜しみは無しだ!》
テンペスト・シリンダーからようやくプエラ・コンキリオの機体が現れた、それも二機。一つは私達の機体を撃ち抜いたあの鋭利な機体、もう一つは大鷲を思わせる変わったデザインをした機体だった。先頭にいた大鷲の機体がその翼を広げてさらに速度を上げてくる。
《介入対象に照準固定!解析始め!》
その機体に向けてバルバトスが腕を上げてそう宣言した。
《特殊災害対応型戦闘機肯定。機体名フェミナトレイター。主兵装伸縮型射撃ユニット一基、副兵装アサルト・ライフル》
何だこんなものかとバルバトスが呟き
《主兵装ロック!》
[っ?!]
伸縮型と呼ばれた背部ユニットが言葉を発した途端に動かなくなったようだ。バルバトスの本領発揮はまだまだ続く。
《副兵装パージ!》
腰部にマウントされていた小型のアサルト・ライフルが一人でに外れ汚染された雲へと落ちていった。
[嬲り殺しが趣味だなんて……]
これで遠距離による攻撃が出来なくなったため、フェミナトレイターと呼ばれる機体が瞬時に離れていった。
《ナツメに感謝しなよ、君の主兵装は攻撃と飛行を同時に行なうもの、パージしてしまえば君は地球の大地へ真っ逆さまだったんだよ?》
バルバトスの声に返事はない。フェミナトレイター、それからもう一機がこちらとの距離を測るように旋回をしている。
《フェミナトレイター、コントロール掌握。さぁ!地球の空でごっつんこだ!》
バルバトスの制御により機体の腕が持ち上がりそして何かを掴む仕草をした後その手を振り払った。その動きに同期するようにフェミナトレイターがもう一つの機体に衝突した。
[──っ!!くぅ、こんのっ!!]
「どうしたプエラ・コンキリオ、あの日見せた冷静さがまるでないな」
機体同士による衝突だ、ただそれだけ甚大な被害になる。両方の機体は大きくひしゃげて飛行速度がいくらか落ちたようだ。
「賭けをしようか、お前がどちらの機体に乗っているか当ててみせよう」
[お好きなように。私達マキナに度重なる介入を行なってきたその者がいなければ大した口も利けないあなたに遅れは取りません]
「ほう、言うようになったな、大したものだ」
バルバトスから機体のコントロールを預かりレティクルを合わせる。
[私があのサーバーで見た光景でもその青い機体が全てを薙ぎ払っていました。そして、プログラム・ガイアが努力し続けてきた事に対しても介入し、全てを無かった事にし続けてきました]
《その節はどうも、僕の妹から教えてもらったよ。それと言っちゃ何だけど、僕達だって介入したくてしている訳じゃないんだよ》
[戯言を……]
《何なら君が犯した罪をここで詳らかにしてあげよう。領土問題を機に爆発した市民感情を沈める為に君はマキナを指揮して鎮圧に向かった、そこで君は同胞であるオーディンと戦い勝利しこう宣言したんだ》
同族殺し程の禁忌と快楽他に無し、と。
[それが何か?私が放った言葉ではありません]
《でもプエラ・コンキリオが残した言葉でもある。そのせいでその後暫く人々に多大な影響を残してしまったのもまた事実、僕達が介入しなければさらなる混乱に見舞われていたはずだ》
「お喋りはそこまでにしろ、どのみち私達にはもう関係の無い話しだ」
[っ!]
狙うはフェミナトレイターの後ろに隠れようとした機体、寸分違わずコクピットを貫いた。
[………]
「そんなに現想世界とやらに行きたいのか?」
[どうして……]
「賭けに勝ったぞプエラ・コンキリオ、お前が乗っているのはフェミナトレイターだ、私達に勝てると思うのか?」
[………]
《さらに感有り、テンペスト…………何この反応…まさかあの卵が孵ったの……?》
バルバトスが驚くのも無理はない、コンソールに反映された新たな反応があまりにも大き過ぎたためだ。点ではない、まるで染みのように広範囲に渡っている、点が集まる程の物量作戦かと思われたのだが...
[いいえ、これはタイタニス・マテリアル、テンペスト・シリンダーそのものを修復するために製造された最大級のマテリアルです]
コクピットの中にいてもその音が轟く、あのポッド・ルームで見たマテリアルが動き出したのだ。私達が目指していた下層の入り口が内側から大きく開け放たれる、その中から伸びる腕は山をも一掴みせんばかりの巨大なものだった。
[…あのマテリアルに介入出来るものならしてみせろっ!こんのクソガキぃっ!!]
