学校
「これは……、 通学バッグだな。こっちは……制服だな。っと、生徒手帳はどこだ?学校の名前とか住所は分かるだろ」
『都立六原高校』
生徒手帳にはそう書かれていて、住所を調べるために……。
「ん?俺は今、何を探していた?」
手に収まるなにかを握るような仕草をして何かを探している。俺の手の中に本来あるものはなんだ?分からない。仕方がないので、本棚を探すと地図があった。
「紙の地図を見るなんてなん年ぶり……」
なん年ぶり?なんでそんな言葉が?紙以外の地図があるっていうのか?さっきから不思議な違和感ばかりだ。
「っと、六原高校は……どうやって探すんだ?」
なんとか住所から見つけて自分の通っている『らしい』高校に向けて歩を進める。その最中に見る景色。見覚えは……なんとなくある。母さんの顔とかはなんの疑問も持たずに認識できた。部屋は違和感があった。まるで自分の部屋じゃないような。地図を片手に歩いていたら、同じ制服を着た一団を発見したので、それに付き従う。そのまま行けば目的地に行けるだろ。サボり組でなけりゃ。
「さて」
困った。生徒手帳を見て、自分が高校2年生であることは分かった。が、なん組なのか分からない。
「あれ?九条くん?どうしたの?」
誰だか分からないが、向こうは俺のことを知っているらしい。
「あ、いや。なんかぼーっとしちゃってさ。自分の下駄箱、どこかなって」
誰だか分からないが「こっち」と案内されて丁寧に自分の上履きの場所を教えてくれた。名も無き誰かよ、ありがとう。
「あ。しまったな。なん組なのかは分かったけども。机の場所が分からないぞ」
まぁ、行くしかない。さっきのやつみたいなのも居たんだ。教室に行けば誰か声をかけてくれるだろう。
「あ!美桜、九条くん来たよ!」
「みたいね」
「あの、さ。如月さん、まだ九条くんと喧嘩、してるの?」
あそこにいるのは瀬見原夏海だ。そしてその隣に座っているのはさっきの名も無き誰かだ。
「九条くん?どうしたの?」
「ああ、なんか頭が痛くてさ。記憶が吹き飛んだというかなんというか。いやさ、自分の席すら忘れちゃってさ」
「あんたね。そこ!自分の席の横に立ってそんなこと言ってるの?バカにしてるの?」
如月美桜に睨まれながら自分の席にカバンを掛ける。それにしても俺はなんで如月美桜の機嫌を損ねているんだ。それに。なんで昨日までの記憶が小学生なんだ。訳が分からない。その間の記憶は、どこに消えたんだ。
「おはよう、って、さっき下駄箱で会ったよね」
「そうだな。スマンが名前を教えてくれ。どういうわけか記憶がない」
「はぁ!?それじゃ夏休み、私になにをしたのかも忘れたの!?」
「えっと……」
夏休み?俺はなにを?小学生からいきなり高校生になったと思ったら、今度はいきなりこれだ。
「その……。すまなかった」
面倒なことに巻き込まれるのは勘弁だ。こういう時はさっさと謝るに限る。
「なんで最初から謝らないのよ。わけわかんない」
「美桜、また九条くんと喧嘩してるの?あなたたちいっつも喧嘩してるのになんで別れないの?」
後ろの席に座ったのは瀬見原夏海だ。別れる?俺は如月美桜と付き合っているのか?どういうことだ?それに、俺の記憶は昨日の小学校のままなんだが。如月美桜は薄い栗色の髪の毛に例の髪飾りを着けているし。ピンク色をした桜の花びらがあしらわれた髪飾り。目の前にいる如月美桜は記憶の中の如月美桜に間違いない。
「九条くん。僕の名前は横原一樹。本当に記憶、ないの?」
無い。本当に無い。横原一樹。その名前に思い当たるフシはない。
「スマン。やっぱり覚えていない。本当に記憶が飛んでるみたいだ」
「そうなんだ。僕は昨日、九条くんに声をかけられて。いつも一人は楽しくないだろ?って」
「横原一樹……よく分からないけど、よろしく頼む。あと、ちょっと後で時間をくれ」
目の前の3人の中で一番冷静に話ができそうだ。窓の外の景色。夏の終わりを感じさせる風。なにか思い出すきっかけはないか探しているが、一向にそのきっかけになるようなものはない。
「いいけど……本当に記憶が無いの?」
「紅月、大丈夫?なんか変だよ?」
如月美桜が俺の顔を覗き込んできた。昨日も同じことをされた気がする。しかし、本当になんなんだ。
そんな不思議な空間でも時間は流れる。授業が始まる。記憶のない俺に授業の内容なんて分かるのか。上の空で授業を聞き流して周りの連中を見回して見ていたけどもやはり記憶にない。ホント、朝から「記憶にない」しか考えていないな。いい加減飽きてきたぞ。
