第百十三話 マゼンタの瞳には映らない(甘口)
113.a
私とお姉ちゃんが実家から寮へ引っ越しする時も今と同じように涙ぐんでいたのをはっきりと覚えている。生まれてからずっと過ごしていた部屋だ、愛着だって勿論あったし何よりもうこの部屋には帰ってこれないんだと思うと無性に悲しくなってしまう。そして今もそうだった。
「忘れ物は無い?」
「……うん、大丈夫」
中層にやって来て、何とかビーストの襲撃を退けて辿り着いたこのホテルのこの一室。私とお姉ちゃんが使っていた部屋は、ノヴァグの襲撃から幸運にも逃れたようでどこも壊された様子がなかった。逆にそれが物悲しさを際立たせており実家を離れた時と同じように涙が溢れそうになった。
「もう……ここに戻ってくることはないんだよね」
「当たり前でしょうが、だから忘れ物が無いか見に来たのに」
「………家を出る時もお姉ちゃん、同じこと言ってたよ」
「そうだっけ?もう覚えてない」
お姉ちゃんは割りとサッパリしている方だと思う、その点私は駄目だ、この部屋にだって愛着が湧いているしここで過ごした日々が私の足を止めてくるのだ。悲しい、けれど仕方がない。
忘れ物のチェックを済ませて部屋を後にすると、私達の窮地を救ってくれた男の子が扉の前で待ってくれていた。名前はバルバトス、何故あの天使のような容姿で悪魔の名前を持っているのか不思議だった。
「もう終わった?」
「うん、こっちは大丈夫」
私とお姉ちゃんの後ろ側を覗き込むようにして首を傾げている、その仕草は子供のそれだ、この子もまたアヤメさん達と同じように人型機を操るパイロットでもあった。
あまりに見過ぎていたせいか、バルバトス君が私の視線に気付いてすぐに首を引っ込めた。
「ごめんね、女性の部屋をあまりジロジロと見ちゃいけなかったよね」
「あぁいや…うん…」
「荷物の回収は私達だけ?他の皆んなはもう揃ってるの?」
「うん、後は君達だけだよ。部屋とのお別れはもう済んだのかい?もうここに二度と戻ってくることはないと思うよ」
その言葉にまた、私のいじけ虫が反応してしまった。手にしていた荷物をガラス片だらけの床に置き、一度閉めた扉を再び開ける。お姉ちゃんの溜息が聞こえた気がするけれど気にするもんかとお別れの挨拶をした。
「お世話になりました」
閉めゆく扉の向こうには、ずっと私達の眠りと憩いを守り続けてくれた部屋が少しだけ悲しそうにしているようだった。
◇
エディスンに滞留していた攻略部隊と一般市民の移動が真夜中に決定された。ノヴァグの度重なる襲撃によってホテルは破壊され、とてもじゃないが一夜を過ごすにはあまりに心許ないというのがその理由だった。また、ホテルからでも見えてしまう程のアヤメさん達が「卵」と呼称する未確認物体が放つ光りが不安を掻き立てる、というのも私達の足を動かす理由になっていた。
コテージがある森に隠していた車をホテル入り口につけて、負傷者の搬送作業が行われている。それ以外の市民は展開している部隊の中央に集まり敵からの襲撃に備えていた。そしてタタリとマギリさんの人型機も前後についてくれているのでとても心強かった、ここに来た時とは違い二人のパイロットを知っているというのも心強さに拍車をかけてくれていた。
ホテル入り口に集まっている人々は緊張した面持ちで出発の合図を待っていた、けれど誰一人として悲痛な気配はなくむしろ出発を今か今かと待ち侘びているようにさえ見えた。
(アヤメさんはどこだろう……)
できることなら傍にいてほしいその相手を探し求めると、ナツメ総大将の人型機の足元にアヤメさんの姿を見つけることができた。機体が大破したと聞いていたけど元気そうで安心した、けれど街に戻って来てから一度も会いに来てくれないのでそれだけが不安だった。
✳︎
「何?それは本当なのか?」
「うん、僕の力を使ってもあの物体を調べることが出来なかったんだよ」
「力って?もしかして……」
ちらりとアマンナの様子を窺うと眉根を寄せて口をへの字にしていた。
(お腹でも減ってるのかな…)
つまりは良く分からない。
「そ、アマンナと同じ力だよアヤメ、やっぱり君も知っていたん……って痛いよ!何するのさ!」
「呼び捨てはやめてもらおうか、しかるべき手続きを取ってからにしたまえ」
「あんたは黙ってて、話しがややこしくなるから」
「くぅ〜っ!向こうではあんなに良くしてくれたのに!ほんと何がいいのか……」
ぶつぶつと喋りながらアマンナを睨んでいる、睨まれているアマンナは知らんぷりだ。
「ちなみにその手続きってのは何?念のために聞くけどさ」
「吸い口」
「それ味噌汁に入れる薬味のことだから」
マギリに突っ込みを入れられてしまい、ドヤ顔のアマンナの頬が薄らと赤くなった。
「……?え?何?キスって言いたかったの?」
「ここにいる皆んなはアヤメに口を吸われた仲だから」
「その表現やめろ!言い回しするなら考えてから言って!」
思わず声を張り上げ私も突っ込みを入れてしまった、心なしかバルバトス君が私から距離を空け始めた。
「え…アヤメって……そんな風には見えないけど…え?アマンナ、本当にこの人は大丈夫なの?手癖が悪いにも程があるんじゃ…」
「誤解だからバルバトス君!」
「ほぅ…お前は私が男に見えていたのか…」
「アマンナもちゃんと訂正して!私の沽券が下がるから!」
「ぷぷー!それを言うならこけんじゃなくてコケシだよアヤメ、まさか間違えるなんて…ぷぷー!」
「いや合ってるよ!沽券で合ってんの!」
「え?そうなの?あとであの動画配信者のチャンネルは消しておこう…」
「あぁもう!僕は賑やかな会話を楽しみに来たんじゃないやい!ナツメ!僕と一緒に来て!」
「断る、え?」
「ちょっと待ってよ…条件反射で断ってから聞き返すのは止めて…」
それには私も反対だ、何故よりにもよってナツメなのか。
「バルバトス君?どうしてナツメを連れて行こうとするの?」
「君には関係ない話しだよ、それにちゃんとアマンナがいるじゃないか」
「ふふん」
「いや待って理由になってないよ。それに何処へ連れて行こうとしているの?」
