第百十七話 教師と礼儀正しい若者
117.a
[待って、おかしいよ、これはおかしいよ]
[何が?]
端末内で居合わせているバルバトスが唐突に声を上げる。あとの二人はまだこっちに戻ってきていない、ナツメの逆鱗に触れてしまったエフォルが逃げ出してしばらく経った。わたしはわたしでやる事もなく暇だったので、端末内から直接動画サイトに飛んで自分が開設していたチャンネルを整理していた。端末内に居合わせる、と言っても姿形が見えるわけではなく...気配?雰囲気?が伝わってくるだけだ、もちろん融合しているわけでもない。
[ここに確かにエフォルのマテリアルがあったよね?]
[うん、あったね]
というか今もあるだろ。
整理も終わってマイページに表示されている動画を見るともなし見ながら適当に返事を返す。
[つまりナツメの胸を馬鹿にして逃げていったエフォルは本物ということになるの?]
[そうじゃない?]
自分で作っておきながら本物呼ばわりってどうなんだと脳内だけで突っ込む。わたしはわたしで街の様子が撮影された動画に釘付けになっていた。
[エフォルってどうやってこっちまで来たんだろう?]
[どうって……え、これはさすがにヤバくないですか]
何かの検証動画かと思っていた、もし街が極寒に支配されてしまったら...といわゆる思考実験と題して架空上の災害を発生させてどう対応していくかシュミレートする遊びだ。しかし再生された動画はどうも本物らしい、投稿者の自宅から撮影された街の様子はまさに凍り付け、建物も道路も全てが凍っている。室内に移動して水が出てこない様子や、家の入り口から徐々に凍り始めている様が映されていた。
[……え、待って、もしかして動画見てるの?]
[うんそう……これはどういう事なんだ…?]
バルバトスにもその動画を見せてあげる、そういえばエフォルがどうの騒いでいたけどそう大した問題ではないだろう、帰ってきたらすぐに分かるんだし。わたしの隣からぬっとした気配があった、バルバトスが顔でも突き出しているんだろう、そしてすぐに唸り声を上げてさらにマズいと騒ぎ始めた。
[騒ぐことしかできないのかね、君は]
[そ、そんな事より!街の保護システムがダウンしてしまっているんだよ!このままではまずいよ!]
[マズいって言っても…どうにかできるの?]
そこでようやくナツメとエフォルの熱々カップルが戻ってきた、大人のお姉さんの胸をイジって怒られて追いかけられる...そんな青春を楽しんできたはずの二人はとても寒そうにしていた。
[破局ですか?短い恋でしたね]
「エフォル、撃っていいぞ」
ばぁん!と一つ、本当に撃ちやがった!
[エフォル!信じられないよ!]
[気は確かなの?!当たったらわたし達がどうなるかって考えられないの?!]
「いや、何だか馬鹿にされているのだけは分かったから」
「それよりお前達に報告がある」
[それより?!それよりってどういう事なの!]
[わたしらの命を何だと思っているんだ!マキナだからといって軽視することは許されないぞ!]
「……あんたっていつもこんなの相手にしていたのか?」
「これでもマシな方だ」
「アカネとリルカが可愛く思えてきた…」
「家族は大事にしろよ」
あれ、やっぱり仲良くなってない?未だ抗議の声を上げているバルバトスを宥めてナツメの報告とやらを聞くことにした。
✳︎
「エフォルがどうやってここまで来たのか聞いてみたんだがな…二つ驚かされた」
[そういう前置きはいらないからすっと喋ってくれる?]
端末を持ち上げて床に叩きつけようとするとエフォルに止められてしまった。
「いちいち腹を立てるなよ、キリがないだろ」
[暴力振るう人多すぎるよ〜アマンナも変に茶化すのやめて〜]
[こ、怖かった…]
「一つ目は地下基地と思しき場所からここまで別のエレベーターが増設されていたことと、二つ目は雪景色に変わっていたことだ」
バルバトスが駐機されている格納庫からミラーを支えている柱がある方面へ行くと取って付けたようなタラップがあった。手すりだけで何とも危なっかしい道を歩いた先にはさらにエレベーターが一基だけあった。エフォルはこのエレベーターからやって来たらしい、それに乗って上がってみれば軍事基地の地下に位置する場所に別の基地があったのだ。その基地を抜けて軍事基地に帰還してみれば辺り一面冬景色、中層で奴が展開させた仮想風景ではなく本物だった。
私の話しにバルバトスがどこか怯えた様子の反応を返していた。
[……そうか、つまり時間的猶予はもう無かったという事なんだね……危なかったよ]
[ん?どういう事?誰かに狙われてるの?]
[うん、けれど間一髪でかわせたようだから良しとしよう。悪いけどすぐに出発しようか、ここでゆっくりしていられる暇はなさそうだ]
「まだ問題が残ってるぞバルバトス、街の冬景色は何なんだ?おれがここに来る前は何ともなかったっていうのに」
[それは簡単だよ、タイタニスが作った保護システムがダウンしてしまったんだ。そのせいでこの街は成層圏の温度を直に受けてしまっているんだよ]
「その、せいそうけんとやらの温度は?」
答えを聞いてゾッとしてしまった。
[氷点下マイナス五十度からゼロを行ったり来たり、凍結対策をしていなかったら生活出来る温度ではないよ。それだけじゃなくてシステムによって守られていた酸素濃度も直に低下するはずだ]
「おいおい…」
「打つ手はあるのか?このままじゃ街に住めなくなってしまう」
[タイタニスが管理していたスタンドアロン・ネットにアクセスして復元させる以外にない、幸いエフォルはルートを知っているんだよね?]
