第十話 アヤメとグガランナ
10.a
何だか少し、緊張する。私の目の前には、人型のマテリアルになったグガランナがいる。
「アヤメ?どうかしたのかしら、手が止まっているわ」
注意をされて、慌てて手元を見る。
私とグガランナは、マギールさんの家からすぐ近くを流れる川にいた。川には小さなビーストが泳いでいる。
魚、というそうだ。菱形を細く伸ばしたような形をしていて、その先端に挟むように目がついている。川の中にいるので目の色は分からない。
他にもたくさんの小さなビーストが思い思いに動き回り、のんびりと過ごしている。
けれど、私の鼓動はのんびりではない。グガランナを見ると少しだけ早くなる。
「アヤメ、どう?できたかしら」
「…あぁうん!あと、もう少し」
見つめていたのがバレたと思い、また慌ててしまった。
私の手元には、マギールさんに教えてもらった手編みで作れるミサンガ、と呼ばれる物がある。願い事を一つ決めて、手首や足首に巻き、自然とミサンガが切れた時に願いが叶うんだそうだ。
とても素敵だと思った。作り方を教えてもらい、グガランナと一緒に作っているところだ。
「もう、アヤメ、間違えているわ」
そう言われながら、グガランナが私の手を握り、間違えた所を編み直してくれた。
その手は、機械とは思えないぐらい温かく、柔らかくて...
「アヤメ?」
「ひゃい!」
変な声が出てしまった...
✳︎
顔を赤くして私を見つめるアヤメ。
(あー…何て言えば、いいのかしら…いつものように唄が思い浮かばないわ…幸せすぎて!!)
好きな相手が顔を赤くして、見つめてくれる。こんなに嬉しいことはない、アヤメの気持ちを手に入れたような、まさしく私のことを思ってくれているんだという確信。
正直に言うと、アヤメは何も間違っていない。私のなんかより綺麗にミサンガを編んでいる。でも、手を取りたかったから、嘘をついて手を取った。というか、今も手を取ったままだ、離したくない。
そうだ、このまま二人で月の果てまで...
[ねーグガランナー、わたしのこと忘れてない?というか、自分がマキナだって忘れてるよね?筒抜けだよ]
[覗きはやめて、ちょうだい、アマンナ]
[覗かないと思う?あのグガランナだよ?何するかわかったもんじゃないよ]
アマンナ...
[何もしていないわ、アヤメに編み方を教えているのよ]
[アヤメ何も間違ってないじゃん]
[…]
[二度も同じこと言わせないで]
この子最近口が強くなってきたわね、昨日はあんなに照れながらプレゼント渡してくれたくせに。
切りたい、けど切れない。私が取得している視覚情報はサーバーに自動更新されている。誰がいつでも見れる訳ではない、お互いの位置情報と許可があって初めて見れる。
アマンナは私の視覚からアヤメのミサンガを確認しているのだ。
つまりこの子は初めから。
[アマンナ、あなた、初めから疑っていたの?]
[当たり前でしょ何言ってんの?]
私の信用って...
さすがに手を繋ぎすぎていたのか、アヤメが私のことを不思議そうに見ている。
✳︎
なかなかグガランナが手を離してくれない。どうしたんだろう。
「あの、グガランナ?」
「ごめんなさい、とても小さな手だと思って、みぎゃっ!!」
「?みぎゃ?」
「なん、でもないわごめんなさい、驚かせてしまって」
「う、ううん」
グガランナの様子が少し変だ、やっぱりまだマテリアルに慣れないのかな。
✳︎
[アマンナぁ?あなたねぇ私が喋ってる時に急に大声出さないでもらえないかしらぁ?びっくりしたでしょう?]
[変なこと言いそうだったから]
[変って、ただ手を褒めようと思っただけじゃない!]
[グガランナはダメ、褒めたらダメだから]
[意味が分からないわ、お願いだから邪魔しないで!やっとアヤメと二人っきりになれたのよ?!やっと愛を語り合うことができるのよ?!どんな恋人だって邪魔されたら怒るでしょう?!]
