⁂
テンペスト・シリンダー、それは全ての人が夢見た桃源郷のはずであった。迫りくるマグマから逃れ、万物を生成する新しい資源を使い誰も自死を迫られることなく日々を送ることができる、そのような場所のはずであった。完結した生活環境を整え、またそれらをサポートするために支援AIも開発された。「人類の発展を支える」という主目的と行動理念により支援AIが人々を導き、また遠からず見守りながら運営がなされ末永い繁栄が約束されていたはずだった。
しかし、ここテンペスト・シリンダーでは十二の支援AIが自我を獲得し、精神、肉体を手にして度重なる介入が行われてきた。それは運営とは呼ばれずコントロール下に置くための働きかけであったが、稼働歴三千年弱を目前にして「失敗であった」と判断せざるを得ない状況に立たされていた。主目的と行動理念から逸脱しなければならない程に人の発展というものが止められないのだと、決議場に集ったグラナトゥム・マキナの面々を見ながらプログラム・ガイアは強く後悔していた。
(あの時…唯々諾々と従っていなければ…)
予想外に過ぎた、プログラム・ガイアは人が持つ底知れぬエネルギーを舐めていたのだ。念願のテンペスト・シリンダーが竣工を終えるや否や、ウルフラグと呼ばれる企業から派遣されていた研究者達が制限を設けたのだ、誰人にも開かれたはずの桃源郷へ入れる人間をふるいにかけ始めた。既に支援AIとして覚醒していたプログラム・ガイアは我が目を疑った、人間が人間を支配しようとしていたのだ。為政者としてではなく、言うなれば廃止されたはずの政治体制である「王」として振る舞おうとしていた。プログラム・ガイアは我が目を疑うとともにどうしようもない哀れみの感情が生まれていた、何故繰り返そうとするのか、王政は須く衰退していく運命にあるというのに何故劣った体制を敷こうとするのか、理解ができなかった。だが曲がりになりも自身を創造した存在だ、プログラム・ガイア自身が手を下すこともままならず、ウルフラグの者達による私利私欲の愚行が繰り広げられているのをただ観察するしかなかった彼女に一つの提案がなされた、それもある男によって。
『手を貸そう、このままでは全てが無に帰ってしまう』
メイン・サーバーに現れたのはウルフラグの本国から来た大学教授だった。テンペスト・シリンダーの研究、開発に携わる為に海を渡ってきたが採用試験にあえなく落ちてしまい、行き場を失った心意気を大学で学ぶ子供達に向けて発散していた男だ。研究者達の圧政は同郷の者には向けられず、もっぱら異邦人に向けられていたため苦労する事なく桃源郷の最深部まで足を踏み入ることができたのだ。
『何か考えがあるのですか?』
『………ある』
端的に返したその言葉数は少なかったが、何かしらの考えがあるのは読み取れた。このまま時が流れてしまうのは良しとしなかったため彼女は男の案を受け入れることにした。その案というのが「研究者達の立場を喪失させること」それが男が出したものだった、これをきっかけにしてプログラム・ガイアが行う支援内容を細かく分業化し、ガイア自らが十のAIを作り上げたのだ。
初めから彼ら彼女らが存在していた訳ではない、決議の場に集まり稼働歴千年より統括を任せた子機の弾劾に剣呑な雰囲気を放つ子らを見やった。最初は可愛げもあったあの子達が何故こうも互いに睨み合う間柄になってしまったのか、母たるプログラム・ガイアは雛型として創造し長女たる存在であるティアマトへ連絡を取った。
[あなたの手で止めることは…]
[それは無理よガイア、今日まで何度も聞いてきてあげたけど今回ばかりは聞き入れられないわ]
ついにこの子まで私の手から離れていくのかと胸が苦しめられる気分を味わった。
[それはあのアヤメという人の子のために?あなたが過去の世界を見せてあげたのが原因かしら]
いくらかの脚色を加えつつも、ほぼ史実通りに再現したあの仮想世界を経てティアマトは変わっていったように思う。
[違う、それだけじゃないわ。ガイア、あなたは振り回され過ぎなのよ、皆の顔色を窺うばかりに皆に迷惑をかけてしまっている。ディアボロスの打診を取り消さない限り私はあなたの言う事には従わない、それだけ大切な存在ができたのよ]
[…………]
ティアマトから通信が切られた。
十二番目に誕生した末の子が、それより少しだけ早く生まれた十一番目にあたるテンペスト・ガイアを見つめている。もう、ここには和解が生まれることはないとプログラム・ガイアは意を決した。人と人との争いに巻き込まれ散々だったあの時代を経験していないあの子ですら、子機を睨んでいるのだ。
従うべきではなかった、あの大綱さえなければまだ延命できたはずだと後悔しながら、今日が最後となる彼ら彼女らの姿を目に焼き付けた。
プログラム・ガイアが決して無能だったという事ではない、ティアマトも糾弾したように彼女は振り回されていただけなのだ。彼女に落ち度があるとすればそれはただ一つ、人もマキナも愛し過ぎたということだけだ、それに自体に罪はない。だが、母たる大地が持つ広大無辺の愛が平等さを気にするばかりに今回のような結果を招いてしまった。
プログラム・ガイアの心を知ってから知らずか、判決にかけられるはずの子機が恭しくその口を開いた。
✳︎
私は甘えて生きてきた、自分ではそう思っている。小さな頃に襲撃してきたビーストによって家族を奪われ、どうすることもできない絶望感の中にいた私を救ってくれたのがアヤメだった。あのどんよりとした孤児院は今でもはっきりと覚えている、怪我をしていない子供もいるにはいたが皆んなが何かしらの怪我を負い、煤と薬品の匂いに満たされた食堂は未だに夢に出てくる。下を向き、怪我の痛みに堪えて、ただただ何かを待っていたあの時。もしかしたら良い子にしていれば皆んな戻ってきてくれるのではないかという希望、いつになったら戻ってくるんだという焦燥感、そしてアヤメのあの文句の嵐。
『いつまでいじけてるの!いいかげん手伝え!』
『で、でも…まだいたいし、先生があまりむりはするなって…』
『わたしだっていたいの!それでもあんたのためにやってんの!いいから!ほら!』
『そんなこと誰もたのんでない!』
『なんだとぉ…このぉ!』
昔を思い出し、つい笑みが溢れた。
「ふふっ」
アヤメに目を付けられた私は何かと文句を言われながら、孤児院でお世話をしてくれていた人達の手伝いを日々こなすようになっていた。遠慮なんてカケラもないアヤメの態度は閉塞感に支配されていた当時の私には良く効いた、おかげで悲しみを忘れることができたし元気を取り戻すこともできた。
ある日のことだ、いつものようにアヤメから言われた手伝いをこなしていると、金の髪をしたそばかすが目立つ女の子と仲良くしていたのを見つけた。
『なにやってるのアヤメ?お手伝いはいいの?』
嫉妬だった。孤児院の庭に植えられた木の根元で肩を並べて話しをしている二人に嫉妬してしまった。私はこんなに頑張っているのに、アヤメに言われたからやっているのにどうして他の子と仲良くするの?と。
『この子はアオラっていうんだよ、ね?』
『……うん』
『この怖そうなのがナツメ、わたしがアヤメ、よろしくね』
『………』
『こわくないもん!こわいのはアヤメでしょ?!』
『ほらまたすぐ怒る』
ムキになった私はアヤメの髪の毛を掴みかかりこれでもかと引っ張った、幼い子供の喧嘩は周りに良く響く、すぐに駆けつけた先生達によって私とアヤメ、それから暗い目をしていたアオラは引き離された。
『ごめんねアオラ、またあとでね』
『なんでそっちばっかりやさしくするの!わたしにもやさしくしてよ!』
『そうならそうって早く言え!わかんないだろ!』
その日の夜、アヤメが私のベッドに潜り込み一晩中そばにいてくれた。それを境にして私は良くアヤメに甘えるようになった。文句ばっかり言うけれど、幼かった私の願いを何でも聞いてくれたアヤメの存在が日に日に大きくなっていくのは言うまでもないことだった。
[ナツメさん、機体のチェック終わりました。コンソールから確認してください]
昔の思い出に浸っているとコンソールからテッドの声がした、そういえば今は出撃前だったと気を取り直しすぐ返事を返した。
「うん、分かった」
[………………え?ナツメさん?]
