美女の空気
この度、一つのテーマが大変重要なものとして浮かび上がっている。
以下は脳内での思考を記したものであり、歴史的な記録になるのかもしれない。
いずれにしても難しい話ではないので少し楽しんでいただきたい。
それは昨日のことであった。
いつも使っている駅を改札に向かって歩いていると、前から美女が歩いてきた。人の混雑の中を歩いていても一瞬で美しいとわかるほどのオーラの持ち主である。そんな女性が仕事で疲れた私の真横をすれ違っていった。軽くなびく髪に思わず見とれてしまった次の瞬間、果実のような甘い香りが私をうっとりさせた。仕事終わりで疲れの残っていた時の一瞬の出来事。そのおかげで体力が一気に回復した感じもした。それと同時にほんの少しの性的な興奮も生じていた。
改札を抜けてホームについたときに電車もちょうど到着しており、列に続いて乗車する。
この時にはもう、頭の中が美女のことしか考えられない状況までになっていた。
つり革をつかみ、電車は次の駅に向かって発車する。この時、駅ですれ違った女性のことばかり考えていた。ほんとうにいい香りだった。仮にあのいい香りをまとって先ほどの美女が言い寄ってきたら、一人の男として我慢できるはずがない。それくらい嗅覚に甘い刺激が伝わるものだった。欲深い私はまたうっとりとしたあの心地よさを感じたいと思ってしまった。またもう一度同じようなチャンスがあれば美女の香りをたんまりと堪能したい。そのチャンスを逃すわけにはいかない。そこで、本気でその時のためのプランを練ることにした。
まずは如何にして効率よく美女の香りを吸い込むかである。人の流れの中、ピンポイントで一人の美女の香りを我が物にしなければならない。ここで、私はいくつかのポイントに分けて考えるべきだと考えたのであった。電車に揺られながら頭をフル回転させる。すると3つのポイントが頭に浮かんだ。
「美女の選定」
「位置取り」
「タイミング」
この3つである。
「美女の選定」については言わずもがなである。いい香りを楽しもうとして吸った空気がタンスの匂いがするお婆さんであった、なんてことになってしまったらどれほど落胆するだろうか。ある種、実家の懐かしさを感じさせるのかもしれないが、そんなものは今は必要ないのだ。どの距離間までに美女であると認識ができればいいのか。反対から歩み寄るその女性が美女であると認識でき、なおかついい香りを楽しむ準備ができる絶妙な距離。仕事以上の熱意をもって必死に計算する。頭がパンクしそうなくらい真剣な顔でシチュエーションをイメージし、脳内で試行を繰り返していく。そしてついに答えが浮かび上がった。6メートルである。自分から6メートル先の人を美女か選定する。それがこの作戦にとって最も適した絶妙な距離であるに違いないという結論に至った。
そして次に考えなければならないのが「位置取り」である。先ほどの美女は駅の改札から歩いてきており、私は改札に向かって歩いていたのだ。駅構内でよくあることだが、大体はその2つの流れが互い違いに進む。ある人は前の人を立てのようにして楽に歩き、またある人は流れの中を縫うようにして歩く。様々な戦術がある中、人ごみの中でどのように位置取りをすればすれ違いざまに美女の香りを楽しめるのか。これには1つの答えがすぐに浮かんできた。行き違う2つの流れのギリギリを歩くのだ。人の流れの真ん中を前に続くように歩くのではなく、すぐ真横に反対方向の人の流れを見るように歩くのである。この方法には向かい側から来た人とぶつかるリスクもあるがそんなものは気にしない。美女の香りを楽しめるのなら、私にとってそのようなリスクはないに等しい。
次第にヒートアップしていく脳内にストップをかける者はいない。電車の中で誰よりも真面目な顔をしながら考え続ける。この脳内作戦会議は完璧な戦略を仕上げるまで終わらないのだ。
脳が絶好調を迎えている今、ぜひこのタイミングで考えておきたいのが3つ目の「タイミング」である。正確に言うと「美女がまとっている甘美な香りをいつ自分が吸い込むのか」だ。誰もが一度は感じたことがあるだろうか。女性の香りというものはワンテンポ遅れてくることが多い。そういえば、すれ違った女性からいい香りを感じたと思って振り返ってみても、その女性の顔を拝むには遅すぎたという経験が私にはあった。人間が歩いているとき、その人の後ろの方にまとっている空気が流れる。これはとても単純かつあたりまえのことだった。だが、今の私にとってはこれさえも世紀の大発見である。向かいから歩いてくるその整った女性の顔を真横に見るタイミングで、鼻から大きく空気を吸う。するとどうだろう。頭の中でシミュレーションをしてみる。シミュレーションが終わったと同時にこのタイミングで作戦が大成功を収めることを悟った。これで日本にいる、世界にいる美しい女性たちの甘い香りはすべて私のものになったも同然だ。
真剣だった私の顔はいつの間にか緩んでしまっていた。
作戦が完成したところで、電車はすでに残り一駅。
次の駅で降りるまでに一通り振り返りをしておく。普段の仕事では見せない用意周到さである。
まずはすれ違う人を見極められる位置を確保しておく。
そして自分の半径6メートル以内に入ってくる人を女性であるか、若い女性であるか、若くてきれいな女性であるかを次々と審査していく。
最後に、その美しい顔を横目に見ながら、鼻から大きく息を吸い、甘い香りを楽しむ。
この10分程度で立てられた作戦によって私は今までの面白みのない人生とはおさらばし、大きな刺激を得られるようになる。
目的の駅までついたようだ。
ここで一つ深呼吸をして気合を入れる。
左右に開いた扉を誰よりも堂々と過ぎ、、なおかつ仕事終わりとは思えないやる気に満ちた表情で歩いてゆく。
さて、この作戦が成功すれば毎日の通勤がワクワクである。失敗してもいかんせんこの変態脳である。無駄な熱意をもって作戦の改善をいつまでも続けていくだろう。
このサラリーマンが持つ変態脳。
それを究極の思考力とするのか、それともただの無駄な思考力とするのか。
このことはおそらく、この変態サラリーマンだけが決めていいことなのであろう。