[重っ]
✳︎
何とかミサンガが完成し、左手首に付けようとする。けれど、なかなか上手くいかない。
グガランナにお願いしてみようかな...
「ねぇグガランナ、良かったら、その、付けてもらえない?」
少したどたどしくなってしまった。やっぱりまだ緊張してしまう。
「もちろんよ、貸してちょうだい、とても綺麗なミサンがあああああ?!!!」
びっくりした。グガランナが、私のミサンガを受け取った途端に、持ち上げながら大声を出したからだ。
✳︎
ゲラゲラと笑っている声が聞こえる。
[アマンナ!あなた馬鹿じゃないのかしら?!何で勝手にマテリアル・コアを操作したのよ!あと少しでアヤメのミサンガを川に投げ入れるところだったじゃない!]
[あーおっかしいのー何今の声ー]
[聞きなさい!人の話を!いい加減にしてちょうだい!]
[わかったよーもうやらないからさー、ぷふっ]
この悪戯大王、ほんとどうにかならないのかしら。
[ねぇ、アマンナ?あなたもしかしてアヤメに嫉妬しているのかしら?本当は私と一緒に遊びたかったのよね?だから私を邪魔して早く帰らせるように仕向けているのよね?]
違うと返ってくると思った。
[うん]
[え?]
[そうだよ、いつ帰ってくるの?]
え?こんな子だったかしら...
✳︎
「あー…ねぇ、アヤメ?ミサンガも出来たことだし、そろそろ、家に戻りましょう、か」
「あ、あぁ、うん、わかった」
やっぱり様子がおかしい。
「ねぇ、グガランナ、マテリアルの調子良くないの?」
それに、さっきまでの態度と違いどこかよそよそしい。
「あーうん、そうね、まだ良くないみたいだからマギールに見てもらおうかしら…」
「うん、その方がいいよ、人型でも牛型でもグガランナはグガランナだから、私は気にしないよ」
「…」
「早く良くなってね、また川に来ようよ、今度はアマンナと一緒に」
✳︎
[あー…]
[ねぇアマンナ、私死にそうなんだけど]
[あー…]
[嘘ついたのに気づかってもらえるのって死にそうになるのね、私初めて知ったわ]
[やー…うん]
[アマンナ、正直に言いなさい、あなた手の込んだやり方したけど結局邪魔したかったのよね?]
[イヤ、ソンナコト、ナイヨ]
[片言っ、あなたどこで覚えたのそんなこと]
[でもグガランナもアヤメも帰ってきてくれ嬉しいよ?一緒にゃ!!]
急に切れた、どうせ大方...
✳︎
「急に大声だすなぁ!びっくりするでしょ!」
わたしが息抜きをかねてグガランナと通信をしていると、マギールに怒られた。しかも大声で。
「遊んだお前さんが悪い、いいからさっさと直さんか!」
わたしの目の前には壊れた通信端末がある。強い衝撃を受けたようにぺしゃんこになった端末を、さっきからせっせと直してる。
わたし一人で、意味が分からない。邪魔して当然だよね?
「これマギールが潰したんでしょ?!」
広間の窓からはなだらかな坂が見えて、アヤメ達がミサンガを編んでいた川も見える。
地下とは言っても坂をくり抜いたように作っているので、外の景色は見えるのだ。
マギールのくせになんてオシャレな作り方。
「そんなことより、他のピューマ達に教えてもらったぞ、何やらメインシャフトが騒がしいと」
「?何でわたしに言うのさ」
「アヤメは特殊部隊にいるのだろう?何か聞いておらんのか」
「興味ないから聞いてなーい、わたしは過去に縛られないイイー女だからぁぁあ!!痛い痛い!」
喋りながらマギールがわたしの頭を鷲掴みにしてきた。痛い後で撫でてもらおう。
「こんのくそえろマギール…」
「いい加減にせんか、お前さんは分かっておるのだろう?」
真顔で聞いてくるマギール。ちっともかっこよくない。
「…わたしが見た限りでは、変な感じはした、特にエレベーターの底とか」
「変な感じとは?」
「さぁ、ちゃんと調べてないからなんにも、あの頭がおかしくなったピューマに似た感じ?」
「ふむ、となるとディアボロスあたりか…」
ディアボロス、一度グガランナと一緒にサーバーで会話したことがあったけど、とにかく神経質なやつ、さらには急に怒ったり笑ったり変なやつだった。もう話したくない。
「お前さん、アヤメとどうするつもりだ?」
「結婚」
冗談で言ったのにマギールが、わたしの清らかな体を無神経に触り窓の外へと...