「僕の本拠地さ、このままではあの物体を破壊することはおろか調べることすらままならないからね、だからナツメと一緒に行きたい場所があるんだ」
「それを聞いたうえでも私は断る、ここにいる連中を上に帰さないといけないからな。諦めてくれ」
その言葉を聞いてひどく安心してしまった、もし仮にナツメが離れるようなことがあれば私が指揮を取らないといけなくなってしまうからだ。それに、この状況でナツメと離れてしまうことに強い忌避感があった。
二度も断られたバルバトス君があっさりと引き下がってくれた、けれどまだ諦めてはいないようだった。
「……仕方ないか、いきなり来てほしいなんて言われても無理があるだろうし。けれどこれだけは覚えておいて、このままでは人類は太刀打ち出来ないってことを、必ず僕の力が必要になる。そして君もだ、ナツメ」
「………」
「別にいいじゃん?二人はお似合いのワッフルだと思うよ?ひゅーひゅーっていだだだだっ?!」
相変わらず場を茶化してばかりのアマンナに私とマギリで抓りの制裁を食らわせた。
◇
「痛いよぉ〜とくにアヤメが痛いよぉ〜……」
「アマンナが悪いんでしょ、変なこと言うから」
「そんなにナツメと離れるのが嫌なの?」
図星を突かれて思わず言い返せなかった、ほんとにアマンナは鋭い。小腹を満たしたアマンナが人型機へと足を向けた、マギリは既にコクピットで待機しているはずだ。
「別に…そんなんじゃ…」
去りゆくアマンナの背中にやっと言い訳を返すと、思ってもみない言葉が返ってきた。
「わたしはアヤメから離れたりしないから安心してね、でも浮気はダメだから悪い手癖は直してね」
「アマンナが変なこと言うからでしょうが!」
私の文句に動じることなくいつか見たあの笑顔でにっこりと微笑んで手を振ってくれている、その笑顔にドキリとしているとすぐに向き直って顔が見えなくなった。
「…………」
私は徒歩で向かうことになっている、ナツメは先行して異常が無いか調べるため部隊にはいない。一時的ではあるが私が部隊の指揮を預かることになっていた、その役割の重さが肩にのしかかり胃を締め上げて溜息を外へと押し出してくる。
(それもこれもあの人を助けようとしたから……いいや、コントロールを奪われてしまったから……)
私の機体は空中でコントロールを失い地上へ落下、その衝撃で大破してしまった。そしてハデスさんもまた地上へ落下してしまいマテリアルの稼働が停止している、バルバトス君の調べによればエモート・コアは無事なようだがマテリアル・コアが大破してしまっては同じ意味らしい。そのせいもあってアリンちゃん達とはまだ顔を合わせていなかった、何と説明すればいいのかと考えあぐねていたからだ。
[アヤメ、こっちの準備は整った。いつでも合図を出してくれ]
ついにやって来た、私達の街へ帰る時が、そしてまさかその号令を私が出すなんて思いもしなかった。
「分かった。ナツメ、その……」
[何だ?]
「………何でもない」
どこにも行かないで、そう言わなかったのは意地なのか恥ずかしかったからなのか、この時の私には分からないことだった。
✳︎
[聞こえておるなナツメ、こっちに戻ってきたら儂の公務室に顔を見せろ]
「あ、おい!」
切りやがった...こっちも報告することがあったのに何てせっかちな。
「今のはマギールだよね?何の話しかな」
「………」
「ん?」
私の前にすっぽりと収まっているバルバトスが邪気の無い瞳を上向けた。
(馴れ馴れしいんだよっ!)
しかも頭を私の胸に預けやがって!本人はすっかりご満悦のようだ。
「これが僕達のお下がりかぁ、いやはや良く出来ているね、感心したよ」
などと言いながら私が握ってる手の上からコントロールレバーを撫でている、勝手に同乗してからあちらこちらを眺めたり触ったりと忙しない。
部隊を残し哨戒任務として周辺地域をくまなく見回っているが今のところ異常は確認されていない、バルバトスの言う通りホテルに集結したノヴァグの群れが最後のようだった。しかし、今なお卵は健在しており孵化した後のことはバルバトスでも何が起こるか分からないらしい。だから早急に手を打たないとまずい事になる、としつこく私に言ってくるのだ。
(何で私なんだ…)
他にパイロットはいくらでもいるだろ、いやいくらでもはいないが...私の体にぴったりと寄せているバルバトスの小さな体を避けながらコンソールへ手を伸ばし、定時連絡をアヤメに入れようとすると先を制してバルバトスが操作をしてくれた。
「へへん」
「えらそーに…」
「ちょっとぐらい褒めてくれてもいいんじゃないの?僕そろそろ泣くよ?」
[こちらアヤメ、定時連絡どうぞ]
「あ、こっちは異常ないよ〜。アヤメさんの方はどうかな?」
[………は?何この声、ナツメ?まさか連れ込んでるの?]
「違う私ではない、勝手に入ってきたんだよ」
何この声。その一言でアヤメがおかんむりになっているのが分かった。少しだけこそばゆい思いをしながら異常が無い事を伝えた。
「そのままエレベーターシャフトへ進んでくれ」
[分かった、で、バルバトス君はどうしてそこにいるの?]
「アヤメさんには関係ないよ〜僕達のことは気にしないでね」
[してるから聞いてるの、パイロットが二人同じ機体に乗る意味あるの?どうせなら巡回に加わってほしいんだけど]
「どうしよっか、ナツメが行ってほしいって言うんならそうするけど、僕はあんまりオススメしないな〜」
[ちょっと!今は私と話しをしているんでしょ!………えぇ?!あ、はい、すぐに行きますので……いい?!余計な事したら駄目だからね!]
向こうは向こうでやはり忙しいみたいだ、通信中のアヤメに声をかけるなど何かあったに違いない。通信を切る間際にアヤメがバルバトスへ釘を刺し、そのバルバトスが余計なことを言ってしまった。
「分かってるよ〜ナツメの前は座り心地がいいから暫くのんびりとしているよ」
[はぁっ?!!ちょっ、ほんと何やって……]帰ったら説教やら何やら、ぶつぶつと言いながらようやく静かになった。
(あの…アヤメがまさか、嫉妬しているのか……?)
