笹原奏と瀬見原夏海編
閉店後のベイサイドで店長を交えて今後の方針について協議をすることになって3人が集まった。
「この姿で集まるのは久しぶり、なのかな」
「何言ってるんですか。現実世界では1日も経ってませんよ。それよりどうするんですか?これから」
私達3人はベイサイドに集まっているが、それは監視者としての本来の姿で会合を開いた。流石にあの子達にこの会合を見られるわけには行かないし。
「そんなことより奏ちゃんはいつ結婚するの?」
「うるさいですね。セクハラですよ?女は29歳が一番の売り時なの!だからまだ半年あるから!それになんで同期の夏海にはそういうこと言わないんですか!?」
「夏海ちゃんはほら。記憶の世界で横原一樹くんが好きになったんでしょ?玲香ちゃんはさ……」
「あーっ!!ストップストップ!!店長、そんな話、絶対に向こうで言わないでくださいよ?」
今店長が言おうとしたことは絶対に向こうで言ってはならないこと。じゃないと美桜がおかしなことになる。
「あの。私はあっちで横原くんのことを好きになっても良いんですか?」
「いいよ。夏海くんがそう思うなら。でも向こうの世界では横原一樹くん、オリジナルの玲香ちゃんと付き合うことになりそうだよ?それを実力でどうにかできるのなら僕は止めないよ。でもね。時間が来た後、その後はどうなるのか僕にもわからないよ?」
「ええと。それじゃあ、今後の方針なんだけど、あっちの4人は自身の行動に任せることにして、夏海は自分で頑張る。これでいいの?」
もう、最初の任務からなんでこんなことになるのか。店長、面白がっている節もあるし。この部署はお給料がいいから転属を希望したけども、なんでそんなに高いのか分かったわ。あんな若い子たちの青春に当てられたらキッツイわ。夏海はなんか必要以上に適合しちゃってるけど。
「それじゃ、向こうに戻るよ?忘れ物はないかな?あ、でも変なものは持ち込まないでね。僕の首が飛んじゃうからさ」
「今日は定休日なんだけどさ。みんなどうしたの?」
店長はとぼけた事を言っているが定休日になったのは今しがただ。俺たちが店に入ったらドアの看板をCLOSEに変えてきたのだ。カウンターの中にいる店長、その横に立っている奏。カウンター席の端っこに座っている夏海。俺たちもカウンター席に座って、この一件について話を始めようとしたときに夏海が待ったをかけてきた。
「何だ夏海」
「ちょっと言いたいことがあって」
夏海が結構真面目な声でそう言った。店長も頷いている。奏では……、一樹を見ている。一樹のことでまだなにかあるのだろうか。
「私ね。この前も言ったけども一樹のことが好きなの。この世界がどんなものでも、今の私は一樹が好きなの」
「それは横原一樹、九条紅月、どっちが好きなの?」
そう。横原一樹の中には九条紅月の記憶が入り込んでいる。いわば二重人格のような状態だ。それに一番本人の記憶が色濃く出ているのは一樹だ。夏海はどちらの一樹を好きになったのだろうか。
「そんなの関係ない。私の目の前にいる一樹。どっちの記憶とか関係ない」
「夏海くん、夏海くん、そんなこといきなり言っても余計にこじれるって。ちょっと僕から説明するよ?いいね?」
夏海が頷いたのを確認してから店長は集まった面々を見回して話し始めた。まずは現状の整理から。
・九条紅月くんの中には横原一樹くんの記憶が入っている
・横原一樹くん中には九条紅月くんの記憶が入っている
・如月美桜ちゃんの中には吉谷玲香ちゃんの記憶が入っている
・吉谷玲香は誰とも記憶の入れ違いはしていなくて、本人オリジナルの記憶が入っている
「本来は紅月くんと美桜ちゃんだけがこの世界に居るはずだったのが、横原一樹くん、吉谷玲香ちゃん、君たちが居ることによって何らかの歪みが生じて紅月くんと美桜ちゃんの本来の記憶も浮き上がってきているみたいんだよね。で、一樹君も同じような感じ。だからなにも起きていない玲香ちゃんが一番混乱したのかも知れないね」
店長からの状況整理。紙にも書いてくれたからはっきりと認識することができた。続けて店長は夏海が言い掛けたことを説明し始めた。
「この世界はさっきも言った通り、本来は互いに思いを果たせなかった紅月くんと美桜ちゃんが、一樹くんと玲香ちゃんという現実世界では幸せに過ごした時間の記憶を借りて、楽しんでもらうっていったら語弊があるんだけど、まぁ、そういうこと」