《ついに化けの皮が剥がれたようだねプエラ・コンキリオ、それともナツメを騙す演技なのかな?》
さらにもう一本の腕が地球の空へと伸ばされる、二本の腕が大地に下され地割れが起こった。上半身を起こそうとしているのだ。
「バルバトス!介入出来ないなら下層に飛び込め!相手をするだけ無駄だ!」
[させるもんですか!ここまでやったんだ!今さら後に引けるかぁー!!]
しゃにむにになってフェミナトレイターがこちらに突っ込んできた、堪らず距離を取りプエラ・コンキリオとタイタニス・マテリアルから離れようと試みるが巨人の腕からは逃れられそうになかった。
《来るよ!》
「──見ればっ──分かるっ!!」
再び持ち上げられた腕から最大速度で逃げの一手を打つが、タイタニス・マテリアルが作り出した影から一向に出られない。左を見ても右を見ても影に収まりここだけ日が落ちてしまったようにとても暗い。預かっていたコントロールがバルバトスに移り、最大速度のまま地表に背中を向けた。
「何をっする気だっ!」
《タイタニス・マテリアルロック、オールシステムホールド!》
シークエンスが進む度にコクピット内に光りが満たされていく、淡く、そして儚く、今にも消えそうな光り。コンソールが一瞬だけ強く明滅した後光りが弾けた。
《本威の元に君を解体してみせよう!さぁ!ばぁんと弾けちゃえっ!!》
バルバトスの威勢の良い掛け声と共に目前にまで迫っていたタイタニス・マテリアルの腕も弾けた。その部品一つが街と言っても過言ではない程大きく、致死の雨となって大地へと降り注いだ。
《さぁ!今のうちに!これでも僕の記憶も秒読み段階に入った!危険が無くなったと判断されたらまたゼロからやり直しだよ!》
「とは言ってもだな!」
まだ驚異が去った訳ではない、頭上から降り注ぐタイタニス・マテリアルを構成していた部品を避けるのにも一苦労だ。この致死の雨はさすがに不味いと判断したのかフェミナトレイターがその姿を晦ました。
◇
[僕達の役目はプログラム・ガイアの許可なく問題に介入して解決していく事にある。この力は全てに作用し一切の障害を跳ね除けるんだよ]
タイタニス・マテリアルを何とか躱して下層に突入するや否や、バルバトスが自らの力について語り出した。
「さっきの話しもそうなのか?過去にマキナ同士で争いをしていた時にもお前が介入して止めたということなのか」
[そうだよ、それも一度や二度じゃない。何回も僕達が介入してテンペスト・シリンダー内を平定していたんだ。けれどこの力があまりに厄介でね、だから僕達は記憶を消されてその時になるまで何者なのか忘れさせる必要があった]
「それは何故?」
[利用されないためだよ。絶対管理者をも超える権限を持っているんだ、マキナにしろ人にしろテンペスト・シリンダー内においては神に等しい力を手に入れることになるからね]
「お前もまた、とんでもない奴だったんだな」
[やっと分かってくれた?]