「なにやってんのぉぉ?!ちょ、こら、ふざけるなぁ!!わたしを端末みたいに投げようとするなぁぁ!!!」
これでもかと暴れてマギールの顔をめった打ちにする。やっと下ろしてもらえた。
「こんのませガキが!結婚がどれだけ大変か分かっておるのか!!何も知らない子供が軽々しく言うものではない!!!」
そっち?していいの?するよ?
「覚悟は出来ています」
「嘘をつくなぁ!真面目に話せるなら最初っからそうせんか!!」
荒い息を整えて、放った言葉にドキりとした。
「よいか、お前はマキナだ。いつまでもアヤメに甘えているわけにもいかんだろう?いずれは運営のために戻らねばならん」
「う、嫌だ」
「好きにしろ、儂が決めることではないが、ガイアは許さんだろう」
「う、」
そうだった、アヤメやグガランナと一緒にいることが楽しすぎて忘れていた。いつかはアヤメとお別れしないといけない、そう思うと胸がきゅうと締め付けられた。
「うぅ…いやだなぁ…アヤメもグガランナも離ればなれになっちゃうなんて…」
「諦めろ、話を戻すがアヤメとどうするつもりだ?ここで暮らすのか?全面戦争するぞ?」
なんだその物騒な言い方。
「アヤメに聞いてみないと分かんない、まぁわたしはどこへでもついて行くけどね」
「ほんと?」
びっくりした。後ろを振り返れば引きつり笑いのグガランナと、少し顔が赤いアヤメがいた。マギールと話してる間に帰ってきたのだ。
「いつの間に帰ってきた、の?いつから聞いてた?」
「今ちょうど着いた所だよ、アマンナが私についてきてくれるって聞こえた」
あぁそこからかぁできれば結婚のくだりから聞いてほしかったけどまぁ贅沢は言えない。
グガランナが引きつってるのは盗み聞きしたからかけしからん。
「アマンナにもお願いがあるの、私上層へ戻りたい。戻って行きたい所があるんだ」
10.b
ディアボロスの計画が進行中だ。
ピリオド・ビーストと名付けられた我が兄弟の最高傑作。あれを用いねば勝てぬとは、人間の底力は計り知れん。
何たる驚愕、何たる驚嘆、何たる驚異。奴ら人間に勝たねば、あれが目覚めてしまう。我が兄弟が愛せしこの箱庭には、破壊と崩壊を招く恐るべき敵がいる。迅速にかつ的確に処理せねば。この聖域を護るは我が使命なり。
見える、見えたぞ。中層に紛れ込みし人間が一匹。忌まわしくも金色の虫。
グラナトゥム・マキナで唯一剣を承りし我がオーディンが、兄弟の栄光と約束されし繁栄をこの手におさっ、
...何だこの木の根っこは何故私が行く覇道の邪魔立てをするのだ何故抜けん!このマテリアル・コアは木の根っこにも勝てんと言うのか、斬りたくても斬れない、我が兄弟が作りし箱庭を傷付けることなどできようものか。
あぁ人間が行ってしまう我が兄弟ディアボロスよ!木の根っこに挟まった足が抜けん!どうか、どうかこの我に救済を!助けてくれ!
