予知?
俺は美桜の母親が玄関の外で花壇に水をあげているのを見て、ひと声かけてから美桜の手を引いて玄関に上がっていった。一刻も早く外から逃げたかった。
「ちょっと!紅月、どうしたの!?って、部屋!開けないでよ!」
美桜がそう叫んでいたが、俺は美桜の部屋を開けて中に足を踏み入れる。
「あー……」
「服、選んでたんだな」
「そりゃデートなんだから服くらい選ぶわよ……。それに今日は紅月があんな早く来るから」
「もしかして下着も勝負下着だったりするのか?」
無言で頭を叩かれた。この会話、昔もしたような気がする。
「なんにしても、ちょっと片付けるから部屋の外で待ってて」
なんで。俺はなんでこんなにも美桜と一緒にいたくなったのか。外に行きたくなかったのか。分からないけど、部屋に居れば安心。そう思った。
「おまたせ」
「ああ、すまない」
部屋に入るとさっきまでの散らかり具合が嘘のように片付いていて、見覚えのある美桜の部屋になっていた。
「俺は……この部屋を覚えている……。ここに……」
「あー!なんでそこなの!?なんでそんなの覚えてるの!?」
引き出しの一番下。下着が入っているところ。他にも美桜がどんな漫画を持っているとか色々と思い出した。
「で?なんなの?ほんとに。なんで今日は外に行っちゃいけないの?」
「わからん。そう思ったんだ。昨日の夜に。今日、9月15日の日曜日は出掛けちゃいけないんだ、そう思ったんだよ。ちなみに美桜、記憶が戻りそうな所に連れて行ってくれって言ったら、どこに行こうと思っていた?」
「デパート。池袋南部デパート。今日の服、そこで一緒に買ったから」
「そうか」
今日の服は白いレースのシャツに紺色のジャンパースカート。秋と夏を織り交ぜたスタイルだ。折角お洒落したのに申し訳ないが、今日だけはだめなんだ。
そうだ。レストランだ。美桜はパスタを食べていて……。食べていて?何のことだ?火?次々に分けのわからない光景が頭に浮かぶ。
「美桜、ニュースを見に行こう。それで理由がわかるかも知れない」
困惑する美桜を連れてリビングに下りてテレビをつける。美桜の両親が何事かという顔をしていたが、そんなものに構っている場合じゃなかった。
「なに……これ……」
ブラウン管には、今日、美桜が行こうと言っていた南部デパートが中継で映し出されていた。もくもくとドス黒い煙を吐いている。火災だ。繁華街の大きなデパートの火災ということもあって、野次馬とマスコミが騒いでいる。
「そうだ。思い出した。あの時、俺達はあそこにい……て……?」
どういうことだ?あそこにいて?今の俺はここに居る。なんであそこに俺が?この記憶は何だ?真っ白な煙の中をハンカチで口を覆って逃げる俺と美桜。意識を失いそうになっている美桜を担いで非常階段を降りる光景。地上に到着した頃には意識を失って救急搬送される美桜。それに付きそう俺。頭がどうにかなりそうだ。
「美桜。今日はあそこに行こうと思っていたんだよな?このくらいの時間にお昼と食べようと思っていたんだよな?間違いないか?」
「うん……。もし行ってたら、これに巻き込まれてたと思う」
その言葉を聞いて背筋が凍った。俺には未来が見えた?だから今日は出掛けないようにした?わからないが助かったのは事実だ。嫌な予感は的中した。
俺の記憶。これじゃまるで未来予知だ。勉強にしてもそうだ。まだ習っていないはずの問題が簡単に解けた。俺は未来からやってきたとでも言うのか?
