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第百二話 別れは唐突に

102.a



「ううん…」


「おも……んん?」


 小鳥のさえずりが窓の向こうから聞こえる、カーテン越しでも朝日が昇っているのがすぐに分かった。そして、私の胸で安からな寝息を立てている侵入者がいた。アマンナだ、いつの間に...昨日は別々の部屋で寝たはずなのに、それに何だか甘い匂いもする。


「今何時…」


 枕元に置いた古い目覚まし時計に目をやるとまだ早朝の時間帯だった、この世界の時間がどのような早さで過ぎているのかは分からないが、体はまだまだ眠たくそして重たかった。


「ほら、アマンナ…」


「んん…」


 疲れだけでなく物理的にも、胸にもたれかかるようにして眠っているアマンナを退かす。


「ん?」

 

 退かしても甘い匂いがした、まさかと思い慌てて胸元を見やるとあんこで汚れているではないか、アマンナの口元を見れば同じように汚れている。


「………zzz」


「成敗!」


 眠っている人の無防備な頭にチョップをかますのはどうかと思うけれど、ここは叩き起こして説教しなければ。小鳥のさえずりに混じってアマンナの痛がる声が室内に響いた。



「はぁ?お化け?」


「そうだよ!あの黒電話があるでしょ?!あれが夜中に鳴ったんだって!」


「いやそりゃ電話だから鳴るでしょ」


「違う!あれは普通の電話じゃない!向こうにいるグガランナやティアマトと繋がってる電話なの!試しにこっちからかけてみたらいいよ!どこにも繋がらないから!」


「それは分かったけど口元のあんこは何?」


「…………」


「急に黙るな!」


 叩き起こしてさぁ説教だとあぐらをかくとアマンナが言い訳をまくし立て始めた。もう一度チョップをお見舞いするが見事に避けられてしまった。


「怖い思いをしたのは分かるけど夜中につまみ食いは駄目でしょ!しかも私の服まで汚してるし!」


「キッチンで食べてたら急に鳴ったからさ…怖くて怖くてそのままマギリの部屋に駆け込んでからの記憶がまるでない」


「ぐっすりじゃねぇか!全然怖がってないでしょ!」


「怖かったよ!わたし本当にああいうのダメだから!」


「全く…」


 汚れた服を取り替えるため腰を上げ部屋から出ようとするとアマンナがちょこちょこと付いて来た。


「本当だってば!なんなら今からかけてみるといいよ!」


「分かった分かった、つうかスカートのまんま?しわになるよ」


「シワよりお化けが先!」


 意味が分からない...

急勾配の階段を降りて一階へと向かう、左に行けば玄関右が台所、階段と玄関の間ぐらいに件の黒電話が置かれているのだ。服を取り替える前にさっさと確認しようと受話器を持ち上げると、


「バカなの…?いきなり電話をかける…?」


「確認しろって言ったのアマンナでしょうが!」


 念のため時報をダイヤルして受話器を耳に当ててみると女性の声で時間を読み上げているではないか、何が繋がらないだ。


「ほれ」


「ぎゃあああっ?!!!」


 思わず笑いがこみ上げてくる、受話器を差し出しただけなのにこの怯えよう。


「ほら、アマンナのこと呼んでるよ?早く出ないとまた夜中に電話かけるってさ」


「あわあわあわあわあわ………」


 まさにガクブル、尻もちをついたまま体を寄せて震え上がっている。


(そんなにお化けが怖いの?何が怖いのか…)


 あんな非科学的存在に怯える意味が分からない、つうかそれを言うなら仮想世界で生まれた私はどうなるんだって話しだよ。


「冗談だから試しに持ってみ、普通に繋がってるよ、女の人が時間を読み上げているだけだから」


「あわあわあわあわ……も、もしもし……」


 ただの時報だって言っているのにもしもしと言うアマンナが面白くつい笑ってしまった。



 自信が無い、私という存在を表すならこの一言に尽きる。「何故無いのか」という理由探しならいくらでもやってきた、仮想世界に生まれたから、普通の女の子ではないから、記憶を与えられただけの存在だから、それを裏打ちする経験がないから。

 まぁこれこれそのようにしてと理由を並べ立てただけで解決はしていない、アヤメと一緒だった時はそう意識することもなかったのだが今はそうもいかなくなってきた。ナツメさんと同棲して訓練している時も対人戦闘はからっきしだったし、何とかこなせるようになった途端にまたお寝んねの時間に入ってしまった、ほんと苦虫の生みの親には文句しかない。こんな状態でアヤメの元へ行って何ができるのか、自信が無いのに行っても大丈夫なのかと不安ばかりが募る。


「はぁ…」


 今日一日は休み、昨日の灯籠流しもあって教官からゆっくり休めと通達があった。アマンナは遊びに出かけている、早速仲良くなった実習生らと海水浴にしゃれ込むらしい。私は買い出しだ、前に訪れたスーパーではなくそこから少し離れた位置にある少し寂れた商店街、アヤメと一緒に行ったあの商店街が思い出されるがここには青いシールなんか一枚も貼られていなかった。


(そもそもここは一体どこなんだろう…)


 ティアマトが人型機の訓練用に創造した仮想世界と聞いているが、あまりにそのディテールが細かくまた壮大でとても作り物の世界には思えなかった。それに訪れた当初は仮想世界に住う人達との交流はなかったけれど、ある日を境にして向こうから話しかけてくるようになりいつの間にか親しくなっていたのだ。


(まぁ確かに…そう思えばアマンナが言っていたこともあながち的外れではないんだよね…)


 人通りが少ない商店街の中を歩く、惣菜屋に魚屋、それから野菜屋などスーパーに行けば一つの場所で済ませられるがここでは少し煩雑さが伴う。けれど私はこっちの方が好みだった、日によって売られている物や値引きされている物が違うのでそれに合わせて献立を考えられるからあまり悩まずに済む。