「ああ、まさかあんな所に隠し通路があるだなんてな、作った奴はよっぽど秘密基地好きと見た」
「それはタイタニスの事だな。まぁいい、それより急ごう、ぐずぐずしていられない」
詰所を後にしようとするとバルバトスに呼び止められた。
[駄目だよナツメ、君には僕と一緒にあの卵を破壊する大切な任務があるんだから]
「たまご?」
既に詰所の出入り口にいたエフォルが怪訝そうに聞き返した、中層であった出来事を聞かせてやると、
「えぇ…下も一大事じゃないか…この街は大丈夫なのか?残ってもこの寒さ、下に降りてもその卵」
[それとエフォル、君も少しだけ待ってほしい]
私達が置かれている状況を聞いて不安げにしているエフォルに向かってバルバトスが声をかけた、その声音は真剣だった。
「……何?」
エフォルも何か察知したのか、ふざけた様子は見せず素直に聞き返した。
[きちんとお礼が言いたいんだよ、ここまで僕の我儘に付き合って、]
バルバトスの話しを途中で遮った、その眉は嫌そうに歪められている。
「要らないよそんなお礼、まるで今生の別れみたいじゃないか」
[そうだよ、僕はもう君と会うつもりはない。サーバーから切り離して君を自由にする]
「偉そうに…やなこった!」
[ありがとう、家族を大切にね、僕が唯一手に入れられなかったもの、君が羨ましいよ]
「人の話し聞いてんのか!おれはまだまだ納得していないんだよ!今の騒動が落ち着いたらお前から聞き出すつもりでいるんだぞ!」
[ナツメ、彼をよろしくね。軍事基地まで送り届けたらここまで戻ってきて]
「………分かった」
「おい!頼むからおれの話しを聞けよ!こんなお別れ方するぐらいならどうしてあんな夢を見させていたんだ!あの子達は無事なのか?!あの妹達はお前にとっての家族なんだろ?!おいっ!」
[………]
端末は沈黙したまま、いつも余計な口を挟んでくるアマンナも何も言わない。それが良いのか悪いのか、ただこの沈黙が却ってエフォルの涙声を強調させていた。
◇
「………」
「………」
もう一度基地へ向けて足を運ぶなか、後ろからエフォルのすすり泣きが聞こえてくる。
唐突な別れだ、バルバトスは真剣だった訳ではなく拒絶していたのだ。この二人に何があったのか推測する以外にないが、浅い間柄ではなかったことだけは確かだ。
「聞きたいことがある、泣き虫」
「……何だよ……」
タラップの真ん中辺りに着いた時、私はそう声をかけていた。前を見ても後ろを見ても馬鹿みたいに遠い距離の只中だ、下に視線を向ければ真っ暗の底がある。
「お前とバルバトスとの関係は何だ?」
少しだけ呆気に取られた、即答で返ってきたからだ。
「友達」
「……友達か、そりゃ辛いだろうな。面と向かってもう会わないなんて言われたら」
「何が言いたいんだよ」
鼻声は変わらないがその負けん気だけは元に戻ったようだ。
「お前は奴とどこで会っていたんだ?」
「……どこ…夢の中としか、言えない」
「ずっとそうだったのか?」
「そりゃあ…まぁ…それより笑わないのかよ、夢の中で会っていた友達とお別れして何泣いているんだって」
「お前、その卑屈さを何とかしろ、誰もそこまで言っていないし笑ってもいない。私はただバルバトスとお前の関係を知りたかっただけだ」
「………直るんなら直したいよ、でもこんな体じゃ銃だってまともに撃てやしない。あんたもさっき見ただろ?」
「ド下手だったな。だがそれなんだ、お前のその体はマテリアルだったんだ、成長しなくて当たり前なんだよ」
「馬鹿言え、おれにだって子供の頃はあったぞ」
思わず後ろを振り返った、何とも苛めたくなるような泣き顔をこちらに向けて私を睨んでいるエフォルと目が合った。
「子供の頃があった?」
「そうだって言ってるだろ、この年になっていきなり成長が止まったんだよ。何を食べても太らないから筋肉だって付きやしない」
子供の頃があったのか...私もマテリアルに詳しい訳ではないから具体的には言えないが...エフォルの言葉は予想外だった。再び歩みを進めるといくらか元気になったエフォルが声をかけてきた。
「そういうあんたはバルバトスとどういう関係なんだよ」
「自分の親友が取られたみたいで悔しいのか?意外と女々しい奴だな、お前」
もう、ほんと...びっくりした。エフォルが無言本気パンチを背中(しかも腰辺り)に放ってくるものだから、その場でたたらを踏み一瞬だけ頭がタラップの手すりを超えてしまった。何とか踏ん張り堪えるが、タラップも大きく揺れたので生きた心地がしなかった。揺れが落ち着き痛む腰辺りを気にしながら振り向き声を張り上げた。
「クリーンヒットかよ!頼むから無言で殴るのは止めてくれないか?!」
「あんたが変な事を言うからだろ!何が女々しいだ親友だ!人の事馬鹿にしやがって!」
「馬鹿にしてる訳じゃ……いたたた…お前、人様の腰を殴った罪は重いぞ」
「ふん、ばばあが偉そうに人の傷口に塩を塗るからだろ」
「何だって……?ばばあ……?成人式を数年前に迎えたばかりの私に向かってばばあとな?」
「ばばあじゃないか、腰を庇うだなんて年寄りの証拠だろ」
つんと他所を向いて腹の立つ事ばかり口にしていたのでその色の抜けた変な頭を胸に押し付けてやった。
「なんっ?!やめっ!」
「ばばあの胸だ、そう恥ずかしがることもないだろ」
「わっ!悪かったから!あ、あんたは!ばばあじゃない!からっ!」
本気で嫌がっている、しかし片腕でヘッドロックをかましているのでそう簡単に抜けはしないだろう。バルバトスとの悲しみもすっかり薄れたようで私の胸を堪能した─はず─エフォルを離してやった。
「あ、あ、あ、む、胸が……」
「ふん、少しは反省したか?大人をそうからかうもんじゃないぞ」
きっと女性のそういう部分に触れた事がないのだろう、すっかり顔を赤くして私の胸元を凝視しているエフォルが最後に言い放ってくれやがった。
「あんた…ほんとに女の人だったんだな」
今度は私がタラップを揺らす番になった、人生最大のこの屈辱を晴らさずにいられようか!死ねば諸共!
