第百十二話 飛んで雪降るエディスンの夜(辛口)
112.a
つまらない、寂しい、腹ただしい。結局ここに戻ってきてしまった。電子の海から眺める世界は私に何の刺激も与えてくれない、変化がない、だからつまらない。前までは決して少なくはない人達に囲まれていた、憧れの人、ムカつく野郎、何かと小うるさい人、そして私の好きな人。けれど今はもういない、だからこそ尚のこと寂しい。そして何より腹ただしいのが私を利用しているプログラム・ガイア、つい最近までサーバーの奥に隠れていたくせに突然現れあれやこれやと私に指示を出してくる。おかげで一人この手で天へ送ってしまった...まぁ、ガイア・サーバーの通信環境を整えた関係であの男に回っていたリソースもいずれ尽きていたはずだ。最後はあいつだ、あいつもまた技術団の団長と同じ運命を辿ってしまう。
(それにしたって何故記憶を持っていないの?)
あの時、最初で最後となった会話を思い返してみる。私がウルフラグの事を口にしても動揺するどころか露とも反応しなかった。あの男は脳の記憶領域である大脳皮質と海馬を電脳化しており、稼働歴元年から現在に至るまでの出来事を記録していた。さらにその記録もデータとしてアウトプットが可能であり、情報漏洩を恐れたプログラム・ガイアが処理を私に命じてきたのだ。それはいい、だがあの男はプログラム・ガイア以外の存在を崇めていたように思う。
(それはどうなんだ…そもそもこのテンペスト・シリンダーを建造したのもプログラム・ガイアの基礎開発を行なったのもウルフラグだ…)
調べてみよう、アンドルフという男の行動はどこか矛盾している。崇めるべきはプログラム・ガイアではないその理由を知りたくなった、どうせ暇なんだ、ここもいずれ電子崩壊を起こして仮想の宇宙空間へ放流されるだろう。それまでの時間潰しだ。それに守護者兼友人兼話し相手であるイルカさんも姿を消してしまっている、ここは死せる海、だから尚のことつまらない。
(……確かにあの男はウルフラグから派遣された研究員であることに間違いない……)
それがどうしたってあんな生ける屍になっているのか。
(んんん?脳の手術歴が出てこない?そんな馬鹿な…)
自前で頭を切開して電脳手術を施したのならいざ知らず、ガイア・サーバー内にアンドルフが手術をしたという痕跡が見当たらなかった。テンペスト・シリンダー竣工前であっても地球時代のネット環境を転用しそのまま発展させたに過ぎないので残っているはず、しかし地球時代の記録にも奴の手術歴が見当たらなかった。
(秘匿された情報……ということか)
ますます気になってきたので躍起になって探していると、「人類統括大綱」なるデータを発見してしまった。
「なんじゃこりゃ」
つい独り言をこぼしつつ興味本意で開いてみると...出てくる出てくる馬鹿げた話しがこれでもかと出てくるではないか。お姫様、ガニメデと呼ばれるマキナと訪問したあの仮想世界で起こっていたその根本というべきか、全ては仕組まれていた事だったのだ。
「……適した政治体系を見極めるため、地球時代における五つの政治により人類統括を行う………何だってぇ〜」
つまりあの時代はただの実験だったってこと?馬鹿にしてんのか?アンドルフの事も忘れてこの大綱を作った奴を暴いてやろうと関係者一覧に目を通すと、◼︎の記号で名前が見事に潰されていた。
「古典的かよ!いつの時代だよ!いや大昔だったわ」
だがその関係者一覧の末席に奴の名前があった、「アンドルフ・S・スミス」さらにその名前の横に「受領済」という文字があった。何故この男だけ文字が潰されていないのか...さらにさらに閲覧していくとついに見つけた、「脳神経外科」による手術歴だ。ははぁ、なるほどなるほど、アンドルフ・S・スミスはこの大綱を練り上げた連中によって電脳化されてしまったんだな。けれど、この大綱を作った連中はウルフラグ...ということでいいんだよね、同じ母体でありながら何故このデータだけ秘匿扱いにしているのか、それはつまりプログラム・ガイアに対して、ということだよね。
(いやちょっと待てよ…だったらウルフラグという名前そのものを忘れているのはやっぱりおかしい…)
さらに読み進めていくと、実験段階にあった最適化政治体系計画は都度失敗に終わったとの記載があり、その文末には「初期化」の文字があった。まるでプログラミングでもしているような内容だ、その回数は百を超えており以降は「算出不可能」と定義され記録を取ること自体止めてしまったようだ。そしてその初期化に関わったプログラムコードは全部で三十六個、その内の複数が行なったとされ、詳細についてはまたしても◼︎の記号で潰されていた。
「またかよ!……ん?音声データ?」
それもつい最近のものだ、逸る好奇心を抑えながら開いた音声データが再生され、私の心臓が鷲掴みにされてしまった。
[プエラ、私は怒っていないぞ、いつでも顔を見せろ。それともお前も凍結処置を食らってしまったのか?]