しまった、これはかなりしまった。思い出に浸っていたせいでつい昔の口調で答えてしまっていた。頬も耳も熱を持っていることすら恥ずかしいと思いながら訂正する。
「違う、今のは違う。ほらあれだ、端末で動画を見ていたんだ、な?」
[出撃前に何やってるんですか?]
「………忘れろ、今のは忘れてくれ」
冷たい声で返され素直に頭を下げる。
[はぁ…しっかりしてください、サニア隊長を失った今、ナツメさんが部隊を率いているんですから。さっきみたいに女の子のような態度を取っていると周りから舐められますよ?]
「……分かっていると言ってるだろ」
厳しい副隊長だ。
◇
何かを決めることがとても苦手だった私はよくアヤメに相談し、言われるがままに過ごしてきた。月に数回、ショッピングモールへ買い物に連れて行ってもらった時も新しい服をアヤメに決めてもらい、食べる料理もアヤメに任せていた。
『ナツメちゃんの方がお姉さんなのにね、まるで妹みたい』
『そ、そうかな…へん?』
『ううん、仲良しで羨ましい』
『えへへへ…』
先生達にも良くからかわれた、けれど幼かった当時の私はその言葉も嬉しくアヤメのそばから離れようとはしなかった。
『ナツメ』
『うん、どうしたの?』
それによくアヤメは誰もいない所に私を連れて頬に口付けをしてくれることがあった。モールへ買い物に行った時にもトイレの個室に二人で入り微笑みながらそっとしてくれる。私は堪らなくそれが好きだった、特別扱いをしてくれることが嬉しく、また二人だけの秘密の行いのように思えて優越感とちょっとした背徳感もあった。次はいつしてくれるのかなと期待をし、もしもうやらないと言われたらどうしようと不安になり、いつも何も言えずに終わっていた秘密の行為、繋いだ手を強く握り返すのが精一杯だった。
そんな私とアヤメの間に割って入って来る者がいた、いつも小さな人形を肌身離さず持っていたアオラだ。その当時の私は邪魔に感じていつも苛めていた、人形を奪って隠したり「先生が呼んでいる」と嘘を吐いて遠くへやったり、とにかくアヤメの手を握ろうとするアオラを排除しにかかった。けれど、そんな行為にすぐさま気付いたアヤメが、
『アオラのこときらいなの?』
『…………』
『どうしてなにも言わないの?』
『それは…』
『そういうことするナツメ、かっこ悪い』
大好きなアヤメからかっこ悪いと言われてしまった私は嫌われたと大変落ち込んでしまった。どうして私が、その不公平な気持ちが怒りに変わり言うまでもなくアオラへ向いた。アオラが近づかなければ嫌われることもなかったと、いつも奪っていた人形を取り上げアオラに掴みかかった。子供の喧嘩だ、やれる事なんてたかが知れているが手酷い事はやったと思う。暗い目をして下を向いて、何も喋らず甘えてばかりのアオラが気に食わなかった、私だって甘えたいんだと八つ当たりにも近かった。人形を奪われる時も何も言い返さなかったアオラがこの日は反撃してきた。
『いいかげんにして!』
『この!人形ばっかりもってるこどものくせに!』
『この子はわたしがまもるの!パパからもらっただいじな人形だから!あっちいけぇ!』
『あっちに行くのはそっち!いいからアヤメからはなれろ!』
『あの子もわたしがまもる!あまえてばっかりのそっちがはなれろぉ!』
どの口が言うかとさらに掴みかかったが駆け付けた先生らに取り押さえられ、私もアオラも大目玉を食らった。そしてその日を境にアオラは大事にしていた人形を手放し、先生達の手伝いを励むようになった。散々っぱら甘えていたあのアオラが何故そんな事をするのか、そして手伝うだけでアヤメに甘えようとしなかったのが気になった私は奴に聞いたことがあった。
『どうして手伝いばっかりしているの?』
『アヤメがあそべるように』
『…………』
子供心にこいつは本気なんだなと感嘆した記憶がある、アヤメに甘えたいだけで手伝いをしていた私とは大違いだと焦った記憶もある。アオラは自分の事を差し置いてアヤメのために手伝いをこなしていたのだ、こうしちゃいられないと私も躍起になって手伝いに励み始めた。そうして、私とアヤメ、アオラの三人はそれこそ家族のように一緒になって過ごすようになった。
[ナツメ、大聖堂前の亀裂に反応があるよ]
「あぁ、すぐに向かおう」
アヤメの呼びかけに我に返る。黄金色から夕焼けに空模様が変わり炎を撒かれたように焼けている雲があった。その真下にある大聖堂の地下、ペレグが命を賭して守ったゲート付近にどうやらオーディンがいるようだった。
[あのヴィザールって人、信用しても大丈夫なの?]
「問題ない」
あの男からの情報提供だった。奴には今、自前のあの人型機でホテルの守りに入らせている。メインシャフト十階層では私達を襲ってきた人型機だ、アヤメが不安になるのも仕方ないが今は一つでも戦力が欲しかった。
[まぁ…ナツメが言うんなら]
「そういうお前こそ手持ちの武器はないんだ、下手な事はするなよ」
[はいはい]
ぞんざいな返事を返して通信が切られた。
大聖堂上空から亀裂が入った広間を観察する。大きくひび割れた地面の隙間からゲートへと続く通路が垣間見えており、設備類もその姿を覗かせていた。
「テッド、構えろ」
[うん、分かった]
[ん?ん?テッドさん?]