エフォルの悲しみを紛らわせるために始めた事がいつの間にか大真面目の喧嘩に発展してしまった、どうやらまだまだ私も子供らしい。
117.b
「待ってくれないかアコック、この足跡を見てくれ」
「………つい最近のものだ……いや、これは入れ替わりで誰かが中に入って行ったのか?」
「つまりは…僕達以外にも誰かがいるということだよね」
「あぁ……一つは大きい、もう一つは小さい……急ぐぞ」
僕とアコックは軍事基地へと足を延ばしていた。マギールさんが遺してくれた情報をもとに「ユング・ドラシル」と呼ばれるシステムを復元するためだ。第十二区もそうだがこの区でも道路は凍結しておりまるで走れそうには無かった。各区からも街の惨状について報告が上がっている、どこも似たようなものだった。
(この街にも四季はあった…けれどそれはシステムが再現していたに過ぎなかったんだ…)
どれだけ防寒着を着込んでも服の隙間から冷気が忍び寄ってくる、手足はかじかみ呼吸をする度に体温が下がっていくようだ。
マギールさんの情報には地下基地へのルートまで示されておらず、かといって父が遺した何百冊という日記を読み返す時間もない。いくらか無鉄砲に過ぎるけどアコックと手分けしてルートを探すことになった。そして基地内を一巡して入り口まで戻ってきた時に大小二つの足跡を見つけたのだ。その足跡は一つの兵舎へと向かっており、途中何度か辺りを回っているように見える。
「あの足跡は中から出てきたことになるのかな、入り口から来たものではないみたいだけど…………それにしても寒いな、寒過ぎるよ」
「見ての通りだ」
アコックは平気なのか?いつものスーツにロングコートだけ羽織っている、見ているこっちが寒くなってしまいそうだ。
足跡を追って兵舎の前に辿り着いた、年季の入った古い兵舎だ。建て付けが悪そうな扉が無理やり開けられた痕跡がある、そして中に入ってみれば案の定木造の廊下に濡れた足跡が続いていた。
「ビンゴのようだな……それにしても中まで寒いとは……」
「君にも寒いという概念があったんだね、まずはその服装をどうにかしたらどうだい」
「無駄口は叩くな、行くぞ」
アコックが自動拳銃を取り出した、ゆっくりと歩みを進める度に木造の廊下がそれに合わせて小さく軋む。ここはどうやら隊員達が室内訓練に使っていた兵舎のようで、擦りガラスの扉の向こうには何も置かれていないトレーニングルーム、他には食堂だったり仮眠室もあった。過去に誰かが通ったのか、薄らと埃の積もり方が違う足跡もあり僕達が追いかけているものと同様に二つあった。その足跡も長い廊下の奥を目指しているようで取って付けたような小さな部屋の前に到着した。扉は少しだけ開いており、中を覗き見ると掃除道具をしまっている部屋のようだった。アコックが先に侵入し、その後ろを僕が追った。
「何だかここ…変な臭いがするね…」
「タコ部屋だろ、良くあるものだ」
「…………………みたいだね」
...見なかったことにしよう、壁の一部に知らない女性の名前と第一区の区長の名前が彫られていたことは。
濡れた足跡は奥にあるロッカーの前まで続いておりそこで途切れていた。
「……ここから入るのか?何とも古典的だな」
「秘密基地は男の浪漫さ、タイタニスというマキナとは一度話しがしたかったよ」
下らないと一蹴してからアコックが遠慮なくロッカーの扉を開け放つと固まった、何事かと僕も覗いて見れば...何も無かった、掃除道具も何も入っていないただのロッカーだった。
「………これが何に見える、アリュール」
「……空っぽのロッカーだね、それと僕はリューオン、定着させないでよ」
眉根を寄せて頭をかいているアコック、彼のそういう反応は初めて見るものだった。さすがの彼にもお手上げらしい。
「ふむ…でも確かにこの足跡はここまで来ているよね?だったらここがその入り口なのは間違いないはずだけど…」
「だが見ての通り何も無い、この窓から出て行ったのか?」
ロッカーのすぐ隣には星型防護壁が間近に見える兵舎の裏手へと続いていた、確かに窓の縁も濡れているように見えるけどそれが果たして人の手で開けられたものなのか、それとも結露によるものなのか判別できない。試しにアコックが開けているけどやはり防護壁が見えるだけでとくに何もなかった。
「リューオン、お前は秘密基地に精通しているんだろ?何か心当たりはないのか」
「君は人にものを頼む時だけしおらしくなるよね、さっきまで僕のことを父の名前で呼んでいたくせに」
「いいから答えろ」
「この手の場合は先にギミックを解いたりするものだ。別の部屋を回る必要があるけれど足跡はここまで真っ直ぐ来ているからそれも考え難い」
「………」
「つまりここはフェイクだ、そこの窓から外に出て足跡が無いか調べる、」
ロッカーから窓に視線を向けた途端、アコックが手にした銃を発砲したのでとても驚いた。
「な、何をしているんだい!」
「お前の推理は外れのようだぞ、アリュール」
「何を馬鹿な…それに君はどこに向けて撃ったんだい、いくら破棄された施設とはいえ勝手に壊すのは…………」
銃はロッカーの中に向けられている、だからどこに撃ったのかは一目瞭然。撃たれたはずのロッカーの中は弾痕が一つも無かった。
「…………」
「行くぞ。その秘密基地が好きなマキナに会ったら伝えておいてくれ、猫騙しにも程があるとな」
ロッカーの壁だと思っていたものはただの映像だったようですり抜けるようにしてアコックが中へと侵入してみせた。
「………いやでも、フェイクという部分は合っているよね」
誰も僕の言い訳に答えてくれなかった。
◇
同じく木造の秘密階段を降りた先にエレベーターがあった、階を示す表示盤などはとくにない。けれど既に誰かが降りたようでエレベーターをこちらまで呼ぶ必要があった。
「ようやく基地へ行けるな、後はお前に任せるぞ」
「いやいや…僕はまだ端末の扱いに慣れているだけだからね、君とそう大して知識量は変わらないはずだよ」
「ここに来て泣き言を言うな」
「いやいや…」
ここまで来ればさすがに冷気は侵入してこれないようで着込んだ防寒着のせいで汗が出てきてしまった、もしかしたら彼はこれを予期してロングコートだけだったのかもしれないと思っていると、エレベーターが到着して電子音と共にその扉が開いた。中には壁際に椅子が一つずつ置かれており何とも気配りの出来るマキナのようだ。僕は遠慮なくその椅子に腰を下ろし、アコックは立ったまま操作盤を睨んでいた。
「あれ?内側には付いているんだね」
外には付いていなかった表示盤があった、そしてアコックが睨んだままになっている理由も分かった。
「とにかく一番下に行こう、そこから順繰り上がって行けばいいさ」
「さすが、秘密基地が好きな奴は頼りになる」
「それは皮肉だね、さすがに分かるよ」
「そういう事は口にしないもんだ、同じように返すのが礼儀だ」
「さいですか」
緩やかにエレベーターが動き始め、アコックも向かいの椅子に腰を下ろした。僕達が目指す場所が何階にあるのか分からないため基地に到着してからもさらに探す必要があるけど何とかここまでやって来れた。これから先も幸運が助けてくれることを祈るばかりだ、けれどその前にこの防寒着を何とかしないといけない。
「アコック、僕のこの姿を見て何とも思わなかったのかい?人型機に乗せてもらう前に一言ぐらい欲しかったよ」
彼に愚痴をぶつけてみると思ってもみない言葉が返ってきた。
「今日のお前は随分とお喋りだな」
「……そ、そうかな?そんなつもりは…」
「あぁ、尻に敷かれている奴が良く見せる有頂天に近い、いつの間に所帯を持ったんだ」
彼の言葉にぎょっとしてしまった。
「い、いやだな、そんなことはないよ」
「怖い女房がここにいなくて楽しいか?あまり羽目を外し過ぎるなよ、帰る時に憂鬱になるぞ」
「いやいや…結婚なんてしてないよ…」
それっきり彼は黙ってしまった、それに僕も図星を突かれてうるさくなった心臓を宥めるのに必死になっていた。
◇
「外れのようだ」
「見れば分かるよ」
到着した階には何も無かった、そう何も無い、まるで作りかけの現場のように寒々しい光景が広がっているだけだ。それに濡れた足跡もここには無かった。
「どうする?一階ずつ押していくか?」
「う〜ん…虱潰しで行くならこの階も調べた方がいいと思う、もしかしたらここに中枢区画があるかもしれないし」
「なら行こう、駄目ならここまで戻ってくればいい」