「やぁマギリちゃん、今日はこれなんかどうだい?」


「え?何ですか?」


 魚屋の店主に声をかけられた、こうして話しをしながら買い物をするのも醍醐味の一つである。スーパーは駄目だ、我先にとカートを押してくるので気が滅入ってしまう、それにあそこでは会話なんてそうそう生まれることもない。

 店主の人に勧められた魚は私が一度も捌いたことがないものだった、それを伝えると、


「あぁいいよ、ちょっと待ってな」


「いやあの…」


 まぁいいか、買うなんて一言も言っていないのだがせっかく切り身にしてくれるんだから買おう。このようにして上手く丸め込まれることもあるがだいたいおまけを付けてくれるのだ。


「はいこれサービスね」


「ありがとうございます」


 少し重たいプラスチック容器を買い物袋に入れながら、思い付きの言葉をなげかけた。


「おじさんは大丈夫だったんですか?」


「あぁ、宇宙人のことかい?うちもせがれが参加していたけど無事に帰ってきたよ」


「そうですか…それは良かったですね」


「あぁ、あんなもの生まれて初めてだったからどうなることかと思っていたけど家族皆んな五体満足で何よりだよ。まぁ…無事では済まなかった人らもいるがな…」


 きっとこの商店街で家族を亡くされた方がいるのだろう、ごつい眉を下げて思案顔だ。


「そうですか…おじさんはここの生まれなんですか?」


「あぁそうだよ、家内はこっちに嫁いできたから違うけどな、そういうマギリちゃんは外国からやって来たのかい?髪の色がとても派手だから家族でも噂になってるよ」


 ちょちょちょちょ、待って、え?嫁いできた?外国?思わぬ反応にこっちが面食らってしまった。


「どうかしたのかい?」


「あ、いえ…そ、そうですね、私もここの生まれではないんですが…」


「そりゃそうさ!そんな髪の色見たことがない!……おっと失礼、これは悪かったよ」


「あ、いえいえ…このお魚のおすすめ料理ってありますか?」


 何とか切り返し会話を終えて別のお店へと足を向ける。私の頭の中では仮想世界がさらなる広がりを見せて混乱しっぱなしだった。



「たーいまー」


 お昼頃、呑気な同居人が我が家に帰ってきた。魚屋の店主に教えてもらった料理も出来上がる頃合いだ、海辺で遊んできたアマンナを出迎えるべく玄関先へ向かうとそこには真っ赤に日焼けした哀れで呑気な同居人が立っていた。


「馬鹿、何で日焼け止め塗らなかったの?」


「え?どうせ塗っても海に入るんだから意味ないと思って」


(これは地獄を見るぞ…)


 しかもノースリーブの服に短パン、全身をこれでもかと焼いている、お風呂に入る頃にはさぞかし悲鳴を上げているに違いない。


「今日の昼ご飯は何?」


「魚の水煮」


「えぇー何そのじじ臭いの、冷やし坦々麺が良かったんですけど」


「ただで出てくるだけありがたいと思え!」


 顔も肩も足も真っ赤、別に今は痛くはないだろうが...食べる前から文句を言うアマンナが上がり框に腰を下ろしてサンダルを脱ぎ始めた。


「マギリも今度遊びに来る?ミズキ達からどうって聞かれてるんだけど」


「………」


「?」


 何も言わない私を不審に思ったのか、邪気のない無垢な瞳を上向けた。昨日、訓練校へ出かける前に見せた表情はもう見る影もない。順応が早過ぎではないだろうか。


「あんた、今私達がどういう状況かもう忘れたの?」


「まさか、遊べる時は遊んでおかないともったいないと思って」


 それに、と言いながら腰を上げ、


「お別れの日まで楽しく過ごした方が絶対いい!って思ったの」


「そう、それならいいんじゃない」


 ぱたぱたと自室へと駆けて行くアマンナを見ながら頭の中を整理する、商店街で知った事実を伝えるためにだ。

 再びぱたぱたと器用に階段を降りてきたアマンナを洗面台へと押し付けてから、料理を出す準備に入った。リビングに置かれた丸い机の上にお皿を広げて、手洗いが終わったアマンナがすとんと腰を下ろして今か今かと急かしてくる。


「じじ臭いんじゃなかったの」


「や、これはこれでなかなか…」


「食べる前に一ついい?商店街で教えてもらったことなんだけどさ」


「うん、何?」


 店主の話しを交えながら、ここ以外の場所があること、それから外国という場所もあることを伝えた。すると、とくに驚いた様子もなく言葉を返した。


「そりゃそうなんじゃない?ミズキ達も訓練のために越して来たって言ってたからさ」


「いやいや…あんたが作り物だって言ったんじゃない」


「んー……わたしが思うにゼウスがいるでしょ?あいつが何かしらやったんじゃないのかって思ってる」


「あのゼウスが?」


 ある日突然、訓練の終わりに声をかけられたことや手紙を投函されていたこともアマンナには伝えてあった。ちょうどその日を境にしてアマンナ達も声をかけられたというのだ。


「さいそくだけどね、囲いがあった世界を広げたから今のようになったんだと思うよ」


(最速…なら別の仮想世界でも遅かれ早かれこうなるというのか…)


 出して上げた魚の切り身を箸で突きながら続きを話す。


「その囲いを取っ払ったから皆んな深い意思を持つようになったのかなぁ…って思う。ほらあれだよ、あれ、何だっけ……」


 頭を捻ってからようやく出た言葉に私は鳥肌が立っていた。


「アダムとイブの話し、知ってるでしょ?知恵の実を食べた二人が神様の元から離れていってそのおかげで世界が広がった話し、似たようなもんじゃない?」


「…………」


「マギリ?どうかしたの?」


「あぁいや…何でもない…」


 詳しい内容まで覚えていないが、アマンナの話しはまさに的を得ていると思った。「食べるなよ」と言われていた知恵を宿すリンゴを食べてしまい、賢さを身につけた二人が楽園から飛び出していく話しだ。追放されたのか、はたまた自分から出て行ったのかまでは覚えていないがこの世界を表しているように感じられた。そしてゼウスが言っていた「ノアの方舟」という言葉、決して偶然ではないだろう。


(ゼウスは一体何者なの?この世界に知恵をもたらして、ノアの方舟まで作ろうとしている…自作自演か?)