✳︎
探索に出掛けたショッピングモールに武器が無かったとマギールさんに言うと、そんなもんあるかと怒られてしまった。
上層へ戻り第三区へ行きたいと、アマンナとグガランナにお願いをして、快く引き受けてくれた。
上層へ戻るまで、ビーストに襲われる危険性があるのでやっぱり武器が欲しいとお願いすると、マギールさんは渋々了承してくれた。
すぐに作ってもらえるかと思ったけど、鉄を含んだ鉱石が必要だと言われた。その鉱石とナノ・ジュエルを組み合わせ、私の相棒を再現するんだそうだ。ナノ・ジュエル凄い。
私が悲鳴を上げた森の広場を抜けた先に、大きな滝があり、その水場にはお目当ての鉱石が取れる。自分の欲しい物は自分で取ってこいと、当たり前のことを言われて向かっている。
(ん?)
何か、音...声?が、したような気がしたけど、気にせいかな。こんな所に人なんかいないし。
よく考えてみれば、この中層で人間は私だけなんだ、少し寂しい。
✳︎
後で...後で、我が兄弟に謝罪せねばならない。
大切な箱庭に、我が剣で傷を付けてしまったことに...気が重い...
いや、あれは。
何たる幸運、何たる行幸、何たる奇跡、一度見失った虫を、この広大な箱庭で再び見つけようとは。
今度こそ、その頭を叩き斬ってくれようぞ。無防備にも、こちらに後頭部を見せている、今が勝機!
今度は根っこに足が挟まらないよう慎重に駆ける。
我がマテリアル、かの北欧神話に戦神にして死の神として崇められし。
この四本の脚は全てを超え、駆け、時として死を運ぶものなり。何者にも阻まれることなし。じゃあなんでさっきは引っかかったんだよと我が兄弟の言葉が聞こえたような気がするが、今の我には届かず!
さぁ!その頭を割ってくれようぞ!水場にて無防備に晒したその醜態を悔やむがいい!
ここは我が兄弟が愛する滝にて!ここより栄光を!我らのみらっっ!
.........斬れて、いない?そんな馬鹿なはずが。なん...だと?我が剣にヒビが?こんなに硬いのか人間の頭は聞いていないぞ。
なっ、岩だと?我は岩を斬ったというのか、恐るべき人間。いつの間に岩とすり替わったのだ...
待て、何故我は水の中にいるのだいつ入ったのだ?あぁ待ってくれ流される!敵を前にしていや岩だったのだが、あぁ!我が兄弟よ!助けてくれ!川に流されてしまう!
✳︎
森の中で足跡を見つけた。
大きいものから、小さいものまで。赤く染まった落ち葉と柔らかい土にその跡を残して、真っ直ぐと私の前を行く。
この森に棲むビーストは決まって滝がある水場に行くので、足跡を見つけたらそのまま辿っていきなさいと言われていた。
しばらく歩いていると、水が流れる大きな音が聞こえてきた。今まで聞いたことがない音に少し興奮して、足跡を追いかける。
「ふぁぁ、凄い」
私の目の前には、高い所から勢いよく水が流れている滝がある。
首を痛めて見上げても、まだ流れてくる高さと、落ちてくる途中でしぶきに変わっていく様や、少し冷んやりとした空気に感動した。
少しの間、滝を見学して満足してから鉱石を探す。辺りを見回すと、ぱっかりと割れた岩を見つけた。
人の頭と同じくらいの大きさで、色はマギールさんの家の近くに咲いていた花と同じ黄色。こんな岩もあるんだと不思議に思った。
「これで、いいのかな?」
というより、これがいいと思い、辺りに散らばっている黄色の岩を集められるだけ集めた。
どんな武器になるのか、楽しみになってきた。
✳︎
「本当に作るの?マギールが作りたいのは武器じゃなくて人形でしょ?我慢しなくてもいんだよ?」