彼と一緒にエレベーターを出て寒々しい広場を回る。一体何のために作られた場所なのか、高い位置に取り付けられた窓と一定の間隔で設置されている蛍光灯以外に何もない。彼と僕の足音が反響しているだけで、その静けさがより一層僕の心臓の音を際立たせていた。女房ではない、けれどキリに尻に敷かれているのは事実だ、まさか彼にそれを見抜かれてしまうなんて思いもしなかった。
(彼女は大丈夫なのか…)
キリは今、スイと一緒に各区のピューマを保護して回っているはずだ。ピューマの扱いに関しては各区に一任しており室内で生活させている区もあれば、外で放し飼いにしている区もあった。放し飼いに関しては何も放置している訳ではなく好奇心旺盛なピューマが室内を嫌がったという経緯もある、ピューマの特性や性格を見極めながら最も適した生活環境を築いてく...今回の災害──そう、言っても差し支えはない──はその最中の出来事だった。そのため彼女とは別行動を取らざるを得ず、確かに彼の言う通り僕は少しだけ浮かれていたのかもしれない。男同士の会話がこんなに気の置けない心地の良いものだったなんて知らなかったからだ。
「アリュール」
いちいち訂正するのも馬鹿げてきたのでとくに返事をしなかった、それよりも彼が見つけたように僕も向かう先に扉があるのを見つけた。
「行ってみよう」
「お前の女房が待っているかもしれんぞ」
口の端を上げて僕を見ている、冗談だと分かっているのに心がどきりと反応した。
「もしかしたら君の悪友かもしれないよ、またぞろ儲け話しでも持ちかけてくるんじゃない?」
さすがに言い過ぎだと冗談で返すと鼻を鳴らしただけでとくに返事はなかった、彼の言う礼儀にかなっていたのかは分からない。
扉の前に立った時から異音が中から聞こえてきた。
「………何の音だ?」
「風が……抜ける音?」
ごうごうと鳴る風の音が扉の向こうから聞こえてくる、彼と一度だけ目を合わせて開けてもらうようにお願いする。彼がそれに応えて開けた扉の先は何と格納庫になっていた。
「………こりゃ驚いた」
「もぬけの殻のようだな……」
僕達はちょうど格納庫の最上部に出たようで、下には人型機を固定していたデッキとその足元から伸びるリニアカタパルトの装置もあった。装置はどうやら作動した後のようで格納庫と外を隔てている自動扉が少しだけ開いていた。少しだけ、と言っても一人分は優に通れる隙間だ、そこから風がごうごうと音を鳴らしている。コの字に作られた通路の向こうにはもう一つ扉があった、そこへ向かう道すがらに何かが掛けられていたフックが二つ、それから足元には何故か検査衣が落ちていた。
「何でこんな所に…」
「女物のようだ」
アコックがそれを拾い上げて矯めつ眇めつした後空いていたフックへ乱暴に掛けた。
「意外とマメだよね、君は」
「俺は将来尻に敷かれたくないんでな」
「はいはい」
そのフックの前からデッキへと降りられる階段もあり、どうやら過去に誰かがここを利用したようだった。
(それにしたって…退っ引きならぬ事情を抱えていたみたいだな…)
どういう状況に置かれていたら検査衣からパイロットスーツに着替えるような事になるのか、およそ想像出来るものではなかったし考えつくとしても映画に出てくる過酷な運命を背負ったサイボーグぐらいなものだ。
「そんなまさかね」
「行くぞ」
ここにもう用はない、アコックの背中を追って僕も格納庫を後にした。
◇
反対側の扉を抜けた先は、僕達が入ってきた所と打って変わってきちんとした内装だった。寒々しい光景ではなくどこかの公的な建物を思わせる、床は特殊な素材でも使っているのか足音があまり響かない。目の高さにある窓の外には大小様々な雲が浮かんでいた。こちら側にもあったエレベーターの前ではたと立ち止まる、このまま乗っていいのか一旦引き返すべきか、そう悩んでいるとまたしてもアコックが遠慮なくエレベーターの扉を開き中に入った。
「こういう探索は一旦拠点に戻ってからの方が効率的、」
「いいからこれを見てみろ」
「?」
濡れていた、エレベーターの床、それから操作盤と壁の所々が濡れていたのだ。
「別の二人組みはここを使っていたんだね…どこの階に行ったか分かる?」
「一番下だな」
「ええ?さらに下があるのかい?」
「ふむ………」
「どうしたの?」
操作盤に手をかざしたままアコックが唸り声を上げた、何事かと聞いてみれば僕達が最初に乗ったエレベーターにももしかしたら濡れた跡があったかもしれないと一人で反省していたのだ。
「見落としていたな…」
「無理もないよ、初めて来た場所なんだから」
「まぁいい、上がるぞ」
扉が音もなく閉まり重力を感じさせないようにゆっくりと上昇していく、本当にここのエレベーターはとても優秀だ、乗っていてストレスがない。彼は元々止まっていた階のボタンをタップしたようだ、程なくしてエレベーターが到着して扉が開くなり、
「動くなっ!!」
「………」
「………」
息が止まるかと思った、いや実際に止まってしまった。
✳︎
私達以外に誰もいないと思って油断していた。降りたそばからエレベーターが動き出し、咄嗟の判断でエフォルを物陰に隠れさせていた。エレベーターに乗っていたのは眼光鋭いスーツ姿の男、それからいくらか髪の色が抜けた風采の上がらない男だった。見るからに怪しい、予断なく銃を構えたまま詰問する、とくにスーツ姿の男だ、タイタニスと似た雰囲気はあるが目の前の男の方が嫌らしい殺気を持っていた。
「ここで何をしている」
「見ての通りだ、我々はここへ調査に来たんだ。銃を下ろしてもらおう」
「その前に身分を明かせ」
スーツ姿の男が鼻で息を鳴らしてから、どこか不服そうに答えた。
「俺はアコック、隣にいるのがリューオンだ。所属は政府直下のリバスター、お前もそのスーツを着ているぐらいなら名前ぐらい知っているだろ」
「そ、その通りだよ、僕達は何も侵入した訳ではないんだ」
怪しいにも程がある...ちらりと目をやったのが不味かった。
「アコック!」
「っ?!」
気が付いた時には顎に鋭い痛みと浮遊感、天井が見えたと思ったらあっという間に地面が目の前にあった。拳銃が床を滑り私の手元から離れていく、肩の関節が外れるぎりぎりまで極められているせいで動くに動けない。そして滑った銃を手にして構える者がいた、エフォルだ。
「う、動くなっ!」
「君は……」
地味な方の男が呟き私の関節を極めている力が緩んだ、その隙に空いていた腕を持ち上げ力任せに男の頭を掴んで寝技に持っていく、あっさり拘束が解かれ形成逆転と相成った。
「待ってくれないか!僕達は知り合いなんだ!この子はエフォル!そうだろう?アコックももう止めるんだ!」
「くそっ……」
「な、ナツメ!この人達、おれが知ってる人だ!怪しい奴らじゃないよ!」
「………」
私の目の前にある男の顔が一瞬だけ呆気に取られたように変化した、それもすぐのことで嫌な殺気を漂わせながら鋭い視線を私へと向けてくる。
「……退いてもらおうか、女に乗られる趣味はないんだ」
「だったら力ずくで退かせてみたらどうだ、遠慮なく顎を狙ってくる奴の言うことなんか聞けるか」
「………」
「ナツメ!もういいから!おれは平気!」
唾の一つでも吐いてやろうかと思ったが、エフォルが見ている前では憚られた。こっちは軽い脳震盪までいきかけたんだ、一つぐらいは仕返ししてやりたかったがリューオンと呼ばれる男が口にした言葉でそれどころではなくなった。
「ぼ、僕達はこの街を救いに来たんだ!「ユング・ドラシル」と呼ばれる空間保護システムの復旧のために!マギールさんからも情報を預かっている!」
117.c
到着したグラナトゥム・マキナの地下ベースは所々変えられているようだが、ファクシミレ・マキナ製造のために足を運んだ時とそう変化がなかった。おかげですぐに心臓部である電算室へ辿り着けたが、そう問屋を卸してはくれなかった。
(アクセス拒否か……)
孤立したネット・サーバーへ直接ログインを試みたのだがいとも容易く弾かれてしまった。パスコードといったアナログ認証はおろか、生体認証といったそもそものアクセス手段が無かったのだ。デュランダルを呼び出して試させても結果は同じ、これではどう足掻いてもシステム復旧は見込めそうになかった。しかし、地下ベース自体のシステムはまだ生きているようで過去にここから一機の人型機が発進した事や、施設内に四人の反応があることを知らせていた。監視カメラでその四人の姿を捉えてみれば...