「概ねは」
[そんな馬鹿な……ここまで本気でやったというのにまだその程度だなんて……]
向かうは中心部にある電算室、プログラム・ガイア並びに全てのマキナのコアが保存されているというメイン・サーバーだ。
「お前がそれを知っているのはどんな絡繰なんだ?今の力を使ったから全てを思い出したということなのか?」
[いいや、とっくの昔に気付いていたんだ。けれど力を使ってしまえば記憶を消されてしまう、だから僕達は自由になるために色々と手を打ってきたんだよ]
「なら、今回は大丈夫ということなのか」
[それもまだ分からない、そして今が最初で最後の機会。僕達を管理しているサーバーに勘付かれてしまっているからね]
なら...アヤメの見立てはあながち的外れでもなかったということになる。このテンペスト・シリンダーを管理しているサーバーがあるということは、この世界にはまだ人が住んでいる場所があるという事だ。
「そのサーバーというのは?」
[プロメテウス・サーバー、ガニメデはカオスと名付けているけどその実僕達を管理している上位存在に位置するものだ]
タイタニス・マテリアルが開けたポッド・ルームから突入し私達が過ごしたホテル方面ではなく反対方向へ機体を飛ばしていると、辺り一面赤く染まった場所に到着した。そのおびただしい量は誰かが殺された跡なのか、バルバトスの話しに気を取られつつも凄惨な光景に目を奪われてしまった。
「これは……一体何だ……」
[……待ってナツメ、少しだけ進路をずらすよ]
閉じられた扉の上に血らしきものが大量に付着している。だが、この周辺はまだタイタニス・マテリアルのポッドのはずだ、つまり先程襲ってきた奴はまだ完全体ということではない。それに慄きながらもバルバトスの誘導に従い向かった先には人型機の格納庫があった。
[ここは…もしかして…]
壁の中に作られた簡易のデッキには何も無い、本来であれば人型機が収められているはずだ。そこから血らしき液体が外へと続いている、しかしそれにしたってどこか変だ、時間経過と共に変色していくはずだが液体は鮮明さを保ったままだった。
「何か分かったのか?」
[ここにアマンナの機体があったんだ、間違いないよ]
「この赤いのは?何か攻撃を受けていたのか?」
[違う、それは染料だよ。コチニールと呼ばれる色素だ]
「染料……?」
[コチニールカイガラムシ。ガニメデの友人にしてアマンナが生んだ機体の隠し場所さ]
「………良く分からん、ムシというからにはそいつも何かしらの虫なんだよな?それはクモガエルやノヴァグと同様に」
アマンナの格納庫を見て満足したバルバトスが機体を反転、すぐに予定航路に戻った。ぐるりと回るように中央電算室へ向かうようだ。
[そう、アマンナはプログラム・ガイアが製造していた虫と同じ存在を作り出して居場所を隠し続けていたんだよ。前にサントーニの街でマテリアルを得たコチニールカイガラムシを見たことがある]
「…………」
[僕達の原理は分かってる?]
何も言わない私にバルバトスが今さらのように聞いてくる、勿論原理など分かるはずもない。
「イエンと似たように仮想展開させているのは分かる、だがそれ以上のことは分からんぞ」
[概ね合ってるね、僕達は解放段階に合わせて形態を変えているんだ。仮解放ならイエンのように仮想展開させたもので事足りるけどさっきのように本威なら実機を使う必要がある]
「相手をただ調べるのが仮、コントロールするのが本威と言ったところか」
[そそ、君は理解が早くて助かるよ]
それはどうもと口にしようとした途端、閉じられていたポッドの扉が作動し始めた。ビルに匹敵する程のロックボルトが回転し中に収められているマテリアルが起動しようとしていた。
「お喋りはここまでだ、とことん邪魔をするつもりのようだ」
[みたいだね。何故マギールのマテリアル・コアに気付けなかったんだい?それとも彼女達の会話を盗み聞きでもしていたのかな?プエラ・コンキリオ]
背後から高速で接近する反応があった、先に気付いていたバルバトスが問いかける。
[彼ら二人はプログラム・ガイアを良く知る人間、今回の計画が明るみに出ないよう排除する必要がありました。枝を付けて監視するのは当然です]
[それなら君がマギールとアンドルフを殺害したのかな?酷いことをするね]
[そうです、これもプログラム・ガイアの計画を完遂するためです]
「そう、らしくもない事を言う必要はないんじゃないのか?」
[…………]
「終わりにしよう」
そう宣言して機体の向きをさらに反転、こちらに追い縋っていたフェミナトレイターと対面する。
「あの時、私が何を言いかけていたのか、ここで教えてやるよ」
タイタニス・マテリアルを封印していた大扉も開き始めた、細かく分解されていたパーツが収められており順次組み上げられていくのがこちらからでも見ることができた。
「お前ともっと思い出を作りたかったんだ、仮想世界なんていう作られた世界ではなく現実でな。何故だか分かるか?」
返事はない、攻撃手段を失った機体が速度も殺さずさらに接近してくる。
「私が生まれた街をお前にも見せてやりたかった、私が住んでいた家にも連れて行きたかったからなんだ。特別な事なんて必要はない、ただ隣に居てほしかった」
[──っ!]
声にならない裂帛の突撃を真正面から受ける、機体は激しく揺れてポッド・ルームの壁へ押し付けられた。
「お前は私を救ってくれたあの時の天使なんだろ?どうしてそう他人のふりをするんだ」
[だって!今さらじゃない!散々酷い事をしてきて今さら優しくしてほしいだなんて!]
