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月天人と兎姫  作者: 坂本雅
7/11

いかないで

「……これ、は」

破滅的な音と共に、突然風が通るようになってしまった部屋の変化に驚く暇もない。

薫子は神幸祭の行列を思わす整然とした足音が迫るのに気付いた。

反射的に立ち上がり、よろめきながら数歩進んで導明の前に陣取ると、彼を隠すように両腕を広げる。

「薫子さまっ!」

「駄目です! やっぱり、何もしないなんて出来ません!」

焦った導明の声と半ば被さる形で薫子は叫んだ。

彼女自身は気付いていなかったが、至近距離には既に天人たちが揃っている。

唄の届く範囲に居ながら無事でいる白髪の姫に、ほんのわずかだが動揺しているようだ。

「……そう。貴方が本物みかどなのね」

いち早く介入者の正体を見抜いた少女が歩み出る。

「どうしてここにいるかを尋ねはしない。危害を加えるつもりもないわ。退いてちょうだい」

静かな声で頼むも、薫子は無言で首を強く横に振った。

月が昇っているとはいえ深夜、目隠しをしているにも関わらず、まぶたの奥が眩しいほどに白んでいる。

伝承に語られる、天人がもたらすという光のせいかもしれない。

日差しのように肌を焼く熱量はないが、自身の眼には危険だと本能が知らせてくる。

けれど、決して道を譲る訳にはいかなかった。

「帰ってくださ……!?」

必死に乞おうとした薫子の両肩が突然掴まれ、ぐいと真後ろに引っ張られた。

足がもつれて転びかけたが、すぐさま支え直されて事なきを得る。

視えはしなくとも、かすかな羽音から誰が阻んだのかは明らかだった。

「み、導明さん……!」

「……大丈夫。だから、聞いていて」

ひどく思いつめた様子の声に、薫子はとっさに抵抗を止める。

いい子ですね、と腕の中に向かって呟くと、導明は顔を上げて目の前の使者達をじろりと見つめた。

「初めてお目にかかりますね、月の人。来なくていいと念を飛ばしたはずですが、通じなかったようで残念です」

「貴方の意思は必要とされていないわ。天においては羽を持つ者が王になる。それだけの話よ」

少女の言に、導明はフッと失笑する。

「……僕の生みの親が誰で、何をしでかしたかは知りませんが。一度、母子共に地上に叩き落としたのでしたら、もう数に入れなくていいのではありませんか」

少女は首を振ることすらせず、先ほど力を発揮したばかりの自分の首飾りに触れる。

未だ光を放ってはいないが、いつでも行使出来る状態にあった。

「王になる権利があるのは貴方一人よ。衣を着せて食を正せば、地上の穢れも消えるでしょう。母の罪で落ちたとしても、元々、貴方は純血の天人。ここにいるべきではないわ」

聞く耳を持たないというよりも、既に決定した事項を改めて述べているに過ぎない態度だった。

だが導明とて、黙って聞き流す訳にはいかない。

「そんな勝手は承諾出来かねます。あなたも上から見ていたなら知っているでしょう。ここは穢れてなんかいませんよ。皆が皆、いい人というわけではありませんが……優しく綺麗なものが、沢山」

――言葉の続きは出なかった。

突然押し黙った導明を不審に思い、薫子が声を掛けようとした矢先、掴まれていた手がぞんざいに外される。

安定を欠いて床にへたり込んだ薫子を導明が気にする様子もない。

手の感触だけで居場所を探り、差袴の裾を掴んだが反応はなかった。

「導明さん……?」

薫子は視認出来なかったが、背後から近づいていた使者の一人が導明の腕に細長い衣を掛けていた。

直後、彼の青眼は光を失い宙を見つめるばかりになった。

対話していた少女がどこか憐れむような声で呟く。

「言ったでしょう。個人の意志は、必要とされていないの」

使者は薫子をよそに導明を外へ先導し始め、その足の動きで袴を掴んでいた手が離れてしまう。

這って追いかけようとするが上手くいかず、導明はおろか使者の動きさえ止められなかった。拒絶していたはずの導明が心変わりした理由は分からない。

ただ、置いていかれるという恐怖に鳥肌が立った。

「待って!」

薫子は声を張り上げ、後頭で結わえていた目隠しを強引に解いた。

双眸を開けた瞬間、後光の眩しさから針が突き刺さったような激痛が走り、生理的な涙で視界が潤んでしまった。

思わず両手で目を覆ったものの、わずかな時間さえ惜しくなり、浮かぶ涙をこすって前を見た。

使者と導明は既に邸の出入り口まで進んでしまっている。

初対面の時から強く印象に残っていた白金色が、他の似通った色に紛れつつあった。

疎んでいた羽が背になければ、すぐには見つけきれなかったかもしれない。

無意識にそう思ってしまうほど、導明は天人達の群れに居て違和感がなかった。

そう。まるで最初から、帰ることこそ正しかったとでも言わんばかりに。


「……待って」

胸に生まれる幾つもの諦念を否定しようと、薫子は何度も首を振った。

眼はとうに充血し、涙も相まってほとんど役割を果たせていない。

けれど導明が振り返る様だけは見えた。

白い羽根が一枚、ひらひらと床に落ちていく。

「導明さん……」

肩越しにこちらを見る青眼からは、何の感情も感じられなかった。

呼びかけられていることを訝しんですらおらず、ただ音がした方を向いているに過ぎない。

やや距離を置いた場所で泣いているものが何なのかも、もはや理解していそうになかった。

導明は――有翼の天人は、人間への興味をなくして前へ向き直り、再び歩き始める。

「導明さん」

二度目は、消え入りそうな声しか出なかった。

無理やり駆け出すような真似も、あの目つきを見た後では不可能だった。

それでも呼ばなければ、彼と過ごしてきた全てがここで消えうせる気がした。

届かないと知りつつ腕を伸ばし、何もない空を掴む。

突然、目の前が糸の切れた音と共に暗転した。

「……あ」

布で覆っていた時とは異なる完全な漆黒に包まれながら、眼の乾きと、あごを伝う涙から眼を開けた状態のままであると分かる。

薫子は、自らの視力が失われたのだと悟った。


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