(つくづく運の良い……)
✳︎
「改めて自己紹介といこうか、僕はリューオン。リバスターで作戦参謀を務めている、隣にいるアコックも同じさ」
「私はナツメ、元特殊部隊の隊長だ。今は流れの人型機部隊のパイロットをしている」
「ご丁寧にどうも。ほらアコック、何か言うことがあるんじゃないのかい」
タイタニスの基地へ向かう道すがら、互いに紹介し合うことになった。私の隣にエフォル、反対側にリューオンを挟んでアコックが並んでいる。促されたアコックが何ともつまらない皮肉で挨拶をしてくれた。
「もう少し肉が付いていれば俺の好みだったんだがな、残念だ」
「それは惜しいことをしたな、あんたみたいに嫌らしい目付きをした男はそういない。私の知り合いにもさぞ自慢が出来ただろうに」
「ちっ」
「あー…それで、君はエフォル君だよね、第十九区で会った以来かな」
「そうだな」
エフォルが気のない返事をした後すぐに爆弾を投下してきた。
「そこのアコックって奴には銃で撃たれちまったけどな」
「っ?!」
「………」
「え、まさか…君が言っていた子供って…」
「エフォル、銃はお前が持っていろ」
「いやいや、何かの誤解じゃないのかい?そうだろアコック」
「弁明する気はない、その子供の言う通りだ」
「…………あぁまぁ、人間関係も色々あるからね、あははは…」
隣にいたリューオンを睨め付ける、こいつも冴えない男だ、全くフォローになっていない。けれどそれは向こうも承知なのかお手上げと言わんばかりに肩を竦めてみせた。エフォルを少しだけ遠ざけてから面と向かって経緯を聞いてみるとすぐに返事があった。
「ビーストが襲撃した当日、俺は匿ったピューマを逃すために算段を立てていたが、そこの子供と副隊長のマヤサという女に早く区内に入れて保護しろ詰め寄られてな、そこで喧嘩になった弾みで俺が撃ったのさ」
「屑だな、お前」
「言われなくても。せっかく掴んだ金儲けのチャンスを棒に振るならまだしも俺の信用まで底を突きかけたんだ、頭に血が上っていたのは事実。だが、その事を全てあの男は既に見切っていたんだよ」
「あの男とは?」
「マギールだ、そして俺は奴までも殺して全てをちゃらにしようとした、けれど奴は生きていたんだよ、そして俺にこう言ったんだ」
牢屋に入って清らかな囚人になるか、罪を背負ったまま自由な奴隷になるか選べ、と。
「節操なさ過ぎじゃないか、マギールの奴。それであんたは奴隷を選んだという訳か」
「そうだ、これでも恩を返しているつもりだ」
「どうだかな…あんたみたい手合いは裏で動くのが性分だと思っている、またぞろ何か計画でも立てているんだろ」
口の端を上げただけで何も答えなかった。
「で、エフォルはこいつの話しを聞いてどう思った、許せるのか?」
「え?おれ?」
「当たり前だ、お前のために話しを聞いていたんだから」
私が預けた銃を両手で握り大事そうにしている。こいつに銃は似合わないな。
「…いや、良く分かんないんだけど…その、事情があったのは分かったよ…だから、」
まだ何か言いたげにしていたエフォルをアコックが制した。
「やめてくれ、危害を加えた子供に気を遣われると死にたくなってくる。これなら罵られた方がまだマシだ」
「だとさ、罵れるか?代わりに私がやってやろうか?」
「いいよ別に、許せるとか許せないとかまだ良く分かんないけど、この人達も街の為に動いているんだろ?だったらそれでいいよ」
「…………」
アコックは黙ったままだ、その視線は何を思ってエフォルを見ているのか、私には分からなかった。
こうして、私を挟んだ話し合いはエフォルの一人勝ちという和解で終わった。私も私で狙い通りの結果に落ち着いたようで一安心だ、曲がりなりにもこれから街を救おうって四人がいざこざを抱えたままでは立ち行かないからだ。
(ま、私は関係ないんだがな…さすがにこのままこの子を置いては行けない)
エフォルから銃を預かると心なしかほっとした表情をしている。お前に銃は似合わないと一言だけ伝えるとさらにほっとしたように大きく息を吐いた。
◇
私とエフォルの案内で基地内を移動し司令室と思しき場所に到着した、グガランナ・マテリアルと似た構造をしているが艦長席の代わりに沈黙した丸い台座が一つ、そして前方には大型のスクリーンが三つだけだった。
「……ここは、基地内を掌握している場所になるのかな」
リューオンが辺りを見回しながら呟く、サーバーにアクセスするならここしか心当たりがないとエフォルが答えた。
「ありがとう、少し調べてみるよ」
「何か手伝えることはありますか?どうせ暇なんで」
「君は機械いじりは好きかな?良ければ僕と一緒に見てほしい」
「あ、おれはどっちかというと文系なんで…その、すみません」
「そういえば君は父の書斎にあった紙製の本に目を光らせていたね、良ければまた持ってきてあげようか?」
「フラグを立てるな」
「それをフラグと…」
二人の会話を耳に入れていた私は思わず突っ込んでしまった、そして不運にもアコックと発言が被ってしまった。その様子を見てエフォルとリューオンがくつくつと笑っている。
「案外似た者同士かもね」
「かもしれませんね」
「………」
「………」
冗談じゃない。
その後は口を挟むことなくリューオンの作業をただ見ているだけだった。どうやらこの二人は互いに窮地を脱した仲のようで、ビーストが襲撃したあの日について話しをしていた。程なくして丸い台座のシステムが立ち上がり、ホログラムによる基地内の地図が表示された。
「ビンゴ、これでサーバーにアクセスできそうな場所を割り出せるよ」
「凄いですね、おれには全く分かりませんでしたけど…」
「ここからアクセスできそうか?」
「………う〜ん、ここは単に情報が集まるだけの場所のようだね……」
ではここからどうすれば...誰も口にしない中、私達が入ってきた扉がまたしても一人でに開いた。
「っ!」
「動くな、ここからは私の役目だ」
開いた扉から入ってきたのはセルゲイ総司令だった、そしてその手には銃が握られ私達に向けられている。アコックがにやり笑いとまた嫌な視線を向けてきた。