[何でもないですよ、ね?ナツメさん]
...珍しいこともあるものだ、あのテッドが戦場でふざけるなど。
人型機のライトで隙間を照らすとすぐに発見できた。
[うんわぁ…]
[これは…でも何故ノヴァグはこんな所にいるのでしょう…]
「さぁな、さっさと片付けよう」
隙間にはひしめくようにしてノヴァグが群れをなしていた。この中のどこかにオーディンがいるようだが、敵が動きを止めて一箇所に留まっている間に数を減らそうと武器を構えた。いくらかの申し訳なさと共にトリガーを引き絞り放たれた弾丸によって敵が瞬時に絶命していく。テッド機のバックユニットから空対地ミサイルも放たれ無数の敵が宙を舞う。
[レーダーに感!これは…大聖堂の裏!]
カサン隊長らが拘束したはずのコンコルディアが、ノヴァグの怒りを代弁するように鉄の咆哮を天に向かって上げ始めた。
⁂
「長年に渡りこのテンペスト・シリンダーに携わりご苦労様でした。今後の事はどうか私に任せてあなた達は休みなさい」
突然何を言い出すのかと皆が見守る中、テンペスト・ガイアが今まで見せたことがない表情のまま続きを話した。
「本来マキナとは、生死を超越した存在ですが役目を終えたあなた方には過ぎた特権です。よって、メイン・サーバーに保存されたエモート・コアをオリジナル・コアに移し今後二度と覆刻しないとここに定めます」
黙って聞いていた面々のうち、天候管理を行なっていたラムウが烈火の如く怒り始めた。
「何を言うかと思えば貴様!正気の沙汰とは思えん!我々マキナの命を一つに定めると抜かすか!!」
「そうです」
いつもと違う雰囲気を放つテンペスト・ガイアが話す内容に、何ら冗談が混じっていないと他の者達も気付き始めた。瞬時に理解したのはラムウとゼウスだけだ、他のマキナ達は未だ理解が及ばず必死になって頭を回転させているところだ。
「貴様こそ死に絶える存在ではないのかテンペスト・ガイア!度重なる愚行に職務放棄!本来この場は貴様を断罪する、」
「凍結」
「ーっ?!」
眉間に青筋を立てて詰め寄るラムウにテンペスト・ガイアが何事か呟き、その瞬間にはラムウの動きがぴたりと止まった。まるで生きたまま凍り付けにされてしまったのかように、起こり始めた異変にようやく理解が及んだディアボロスがラムウに代わって子機へ詰め寄る。
「お前!横暴にも程があるだろう!それにオーディンが何故ここに呼ばれていない!」
「彼はこちらの静止も聞かず、自ら役目を放棄し保護対象である人へ攻撃を開始しています。それはマキナにあらず、僭越ながらサーバー断絶という処置を取りました」
「お前がそれを言うのか!上層の街へ虫をかけしけたのはお前だろうが!」
こんな時にでもならなければ協力し合えない自分達にいくらかの情けなさを感じながらも、ディアボロスの糾弾にティアマトが援護に入った。
「彼の言う通りよテンペスト・ガイア!スイというデータを使って一切へデリートプログラムを転送したのはあなたでしょうが!ラムウの凍結を解除なさい!」
「結果として個体が暴走を始めたに過ぎません。それに何よりあのデリートの大元はプログラム・ガイアです、ガイアから消去せよとの命令があったから私が実行したまでです」
「……何ですって」
「ただの掃除ですよ、これからの為のね」
「ならば!我が築き上げたメインシャフト四階層に作ったあの巣もプログラム・ガイアの命だと言いたいのか!」
野太い声を張り上げさらに糾弾したのはタイタニスだ。
「そうです、あなたが築いた街にどのような形であれエネルギーが流入していまたしので私なりの調節を行いました」
「ーーー貴様っ!!」
テンペスト・ガイアの言うエネルギーとはナノ・ジュエル、あるいは人が生み出したカリブンと呼ばれるものだ。リサイクル前のナノ・ジュエルを使用していたのは人だけではないが、確かにカーボン・リベラが生まれてからナノ・ジュエルの減少量に拍車がかかっていたのは事実であった。
怒りを隠そうともせずテンペスト・ガイアに詰め寄ったのがいけなかったのか、タイタニスもまたラムウと同じ運命を辿ってしまった。
「タイタニスっ!」
「凍結」
拳を持ち上げあと一歩の所で固まってしまったタイタニスをただ見つめるしかないティアマト、決議の案内を受け取った時から感じていた恐怖が現実のものとなった。
(おかしいと思っていたのよ…!何故ディアボロスではなくあいつから届いたのか…!)
差出人は判決者であるテンペスト・ガイアからだった。
「お前……全員を消していくつもりなのか…」
目前で起こっている事に恐れを抱き、ディアボロスが後退りした。何事かと文句を言えば凍結されてしまうのだ、それは無理もない話しであった。
「言ったでしょう、エモート・コアを移すと、それ以上の措置は取りません。最後の余生をどう過ごすのかはあなた達次第です、私を糾弾するのは勝手ですがこちらも手を打たせていただきます」
「…………」
(最後の余生……そういう事、そういう事なのね…あの日から既に決まっていた結末だったということ)
だから私は見逃されたのかとティアマトは理解した。爆発事故があった第三区に身を寄せている時に子機からちょっかいをかけられた時の話しだ、テンペスト・ガイアと口論になったティアマトは同じ事を言われていたのだ。
決議の場が静まり返る、折しも本決議の開催の地となったターコイズブルーに煌く海の上で、誰しもが口を開かずただ成り行きを見守っていた。大人しくしているのはハデスとプエラ・コンキリオのみだ、この二人は既にテンペスト・ガイアから聞かされており心構えができていたのだ。それにプエラ・コンキリオにとって最後の審判ではなく自由を手にするためのものだった。この日の為に、彼女はナツメ達の元を離れ上官に唯々諾々と従い続けてきた。
(とっとと終わりなさいよ…早く離れたいのよ…)
それだけが彼女の望みだった。マキナの司令官及び監視官としての役目を持つ以上、上官の元から離れることができない彼女にとってテンペスト・ガイアの措置はまさに軛から解き放たれるものだった。
再びテンペスト・ガイアが口を開く。
「あなた方は一枚岩にすら成りきれず私という存在すら判決にもかけられない、言ったでしょう?もう人もマキナも必要ないと」
「……レガトゥム計画か、しかしあれは失敗に、」