 それは違うかな、大洪水に見舞われるのはこの世界ではなくアヤメ達がいる世界だ。確か名前はスーパーノヴァ、そいつが生まれたら人類に未来はないと言っていた。それから逃げるためにノアの方舟を作ろうとしていたのか...昨日のゼウスの会話をアマンナにも伝える。行儀悪く、口の中から魚の小骨を取り出してから返事をした。


「ゼウスが?……あぁ、あれのことかもしれない…何であいつはそういう大事なことを黙っているのか…」


「あれって何さ、ビースト以外にまだ何かいるの?」


 アマンナが遭遇した思いあたる節を聞いて私はいよいよ自信を無くしてしまった。


(めっちゃ大変やんけ!アヤメ大丈夫かな…)


「いや、これもさいそくだからね?」


「……は?」


「ん?」


「え?何が最速なの?スーパーノヴァって奴もそんなに早く生まれるってこと?」


「?」


「いやいや自分が言ったんでしょうが」


「さいそくって、自分なりに考えましたっていう難しい意味の言葉じゃないの?」


「…………それを言うなら推測だわ!ドヤ顔で間違えんなっ!!」


 紛らわしい!!



102.b



 解せない。言葉を間違えただけで何故あそこまで怒られなければいけないのか、挙句に晩ご飯の買い出しに行って来いと家から追い出されてしまう始末、やはりアヤメが一番優しい。


「あ〜会いたいなぁ〜…せっかく人間になったんだし…」


 自分でもこの発言はどうかと思うが仕方ない、だって事実だし。


「おや?」


 家に置いてあった自転車に乗ってスーパーへ向かっている途中、壊れてんのかというぐらい赤信号のままになっている交差点を曲がった先でミズキの姿を見つけた。人様の家の生垣で何やらやっているようだ、自転車に跨ったまま手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。


「うぇーいっ!」


「こらぁ!危ないでしょ!」


 わざとらしく声を出しながら後輪に向かって自転車をぶつけてみた(決して本気ではない)、ミズキの慌てた顔がおもしろ...え


「アマンナ、駄目だよそんなことしたら」


「…………」


「アヤメ!もっと言ってやって!アマンナって悪戯ばっかりするんだから!」


「………え、アヤメ…」


「さっき海で遊んでたんだけどその時も……って、アマンナ?どうかしたの?そんなお化けを見るような顔して」


 アヤメがいた、間違いなくアヤメだ。どうしてこんな所に...ミズキと同じようにツインテールの髪型をしている、え?頭が追い付かない。


「何、やってんの…こんな所で…」


「その言い方酷くない?前はあんなに甘えてきてたのに」


「!」


「え、それはどういう意味なの?」


 ま、まさか...まさかこのアヤメは...忘れていたわたしの黒歴史が蘇ってくる。


「前はね、私にうぅんと抱きついたり頭撫でてってせがんだりしてたんだよ」


「えぇ…アマンナって……そうなの?」


 ミズキの白い目がわたしに突き刺さる。


「おおっとこうしちゃいられない!わたしはスーパーに行かねば!では!」


「あぁ!ちょっと!待ちなさい!」


 ミズキの静止も振り切ってがむしゃらに自転車を漕ぐ、心臓はばくばくだ。


(えぇ?!何で?!何でここにいるの?!まさかゼウスが寄越したとか?!)


 それにどうして喋るのか、前まで大変お世話になっていたアヤメ世界のアヤメは言葉は喋らなかったはずだ、ただ黙ってわたしの言う事を聞いてくれて...自堕落な甘さに浸からせてくれる存在だった。それに一度、この世界にお招きした時だって黙っていたはずだ、危うく本人にバレかけて死にそうな思いをしたのだが...

 いやそんな事はどうでもいい、この難事件を解決せねばならない。あるのかないのか分からないわたしのこけしに関わる話しだ。マギリに知れ渡るものなら...


「あぁー!わたしの黒歴史ぃー!!」


 馬鹿にされる!たださえ厳しいマギリがいよいよわたしに冷たくなる!それだけは防がないといけない!



「もう何でもいい、とっと買い物を済ませて作戦会議だ」


 マギリから渡された買い物リストはあるにはあるがそんなものを吟味している暇はない。到着した大型スーパーの真ん前に自転車を停めて勢いよく店内に入る、リストはポケットにねじ込んだまま野菜コーナーへと足早に向かう。冷やし坦々麺の具材は覚えているんだ、あとはカゴに放り込むだけだ。そんな時に、


「そこのお嬢ちゃん、ちょっとこっちにおいで」


「んん?わたしですか?」


「そうそう、さぁほら、おいでなさい」


 大型スーパーの中は食品売り場だけではなく色々な店舗も入っている、そのせいもあって店内では食べ物だけではなくたまに露店のように様々な物を売っている時があった。野菜コーナーの一番近く、今日はどうやら占いをやっていたらしいそのお婆さんに声をかけられた。


「え、今ちょっと急いでいるんですけど…」


「急がば回れ、手のひらを見せてみなさい」


 何なんだ、人の話しは聞かない系か?これでお金は寄越せって言うならエセ占い師って言いふらしてやるからな。早く済ませてくれと思いながら手のひらを差し出した時にようやく異変に気づく、どうしてこのお婆さんはわたしに声をかけたんだ?


「どおれどおれ、良く見えないねぇ……」


 そう言いながら目深に被っていたフードを取った。


「ひっ」


 フードの取ったお婆さん...ではなくそこにはティアマトが座っていたのだ、え?こんな声だったか?