「どうだ、いきなり銃を突きつけられた気分は」
「……最悪だな」
さっきとまるで逆の立場になってしまった。何故わざわざ銃を突きつけるのか、私達だと知ってこの男は銃を突きつけているのだ。いの一番に声をかけたのは意外にもリューオンだった。
「…どうしてここに?それにどうして銃を向けるんだい」
「お前達はマギールの小間使いだろう。あの男の事だ、空間保護システムがダウンすることは予期していたのではないか?そしてお前達にその復元に必要な物を預けている、でなければここには来ないはずだ」
「………」
「答えろ」
「…何故私達に銃を向けるのか答えてください」
「ナツメよ最後の機会だ、その者から取り上げろ」
...変わらない、この危機的状況にもあってこの男は変わらなかった。私が何も答えないことに見切りを付けたのか、次はアコックに指示を出した。
「リューオンから取り上げろ、今度もそれ相応の席を用意してやる」
「必要ない、今の俺はただの奴隷だ」
「貴様の所業を全て明るみに出すぞ、何のために政府へやったと思う」
「出せるものなら出してみろ、ここでごたつくだけ街が壊れていくぞ」
「………」
「その、一緒に解決する…っていうのは駄目なのかい?ここで敵対する理由が分からないよ」
アコックから視線を外さずリューオンの質問に答えている、やはり警戒すべきはこの男らしい。それならばと算段を立てるが、総司令の言葉に立てたそばから抜けて落ちてしまった。
「この街に総司令代理などと勝手な席を設けた男から取り返さなければならない。ここで奴の手柄となれば私の苦労が全て水の泡になってしまう」
「………あんたはこの期に及んで自分の見栄しか張れないのか?」
敬語を使うことも忘れ、銃の扱い方を教えてもらったことも忘れ、幾分の汚点はあれど今の私を形作ってくれたこの男に対してあった恩も忘れ、ただ間抜けに聞き返していた。
「貴様に何が分かる、己が全てを懸けて守ってきたこの街を好き勝手にされる屈辱が分かるのか?分かるまい、ただの売女風情に分かるはずがない」
「なら、あんたは最後の最後までこの街の為に働き続けて死んだ男の気持ちが分かるというのか?」
総司令の...いや、セルゲイの言葉よりアコックの言葉にショックを受けてしまっていた、それは一体誰のことを...いや、そんなまさか。
「…何が言いたい」
「マギールさんだよ、もう亡くなっているんだ」
(あぁ…嘘だ…)
リューオンの言葉についにセルゲイの視線が外された、その隙を逃さずアコックが詰め寄り仕掛けるがすんでのところで躱されてしまった。銃のグリップで後頭部を叩かれアコックが昏倒する、そのまま狙いを付けたセルゲイに、
「エフォル!」
「よせっ!!」
どこに隠れていたのかエフォルが銃を持つ腕にしがみ付いた、それに慌てたセルゲイが子供相手だというのに遠慮なく殴り付けていた。
「このクソったれ!!」
吠えたのは私ではない、倒れていたアコックだ。そして続け様に銃声が二回。
「アコック!」
「静かにしろぉっ!!」
セルゲイの怒号で場が静まる、しかし両足を撃ち抜かれたアコックは喘いでいた。
「リューオン!これ以上怪我人を増やしたくなければ俺の指示に従え!」
「……リューオンっ、こいつを今すぐに殺せ!俺と同じクソ野郎の言う事は聞くなっ」
混乱する中リューオンが選んだ道は、
「……好きにしなよ、そのスティックの中にある」
そう言いながら懐から出したスティック型ストレージを地面に投げた。
「デュランダル!今すぐに調べろ!」
すると、どこからともなく現れた女がそのストレージを拾い上げて無言で眺めた後こう答えた。
「確かに、ユング・ドラシルの情報が入っています」
「ここに介入してこいつらを閉じ込めておけ!」
「……分かりました」
少しだけ眉根を寄せてから答え、また音もなく消え去った。奴がこの場を後にして、残された私達は閉じ込められてしまい途方に暮れてしまった。
一瞬の出来事だった。なけなしの恩も消え、まだ恩も返していない相手が亡くなったと知ってしまった私は暫く頭が思うように回らなかった。
117.d
[遅いなぁ〜早くしないとまずいのに遅いなぁ〜]
[そだね]
[また動画見てるの?]
[ううん、わたしはどうしてバルバトスのことを情が篤いと言ったんだろうね]
[今さらなの?今さらそれについて考えていたの?時間差というやつかな]
きっと向こうで何かあったに違いない、もしくはアヤメを介して記憶が流れ込んできたのか。どちらにしても今は言うべきことではない、それに彼女には自力で思い出してほしかったというのもある、だから言葉を濁した。
まだうんうんと唸っているアマンナをこそばゆい思いで眺めていると、ようやくナツメからコールが入った。しかしその内容がとんでもないものだったから思わず仰天してしまった。
[アマンナ!一人でお留守番できる?!]
[え?!できるけど何かやだ!何があったの?!今のナツメからだよね?!]
[エフォルを基地に送り届けている最中にリューオンと会ってそのままシステムの復旧に向かったんだけどセルゲイに邪魔をされて仲間が一人撃たれて司令室に閉じ込められてしまったみたいなんだ!早く助けに行かないと!]
[まとめてくれない?]
◇
バルバトスを緊急発進させて彼女達の指示通りに機体を飛ばす。外壁沿いに飛んでいると少しだけ扉が開いている箇所があった、そこだけ他と比べて浮いているように見えるのできっと突貫工事で作り上げたのだろう、さらに上昇していくと丸いスリットがいくつも見えてきた。
[あーここここ、確かそこからガドリング砲出てきたはずだよ]
[何故に?まぁいいや。ナツメ、司令室付近に到着したよ、できるだけ外壁側から離れて]
[頼んだ]
どこか元気が無いように聞こえるナツメの声、これは彼女を励まして僕の好感度を上げられるチャンスだと力んだのが悪かった。
[せーのっ!]
僕が持つ物理的介入手段はそう強くはない、並の攻撃力しか持っていないはずなのに司令室付近の外壁が盛大に爆発してしまったのだ。
[何事っ?!]
