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第百五話 新しい関係、それとホテルの一幕

105.a



 散発的、時には激しい銃撃戦が行われているエディスンホテルの中を一人で歩いていた。傾向型の火器、所謂サブマシンガンは人型機備え付けの物を使用している。ノヴァグに襲われても自分一人でも何とかなるだろう。


(酷い有り様だ…)

 

 自分に後悔はないかと聞かれたら勿論あると答える。尊敬していた父を、自分に剣を託してくれたあの父を、他人に止めを刺してほしいと頭を下げたのだ。間接的とは言え、自分は父殺しの汚名がついた、それも永遠に(そそ)げぬものだ。しかしだ、獣に堕ちた父を見ていられなかった。あまりに不憫で胸が締め付けられてしまった、たとえあの世で罵られようと自分は父を止めたかったのだ。その手がいくら血で汚れようとも心まで(けが)してほしくなかった。だから頭を下げたのだ。

 ディアボロス様の元を離れて人間達に協力することに躊躇いは無いのかと聞かれたら、勿論無いと答える。自分はマキナだ、たとえサーバーからの恩恵があろうとなかろうと自らの役目に変わりはないし変えるつもりもなかった。しかし受け入れられるかは分からない、今自分の前に立っているあのマキナのように睨んでくる輩だっているだろう。


「何だ、職務の邪魔だ」


「ヴィザール…ナツメから聞いたよ、あんたが兵站を担当するんだってね」


 アマンナ...あれアマンナだよな...あんな世捨て人みたいな顔をしていたか?演技でも何でもない凄みのある顔をして自分に銃口を突きつけていた。


「それが何か?僕は出された指示を全うしているだけだ。君も負傷者の搬送は終わったのかい?それともクーリングオフを申請して返品でもしたのかな」


 アマンナだなあれは、みるみる顔が赤くなっていく。


「あ、あれは!わざとに決まってるでしょ!ミトンさんと騒いで空気をやげんなんこつしていたんだよ!」


「君は喧嘩を売っているのか?」


 何だやげん軟骨ってどこから出てきたんだ、間違いなく頭からではなく腹から出ただろその言葉。兵站という言葉を知っているのに何故間違えるのか。


「皆んな暗い顔をしていたから盛り上げていたんだ!そんなことより、」


 仕切り直したつもりだろうがちっとも怖くない、しかし腹を空かせた世捨て人が口にした言葉はなかなか鋭いものだった。


「わたしはあんたの事を信じていない、ディアボロス一味が食糧を管理するだなんて虫酸が走るよ」


「だろうね、僕もそう思うよ。しかしあの人に頼まれた事なんだ、すまないが職務は全うさせてもらう」

 

「ならわたしは監視させてもらうよ、下手な事をすればすぐに撃つから」


「それはいい、君のように敵愾心を隠さない相手の方が信用できる」


「………」


 マキナを相手にして年相応という言葉を使うのは間違っていることだが、またしてもアマンナはただの女の子のように惚けた顔をして自分を見つめた。


「何だい、まさか反対されるとでも思ったのかい?」


「それは……まぁ」


「僕だって自分の置かれている立場ぐらい理解しているつもりさ、ついこの間まで駆除機体を有するマキナの側にいたんだから。そんな相手に生命線を任せるだなんて僕もどうかしていると思うよ」


「………ふん」


 銃口を下ろし背中を向けて前を歩き出した。


「付いて来て」


「礼は言わないよ」


 自分の言葉に返事は返さず、代わりに睨めつけてきた。



 食糧が保管されている食堂まで数度の戦闘があった。そのどれも、アマンナが手にしていた自動拳銃で遠慮なく撃つものだから自分のサブマシンガンの出番が回ってこなかった。


「あんたのその武器は飾りなわけ?」


「君がさっさと倒していくからだろうっ」


「女の子に守られる成人男性ってどうなの?」


「君はマキナだろ!いや僕もだけど!」


 到着した食堂エリアも酷いものだった。中庭を望めるテラスは破壊され、散らばった窓ガラスには大量の血のりが付いている。形を留めているのは数える程、残りの全ては押し寄せた大軍によって踏み潰されていた。

 せっかくだから食糧を保管している場所に案内してもらおうとアマンナに振り返ると、まるで自分がノヴァグかのように見られていた。つまりは虫を見るような目だ。


「何だいその目は、僕が招き寄せたとでも言いたいのかい?」


「もっと気の利いたことも言えないの?「そうゆー需要もあるにはある」とかぐらいさぁ、皮肉る意味がないじゃん」


「ちょっと…待ってくれないか、君が何を言っているのか真剣に分からないんだが」


「まぁいいよ、自動倉庫へのレールはこっち」


 児童倉庫へのレール...だと?つまりは何か、ここにいる人間達は子供を…?


「ま、待てアマンナ!……確認したい事がある、すぐに済ませるから勝手に行かないでくれないかおい聞いているのかっ!」


「…………」


 あいつ!自分(ぼく)のことを何だと思っているのだ!人が下手に出ていれば好き勝手!


(いや、会った時からそうだったな)


 自分に構うことなく歩き続けるアマンナの後を追う。初めて相対した第十九区の赤く焼けた夜空を懐かしく思った。



「このレールから工場地帯にある食べ物が運ばれてくんの。欲しい物はそこにあるタッチパネルから操作してって何やってんの?聞いてる?」


「………続けてくれ」

 

「?」


 ...あぁ、馬鹿にも程がある。何が児童倉庫なものか、ここは立派な搬出エリアではないか。てっきり幼い子供が並ばされているのかと考えていたが、当てが外れて良かったそういう事にしておこう。

 ひしゃげてしまったカウンターの奥は厨房ではなくレールがずらりと並んでいる場所だった。料理を作る、というより物資を運ぶための工場エリアのようになっていた。無機質な非常灯に照らされたここにもノヴァグが侵入したようだがあまり破壊されていないようだった。