「お嬢ちゃんには悪い悪い手相が出ているねぇ、このままだと不味いよぉ、これから、」


「怖い怖い怖い!はなっ離せぇ!」


 もう自転車を漕いでいた時よりもがむしゃらになって掴まれた手を離そうとしたのにびくともしない!あぁ!せっかく忘れていた黒電話の恐怖も蘇ってきてしまった!


「駄目だよ、逃げたら罰が当たるよぉ」


「もう当たっとるわ!ヤダヤダヤダ!いいから!離してぇ!」


「アマンナっ!」


「は!アケミ!アケミ助けてぇ!」


 ふと、掴まれていた手が離され椅子から転げ落ちてしまった。強かに頭を打ちつけ頭がクラクラする。


「だ、大丈夫?!大きな声がしたから…」


「こいつだよこいつ!」


「だ、誰?」


「え、」


 買い物カゴを下げたアケミがぽかんとしている、そんなまさかとやった視線の先には誰もいない。占いの看板も綺麗さっぱり無くなっていた。わたしの叫び声に気付いて買い物中だったアケミが駆け寄ってくれたのだが...怖いお婆さんなのかティアマトなのか良く分からない相手がいなくなっていた。


「もしかして知らない人に絡まれていたとか?」


「………えぇ……」


「良かったら警察官を呼びに行こうか?」


「あ、いや…そこまでしなくて…いいけど…ちょっと付き合ってください」


 腰が引けてしまったわたしはアケミに甘えて買い物を付き合わせた。もうコリゴリだ、怖い思いはしたくない。



「ありがとう」


「そんな真っ直ぐにお礼言わなくても…買い物に付き合っただけだよ」


「本当に、ありがとう」


「いいえ、どうしいたしまして」


 主婦にしか見えない。アケミはあれだな、着膨れするタイプなんだな、私服だとそこまでぽっちゃりでもない、昨日は牛さんと思ってごめんなさいという意味も込めて深々と頭を下げた。それに薄らと微笑みを湛えているアケミはまさに母親そのもの、母性が太陽のように滲み出ていた、決して言わないが。それに制服姿の時とは雰囲気も違う、横に流した前髪がはらりと風に揺られている、服装はサマーニットにロングスカート、とても似合っています。


「今からお帰りですか?」


「急にどうしたの?」

 

 アケミがくすくすと笑う、ついつい敬語が出てしまっていた。


「いや…ほんと怖かったから…おかげで助かったよ」


「いいえ、それより日焼けは大丈夫?」


「大丈夫、あんなのに比べたら屁でもない」


「アマンナは怖がりなんだね。それじゃあまたね」


 買い物袋を下げたアケミと別れる、少し離れた所で小さなお子さんと合流して...子供?!本当に母親だったのかと思った矢先、遠くで「おねぇちゃん」と少し舌足らずな声で呼ばれるのを聞いて安心した。


「いいやこんなことをしている場合じゃない、すぐに戻らないと」


 時間を食ってしまったが自転車に跨り急ぎ家路に着いた。


「アヤメはどこに居たんだぁ?というかどっから…はっ」


 間違いない、わたしが前住んでいたあのマンションだ。だから入れなかったんだなと一人得心している間もペダルを漕ぐスピードは緩めない、そういえば何だか背中のあたりがチリチリするなと気になったがそれでも急いで家へと帰った。

 あの人様の生垣の前をはらはらしながら走り過ぎ、初めて見た青信号を右折してから家に到着した。自転車の鍵もかけずに扉を開け放ちやたらと痛み始めた足を上げて上がりハマチを乗り越えキッチンに向かったがいない。まぁいいと買い物袋を机に置いて二階へ向かい正面にあるふすまの前に着くと、


「ううん…」


「はいはい…マギリは甘えん坊だね…」


 親の仇を取る如く素早くふすまを開け放ち一言。


「マギリもわたしと同類だからぁ!黒歴史確定!!」


「うぎゃあああっ?!!」


 アヤメの膝に頭を預けていたマギリの叫び声は、それはそれは良く響きました。



 作戦会議どころではない、何せ本人がいるのだから。


「………」


「………」


 みっともない所を見られたマギリは押し黙り、かく言うわたしもどうすればいいのかと頭を抱えて黙り込んでいた。


「これ美味しいね」


「それわたしが作ったんだよ」


「本当?アマンナは凄いね」


「えっへへ〜………はっ」


「………」


 マギリに白い目で見られてしまった...だ、ダメだ、やはりアヤメがいると条件反射のように甘えたくなってしまう。皆んなでちっこいテーブルを囲んでいるところだ、アヤメは出されたおはぎ(余り物)を頬張りわたしの頭を撫でている。これなんだよ、この全てのやる気を奪う撫で方が悪い。


「いやあの〜…どうしてここにいるの?さっきも聞いたけど……これはあれだから!純粋な興味として聞いているのであって、」


 またあんな悲しそうな顔はさせられないと言い訳をまくし立てたが、


「分からない?私がここに来た理由」


「あ、新手のナゾナゾですか……?」


「ちょっとその前にいい?アヤメは…あぁ何て言ったらいいのか…そう!どこから来たの?」


 マギリも何と聞こうか迷い、思い付いた言葉を口にしていた。その聞き方はウマいなと思ったけど予想の斜め上をいく答えが返ってきた。


「皆んなの心の中からだよ」


「………」

「………」


「二人が会いたいって願ってくれたからこうしてここにやって来たんだよ?」


 よ?のタイミングで頭を傾げ、その拍子にツインテールがふらりと揺れた。


(痛い)


