圧倒的ブラック
その日もまたいつも通り俺は放課後、工場に向かっていた。
だいぶ金も溜まった。
目標金額達成までもう少しといところまでたどり着いた。
これなら家賃と学費を払い、解体スキルを取得するための参考書購入資金に試験受験料も払う余裕がありそうだとほくそ笑む。
万事順調。順風満帆。実にいいことだ。
タイムカードをしたら作業着に着替える。
鏡を見ながら頭髪を帽子にしっかり押し込み、消毒液を念入りに手にしみこませて手袋をして、その手袋にも消毒を行ってマスクをかぶる。
鏡にはいつも通り覇気のない人間が映っていたが、まったくやる気があるんだろうか。
工場のレーンに着くといつもの皆とこの前入った新入りにも挨拶する。
彼の育成もリーダーである俺の仕事だ。
この時期の新人は休まず来ているのならば御の字だ。
失敗すると評価に響くが成功すれば評価が上がる。だから頑張る。
入って間もない頃はおどおどして不安げだった新入りも今は慣れて来たのか目の輝きはいい感じに消え失せ
「チッ‼ この雑なとどめの刺し方同じ冒険者か? 下手糞め‼」
と愚痴をこぼす程度にはモンスターの解体に慣れていた。
うんうん英才教育の賜物だ。
「やほす。慣れてきたね。順調?」
「リーダーですか。はい順調です。ただ下手な傷痕のあるモンスターが運ばれてきてまいってます」
牛や豚の屠殺と違うところがここだ。
だからこそ給料がいいのだが。
「その分買い取るとき値段が下がるけど、冒険者も命がけだから仕方ないよ」
粗悪なのを扱うのも腕次第だ。
夏の猛暑日だとガサツな冒険者はもう暗いしモンスターの死体は明日の朝に持っていこうとかそういうのがいて、冷蔵庫に入れたりもせず腐ってきているのを持ち込むのもある。
この臭いの酷いこと酷いこと。
マスク越しにも匂って鼻が取れそうなぐらいだ。
その分冬は腐りにくいが今度はこっちの手が寒くてかじかんで作業が辛いってのもある。
血抜きしてないのとか、内臓がはみ出て一部無くなったりとかはまだましってもんだ。
ただたまにどれもこれも最小限の傷でまるで作業のように殺されたモンスターが来る。
客のことは詮索しない主義だが凄まじい手練れも一定数居る。
正直有り難いし、美しさすら感じる。
今流れて来ているあちこち傷があるオークは、まあそこまで悪くない方の部類だ。
因みにオークとは豚に似た2足歩行のモンスター。
数も多くて割とポピュラーなモンスターだ。
俺は彼の横についてレクチャーを挟みつつ仕事を行う。
「豚に似たこのオークの足の腱は丈夫な糸に使われるんだ。馬の尻尾と羊の腸がヴァイオリンに使われるみたいにね。ここを……こうやって慎重に取り出すんだ。睾丸は薬になる貴重部位だからよく見て覚えてね」
俺は慣れた手つきで取り出す。
正直この工場では一番上手い自身がある。
他のレーンから教えを請われることがあるくらいだ。
流れるような包丁さばきで切っては滑らかな動きで剥ぎ取る。
取り出した部位は丁寧に切り分けて整理していく。
うん、今日も好調だ。
腕が冴えわたっている。
ちゃんと鍛錬を怠らなければ今は四苦八苦している新人の彼もきっといつか俺と同じ高みに上ってこれるだろう。
その時はどっちが上手いか勝負してやってもいいかな。
将来が楽しみだ。
こんな手元を見なくてもこなせる俺レベルになるのは才能が無いと難しいだろうが。
そしてフフフと俺が不敵に笑っていると彼は作業を続けながらもふと何でもないと言った感じで、しかし見過ごせない一言を放った。
だるいとか上司の愚痴ならともなく実に面倒なことをだ。
「そう言えば倉庫整理の……これをすると時間短縮できそうじゃないですか?」
……はあ。
新入りがやっと戦力になったと思ったがまだ甘かったみたいだ。
こんなことを言うなんて。
これは俺の教育失敗かな。
出来れば自分で気づいてほしい。
だが後戻りできなくなる前に釘を刺すべきだろう。
彼は良かれと思って向上意欲で発言したのだろうけど、まだわかっていない。
「確かにそうだけど、だからどうしたの?」
「どうしたのって、そりゃあ効率が上がるじゃないですか」