「……………………………………」
この、声は...どうして...私の名前を呼んでくれたのは...それにどうして凍結処置の事を知っているのか。何故、ナツメの音声データがこんな所にあるのか分からない、分からないがその声は私の胸に良く響いた。
涙が溢れそうになった、怒っていない、嫌われていなかった、寧ろ、私に会いたいとさえ言ってくれた。
死せる海が牢獄に見えてきた、揺蕩う自分が藻屑のように思えてきた。こうしちゃいられない、会いに行こう。あぁ!そうとも!私は私の為だけに動いてあの人の寵愛を獲得したんだ!
しかし、
[プエラ・コンキリオ、最後の通達です。今から指定する場所へ向かい排除をお願いします]
プログラム・ガイアが私の行く手を遮ってきた、知るもんかと突っぱねてみせるが、
[お聞きになりましたね?彼女の声を、採取するのに苦労しました。それとも一足先に向かいますか?]
「…………屑が、このド屑がっ!!」
[……何とでも言ってください、もう時間が無いのです。きちんと処理してもらえるならこれが最後と約束しましょう、哀れな子よ]
切られて切れた、それはもうプッツンだ、通信も私の血管も。もしナツメに手を出そうものなら絶対に容赦しない、世界を敵に回してでも私は最後まで戦い抜いてやる!この馬鹿たれがぁ!!
112.b
中層の空から雪が降り始めていた、外気温は平常、特段おかしいところはない。いや、寒くもないのに雪が降るのは大いにおかしいことだった。
「これは本物か?」
「みたいだね……すんすん」
「雪を見て真っ先に匂いを嗅ぐのはどうなんだ」
「これ偽物じゃない?全然臭くないよ」
「くんくん………本当だな、臭くない雪なんて初めてかもしれない」
「自分だって嗅いでんじゃんか」
ハデスの足取りを全く掴めないでいた私とアヤメは、卵の天辺に陣取り待ち伏せに切り替えていた。見た目以上に頑丈な卵であれば、人型機を駐機させてもいいだろう(むしろ壊れろ)となだらかな球面に二人して降り立った。
卵の上で待ち伏せを始めてもう一時間近く経過した、雪が降っていることに先に気付いたのはアヤメだった。
[こちらマギリ、ヒナドリの発見はできていません。ミラー群にも異常なし、調査を続けます、通信以上]
マギリからの定時連絡を耳に入れながらコクピットシートから腰を上げ、眼下に広がる卵の天辺を見下ろした。ここにも報告にあった紋様が浮かんでおり、アヤメの言う通りまるで呼吸しているかのように明滅を繰り返している。
「身投げでもするつもり?」
「する訳ないだろ、周囲を見ていてくれ」
そのまま電動ロープに足をかけて球体面に降り立った。ほのかに光る紋様だけが唯一の光源だ、そして空からは季節外れの雪が舞う、状況と立場を忘れられるならこの世の場所とは思えない光景だった。仮想世界の中だと言われた方がまだ信じられる。
(固くは……ないな、少し柔らかい……それに温かくもある)
足で踏み付けてみるが踵が少しだけ食い込む、殻というよりどこか緩衝材に近いイメージを抱いた。その殻の上には雪が薄らと積もり始めており、空間を雪が占めている関係上音の反射がしにくくなった独特の無音が辺りを支配している。周囲をぐるりと見回しても途切れることのない殻の地平線があり、私とアヤメ以外に生き物がいなくなってしまったような、おかしな気持ちに囚われた。
だからだろう、ずっと気になっていた事を聞くことができたのは。
「アヤメ、お前はこれからどうするんだ」
肉声では会話がしづらいと思いインカムに切り替えた。
[どうとは?街に戻るんでしょ]
「違う、今の状況が終わった後だ。私は音楽をしようと思っているんだ」
フラグ立てんな、とか、ぷふっ、と笑われると思ったのだがアヤメは真面目に返事を返してくれた。
[いいじゃん、ナツメなら出来るよ]
「そこにアヤメを招待しようと思っているんだ、昔の夢さ」
[えぇ?わざわざホールに行くの?ナツメが私の家に来てくれたらいいじゃん、どうせなら独り占めしたいし]
その甘い言葉は予想外だったため気の利いた返事が出来なかった。
「マンションでコンサートを開けってか?周りに迷惑だろう」
[それもそうか。なら私は特等席ね、ナツメのすぐ後ろでもいいよ]
「ふふ、私がアヤメのために演奏してそれを他の客に見せつけるのか、それは面白いかもしれないな」
[でしょ?ここまで頑張ったんだからそれぐらいの我儘をやっても罰は当たんないよ]
夜空を見上げた途端、雪が頬に当たった。冷んやりとした感触はない、それなのにあっという間に溶けてしまった。
「そういうアヤメは何かやりたい事はあるのか?」
変わらず雪がしんしんと降るなか返事を待った、それでもインカムが沈黙したままだったのでもう一度聞き直そうとすると答えが返ってきた。予想通り。アヤメの返事を聞いた私の率直な感想だった。
[今も大して変わらないけどさ、やっぱりここは狭いよ。上層の街も、中層の街も見て回ったし、下層にも行った。けど、全然満足していない]
「ここを出るつもりでいるのか?」
テンペスト・シリンダーそのものから出る、荒廃した地球を見て回りたいと考えているのだろう。けれど、私の予想は少しだけ外れたようだ。
[そう、出られるなら出たい、私はもっと色んな所を見て回りたい。それはこの地球だけじゃなくて星そのものからも出たいと思っているんだ]
「それはいくら何でも…」
[無理だと思う?私もそう思う、けど諦める方が無理なんだよ]
どうして?そう聞き返してこう答えたが返ってきた。