「あんた何か変な事考えてない?」


「銃口を向けながら聞くのは止めてくれないかい、先に言っておくけど僕は無知だ。あまりに人の生活について知らな過ぎる」


「……よく分かんないけど…とにかく、食糧を調べるなら向こうに行かないと」


「工場地帯へ?それなら一度報告に行かないと駄目だ、無断で離れる訳にはいかない」


「そんな事しなくていい、まだ生きてるレールがあるからそれで行くよ」


「赤いの、君が何をしたいのか分かっているつもりだけど勝手に行くのは不味いと言っているというかお願いだから僕の話しを聞いてくれない?」


「レールの上でならいくらでも聞いてあげるからさっさと乗って!こっちはお腹が減ってんの!」


「だから兵站という言葉は知っているんだな!分かりやすい奴め!食べ物に関する言葉だけはその胃袋の中に入っているのだろう!」

 

「はぁ?言葉はお腹じゃなくて頭の中に入ってるもんでしょう?」


「君が気が利かない奴だと言ったんじゃないか!だから冗談を言ったのに!」


「……あはははーちょーおもしろーい」


 故人に対してこんな物言いは失礼であると分かっているのだが、こいつのどこが可愛くて面倒を見ていたのかさっぱり分からない。口を開けば文句、こちらを向けば虫を見るような目、自分は徐々にこのマキナに対して一発拳を入れてやりたい衝動に駆られるようになっていた。


「もういい!僕はとにかくホールへ戻る、そして一度報告して指示をもらってから職務にあたる、君は好きにしたまえ」


「はぁー、かったい頭して大変だねー。リンキン欧米って言葉も知らないの?」


「知るわけないだろ、それを言うなら臨機応変だ。何なんだリンキンオウベイとは、勝手に言葉を作るのは止めてもらえないか」


「作ってないから、アヤメが好きなバンドの名前。大昔のだけど」


「…………」


 ...頭が痛い...会話に付いていけない。一度アヤメという方にお会いしたらきちんと教育するように進言しておこう。

 こちらには付き合う義務はない、確かに赤いのが言っている事にも一理ある。しかし任されているのは自分であって赤いのではない、何かあれば責任は自分にある。それにだ、任かされた職務をこんな適当なマキナにめちゃくちゃにされる訳にはっ?!


「何をするっ?!」


「…………っ!!」


「お、押すな!僕は戻ると言っているだろっ!!」


「早く早く早くっ!怖い怖い怖いっ!」


「なんっ?!おわぁっ!!」


 足払いっ!この状況で足払いをかけられてしまった!あえなくレールの上に落とされてしまった自分は頭から台車に乗り上げ、起き上がる暇もなく耳障りなモーター音が起動し、後はあっという間にスピードが上がってしまった。これではもう戻るに戻れない。


「赤いのっ!!いい加減にっ……て、どうしたんだ?君が見たのはノヴァグだろう?」


 起き上がりもう我慢にならない殴ってやろうと後ろを振り向くと、初めて見せる女の子らしい仕草をしていた。膝を抱えて頭を埋めて震えているではないか、道中あれだけ勇ましく戦っていたというのに。自分の言葉に頭を上げたアマンナの顔が真っ青になっていた。


「……な、何を見たんだ……?」


「……お、男の子……足元がす、すすすす透けた……笑ってた……」


「…………」


「……こっちに、向かって、きてたから…ごめん……」

 

 初めて謝ってもらえたというのに全く嬉しくなかった。きっとこのホテルで無念のうちに亡くなってしまった幼い子供の霊をアマンナが見てしまったのだ。


「あぁ…何という…」


 ホテルから工場地帯という場所へ向かうパイプラインの中で、自分と赤いのが二人揃って震え上がっていた。

 幽霊は駄目だ、幽霊だけは駄目なんだ...



105.b



「回収終わりました!次のご指示をどうぞ!」


「しっ!静かにっ」


 元気良すぎない?今は深夜の時間帯だよ?それにまだまだノヴァグはホテルの中を徘徊しているんだ、そんなに大きな声を出そうものなら気付かれてしまう。ノヴァグに規則性はなく適当に歩き回っているみたいで始末が悪い、いつ鉢合わせするのかまるで読めないのだ。ビーストなら人が集まっている所や匂いを辿って追いかけてくるので躱しようがいくらでもあったけど、ノヴァグにそれが適用されないため常に気を張る必要があった。それだというのにアリンちゃんはとても元気だった。

 注意を受けたアリンちゃんが無理やり口を真一文字にしているのが少しだけおかしかった。


「集合場所に戻ろう、ゆっくりね」


「……っ!……っ!」


 誰も口を開くなとは言っていないけど、今度は必死になってヘドバンを決めていた。



 エディスンのホテルは私達が寝泊りに使っていた客室がある棟を中心に構成されている。食堂や多目的ホール、それから露天風呂やスポーツセンターなどはどの建物からでもアクセス出来るように外通路が設けられ、また色とりどりの生垣で作られた道を辿って行くことができる。さらに中心地から離れると山へ登るためのゴンドラがあったり、レジャー施設も小さな森の中に作られていた。ペンションハウスや第六区には負けてしまうけどボートを楽しめる小さな湖もあった。

 私達はこれから上層の街へ戻るため、必要な警戒用レーダーの回収作業をしているところだった。中心地近くに設置した物は軒並み破壊されてしまったが、ペンションハウスがある小さな森などに置かれた物は壊されずこれなら旅のお供に使えそうだった。

 不自然に並べられたように立つ樹の間から、すっかり明かりが落とされたホテルが見えていた。今もホテルの中ではノヴァグの撃退戦と撤退の準備が同時並行で進められている、朝の出立の際に行くか行くまいか拗れたからだと教えてもらった。今の状況が最善なのかは分からない、けれどホテルの中にいた人達はもうここに未練はないようだった。


「……アヤメさん?」


「あぁごめん、ぼうっとしてた。行こっか」


 耳に心地よい落ち葉の音を出しながら、集合場所に決めていた一つのペンションハウスへと足を向ける。アリンちゃんは私よりやや後ろを歩きこちらを窺っている気配があった。


(あの時サニアさんを止められていたら…)


 引け目があった、第二部隊のこの子達には。隊長を止めてあげられなかったがために混乱が今なお続いているホテル内で取り残されてしまっていた。彼女達はサニアさんのことを毛嫌いしていたようだけど、それでも隊長であったことに変わりはなく屋台骨を無くした部隊はあっという間に瓦解して壊れてしまう。自暴自棄になったり他所の隊員と徒党を組んだり無茶苦茶になっていくのが常だったので、サニアさんの戦死を聞いてとても心配していた。