「あー…それは何かの比喩表現?」


 マギリも心なしか引いているように見える。


「そんな、マギリがあの灯籠を流してくれたから…」


「おい」


「いやちょっと待って」


「どういうこと?何勝手にアヤメをあの世の住人にしてるの?甘えん坊マギリのタグ付けてネットに拡散するよ?」


「やめろ!いやほんと違うから!確かにあの時アヤメに会いたいとは思ったけどさ!どういうことなの?ちゃんと言ってくれない?」


 マギリがちっこいテーブルに身を乗り出しアヤメ(痛)に詰め寄っている。


「マギリこそ、本当に聞きたいことがあるんじゃない?顔に書いてあるよ」


 指摘されて顔をごしごししてから再び口を開いた。


「今のアヤメは偽物なんだよね?アマンナから聞いたよ、前に寂しくて作ってもらったアヤメ世界の住人とか何とか……現実で大変な思いをしているアヤメじゃないんだよね?」


 はっきりと聞いたな...聞かれたアヤメ(痛)はとくに気にした風もなく答える。


「偽物とか本物とかって重要な事なの?私は二人が望む事を何でもするよ、それじゃ駄目?」


「いや…重要とか…」


「向こうに行っても苦しい思いをするだけだよ、私はね止めに来たんだ。二人にはここにいてほしいから、きっと誰にも世界にも邪魔されないよ」


「………」


「本物の私が二人に何を望んでいるなんか分からないでしょ?けど私はとても簡単だよ、そばにいて、それだけでいい」


 ...わたしはてっきりティアマトが寄越したのかと思っていた。さっきのスーパーにしかり今のアヤメ(痛)にしかり、わたし達にコンタクトを取るために。けれど今の話しだと辻褄が合わない、わたし達二人はいずれ向こうに行かないといけないのに今のアヤメ(痛)は引き止めようとしているのだ。

 誰なんだ?素直な疑問といくばくかの興味が湧いて口からついて出ていた。


「ねぇ、あなたは誰?アヤメの姿を借りているだけだよね」


「………」


 わたしは見逃さなかった、微笑みの奥に潜んでいた冷たい光りを。そして、それを隠すようにアヤメ(?)の表情がぐにゃりと歪み始め...え


「えええええっ?!?」


「きゃああっ?!!」


 歪み始めただなんてとんでもない、本当に歪んでいるではないか。まるで人形を無理やり熱したように内側から溶けて肉も骨もあらわになって...


「ぶくぶくぶくぶく……」


「あ、アマンナ!しっかりして!」


 あまんなぁ!というマギリの声が...遠くに聞こえました...



102.c



「絶対イヤ」


「もう大丈夫だから、ほら帰るよ」


「絶対イヤ」


「アマンナ、ここは仮想世界だよ?跡形もなく無くなってるから、ね?」


「絶対イヤ」


 こいつ...壊れたテレビか何かか、さっきから同じことしか言わない。

 まぁ確かにさっきのはとんでもないスプラッターシーンだったけども...気を失ったかと思いきや、倒れていたアマンナが目にも止まらぬ速さで立ち上がり家を飛び出していった。目の前のバス停を通り過ぎ、畑が並ぶ細い私道も走り抜けて今は農具庫の中にいた。人様の所なのに一向に出ようとしない、かれこれ一時間近く説得しているが手鎌を構えたまま縮こまっていた。


(全くもう…面倒ばかり…)


「よっぽど怖い思いをしたんだろうねぇ」


「すみません、すぐ連れて帰りますので」


 人の良さそうなおじいさんが農具庫に顔を覗かせた、ここの持ち主だ。良く陽に焼けて、農作業を日頃からしているおかげか年齢の割に頑強な体をしている人だった。


「いいさ、あっちから来て帰れなくなったご先祖様が悪戯したんだろう、大目に見てやってくれ」


「ひぃっ」


(これは駄目だ…)


 こいつ本当に幽霊系が駄目なんだな、余計な事を言ったおじいさんのせいでいよいよ縮こまってしまった。こうなれば縄で縛って引きずってでも帰ろうかと算段を立てていると別の足音が聞こえ始めた、その足取りは軽やかだ。


「おじぃ?何か女の子がいるって聞いたんだけど……ってアマンナ?!」


 おじいさんの横から顔を突き出してきたのは茶色の髪をツインテールにして勝気に見える女の人だった、私と同い年ぐらい?いや、良く見ればこの人アマンナの取り巻きにいたな...名前は確か、


「ミズキぃ!!」


「危ない危ない!その鎌は置いて!」


 どうやらこのおじいさんの孫らしい、アマンナと編成班で一緒だった同じ実習生のミズキという人に抱き付いていた。



「はぁ…そんな事が…」


「信じてないでしょ!本当なんだよ!見たことある?!人間が目の前で溶け始めるんだよ?!」


「分かった分かった、とにかく落ち着きなよ」


(だから鎌は置いてこいって言ってんじゃんか)


 ミズキさんの自宅に上がらせてもらっている、大きな日本家屋だ。私とナツメさんが使っていた家屋も立派だったがここは生活感に溢れていて何とも居心地の良い所だった。襖も取っ払われた大広間、漆塗りの大きな茶色の座卓に身を乗り出し鎌を振り回しながらアマンナが力説している。


「アマンナ!鎌を置きなさい!」


「いいよいいよ、鎌の扱いには慣れているから、マギリさんは気にしないで」


 は、って何だ、はって。それに扱いに慣れているからって危ないものは危ないだろうに。


(忘れてた…この人アマンナの家臣だった…)


 いやね?家に上がらせてもらっているのにこんな言い方もあれだけど、ミズキさんからはっきりとした敵意なようなものをびしびしと感じていた。護身のつもりだったのか、ようやく落ち着いたアマンナが鎌を座卓に置いた。


「怖かった…もうあの家には戻れない…」


「何ならここに泊まってく?家は広いし部屋も余ってるから余裕だよ」


「え、いやでも…そこまで迷惑になるわけにも…」


(今さらだろうが!どの口が言う!)