フェミナトレイターのカメラアイがこちらを捉えている、私が見たいのはそんな面ではない。
[私は私だけのものが欲しかった!だからここから抜け出してナツメと出会えた!その思い出は私だけのもの!過去のプエラも未来のプエラも手にすることが出来ない特別なもの!それなのにっ!テンペスト・ガイアに取られてプログラム・ガイアに利用されてっ!もう私だけのものではなくなったの!だから、「だったらそんなものくれてやればいいさ!私がもっとお前を楽しませてやろう!あの日の思い出が霞んでしまうぐらいに私が作ってやるさ!」
[あぁ……ナツメ……私……本当はもっとあなたの傍に居たかった……もう一人ぼっちにはなりたくない……]
コクピットのハッチを遠慮なく開けた、フェミナトレイターの背後ではタイタニスの上半身が完成しつつあった、それでも私はプエラを迎えるためにハッチを開けた。
「だったら来い!私の元に来い!」
[………ナツメっ!!]
フェミナトレイターのハッチも開かれ、あの日、あのままの姿のプエラがそこにいた。白い髪に青い瞳、今にも泣きそうに歪められているその顔、私が見たかったものだ。
「……やっぱりな、虐めたくなる顔をしていると思ったよ。さぁ、早く!」
完成した上半身にポッド・ルームが壊されないためか壁の一部が作動し外へと開き始めた。早くプエラと合流しなければ、外から汚染した空気がこちらにも流れて込んできてしまう。タイタニス・マテリアルの無機質な顔がこちらを覗いた時にその動きが止まった、バルバトスが介入して止めてくれているのだ。あと少し、プエラがコクピットの縁に足をかけてこちらに飛ぼうとした刹那、
《往生際の悪いっ!》
バルバトスの叫び声が耳に届くのと、フェミナトレイターが一人でに距離を取り始めたのが同時だった。足場をなくして思うように飛べなかったプエラがその手を伸ばす。
「────捕まえたっ!!」
「ナツメっ!!」
フェミナトレイターが背部ユニットを構えた、羽と同化した銃口はこちらに向けられている。バルバトスはタイタニス・マテリアルのコントロール掌握に力を注いでいるためどうにも出来ない。
小さい、子供のような手を引き上げそのまま抱き締めた。細い体が私に密着し大きく息を吸い込んでいる、とても熱かった、久しぶりに再会したプエラは何も変わっていなかった。
「あぁ…ナツメ……」
「あの世でたっぷりと聞いてやるからな、どうして私達から離れたのか」
視界に火花が散る。
「自由になりたかったの…こうなる事は訓練を受けていた時から知っていたから…私がマキナでなくなってしまえばナツメと一緒にいられると思ったの…だからあの時はああするしかなかったんだ…」
全身が焼かれてしまいそうになる程熱い。
「言っただろ、そんなつまらない話しはあの世でいいさ…私もお前に聞いてほしい話しがあるんだよ。大切な副隊長を亡くしてしまってな…」
容赦のないフェミナトレイターの攻撃は続く。あいつと同じように私も機体の中で死ぬことになるだろう、それを何より嬉しく感じた。
細い体を抱き締める、向こうも私の体を抱き締めてくれた。
「ナツメも辛かったんだね……」
「……お前は辛くないか?せっかく会えたのにこうして……」
そこでプエラが体を離した、もう、機体はボロボロだ、どこもかしこも破壊されて、私の体も見ていられるものではなかった。それは、プエラも同様だった。それなのに満面の笑みを湛えてこう言った。
「全然、ちっとも辛くないし怖くもないよ」
バルバトスが力尽きたのか、コントロールを奪われていたタイタニス・マテリアルがついに起動を果たした。
「だって、ナツメと一緒だから」
熱い光りと...熱くて細い体と...私に触れるもの全てが混ざり溶け合い..........................