 この付近にノヴァグはいないようでとても静かだ、夜風に揺られた梢枝と遠くで流れる川のせせらぎの音だけが耳に届いていた。ペンションハウスの扉を開けると誰もいない、先に回収を終えて戻ってきたのは私達だったようだ。


「お疲れ様、あそこのソファで二人が戻ってくるまで休もっか」


「……っ!……っ!」


「もう、大丈夫だからね?この辺りにノヴァグはいないみたいだから普通に話しても大丈夫だよ」


「……分かりました」


(何て素直な子)


 咄嗟に口から出た事もアリンちゃんはきっちりと守る。どうして私の言う事をここまで聞いてくれるのか不思議だった。

 長年使われていなかったせいか、このペンションハウスには当たり前のように埃が積もっていた。カーテンの隙間から入り込む月明かりにハウス内は少しだけ明るい、舞い上がった埃も照らされ何だか見ているだけで喉がイガイガしてしまった。二人揃ってソファに座り、


「はっくしゅんっ!」

「っくしゅんっ!」


 思わずくしゃみをしてしまった。


「…………」

「…………」


 近い距離で視線を合わしたまま耳をそば立てる、さっきノヴァグはいないと言ったがやはり今は有事、くしゃみの音を頼りにして近づく敵はいないかと緊張してしまう。耳鳴りにも近い静かな音に変化はなく、どうやら大事には至らなかったようだ。


「ここ埃っぽいね」


「はい…す、すみませんでした…」


「いやいや、お互い様だよ」


「………」


 私がそうしたようにアリンちゃんもゆっくりとソファの背もたれに体を預けた。そしていくらか声量を落としてアリンちゃんが私に問いかけてきた。


「あの…一ついいですか?」


「うん、何?」


「どうして私達の部隊を見てくれるんですか?言っちゃなんですけどそこまで役に立つ部隊ではないと思います。その…さっきもマギリさんに注意もできなかったし…」


「…………引け目かな」


 ここは正直に話そう、隠しても仕方のない事だ。


「引け目…ですか?それは一体何の…」


「私ね、サニアさんが最後に出撃する時たまたま会ったんだよ。その時に無理はしないでくださいって伝えたつもりだったけど、駄目だった」


「………どんな会話をしたんですか?」


「皆んなあなたを頼りにして心配していますって、だから必ず戻ってきてくださいって」


「………別に、私達は頼りになんかしていませんでしたし…」


「隊長ってそんな好き嫌いで割り切れるもんじゃないよ、戦場で一番近くにいてくれる大人なんだから」


「まぁ……それは…」


 戻ってくるつもりがなかったという話しは伏せておいた。

 揺らぐ視線のまま聞かれたアリンちゃんの言葉にドキリと心臓が跳ねた。


「……それなら、アヤメさんが私達の大人になってくれるんですか?」


「あっ、あぁー……その前に私からも一ついい?」


「は、はい」


 逃げたとか思われてないかな、いやでもその言葉が出てくるとは思っていなかった私は慌てるように質問していた。


「アリンちゃんって初めて会った時と比べて随分接し方変わったよね?」


「っ!」


 びく!と体を硬直させ、一気に顔が赤くなっていた。


「え、変なこと聞いた?私ずっと気になってたんだけど…」


「あ!それはですね!何と言いますか!あぁー…いやその、ほら、アヤメさんって叱ってくれるじゃないですか、中々そんな人いないなぁーって、無理して褒めてくる人はいますけど無理して怒ってくる人なんかいませんし…」


「まぁ、それは確かに」


「わ、私よく本を読むんですけど、尊敬している哲学者が「自身の成長を望むなら褒める人より怒ってくれる人に付いて行け」って言葉があって、それでですね…」


「え、私そんな大そうな人間じゃないよ」


 薄暗い部屋の中でもアリンちゃんの染まった頬が良く見える、下に向けていた視線を私に向けてから、


「……あ、アヤメさんになら叱られてもいいかなって…思っています…」


「…………」


 胸がきゅぅぅんとしてしまった。そんなに顔を赤くして言うことか?


(アリンちゃん…めちゃくちゃ可愛い…)


 アマンナとは違う、スイちゃんとも違う。こう...なんかこう...守ってあげたくなるというか...妹?私に妹はいなかったけど、アリンちゃんの仕草と言葉にとんでもなく庇護欲が掻き立てられてしまった。

 気が付いたら滑らかに手が回っていた。アリンちゃんの細い肩を引き寄せて、私もアオラに似てきたのかもしれないと思った。


「任せて、私がきっちりと見てあげるからそばから離れないでね」


「………っ」


「お楽しみですなぁ、良いご身分なこってっ!!」


「ぎゃああっ?!」

「きゃああっ!!」


 いつの間に?!ペンションハウスの扉が開けられてマギリがそこにいた、アリンちゃんは私のお腹あたりにしがみついて震えている。それにマギリを良く見てみれば全身ぼろっぼろではないか。


「な、何が…あったの、それ。大丈夫なの?」


 マギリ、仮想世界からやって来た私の親友が歴戦の兵士のような顔付きで全身を砂や埃、ちょっとした切り傷をこさえて立っていた。



✳︎



『アヤメ達と別れてすぐ』



「いいですかマギリさん!アヤメさんにこれ以上怒られないためにもキリキリやりますよ!」


「その前に銃の扱い方教えてね?やっとアヤメから許可が下りたんだから」


「そうでした。というかあのパイロットをやっているのに扱い方知らないんですか?マギリさんも特殊部隊の人ですよね、もしくは警官隊の人?」


 仮想世界からやってきた住人です、と言いたいところだけど頭のおかしい奴だと思われたくないのではぐらかした。


「どっちでもないよ、人型機の士官学校にいたからね」


「………?そんなのありましたっけ」


「あるんだよ、アシュが知らないだけで」


「…………」


 私の言葉を一切信用していないのはそのしかめられた眉で良く分かるけど、だからと言って本当の事を伝えるわけにもいかない。

 そもそもだ、私はまだ納得がいっていないんだ。あの日本家屋の縁側でミズキさんに事情を説明していた時の冷んやりとした空気に、虫達の大合唱もまだ耳に残っているぐらいなんだから。それはいい、元々離れるつもりでいたからこっちに来たことに後悔はないけど誰も出迎えがないってどういうことなの?目を覚ましたのが無機質な蛍光灯に照らされた診察台ってどういう事なんだよっ!私はサイボーグか何かか!過酷な運命を背負った一人ぼっちの戦士か私は!いや、そりゃあね?皆んなが涙ながらに出迎えてくれるんなら言う事なしだけどさ、せめて一人ぐらいはいてほしかった...知らない建物の中を歩き回ってあの畑にいた人型機を見つけるまで心細いのなんの...「え?私もしかして来る世界間違えた?」って馬鹿げた事まで考えていたんだからっ!