[だって知ってしまったから、世界がここだけじゃないって分かってしまったから。ナツメだってお腹が空いたらご飯を食べたくなるでしょ?それと同じ事だよ]
「その例えは分かりやすいな、良く分かったよ」
被りっぱなしだったバイザーにアラートが表示された、探索時間の期限が来てしまったのだ。これ以上の捜索は断念しマギールへ一報を入れる、できることなら私達の部隊だけで対処したかったが手に負える。
最後に質問をしてから再び電動ロープに足をかけた。
「一つ聞くが、それは仮想世界では駄目なのか?自分の見たい景色を設定して好きなだけ探検することができるぞ」
やはり予想通り、辛口の答えが返ってきた。
[そんなの何が面白いの?ワクワクできない探検なんてただの遊びだよ、私は誰も見た事がない景色を見てみたいの]
「そうか」
[そ、だから私は頑張るよ]
そうか、だからアヤメはあんなに落ち込んでいたのか。ようやく彼女の心境が理解できた、私も私で頑張らないといけない。
◇
マギリへ帰投命令を出し、ミラー群から戻ってくる間に私はマギールへ連絡を入れたが、その酷く疲れた声を聞いて驚いてしまった。
[何だ…お前さんか……何の用かね]
「マギール?大丈夫なのか」
[はっ…心配せんでも……やはり酒は嗜むものであって一気飲みするものでは……]
インカム取ってから咳き込んだ、本当に酔っているだけなのか?
[すまんすまん……で、この酔いどれに何かね]
マギールの体調を気にしつつも中層で起こっている異変を全て話した。ハデスというマキナ、ベラクルのヒナドリについて。そしてハデスの言う「最終段階」という話しについてもだった。
全てを聞き終えてからマギールがやけに強い口調で言い切った。
[止めてくれ、ハデスを倒す必要があるなら遠慮なく倒してくれ。これは命令だ、すまんが今だけは儂の傀儡になっておくれ]
「元よりそのつもりだ」
[ハデスの居場所はこちらでも突き止めてみよう、何か分かればすぐに連絡する………すまなかった]
その謝罪は一体何だと首を捻っていると弱々しい声が耳に届いた。
[儂のせいだ、儂のせいなんだ。あやつに余計な知識を与えたばかりに未曾有の危機を招いてしまったのだ]
「ハデスと知り合いなのか?」
[いいや違う、マキナの生みの親にして母たるガイア、プログラム・ガイアが計画した事なのだ]
「あんたもそれに加担していたのか?」
[……違う、だが………]
言い淀むマギールもまた珍しかったが今はそんな悠長なやり取りをしている暇はない。
「はっきりしろ!私が知りたいのは責任の所在ではなく止める方法なんだよ!反省するならあの世でやってくれ!」
[おまっ………はぁ、お陰で目が覚めた、じゃじゃ馬に説教されては死ぬに死にきれんわ。こちらで情報を纏めておくからナツメ、後は頼んだぞ]
「その前にハデスだ、それからヒナドリの行方も探してくれ。まさかとは思うがそっちの街に向かっている可能性も出てきた、用心してくれ」
[なぁに、鉢合わせするようなら杯でも酌み交わして仲良くなってみせるさ、他にまだあるか?無いなら以上だ]
「あんた本当に呑んでいたのか?」
[じゃじゃ馬の説教で酒も抜けたわ、感謝する]
じゃじゃ馬じゃじゃ馬言いやがって。
あの調子ならまだ当分大丈夫だろうと、視線を上向けるとミラー群へ調査に出向いていたマギリ機が帰投したところだった。随分と強く降るようになった雪の中でも、私を守ってくれた機体は良く見えていた。
◇
「あ〜……っ?!……いったいなぁ」
「馬鹿なの?死ぬの?得体の知れない雪を食べようなんて発想はどこから?あぁ天国か、納得」
「はぁ?何その言い方ムカつくんだけど」
「こっちは止めてあげたんだから感謝してほしいね、そんなに雪が食べたいなら今から落としてあげよっか?」
冗談にも程があった。
「やめろっ!何をしているんだっ!」
帰ってきた二人は随分と剣呑な雰囲気に包まれていた、ハッチを開けて夜空から降る雪を眺めていたアマンナを、事もあろうにマギリが突き落とそうとしていたのだ。
「………」
「………」
注意したのにまるで反省していない、アマンナもマギリを強く睨んでいる。一体何が...いや間違いなく喧嘩したのは分かるがこっちまで持ってこないでほしい。
「喧嘩するのは勝手だが隊の雰囲気まで悪くするのはやめてもらえないか」
私の機体とアヤメの機体の間に降り立ったマギリ機に向かって強めに注意した。
「自分だってアヤメと喧嘩していたくせによく言うよ」
アマンナだ、まるで聞いちゃいない。
「…すみません、でもこいつが私の言う事をまるで聞かなくてミラーに衝突しそうになったんです」
「だからお返しに突き落とそうとしたのか?マギリ、自分が何をしようとしていたのか本当に分かっているのか?」
「えらそーに、アヤメに甘えてた奴が何言ってんの」
「お前は黙っていろっ!」
雪がこんこんと降る中でも私の怒声は良く通った。
「黙ってなんかいられないよ、こっちはナツメの命令聞いてやってんだよ?それなのに総大将は卵の天辺でのんびり待機ですか、良い御身分ですね」
「アマンナ!いい加減にしなって言ったよね?!ナツメさんも大変な中なのに指揮を取ってくれているんだよ!謝りなっ!!」
「うるさいっ!あんたもネチネチとしつこいんだよっ!アヤメの糞のくせして指図をするなっ!」
「何だと……もういっぺん言ってみろっ!」
マギリがアマンナの胸倉を掴み上げた、激しく揉み合いマギリがその手を上げたが、振り下ろす前に何とか間に合った。
「やめろと言っているのが聞こえないのかっ!!」
