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月天人と兎姫  作者: 坂本雅
5/11

あなたをおもう

「……薫子さま? どうして……」

導明は未だ夢うつつといった様子で目をこすっていたが、すぐに羽を晒していることに気付いた。

立ち上がり、薫子へ視線を向けたまま数歩ほど後ずさる。

辺りの暗さに一瞬だけ庭の方を見ると、既に夜の帳が下りていた。

いつ陽が落ちたのか、それも分からないほど寝入っていたということか。

薫子は導明の態度を怒りはせず、座ったまま見上げて口を開いた。

「手紙を読みました。文ではなく直接会って説明して貰わないと納得出来ない……だから、来ました。一番の早馬に乗って」

どうやら護衛すら付けず、単独で宮中から飛び出したらしい。

被衣で顔や髪は隠れていただろうが、さぞ目立ったに違いない。

運動すらほぼ不可能な環境に置かれながら無茶を通したはずが、今、目の前の薫子は特に息をあげていないし汗もかいていない。

この部屋に彼女が来たのは、一体どのくらい前の話なのだろう。

「原因はそれですか?」

状況を把握しようと考えを巡らすあまり落ち着きに欠け、簡単な相槌を打つことすら忘れている導明の背にあるものを薫子はそっと指差した。

「……ええ、そうです。怖いでしょう、こんなもの」

折り畳んでも隠しきれない大きさとなったシラサギと見まごう翼を、導明は改めて見せる為に伸ばした。

薫子がここに居た時点で、もう知られているのは分かっていた。

ひょっとしたら眠る姿を見て、ひとしきり叫んだ後なのかもしれない。

「信じて貰えないかもしれませんが、隠していたわけではありません。いきなり生えてきて、斬り落とすのも難しく、まともに着物も着れなくなって……そうですね、もう外にも」

初対面の明るさが嘘のように淡々とした態度でいる薫子の真意が掴めない。

導明は弁解とも取れる言葉をつらつら述べていく。

薫子はやがて、今にも泣き出しそうな表情になり無言で導明の元へ駆け寄った。

思わず一歩退こうとした導明を、細い腕で懸命に抱きしめる。

振りほどこうとすれば簡単に出来てしまいそうなほど弱い、けれど想いのこめられた拘束に導明は息が詰まった。

「……恐ろしくなんてありません。私は……陰で物の怪と呼ばれてきました。でも、違うと知っていたから平気でした。貴方も絶対に違います……誰が何と言おうと、どんな姿になろうと、導明さんは私の……私の大切な人です」

被衣が床に落ち、露わになった顔は涙で濡れていた。

拭うことすらせず次々と流れていく透明なしずくに、じっと見つめる赤い眼に、胸を打たれる。

「私はどうせ帝にはなれない。都に居られないと言うのなら連れて行ってください……め、迷惑なら、見世物小屋に」

自虐的に無理やり笑おうとした薫子を、導明は強く抱き返した。

さらに羽を広げ、まるで温めるように薫子を包む。

堪えきれなくなり、しゃくりあげて泣き始めた薫子の髪を撫でながら、導明は絞り出すような声で呟いた。

「お慕いしています、薫子さま……僕も、あなたに居て欲しい。羽が生える前も今も、ずっとそう思っていました。けれど、もう都から出ずとも良くなりました」

どういうことかと顔を上げた薫子に、淡く苦笑を返す。

「ここに来る前の、父に拾われる前のことを全て思い出したのです……十五日後の満月の夜に月から迎えが来ます。ここに居るのが知られてしまいました。ですから……もう、どこへも逃げられません」