私とてそこまで朴念仁ではない、アヤメが何に怒っているのかぐらいは理解できているいやちょっと待ってくれ、本当に?あのアヤメが敵意を剥き出しにしてバルバトスと会話をしていた事にも驚きとちょょょっとした優越感はあった。まさか、私が...そうか、ついにいや何がついになのか分からんが。
初めて人型機で飛行訓練をした時に感じたお尻から抜けていく感じと、腹が据わらない、胸の内がふわふわとした気持ちになっているとアマンナから通信が入った。
[心が………痛い]
「………聞こえていたのか」
[心が………痛い]
「どうして同じことを二回も言ったの?」
[あー…次から連絡する時は専用回線でお願いしますね?こっちも聞き流すの大変なんですよ]
「ん?どういうことなの?」
またしてもバルバトスがくるんと上向き私に顔を向けてきた、ちょうど私の顎下あたりにバルバトスのおでこがあったのでそのまま踵落としならぬ顎落としをかました。
「あいたっ……何するの痛いよ〜暴力振るう人多すぎるよ〜」
「お前は少し静かにしていろ」
「ナツメが僕の事を褒めてくれないからでしょ?こんなに頑張っているのにさ」
「何をしろってんだ」
「いやほら、そこはお任せで。頭撫でるとか良く頑張ったね〜とかさ」
「任せたいのかやらせたいのかどっちなんだ」
その時コクピット内にアラート音が鳴り響いたので肝を冷やしてしまった、隠れた敵かとコンソールを確認すると後方に控えていたマギリ機によるロックオンだった。
[やめなって!気持ちは分かるけどっ!]
[急にラブコメが始まったからさ、違う世界線のお話しだと思って消したくなった]
[ナツメさん!その、何と言えば…あー…ほんとお願いしますね!たまにはこっちの気持ちも汲んでください!通信以上!]
ぶつりと通信が切られる。
(はぁー……)
「何を怒っていたんだろうね?」
(お前のせいだろうが!)
何気にマギリの発言が一番堪えた。
113.b
マギリさんの人型機、背中に装着された小さな人型機の手足がバタバタと暴れていたけど何かあったのだろうか、それもすぐに終わったことなので誰も気にしていないけれど。
(大丈夫かな……)
それよりも私はアヤメさんのことが気になっていた、総大将に代わって全部隊の指揮を取っているんだ。あの優しくて気配りができるアヤメさんだ、きっと全部隊のことが気になって仕方がないはず。結局アヤメさんはホテルに戻ってきてから一度も私達の所へ来てくれなかった。
「ねぇお姉ちゃん」
「ん?何?もしかして疲れたの?」
お姉ちゃんはここに来る時と違って優しくしてくれるようになった。
「ううん、そうじゃなくてアヤメさんがね…大丈夫かなと思って」
「あぁ…」
お姉ちゃんもすぐに気付いたようだ、眉を少しだけ曇らせてアヤメさんの方に視線を向けている。
「絶対気が張り詰めてるよね…これだけの大所帯なんだもん…」
「ね、やっぱりそう思うよね、何が出来ることはないかな?」
「ん〜…こういう時は良し悪し関係なく勝手な行動はしないほうが……」
「でもこのまま黙って見てるのも…」
「う〜ん……とりあえず私達だけで護衛部隊をぐるりと見て回ろっか、何かしら問題が起こっていたら未然に防げるかもしれないし」
少し遠くを歩いていたミトンとアシュを呼び寄せた。
「問題って、何があるのかな」
「あの二人の愚痴を聞けばすぐに分かるよ」
「?」
到着したミトンとアシュが早速愚痴を吐き出した。
「…疲れた、そして眠い」
「ねぇねぇ!あっちの方に何か面白そうな森があったんだけど行ってみない?!ちょっとだけだから!すぐに戻ってくればバレないから!」
(あぁそういう事なのか……)
ミトンは疲労、アシュは単独行動を取りたいとどちらも我儘を言っている。
「あんた達ねぇ…期待通りというか情けないというか…少しぐらい緊張感を持てないの?」
「だってもう敵はいないんでしょ?ただの団体行動じゃんか」
「はぁ〜……」
「えぇ何その溜息…」
お姉ちゃんが皆んなを連れて少しだけ本通りから離れた。右手には雑木林が並び左手には草原が広がっている、初めてピューマと出会った場所だった。
「いい?私達でアヤメさんの負担を減らすの、これだけ大所帯を見ているんだから絶対しんどいはずだよ」
「え?団体行動中は勝手な判断で動かない方がいいのでは?私が言うのもなんだけどさ」
「本当よ」
「…ほんとに」
「うるさい!」
二人から同時に突っ込まれて顔を赤くしている、本当だよ、さっきまで遊びに行きたいって言ってたくせに。
「…ここで頑張ればアヤメさんに褒めてもらえる?いわゆるご褒美チャンスということ?」
「え?べ、別にそういう訳じゃ…わ、私はただ為になればと思っているだけで……な、撫でられたい訳じゃないから!」
「白々しい」
「…白々しい」
(白々しい…)
「う、うるさい!」
お姉ちゃんがどんどんポンコツになっていく件について。それにご褒美としか言っていないのに撫でられたいって本音が出てるじゃん。
「とにかく!市民の人達が疲れていないかだけでも見て回るわよ!いいわね!何かあったら私に報告!以上!」
「撫でられたーい!!」
「…おー」
「それやめろ!」
こうして私達の特別ミッションが密かに開始された。
◇
「だ、大丈夫なのかい…?本当に敵はいないんだろうね…さっきの騒動の時にも部隊の人達がまた殺されてしまったんだろう…?」
「それはその……」
「えぇと、周囲に敵はもういませんよ、だからこうしてエレベーターシャフトを目指している訳でして…」
先頭にマギリさんの機体、その後ろに二個小隊からなる尖兵部隊、次にアヤメさんが直接指揮を取る本隊、次に六個小隊の護衛部隊に守られている一般市民の方々、そして最後方には運搬部隊とタタリの人型機が付いている、総勢数百名を優に超える大隊の様相を呈していた。
私とアシュは六個小隊の中央で移動している市民の方々へ声をかけて回っているところだった。無差別という訳ではなくどこか疲れていたり辛そうにしていたり、そして今のように不安を募らせていた市民の声に耳を傾けている...これがまたとても大変だった。
(そ、そんな事言われてもなぁ…)
(そんな事私達に言われても…)
口には出していないけどアシュも同じような事を考えているに違いなかった。
(いやまぁ…自分達から話しを聞いて教えてもらった訳なんだから…)
「ええと、何が不安、なんでしょうか…?」
言葉を選びながら何とか口から出た質問に、市民の方が食ってかかるように答えた。
「置いていかれないかって心配なんだよっ、さっきの騒動でまだ生きている人がいるかもしれないのに、さっさと引き払って出てしまっただろう?」
「………」
「………」
頭からすっぽりと抜け落ちていた、そして抜け落ちていた事に自分でも薄ら寒い思いをしてしまった。
目の前で、いくら嫌いな人達とはいえ殺されてしまったんだ。それなのに当たり前のように忘れてしまえるだなんてどうかしている、けれどあの時は確かに...