店長は軽く言ったけども、俺にとっては衝撃的な内容だった。記憶の片隅あった物静かな自分。アレが本来の自分。美桜という幼なじみには想いを伝えられずに高校時代を終えた自分。それを他人の記憶の力で、想いを果たす、こういう事になる。俺がそれについて発言しようとしたときに店長が続けて話し始めた。
「前置きが長くなったね。さっきの夏海くんが言おうとしていたことはね、この世界の各人は記憶が入れ替わっているとはいえ、その記憶通りに行動している訳ではないんだ。あくまできっかけなんだ。だから、ここにいる君たちはこの世界ではオリジナル、そう言っても良い。だからそんな世界の横原一樹くんを夏海くんが好きになってしまった。こういうこと」
「つまり、私はこの世界の九条くん、一樹のどちらを愛するのかは、記憶なんかに囚われずに心の赴くままに行動すればいいんですね?」
玲香ちゃんが店長に確認をする。
「そ。そういうこと。それで、玲香ちゃんは九条くんと一樹くん、どっちが気になっているの?」
「それは……」
玲香ちゃんは美桜をしっかりと見つめて芯のある声で宣言した。
「九条紅月くん、です」
「あー……、やっぱりそうなるんだ」
奏が困ったような面倒くさいというような。そんなため息混じりの反応をした。
「九条くんはどうなんですか?」
玲香ちゃんは今度は俺の方を見て確認してくる。
「申し訳ないけど、俺は美桜、になるかな。嫌いになる要因がなにもない」
美桜が安堵の表情を浮かべたが、玲香ちゃんは時間がある限りあきらめないと宣言。これが泥沼か。
「それで、一樹くんはどうするの?一度は夏海と付き合うことになってたでしょ?」
奏が一樹に質問する。それを祈るように答えを待つ夏海。
「正直まだ気持ちの整理はついてないんですけど、この世界の自分に嘘をつかない、ということなら夏海さんはとても気になります。でもいきなり付き合うのは……というより、僕は女の子とお付き合いしたことがないので、なんというか……最初からお願いしたいというか……」
「そんなの!全然!かまわない!」
夏海がかなりの勢いで喜びの声を上げた。
「夏海、良かったわね」
まぁ、なんだかんだあるけども、俺たちはこの記憶の世界での生活に慣れるしかない。なんで自分だけ記憶喪失状態でスタートしたのか分からないけども。まぁ、こんな世界なんだし、細かいことは気にしないでおいた方が健康には良さそうだし。
一番の気がかりは、俺が玲香ちゃんの猛攻に対してどうなってしまうのか、ってところかな。なにせ、美桜の中にも玲香ちゃんの記憶が入っているんだ。見た目で選ぶ?
家に帰ってきてからも同じ事を考えていた。
「こう言うときに相談できる相手、か。今までは一樹に相談してたけども、向こうは向こうで色々とありそうだし。そもそもの話、アイツの中身は俺だし。自分で自分に聞くってなんなんだ」
独り言を言って自分で完結させてしまった。それにしても一樹は一体どうしているのだろう。俺ならどうしているのだろうか。本来の九条紅月の事が気になって仕方がない。
「おはよう。調子はどうかね一樹くん。夏海とは上手く行っているのかね」
「そっちこそどうなのよ。モテモテの九条くん?」
からかおうとしたら、こっちがからかわれてしまった。
「そうな。それも言っておいた方がいいか。俺さ、一旦、美桜と別れることにした」
「え?なんで?」
夏海は豆鉄砲にでも撃たれたように驚きの声を上げた。まぁ、そうなるよな。
「ちゃんと選びたいんだってさ。ほら、私の中身、玲香ちゃんじゃない?で、向こうも玲香ちゃんじゃない?だから、公平に両方見直したいんだってさ。私の立場、なんなのかねぇ」
遅れて登校してきた美桜が俺のことを睨みつけながら席に着いた。
「仕方ないだろ。あのままじゃ埒があかないだろ?玲香ちゃんを放っておくわけにもいかないし」
「私が彼女……『だった』のに?」
嫌みたらしく『だった』を強調された。まぁ、このことをベイサイドで美桜に切り出したときは、イスを後ろにはね飛ばす勢いで立ち上がって殴られそうになったもんな。
「まぁ、悪いとは思ってるよ。でもさ、そんなことがあっても大丈夫ってなったらスゴいと思わない?」