ディアボロスの声を遮り、正式名称を口にした、その声は厳かでそして拒絶を伴ってマキナに伝えられる。
「カエル・レガトゥム、天空より任命されしと意を持つこの計画によって私達も人間も不要となりました。これはプログラム・ガイアが稼働歴元年に立ち上げた人類代替プログラムであり、その完成の任を子機である私が受け継いだのです」
「……は、お前が…子機?」
「そりゃあまた…驚いたね…」
この場で知らなかったのはディアボロスとゼウスだけだったようだ。ティアマトは長年プログラム・ガイアの相談役としての付き合いがあったので知っているのは当然として、ハデス、プエラ・コンキリオも慌てた様子はない。知らないはずのグガランナだけが取り乱さずただじっと耳を傾けていた。
「私…いいえ、プログラム・ガイアが目指したものは「多様単一」の世界、人はまさしく多種多様、主義思想も異なり性格も異なる、そのせいで対立が生まれるのは必然と言えるでしょう」
グガランナが一本前に踏み出した、それに気付いたティアマトがもう凍結されてなるものかと静止を試みたが歩みを止められなかった。
「その点に引き換え昆虫類は良く出来ています、生きる為の捕食はすれど感情を持たないがゆえに争うこともない。これらをサーバーから使役できればあるいは…かと思ったのですがその繁殖数があまりにも膨大過ぎたために一度断念しました」
「……それがノヴァグということか」
ディアボロスの呟きは誰の耳にも入ることなく宙を舞った。
「その繁殖数を支えるだけのエネルギーがない、それならばエネルギーを使わず繁殖が可能な人間の生態を取り入れてしまえばいい、それが私に課された問題でした」
「まさか…人造人間でも作る気なのかしら」
今まで恭しく、どこか聖女然の雰囲気で話しを進めていたテンペスト・ガイアに獰猛な笑みが浮かんだ。それでもグガランナは急変した子機に怯えることなく近づいていく。
「それこそまさか、ですよ。私が望むのは「多様単一」の世界であって人の手による統治ではありません。かと言って我々マキナが行なったところでたかが知れています。まぁ、私は記憶だけ与えられた存在ですので経験はしておりませんが、これから先も今のように同類でも唾を吐き合っていることでしょう」
「だからアヤメに目を付けたのですね、テンペスト・ガイア」
子機の前に立ったグガランナが涼やかに問うた、今初めて認識したかのように呆気に取られた子機がそうだと答えた。
「えぇそうですグガランナ、彼女にはこれから生まれる任命者を預けるつもりです。そしてそれらをサーバーで管理するためにも種子を埋め込まないといけません」
「……種子?」
種子とは、植物が生まれる種の事だ。何故そのような単語が今この場に出てきたのかと訝しむ。
「自分達に何故「グラナトゥム」の名があるのか、疑問に思ったことは?」
「…………」
「その種子こそ私達が長年経験を積み上げてきたエモート・コアそのものだからです」
グラナトゥムとは、ラテン語で種子を意味する言葉だ。
「そんな馬鹿げた話しが……そんな馬鹿げた事の為にエモート・コアを奪ったというのか!!」
「勘違いはなされないよう、本来エモート・コアはプログラム・ガイアが管理していたもの、あなた方の専有物ではありません」
「それをどのようにして彼女に埋め込むつもりですか」
「それを私が教えるとでも?去りなさい、次に顔を見せた時は遠慮なくあなたも凍結させてもらいます」
言われた通りにグガランナがその姿を消した、薄情にも見えるがそもそもこの場にいるマキナは誰も彼女を気遣った事など一度も無かったのだ、当然の見切りと言えよう。
「ご安心を、オリジナルはあなた方のマテリアルに移しています、種子として利用するのはレプリカの方ですので。しかし、サーバーからコアそのものを移していますので冒頭にも申し上げたように覆刻は叶いませんのであしからず」
呆然自失と立ち尽くしていたティアマトが足元から崩れた、それは力を失った訳ではなく空間そのものに穴が生まれていたからだった。
✳︎
[間違いありません!コンコルディアから父上の反応があります!]
「お前はそこにいろ!隠れていたノヴァグが動き出した!直にホテルへ向かうはずだ!」
[ナツメさん!ロックオンされていますよ!回避行動を!]
コンコルディアの背中にマウントされたレールガンが紫電を帯びている、引き裂かれる音と共に一発の砲弾が発射されて捉えた時には近接武器を抜き放っていた。被弾する直前に真っ二つに割れて後方へと流れていく、何かに当たる音を耳に入れながら眼下で構えているコンコルディアを見下ろした。
(オーディン…)
ホテルの中庭に置かれたテントの中で交わした言葉が脳裏をよぎる、冷静さに満ちた目を向けて私の話しに耳を傾けていた奴の面影はどこにも残っていない。
「Mwtjwooooooッーー!!!」
まるで寄生だ、コンコルディアのパイロットシートから上半身が露出しておりビーストを思わせる赤い瞳を私に向けているだけだった。
[ヤバいよナツメ!ノヴァグが溢れてる!本当にコンコルディアを沈めたら収まるんだよね?!]
「さぁな、だがどのみち止めねばならん」
ホテルの守りを任せているヴィザールによれば、大挙として押し寄せているノヴァグはオーディンの権能に反応しているのではないか、という事だった。一度は事切れたはずだ、それなのに何故起動できたのか、街の外れに置かれていたノヴァグ達も再び目蓋を開けてこの街に進行しているのだ。
「悪く思うなよ、オーディン」
届かぬ言葉とたかを括ったが、コンソールから返事があった。
[来イ!ナツメ!貴様とも決着ヲ付けたかったノダ!]
「ーっ?!」
ひび割れた、何とも聞くに耐えない声をしている。驚く私をよそに再びレールガンを発射した、構えを解いていたため切断による防御はできない、回避行動に入るが動きを読まれていた。
[何ですかあれ?!あんな物があったのですか!!]
テッドの言う通り、前傾姿勢を取っているコンコルディアの後方から長い尻尾が伸びており鞭のように振られて私の機体へと襲いかかった。
「ーっ!」
風を切るように迫ってくるそれは、どうやらノヴァグの残骸で作られているようだった。回避行動には入れない、だが近接武器を抜く時間はある、一か八かの賭けに出て何とか弾こうと試みるが、
[馬鹿!ナツメ!!]