武器が欲しいと言ったアヤメを叱り、それでも欲しいと懇願されて根負けして、アヤメに鉱石を取りに行かせている間に準備を進めていたら、アマンナに言われた一言だ。
「…お前さんらが出ていったらゆっくりと作るさ」
「グガランナぁー男の花園壊しといてぇー」
任せておきなさいと下から返事がするがもう諦めた。大事な物は別の所に移した。
「早く出て行ってくれんかのう、ん?いつ出て行くんだ、アヤメはいいがお前さんらもういいぞ?向こう千年は帰ってくるな」
「ん?何あれ、ねぇマギールあれ何?」
そう言われて窓を見やれば、何やら川を流れている。...確かに見たことがない。川は街へと繋がり浄水場で綺麗にされて、また循環してくる。今度調べに行こうか。
「あれもピューマなの?馬?人?どっち?なんか剣みたいなのも見えるし、ティアマトって変なのばっかり作るね」
「そう言うな、あやつも色々と考えておる、それよりもだ、なぜお前さんは武器に反対なのだ?」
ショッピングモールで喧嘩した原因も、アヤメが武器を持ちたいと言ったことが発端になったらしい。
「怪我させたくないから」
「それだけか?」
「当たり前でしょ、わたし達は壊れても修理できるけど、アヤメは壊れたら元に戻らないんだよ?」
ふぅむ。こやつなりに心配してのことか。
「それに、アヤメはマキナじゃないから通信もできないし、位置も分からないし、いざっていう時に体も操れないし」
確かに、アマンナとグガランナはお互いに位置を把握し、危険があった時もすぐに共有できる。その利便性を知っているがために、アヤメを手元に置いておきたいのだろう、危険があった場合すぐに対処できるように。
「ん?操るとは何の話だ?」
「グガランナのマテリアルを遠隔操作できるって話、そんなことも知らないの?」
...そんな話は聞いたことがない。いくらマキナ同士とはいえ、遠隔操作できるなど。テンペスト・ガイアにすら無かった機能のはずだ。
「お前さんは、」
「アマンナ、手伝ってちょうだい、思ったよりこの人形、重いのよ」
「おっけー」
「ただいまー、マギールさん鉱石取って…」
儂と、人形を見たアヤメは同時に固まった。
10.c
「出てってくれぇ!もうたくさんだ!これ以上儂の家に近づくなぁ!」
マジギレだわ、仕方がない。アヤメに見られたんだもの。
武器が出来るまでの間、私達は追い出されてしまった。夕方まで外で時間を潰さなければならない。
「どうしよう?」
「あそこはどうかしら?久しぶりにこっちに来たんだもの、ゆっくりしていきたいわ」
「あぁーあそこかぁ、いいかもね」
「どこに行くの?」
「着いたら分かるよ!行こう!」
◇
「嫌」
着いてそうそうアヤメが言った一言。
私達が来たのは、山を一望できる小高い丘から、街から見て右手に行った場所にある温泉街。
昔の人達の観光地として栄えていたであろう、細い川を挟んで旅館やお店が軒を連ねている様は、いつ見ても落ち着く風情ある光景だ。
私とアマンナが中層を探検していた時に使っていた古い旅館に入り、さぁ温泉に入ろうという時に、アヤメが断固拒否してきたのだ。
「無理」
「いや、せっかく来たんだから、」
「いや」
「そりゃ黙ってたのは、悪いと思うよ?アヤメを驚かせようと思って、」
「いーやっ!」
「そんな駄々こねないでさ、ね?」
「いやいやいーやっ!ぜぇーたいっ入らないから私っ!!」
何て光景なの、あのアマンナが諭しているのはまだしも、アヤメがあそこまで我儘を言うなんて。
「うー…体見せるの、嫌とか?」
「…」
無視。え、無視?
「そんな、アヤメの体型は、すごく良いと思うよ?わたしにたまにぐっとくるもん」
下手な口説き文句みたいになってるじゃない...