(重いな…アサルト・ライフル…)


 ずっしりとした銃は否応なく私の腕を痛めつけてくる。それに重く感じるのは銃だけではない。


(凄い匂い…何かもう全部が濃いな…)


 五感を刺激する情報量が桁違いなのだ、そのせいもあって空気、臭い、自分の体までも重たく感じてしまう。木もあの優しい森の匂いだけでなく腐ってつんとした匂いも混じっているし、小さな湖の上を撫でる夜風にもやっぱり腐ったような酷い臭いがあった。ティアマトの仮想世界では、不要な臭いまでは再現していなかったんだとこっちに来て初めて知った。

 アヤメから指示のあったレーダーは湖の端、ちょうど私らがいる岸辺の反対側にあるらしい。何度もアサルト・ライフルを持ち直しながらアシュの背中を追う。やはり日頃から持ち慣れているせいかあまり重たそうにしていなかった。


(それともこっち生まれだから?それは関係ないか…)


 私の体にも違和感が付きまとう、とくに胸。ちょっと体を動かしただけで揺れるものだから気が散ってしょうがない。


「アシュ、銃の持ち方にコツってあるの?」


「……いや、慣れるしかないですけど。本当に持ったことがないんですね、それなのにどうして撃てたんですか」


「人型機のアサルト・ライフルも同じ作りだからね、あっちはアームが固定してくれるから狙いを付けるだけで楽なんだけど」


 そう、生身の体で銃を扱うには重たいアサルト・ライフルを持ち上げ、固定し、トリガーを引かなければならない、当たり前なんだけど。人型機はこれらの動作を全てやってくれるのでどうしたって煩雑さが募ってくる。


「…………はぁ、まぁ良く分かりませんけど」


「何?何でこっち見ないの?」


 私の言葉にアシュがくるりと振り返る、その反動で耳にかけていた前髪がはらりと落ちた。


「私のこと嫌ってないんですか?あんな酷いこと言ったのに」


「そんなのいちいち気にしてらんないよ」


「あ、そっすか……」


 微妙な顔付きをしたままアシュが再度歩みを進める、それに習って私も進もうとするとアシュが素早く手を上げた。


「……何か臭いませんか?」


「あれ、アシュも分かるんだ。てっきりこっちだけだと思ってたんだけど」


「こっち?こっちとは何ですか?」


「いやいや何でもない失言だった」


「………まぁ後で問い詰めるとして、腐った臭いがしますね、それも生き物が腐った臭い…」


 これが森の臭いではないということか。良かった、後少しで現実世界の森を嫌ってしまうところだった。


「まさか、誰か殺されてしまったんじゃ…」


「それにしたってこんなに早く腐らないですよ」


 何かカチリと音が鳴ってからアシュが銃を構え、臭いがする方向へ舵を切った。右手に小さな湖があり左手には藪、そしてその奥にはキャンプでもできそうな草原があった。藪を抜ける合間にもさらに腐った臭いが強くなっていく。


「これは……」


「酷い………」


 強い臭いもさることながら、藪のおかげで見えなかった(見るべきではなかった)凄惨な姿に変えられていた人の姿がいくつもあった。首から抉られたように頭を無くしてしまった人や、胸からお腹にかけて切り裂かれ内臓を引きずり出された人、あまりにショッキングな光景に目眩がする程だった。


(こんな……こんな所で…アヤメは戦っていたの?)


 ドス黒く変色した血が草原を汚し、小さな虫が死体を覆っている。隣にいるアシュを見やれば顔を青くしていた、この子もあまり慣れていないのかもしれない。

 生存者を探すべきか戻るべきか悩んでいると、張られたテントの向こうで物音がした。こんな状況になっても生きている人がいるのかと思ったが、アシュがさらに険しい顔付きになって銃を構えた。何故、その言葉は口から出ることなく代わりに歪な金属音が耳に届いた。


「……もう、こりgoriダ人間、サレ……」


「ーっ!」


 テントの奥から現れたのは、一見して狼のように見える機械の体をした動物だった。その体躯は人より大きく、また牙や爪も不自然に大きい。草原と同じように黒く変色しており所々欠けていた。


「……うせろと言っteイル、見る二絶えない……もうこれ以上………」


「…あなたは人間の言葉が話せるのですか」


「マギリさん?!何やってんすか!」


 一歩前に出た私をアシュが引き留めた、そんな私達に目もくれず...というよりこの生き物はもう目が見えないのだろう。私達が立っている所とは違う場所に頭を向けて話し始めた。


「……殺したところでどうにもNaラン……仲間を失ったのは………お前達のせいだとiうの二……」


 声はひび割れ、合成されたような不快感がある、それなのに声音は酷く悲しみに染められていた。


「いなければ……お前達さえいなければ、オレ達が生まれるkotoもなかった……外に出te…地獄ヲ見ることもなかったtoいうのに…」


「…………」


 最後の力を使って私達の前に現れであろう、前足から崩れるようにして草原に倒れ込んだ。


「……撃て、殺セ…オレが最後の生き残りだ……もう、これ以上利用されたくはナイ……」


「…去れと言ったり殺せと言ったりどっちなの?本当は構ってほしかったんでしょ、ビースト」


「………………Mopwpgッ」


 弱々しく吠えたその声が、最初で最後となったビーストの咆哮だった。


「向こうに行ったらティアマトっていうくそふざけた奴がいるから一発殴るといいよ、少しはスッキリできるんじゃない?私はそうしたよ」


「……………」


 あとは何も言わずに事切れてしまった、虚だった赤い瞳が一瞬だけ強く輝いたのは気のせいだろうか。

 ゆっくりと腰を上げると不気味な視線を向けているアシュと目が合った。


「……信じられません、ビーストに声をかけるだなんて…」


「そう?私会うのは初めてだったから。それにこいつも苦しんでたみたいだし、最後ぐらいは看取ってあげないと」


「この場にいる人達は皆んなそいつに殺されたんですよ?」


「聞いてなかった?こいつは誰かに利用されていたんでしょ。人への憎しみを利用されて殺しの道具にされていたんだよ」


「私には無理です、そんな奴気遣えるはずがない、家族も皆んなそいつらに殺されてしまったのに」


「それでいいと思うよ、何も全員が聖人君子になる必要はないしね。けれど一人ぐらいは味方になってあげないとこいつらが浮かばれないよ」


「……変な人ですね」


「互いにね」


「銃の扱い、教えてあげませんよ?」


「あら、こんな所に可愛い女の子が…」


 歩み寄った私にアシュが遠慮なくグリップを叩きつけてきた。



105.c



「ということがあってさ、おかげで銃の扱いには少し慣れた、かな?」

 