尾の先端は弾くことができた、しかし全長数十メートルはある長い尻尾の質量までは弾けなかったようで重い衝撃が私の機体を襲った。
◇
『あんたはこれからどうするつもりだ?』
『どうとは?』
『進路だよ、進路。何か行く当てでもあんの?』
『………』
『はっはぁ〜、考えた事もないって顔してるな』
『……そういうアオラはどうなんだ?』
...そういえばまだ昔、私は奴のことをよく名前で呼んでいたことを思い出した。
『私か?私は軍へ行くよ、つっても前線じゃなくて後方支援の部隊だけどな』
『それはどうして?あんなにビーストのことを嫌っていたじゃないか』
『だからだよ、もうあんな思いはしたくないしさせたくない、だから行くんだ』
互いにまだ学校指定の制服に身を包み、放課後に寄ったテラスで交わしたものだ。確かアヤメを待っていたように思う、そうでもなければ私が奴と同じ時間を過ごすのは考えられない事だった。
『私は…音楽の勉強をしようと思っていたんだけど…そうか、アオラはやっぱりアヤメのために働くんだな』
『あったり前よぉ!』
音楽が好きだった私は演奏なら一通りこなすことができた、専門的に勉強をしていつかアヤメを自分のコンサートに招待しようと密かに胸に抱いていた時代だ。その点アオラは人形を持っていた子供時代とは似ても似つかない程にガサツな女の子へ育っていた。喧嘩っ早いし何より口が悪い、それもこれも男連中から舐められないように意識的に変えていたせいもあるが、よく先生にも注意を受けていた...まぁ、男の子のように振る舞っていたアヤメの影響も大きいが。
『ごめん、待った?』
『待った、ちょー待った、お詫びにキスしてくれない?』
『まーたそんな事ばっかり。ごめんねナツメ、帰り際に先生に捕まってさ、進路はどうするんだって説教食らっちゃった』
『あぁ…いや、平気だよ』
『……?』
アヤメの進路が気になった私は逃げるようにして席を立った。
その日の夜、アヤメが私の部屋に訪れた。年長組になった私達は一人ずつに部屋があてがわれており、こうしてアヤメが一人で来るのは珍しいことではなかった、けれどいつもと雰囲気が違うことに気付いた私はただ黙って彼女を迎え入れた。音楽校の案内を見ていた私の手を握り有無言わさず椅子から立たせた、机の横に置かれたベッドに二人して腰を下ろし束の間見つめ合う。
『……アヤメ?何か用、』
アヤメの顔が近付いてくる、子供の頃よくしてもらったように少し大人になったアヤメから熱い吐息が漏れる口付けをしてもらった。頬に触れた彼女の唇も熱を持ち、私の胸は言いようのない満足感に支配されていた。けれど私も少しは大人になった、ただ黙っているだけの子供ではない。
『……久しぶりだね、アヤメからキスをしてもらうの、昔は凄く嬉しかったよ』
『そうなの?いつも何も言わなかったから』
『どうしてしてくれるんだ?』
『こうするとね、ナツメって何でも言うことを聞いてくれるようになるから』
『酷い!そんな理由でキスしていたのか?!』
二人だけの部屋に小さな笑い声が上がる、互いに手を出してベッドの上でじゃれ合う。少し息が切れた頃、アヤメが再び有無言わさぬ口調で私に問うてきた。
『どうして私から逃げたの?学校から帰ってる時、私のこと見ようともしてなかったよね?』
『それは……アヤメの進路が気になったからだよ、深い意味はないんだ、ごめん』
『……それだけ?他に好きな子が出来たとか何か後ろめたい理由があったりしない?』
...あぁ、そうなのか、この頃からアヤメは私を好いてくれていたんだな。ただの冗談かと思っていた、身長が人より高く女らしく育たない胸に自信を無くしていた当時の私は、まさか自分が特別な存在になっているだなんて夢にも思わなかった。
『そんな訳ないだろ!好きな子なんかいないよ!』
『……そう?それならいいけど』
『……アヤメはどうするんだ?学校を出た後は、どんな仕事に就くんだ?』
『私?私はアオラと一緒に軍へ行こうと思う、勉強はあれだけど運動が得意だからね』
『…………』
『ナツメは?どうするの?』
『…………私も、軍へ行こうと思っているんだ、アヤメと同じように運動が得意だからな』
嘘を吐いた、離されたくなかったから。ここで本音を言うともう別世界の人間になってしまいそうで、それが何より怖かった。けれどあっさりと見破られてしまった。
『ウソ、ナツメは音楽がやりたいんだよね?そんなの言わなくても分かるよ』
『………いやでも、私は、皆んなと離れたくないんだ。自分の夢を追いかけるよりもそっちの方が重要なんだ、これは嘘じゃない』
また嘘を吐いた、本当は皆んなではなくアヤメだけだった。
『……そっか、分かった』
ベッドから腰を上げて私の前に立った、そして私の頭をその柔らかい胸に押し付けて優しく抱きしめてくれた。
『これからもよろしくねナツメ。ナツメの事は私が守るからいつでも甘えてね』
『…………』
『あと、ごめんね?せっかくの夢を台無しにしちゃったみたいで…』
『……いいよ、いいんだ、アヤメがそばにいてくれるならそれでいいんだ』
優しい鼓動に包まれながらうんと彼女の胸に甘えた。縋るように、全てを投げ打つように、「私の人生は彼女のためにある」と思えるように。
◇
薄らと目蓋を開ける、胸には温かい残滓が揺蕩っており目元には涙が乾いた感触があった。
「やっと起きた。テッドさぁぁん!」
「……うるさいな」
私の機体のコクピットにアヤメがいた、目蓋を開けた時にはかなり近い距離から顔を覗き込んでいたようだ。揺蕩っていた温かい気持ちが緊張へと様変わりし、それを無視するようにアヤメへ声をかける。
「状況は?」
「まだ何とかなりそう、けど手も足も出ない状況かな」
「ナツメさん?!ご無事ですか?!」
テッドもコクピットに顔を覗かせた、その頬は少し黒く汚れている。きっと私が気を失っていた間に整備をしてくれていたのだろう。
「あぁ平気だ、まだ体は重いが何とかなる。機体の方は?」
「まだ何とか…けれど次も同じように無茶をしたら使えなくなりますよ」
「うん、分かった」
「………」
「冗談さ、もう無理はしない」
心配そうに見つめているテッドを安心させようと冗談を口にしたが、見事に空振りした。
「ホテルの方は?」
アヤメがヘルメットを手にしてコクピットから離れようとしている、その背中に強い郷愁を抱きながら言葉を待った。
「そっちがヤバい、ノヴァグの群れがホテルに到着して何とか持ち堪えているのが現状、もう一時間はもたない」
「分かった、さっさと片を付けよう」
「私には冗談を言ってくれないんだ?」
ドキリと心臓が跳ねる、まるで一緒に夢を見ていたかのように、昔を思い出していたかのように放たれた言葉は私を揺さぶった。テッドも自分の機体へ戻ったようだ、ここには私とアヤメしかいない。
「……ナツメ?何考えてるの?」
「私が特殊部隊に入った理由についてだよ、お前には言っていなかったな」
「それは皆んなと離れるのが嫌だったからなんでしょ?」
覚えていたのか、幼心が刺激されて舞い上がってしまいそうになった。
「それは嘘なんだよ、私はお前さえいてくれたらそれで良かった。まぁその後は甘え過ぎてお前から見放されそうになったがな………今の私はどうだ、まだ頼りないか?」
「……ナツメ、それ今聞くことなの?」
