イレギュラーの世界
「美桜ちゃんには気が付かれちゃったかな?」
私は自宅に戻ってお風呂の中でそうつぶやいた。この先の未来。そう。私は全部知っている。でもそれは私と一樹の未来。この記憶の世界の誰とでもない未来。だから知っていてもきっとなんの役にも立たない。だから店長さんも何も言わないんだと思う。湯船に顔を鼻の下まで沈めて考える。この後、どうすればいいのか。誰かの青春が終わるか、誰かが現実世界に戻りたいと思うまではこの記憶の世界は続く。私は絶対に現実世界には戻りたくないし。一番駄目なパターンは九条くんに振られて、私の青春はここで終わり、って思っちゃうことかな。そうなったら折角一緒になった二人が何も出来ないままこの世界が終わっちゃう。逆に如月さんが振られた場合も同じだ。彼女はそこまで落ち込むのだろうか。
「このまま、二人共選ばれなければ、そんなことも考えなくて良いのかも知れないなぁ……。九条先輩、結構察しがいいから、そのことにも気が付いているかも知れないなぁ」
「店長、玲香ちゃんの件、どうするんですか?彼女、そろそろ……」
「そうだね。でもこの世界はイレギュラーな世界になっているしね。その通りになるかどうかは僕にも分からないよ。それを観察するのも僕たちの仕事だからね」
閉店後のベイサイドで店長おと話す奏。僕は着替えに行っていたから、聞かれていないと思っていたのか。玲香ちゃんになにか起きるのだろうか。聞いても教えてくれそうにないから、自分でちょっと気にしておこうと思う。それに、俺はそんなことよりも決めなくてはいけないことがある。
「で。どっちにするのか決めたの?」
「そうですよ。青春、以外と時間がないものですよ」
決めかねないで数日が経過してしまい、玲香ちゃんと美桜に詰め寄られている状況。正直、気持ちが固まりきっていないけど、この世界の自分の気持ちに正直になるのなら、美桜、なんだと思う。玲香ちゃんはどことなく美桜の面影が……って、当たり前か。美桜の記憶のオリジナルなんだから。
「えーっと。正直、玲香ちゃんには悪いんだけどさ……」
「そうですか。残念です。でも。クリスマス位は一緒に居させて貰いたいです。イヴは如月先輩に譲りますけど。クリスマスだけは絶対に譲りません」
「って、言ってるけど、美桜はどうなんだ?」
「どうって、なんで紅月が決めないのよ。でも、そうね……。最後の思い出ってやつ?いいわよ。別に。でも。私も一緒に行くから。あと!これで私の青春はお終い、なんて絶対に考えないでよ!この世界が終わっちゃうんだからね!」
「じゃあ、あれですね。紅月先輩が私のことを完全に見失うんじゃなくて、たまーに……」
玲香ちゃんに横目で見られながらそんなことを言われて、おそるおそる美桜を見たら、案の定の表情。
「大丈夫だから」
「本当にぃ?」
本当はもっと修羅場というか、険悪なムードになるかと思っていたのだけれど。以外とすんなりした感じで。正直なところ、玲香ちゃんがなんであんなにすんなり身を引いたのかきになるところではあったけど、美桜の安心した顔を見て、この選択で良かったのかな、と思った。この時は。
「で?なに?一樹と夏海は結局のところ、うまく行ったの?」
「おかげさまで。もう色々と。一樹、私の家にも来たし」
「なんだ?一樹は大人の階段を登ったのか?」
「うーん……現実世界の僕は何歳なのか分からないけど、この世界では?」
「ちょっ!」
夏海が止めに入ったけども、もう聞こえてしまったし。そんな俺たちをカウンター席に足を組んでテーブルに肘をついてこっちを見ている奏が「はいはい、おめでとうございますぅ!」とか夏海に嫌みったらしく言ってきたし。
「奏さん、羨ましいのなら、貴女も良いのですよ?」
「誰と?もう余ってるのは玲香ちゃんだけじゃない。それともなに?店長はそういうのが好きなの?」
「嫌いじゃないですが……。それこそ、禁断の、ですね」
「あーあ。なんかつまんない。店長ぉ。誰かいい人、紹介してくださいよぉ」
「そういうのは自分でつかみ取るものですよ。青春、し直しますか?」
「私も?いやー……流石にこんなの見てたらそういうのはちょっと……。それに、私は学生時代はモテモテだったんですからね。やり直す必要なんてないの!」
「そうですか。それでは向こうでも安心ですね」
「このクソジジイ!」
いつものベイサイド。いつものメンバー。仲間と騒ぐこの感覚。自分が求めていた世界のような感覚。美桜もそうなんだろうか。同じようなところを見ている気がする。
「ねぇ、紅月」
「なんだ?」
「あの告白のことを知らない状態だったらどっちを選んでた?」
「なんだ?つまり、玲香ちゃんからも美桜からも例のの告白イベントの内容を聞かなかったとしたら、てことか?」
「そう」
「そうだなぁ。それも美桜を好きになっていた気がするよ。あんなに派手な告白はしなかったと思うけど。あとさ。夏休みのすっぽかしの件なんだけどさ」
「そんなこともあったわね。思い出したの?」
「いや。多分だけどさ、本当に何もなかったんだと思う。あのタイミングが記憶の接続タイミングだったんだと思う。俺の担当は奏だっただろ?下手くそだったんだと思うぞ。本当はなにか青春イベントがあったんだよきっと」
「そっかぁ。なんかちょっと損をした気分。その代わり、クリスマスは期待してるからね。その分の埋め合わせ」
「そうだな。それじゃ俺の部屋にくるか?」
「何その顔。いやらしい」
「冗談だって。あ、でも冗談じゃなくてもいいぞ」
「ば!バッカじゃないの!!」