「効率が上がってそしたらどうなるの?」
「いやそしたら他の仕事も回してもらえるじゃないですか」
すると俺と彼の話を聞いていたのだろう。
周りで解体をしていたベテラン解体者から同じようにため息が漏れだした。
その周囲のリアクションを見て彼は驚いたように周りを見渡す。
周りが全員反対意見だと察したのだ。
彼は訴えるように弁解の口を開く。
「いやだってそうじゃないですか。効率上がるじゃないですか」
「でもねうちは定時まで仕事するのが決まりなの。そして仕事量が増えても賃金は上がらないよ。増えるのは仕事量だけなんだ」
残業もしょっちゅうある。
工場長が旅行用キャリーバッグを引きながらいきなり使用変更して本人は休暇に出ていったときは本気で殺してやるとなったときもしばしある。
だからここでの仕事の上手さは解体だけじゃない。
ちゃんと適度に程よく周囲を見て時間の調整をして定刻に帰宅できるようにするのも仕事の上手さだ。
場合によってはわざと効率悪くして忙しいアピールをするのも手だろう。
彼はあっと察するような顔をした。
「どうにか賃金上げてもらうとかは?」
「何年いると思っているんだ。君が思いつくようなことなんて……やったさ。一番効率がいいのがこの形なんだ」
俺は肉切り包丁をダン‼ と叩き付けて一息つく。
「効率よくやって時間短縮なんてしてみろ。空いた時間は上からサボりと見なされる。給料が増えないのに仕事を追加されたら自分だけじゃなくて同じレーンの全員に迷惑がかかる。そして他のレーンにも同じように仕事量増やせないか試してくる。それが実行可能だとしたら、新入りが簡単に思いつくのに古参連中は何で思いつかなかったかと先人の顔を潰すことになる。本当なら給料が増えるかその分早く帰らせてくれればいいんだが、ただそうすると新入りより熟練者、年寄りより力があって素早く動ける若者が優遇される。その後の展開は読めたかい? 大事なことはいかにうまくサボるかだよ」
すると何とも悲しい嬉しくもない拍手を周囲の人間が俺に送った。
どうせ言わなくても上の連中に目をつけられたら、上からの命令に対して変革をもたらして思考停止で命令を聞けばいいという奴隷体制を崩したとか難癖をつけられて辞めさせられるのだ。
それが無くても辛いこの仕事。
周りの人間から嫌われたら余計やっていけない。
だからこそこの仕事は余計やめる人が多いのだが。
他の仕事でもそうだろう。
日本なんてこんなものだ。
だから俺の目指している解体スキルレベル2で正社員になれさえすれば専門外注など、やればやるほど金が入るし効率を上げれば早く退社できるようになるのだ。
アルバイトどもや部下のケツを蹴飛ばすのもしてやるし、上に昇格して権力を握ったらバイト共に俺の時はもっとつらかったぞとイビリ倒して仕事を増やしてやる。
直前に仕様変更してやったり現場にばれないようにこっそりホワイトボードに付け加えてやる。
……嘘、冗談だ。
そんなこと勿論しないさ。……たぶん。きっと。そうだったらいいね。
とりあえず今現在取れる最善の手は上手くサボって仕事をするフリをすること。
そして上司にお歳暮等を送る盤外戦術による査定及び評価の向上を狙う。
これがここ、いや現代日本で上手くやっていく賢い方法だ。
そして俺はその流れをうまくくみ取って利用できる頭がある。
勉強はできないが学業の成績が何も頭の良さをしめしているわけではないのだ‼
俺は高笑いしそうだった。
絶対に正社員になってやる‼ そして安定した収入を得て高望みしない身の丈に合った中級階級らしい平凡な暮らしを手に入れるのだ。
ハハハハ‼ フハハハハハ‼
アーハッハッハッハッ‼
「―――――――君たちはクビだ」
そして数時間後、突如工場長に集められたアルバイト員たちは前代未聞の宣告をされるのだった。
……クビ? 何それ日本語に似ている。
リストラ。肩を叩かれた。他にも似たような言葉がある。
意味は俺達は仕事を辞めさせられるということだった。
その意味は分かった。
意味は分かったが脳が理解することを拒んだ。
いきなりどうして?