予鈴。そして昼休み。斜め後ろに座っている横原一樹から声をかけられた。
「九条くん、朝の話なんだけど……」
「それもあるんだが、俺は何者なんだ?」
「えっと。九条くんは、名前は九条紅月。口紅の紅、お月さまの月で紅月。昨日、僕に声をかけてくれてからの付き合いというか。それくらいしか僕には分からないかな。あ、そうだ。如月美桜さんとは付き合ってるはずだから、如月さんに聞けば色々と思い出すんじゃないかな。でも記憶がないってどこから記憶がないの?」
「なんだかさ、小学生時代から昨日までの記憶。さっき如月に謝ったのも、なにをしたのかも覚えていないんだ」
「なんか信じれないけど、嘘は……ついているようには見えないね」
「そうか。信用してくれて助かる」
やはり横原一樹、こいつが一番話しが分かりそうだ。というより信用してくれた。小学校から昨日までの記憶がないとか、普通で考えたら鼻で笑われておしまいだと思っていた。
「病院、行きますか?」
放課後に如月美桜と瀬見原夏海にも、記憶がないことを話して、如月美桜には夏休みになにがあったのか記憶がないのに、ただ謝ったことを謝罪した。
家に帰ってから、母さんにも話して病院に行って一通りの検査をしてみたけども、特段の異常は見つからず終いで。ロビーには横原一樹、如月美桜、瀬見原夏海の三人が待っていてくれた。
「紅月、どうだったの?」
最初に声をかけてきたのは如月美桜。一応、俺の彼女らしいから当然の反応なのか。次に聞いてきたのは横原一樹。病院に行こうと言い始めたのは自分だから、ということだろうか。瀬見原夏海はそんな俺達のやり取りを見守っていた。大学病院のロビーは人の多さに対して音量が少ない。俺たちの会話が目立つ程だった。
「外科的にはなんの問題もないそうだ。なので精神的に、ってことらしい」
「本当になにも覚えていないの?」
「小学校の頃に如月が落とした髪飾りを踏みそうになった女の子を突き飛ばして泣かせたのは覚えてる」
そうだ。この記憶しかない。
「そんな何年前のことだけ?そんなの今の今まで私が忘れてた。でもその記憶はあるんだ」
「むしろ、その記憶しかない」
俺の返事とは裏腹に如月は安堵のため息をついていた。きっと自分のことを微塵も覚えていない、というわけではないと知ったからだろう。家に帰ってから母さんに小学校から今までの記憶というか、俺の人生についておおよそ聞いたけど、なに一つとして自分の記憶には無いものだった。
「紅月、おはよ。なんか心配だから迎えに来た」
「如月、わるいな」
「ねぇ、その如月ってのやめてくれると助かるかな。私のことはずっと美桜って呼んでいてくれたから。小学校の頃から」
「そうなのか。なんか悪いな美桜」
「うん大丈夫。あと。紅月、夏休みに私になにをしたのか本当に覚えてないの?」
「悪い。覚えてない」
「そうなんだ……。まぁいいや。謝ってくれたし。じゃあ、教えてあげるね。紅月、私との約束すっぽかしたのよ?私、ずっと待っていたんだから。それから口も聞いていなかったから紅月が私との約束をすっぽかしてなにをしていたのかも聞けてないんだけど、その様子じゃ、それも忘れてるんでしょ」
「すまん」
「まぁ、いいわよ。どうせろくでもない理由なんだろうから。紅月、浮気なんてする勇気無いでしょ」
「そうなのか?」
「あれっだけ散々、私のこと口説いてきたんだから浮気なんてしてたら承知しないよ?分かってる?」
「そうか。俺から口説き落としたのか」
自分の中にはそんな記憶はない。美桜から聞くこと全てが新鮮だ。それに俺から告白した、というのはにわかには信じがたいな。
「もうすごかったんだから。恥ずかしい」
「どんな感じだったんだ?」
「そんなの!私から言えるわけ無いでしょ!夏海にでも聞きなさいよ!夏海も一緒にいたから!」
顔を真っ赤にしてそう言い放ち、先に歩いて言ってしまったのでそれを追いかけていた途中に、その夏海が横の道から出てきた。
「紅月くん、おはよ~。記憶、戻った?」
「いや。ダメだ。そうそう。ちょっと聞きたい事があって。俺、美桜のことを口説き落としたらしいんだけど、どんな感じだったんだ?美桜にその時に夏海も一緒にいたからって言われたんだが」
「ええ……聞きたいのそれ……。話す私も恥ずかしいんだけど……」
そんなに恥ずかしいことを俺はしたのか。未だに信じられない。まさか、周りが俺のことを担ぎ上げているだけなのか?