「待って、全然話しが繋がらないんだけど」


「あんたまさか、マギリさんと撃ち合ってたの?」


「そう、習うより慣れろだよ」


「馬鹿じゃないの!アシュちゃん!確かに教えてあげてとは言ったけど誰も実践形式でなんて言ってないよ!」


「お互い合意の上です」


「アリンちゃんちょっと押さえて」


「えぇ?!何で?!言っておきますけど威嚇射撃だけですよ?!こら!アリンも少しは私のこと庇ってよ!」


「誰が庇うか馬鹿ちん、当たってたらどうするつもりだったのよ」


「それはっ」


 アリンに羽交い締めされてしまったアシュのおでこに一発、アヤメのデコピンが放たれた。


「〜っ!!」


 ソファの上でもんどり打っているアシュ、とんでもなく痛そうだ。


「言っておくけど実弾じゃないからね?アシュが目印に使えるって持ってきたペイント弾でやってたから」


「それを先に言えっ!」


「何であんたも先に言わないのよ」


「言う前にデコピンされたからでしょうがっ!!」


 赤い跡を残してアシュがアリンに抗議している、派手な音がしないデコピンが何気に一番痛い。

 ふと、拗ねた表情をしているアヤメと目が合った。しかしすぐに逸らされてしまい、またしても声をかけあぐねてしまった。


(何であんなに怒ってるんだろう…)


 こっちに来て、再会してから私の親友は一度も笑顔を見せてくれない。自分なりに為になればと頑張っているつもりだ、それなのにあまり相手されない。良いのか悪いのかも言ってくれないので針のむしろに座らされている気分だった。

 デコピンの痛みから回復したアシュがソファに座り直し、一度私に視線を寄越してからアリンに話しかけた、その視線の意味が分からなかったが続けられた言葉ですぐに合点がいった。


「幻の二十三区ってどうなってたっけ?アリンは何か知ってる?」


「幻の?さぁ…」


「何その幻の二十三区って」


(あいつめ)


 私の言った事まるで信じてないな。


「開発途中で終わっている区があるんですよ、場所までは分かりませんけど。どうやらマギリさんはそこにあるパイロット士官学校から来られたみたいで、ね?」


 釣られてつい返事を返してしまったがすぐに後悔した。


「誰もその幻なんたらってとこから来たって言ってないでしょ」


「えぇ?それなら士官学校なんてどこにあるんですか?言っておきますけどね、カーボン・リベラには人型機パイロットを育成する機関なんてありませんよ。つい先日導入されたばっかりなんですから」


「…………え、そうなの?」


 それは知らなかった、昔からあるものだと思い込んでいた。アシュは私にかまをかけたのだ、それにまんまと引っかかった自分が悪いんだけど...


「アヤメさんはマギリさんのお友達なんですよね?どこから来たのか教えてもらえませんか?」


「さぁね、それは本人の口から聞いて。何なら今すぐ帰ってくれてもいいぐらいだよ」


「………」

「………」


 そんなに...そこまで言わなくても...あとは何も喋らず、気が付いた時には割り当てられていた部屋の中にいた。



✳︎



 控えめなノックの音で眠りにつこうとしていた頭を持ち上げた。体はまだ熱く、とくにアヤメさんに抱かれた肩が熱を持っていた。


(カリンに何て言おうか…)


 さっきからその事ばかり考えていた。アヤメさんを一番に好いているのはカリンだ、初めて話しを聞いた時は「んなアホな」とまともに相手すらしなかったけれど、さっきのアヤメさんは何というか...こう、出来る大人?...何か違う、お姉さん?...う〜ん、自分でも良く分からないがアヤメさんの魅力とやらが十全に分かってしまった、惚れる理由が良く分かったというものだ。姉妹揃って同じ人を好きになるというのも皮肉か運命か、さぁどうしようと再びベッドに転がるともう一度扉がノックされた。


「あ、忘れてた」


 部屋に来る相手なんてどうせあいつだと気が抜けていた、扉を開けた先でやっぱり怒った顔をしたアシュが立っていた。


「寝るか普通、独り言聞こえているんだよ」


「で、何?明日の朝にはまた回収作業やんなくちゃいけないから早く眠りたいんだけど」


「はぁ〜…こんな状況で良く眠れるね…レーダー設置してるから寝込みを襲われることはないかもだけど」


 少しだけ逡巡する素振りを見せてから口火を切った。


「…マギリさんの様子見に行かない?」


「何で私らが…」

 

「様子がちょっと変だったよ。そりゃまぁ、根掘り葉掘り聞き出そうとした私が悪いんだけどさ、あれは普通じゃないって」


 マギリさんが自分で言った事でもあるけど、まさしくゾンビのように顔を青くして部屋へと引き上げていったのだ。どうやらアヤメさんに冷たくされてしまったのが原因だと思うけど...