「こらこら、この子らにそんな事言っても仕方ないだろ、せっかく気を遣って声をかけてくれたのにマジレスしてどうするんだ」
「あぁ、いや、すまん。言われてみれば確かにそうだ…悪かったよ」
どうすればいいだろうかと考え、弾き出された答えをとくに悩むこともなく口から出していた。
「……落ち着いたらまた街に戻ってきて弔いをしましょう、いつになるか分かりませんが…その、良ければ皆さん方もご一緒に…」
「っ?!」
私の後ろでアシュが驚いている気配が伝わってくる、自分でもこんな大仰な事を言っても大丈夫だろうかと不安になるけれど、あのホテルの一室がどうしても頭から離れなかった。その後、「マジ天使……」とか「俺の嫁にするわ……」とか色々と言っていたけど、少しだけでも元気が出たようで何よりだった。その事も相手に伝えると「聖女様……」と歩みも止めて跪いたのでびっくりしてしまった。
✳︎
「あとどんくらいかかんの?」
「えーと…朝までには着くはずですよ」
「は?それマジで言ってんの?ずぅっと歩きなわけ?」
「もし疲れているんなら私の方から休憩を進言しておきましょうか?」
「え、いいよ、何か俺のせいで歩み止めたみたいで気ぃ遣うじゃん…」
じゃあどうしろって言うんだよ!
不安の次は鬱憤だ、まぁ無理もない。私も正直辟易しているぐらいだから、肉体労働に慣れていないいかにもなこの男の人には堪えるのだろう。愚痴、アンド愚痴の何しに来たんだこの人みたいな人だった。
「だっるいわぁ…そもそも俺はここに来るだなんて一言も言ってないのに無理やり連れられて来たんだぜ?信じられる?」
「分かるー」
「だろぉ?こんなへんぴな所で汗水流す暇があるなら潤った街でいかに周りを出し抜くか考えるべきだって言ったのに…何て言ったと思う?」
手にしたアサルト・ライフルのセーフティを確認しながら、
「何て言ったんですか?」
「経営を語るにはまず現場に下りてからだ!って言いやがったんだよ!知るかよ!こっちはコンサルで雇われているだけなのに現場まで見て回れるかってんだ!」
「分かるー」
「だろぉっ?!俺絶対間違ってないよな?!いや、確かに今さらこんな事言ってもあれなんだけどさ…」
「わか………ここに来ても、何とも思わなかったんですか?」
危ない、あと少しで相づちを間違えるところだった。適当にした質問の何が良かったのか、このいかにもな雇われコンサルが瞳を濡らし始めたではないか。
「いや…それがさ、得られたものはあったんだよ…けど、それをどうしろっていうんだっていうかさ…こう、自分でも持て余している感じでさ…」
私が話しかけた時は、もうこの世の終わりだ、みたいな顔をしていたこの男の人は単に色々と抱え込み過ぎていたようだ。それは良く分からん、思ったことは口にする性分なのであまり悩むことはないが周りの目は良く気にする私であった。土気色だった頬はすっかり赤みがさしており握り拳を震わせて熱く語っていた。
「マジでサンキューな!おかげで向こうに帰っても頑張れそうだよ!」
(あっヤッベ!聞いてなかった!)
私の肩をバシバシと叩き、少し離れた位置を歩いていた男性の元へと駆けて行った。
(セーフっ!)
どう思う?と聞かれていたら今頃詰みだったが難を逃れたようだ。それにしたって単に愚痴を聞いていただけなのにあそこまで元気になるなんて、男の人は不思議だと余韻に浸っていると一仕事を終えたカリンが私の元へ戻ってきた。
「お疲れ」
「うん、お疲れ様」
「………」
「………」
あれ、ちょっと待てよと中層の夜空を仰ぎ見る。何気にカリンと二人っきりになるのってこれがお初?そんなまさかと記憶を探るが一向に出てこない、私の隣には決まってアリンかミトンの顔しか出てこなかった。
カリンと肩を並べて歩く道、砂利の音と少し離れた位置から届く喧騒、それなのに相手の息遣いだけははっきりと聞こえるこの不思議空間、私が最も苦手としているものだった。
(そう…き・ま・ず・いっ!!気まずいっ!!)
気まずい!何を話せばいいのか...そういえばいつもはミトンかアリンを挟んでから会話していたと今頃になって気付かされる。私は凹凸で例えるなら凹みの人間だと思っている、相手が凸ってくれるから凹みである私と程よく組み合わさり会話が生まれると思っているのだ。いやしかし待てよ、カリンに良く似ているアリンには平気で凸っているぞと自分迷子が発生してしまいどつぼにハマってしまいそうになった。
(これだよこれ…だから凹み同士とは一緒にいたくないんだよ…)
隣を歩くカリンに視線を向ける、髪はセミロングの茶髪、そして耳も玩具かと言わんばかりに小さく(ホクロがあるのか…)いかにも女の子、という雰囲気がある。横から見たアリンの顔は天然な女の子、という訳ではなくやはりアリンに似て凛々しくてちょっぴり大人の顔をしていた。
(ええと何だっけ、二卵性双生児…だったよね、この二人)
最初に母親のお腹から出てきたのがアリンだからお姉ちゃん、次に出てきたのがカリンだから妹、そんな風に育てられていたらしい。見た目は良く似ているのに中身はまるで違う、初めて会った頃はよく二人をからかっていたと思い出しやはり私は凸なのでは?と結論付いた時にカリンが私の視線に気付いた。
「ん?どうかしたの?」
「あーいや…カリンの血液型って何?」
ちょっとだけ驚いたような顔をしてから答えてくれた。
「えぇ?今頃それを聞くの?私はBだけど…」
「えぇ?!うっそだぁ、ほんとにぃ?私と同じBなの?違う世界のBとかではなく?」
「ふふふ、何それ、本当だよ。ちなみにお姉ちゃんも私と同じ血液型だよ」
「あ、それは分かる」
うっそだぁ...カリンが私と同じなの?絶対間違えているでしょそれ、AよりよりのABでしょ絶対。
「でもどうして血液型を聞いたの?」
「いや、何話したらいいか分かんなくてっていうのは違う!ちょっと待ってね!」
「ふふふ、ごめんね、私も何を話したらいいのか分からなくて、いつも賑やかにしているアシュに甘えちゃった」
「………」
さっき「聖女様ェ」と跪いたあの痛男二人組みの気持ちが分かったような気がする。
「大人だ…私には無い余裕を感じる」
「そんな事ないよ、それよりも特別ミッションの続きをしようよ」
そういうところなんだよ、私が天然だと思っているのは。けれどさっきとは雰囲気も変わり、幾分過ごしやすくなっていた。
✳︎
団体行動における最も危惧すべき問題は「自由が利かない」というストレス、さらに周りに合わせなければならないという「不自由さ」からくるやっぱりストレス。そして...