 下手なことを言えばまたぞろ睨まれるので黙っているが、こいつはほんと気分によって言う事がころころと変わるなと心底思った。


「ほらアマンナ、いつまでもお邪魔しているわけにも行かないから帰るよ」


「うぅっ、か、帰りたくない…」


「大丈夫だって、一人ぐらいなら平気だからさ」


 それ私勘定に入ってないな。


「いやいや、ミズキさんも迷惑でしょ?そこまでしてもらわなくていいよ」


「そんなことないよ、ね?私とアマンナの仲だもんね」


 こっちを見ようともしない、その態度はどうなんだと腹わたに弱火がともる。


「本当にいいの?できれば泊まりたい…」


「そんなに?もう平気だって、さっきも言ったけど何ともないから」


「電話だって夜中に鳴るし…」


「電話線抜いておけば何とかなるよ」


「元から挿さってない…」


「……え?」


 アマンナの言葉に下火になったところで玄関先が何やら賑やかになった。「げっ」とミズキさんが小さく呻きながら急いで立ち上がりそそくさと後にした。


「?」

「?」


 あぁ、もしかして親戚か誰かが来たのかと思っているとその賑やかさを保ったまま広間までやって来た。


「だから!今は、」


「おぉ!まさかのアマンナ!お前こんな所で何しているんだ?」


 ぞろぞろと入ってきたのは訓練校の実習生達だった。



 何でも皆んなはミズキさんの家の畑仕事を暇があれば手伝っていたらしい、人の良さそうなあのおじいさんに面倒を見てもらっていたそのお礼とのこと。ミズキさんもそうだが、殆どの実習生は遠方からこっちに越して身寄りもなく、おじいさんがこの家に招いて食事を振る舞っていたらしい。今日がその日だったらしく、お世話になっていた皆んながこの家に集まったのだ。


「お前も手伝えよ、せっかくなんだから」


「何をすればいいの?」


 やる気満々らしい、余程家での出来事を忘れたいみたいだ。


「畑の片付けからだよ」


「ん?何でこんな所に手鎌があるんだ…さてはお前も世話になっていたんだな?」


「……そうそう!今まさにお世話になってるからね!」


「何でやねん!あんたが勝手に持ってきたんでしょうが!」


 思わず突っ込みを入れてしまったがどこか白々しい空気が流れた、よくよく考えてみればこのグループとは何も接点がなかったことを思い出す。そりゃいきなり突っ込みが飛んできたら誰でも驚くか。


「そんなことないよねぇ?あんな言い方しなくてもいいのにね〜」


「え?うんまぁ…それより畑の片付けって何をすればいいの?」


「前に植えた野菜を取ったり土を耕したり、雑草を抜いたりするんだよ、お嬢ちゃんも手伝ってくれるのかい?」


「うん!」


 切り替え早えな...ま、いっか。皆んなに囲まれたアマンナを置いて一人で家に帰ろうとすると呼び止められた。


「どこ行くの?マギリもやるんでしょ?」


「え」


「そうかい、ならちょっとこっちに来ておくれ」


「え?」


 やるなんて一言も...アマンナの無邪気な顔に言い返せないでいるとおじいさんに早速呼ばれてしまった。


(えぇ…まぁいいか、迷惑かけたしこれぐらいなら…)


 とんでもない、これぐらいならなんてとんでもない。連れて行かれた場所には農具やトラクター、それから沢山の紙袋が置かれていたのだが...この紙袋が重いのなんの。


「ふぐぐぐっ…」


「そこの車に乗せておくれ」


 この紙袋には肥料が入っているらしくその荷運びをお願いされたのだ、何故私、男の人もいたというのに...作業用の一輪車に乗せられるだけ乗せてから畑へと向かう。


(一体私は何をやっているのか…)


 ふらつきながら向かった先では、アマンナや他の皆んなが和気あいあいと楽しく作業をしていた。こっちは悶々としながらやっているというのに...やはりアマンナは人から好かれる性格をしているようだ。一輪車を停めて紙袋に手をかけた時、


「嬢ちゃんがいてくれて助かったよ、あの子らは元気はあるけど遊んでばかりでね」


「はぁ…いえ…」


 柔和な笑みを浮かべて真っ直ぐに私を見ている、つっかえていた胸の内を何故だがこのおじいさんに聞いてみたくなっていた。


「あの、一ついいですか?」


「何だい?」


「誰かの役に立つためにはどうすればいいですか?」


 難しい質問かなと思ったけど杞憂だった。


「あの子のそばにいてやりなさい、さっきみたいに注意してあげるだけで全然違うから」


 答えがすぐに返ってきた、何だそれでいいのかと肩の荷が下りた気分だった。それにあの子って...アマンナだと勘違いしているのか。


「他にはどうすれば…」


「それはあの子にしか分からないよ、だからそばにいてやるんだ」


 あぁ、その言葉がすとんと胸に収まった。おじいさんが去り際に、私に目を付けた理由を教えてくれた。


「嬢ちゃんもその素直さをミズキにも分けてやっておくれ、元気は良いが人の話しを聞かん」


「いやそれは…」


「じゃあわしは向こうに行くから残りを頼むよ、無理はしなくていいからね」


 おじいさんさんがにかっと笑った。

作業を終える頃には家の出来事なんて吹っ飛ぶぐらいに腕がぱんぱんになっていた。



 この世界は少し時間の進みが早いような気がする。農作業を無心になって手伝っていたせいもあるだろうがすっかり日が傾き始めていた。アマンナ達もどうやら一仕事終えたようで縁側に肩を並べてお茶を飲んでいた。皆んなと話しをしているアマンナはとても楽しそう、ころころと笑って花を咲かせている。

 私もあそこに向かうべきなのかと悩んでいると、アマンナが先に私を見つけて大きくを手を振った。


「マギリぃ、お疲れさまぁ」


 しゃあないと足腰にも来ていた疲れを無視して皆んなの所へ向かった、一番端が空いていたので遠慮なく腰を下ろすと横からずずいとお茶が入っている冷たいコップを渡された。確か編成二班で副隊長の役割をしていたダイゴという大柄なその人が渡してくれた。


「お疲れ、助かったよ」

 