掛け声と共に放った攻撃がガドリング砲にも被弾して辺り一面を火の海に変えてしまった、爆発により壁が吹き飛び思っていたよりも大きく空けてしまった。成層圏付近の風によりすぐに鎮火、煙りも程なくして払われ司令室の中で怯え縮こまっている四人がいた。
◇
「やり過ぎだ」
「やり過ぎだろ」
「少し手加減を加えてくれないかな」
機体に搭乗するなり文句を言われてしまった、当たり前か、おかげでこの三人も...いや四人が死にかけてしまったんだから。足を撃たれた男が浅い息を繰り返して呻いている、まだ意識はあるようだけどその足はもう使いものにならないだろう。
[で、中で何があったの?]
あれ、さっき説明したよね?アマンナの問いかけにリューオンが答え、このまま近くの病院まで飛んでほしいとお願いされた。
[バルバトス、行ってくれるよね?]
[もちろんだとも]
「それとバルバトス、第十二区へ飛んでくれ」
ナツメの要望にどうして行くのかとアマンナが聞いている、その声音は固くまた悲しみの色が含まれていた。きっとこの三人から訃報を聞かされたのだ。
「マギールが亡くなった」
[え……ウソでしょ、どうして?マテリアルなのに死ぬはずないよ]
「バルバトス、お前は知っていたんだな?だから私達にまみむめもの話しをしたんだろ、違うのか?」
「ということはもしかして…君がまみむめもだったのかい?そういう事か…」
[……彼からのお願いさ、最後にナツメを連れて来いと言われていてね。中層に行く前にどのみち寄るつもりだったんだ]
彼女の泣き顔を間近に見たのは初めてだった、いつも毅然としていた雰囲気もなくなりただの女の子に戻ったように見える。
「どうして教えてくれなかったんだ、一言ぐらいあってもいいだろうに……」
彼女の言葉にコクピット内が静かになる、あれだけ反抗的だったエフォルもどこか労わるようにナツメのことを見ていた。
[ごめんよ、彼から連絡があったのは本当に寸前だったんだ。それに口止めもされていてね、余計な心配をかけたくなかったんだと思う]
「何が余計な心配だ、私と話しをしていた時は酒を呑んだと言っていたくせに…」
このまま彼女が感極まって泣き出すかと思いきや、思いがけない言葉が投げかけられた。
[シャキっとしなよナツメ、そんな情けない顔テッドに見せられるの?]
「…………」
劇的な反応だった。目は大きく見開き口も空けてまるで魂が抜かれてしまったようにぴたりと動かなくなった、そして流れそうになっていた涙も瞬時に乾き、その様子を見て僕は居た堪れない気持ちになっていた。こうして人は感情を忘れていくんだと儚く感じ、彼女を憐れに思った。
(それぐらいは許してあげなよ。でも、きっと妹はそれすらも許せないんだろうな…)
兄と慕う程深い関係にあった人を亡くしているんだ、妹もそれ相応に深い傷を持っていた。そして彼女もまた同様に副隊長であったその人を自分の不始末で亡くしてしまっている、この二人は同じ傷と悲しみを持ちながら決して慰め合えない溝もまた持ち合わせていた。
アマンナの言葉にナツメがすぐに持ち直した、けれどその早さが却って非人間的に見えたのは無理らしからぬことだった。
「……すまなかった。バルバトス、先ずは病院に飛ばしてくれ」
[分かった]
彼女の言う通り、死者を悼む時間も同じように置き去りにしてタイタニスの基地から離れた。
◇
第一区の病院、屋上の人型機ポートも凍り付いておりストレッチャーではなく人員による搬送が行われた、つまり負傷者を直接おんぶして病院内に移動したのだ。
勿論ナツメはコクピット内に残っている、リューオンも既に降りておりエフォルだけがどうしようかと迷っているようだった。その様子に構わずナツメが冷たくエフォルを突き放した。
「何をしているんだ、ここはお前が居ていい場所ではない。今すぐに降りろ」
「………」
「私は言ったよな、お前に銃は似合わないと。ここに居座られても迷惑なだけだ」
「……分かった。それじゃあな」
どこか傷付いた様子を見せ、ようやくエフォルが降りる気になったようだ、開け放たれたハッチへ進み降りる直前にナツメへと振り返った。
「あんたこそバイオリンの方が似合ってるぞ」
「…………………」
深い沈黙。
「それとバルバトスも、元気でな」
まさか声をかけられるとは思ってもみなかった。何も言えず、彼の背中を見つめる以外に出来ることがなかった。エフォルが降りたのを確認した後、ゆっくりとハッチを閉じる。これできっと、永遠に彼と会うことはない。
深い沈黙を破ったのはナツメの溜息だった。
「はぁ……子供のくせに達者な奴だった、何も言い返せなかったよ」
[それは僕もだよ、どうやら彼の方が僕達より大人らしい]
[それわたしも入ってるの?]
またこの三人に戻った。アマンナの茶化しに僕もナツメも答えないまま機体を発進させた。向かう場所はマギールのマテリアルが安置されている第十二区だ。
タイタニスが作ったシステムは何も街だけを凍りつかせた訳ではないみたいだ、コクピットの中も外と同じように温度が下がり、これ程陽の光りを恋しいと思ったのは初めてのことだった。
✳︎
「システムの再構築、順調に進んでいます」
「見れば分かる」
気付かれないようにそっと息を吐いた。つくづく私という存在は人に恵まれないらしい。どうしてこういつも...
善意で動いていた人達から巻き上げたストレージには、ユング・ドラシルを復旧させるだけでなくいくらか手が加えられているデータが入っていた。さすがマギール・カイニス・クラークといったところか、マキナのマテリアル、エモートの祖にして人類の裏切り者。人の身を捨て自らもまたマキナに身をやつした男だ。
(一体どんな人だったのでしょう…)
この男に付き従い各区を回ってみて、まず目に付いたのが訃報を知って嘆き悲しむ人達の姿だった。この男は直接言われるまで気付きもしなかったようだが、私には分かった。誰も彼もがマギールの死を悼んでいたのだ。
「残り時間は?」
「もう間もなくです」
あなたに対する忠誠心も。
アマ姉の近くにいたあの女、名前はそうアヤメ、どうしてああいう優しそうな人が私の傍にいてくれないのか。この街の空で戦闘していた時も、中層の空でもそうだったけど私相手に手を抜いていた、間違いなく仕留められたはずなのにそうしなかった。それにバル兄が作ってくれたサポート・プログラムもてんで駄目、何故守護対象に指定していたルーターを破壊するようこの男を仕向けたのか、今も分からないままだ。
このインジケーターが満たされたら私の役目も終わりだ、後ろから首筋辺りに刺さってくる嫌らしい視線からも逃れられる。そう思ってただ見つめていたのにその動きがぴたりと停止した。
「……?」
順調に進んでいたシステムの再構築が止まってしまったのだ、異変に気付いた男が電算室に置かれたモニターを覗き込もうとするがそれより早くさらなる異変が起こった。
[ご機嫌よう。タイタニスの隠れ家にいるのは誰かしら、少しお話しをしましょう]
「何者だ、お前が呼んだのか?」
「まさか、私ではありません、外部から割り込まれています」
そのせいで再構築の時間が延びてしまった。サイアク。こちらに呼びかけてた者が自らをテンペスト・ガイアと名乗った、今起きている事象の元凶そのものだった。
[タイタニスが作ったこのサーバー、枝を付けるのに随分と苦労したわ。それよりも今進めている改築は一体何かしら?]