「アマンナ、これ以上言っても、無理させるのは良くないわ」
「うーでも、せっかく来たんだから一緒に入りたい…けどアヤメが嫌なら仕方ないか」
何て聞き分けのいい、普段なら絶対言うこと聞かないのに。
私達が引き下がろうとした時、アヤメがさらに我儘を言う。
「だめ、二人で入るんでしょ?だめだから」
「…」
「…」
「だめ!私を置いて二人で楽しむなんてだめだから」
.........何だか、だんだん可愛く思えてくるのは何でかしら。こう、もっとこう…
[ねーグガランナー、わたしなんだか…]
「こらっ!今絶対グガランナと通信してるでしょっ?!分かるんだよ?やめて二人だけで話しないで」
「わ、わかったから、もう話しないから、ね?落ちついてアヤメ」
...よくよく考えてみたらこの中で一番年下って、アヤメなのよね。生きた年数で言えば、私とアマンナが長いわけだし。
「よし!じゃあ皆で周りを散歩しようよ!ね?それならいいでしょう?」
「…うん、それなら、いい」
自然に、アマンナの手を取りにいったアヤメ。羨ましい光景だと眺めていたら、
「…グガランナ?」
私の名前を言いながら、手のひらを差し出す。困ったような、泣きそうな顔をしながら差し出された手を取った時、強く握りしめられた。
まるで、何かに怯えるような、真剣な顔をして私とアマンナの手を引くアヤメに、声をかけられずにいた。
◇
「ころす」
「えぇ遠慮はいらないわ、アマンナ、派手にやりましょう」
私達三人は仲良く手を繋ぎ、使われなくなって長い温泉街を散歩していた。細い川には、石で作られた小さめの橋がいくつも架けられており、その手前には休憩用の木製ベンチがある。
牛型のマテリアルの時は座れなかったベンチを三人並んで座った時はとても不思議で、温かい気持ちになった。
座り始めてすぐ、アヤメが断った理由をぽつぽつと語ってくれたのだ。それを聞いた感想が率直に言って、
「ころす」
「えぇアマンナ、塵一つ残さず派手にやりましょう」
「怒ってくれるのは嬉しいけど…そこまでしなくても…」
アヤメが施設に入っていた時の昔話だ。
ナツメ、アオラという二人組によく苛められていたそうだ。
シャワーを浴びていたら服はなくなるわ、ご飯は取られるわ、買ってもらった玩具は壊されるわ、聞いているだけで怒りが湧く。
その時の記憶が蘇り、怖くなったんだそうだ。
「その二人のことは永遠に忘れないとして、その、あのね、言いたくなかったら、いいんだけど…」
「アヤメ、あなたのご両親は?」
こういう嫌な役回りは私でいい。アマンナが申し訳なさそうに私を見る。
「…ううん、いないよ。昔、私が住んでた町で爆発事故が起こって、その時に巻き込まれちゃったから」
施設というのは、身寄りのない子供達の面倒を見てくれる所だろう。そこで、アオラ、同じ部隊の隊長であるナツメと出会ったそうだ。
「それに、私が上に戻りたいのも、その事故で別れてしまった友達がいるからなんだ」
話はアマンナから聞いている。ショッピングモールでマギリという名前を呼びながら、追いかけていた女の子がいたそうだ。
調べてみたらティアマトが作成したデータだった。もちろん、アヤメには伝えてある。けれど、どうしてももう一度行きたいと、答えは変わらなかった。
「もう亡くなっているとは、思う。何度も他の施設も探したし、けど、諦めきれなくて…」
「ティアマトは?今どうしてるの?」
それが繋がらないのだ。何度呼びかけても応答がない。最後の反応も...
「繋がらないわ」
そう端的に返して黙ってしまう。
私は反対だ、上層に戻って確かめに行くことが。もっと有意義に過ごしてほしいと思う、けど言ったところで彼女の救いにも、励みにもならない。だから、私なりに彼女を手助けすると決めた。
「…ごめんね、私のわがままで。でも、ありがとう、二人にしか頼めないことだったから」
アマンナは嬉しそうだ。けど、私はあまり彼女の言葉に喜べないでいた。
「わたし達はそんなことしないよ?」
「え?」
「服取ったりしないし、勝手にいなくなったりしないし、それにね、あったかーいお湯につかるのってすっごくいいんだよ!ね?」
「えぇ、そうね、アヤメもきっと気にいると思うわ」
「牛だったのにぃ?ほんとかなぁ」
「ほんとだって!信じてないでしょ!グガランナなんかお湯につかり過ぎて故障したんだよ?」
「アマンナ余計なこと言わなくていいのよ?」
「うーんそれじゃあ…入ってみようかなぁ、ほんとにいなくなったりしない?」
「あったり前じゃん!!」
◇
これは駄目だ。アヤメには悪いけど今すぐ出たい。出ないと出たら駄目なものが出てしまう。マギールを変態だと馬鹿にしていたが、私も同じ運命を辿ってしまう。
出なければ、けど...あぁ...神よ...この御神体は如何様にて作られしたもうたか...何と神々しく...いや、神様より綺麗なんじゃない?