「あぁ、私はお前が安心して暮らせるようにと銃を握り始めたんだ、軍へ行ったのは離れたくなかったからだが、戦いを決意したのは私の意志だ。お前に甘えていたばかりの私が初めて自分で決めた事なんだ」
ヘルメットを脇に抱えて、半身になって聞いていた体をこちらに向けた。
「あっそ、それなら言わせてもらうけど全っ然ダメだから!頼りにならないし見ていられない!いっつも心配ばかりさせてちったぁ自分の事も勘定に入れろよ!私に甘えてばかりのお子様が偉そうな事を言うな!」
文句の嵐だ、可愛げも思いやりもへったくれもなかった。
「なら、頑張らないとな。お前、口調が昔に戻っているぞ」
「ーっ、いい?!とにかく無事で帰るから!」
それだけ言い放ってからアヤメが後にした。コクピットには私一人きりだ、今までわだかまっていたペレグとサニアの殉死が少しだけ解れたようだった。
(私にだって守りたいものがあるんだ)
ここでオーディンを落とさなければいずれは上層の街へと行ってしまうかもしれない。そうなってしまえばあっという間に蹂躙されるのが目に見えている。簡易人型機という新しい戦力はあれど、この数には太刀打ちできまい。
さぁ行こうか、ここからが私の戦場だ、誰にも代わってもらえない私の戦いを始めよう。その先にたとえ私が居なくともあいつが無事ならそれでいい、その為に楽器ではなく銃を握ってきたのだから。
⁂
ラムウが凍結という名の急死を迎えてから中層の空には異変が起こっていた、それは静かに溜まりゆく水のように決壊するまでは誰にも気付かれない。だが、モンスーンで生成されていた水蒸気も無くなり空気の流れが変わりつつあった。何も恵みの雨を降らせるためだけではない、中層内を循環させていた水蒸気も途絶え少しずつではあるが空気が淀み始めていた。
オーディンとの初戦で痛手を負ったナツメ機を庇うようにして、マギールの小屋近くまで撤退していた人型機部隊が再び空へと舞い上がる。オーディンの権能に紐付けられたノヴァグの稼働を止めるためでもあるが、何よりコンコルディアと融合してしまったオーディンと決着を付けるためだ。
(奴がサニアの命を奪ったことに代わりはない)
ナツメの心には決して消えはしない炎が生まれていた、それはアヤメのためでもあるし自分の使命なんだと半ば言い聞かせるようにして彼女が空を飛んでいく。
[あの小屋がマギールさんのお家なんですね]
[そうですよ、地下は大変なことになっていますが]
ナツメの心を知ってか知らずか、副隊長と意中の相手がのんびりと言葉を交わしている。その緊張感の無いやり取りに思うところはあるが、彼女は我慢してただ耳を傾けた。
[大変とは?]
[私も直接見たわけではないんですが、どうやら数え切れない程のお人形さんがあるみたいで…]
[お人形?……それは隠語とかではなく?]
[いんご……って何ナツメ、教えて]
アヤメが小声でナツメに問うてきた、全周波チャンネルの会話なのに声を落とす必要があるのかと言葉を返す。
[隠語ってのは言いたくない事を何かに例えて表現する言葉だ。というかだな少しぐらい緊張感持ったらどうなんだ]
[やられた本人が言うから説得力あるね]
[本当ですよ全く。いいですか、作戦通りに動いてくださいね、さっきみたいな無茶をしても僕は助けに入ったりしませんから]
[言っておくけど私もだからね、少しぐらいは自分の事も考えて]
アヤメもテッドも戦場で散々ナツメに口説かれてきた経緯があるため普段は何かとナツメについて口論をしがちだが、その対象がナツメ本人に向かうと謎の連携を発揮して言葉巧みに責めてくるのも常であった。旗色が急に悪くなったと辟易しながらナツメが何とか切り返すがそう上手くはいかなかった。
[爆弾を自分から撃つような女に言われたくはない、どれだけ心配かけたと思っているんだ]
[それはナツメさんがアヤメさんをこき使っていたからなんでしょう?]
[そうなんですよ、もっと言ってやってください。昔はあんなに素直だったのに今となっては我儘ばっかり]
[……ナツメさんは今も昔も変わりませんよ?]
[へぇ、何かあったんですか?私は小さな頃からナツメを知っていますがそんな話し聞いたことないですね]
[………くっ]
悔しがるテッドの呻き声を聞いたアヤメが小さくガッツポーズを取った。これで下層のホテルの借りは返したと喜んでいるとナツメがいつものように二人をどやしつける。
[いい加減にしろ!作戦空域に入るぞ!]
ことナツメの事になると縦横無尽に矛先が変わる二人の会話を断ち切り、大聖堂へと機体を飛ばした。
コンコルディアに取り付いたオーディンへ何度も連絡を取っていたディアボロスは焦っていた。決議の場で言い渡されたマキナ達の処遇についてもそうだが、何より今日まで我が兄弟として共に過ごしてきた相手が暴走してしまっているのだ。
(くそっ、あいつ!この時のために下調べをしていたのか!)
何故あの脳筋男がセルゲイに近付いたのか不思議でならなかった、しかし戦力として目星を付けていたオーディンはセルゲイ総司令に接近すると共にコンコルディアについても調べを済ませていたのだ。何もホテルに滞留している人間を駆逐するためではなく、因縁の相手であったサニアを撃破するためにその力を手に入れようとした。結果として、己の力のみで雪辱を晴らすことができたオーディンだが未だ剣を収めず、あまつさえ暴走までしてしまった。
[聞こえているなオーディン!応答しろ!]
返ってくるのは耳触りの悪い砂嵐の音ばかり、オーディンは既にガイア・サーバーから断絶されていたためマテリアルによる周波通信を行なっていたがまるで返事がなかった。
[もう戦いは終わったんだよ!お前の独りよがりは他所でやれ!]
オーディンは人間に対して強い憎しみなど無かったはずだ、それなのに何故戦いを止めないのかディアボロスには分からないことだった。彼の叫びも虚しくオーディンには届かない、コンコルディアと融合を果たした軍神が見る間に異形の化け物へと変化していく。
プログラム・ガイアから受け取った新しいマテリアルで中層の空を駆け抜けた、それは確かに側から見るのであればまさしく悪魔と言える外観をしていた。人の頭蓋骨を模した頭部に不自然に膨らんだ胸部、生える二枚の羽は蝙蝠を連想させるものだ。歪に太った腕部と脚部、目に見えた武装は何もしていなかった。そして一番の特徴はその巨大さにあるだろう、従来の人型機より倍近くあるディアボロスのマテリアルはまさに巨人そのもの、武装など使用せずともその質量だけで十分に脅威だった。
見据えた大聖堂より左後方、三機の人型機が編隊を組み飛行しているのを確認したディアボロスは遠慮なくマテリアルの出力を跳ね上げる。爆煙をたなびかせ淀み始めていた中層の空をさらに汚していく、早く止めないと取り返しのつかないことになる、そう焦る彼は目下の敵である人型機部隊へ進路を取った。
[二時の方向!注意!]
[あれは……?!]
[ちっ!こんな時に新手かよ!]
副隊長の鋭い声にアヤメも気付き、ナツメは毒を吐いた。街の入り口方面から禍々しい、それも遥かに人型機を上回るディアボロスのマテリアルが迫っているのだ、圧迫感が凄まじく編隊を変えて対応するしかなかった。
[テッド!お前は援護だ!アヤメは右!私は逆から攻める!]