頭に血がのぼってしまった二人は私の顔を見ようともしていない。戦場、非日常の空間ではとにかくストレスが溜まる、普段通りに過ごしていてもそれは雪のように蓄積しいつかは二人のように爆発してしまう、こればっかりは例外なく皆等しく起こるものだ。
今頃になってインカム越しにアヤメから通信が入った、その声には抑揚がなくこいつもこいつで疲れているのかもしれないと感じた。
[この二人は私が見ておくから、ナツメが街への定時報告と定時巡回に行ってきて]
「………あぁ、なら後は任せるぞ」
アヤメの声でも聞こえたのか、さっきまで喧嘩していた二人が項垂れるようにして黙っている、ゆっくりとマギリの手を離してから自分の機体へと向かった。
(はぁ………)
隊員同士のいざこざはいつになっても慣れない、どうして私が仲裁に入らなければいけないのかと疑問に思うしとにかく疲れるのだ。だからと言って放置はできないし扱いに困る、アヤメの申し出は正直助かった。
疲れた体と頭、それからくたびれたように鳴くエンジン音と共に長らく居座った卵から離陸した。仮想投影されたコクピットには二機の様子が映し出されている、はてと、強い違和感を覚えながらも機体を街方面へと向け発進させた。
◇
[あら?ナツメじゃんか、まさか一人で食事を取ろうって?アヤメがカワイソス]
[あんたも食ってばっかりだったから似たようなもんだけどね。それよりナツメさん、どうかしたんですか?この時間帯の定時巡回は私達でしたよね?]
「……………は?」
エレベーターシャフトを越えてすぐだ、街方面から薄らと見えるマギリ機がこっちに向かってきた。いやいやそれはあり得ない、卵の天辺で別れたはずなのにどうやって先回りしたんだ。それに何故巡回行動をしている、私は確かに帰投命令を出したはずだ。
[もしもーし、ナツメー]
[ナツメさん?]
機体が一瞬ですれ違う。
「お前達、今までどこにいた」
あちらも旋回しながら相対距離を縮めていく、マギリ機の見慣れないアフターバナーが降雪の中でも良く見えていた。が、機体は良く見なかった。
[ホテルで休憩していましたけど…]
[ちゃんとナツメの分も残してるよ、やだなぁ、全部食べたりしないって]
アマンナの馬鹿げた言葉は聞き流し、コンソールに向かって唾を飛ばした。
「この雪が見えているか?!」
[は?]
[雪?]
112.c
(あっちゃ〜…まさか寝てしまうなんて…ナツメも起こしてくれたらいいのに)
猛吹雪の中、先にミラー群へ行ってしまったナツメの後を追いかけていた。寝ている間に戻ってきたマギリから「交代だよ」と言われ、それこそ飛ぶようにして機体を向かわせていた。けれど、早く追いつきたいのに機体が思うように飛んでくれない、この雪のせいだろうかエンジンの吹き付けが悪いように思う。
眼下に広がるベラクルを越え、リニア方面とは違う進路を取ってさらに機体を飛ばした。前に飛んでいた時は湖に目を奪われていたが、今回はとくに見どころは無さそうだ。なだらかな丘陵地帯が続いているだけ、その遠くには背比べをするように山々の嶺が横たわっていた。そこでふと違和感を覚える、どうして何も無いのか、太陽が沈む前に調査に出向いた時は確かに轍が残っていたはずだ。さらに強い違和感を覚え、向けていた進路をミラー群から地上付近へと切り替える。
(雪が積もってない……)
これだけ吹雪いているのに積もっていないどころか地表すれすれで雪が消えているではないか、これはもしかして仮想展開型風景?でも誰が?すぐに答えが分かった。
「あ……」
飛び立った方角から一際強い光りが夜空へと昇っているのが見て取れた。その光りは変わらず明滅を繰り返しているようで、こちらにも届いている。慌てて機体の高度を上げようとするがさらに重たく感じられ、高度を上げるのにとても苦労した。この雪のせいだろうか、そう周囲を見回した時にはあれだけ降っていた雪が忽然と姿を消していた。
✳︎
邪魔なんだよ、どうして人の仕事場で胡座をかけるんだ。
(狙いは私なんだろうがな…おかげで時間を取られてしまった)
カエル・レガトゥムの孵化装置直上にて待ち伏せされていたのは既に把握していた、だからといってのこのこと姿を現す訳にもいかずラムウとディアボロスの権能を利用して立ち退いてもらった。戻ってくるのも時間の問題だがもう孵化準備に着手した、今更止めたところで遅い。中ではティアマトによる教育が行われているはず、きちんとした学習がされているとは思えないが。
上官が言うにはこの孵化装置の中で肉体の形成が行われており、私の役目はそれを手助けすることだ。先に一体が孵化を終えており何処へなりと出向いたようだ、あの司令官と最後に行なった仕事でベラクルに産み付けるようガイア・サーバーからダウンロードしたものだ。
(これは驚異と言う他にない、任意の物体、生物をサーバー内で作成し現界させるなど)
孵化装置の端末に触れてマテリアルの生体パターンを読み取らせる、立ち上がったホログラムスクリーンから「任命者」のパラメータを確認していると微かにタービン音が夜空の向こうから響いてきた、早速のお出ましらしい。
[やはりここにいたか、してやられたよ。まさか幻影を見せて私らを立ち退かせるだなんて]
外部スピーカーから恨めしそうに女が発言した、名前は確かナツメと言ったか、今の中層を指揮している部隊の人間だ。
[聞こえているなハデスとやら、ここで待ち伏せしていたのはお前と話しをつけるためだ。今すぐに止めてもらおうか]
「生憎だが聞けない相談だ」
[これを見てもまだ同じことが言えるのか?]