「うーんっ、はぁ、アマンナ達が進めてくれたのも、何だか分かる気がするよ、いいね」
そう言って大きく伸びをした彼女の御神体は、対物ライフルを持っていたことが信じられないぐらいに細く、そして無駄な脂肪が一切付いていない、理想の体型をしていたいや私の理想という意味なんだけど。
鎖骨から覗くあの窪み、とても良い。しなやかで、脂肪が付いていない何よりの証。
今、まさしく自分にかけたお湯をすくったあの手と腕。腕は長く、艶やかで、手は一つ一つの指に神が宿ってるでしょといわんばかりだ。さっきまであの手を握っていた過去の自分に嫉妬してしまう。
そして...あぁ...あの気高くも愛らしい二つの小さな丘を直視してしまえば、私は正気でいられなくなるだろう...
上半身だけでここまでぐっとくるのよ?抱きしめたい、自分のものにしたいと、いてもたってもいられなくなるのよ?あのお湯の下はどうなっているのよ神秘じゃない、過去の女神も頭を垂れるでしょ絶対に。私も。
濁り湯で良かったと本当に思うと同時に、下半身を隠している濁り湯に嫉妬してしまう。すくって空にしてやろうかしら。
…駄目だやっぱり駄目だ。何でアマンナは平気なのかしら、そもそも脱衣所で彼女の透き通るような肌を見た時がピークだったかもしれない。
もしかして私はヘタれなの?
「洗いっこしよーアヤメー、私が背中洗ったげるねー、一回やってみたかったんだー」
何という勇者。後でアマンナの視覚情報をダウンロードしておかないと。
「グガランナは?一緒に体洗う?」
「え、い、いいわ、もう少し、入っているわ」
「…なんで?私と洗うのいや?」
嘘でしょ...ここでわがままモード...
「いいえ、そんなことはないわ、けど、もう少し浸かっていたいのよ、だから、」
私がマキナとして覚醒してから、おそらく一番困った瞬間。人生で、いや、マキナ生でここまで葛藤したことはない。
見たい、けど、見たくない。神ですらこの葛藤に勝てなかったはずだ。そんな神がいたらいくらでも信者になってやる。
「グガランナ、いいから、きて!」
あ手を、私のうでを、神にあいされた瞬間はなんてあかいのかしら
「ぶはっ」
「うぇえ?!グガランナ?!」
「こらぁ!!お湯の中で鼻血だすなぁ!!」
10.d
「答えて、ティアマト」
「何を?何を答えればいいかしら」
「とぼけるの?いい度胸ね」
「私は、あのグガランナと同じように好きなことをしただけよ」
「あなた、私が誰だか忘れてない?」
「まるで人間みたいな言い方ね、テンペスト・ガイア、あなたも人間に興味があるのかしら?」
「…」
「…」
束の間の沈黙。ここに現れてから一方的に質問されていたので少し清々とした。
「あなた、自分が置かれている状況分かっているの?」
「さぁ」
「私はあなた達を管理するマキナなのよ?」
「あら、脅しかしら、随分と人間臭いやり方ね」
「…」
「テンペスト・ガイア、あなたが怒る理由は分かるわ、けど、私にだけ怒るのはやめてちょうだいな」
「…」
「あら?お得意の黙りかしら、都合の良いマキナねあなた」
「はぁ…もういい、好きにして、あなたのマテリアルポッドは凍結しておく」
「…」
「最後の余生を楽しみなさい、ティマト、あなたの権能はハデスに移しておくわ」
その言葉を最後に通信が切られる。ここ、カーボン・リベラ第三区より、テンペスト・ガイアが去って行く。
...怒らせるんじゃなかったかしら、これからどうしよう...