 一口だけ喉を潤してから、少し意地悪く答えた。


「やっぱり逃げてたんだ?」


「バレていたか、あのじいさん、人は良いが遠慮なくこき使ってくるからな、皆んなすぐに逃げ出すんだよ」


「逃げた本人が言ってるんだから説得力あるね」


「違いない」


 くっくっと笑うその仕草は少し歳不相応に見える、けれど人懐っこい目元はなかなか愛嬌があった。


「嫌なら何で手伝うの?」


「あのじいさん、昔は一切笑わなかった偏屈じいさんだったんだぜ?俺らがタダ飯たかるようになってから笑うようになったんだ、嫌だからはい止めますとはならねぇよ」


「ふ〜ん…」


「放っておけないというか…あぁ…良い言葉が思い付かないがそんな感じだ」


 凛々しい太い眉を下げて頭をかいている、そうそうその仕草の方がしっくりくる。


「あんま大人ぶらない方がいいよ、今みたいのがちょうど良い」


「そ、そうか?」


 やっぱり意識してやっていたのか、ダイゴと話しをしているとアマンナが後ろから絡んできた。


「おやおやぁ?親密そうなふ・た・り、織り姫とひこ王子かなぁ?」


「誰だよひこ王子、それを言うなら彦星でしょうが」


 またベタな絡み方だな、馴れ馴れしくアマンナが私とダイゴの肩を組み引っ付けようとしている。


「こ、こら止めろ!馬鹿!」


 ダイゴがわざとらしく?いや本気で焦ってる?おじいさんと同じくらい焼けた肌が酔っ払ってんのかと言わんばかりに赤くなっていた。それを見つけたアマンナが囃し立ていつの間にか私も輪の中に入って笑い声を上げていた。アマンナのその不思議な力を妬むことなく素直に笑っている自分もまた、少しは成長できたかなと思えて誇らしかった。



102.d



 すっかりも太陽も落ちてそろそろ帰ろうかという時、ダイゴが血相を変えて玄関まで追ってきた、その後ろには妬み半分あとは寂しさを顔いっぱいに表しているミズキの姿もあった。


「お前ら……馬鹿なのか?まさか手伝うだけ手伝って本当に帰るつもりなのか?」


「バカとは失礼な」


「俺らがどうして迷惑をかけるのも無視してただ飯たかりに来ていたのか知りたくないのか?」


 何だその言い方。


「……ごくり」


「え?今ので分かったの?」


「それだけ美味しいってことなんでしょ?違うの?それにこの香ばしい匂いは……」


「そ、そうそう!だからアマンナ達も食べて行けばいいよ!というか二人分も作ってもらってるから!」


 必死だなぁ...それだけアマンナを手元に置いておきたいみたいだ。それにいつの間にか私も勘定に入っている、これでアマンナの分だけと言われるなら帰るつもりだったがそうもいかなくなった。


「こうしちゃいられない、わたしもご相伴に預からねば」


「ほんとこういう時は言葉を間違えないのな」


 上がり框から腰を上げたアマンナにミズキが抱き付いた。その後に私も家の中へと戻り、再び座卓がある広間で寛ぎながら待っているとお皿にこんもりと乗せられた料理が沢山出てきた。おじいさんに絵に描いたように優しそうなおばあさんが二人してお皿を出してくれている。


「私も手伝います」


「いいのいいの、食べるのがあなた達の仕事なんだから」


 料理を運ぼうと腰を上げたがやんわりと断られた。みるみる座卓を埋め尽くしていく料理を前にして皆んなが舌舐めずりしているのが分かった、さっきまであんなに騒がしかったのにこの静けさ、余程美味しいらしい。


「こら!つまみ食いは駄目だよ!」


 ミズキがぺちんとアマンナが伸ばしていたその手を叩いた、叱ってはいるが顔はとても嬉しそうにしている。


「こんな芳しい匂いを放っている料理を前にしてお預けだなんて…それは料理に対する冒涜以外の何ものでもないよ」


「おじぃもおばぁも優しいけど礼儀にはうるさい人だから、アマンナも怒られるよ」


「そうそう、皆んな一発ずつゲンコツ貰ってるいる口だからな」


 「代わりにミズキがゲンコツ貰ってくれる?」と言いながら駄目だって言ってんのに目の前にあった唐揚げを手にして口の中に放り込んだ。破顔一笑ではなく破顔一食、まさに顔をほころばせてうっとりしながら食べていたが見事に頭を叩かれていた。


「つまみ食いするな!」


 怒気をはらんだおじいさんの声は広間によく響いた、あんなにころころと笑っていたおじいさんも怒る時は真剣らしい。これで少しはアマンナも礼儀を...と思ったのだがおじいさんに言い返していた。


「いやいや、こんなに美味しいそうなのに黙って見てるだけだなんて無理だから!織り姫と彦星もきっとつまみ食いしてるよ!」


「馬鹿言え!星が唐揚げなんぞ食うか!」


 後は皆んなが大笑い、あのじいさんにまで噛みつくかとそれこそ破顔一笑としていた。賑やかなまま食事が始められ私も出された料理で舌鼓を打った。



「いやぁ…美味しかったなぁ…お金出していいレベルの美味さだったよ。それにお風呂までもらっちゃって至れり尽くせりだね」


「………」


「アマンナ?」


 ミズキに引き止められ私達だけでも泊まっていけと迫られたので、一晩だけお世話になることになった。疲れた体を癒すためにも少し広めのお風呂に浸かっているとアマンナが入り口で微動だにしていなかったので気になった。


「何やってんの?入らないの?」


「………」


 よく見てみればアマンナは水着の形を残して日焼けしている(ビキニ…だと?)、ああそういうことかとお湯をかけてやった。


「あーっ!!!」


「日焼け止め塗らなかったアマンナが悪い、ほーれ、ほーれ」

 

「ちょ!やめ!痛いー!!」


 ぴーぴー叫びながら風呂場を逃げ回る、仕方ないと湯船から上がってシャワーの水を背中からかけてやった。


「ほらじっとしてて、ここまできたら後は冷やすしかないから体を洗うのは諦めて」


「あー痛い…日焼けってこんなに痛いのか…ミズキ達が一生懸命塗っていたのが良く分かった…」


 全身くまなく焼いていやがる、まぁこれで少しは経験になったことだろう。


「これでサウナに入ったらどうなると思う?」


「間違いなく死ぬ」


「あー…水が気持ちいい…」


 それでも洗いたいと駄々をこね、またぞろ悲鳴を上げながら体を洗ったアマンナと一緒にお風呂を出る。お風呂場から広間までは縁側を通るのだが外では虫が大合唱をしている最中だった。