仰ぎ見れば人型機の武器を構えて私に向けていた、あれで攻撃されてしまえばひとたまりもないだろう。
[こちらの指示に従え、止めてくれるなら命までは取らない]
「ふっ、どちらが悪党かまるで分からないな。先に言っておくが私を倒したところで計画は止められないぞ」
[ただの小間使いか、道理で覇気がないと思った。出で立ちは奇怪だが中見は凡庸だな、納得したよ]
「私が逆上することを期待しているのか?傷が入るような自尊心は持ち合わせていなくてね、すまない」
[……………]
私の言葉に構えていた武器を下ろした、言葉は険を含んでいるが根はどうやら優しい人間らしい。そもそも害を与えるつもりなら言葉などかけずに遠距離からさっさと攻撃していたはずだ。
さらに一機、エディスンとは別の方角から現れた。あの色はアヤメが操る人型機だ、低い高度を飛びながら真っ直ぐこちらに向かってくる。
(そうそう、敵意ある人間とはこういうものなんだ)
その人型機は速度を緩めることなく近付き、その大きな鋼鉄の手で私を鷲掴みにした。このまま締め殺されるのかと期待したが、違ったようだ。
[ハデスさん、この卵を止めてください]
アヤメも優しい人間らしい、思い切ってやってほしかった。
「だから、私では止められないんだよ」
私を掴んだまま高度をゆっくりと上げていく、他の二機は孵化装置の前で待機していた。アヤメが少しでも操作を誤れば私は地上へ真っ逆さまだ、高い操作技術に感心しているとアヤメが再び語りかけてきた。
[いいんですか?あなたの言う計画を本当に進めてもいいんですか?皆んな死んでしまうんですよね]
「今はまだ、とだけ答えておこう。どのみち生き物には寿命というものが設定されているんだ、それが明日か今かの違いしかない」
それでも尚、食いつくアヤメの言葉にはさすがに意志が揺らいだ。
[なら、あなたが工場地帯で助けたという女の子達が死んでもいいと?皆んな感謝していました、できることなら会いたいと言っています]
「…………冗談は、」
[冗談なんかじゃありませんよ。アリン、カリン、アシュ、ミトン、あなたが暴漢から救った女の子達の名前です。皆んなとても素直で甘えん坊、そんな子達すら殺しても構わないとまだ言いますか?]
「…………………」
どうして私だと気付いた...?いや、スピーカーを使ってホテルへ通達した時に...そうか、私のような存在でも向こうは覚えていてくれたのか、それも声だけだというのに...
「……今さら会って何になる、私は人類終焉の引き金を引いた極悪人だ」
[引かされた、そうでしょう?ナツメとの会話は聞いていましたよ小間使いさん]
何も言い返せない。それにだ、上官からの命令を遂行したところで待っているのは安らかな眠りだけ、今ここで離反したとしても結果は変わらない。ナツメの脅しよりアヤメの問いかけの方が堪えた、それならいっそのことと思うのは私が弱いからだろうか。
「………君の話しは本当なのか?本当に……私に会いたいと…」
ずっとサーバーから見守っていたあの四人だ、最初はただの好奇心からだったが向こうも私という存在を知って会いたいと言ってくれている。こんなに嬉しいことは初めてだった。
[皆んなからお願いされました、できることなら倒さないでと。そして私は約束したんです、だから今すぐに止めて街まで来てください、というか連れて行きますので諦めてください]
こんな安らかで気持ちが満たされる諦めがあったのかと驚いた。しかし、
[生体反応を調べてみましたがその四人は既に死亡しています。人間の戯言に付き合う必要はありません、職務遂行に励んでください]
(……………)
会話を聞いていたように割って入ってくる者がいた、その声だけではテンペスト・ガイアなのかプログラム・ガイアのどちらか分からない。分からないがもう私にとってはどうでも良い事だった。
[私の役目は物理接続による仮想世界とのコンタクトだ、あの装置の中では順次アウトプットが始められている、そうなんだろう?なら、もういいんじゃないのか?]