(確かに…あんな感じで冷たくされたら私も落ち込むだろうなぁ…)


 落ち込むだけでは済まないような気もする。


「……分かったわよ、部屋の外で待っててくれる?」」


 素早く身支度を整えてから、暗くて埃っぽいペンションの中を二人して歩いた。ベッドに一度転がってから気付いたことだけど、体がどこか重たく感じる。これだけ緊張状態が続いたのだから無理もないだろうけど、頭と胸の辺りにも痛みがあった。


「ま、マギリさぁん…入りますよぉ」


 おずおずとアシュが扉をノックした、乾いた木の音が辺りに響き程なくして中から返事が返ってきた。


「……どうぞ」


「………」

「………」


 今の声は...何?本当にゾンビが休んでいるんじゃないだろうな...ゆっくりと扉を開くとベッドの上でシーツに包まりあぐらをかいているマギリさんがいた。


「………どうもぉ!いやぁ、今日はよく冷えますね!」


「…そうだね、私の心も冷えっ冷えだよ……」


 こういう時、アシュはとても便利だ。空気を読まないが上に遠慮なく話しかけられるので会話の突破口が開ける。しかし、今日はそう上手くはいきそうにないなと気付かれないように溜息を吐いた。



 マギリさんの部屋にお邪魔してから半時間程過ぎた時、ようやく落ち着いたのか身の上話しをしてくれた。


「仮想世界からやって来た?」


「うん、信じられないだろうけど…」


「………仮想って、ネットの中にあるやつですよね?」


「そうなるね」


「………」

「………」


 アシュと顔を合わせる。マギリさんが嘘を吐いているようには思えないけどにわかに信じ難い話しだ。


「あぁ…で、その仮想世界とアヤメさんの機嫌が悪いことに何か関係があるんですか?」


 すると突然、


「それが分かれば苦労はないんだよぉ!!分からないから悩んでるんでしょおっ!!」


「っ?!」

「っ?!」


 ...びっくりしたぁ、急に大声出さなくても。情緒が不安定になる程アヤメさんの事が好きのかな...でもこれは好きというより依存?私もあんな風にならないよう注意しないと。マギリさんの鬱憤はまだまだ収まらない。


「というかそもそもだよ?!お礼の一つぐらいあってもいいと思わない?!こっちは生まれて初めてこっちに来たのにさぁ!」


「あ、ありがとうございます?」


「アシュじゃないよナツメさんだよ!せっかく間一髪間に合ったのにさぁ!私のことなんてまるで見向きもしないで敵に突っ込むし!」


「はぁ…」


「ちょっとアシュ、こっちに来て」


「いやめんどくさいので遠慮してもいいですか?」


「いいからこっちに来て!もうあったまに来たからナツメさんに文句言ってやる!インカム貸して!」


 この人、めっちゃ元気やん...自分で自分の感情を押さえていただけか、何て起用な。どっこらせとおっさん臭いことを言いながらアシュが立ち上がり、自室に戻ろうと足を向ける前にマギリさんに一言釘を刺した。


「今から部屋に取りに行きますけど…それを言うなら私らにもお礼の一つぐらい欲しいですね」


「何でさ!」


「私はともかくアリンは我儘に付き合ってマギリさんの様子を見に来てくれたんですよ?アリンもマギリさんみたいに喚き始めたら責任取ってくださいね」


「ならんわ!いいから早く取りに行って!」


「………」


 後ろからパタンと扉が閉める音、そして毒気を抜かれたような顔をしたマギリさんと二人っきりになった。


「………あぁ、その、ごめんね?迷惑、かけたみたいで…」


「別に。私はアシュの我儘に付き合っただけですので」


「あ、ごめん違うね。部屋に来てくれてありがとう、おかげで落ち着いたよ」


「……まぁ、はい」


 素直な人、そう思った。それに気分屋なのか泣いたり怒ったり忙しない人だ、アマンナが年を取ったらこんな風になるんだろうかと、自分の頬をぽりぽりとかいて恥ずかしそうにしているマギリさんを見て思った。


「……あの、一ついいですか?」


「あ、うん。何?」


 随分と落ち着き血色も良くなったマギリさんの隣に腰を下ろした、アシュが戻ってくるまでの間アヤメさんについて教えてもらおうと思ったのだ。


「マギリさんはアヤメさんと昔からの友達なんですよね?」


「そうだけど、それがどうかしたの?」


「好きな人っているんですか?……もしくは好きなタイプとか知ってます?」


「………エ、私ヨク分カラナイ」


「何でですか、友達なんですよね?そういう話しはしたことないんですか?」


「その前にいい?どうしてそんな事聞くの?」


「え?そ、それは……まぁ……気になるというとか……アヤメさんってどんな人かなぁって思いまして……へ、変ですか?!」


「いや変じゃないけど……」


 マギリさんの表情が段々と拗ねたものに変わっていった。そしてようやく返ってきた返事に頭がやられてしまった。


「……私じゃないかな、キスしてもらったことあるし」


「エ」


「キスだよ、キス」


「え?きす……きすってキス?あの口と口をつけるキス?」


「それ以外に何があるの?」


 え?でも女同士...そうか、アヤメさんは女の人が好きなのか...ってことはつまり私にもそのチャンスがある?いやいやまだ知り合ってばかりなのにでもさっきは面倒をくまなく見てくれるって言ってくれたしもしかしたら私のファーストキスまで見てくれるつもりなのかもしれない待って私はまだ、



105.d



 さっきからインカムの向こう側で「あーっ!!」という悲鳴ばかり聞こえてくる。


「マギリ、今お前はどこにいるんだ?」


[ちょ!ちょっと待ってくださいね!]


 少し遠くから「責任取ってくださいよ、早速喚き始めたじゃないですか」と...これはアシュの声か、なら叫んでいるのがアリン?あの生真面目な女の子がどうやったらこんな奇声を発するようになるのか。騒がしい足音と乱暴に扉が閉まる音、そしてようやく静かになった。


[す、すみません、色々あって]


「まぁ、元気にしているならいいが、有事であることを忘れるなよ」


[は、はい…]


「それよりもだ、先ずはお前に礼が言いたい。私のことを助けてくれてありがとう、感謝している」


[…………え、それをわざわざ言うために?]


「別件もあるがな、あの時はすまなかった。戦いにのぼせてしまってな、お前のことを疎かにしていた。それと良く来てくれた、色々大変だったと思うが、」


[な、なづめざぁあん…]


「どうして急に泣くんだ…私は当たり前の事を言っただけだぞ…」


 聞けば、こっちで再会してからというものアヤメに散々冷たくあしらわれていたらしい。何故?


「あぁまぁ気にするな、自分を犠牲にしてでも他人に手を差し伸べるような奴だ、そこまであからさまな態度を取る何かしらの理由があるんだろ。それに今は緊張状態を強いられる有事の時だ、滅多に見せない内面が面に出てくることは良くあるんだ」


[はい……]


「でだ、お前に聞きたいことがあるんだが……そっちにアマンナは行っていないか?」


[はい?]