「あの女隊長では心許ない、やはり我々が陣頭指揮を取るべきだ」
ストレス、鬱憤(同じ意味かもしれない)の吐け口として真っ先に向けられてしまうのが指揮官という上位存在であり、今で言うならそれはアヤメさんに他ならない。確かにアヤメさんは歴任した隊長達と比べて幼いと思うし、何より隊長というより天使様に近い、あの容姿もさることながら(アマンナ談)底無しの優しさを併せ持つ完璧天使である。
重ねて団体行動下における最も危惧すべき問題、それは...
(蜂起!)
そう!市民達による独立を目的としたレジスタンス運動!
「あっちゃ〜人選ミスった…」
「…どんまい」
「いやあんたよ」
「…何……だと…?」
カリンとミトンを組ませると甘やかしたり脱線したりと間違いなく前に進まないと思い私がミトンと組んでいた。しかし、このような状況ではお調子者のアシュの方が何かと便利であった。私もあいつと一緒にいると緊張感が持てず馬鹿な話しで盛り上がっていたに違いなかった。
屈強な男性を中心にして輪が出来つつある、良く通る声にはつらつとした様は皆の注目を集めるのに一役買っていた。
「どうしようミトン、何か良い手はない?このままだとアヤメさんがレジられちゃう」
「…狙撃」
「気が早いわ!」
「…いいや、あの手の首謀者は常にハングリー精神を持っているからいつでもどこでもレジる機会を窺っているもの、早急に狙撃した方が今後の為になる」
「一理あるわね…」
「………」
「何で黙るのよ」
「…やはり姉妹、今のはボケただけ」
何...だと...?いつから...いつからボケていたのだ...?
などと結局馬鹿なやり取りになってしまった打ち合わせを済ませた後、説得を試みることになった。
「あ、あの〜…」
心臓はばくばくだ、こんなネゴシエイトは経験がない。けれどこのまま騒ぎが広まってしまえばアヤメさんに要らぬ負担がかかると思い勇気を振り絞って首謀者?の男性に話しかけた。
「ん?」
「え、えーとですね、あまり騒がれてしまうと潜伏している敵が、」
「おお!見てみろ!我らの女神様が来て下さった!」
「はい?」
女神様?何を...首謀者?の男性が声を張り上げると周囲にいた人達から歓声が上がり始めた、何だ何だと状況に取り残されているとパッと見地味な男性二人に傅かれてしまった。
「女神様……どこまでも付いて参ります……」
「どうか妹様を……我が嫁に……」
「はぁ?いえ、あの、何を言っているんですか?」
さらにお次は禿頭の男性と体型も表情もひょろひょろな男性が私の元へやって来た。
「この使えないコンサルタントの面倒を見てくれたみたいで助かったよ!いやぁ〜あれだけ熱く語ってもやる気の一つも出せなかった男が…俺達もあんたに付いて行くぜ!」
「あぁ!何か困ったことがあればいつでも相談してくれよ!力になるぜ!」
あれ、ひょろひょろだと思っていたのにどこかの主人公みたいに...違う、そんなことはどうでもいい、何故私やミトンを指差し「女神」と称えているのか理解できない、そもそも女神と称えるなら指差すな。
「あの!これは一体何の騒ぎですか?私としては大人しく従っていただけたらそれで十分なんですが!」
もうなりふり構っていられないと思ったことをそのまま口にしすると、仰天してしまう答えが熱く語られ私の耳を通り過ぎていった。
「我々の真の指導者は君達だと思っている!中層の街で華を与えて元気を分けてくれていた君達こそ!ここにいる人達の頂点に立つべきである!諸君らもそうであろう?!」
おーとかそのとーりとか、
「それに君達は行軍中でも我々に気を遣ってくれているではないか!それに引き換えあの女隊長はどうだ!ちっとも様子を見にこようとしない!」
そーだそーだと野次が飛ぶ。
「であれば!君達こそ我々の命を預けるに相応しい指揮官だと思う!どうか我々の願いを聞き届けてはくれまいか!」
盛り上がりは最高潮だ。
(私らのせいやんけぇー!!)
何てこった、良かれと思って行なっていた市民へのケアがそのままアヤメさんへの不満となり挙句に蜂起するきっかけを与えてしまっていたなんて...このままでは私達がアヤメさんと対峙する図式が出来上がってしまう。
(いや待てよ……?)
仮にだ、ここでもし私がアヤメさんに勝つようなことがあれば何が待っている...?それは勝者である私に対する隷属以外に何があるというのか...隷属、支配。
(あのアヤメさんを……私が支配する……?)
天啓を得たような気分になったがミトンに頭を叩かれてすぐにどこかへ行ってしまった。
「…この私にツッコミをさせるなんてアマンナ以来の快挙、アリンがレジられてどうするの」
「はっ!あ、危ない…後もう少しで私は取り返しのつかないことに……」
レジるってそういう意味だったっけ。さすがに騒がしくし過ぎたせいか護衛部隊の隊員数人が様子を見に来た。そして私とミトンを見るなりすぐさまインカムに何やら連絡を取り始め...
「こんな所で何をやっているんだ!!隊列から勝手に抜け出して!!本隊では捜索命令が出されているんだぞ!!」
私達が一番怒られてしまった。
113.c
エレベーターシャフトへ行軍していた大隊規模の集団が一斉に足を止めた、私達のせいで。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
前後には隊員が付いており、これではまるで連行されているような気分だった。今から向かうのは私達の本来の持ち場である本隊だ、きっとおかんむりになったアヤメさんが待っているに違いない...お姉ちゃんの顔色は青さを通り超して真っ白、アシュもミトンも下を向いてばかりで顔色が分からなかった。かくいう私も気が気ではなかった、何せ全員の足を止めてしまい迷惑をかけてしまったのだから。
雑木林の通りを抜けて後はエレベーターシャフト前まで続いている森の中だった。暗い森の中は隊員達が持ち寄った光源で明るく照らされているが、それをも超える眩しい光りが黒く塗り潰された梢枝の向こうから届いてくる。皆んなが足を止めている中私達だけ前に進んでいると、前方から走ってくる人影があった。
「あ!こら!逃げるな!」
お姉ちゃんだ、脱走寸前で隊員の人に腕を取られて退路を絶たれてしまった。そして前から走ってきたのはアヤメさんだ、わざわざ私達の所へ駆けてきたのだ。
「どこに行ってたのっ?!」
私達の前に着くなり一言、森の静寂を破らんばかりの大きな声だった。
「どうして勝手にいなくなったのっ!!」
「失礼ながら、この四人はどうやら市民達を扇動していたようでして、」
何だその話し!ちょっと待ってそんなつもりでは!