「こんなことになってる方がスゴいことだと思ってる!もう、信じらんない」
美桜、ご立腹。夏海も「なにやってるんだか」という視線を送ってくる。
「なぁ、一樹、一樹は美桜と玲香ちゃん両方に好きって言われたらどうする?おまえ、中身は俺じゃん?だから……って、あれ?違うか。ん?違わないな。外見が一樹で……」
ややこしい。店長からは誰の記憶が入ってるのかなんて気にしないで、今の自分たちで考えればいい、なんて言われたけども、入れ替わっている記憶のことはやっぱり気になる。
「紅月、つまり、私の中身が玲香ちゃんだから、本物の玲香ちゃんと一緒に一樹を好きになったらどうなるのか、って話でしょ?一樹、どうなの?」
「どうって言われても。僕はさ夏海んとお付き合いするのが女の子と初めてお付き合いするようなものだし。例の写真があったとしてもそれは今の自分には記憶にないことだし」
「仮に、の話だって」
「えーっと……夏海ちゃん、ちょっとごめんね。僕は九条くんの記憶っていうのはよく分からないんだけど、多分それが影響して如月さんのことは気にならないか、と言われればゼロではないんだけど、好きとまでは言えない感じかな。玲香ちゃんはそもそも、あの日、学食で初めて会った、という感覚だから仮に好きって言われても最初から考える事になると思う」
相談はしなかったけども、やっぱり一樹が一番冷静な気がする。この世界の自分を見失っていないというか。
「私からも。本来は『観察者』なんていう立場の私が言うのもなんだけど、この世界は本当は記憶が入れ替わっているなんて絶対に気がつかないはずのところなの。だから、一番強く感じる自分を信じて行動すればいいと思う。店長もそう言っていたでしょ?」
まあ、そうなんだけど。完全に気にするなっていうのはなかなか難しい。できるだけやってみるけども。
「で?先手は同じ学年、クラスということで美桜が打つの?」
「当然。というわけで。紅月、今日は私の家に来てね」
「お?わかった」
なんて、今までの癖というか、条件反射で了承してしまったが、玲香ちゃん的には色々とある行動だろうなぁ。なんて思っていたらお昼休みに美桜が玲香ちゃんに早速ジャブを打った。
「玲香ちゃん、紅月、今日は私の『部屋に』来るから」
なんで『部屋に』を強調するんだよ。無駄に変な想像が捗るじゃないか。
「そうなんですか?でも九条先輩、それって今までの条件反射とかそういうのですよね?」
「や、ま、まぁ、その……」
「うん。そうですよね。如月先輩、私も一緒に行きます。なんかお菓子とか買っていきますか?」
自分で言うのもなんだが、なんで俺なんかがこんなにいいのか。悪い気はしないけど。
「で?なんでこんなに私の部屋に集まったの?」
「楽しそうだから?」
結局、なんだか楽しそうだからという理由で夏海がついてきて、それと一緒に一樹もついてきて。奏だけ居ないけど、いつもベイサイドに集まっている面々が集合したわけで。
「もう怒る気もしないけど、飲み物とか足りないから紅月と一樹はコンビニ行って適当に買ってきて」
何となく察するものがあったので、その場の雰囲気に気圧されていた一樹を連れてコンビニ向かった。
「なぁ、一樹。一樹の中には俺の記憶が入っているから、多分、今の一樹の行動とか考え方が本来の俺なんだろうけどさ。どんな感じだ?俺が声をかけなかったら、あのまま一人のままだった感じか?」
「そうですね。多分。気になるヒトが居ても話しかけることもなく。だから、こんな世界のことなんだろうけど、九条くんには本当に感謝してるよ。それにこんな僕を好きって言ってくれるヒトまで出来たし」
「逆に俺が本来の一樹なんだよなぁ。不思議な感じだな。でだ。美桜と幼なじみって記憶は本来は玲香ちゃんと一樹が幼なじみ、ってことなんだろうな」
「九条くん、そういうの考えないことが良いと思います。だって、その記憶、聞いただけで自分自身で覚えていたわけではないんですよね?それもリセットして、今の九条くんが美桜さんと玲香さん、どちらを選ぶというか……」
「そうだな」
やっぱり一樹に相談するのが一番だったのかな。ちょっと気持ちの整理ができた気がする。それに、向こうでも多分、同じような話をしているんだろうな。