 アマンナとヴィザールが行方をくらましてから数時間近く経っていた。ヴィザールには武器の精査と備蓄食糧を調べるように言い付けてある、アマンナには関して負傷者の護衛と手が空くようならヴィザールを手伝うように指示を出してあった。それがどうして、二人共居なくなったものだから大いに慌ててしまった。ヴィザールの話しをした時のアマンナの反応は劇的だった、奴もヴィザールの出自については把握していたようでまさか共同任務中に手を出すことはないと思うが...配慮が足りなかっただろうか。


[アマンナにも食糧を調べるように言ったんですか?]


「そのつもりだ、一人では荷が重いからな。それがどうかしたのか?」


[あの食い意地張ってるような奴が調査だけで済みますかね、間違いなくつまみ食いしていると思いますよ?]


「私も食堂へ顔を出したが誰もいなかったぞ?それにカウンターの奥は厨房ではなく遊園地のようになっていたが…」


[え、遊園地?……あ、ちょっと]


 ゴソゴソと耳に障る音がした後、奇声を発していたアリンに代わっていた。


[ナツメさん、それは遊園地ではなく食べ物を運ぶパイプラインです。ホテルの敷地外にある工事地帯から食べ物が運ばれてくる仕組みになっているんです]


 そういう事だったのか...つまり奴らはあのレールから工事地帯とやらへ向かったんだな。


(なら何故報告を上げないんだ?見誤ったか?)


 あのヴィザールが何かしら企んでいるようには思えないし、それに何より食糧を任せたと聞いて激昂したあのアマンナがそれを見過ごすとも思えない。


「良く分かった。それよりアリン、大丈夫なのか?」


[にゃっ、にゃにがですか?!わ、私なら平気でひゅがっ!!]


「何だその喋り方は、声が枯れているように聞こえるが何ともないんだな?」


[あぁ!そっち!だ、大丈夫です!]


 そっちとは何だ、皆んなから聞いていた通り随分と賑やかな部隊だ。


「平気ならそれでいい。それと人の目がないからと言ってあまり羽目を外し過ぎるなよ、あとで後悔するぞ」


 「あーっ!!」だから違うんですそれはぁ...とか何とか喚き始めたが構わず通信を切った。


(さて、私も向かうか…)


 多目的ホールの中にはもう殆ど人は残っていない、負傷者を連れ出す際に部隊の人間も出払ったし、医務室とホールを何度か往復するにつれてホテル内にいたノヴァグの数も減少したおかげだ。

 あの男性には寧ろ助けられた、統率が取れないと思っていた一般市民が一丸となって負傷者の手当てに協力してくれたからだ。もしかしたら、私の言葉に感化されたのではなく皆が利益に走ることがさもしい事だと感じていたのかもしれなかった。

 ホールの扉が音もなく開き、出かかっていた私の手を止めた。扉を開けたのはまだ元気そうなミトンと、ちっとも顔色が変わらないカリンがその後ろに立っていた。


「…あ、一通り手当てが終わりました。あとは回復するのを待つだけです」


「良くやった、どれぐらいで動けそうだ?」


「…完治するまで一ヶ月といったところです。無理をするなら明日にでもできます」


「つまりそれまでは安静にということか……」


 ここで立ち往生するわけにもいかない、かといって重傷者を無理やり連れて行くのも...どうしたものか...だが、これで少なくとも死傷者の数を減らすことができたんだ。


「良く分かった、あとはこっちで考えよう。それと、お前達お腹を空かせていないか?」


「………」

「………」


 ほんと、ミトンは顔に出やすい奴だな。盛大にしかめられた眉を無視して二人を外へと引っ張り出した。



 照明を落とされたのは何もホテルだけではないらしい、元から人気の無かった街全体が暗闇に支配されていた。私も何度かこの街で夜を過ごしたことがあったが、街灯の一つも点いていない街は不気味な程に静けさに満ちていた。

 坂道を下り、ミトンの案内で工事地帯へと足を進める。途中何度か破壊された民家があり、転がっている敵の死骸もあった。


「カリン」


「………」


 私に名前を呼ばれて、何も返事をせずカリンが顔を上げた。こいつもいつまで落ち込んでいるのか...だが念のため体調も確認しないといけない。


「熱はないみたいだな…」


 遠慮なく触ったおでこは冷んやりとしているぐらいで、とても体調を崩しているようには思えない。


「そんなにアヤメに怒られたことを気にしているのか?」


「……っ」


 びくりと反応したあたり、どうやら図星らしい。並木通りより向こう側にある建物の群れを見ながら私なりに励ましてやることにした。


「あいつが優しいのはカリン、お前にも分かることだろう?」


「………?」

 

「…?」


 あまりに唐突に過ぎたかもしれない、私の問いかけに二人とも首を傾げている。


「アヤメのことさ、あいつが人に怒るだなんて今までにないことだ」


「……そうなんですか」


 今にも消え入りそうな声でやっと返事を返した。カリンがそのまま続ける。


「……でもそれって、それだけ駄目な事をやったってことですよね…そんな優しい人が怒るぐらいに私が駄目ってことですよね…」


「なら一つ聞くが、お前はどこまで他人を怒ることができる?」


「……え?人を怒る、ですか?」


「あぁ、人を怒るのもエネルギーを使うんだ、それも褒めるよりたくさん使う」


「………」


「それにだ、アヤメはお前だけを怒ったんじゃなくて第二部隊の不手際を怒ったんだ。何でも自分だけが悪いと思い込むのは良くない」


「……いえ、怒られたのは私です」


「…か、カリン?」


「アヤメさんは私のことだけを見ていました」


(…………)


 隣を歩いていたミトンが心配そうにカリンを見ている、さっきまでの意気消沈さはどこかへ行ったようで私のことを睨みつけていた。


(こいつ思っていた以上に元気だな、心配して損した)


「…カリン、そう思い込むのは良くないよ?皆んな一緒になって怒られていたんだから。それにカリンをだけ怒るなら皆んなを呼んだりしないよね?」


 まさしくその通りなんだがおかしなスイッチが入ったカリンには届かないようだ。進路にくるりと向き直り、私が歩き始めてもカリンはミトンに熱く語っていた。


「きっとアヤメさんは私に見せたかったんだよ!皆んなの落ち込んだ顔を!それを見てちゃんと反省しなさいっていう何よりも重い罰なんだよ!私はもっと落ち込まないといけないのっ!」