「あなたに聞いていません!見つけてくださってありがとうございました!」
アヤメさんの怒鳴り声でぴしゃり、隊員も成り行きを見守ることにしたようだ。
「どうなの?扇動したって本当なの?」
声量はだいぶ抑えられているがまだまだ怒気をはらんでいる、聞かれたお姉ちゃんは下を向いており握った拳を震わせていた。元々私が言い始めたことなんだ、意を決して口を開こうとするとお姉ちゃんが泣いていることに気付いた。
「………全員に手近な所で休憩を取るように連絡してください、出発は一時間後です。この子達は私が見ておきますから安心してください」
「分かりました」
アヤメさんにも見えたのだろう、大粒の涙が流れていることに。
またしても、通りから少し離れて藪の中へと分け入った。私達の近くには警戒用レーダーが設置されており、機械で作られた花びらが小さく回転していた。それに少しだけ目をやってからアヤメさんに向き直った、アヤメさんは視線を下げているお姉ちゃんを真っ直ぐに見つめていた。
「どうして勝手に隊列から抜け出したの?今がどんな状況か分かってるよね?いくら敵がいないと言っても急にいなくなったら誰だって心配するのは分かるでしょ」
「……あの、わ、私達は…」
「扇動していたって本当なの?不満があるならどうして直接私に言わないの?」
「………」
矢継ぎ早に繰り出される質問にお姉ちゃんが何も答えられないでいた、けれどそれは無理もない。お姉ちゃんは前に何度もサニア隊長に進言をして手酷い扱いを受けてきたからだ、そしてその姿を何度も見てきた私も胸が締め付けられる思いでいた。業を煮やしたのか、眉尻を上げたアヤメさんに向かって割って入ったのはミトンとアシュだった。
「ち!違うんです…私達はアヤメさんのためにと思って…」
「……え?」
「…アリンが、これだけの大人数を一人で見るのは大変だろうからって市民の愚痴を聞いて回ろうと提案したんです」
「え?それは……私のためにってことだったの?だから皆んなで護衛部隊の所へ……?」
聞かれたお姉ちゃんがこくんと、小さく頷きその拍子にまた大粒の涙がきらりと光った。
「何で黙って行っちゃったの?」
「そっ…それはその、あまり迷惑を…かけたくなかった、からなんです…きっとアヤメさんのことだから、私達にすら気を遣ってくれるんじゃないかと、思って…」
今度は私がお姉ちゃんの代わりに答えた。すると、寄っていた眉も今度は徐々に上がり始めてお姉ちゃんと同じようにアヤメさんも泣きそうな顔に変わっていった。
「あぁ!嘘!ごめんね?!ほんとーにごめんねっ?!私てっきり頼りにされてないとばっかり思って……あぁあぁごめんねアリンちゃん、もう泣かないで、ね?本当にごめんね、ありがとう、凄く嬉しいよ」
アヤメさんが一生懸命、お姉ちゃんの頭を撫でている。ありがとうとごめんねを繰り返しながら、時折下を向いているお姉ちゃんの顔を覗き込みながら。そんなお姉ちゃんは声も出さずにただただ泣いていた、手で何度も目元を拭っているけれど流れ出る涙が一向に止まらず地面を濡らしている。落ちる度にキラキラと光る涙は中層の夜空よりも綺麗に見えた。そして私も心から安心した、もうお姉ちゃんの気遣いを無下にして怒る人はいないんだと。
「ありがとう」
「………い、いえ…べ、別に……」
ようやく顔を上げたお姉ちゃんの顔は真っ赤だ、子供のそれと変わらなかった。
「ほんとにごめんね、何も知らないのにいきなり怒ったりして、許してくれる?」
「………」
また頭を下げてアヤメさんを困らせ撫でてもらっている。
「…アヤメさん、そろそろ私にもご褒美を、とくに何もしていない私ですが甘えたい盛りは群を抜いています」
「おまっ!よくこんな状況で割って入れたなっ!」
「いいよ、うんと撫でてあげるから。その前に私からも皆んなに一つだけいい?」
その言葉にお姉ちゃんも頭を上げて何事かとアヤメさんを見つめている、そして今度はアヤメさんが勢いよく頭を下げたので驚いてしまった。
「ごめん!皆んなからお願いされていたハデスさんの事なんだけど……私の機体と同じように空中から落下してしまって……助けてあげられなかった」
その事について何と話しをすればいいのかと悩み、結果的に私達から逃げていたと再び頭を下げた。道理で...けれどそんな事より私達に何のてらいもなく頭を下げられるアヤメさんを凄い人だなと感心してしまった。そんなアヤメさんの頭に、事もあろうにお姉ちゃんが手を乗せてゆっくりと撫でていた。
「ゆ、許します……だ、だから、顔を上げてください……」
(もう、そろそろ…いいかな…)
私だって甘えたいのを我慢しているんだ、このままではお姉ちゃんにアヤメさんを独り占めされてしまう。それになんでお姉ちゃんはあんなに嬉しそうにしているんだ、何だか勝ち誇ったような笑みをしているお姉ちゃんを止めるべく二人の間に割って入ろうとすると藪の向こう、本通りから隊員の人が慌てて駆けてきた。
「失礼します!今すぐ戻ってください!空に異変が、と、とにかくすぐにお戻りください!」
空に異変?見上げてもそこには夜空が...無かった。何も無かった、あるのは薄ら寒い暗闇があるだけ、星も雲も月も何もかも、忽然とその姿を消していた。
✳︎
先に異変を発見した市民からの報告によって気付くことができた。異変を察知し真っ先に連絡をしてくれるあたりまだ信頼は失っていないようで安心した。
(何もない…)
天を覆っているのは何も暗闇だけではない、目に見えた不安が質量を伴い襲ってきているかのようだった。ハデスさんの言う「最終段階」がいよいよ間近に迫ってきている兆しだ、あの卵も十分歪に見えるが本来あるべき空の景色までもが無くなってしまうのは足元から何かが崩れていく底知れぬ恐怖があった。
[ナツメだ、天井付近に到達……これはあれだな、本当にただの天井があるだけだ]
[仮想展開型風景が機能を停止したんだと思う、その理由については分からないけれどね]
さっきとは打って変わって真面目な調子で答えてくれるバルバトス君、まだナツメ機に同乗しているようだ。
[ラムウとタイタニスが凍結処置を食らったと聞いたが、それと何か関係はあるのか?]