御伽草紙のような話を語る導明の目は薫子から逸れ、御簾の向こうの月へ向けられた。

それは仇敵を睨むような、忌々しげなものだった。


「あ~……馬に蹴られる覚悟で言いますが、お二人。こちらの方が……あっ、ちょっと!」

御簾の向こうから声が掛かったかと思いきや、そこから義父ではなく年若い男が押し入ってきた。

高貴な朱の直衣をまとっているが烏帽子を被っておらず、漆黒の髪が目を引く。顔を見るなり気迫に満ちた双眸でぎろりと睨まれ、導明は思わず身震いした。

薫子が驚いた様子で口元に手を当てる。

「兄さん!」

「えっ? 兄となると、あなたは」

導明の言葉を制止するように男――現帝がやや強く咳払いをした。導明は閉口せざるを得ない。

やはりというか、御忍びで来ているらしい。

思い返せば、薫子は馬の話はしたが単独で来たとは言っていなかった。

おそらく夕刻から夜にかけての陽が落ちた時を見計らい、事情を知る兄と共に抜け出したのだろう。

帝は妹をひどく溺愛しているようだ。目覚めてからのやりとりの中、導明の方から薫子を抱擁していたら今頃は血の雨が降ったかもしれない。

「盗み聞きをする気はなかったが、どうか許されよ……妹と接触するに値するか、貴公についてある程度の調べをつけていたが、よもやこのような事情があったとはな。しかし、俺が知りたいのはひとつだ」

一呼吸置いて姿勢を改め、射抜くような目つきで問う。

「迎えが来ると言っていたが、貴公はそれを大人しく享受するのか? 薫子を選ぶという意志は無いのか?」

「それは……」

導明は眉にしわを寄せ、帝からも薫子からも視線を逸らして目を伏せた。

強制的に叩き込まれた記憶を辿れば辿るほど、自分はこの地に居るべきものではないという考えが強くなる。

異形となった身で人の世に馴染めるとは思えない。

――しかし。

「……天からの迎えには、何人も抗えません。けれど、許されるなら皇女と共に在りたいと思います」

導明が目を開けて腕の中に包んだままの薫子に向かって呟くと、泣きやんだはずの薫子の目から新たにひとつ、涙がこぼれた。

片手でそっと拭ってみるが、次々と溢れて止まってくれない。

絶対に拒絶できないと知っているからこそ、慰めの嘘もつけなかった。

帝は導明の固く張りつめた表情と薫子の泣き顔を改めて見やり、短く息をつくと胸の前で両腕を組む。

「十五日後と言ったな。ならば、兵を動かすとしよう」

そうあっさりと口にする帝に、導明と薫子は同時に顔を上げた。

反対されなかったと喜ぶよりも戸惑いの方が強い二人に対し、帝は言葉を続ける。

「何を驚く。月の民であろうと天の人だろうと、妹の婿が望まぬ地に連れ出されるのを見過ごせはしない。生まれや見目がどうあれ貴公は竹取の息子、それだけだ。この際、貴賤上下の差は問うまい」

周囲の都合のいいように立場と身分をねじ曲げられた、血の繋がらない妹。

血統を重んじる者と、せめて夫に愛されて過ごせるようにと願う者とが日々縁談を持ちかけていたが、どれもすげなく断っていた。

目の前の有翼の男だけが心動かす相手だと言うのなら、もはや止めるだけ無粋だ。

羽が人目を引くのであれば、事が終わった後に自らの太刀で斬り落としてしまえば良い。

帝は直情的にそう考えていた。

しかし敵意が薄れ、どことなく優しさがにじむ帝の眼差しを受けても、導明は喜ぶ素振りを見せなかった。

薫子の細身に廻していた腕をそっと離し、先ほどよりも悲しげな表情で口を開きかけ、自ら噛みしめるように閉ざしてしまう。

「導明さ……」

守ると言われた側とは思えぬ憂いを帯びた顔を見かねた薫子が名を呼ぼうとしたところ、白い手がするりと伸びて唇に押し当てられた。

「なっ!」

ぱっと赤面した薫子に代わり、帝が驚愕を隠せずに叫ぶ。

導明は周囲の動揺をさほど気に留めず、淡い青眼を開いたまま静かに喋り始めた。

「門を閉ざし、守り戦う備えをしようともあれらと戦えはしません。月が昇り使者が訪れた時、全ては眠るか……止まるでしょう」

「誰も敵わぬと言うのか。目をみはるような数の軍勢が押し寄せるとでも?」

「矢は飛ばず、剣を持つ手は動かない。それだけです」

「……にわかには信じられんな。術の類など、どうとでも跳ね返せよう」

「僭越ながら、刃向かう言葉は使われない方が良いかと存じます。あれらは全てを視ております」

「その口ぶり、使者と相見えた経験がおありか」

「いえ……ですが、相手がどういうものかは知っています」

目を閉じずとも、もはや脳裏に焼き付いて離れない。

「餓えも老いも想いもなく、代替わりによってもたらされる死ばかりを待つものたち。心なきものに人の情けは届きません」

「……貴殿の言が全て真実であったとしても、こうして関わった以上は傍観を決め込む訳にはいかない」

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