《心焉をもって解き放とう、彼我の距離にもはや障害なし》
...................繋がった。
《いやぁ!もう!嫌になるね!そんなに熱いところばっかり見せられたら怒る気力も失くすってもんだよ全く!!》
混ざり合っていたものが急激に形となって私にのしかかってくる、それとうるさい声も。
《いいさいいさ!二人で引っ付けばいいさ!ふんだ!僕はこれで失礼するからね!後はどうぞよろしく!》
《……っるさいわね…きゃんきゃん吠えるな!》
《まぁいいや、君達のお陰でとても貴重なものを得られたから良しとしようか》
《……プエラの言う通りだ、少し静かに……》
《え?》
《え?》
《この機体は君達二人に預けるよ、ここいらが限界のようだし僕の居場所も無さそうだしね》
《ちょっと待て!》
《嫌です!もう帰ります!あれだけアタックしたのに結局ナツメはプエラ・コンキリオを選んでしまうし馬鹿みたいだ!》
《待ちなさいって言ってんのよ!どうしてナツメがこっち側にいるのよ?!説明しろ!》
《おいおい…人間まで辞めるつもりはなかったのに…》
《諦めて。それが僕達の最後の段階だから!じゃあね!後の事は君達に任せたよ!それからお幸せに!うぇえーんっ!!》
怖くて目蓋が開けられない、口だって開けていないのに会話が出来ている。え?どうなっているんだ私は...手の感覚は...ある、足もある。フェミナトレイターの攻撃でぼろぼろになったはずの体も...ある?何故だ...ただ一つだけ違う場所がある、それはお腹だ、お腹の辺りだけ感覚が異なるようだ。
《……バルバトス?》
《……いない、みたい……》
プエラの声が頭の中で優しく響き渡る、決して嫌な感覚ではない、常に首筋を撫でられているような甘さがあった。
《……ここは天国なのか?随分と真っ暗な所なんだな…》
《いや、それは目蓋を閉じているからじゃないのかな…開けてみたら?》
すっと目蓋を開ける、想像していたようなお花畑も霧で煙っている川もなかった。コクピットの中だ、それも真新しいものに見える。まだ機体を立ち上げていないのか仮想投影されていないコクピット内には小さな星屑で満たされているようだった、きらきらと周囲を漂い私の胸に体を預けているプエラの頭にそっと降り立った。
「プエラ?」
《……聞こえてるよナツメ、というかばっちり見えてるよ》
「……?」
私達はフェミナトレイターの攻撃で死んだはずだよな...?それなのに何故五体満足でぴんぴんしているんだ...?それにお腹辺りに強い違和感を感じプエラの体を起こして見てみると仰天した。
「えぇ……私の体どうなっているんだ……何だこれ……あれ、でもプエラと繋がっているのか…まるでへその緒のようだな」
お腹のへそあたりからプエラに伸びているケーブルがあった。は?である。
「まぁいいか」
《いや良くないでしょ!順応力高過ぎじゃないかな?!》
「バルバトスの奴が逃げたんだからどうしようもない。それにお前と繋がっているのも悪くないんだよ、全く違和感がない」
《…………》
「プエラは平気なのか?」
《うん、私も全然嫌じゃない、寧ろもう離したくない感じ》
「だったらいい、周囲はどうなっているか分かるか?」
《ナツメも目を閉じてみて、そっちの方が分かりやすいはずだよ》
言われた通りに目を瞑ってみれば...
《これは驚いた……》
私の視点はバルバトス、言わんや人型機のそれに変わっていたのだ。目の前には起動を終えたばかりのタイタニス・マテリアルが再び動きを止めており大きく開かれたポッド・ルームから地球の汚れた空が見えていた。そして眼下にはフェミナトレイターが墜落し見るも無残な姿へと変わり果てていた。
《待ってくれ……自分の身に何が起こったのか理解はしているんだ、だが全く納得できない……》
頭に手を持っていこうとするとアラート音が鳴ってパニックになった、どうやら私の意志でも機体を動かせてしまうらしい、堪らず目蓋を開けると再びコクピット内の視点に戻り、ゆっくりと手を上げると今度は何も起こらなかった。
《つまり、ナツメも私達と同じようにマキナになったって事でいいんだよね?目を閉じる仕草がキーになっているようだけど》
「みたいだな……それとこのケーブルにも何かしら意味があるようだが……抜いても問題無いのか?」
《今はそれよりもメイン・サーバーに行こうよ、あいつを止めないと。マギールの読み通りプログラム・ガイアはテンペスト・シリンダーにいる人達を皆んなまとめて仮想世界に送るつもりでいる、それもとても乱暴なやり方でね》
「プエラ、お前はどうしてそんな奴の言いなりになっていんだ?ん?あの世に行けないならここで聞いてやってもいいんだぞ」
《ちょ、急に意地悪しないでよ!》
機体がふわりと持ち上がる、私の意志かプエラの操作か分からないがそれを当たり前のように感じてしまうのはやはり私が人ではなくなったせいなのか。
もう一度だけバルバトスを呼んでみたがやはり返事がなかった。あれだけ騒がしかった相手がこうも居なくなってしまっては、やはり寂しいものだと感じながら再会し文字通り一つになったプエラと共に中央電算室へと急いだ。