[もう一度警告しますが職務遂行に励んでください、特別措置を拒んだのはあなたの方です]
どいつもこいつも脅しばかりかけてきやがって。
[分かった。その前に一つだけ聞きたいことがある]
[何でしょう?]
[あの装置を止める方法はないのか?]
答えは無い。代わりにアヤメの機体に異変が起こった。
[なっ?!な、何で急に?!そんなっ?!ちょっと待ってまだハデスさんがっ!]
私を掴んでいた鋼鉄の手が軋みながら開こうとしている、この高度で手が開いてしまえば地上へ叩き付けられて無事では済まない。つまりそれが答えらしい。
「気にするなアヤメ、今の話しを聞けただけでも私は十分だった。それより君も早く地上へ降りた方がいい、ガイア・サーバーにコントロールを奪われているぞ」
アヤメが何か言いたそうにしていたが私のマテリアルが重力に引っ張られてしまい、後は死への浮遊感が襲ってきた。轟々と鳴る風切りと何もかもから解き放たれた清々しさ、さらに私を思ってくれているあの四人の存在、悪くない、悪くなかった。これが私の最後というのなら望外の結果だった、何も思い残すことはない。
頭上では、コントロールを失い墜落していくアヤメの機体があった。あの世で再会したらきっと文句を言われることだろう。
✳︎
「タタリが引き止めているうちに早く!」
「タタリさん?!大丈夫ですか!!」
この二人、もしかして案外余裕なのか?タタリという可哀想な渾名を付けられたヴィザールさんが人型機から吠えるように答えた。
[その呼び名はやめてもらいたい!僕にはちゃんとした名前がっ………ええいくそ!もうタタリでも何でもいいから早く避難してくれ!]
人型機の足元には数えるのも馬鹿げている程にノヴァグの姿があった。警戒用レーダーに反応があったのは今から少し前、ほんの僅かな時間であっという間に囲まれてしまった。市民の避難は既に済んでいる、ナツメ総大将(市民による命名)から話しがあったように計画を止める上で敵の襲撃が予期されていた。満場一致で敵と戦うことを選んだ私達はこうして武器を構えているところだった。
「タタリ君も早く逃げてっ!こっちはもう平気だから!」
[アリン!君まで僕をタタリと呼ぶのか!]
しかも君付けだなんてぇっ!と言いながらも敵を文字通り蹴散らしているあたりまだ余裕はありそうだ。
私達の部隊が陣取って防戦を続けている場所は医務室のすぐ近く、医療棟として本館から別にある建物を守っていた。別働隊から負傷者の搬送を終えたと連絡が入ったので私達も多目的ホールへ避難を開始した。
「車は?!」
「車なら大丈夫!」
「誰も怪我してないわよね?!」
「…そろそろ甘えたい」
「後でうんと撫でてあげるから今は頑張って!」
皆んな口々に言葉を掛け合うなか、多目的ホールがある建物へホテルの敷地内を走って行く。
「待ってアリン!あっちにバギーがある!」
立地の関係で医務室から多目的ホールへは距離がある、このまま走っていればいずれ敵と会うことになるだろうと危惧していたのでアシュの発見はかなり有り難かった。
「たまには役に立つじゃない!」
「アリンにまた酷いこと言われたってアヤメさんに泣きつくから覚悟しておいて!」
「ごめんなさい、あなたは良く出来た隊員です、丸!」
「馬鹿なこと言ってないで早くしてお姉ちゃん!それとアシュも!」
最近、妹の口が強くなったような気がするが気のせいだろう。二階にある外通路の下に停められていたバギーに乗り込み素早くエンジンをかける、まさかこんな時にかからないなんてことは...映画のようなハプニングは起こらず素直に動き出してくれたバギーを運転してホールへと急いだ。
「うわぁ……最悪だよ……」
アシュの呟きに視線を向けてみれば、建物の至る所にノヴァグが張り付いていた。窓という窓を割り中に侵入している、おびただしい数の虫にとうとうこのホテルが支配されてしまった。皆んなが使っていた部屋はどうだろうとさらに視線を変えてみれば、ちょうどノヴァグが中から出てきたところだった。ナツメ総大将の指示で医務室近くに待機していなかったら今頃は...底冷えする恐怖を払いさらにバギーを飛ばした。
◇
到着した別館の入り口前にはノヴァグの死骸が沢山転がっていた、入り口を防衛してくれている別部隊の戦果だろう。しかし、戦場では長く幸運が続かないように味方によってその事実を突き付けられてしまった。
「お前達じゃないかぁ!久しぶりだなぁ!あの時は世話になったよ!」
(…………最悪)
ホールへの入り口を守っていたのが、よりにもよってセルゲイ総司令が引き抜いた部隊、さらに言えば私達に手を出そうとしていたあの部隊だった。その嬉しそうに笑う顔には仲間を思いやる心はない、卑しい視線で私達を見ているだけだった。
「中に入りたいのかぁ?ならきちんとお願いしないとなぁ!」
他の仲間達もせせら笑いをしている、こんな状況にもなっても己が欲が先らしい。腹わたが煮えくり返りってはいるが文句の一つたりとて口から出てこない、未だ私はこの人達に怯えていたのだ。
「…入れてください、敵がすぐそこまで迫っているんです」
代わりにミトンが、あのミトンが言ってくれた。
「だったらヤらせろ、それが嫌なら他所へ行くんだな」
「いい加減にしてください!今そんなことを言っている余裕はないでしょう!」
ようやく私の口から言葉が出てくれた、それでも向こうは道を譲ってくれそうにはなかった。
「いいじゃないか一人ぐらい、四人もいるんだから一人減っても問題ないだろ」
最悪の発言だ、この人は本当に同じ人間なのか?
