一巻目 プロローグ
一目惚れだった。
周りの雑音も、悲鳴も、なにも耳には入ってこない。
その、本来闇に紛れるための黒単色に染められた姿は、真夏の日光に晒され、くっきりと影を写している。
俺はその日、憧れた。憧れてしまった。
忍者というものに。
――――――――――――――――――――――――
「――――お――」
「――さま」
「――――おい。日馬太陽」
「いつまで寝てんだこの馬鹿たれが」
「……うぇ、?」
周囲の笑い声と共に状況が読めてくる。
(うわー、完全に寝てたなこれ)
「まぁいいや、区切りもいいし今日の授業はここまで。」
「きりーれー、あざしたー」
「「あざしたー」」
無駄にダンディな声の先生「明智秀介」と、腑抜けたクラスメイトの声で授業が終わる。
「あぁ後日馬、お前後で職員室な?」
「(うげぇ……)わ、分かりました」
明智先生が教室を出て行く。
「まーた寝てたんかお前はぁ」
そう言って後ろから笑いながら軽くしばいてくるのは俺のクラスメイトで幼稚園の頃からの幼馴染、服部十六夜であった。
「いてぇよトム」
「トム言うなボケ」
トムと言うのはこいつのあだ名であり、そう呼ばれるのは不服なのだろうが十六夜という名前を気に入ってないこいつからしたらまだトムの方が良いのだろう、訂正されることなく高校生まで来てしまった。
「だいぶぐっすりいってたな、昨日も遅くまで走り込んでたのか?」
「いや、そんなことはないんだけど懐かしい夢だったなぁ……」
「なーにしみじみしてんだよ、またその作り話か」
「作り話じゃねぇって! ほんとにいたんだって!」
「忍者が出て来て助けてくれたー、ってやつだろ?」
その出来事があった日から度々こいつにその話をしているが信じてもらえたことはない。
まぁ、俺もこういう扱いを受けるのは目に見えてるのでこいつにしか話してないわけだけど
「それより良いのかー? お前呼ばれてたろ?」
「……あ、やっべ……」
「おいおい大丈夫かよ、昔助けてくれた憧れの忍者様みたいになるんだろ?」
「うるせぇ!」
「――なんてくだら――……」
「……? なんか言ったか?」
「なんでもねーよ、修行とやらもほどほどにな。」
そう言ってトムは自分の席へと戻って行く。
(そろそろ行くかぁ。気は進まないけど……)
俺は職員室へと足を運んだ。
思えば昔からトムは忍者の話をするたびに苦笑いを浮かべていた。
信じてはくれないが馬鹿にしてるわけではなく、ちゃんと話に付き合ってくれている。
常にヘラヘラ笑っているが真面目な相談にもなってくれる、気の許せる良いやつだ。
「――っと」
「うわぁ。すいません……」
曲がり角で書類を抱えた先生とぶつかってしまった。
……こんな先生いただろうか?
まだ若そうに見えるが白髪が混じり灰色のように見える髪に丸縁の眼鏡、よれよれの白衣とすごく地味な格好におどおどした印象。
見覚えがないが書類を持っているということは教員なのだろう。
俺は一緒に書類を拾い集め、先生へと手渡した。
「ありがとうございます」
えくぼを浮かべた笑顔で書類を受け取る先生。
「いえ……こちらこそ不注意ですいません」
そのまま先生と別れ職員室へと急ぐ。
「(この学校無駄に入り組んでるんだよな……)失礼しまーす」
「遅えぞこの馬鹿たれが」
「すいません。さっき廊下で色々トラブルが……」
「まぁいい、お前最近授業中寝すぎだぞ? 授業ついていけてるのか?」
ぐうの音もでない。
「もう2年生で進路も考え始める時期なんだぞ?」
「そう……ですね……」
「進路といえばお前、進路希望調査、出してないよな? まだ悩んでるのか」
「はい……もうすこし時間ください」
「もう締め切りすぎてんだから、早く出すんだぞ」
あの頃から変わらない夢を追い続ける事を諦める気はない。けれど、馬鹿真面目に書いたところでふざけている、と一蹴される事は目に見えている。
俺の学力はお世辞にも良いとは言えないし、自慢できるとしたら欠かさず鍛えてきた身体くらいだ。けれど鍛えるために部活に入らなかった結果、スポーツに割く時間はほぼなかったためその道で食べていくこともできない。
(普通の大学に進んで普通に就職、そんなもんだよな。)
「もう今日も遅いから寄り道しないで早く帰れ」
「はい。失礼します」
俺は職員室を後にする。外はもう夕日に染まっており、下校を促すチャイムが流れる。
商店街でも寄ってコロッケでも食べながら帰ろうか。