「如月さんと九条さんの馴れ初めですか?それは僕も聞いてみたいです。こんなに仲の良いカップルって僕、他に知らないので気になります」
「あーあ。一樹が来ちゃったから、この話は中断。美桜に内緒で話はできないって」
「そうですか……ちょっと残念です」
「俺も気になるんだが……」
当事者が一番置いてけぼりだ。
しばらくの間はそんなやりとりが続き、自分自身がどんな感じの人間なのか。今までにどんな事があったのかを聞いて自分自身を知っていった。なんとまぁ変な気分だ。母さんからも色々と聞いたけど、学校での出来事とかは分からないし。
「そういえば、九条君は勉強は大丈夫なんですか?小学校から高校2年の夏休みが終わるまでの記憶がないんですよね?中間テスト、どうするんですか?」
「それなんだけどな。授業の内容とかスッと頭に入ってくるんだよ。しかも、その内容、俺はもう知ってる、みたいな」
記憶が無いことで頭が一杯で。ノートになにか書いてあるんじゃないかって、そんなことばかり考えて授業は上の空だったのに。不思議とその内容はもう知っている気がして。
「そうなんですか?。じゃあ、これはどうです?」
一樹に数学の問題を指さされたので、ノートを開いて迷うことなく解いて見せた。
「すごいです……。この問題、大学受験の問題なんですよ?本当にすごいです!」
「わからん。実感がない。美桜、俺、成績はどうだったんだ?」
「中くらいのバカだったわよ。記憶をなくして頭が良くなったのなら、それはそれでいいんじゃないの」
「なに怒ってるんだよ」
「さあね!」
「紅月、美桜さ、寂しいんだよ。小学校からの記憶がないんでしょ?それって美桜との思い出も消えちゃってるんでしょ?」
その通りだ。なにも覚えていない。俺と美桜は中学2年の秋から付き合い始めたそうだ。その時、俺が美桜を口説き落としたらしい。かなり恥ずかしい方法で。それは聞かない方がいい気もしてるけど、自分の恋人との思い出は知っておいた方が良いと思う。
「なぁ、美桜。告白って俺は何をしたんだ?もしかしたらそれを聞けばなにか思い出すかも知れないだろ?衝撃的な感じだったんだろ?ショック療法というか」
「嫌。恥ずかしい」
そっぽを向かれてしまった。そんなに恥ずかしいことなのか。でも。こうして付き合ってるということは成功したのは間違いなさそうだ。俺にはそんな勇気は……。
「俺には?」
「どうしたの?」
「いや、今、過去の記憶に対して自分がなにかを感じたんだ。俺にはそんな勇気はない、って」
確かに今、自分の中で過去の自分に対しての気持ちがあった。消えた俺に対しての気持ち。
一応、帰ってから教科書を開き、試験範囲を確認したけども、やはり知っていることばかりだ。歴史関係が少し忘れているような感覚があったけども。記憶が無いのに勉強内容だけは覚えている?何だそれは。
そして中間試験。結果はなんと学年2位。中くらいのバカからかなりの成績優秀者にランクアップしたわけだけど。従来の状況が記憶にないので実感がわかない。
「紅月、まるで別人みたい」
そう言われても、記憶がないのだし、本当に別人なのかも知れない。記憶を失う前の人格なんて分からない。もしかしたら美桜たちの記憶が書き換わって俺という人物を誰かと勘違いしている、なんてことは無いだろうか。最近はそんなことすら考え始めている。
「九条くんはこのあとどうするの?」
「どうするって?この状況を?だとしたらこのまま生活するしかないんじゃないか?そのうち思い出すんじゃないか?」
思い出すことはあるのか不安だったかが、この状況を受け入れることから始めないと前に進めない。
「なにか思い出すといいですね。それじゃ、帰りましょうか」
席に座っていた一樹は窓際で外を眺めていた俺に声をかけてカバンを手に取って教室の出口に向かう。
「ちょっと待て。俺、なんかバイトしてなかったか?」
「あ!それは思い出したんですか!?してますよ。今は店長さんに言って休みにしてもらってるって如月さんが言ってました。そんなんじゃ働くのは無理だろうからって」
「その店って喫茶店か?」
「いえ、カフェです。「ベイサイド」ってお店です。喫茶店というより、もっとオープンな感じです。僕は一人だとちょっと入りにくいかな……家族となら何回か来たことがあるんですけど。オムハヤシが有名なんです」
一樹に言われてバイト先らしいカフェに向かうが、道中の景色は所々見覚えはあるもののハッキリとした記憶にはない感覚。