[えぇっ?あのラムウが?だったらそれは大いにまずいよ、いずれここは生き物が住める土地ではなくなってしまう]
バルバトス君の話しでは、私とガニメデさんが赴いたモンスーンで生成されていた水蒸気や雲が中層圏内に対流を生じさせて空気の循環の役割を担っていたらしい。このままでは大気が淀み酸素濃度が低下し到底生き物が住める世界ではなくなってしまうと、固い口調で教えてくれた。
(だからと言って…でも…)
[ナツメ、もう一度トライしよう。アヤメ、それぐらいの時間的猶予はあるよね?]
さっきまでは当て付けのつもりか、さん付けで呼んでいたのに今は呼び捨てだ。それだけ事態が逼迫した状況にあるということを間接的に強調していた。
「うん、それはあるけど…もし駄目だったら?」
[ナツメと一緒に僕の本機を取りに行く、段階的に解放していけばさすがに詳らかにできると思うけど…とにかく対抗策を早く生み出さないと、それでいいね?ナツメも]
質問ではなく確認だ、バルバトス君も余裕がないらしい。
[どれだけ当てにできる、ただ中身が分かっただけでは話しにならんぞ]
[中身すら分からないままでは対抗策すら生み出せないと思うけど?今は未曾有、未だかつてあらず、取れる手を最優先に打って一つでも多く情報を集める。ナツメのその尻込みは後々命取りになるよ?]
[…………]
[いいね、これはお願いではなく命令だと受け止めてほしい]
「ちょっと待って」
藪の中から通りに戻ってきた、先に着いていた第二部隊の皆んなが心配そうに私を見ている。これ以上、気を遣わせないように微笑んだつもりだけど上手く笑えたかどうか分からない。
「その役割、私とアマンナにやらせて」
[駄目だよ、力量不足だからね。それにアヤメはアマンナの本機がどこにあるのか知っているの?]
「……それは、知らないけど…どこにあるのか教えてくれたら、」
[それは不可能だ、本来僕とアマンナが接触している事自体が異常なのだから]
アマンナの本機。やっぱりそうかという納得した気持ちと、やっぱりアマンナはグガランナと同じ仲間ではないと痛む気持ちがあった。
ここまで来たら本音を言うしかない、大変業腹だけど、癪だけど仕方ない。私は一度もこんな風に呼び止められたことなんてないのに、どうして私だけいっつもこうなのかと八つ当たりをしたくなった。
けれど、好きになったものはしょうがない。
「ナツメは置いていって、離れたくない」
部隊の前方から「うわぁ何だ?!」「急に人型機が!」と騒がしく聞こえてきた。
[それはできないよ、ナツメも連れて行かないと起動させることができないからね、諦めて。それとも何かな?アヤメは自分の我儘のために全人類を危険に晒すのかな?]
[おい、その言い方は卑怯だろうが]
[悪いね、僕は何が何でも現状を打破したいんだ、誰に嫌われようが敵に回そうが関係ない、今日まで培ってきた思いがそうさせるんだ。君に太刀打ちできるの?]
「……………」
今話しをしているのは本当にあの子なのだろうか、雰囲気もまるで違うことに尻込みしてしまった。最後の抵抗だと思い、重たかった口を無理やり開いてみせた。
「どうして君の機体を起動させられるのがナツメなの?」
その答えはすぐに返ってきた。
[君と同じだよ、アヤメ。だからナツメなんだよ]
113.d
....................................あぁ、情けない。
「ナツメ?どうかしたの?」
変わらずバルバトスは私の前にすっぽりと収まったままになっている。夜空が消失してしまった中層の空から帰還しているところだ、そしてそのまま進路を卵へと向けていた。
「何でもない」
「到着したらすぐに調べるからね」
「何でもない」
「ん?」
「あぁ、分かった」
「んんん?」
情けない、だが心底嬉しかったアヤメのあの言葉。離れたくない、その甘くて全身をくまなく満たしてくれる言葉が何度も頭の中で繰り返される。
「わわ、ちょっとナツメ、重いよ」
頭を忙しなく動かしているバルバトスが邪魔だったので、その小さなつむじに顎を乗せて押さえつけた。
(いや分かっている、分かっているんだ、まだ何も解決していない。あいつが安心して暮らせるような街ではないんだ…)
けれど、やはりあの言葉は...人よりマキナと共に居たほうが安心できるという言葉に傷付きもした。幼い頃から私を引っ張ってくれた相手が外聞を気にせず求めてくれたのだ、自分自身を、何よりの自己肯定感だった。
「見えてきた、準備はいい?」
「…………」
ひゅっとバルバトスが頭が下がり、乗せていた顎が軽くなった、と思いきや下方向から猛烈な痛みが走った。
「いったぁ〜……」
「ったぁ……何をするんだ!」
頭突きをかました本人も涙目だ。
「……もう!しゃきっとして!さっきから上の空だよ!」
「上の空は真っ暗で何も見えないだろうが」
「下らない言い回しができるんならもう大丈夫だね!」
「あぁはいはい、付き合ってやるよ」
すると目の前に座っていた(というより密着していた)バルバトスの姿が消え、コンソールから奴の声がしたので驚いた。
《介入対象に照準固定、解析始め!やったるで〜!》
「お前はふざけないと気が済まないのか?」
さっきまであれだけ真剣になっていたくせして、やはりアマンナの兄と自称するだけのことはあるのか。私の突っ込みに反応を示さず敵の詳細を探る作業とやらを続けている。
《製造セリアル不明、模倣ベース否定、機体名無し、該当データ無し、むしろサーバーに未接続》
そんな馬鹿な...とバルバトスが言ってから、
《素粒子理論体系…肯定、やっぱりそうか。あの卵は僕達と同じ原理で……ふむふむ……》
(私いるのか、これ?)