でもこの火事のこと以外は、なにも思いつくことはない。病院に行って話をしたけども、未来予知は科学的にあり得ないから、虫の知らせ、みたいなものだろう、という非科学的な見解となってしまった。
「という訳なんだよ」
日曜日の出来事を学校で夏海達にも話すと、信じられないけど、本当のことならすごい、みたいな反応だった。それは自分でもそう思っているけどな。
「なんにしても、火事に巻き込まれなくて良かったですね」
「まぁな。でもこの他に未来予知的なものはなにも感じないんだ。さっきの小テストも不意打ちだったし」
もしかしたら、人生に関わるような大きな事だけ分かる、というようなものかも知れない。でも今のところの情報だと断定はできない。でもかなりのことを思い出してきた。と言っても特別なことではなく、自分が何者であるか、程度で、昔のことを全て思い出したわけではない。あくまで断片的な記憶だけを取り戻している状態だ。
「紅月、今日はベイサイドでバイトだっけ?」
「そうだな。こんな雨降りだからお客さんも少なそうで楽だと思うよ」
案の定、ベイサイドはお客さんの入りも少なく、奏ちゃんと暇を持て余していた。
「てんちょー。雨の日サービスとかやらないと秋の長雨で潰れちゃうよー。バイト先、なくなると困るんですけどぉ」
「んー……奏ちゃんのスカートがもう少し短くなったらお客さん、入るだろうなぁ」
「店長、それ、セクハラですよ」
なんて話をしていたら、お客さんが入ってきたベルが聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?それではお好きな席へどうぞ」
入ってきたお客さんはカウンター席に座って本を取り出して机の上に置いてから注文を小さな声で対面に居た俺に入れてきた。
「サンドイッチとオレンジジュースですね。ご注文、ありがとうございます。少々おまちください」
やっぱり、慣れている。ベイサイドの作業は身体が覚えているかのような感覚で作業ができる。それを奏ちゃんは眺めながら何気なくこう言ってきた。
「先輩、本当は別人、とかじゃないですよね?中身は別の人とか」
「ここでバイトしていたのは誰なんだよ。ほかに誰か居たのか?」
「居ませんでしたけど」
「よけいなこと言ってないでほら、これ、お客さんに持って行って」
完成したサンドイッチをお皿に盛りつけて奏ちゃんに手渡す。
俺が別人、か。それは考えたことが無かったな。依然、俺の周りが別人なんじゃないかって思った事はあったけども。自分が別人だとしたら、この状況はどう言うことになるんだ?
誰かと入れ替わってて、周りの人はそれに気が付いていないとか?そんなわけあるか。
そんなことを考えていたら、さっきのお客さんがレジに向かってきたので、対応に回った。
「サンドイッチセットで650円になります」
お客さんはレジの横に置かれたカルトンに丁度650円を差し出しながらこう言ってきた。
「カラシ、ちゃんと抜いてくれたんですね。ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして?あ、ありがとうございました~」
カルトンから小銭をレジに入れていたら奏ちゃんから冷やかされた。
「なになに?さっきのお客さん、知り合いなの?カラシ抜いてあげたとか。確かにチョイチョイ来るお客さんだけどもさ。可愛いよねー。ショートヘアなのに女の子って感じで」
カラシを抜いたのは無意識だった。でもチョイチョイ来るお客さんなら、今までもそういう注文を受けていたから覚えていた、と考えれるのが妥当だろう。
彼女は翌日もやってきた。そして一つの質問をしてきた。
「あの。お名前、教えてくれませんか?」
「え?ああ、九条紅月といいます」
「ありがとうございます」
「えっと?それだけ、かな?」
「はい。それだけです。ありがとうございました」
そういって彼女は持ってきた本に目線を落として読み始めてしまった。
「何を話していたの?」
「名前を聞かれた。んで、答えた」
「なに?逆ナンパされたの?先輩モテるぅ」
「いやいや。なんか名前を聞かれただけで、それだけ、って言われた」
「なんですかそれ」
そんなの俺の方が知りたい。っと、追加注文かな。例の女の子からコーヒーのお代わりを言われたのでポットを持って行ってカップに注ぎ足す。
「私は、吉谷玲香と言います。聞いたことありますか?私の名前」
吉谷玲香、吉谷玲香……。記憶を手繰っても思い出せない。消えている記憶の中の人物なのだろうか。
「すみません。吉谷さんのことは記憶にないというか覚えていないというか。俺、夏休み前の記憶がないんですよ」
「あ、そうなんですか。すみません、変なことをお聞きして」
「いいですよ。それではごゆっくり」
難しい顔をしてコーヒーポットを戻していたら奏ちゃんから何を話していたのか聞かれた。
「名前、教えてくれって言われた」
「ガチの逆ナンパじゃないですか。先輩、彼女さん、いましたよね?どうするんですか?ってか、なんてお名前だったんですか?」
「吉谷玲香、だって。あと、別に告白されたわけじゃないからな」
「ハッキリしておかないとどうなっても知りませんよぉ」
分かってるさ。過去の記憶がないんだ。もしかしたら、さっきの彼女、吉谷玲香という人と俺は何らかの関わりがあったのかも知れない。一応、美桜にも聞き覚えのある名前なのか確認しておいた方が良さそうだ。
「吉谷玲香?ベイサイドによく来るお客さんで?うーん……。私は聞いたことないかな。紅月も見覚えないんでしょ?」
「ああ。無くした記憶に関係あるのかも知れないけど、名前を聞かれて答えて、名前を教えただけだから、以前から気になっていた、とかそういうのじゃないか。万が一になったら彼女が居るから、ってちゃんと言うよ」
「当然でしょ」
翌日に一応、一樹と夏海にも吉谷玲香という名前について聞いてみたけども、二人とも知らないという事だった。みんな知らない。ってことは俺の過去の記憶に関係する人でもなさそうだ。
と思った5日後だった。
「九条先輩、ここ、良いですか?」