「え、えぇ〜……」


(思い込みが半端ないな…)


 ドン引きしているミトンとすっかり元気になった二人に声をかける。


「ならここは二人に頑張ってもらいたいな、後で私からアヤメにもきちんと報告するが...このままだと二人はただお喋りを楽しんでいたと言わざるを得ん、あと一踏ん張りいけるか?」


「もちろんです!」


「……おー」


 全てを諦めてしまったミトンが力なく拳を上げてカリンに同調し、二人は私を追い越し工事地帯へと半ば走っていくようにして向かった。



「…ん?……何か聞こえる」


 工事地帯に入るなりミトンが何事か聞きつけたようだ、耳をそば立て歩く足を止めた。


「ここからでも聞こえるのか、私はとくに何も…」


 私の独り言に近い呟きにカリンが答えてくれた。


「ミトンは耳が良いんですよ」


「そうか……」


「………っ!」


 目を閉じて、耳を澄ましながらサムズアップしているあいつに突っ込みを入れた方がいいのかと悩んでいると再び歩みを進めた。


「…ナツメさん、どうやら複数人いるようです、それに何だか慌ただしい」


「複数人とは、間違いなくアマンナとヴィザールも含まれているな。慌ただしいというのは?」


「…それは見てみないことには」


 工事地帯と呼ばれる場所はエリアが大きく三つに別れていた。一つが食糧に関する施設、もう一つはナノ・ジュエルに関する施設、最後の一つは驚いたことに誰も足を踏み入れたことがないらしい、聞けば厳重に閉じられているのだとか。


(まぁそれはいい)


 食糧に関する施設、そのうちの保管庫は工事地帯の入り口近くにある所だった。大扉はロックされていて誰かが入った痕跡がない、それなのに中からミトンが言ったように騒がしくしているのはあのお騒がせな二人に違いなかった。

 保管庫扉の鍵は部隊の者から預かっていた。この状況でアナログキーはどうなんだと思ったのだが、生体認証式にしてしまうと間違いなく喧嘩が起こるということで複数所持することになったらしい。


「念のためだ、構えてくれ」


 いや、本当に念のためなんだが、扉を開ける前から馬鹿騒ぎしている声が聞こえてくるんだ。「早くそっちに搬入して!」とか、「少しは自分でやったらどうなんだ赤いの!」とか、「幽霊がどっか行った今のうちにっ!」とか。


「いい加減にしろよお前らぁ!心配かけさせるなぁ!」バァーンっ!と大扉を開けな放つと二人して白い目をしながら倒れてしまった。



「はぁ?幽霊?」


「そうなのです!僕もアマンナも確かに見たのですこの目で!」


「お前……私の買い被りだったのかもしれないな……何か、マキナの君は幽霊が怖いとでも言うのか?」


 状況も忘れて急な独白。こいつはもっと使い倒した方がいいのかもしれない。


「そう…あれはまだ僕が覚醒したばかりの頃、敵を知れば百戦危うからずとこの世に存在する外敵を調べている時に偶然見つけてしまったのです…魂魄、怨念、悪霊、様々な概念で語られる「幽霊」という存在に!」


「アマンナはどうなんだ、本当に「僕の話しを聞いてください…」幽霊とやらを見たのか?」


 ずらりと並んだ棚の前に、手足も投げ出しミトンやカリンに介抱されながらアマンナが答える。


「……見た、そして今目の前に…思いやりのカケラもない幽霊がいる……」


「悪かったって、わざと驚かせたのは。「え?それは本当なのですか?」それで、お前達は何で荷運びしたいたんだ」


 気絶からすっかり回復したヴィザールが少し恥ずかしそうにしながら答えた。


「…幽霊がいない間に送れるだけ食べ物を送ろうという話しになりまして、あの台車に乗せたものが最後だったのです。そんな気が緩んでいた時にあなたが突然入ってきたものですから…」


「知らんがな、私のせいにするな。それよりヴィザール、何故私に報告しなかったのだ、とんだ無駄足になってしまったではないか」


「くっ…それはそこの赤いのが…」


「私はお前に依頼したんだ、こいつはただのおまけだ」


「…も、申し訳ありません、勝手な行動をお許しください」


「次はないぞ……全く、案外元気だなおま……え、たち……」


「…ナツメさん?」


 ...今、棚の隙間に男の子が見えたような...それにこっちを見て笑っていたような...気のせいか?


「いや…何でもない…」


 私の異変に自称幽霊あかんの二人がすぐに気付いた。


「……見たのですか?見たのですよね?!どこにいたのですか!!」


「あわあわあわあわあわ………」


「アマンナ、落ち着いて。この世でアヤメさんに嫌われることより怖いものはないよ」


 その慰め方はどうなんだと思うが構っている暇はない。


「とにかくさっさと……」


 まただ、また男の子が棚の隙間からこちらを覗き込んでいるのが目に入ってしまった。ぞわりと何かが肌を撫でて首筋を回り背中へと落ちていった。どうして私ばかり、恐怖と混乱に歪められているであろう私の顔を見て皆が固まった。アマンナは青さを通り越して真っ白になっている。


「ゆ…る…さ…な…い…」


 誰の声でもない、ひどくしわがれた声が頭上から耳に届いた。幼いようで年老いたその声音は恨み辛みがこもった何とも淀んだ声だった。


「ゆるさなぁいいいっ!アマンナぁっ!!」


 ちょっと待て!今アマンナと聞こえたぞ?!しかしこの場にいた自称幽霊ほんまあかんねんの二人は阿鼻叫喚の地獄に自ら突入していった。


「祟りじゃあっ!祟りじゃあっ!!」

「ちょっとそこのあなた!武器をそんなに振り回したら!」

「我が狂気を持って顕現せよ!イクスっ」

「アマンナもあんな人の真似をしたら駄目だよ!武器をしまって!」

「あーっ!!堪忍してつかぁさいっ!!幽霊だけはっ幽霊だけはほんと駄目なんですぅっ!!」

「あばばばっ!あばばばっ!プロッージョンっ!!」

「馬鹿たれ天井に向かって発砲するなっ!!」


 その後、天井から降るスプリンクラーの雨によって馬鹿たれ共といくらかの食糧を無駄にしながらようやく落ち着いた。

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