「お願いですから中に入れてください!」
「いいねぇその懇願っぷり!俺の息子にも挨拶してくれよ!な?お前もいい加減分かってるだろ、避難先の入り口を守っているのが俺達なんだ、別に聞きたくなければそれでいいが早死にするだけだぜ?」
別のルートを探してみるか...?けれどこの入り口からホールへ向かうのが最短距離なんだ、危険を犯して回り道をするのは躊躇われた。だからと言ってこんな奴に頭を下げるだなんて...下卑た視線に晒されているとミトン、それからアシュが銃を構えた。
「お?俺らを殺そうってか?」
「早くその扉から離れてください、敵が迫っています」
「それはお前達の背中だろうが、」
男性の言葉が遮られた、背中から突かれた鋭利な足によって。
「っ?!退避、退避!すぐに離れて!」
アシュは何も脅しで言ったつもりではなかったようだ、建物の中から扉ごと男性を突き刺したノヴァグが踊り出てきた。
「くそっ!何で中にいやがるっ」
さらに別の敵によって入り口を通せんぼしていた部隊の人達が殺されていく、あっという間の惨劇であった。
「バギーに乗って!ここからはもう入れない!」
「ホールにいる人達は?!」
「演者用の通路があるから持ち堪えられるはず!いいから早くして!」
足に遺体をぶら下げたままの敵へ向かって発砲し、運転はアシュに任せた。後輪を滑らせながら発進し来た道を戻っていく。
「どうするの?!」
「どうもしない!作戦変更!車がある森に向かって!」
...これでも一応、私達はあの部隊に救われたことになるのだろうか。下らない足止めをされていなかったら殺されていたのは私達かもしれなかった。けれど敵の魔の手がホールにまで伸びてしまったのだ、演者用の通路は観客の夢を壊さないためか、わざわざ人目が付かないように設けられて建物の入り口まで続いている。だからあのホールを避難先に指定していのだ。
私達だけではホールに避難した人達を救うことはできない、でもこのまま見捨てることもできない、どうすれば...バギーを走らせている私達に再び悪運が降り注いだ。
「敵!やばい!敵がこっちに来てるよ!」
ホテルの壁を器用に伝い私達を追いかけてくる、その内の一体が身を空中へ踊らせ時、最後の幸運が私達の頭上に舞い降りた。
[いやぁ、今度は間に合って良かったよ、良きかな、良きかな。僕の力をここで見せてあげよう、そうすればナツメも僕を認めてくれるだろうしね]
この場にそぐわない男の子の声が天から降り注ぎ、ひしめき合っていた大量のノヴァグがその動きをピタリと止めた。
112.d
(ボロボロじゃない……マギールの奴……)
カーボン・リベラ第十二区に置かれた総司令公務室に、満身創痍のマギールが端末の前で何やら作業をしていた。一心不乱にキーを叩き、時折出来の悪い関節人形のように不自然な姿勢で動きを止めている。何度も宙を仰ぎ、視線を落とし、堪え、そして何度でも端末に向き直っていた。
プログラム・ガイアの権能を使い貧相な私の体を実体化させる、手にした自動拳銃も仮想の産物だ、そしてマギールのマテリアルも同様にガイア・サーバーからの援助を断たれただの人形に変わろうとしていた。言葉を交わすつもりはなかった、黙って事を成そうとするとマギールの端末にコールが入った。私は一度も会ったことがない、アオラという女性からだった。
[これから寝ずの捜索に入る、あんたもこっちに来て最後の晩餐といこうじゃないか。酒も用意しているぞ]
「…………」
喘ぎながら呼吸を整え年長者の意地か、何でもないように取り繕いながら答えている。
「そんな事より子供はどうなった、貴重な情報提供者だ、後でたんまりと感謝状を送らねばならんからな」
[エフォルは無事だよ。それにリバスターへの指示も出してある、向こうに総司令が現れたみたいだが今のところ音沙汰なしだ]
「ならば良い、儂は今日中に片付けなければならない仕事があるから遠慮させてもらうよ」
[……正気か?あんたの好きな酒があるんだぞ?]
「酒ならもう呑んだ、だから気にするな」
[お前……良い根性してるじゃないか!未確認生物の報告を終えた途端それかよ!こっちは行方不明になったパイロットも捜索しなくちゃいけないってのに!]