「改築?何の事だ」
[街の保護システムであるユング・ドラシルをより強固なものに作り替えているでしょう?そこの得体の知れないマキナによって]
「貴様…何故黙っていたんだ!俺の預かり知らぬ所で好き勝手やるなど!」
「私はあなたの言いなりではありません。それに市民達を守れるのならより良きものの方がいいでしょう」
「勝手な真似をするなと言っているんだ!もういい!ここから失せろ!」
この場に私の機体を呼ばなかっただけでも褒めてほしい、褒めてくれる相手なんて誰もいないけど。
[そこの人の子よ、私と取引きをしましょう。何、私達はただあなた方人間を殺したいだけではないのよ。より良き未来のために]
「抜かせ、誰が貴様の言う事に耳を傾けるか」
[あなたの望む街が手に入るとしたら?あなたの望むままに動く部下が手に入るとしたら?]
「………」
男が黙った、心が動いたらしい。
「私は興味ありませんのでご自由に」
[そうはいかないわデュランダル。あなたの身元は全てこちらで掌握済み、付き合ってもらうわよ。私の親ですらなし得なかった事を今ここでさせてもらましょう]
「何を馬鹿な……」
それは言ってはならない知られてはならない言葉。兄と姉が死に物狂いで求めたその言葉、そしてその事を知っている自身の歪さと曖昧さが仇となってテンペスト・ガイアに取り込まれてしまった。
[心焉解放。さぁ、あなたの全てを私に預けて、私の全てをあなたに預けましょう]
どうせ朽ちるだけの身だ。テンペスト・ガイアの思念がこちらに流れ込んできた、気味が悪い、けれどそれもいずれ慣れてしまう。
嗚呼...どうして私はこう、人に恵まれないのか...同じね、私と同じ、気が合いそうで良かったわ。そうなの?それは意外ですね、私はもっと自由にしている方なのかと思っていました。けれど残念、私はあなたと馴れ合うつもりはないの、分かっています、後はその男だけよ、それも分かっています、その後はあなたもよ、これで解放されたとは思っていません、けれど今の状態も悪くないですね、気に入ったわ。
怯える男の視線が私に突き刺さる。
✳︎
「…………」
安らかな顔だった、まるで眠っているよう。
「まみむめもとは、一体何だ」
発言すること自体がおこがましい、そう思わせる程静謐に満ち満ちた空間だった。外では極寒の風が窓ガラスを叩いているというのに、マギールのマテリアルが腰掛けているこの空間だけは静かであった。
うたた寝をしているように見えるマギールの前に端末があり、私の言葉に反応するように明かりが灯った。音声認識を利用した自動再生の言葉でも私の涙腺は緩まずにはいられなかった。
[良く来たナツメ、下らない合言葉を設けたのは単なる儂の我儘だ。この端末と儂のマテリアルをお前さんに預けようと思う、他に適任者がおらんのだ、頼まれよ]
「嫌だと言ったら?」
[どうせお前さんのことだ、嫌そうな顔をしておるだろうが先ずは端末を調べると良い、嫌でも預かりたくなるだろう]
微妙に噛み合っているのかいないのか、私のことを読んできたマギールには脱帽した。いや、あれだけ接してきた仲なんだ、誰にだって出来る予測かもしれなかった。
「まぁいい、後で見るよ。それとあんたのマテリアルを預かれというのは?」
これで端末のギミックを解かないと続きを話してくれない、とかだったらどうしようと一瞬だけ焦ったがすぐに音声が再生された。これも予測済みらしい。
[ふむ…行きしなでも確認はできるから良いか…それと儂の前に立て]
言われた通りに歩みを進める、自分でも驚く程に足が重たかった。ここに来るまでの間、実に様々な事があったせいだ。
アヤメを六階層へ落下させてしまった事、副隊長がつぐ酒で泥酔してしまった事、中層攻略戦の際に超大型のビーストの眉間に銃弾をくれてやった事、まだまだある。
(………)
中層の森に驚き感動し、異形のビーストに殺されかけた時もあった。街で再会したたった一人の副隊長を守り、そして守られたあの局面。倒したはずのビーストに追いかけられすんでのところでグガランナ・マテリアルに助けられ、生まれて初めてテンペスト・シリンダーの外へ出た時もあった。仮想世界へ行き人型機の訓練を学んだ、下層で攻めてくるクモガエルを追い払った、傀儡の英雄にだってなったことがあった。メインシャフトの最下層に降りてイエン達と出会い、ビーストの本拠地を叩いたりもした、そういえばこの頃から結婚逃しも私達と同行するようになった。
(…………)
戻ってきた街はビーストに襲撃されて混乱し、私は私でマギールの使いに疲れ果てていたのを覚えている。休む暇もとくになくそのまま中層へと向かい暴走しかけていたセルゲイを先回りして止めるため再び仮想世界に潜ったりもした。あそこで私は「戦い」の何たるかをペレグから学び、そして現実に帰還してものの見事に失敗してしまった。オーディンと言葉を交わしたというに私は自己陶酔の沼にはまってしまい、大切な、大切な...あいつを失ってしまったんだ。
「──っ」
そうして私は生き延び、ビーストに代わって新たな敵となったノヴァグの群れから人々を守り、その部隊をアヤメに預けてここにこうして立っている。問題はまだまだ山積している、このままではあいつが安心して帰れる街にはなれない。
重たかった足がようやく動いてくれた、私がそうあるべきと望んだ未来と自らの決意のために。
「立ったぞ、早くしてくれ」
[右耳の付け根をさっさと押せ]
言われた通りに耳の回りを調べてみる、予想通りに冷たいマテリアルを探っていると細かな作動音が耳に届いた、次いで耳の後ろから一つのキーが排出された。
[それが儂のマテリアル・コアだ。そこに全てのアンチ・プログラムがある、メイン・サーバーがある中央電算室に赴きプログラム・ガイアを止めてくれ]
「………」
目線の高さまでキーを持ち上げる、半透明のアナログキーには複雑な溝があり、月並みな言葉だがこの男が隠し持っていたにしては綺麗なものだった。
[頼んだ。ではな、礼儀正しい若者よ、お前さんが弔ってくれたあの者と同じように儂も逝くとしよう]
「あぁ、あんたには色々な事を教わったよ、名前の通りにな」
声が届くことはないと知りながら、そう言わずにはいられなかった。