何で俺がこんな目に。
こんなことがあってたまるか。
俺何か悪い事した?
確かに職場のトイレットペーパー盗んだことはあったが他の奴だってしているし。
どうやら俺だけじゃなく全員クビみたいだ。
「は?」「どういうこと?」「何で?」
口々に不満の声を漏らした。
俺に至っては呪詛を吐くレベル。
こいつ闇討ちでもしたろうかな。
疑問は伝播してアルバイト皆が納得いかない顔だ。
勿論一番納得いかないのはこの中で最も情熱溢れる正義漢である俺だ。
こんな横暴ゆるされるはずがない。
例え優しくも紳士で慈愛に満ちた俺が許しても神がそんな蛮行許すはずがない。
そんなヒートアップする俺たちに工場長は未慈悲に口を開いた。
「解体用にロボットを導入することになった。君たちは不要だ。出口は段差があるから気を付けるように」
AIに仕事を奪われる。
この時代錯誤な前時代制度を取り入れているこの工場にそんな頭があったとは。
いやなとこだけ現代的とか。
怒りが収まらねえ。
最後に殴るか暴動でも起こしてやろうかとキレそうになったが、見ると工場前には用意周到にパトカーが止まっていた。
これもアメリカ式かよと唾を吐き出した。
その日、俺はあっさりとアルバイトをクビになった。
いつまでも続くと思われた日常が音を、正確には機械音をたてて壊れた。
こんな割のいい仕事を失うなんて。
他の仕事ならまず間違いなく同じ金額を稼ぐならもっと時間がかかる。
将来設計も何もかも狂ってしまった。
「俺の正社員が……夢のマイホーム……」
俺は絶体絶命のピンチに陥り、アルバイトの転職活動を余儀なくされた。
だが俺の悪いニュースともっと悪いニュースはこれだけではなかった。
「―――――――癌だ」
他のアルバイトを探す際、簡易的な健康診断をするようなっていたのだが俺はそれで病院で医者からそう宣告された。
ショックガーンである。
「君何か仕事してる?」
「えっと辞めましたけど解体工場でアルバイトを。たまに運ばれてきた金属の抽出とか溶接も少し」
「それだねえ。しかもこれ魔物とかダンジョン素材由来の汚染による癌だから治療薬じゃなくて専門のポーションが必要だね」
「ポーション?」
「普通の薬じゃなくて魔物とかダンジョンとかの材料で作った専用の薬だね。因みに」
そう言って先生が紙をめくってポーションの絵を見せてくれた。
赤黒い液体が詰められている怪しくも魅了されるガラス瓶だ。
ファンタジーだ。
値段を見た。
0がいっぱいの8桁円だった。
うーん値段もファンタジーだ。
「一般人のしかも学生にはなかなか手が出ないよね。とりあえず値段表と……あった、これで一攫千金、一山当てることもあるらしいからあげるよ」
医者の先生はにこりと笑って値段の目安であるそのポーションの紙ともう一枚広告の紙を渡してきた。
広告には目指せ冒険者と書かれていた。
金曜午後あるある ホワイトボードにいつの間にかある仕様変更 期限月曜日までいいから
アメリカではクビを告げる際に暴れられることもあって 抑止に警察を呼ぶケースもあるらしい