「ここまできたらよもや風情も何もないね」


「だからドヤ顔で言葉を間違えるな」


 広間ではミズキが携帯片手に何やら調べている様子だ、さらに座卓の上にはチューブ型の軟骨も置かれていた。


(………)


 そこまでしてくれるならと、


「アマンナ、ミズキさんに軟膏塗ってもらいな、少しはマシになるはずだから」

 

「え?あぁ、うん!こっちに来て」


 少し驚いた顔をしているけどこれぐらいならいいだろう、お世話になったんだし。アマンナを残して用意してもらった部屋へと一人で向かい、二人分にしては少し広すぎる部屋の中にはもう布団が二組敷かれていた。


「あ〜どっこいせ…」


 布団の上であぐらをかき、そのまま背中から落ちた。見上げた天井は梁が見えており、古い傘を被った電球...それから少しだけ線香の匂いが鼻をつく...外では変わらず虫達のコンサート...体の芯から眠気に誘われあっという間に意識を手放した。



 何かが回転している音で目が覚めた。


(おじいさん、まだ何かやってるの…)


 隣にはすやすやと寝息を立てているアマンナの姿がある、電気はいつの間に消されており室内は真っ暗だ。徐に立ち上がって部屋を後にする、ここはどこだと寝ぼけた頭で整理をし、トレイの場所が分からないことに気付く。広間に誰かいないかと目指すが明かりは点けられていない、そういえば今は何時くらいだろうか、時間だけでも確認しようと顔を覗かせると、月明かりに照らされた広間に苦虫の生みの親が正座していた。


「早くしなさい、もう準備はできているわ」


「………ティアマト、か」


 開け放たれた襖の向こうには今日昼間に皆んなで作業した畑がある、そしてそこには一機、見たことがない人型機が駐機していた。


「全く…手間をかけさせて、もう思い残したことはないかしら?こっちには当分戻ってこられないと思うけど」

 

 その言葉を聞いて安心した、戻ってこられるだけでも十分だった。


「私はいいよ、それより夜中に電話をかけてこないでくれる?おかげで今日一日大変だったんだから」


「仕方がないでしょう、こちらの時間帯で言えば夜中しかかけられないもの、監視の目を掻い潜るのも大変なのよ」


 あのアヤメもティアマトが寄越したのかと聞く前に、人型機のカメラアイに光りが灯った。


「悪いけどこのまま連れて行くわ、あなたは上層の街で目が覚めるはずだからこの人型機に乗って中層へ向かいなさい」


「あぁ…そういう…アマンナは?」


「あの子は寝かせたままよ、また暴れられたら面倒だもの」


 唐突だな、本当に。この世界に未練はないがおじいさんにもおばあさんにもミズキにも、お別れの挨拶もせずに行ってしまうのは躊躇われた。


「ちょっとだけ待ってもらえる?」


「いいわ、お別れはきちんと済ませない。ただしアマンナは起こさないように」


 何でだよ、アマンナだってお別れしたいだろうに。



✳︎



 緊急避難先として指定していた仮想世界からログアウトした。虎の子のナノ・ジュエルで作ったマギリのマテリアル、それから新型の人型機もこさえている。後はどうなるか、少しでもあの子達の助けになればと願うばかりだ。


(つまらないわ…つまらないにも程がある)


 何も危険がなく、何も悩む事はない。時間に追われることも、また時間が進むこともない。

 ガイア・サーバーから使える全てのカメラが断絶された。もう私達マキナに()()手段は何も残されていない、あるとすればそれは過去に観た記録だけ、しかしこれではあんまりだ。昔の私であれば「面白かった」の一言で済ませてアーカイブに放り込んでいただけかもしれない、しかし今の私には到底片付けられるものではなかった。


(本当に変わったのね…私も、あれだけ恐れていたのに…)


 人と接点を持ったマキナは例外なく変わっていく、それはこの歴史が証明している。プログラム・ガイアの命により人の統治を任された過去のマキナ達は最初こそ純朴であれど、時間が経つにつれて意見を聞き分けるようになりそのせいで遂行率もぐんと下がり、挙句には反旗を翻すことが多々あった。プログラム・ガイアの()()により袂を分けた人同士の争いにどうしても巻き込まれてしまう形になっていた。

 その変わっていく様を観察していた頃の私はサーバーから出てなるものかと怯えていたのだ、タイタニスと一緒になってエディスンを統治していた時もサーバーから出たことなんて一度も無かった。だが彼は違ったようだ、何度も外に出て人と交流を持ち最後には利用されて()()()の命を落とした。

 変化というものは不可逆的だと思う、変わった後はもう元には戻れない、それが易きであれ難きであれ違いはない。だってその苦労の先にあるものを知ってしまったのだから。


(目覚めたようね…)


 一回きりのパスだ、仮想世界からこっちのマテリアルに移ったマギリもガイア・サーバーに目を付けられたはずだ。タイタニスの基地で起動したマテリアルをくまなくチェックする、マテリアルに異常はないがエモート・コアに揺らぎがあった。


(悪いわね、何度も振り回して)


 それは悲しみを表すものだ、きっと仮想世界の住人達に別れを告げた影響だろう。アヤメの親友たれと生み出した存在だがついに現実世界へと進出を果たした。これであの子の人生はあの子のものだ、私からどうこうすることはもう二度とない。

 一通のメールが届く、それは束の間延期されていた決議の案内状だった。


(これは…)


 その参加対象の中からオーディンの名前が無くなっていることに気付き、私は底冷えする恐怖を感じていた。

※次回 2021/8/22 20:00 更新予定

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