端末の向こうから賑やかに食事を取る音が聞こえ始めた、マギールと合流するまで待っていたのだろう、私はこんなに人から思われている相手を始末しなければいけないのかと憂鬱になってしまった。
(それもこれもナツメのため……二度と近付けさせやしない……)
プログラム・ガイアの魂胆は見えている、ナツメを餌にして私を意のままに操りたいのだろう。
罵詈雑言の文句を言われているのにマギールはどこか安らかだ、狂ったようにキーを叩いていた手も止まっている。そして、
(……っ?!!)
私に真っ直ぐと、その視線を向けていたので小さな悲鳴が漏れそうになった。自動光学迷彩はまだ解除していないはずなのに。
[ったく……心配して損したぜ!いいなマギール!今度酒を呑む時は私も呼べっ!]
「分かった、冥土の酒でも持って来てやろう」
[めいど……?良く分からんが良い酒なら何でもいい、また何かあれば連絡する]
通信が切られた。何故マギールは助けを求めなかったのか、私という存在に気付いていたのなら何をされるか予想できただろうに。
「そこにおるのだろう司令官、顔を見せたらどうだね」
「………」
「古い友人も使っていた光学迷彩だ、儂には効かんよ。それより用件は?」
「あんた……これが……見えないの?」
力なく腕を上げて銃を見せた、マギールとこうして会うのも久しぶりだというのに最悪の再会だった。
「やはりあやつの仕業か…お前さんも難儀な司令官よの、そんな事に使われているだなんて」
「………悪いけど私、」
「みなまで言うな、良く分かっている………儂の………」
マギールの目が何度か明滅した、瞬きをしたからではない、マテリアルとしてもう限界だからだ。
「あぁ……儂は一体何を恐れていたのか……死がこれ程に安らかなものだったとは……」
「………」
構えていた銃を下ろした、マギールの目は私でも端末でも、現世にも向けられていなかった。
「どうだろうか……儂は、あの者の願いに……応えられた……だろうか……分からない……司令官よ……さっさと撃つがいい……」
「………」
「すまんな……ジュリアよ……最後の最後まで……迷惑をかけて……ママにはパパの方から………謝って………安心、しなさい………」
「………」
✳︎
マギールの様子がおかしい、そう思ったのに既に遅かった。
「…………悪い冗談はやめてくれよ」
仕事だって馬鹿みたいに溜まっているんだぞ?ようやく制圧作戦の後片付けが終わったところなのに...
あれだけ酒好きだったマギールがパーティを固辞したのだ、自宅に酒と皆んなを残して飛んで来てみれば、まさか公務室のデスクで息を引き取っていたなんて...誰が予想できるっていうんだ。
「…………」
こんなになるまでマギールは街の為に働いていたんだ、それこそ自分の命を引き換えにして。マギールを守って倒れたというピューマに言ってやりたい、あんたはここまでこの男にさせたかったのかって。
「はぁ…仕方がない、あんたと酒を酌み交わすのはあの世に行ってからだな、私の分も残しておけよ」
すぐに救急車の手配と警官隊へ連絡を入れた、そしてマギールの端末にコールが入った。
[聞こえているな私の偽物よ、貴様が立ち上げたリバスターなる部隊には即時解散命令を出している。この街で好き勝手できるのも、]
この男か...とんでもないタイミングで唾を吐きに来たな...総司令、いや元総司令がリバスターの基地へ侵入していたのは知っている、明らかな不法侵入だ。端末を持ち上げマギールが視界に入らないようにした、せっかくの寝顔が台無しになると思ったからだ。
「ご機嫌よう、セルゲイ元総司令、私は第一区の区長に就任しましたアオラと申します。マギール総司令に代わって私がお相手しましょう」
[貴様にも政治犯として最高裁に訴訟状を提出している、外の空気を吸えるのも今のうちだ]
「この街は今、大変な危機に晒されています。あなたのおかげで第一区と第六区は助かりましたがそれはそれ、現状リバスターの解散指示は通らないと思いください。それと、おたくの自尊心を守るためのごっこ裁判はまた後日ということでよろしくお願いしますね」
[話しにならない、偽物と代われ]
「ならあの世に行かれては?誰も引き止めませんよ」
ぶつりと通信が切られる。このまま端末を床に叩きつけたかったがそうもいかない、ゆっくりとマギールの前に下ろした。
「…………後は私らが何とかするさ、だからあんたはいつでも連絡が取れるように端末だけ持っていてくれよ」
冗談でも言わないと涙が溢れそうになった。
✳︎
[これで…終わりでいいわよね、もう、私に関わらないで]
[助かりましたプエラ・コンキリオ。今はただ安らかに]
私の最後の仕事はトリガーを引くことなく終わった。マギールの死を悲しみ、悼み、そして涙する人が後になって続々と現れた。この訃報はいずれナツメ達にも届くだろう、果たして私はあの人に会えるかどうか、まるで自信が持てなかった。
何をしていたのだろう、私は。周りにされるがまま流されて利用されて果てはこんな所で独りぼっちだ。それに皆んなも先に逝ってしまった、オーディンにディアボロス、それからタイタニスにラムウ。もっと私にも何か出来たのではないかと今更のように強い後悔の念を抱いた、私は司令官だ、それなのに。
これが終わったらあの人の元へ飛んで行くつもりだった、けれど私の心は重たくとてもじゃないが立ち上がれそうにはなかった。