一人でも調べられたのではと思う。私は目の前にある物体よりもアヤメのことが気になって仕方がなかった。
のんびりと解析を続けていたバルバトスに緊張の色が走った。
《だったらどうしてアマンナは……っ?!緊急遮断、強制終了まで残り五秒、搭乗者は衝撃に備えてください》
「お、おい!バルバトス!」
子供でも大人びた声でもない、無機質なアナウンスと何ら変わりがない声でアラートを発してすぐに沈黙した。さらに目前にあった卵に変化があった、鼓動を繰り返すようにただ明滅していた紋様が激しく光り始めた。私の機体がある方向へ光りが収束し、
「面舵いっぱぁーいっ!!」
また唐突に現れたバルバトスがコントロールレバーをめいっぱい右に傾けた、次の瞬間にはつい今し方までホバリング待機していた場所を可視光が通り過ぎ、消えてしまった月の代わりに中層を大地を眩く照らしていった。
「………何だ、今のは…」
その一度きりで卵は再び沈黙、明らかな敵対行動に背中に冷たい汗が流れた。
「攻撃だね、僕が深くまで調べようとしたから慌てて追い払ったのさ。それにこちらを警戒しているようだ」
今度は私の前に収まらず立ったまま仮想投影されたスクリーンを凝視している、バルバトスの言う通り卵の紋様は変化したまま、私の機体に向かって光りが収束した状態を維持していた。
「お前、何てことを…」
「どのみちだよ、僕達はあれと戦わなくちゃならない。おかげでバルバトスを起動する必要性が良く分かった、このまま外殻部へ急ごう、それとアマンナも」
「………はぁ、何だか振り回されている気分だよ」
「道中にきちんと説明するよ」
その後、アヤメから無事を確認する連絡が入り私の耳朶をふやけさせた。
✳︎
平手打ちが一閃、静寂の森に一つ。
「ふざけないで!!勝手な真似をして皆んなを危険な目にあわせて何がしたいの!!」
無空を飛び越えた光りによる被害はない、けれど行軍していた皆んなが怯えたのは事実であった。
「どれだけ心配かけたら気が済むの!!」
アヤメの怒声はちっとも怖くない、この場にいる皆んなを代表した叱責だからだ。攻撃されるかもしれない危険性は事前に伝えておいてほしかった。
「……私のせいだって、」
「他に誰がいるのっ?!もう少し高度が低かったらどうなってたと思うっ?!ここにいる皆んなが死んでたかもしれないんだよっ?!」
「…………」
頬を叩かれたナツメさんもようやく分かってくれたようだ、大きく目を見開き言葉を失っている。遠慮容赦ない呵責から一転、声音を落として懇願するようにアヤメがナツメさんを引き止めていた。
「ねぇ、そんなにあの子の事が大事?ここにいる私達を放って先に行こうって?違うよね、どうせまたナツメは総司令の時と同じように言われるがままやらされているんだよね、だったらここに残りなよ、行ってもまた同じ思いをするだけだよ」
「…………違う」
「何が違うのさ!」
再びの怒声にナツメさんが顔を顰めた、誰も何も言わない、森の木々さえも葉擦れの音を控えている中、バルバトスと呼ばれた少年が一歩前に踏み出した。
「アヤメ、さっきの不手際は僕のせいなんだ、だからナツメを責めるのは止めてほしい」
「君は黙っていて!」
「黙っていられない、あの物体は必ず人類に牙を剥く。さっき見せた指向性荷電粒子は氷山の一角に過ぎない代物さ、さっきの調べでその事が良く分かった」
少年とは思えない胆力だ、激昂しているアヤメに対して一歩も引かずに堂々と言い返していた。
「それと君の怒りはただの八つ当たりに過ぎないよ、本当は分かっているんでしょ?だったらもう止めなよ、いくら怒ったところで僕の取る行動は変わらない」
「………」
ハッチが突然開いた、後部シートにいたアマンナが開けたのだ。
「どこに行くの」
「決まってんでしょ、アヤメの味方をしに行くんだよ」
引き止める暇もなくアマンナが機体を降りていった。
(…………)
私はどうすれば...アマンナと同じように向かうべきか、眼下の通りでは今なお睨み合いが続けられている。
(けれど…あのバルバトスという少年が言っていた事が本当なら…)
今の人類に太刀打ちできる術はないと断言し、そしてその力を有しているのが自分だとも明言していた。あの少年と敵対関係、とまではいかなくても現状の関係を壊してしまうのは何故だかとても躊躇われた。だから私は動くに動けないでいた。
(こんな時ですら……)
機体から降りたアマンナが三人の元へ到着したようだ、そして話し合いの方向性が大きく転換することとなった。
「アマンナ、君にも来てもらうよ」
「は?」
「着くなり何?」
アヤメもアマンナも驚きを隠せない表情をしている。
「過去に何度か力を使ったんだよね?このまま彼女の元にいても何ら先には進まないよ、だから、」
「だったらそれでいい。わたしはアヤメの元から離れたりしないし、離れるぐらいなら自分のことなんかどうでもいい」
さっぱりとした発言だった、聞いているこっちが気持ち良いぐらいに。
「最後まで聞いて、アマンナの力も使わざるを得なくなるかもしれない。僕一人でどうにもならなかったらその時こそ終わりだ、君が愛して止まないその人だって死んでしまうんだ」
「だったらわたしはアヤメと一緒にここから逃げるね、テンペスト・シリンダーそのものから逃げる」
「逃げた先は?」
「どうにか、」
「どうにもならなかったら?」
「その時は、」
「もうテンペスト・シリンダーはなくなって生きる場所そのものがないんだよ?一時の感情に身を委ねるのは確かに生き方の一つだ、けれど先を見て」
「………」
息を吐く暇もなく行われた言い合いはアマンナが押し黙ったことにより一時休戦となった。あの押しも引きも強いアマンナが言い負かされるなんて。
(あの子もどうしてあんなに悲しそうな顔をしているんだろう…)
バルバトスがアマンナを見つめるその瞳には悲しみの色があった、憂いの色、嘆きの色、それは寒色で表されるものでありマリンブルーの瞳に良く合った感情色だった。
それに引き換えアマンナの瞳には怒り、動揺、挑戦、およそ好意的と呼べる色はなくマゼンタの瞳にあるのは敵外心だった。
「君は世界のためにと言ってナツメとアマンナを連れて行こうとするの?」
「君は自分のためにこの二人を手元に置いておきたいの?」
「だったら……」
(まぁ…そうなるよねぇ…)
喉の奥から捻り出すようにして紡がれた言葉を、もし誰かが責めるようなことがあればあの二人に代わって私が守ってあげよう。仮想世界からアヤメが帰ってしまった時は同じ気持ちだったから良く分かる。
「私も連れて行って、君の邪魔はしないよ。だから私も、」
その時ナツメさんがアヤメの手を取って引き寄せた、皆んなが見ている前なのに、驚き呆気に取られたアヤメに構わずナツメさんが顔を近付けた、口吸いをする為に。重ね合わさった唇、大きく開いた瞳、閉じられた瞳、疑問、どうして?ナツメさんはアヤメにキスをしたのだろう。
それは選別か情愛の証か、神でさえも知る由のない事だった。