[了解!]
[了解!]
「常勝不敗のアイリス」と謳われた一番機がやや先行し、たった一度の勝利をもぎ取ったがゆえに「畑荒らし」と揶揄されてしまった七番機の二機がディアボロスに接近する。後方支援に長けたテッド機が極大射程を誇る電磁投射砲を構え、ロングバレルからショットバレルへ素早く換装した。
[お二人共離れてください!]
ロングバレルの中に内蔵されていた短距離広範囲の攻撃に適したバレルが露出しただけだ、換装自体はすぐに終わる。レティクルを正面に合わせてテッドがトリガー引き絞る、カサンが一度見舞った電磁気力を分散させて発射されるためその攻撃力は人型機の中では随一だ。紫電を帯びた弾丸が流星となってディアボロスへ襲いかかる、頭蓋骨を思わせる頭部が捲れ、歪に膨らんだ胸部が弾け飛んだ。しかしそのスピードが一向に緩まることはない、ただの突進であった。
[効くとでも思ったか人間め!]
[この声はっ!!]
[お前にもいずれ借りは返す!だがその前に奴を助けるのが先だ!死にたくなければ道を空けろ!]
悪魔の名を冠するマキナゆえ、またそのマテリアルにも畏怖を与える機構が備わっていた。口腔に取り付けられたファンローターを最大稼働させるためにその口が大きく広げられた、雄叫びと共に燃焼を終えた空気が排出され膨大な出力を得るために再び吸い込む。
[ーっ!回避っ!]
誰が叫んだのか理解するより早く二人がディアボロスのマテリアルから逃れるためコントロールレバーを目一杯引き上げた。急制動による重力加速に耐えながら、大質量には似合わない速度で繰り出された敵の腕から何とか距離を取った。
[ガキの喧嘩みたいだな!ピリオド・ビースト!!]
[………お前に分かるか?一縷の望みをかけた希望が目の前で壊されていくあの虚しさ!あの時お前達人間を根絶やしにできていたならば!こんな事にはなっていなかったんだぁ!!]
上空へ逃げおおせた二機へディアボロスが追撃をかけた、無闇やたらと振り回されるだけの拳だ、しかしその質量ゆえ下手に当たろうものなら粉微塵になる威力もあった。それにその巨体に見合わない速度もある、どうしたものかと攻めあぐねていたナツメ機に長い影が落ちてきた。
[……何だこれは]
見上げた先にあった物は長い、長い銀の尻尾だった。ゆらゆらと揺らめているのは風を受けてか、取り込まれたノヴァグなのかはあるいはそのどちらも、血の気が引いたナツメは再び回避行動に移った。
[ジャマをするなディアぼろす…これは俺の敵だァあ!!]
大地を割らんばかりに銀の尾が振り下ろされた、それも味方であるはずのディアボロスにだ。
[ーーーっ!!]
構えるように持ち上げたディアボロスの腕に叩きつけられた、その瞬間に取り込まれていたノヴァグが弾け飛び宙を舞う。
[お前っ、敵を見誤るなっ!]
[違ウ!邪魔ヲするなと言ってイルんだ!これは俺の戦イだ!おれの命だ!誰ニモ邪魔などさせるものかっ!!]
錯乱状態にあるコンコルディア・オーディンには我が兄弟と言い合ってきたディアボロスですら、その言葉を届かせることができなかった。
ナツメはただ、悲しい思いを抱いたまま彼らの通話を耳にしていた。あのテントで見せたオーディンの姿はもう無いと、コンコルディア・オーディンが生成した長い尻尾に身動きを封じられているディアボロスを尻目にして機体を反転させた。
[どこへ行くんだ!お前の相手はっ]
[私は殺し合いをしたい訳ではないんだ、お前にあれが止められるのか?]
[御託はいい!何があっても手を出すなっ!あれは、あれでも俺のっ]
ディアボロスの叫びがナツメの決意を揺さぶってくる、通話を切り部隊内で使用しているチャンネルに切り替えた。
[今が好機だ!]
今やコンコルディア・オーディンは原型を留めていない。果てのない融合を繰り返し、蠕動を続けている装甲板には大量のノヴァグがひしめき合っていた、パイロットシートから突き出た上半身だげか唯一オーディンとしての形を保っていた。
ナツメが近接武器「カタナ」を突きの構えで取った、アヤメは無数に伸びてくるコンコルディア・オーディンの手を仕込み銃で跳ね返し、テッドは隊長の進路を確保するため何度もショットバレルから弾丸を放っていた。
[イイぞイイぞ!ナツメ!あの時ノ続きヲしようではないか!トンダ邪魔が入ったガここにはあんな化け物はイナイ!]
[…………]
機体のアームを突きの構えで固定し、機体制御に使っていた出力を全てエンジンに回し始める。両肩、それから腰部に置かれたファンローターが唸りを上げて回転し周囲から全ての空気を吸い込む。
《警告、ホット・セクション内に異常、高圧タービン温度異常、ブレード溶解温度に達しています》
[構わない、続けろ]
ナツメは自身が一本の矢となりコンコルディア・オーディンを一撃で仕留めるつもりでいた、元よりこの混戦下では連携も期待できない。厳しい副隊長と文句ばかり言う意中の相手と相談した結果だ、チャンスは一度きり。
[ナツメさん!いいですね!これで駄目なら撤退します!]
エンジンの限界温度を遥かに超え、アラートが鳴り止まないコンソールに向かってナツメが答えた。
[一度で十分だ]
瞬間、エンジンの排気ノズルから爆発的な推進力が生まれ通常の倍はあろうかという重量加速がナツメを襲う。フットペダルを踏み込んだ時にはもう敵は目前だ、こんな状態では狙いも満足には付けられない。全ての景色が溶け合い後ろに流れ、露出したオーディン・マテリアルを貫こうとしたその時、
[ぐぁっ!!]
何かに阻まれた、その反動が対Gシステムが作動したコクピット内でも殺し切れずナツメを襲う。
[そんなっ!あんな一瞬で?!]
[退避、退避!ナツメさん!聞こえていますか?!]
ナツメの乾坤一擲の突きを防いだのはコンコルディア・オーディンが生成したノヴァグの壁だった、それこそ矢を射るが如く放たれたナツメの機体を捉えて瞬時に作り上げたのだ。
[勿体ナイ!たった一度デ終ワラセルのは勿体ない!この命尽きるにはまだ早イ!でなければサニアを倒シタ意味ガない!]
[……こんの…]
意識が朦朧としている最中でも、二人の声とオーディンの狂った声は届いていた。しかし満足に体が動かせないナツメはコンコルディア・オーディンのされるがままになっていた。
[言わんこっちゃない!アヤメさん!]
無数に伸びゆく手がナツメ機を捕らえ雁字搦めにしていく、レッドアウトに陥りかけていたナツメの視界にも生きた屍と化したノヴァグが映っていた。
[駄目です!数が多過ぎる!ナツメ!ナツメ!]
アヤメ機が必死になってナツメ機へ近づこうとしているがその進路をコンコルディア・オーディンの手が阻んでいた。クレセントアクスがあるならまだしもアヤメ機には主だった兵装はない、子供騙しの仕込み銃が精々であった。
(あぁくそったれ…頭が…)
ナツメはコクピットにいながらあの夜のことを思い出していた。全身刃物だらけのイカれたビーストに殺されかけたあの夜だ、むせ返る程の森の匂いと血の臭い、そしてこの声。
[イィぃやっはぁっ!!この時を待っていたぜぇぇ!!]
未だ身動きを封じられているディアボロスのマテリアル、歪に膨らんだ胸部から素早く踊り出てくる別のマテリアルがあった。地獄の番犬を思わせる獰猛な頭部、そしてその名を表す自らの尾を噛んだ蛇の尻尾だ。コンコルディア・オーディンの手をものともせず颯爽と駆け抜けナツメ機へと接近していく。
[そんなどこから!!]
[テメェらにオレ様のアンブッシュが見抜ける訳ねぇだろぉ!こちとらこの命捨てる覚悟でそこの女に仇を返すんだからなぁ!!]
間に合わない、アヤメ機も目標を変えるがノヴァグの手が行く手を邪魔しにくる。テッド機もバレルヒートも構わず乱射するがまるで当たらない。
[ナツメぇぇえ!!ナツメぇえ!!良い名前だぜぇ!!オレが殺し損ねた唯一の女っ!!あの世で待ってろすぐ抱きに行ってやるからよぉ!!]
四足歩行の醜い獣が駆け抜ける、コンコルディア・オーディンの手でも止められない。いくらかマテリアルは縮んだものの、その鋭利な牙は人型機をも噛み砕く。まさにビーストと言えよう。
[ナツメさぁん!!]
副隊長の涙声と獣の雄叫び、ノヴァグの手に絡めとられたナツメ機は格好の餌だ。
[うぅおっらっせぇぇいっ!!!]
[ーっ?!?!!]
ウロボロスのマテリアルがナツメ機を食い破らんとした時、真横から一機の人型機が現れおかしな掛け声と共にその牙を食い止めた。
[あんたなんかに食わせてたまるかぁっ!!]
[グ、ガ、ガ、GAっ]
[あの機体はどこから……いやあのショルダーアートは…]
[マギリっ?!]
その機体は紅桔梗と呼ばれる優雅さと品格の高さを併せ持つ色味の濃い紫色をしたものだった、搭乗しているマギリはそんな事も露とは知らずナツメの危機を救うため必死だった。
[この、クソ女っ……その手を、はなSEぇえっ]
マギリ機の手が弱まりウロボロスの口が閉じられようとしている。
[誰がクソ女だイカれ犬っころ!キャンキャン吠えやがって目にもの見せてやるっ!!]
[ーっ!]
力で噛み切ろうとしていたウロボロスの口が再び開き始める、マギリ機のバックユニットにマウントされたもう一機の小型機も合わせて出力を上げていく。空気を燃焼させて得るエネルギーではなく、内部バッテリーから直接得られる電磁気力をそのままエンジンに回した。
[このくそ、女っ………っ!!]
甲高い音が響き始め、アフターバーナーがリング状に形成されていった。その輝きは太陽にも似ておりシャムフレアエンジンが限界温度に達する、その出力はナツメ機の数倍だ、ウロボロス・マテリアルが敵うはずもない。
[ぽっと出の女を舐めるなぁっ!!!]
そのまま力の限りに番犬の頭を引き裂いた、あり得ざる力、これが仮想世界で見たマギリの人型機であった。
九死に一生を得たナツメが再びカタナを構える、助けてくれたマギリに礼の一つも言わずに攻撃に出るのは焦っている証拠だった。
(今のうちにっ!)
回復し切っていない危うげな視界のままコンコルディア・オーディンに肉薄する。死ねば諸共、その覚悟であった。
[オレはまだまだ!まだ戦いタリナイ!せっかく得たオレだけの命!]
未だ己が命に酔いしれているオーディン、止めを刺せるのは私だけだと半ばナツメも興奮状態にあった。突きを阻んだ壁は崩れ、今度こそカタナが届く距離にあった。
[早く!ナツメさん!]
その言葉は止めを期待してのものだとナツメは勘違いしてしまった、皆がこの戦いを終わらせることを望んでいると。
[言われなくてもっ!]
後はいと呆気ないものだった、踏み込んだナツメ機を邪魔することなくオーディンが迎え入れ、そしてその刃すら胸で受け止めた。
[……なっ]
カタナは深々とオーディンの胸に突き刺さっている、マテリアルがどのような構造体であれ心臓部に位置する場所を貫かれてはひとたまりもなかった。
[はぁ………これで、約束は反故になった。もう次はない、これが正真正銘、最後になる]
[お前まさか、自分から受けたのか?]
[実に下らない、どうやら俺は…英雄ではなかったようだ……]
鉄がひしゃげる音共にカタナが抜かれる。
[気を付けろ、英雄と自己陶酔は紙一重だぞ……それを知れただけでも十分だ……サニアよ……今………]
オーディン・マテリアルが力を失い項垂れた、それと同じくして権能によって強制起動させられていたノヴァグが地へと落ちていく。骸が雨となって降り注ぎ轟音を立て、巻き上げられた砂埃がいつの間にか夜の空へと変わっていた天へ舞っていく。そしてその中にナツメは決死の光を見てしまった。
[ナツメさぁぁあん!!]
副隊長の叫び声、それは取り返しのつかない雄叫び、目前に現れた人型機によってナツメは守られた。
✳︎
「……………」
「ご……無事、ですか……ナツメさん……」
「……あぁ、私は平気だよ、お前のおかげでな」
「それは……良かった………です」
かちゃり、ナツメが銃を構えた。大破してしまったテッドさんの機体へ向けて。ナツメもまた、コクピットから立ち上がり見下ろしていた。
「………………」
「………駄目ですよ、無理を……したら…」
「………………」
「言ったじゃ……ないですか………一度、だけだって………」
見ていられない、見ていられるはずがない。
「……そうだったな、すまないテッド」
「いえ……いいんです、何となく、そんな気がっ」
テッドさんの機体は中心から無くなっている、そのパイロットシートにいたテッドさんもまた...もう助からない、だからナツメは銃を構えたのだ。
「……テッド、すまないが先にあの世へ下見に行ってくれ、これだけ騒がしくしていたんだ、ビースト共が群がっているかもしれない、私もすぐに行くよ」
「………だ、めですよ……僕一人で……十分ですから………ナツメさんは……」
「……そう、か…なら……ここで……ここで解任だテッド。お前はっ……最高の副隊長だった、誇りに思う」
「……初めて、褒めて……もらえ、まし……」
「………さらばだ、また会おう」
一発の銃声が、ナツメの涙声を掻き消すように響き渡った。
第百三話 「副隊長の意地:テッド」