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月天人と兎姫  作者: 坂本雅
3/11

つきものおちず

――ひとときの静寂の後、再び御簾が開けられ、束帯姿の男が薫子の部屋に入ってくる。

薫子は驚く様子もなく彼を出迎えた。

「どうだった、あの男は」

「……月のような、太陽のような人でした。話すと周りも明るくなるようで、姫君たちが報われないと知って想いを寄せるのも、どことなく分かる気がします」

陽に当たれず生気に乏しい自分の白髪とは似て非なる、優しい白金の髪。

ときおり開かれる目は薄い空の色をしていて、白子の身体にとっては天敵と知りつつ焦がれてやまない日光を思い起こさせた。

呟きながら頬をかすかに紅潮させる薫子を見て、何故か男は眉間にしわを寄せる。

「結婚はまだ早すぎるぞ」

「けっ!? ち、違います! そういう意味ではないんです! そ、それに、順番からいって兄さんの方が先でしょう!」

顔をより真っ赤にして何度も首を横に振る薫子の手を、男――帝は強く掴んだ。

びくりと薫子の肩が震える。

「何よりもお前が先だ。他の誰よりも早く、お前の相手を見つけ出さねばならん。それも生半な男ではいけない。お前こそ本当の……」

「兄さん」

焦りすら感じる真摯な目を薫子は不安げに、だが静かに見つめ返した。

それ以上口にしてはいけない。赤い目がそう語る。

帝はハッと正気に戻り、掴んだままの白い手を離したが、既にくっきりと痕が残ってしまっていた。

「……すまない。傷つけるつもりはなかった」

「いいえ。私こそ軽口を叩いて、ごめんなさい。わがままを聞いて下さって、ありがとう。それから……」

まるで自分が傷つけられたかのように辛い顔を見せる『兄』に薫子は意を決して手を伸ばし、自分とは似ても似つかない精悍な顔を包むと当人以外には聞こえない小さな声で呟いた。

「ずっと『代わり』をしてくれて……ありがとう、兄さん」

――薫子は前帝と皇后の間に生まれた皇女だった。

皇后は薫子の出産と引き換えに命を失い、最愛の女性を亡くした帝も後を追うように亡くなってしまった。

血筋は正しくとも、表に出られぬ事情を抱える薫子を帝に据えることに内からの反対の声は強かった。

最終的に、中宮の連れ子である男が次の帝に選ばれた。男は公には前帝の子として扱われ、嫡子は死産とみなされた。

存在そのものが宙に浮く形となった薫子は中宮の養子という肩書を与えられ、体質も相まって半ば軟禁状態に置かれているのだった。


数日後、最初に薫子へ手紙を送ったのは導明の方だった。

招かれた礼と薫子へのまっすぐな好意が書かれた文に、小さな白い花が添えられていた。

庭園の花しか知らない皇女にとって、それはとても珍しく映った。

薫子は立場上、紙面に真名が書けないことを悩んでいたが、架空の花押を作ってはどうかという導明からの提案に従った。

女性らしい丸みを帯びた筆致で隅に点を置いた花押は横を向いた兎にも見えて、やがて『兎の君』という綽名が二人の間で定着した。

薫子との交流が始まってから、導明は今までどれほど断ろうと送られ続けていた他者の恋文がぱたりと絶えたことに気付いた。

世俗に疎い薫子本人が働きかけたとは思いにくく、何者かが介入したのかもしれない。

けれど元々が突発的な流行であったし、単に自分に飽いたのだろうと深く詮索はしなかった。

「貴方がそんなにこまめな人だとは思ってませんでしたよ」

ある日、義父は皮肉半分、感心半分といった様子で返事を書く導明を見ていた。

文の内容を検めるような悪趣味などする気もなく、兎の君とどのようなやり取りをしているかは義父の知る由もないが、これほど特定の人物に興味を持っているのは初めてだった。

導明はにこりと笑って当たり障りなく人と交流するが、友やそれに準じた存在を作るのは意図して避けている節があった。

「あの人は僕の話をきちんと耳に入れてくださいます。お金や見た目などの外側ではなく、中身を見ている方です。真面目な方と接するならば、やはりこちらも真面目になりますよ」

「ああ……まあ、分からなくもないですが」

日ごろいい加減な割に、妙に真理を突いた言動をする。

頭が良いのか単にカンが良いだけなのか図りかねた義父は、ふとした時、導明が筆を持っていない方の手を己の肩へ回すのを見た。

先ほどまで機嫌が良かったはずが、ほんの少し眉をしかめている。

「どうしました?」

「……なんだか背中が痛いんです。最初は痒かったので、あせもかと思っていたんですが、少し違う気もしますね」

試しに何度か肩を回してみては、鈍い痛みがあるのか小声で呻いている。

「肩こりや腰痛からくるものではありませんか? ああ、わたしよりずっと若いのに……陰陽師とは存外、書き物の多い仕事のようですからねえ」

巷では鬼を調伏させて災厄を祓う派手な場面ばかり取りざたされているが、きちんと成り立った職であり、組織として在る以上は書物の整理や帳面書きなどの雑務が存在する。

元々、身分の低い者であるなら尚更、名声とは関係なくそういった面倒ごとが流れてくる。

「気休めみたいなものですが、手当しましょうかね」

義父は棚から塗り薬や湿布などを運び込み、痛む箇所に貼れば症状が少しは和らぐのではと考えた。

とはいえ自力では手が届かない為、代わりに塗布しようと背中へ回る。

導明は素直に頷いて書き上げた文などを片付け、腰帯を緩めた。

心配性のケがある義父には告げていないが、どうにもむず痒かった時期に我慢しきれず届く限り自分の爪や水で洗った小枝で背を引っかいた覚えがある。

その時は大して痛くなかったが、やはり傷になっていたのだろうか。

どやされる未来を思い、強めに目を閉じた導明だったが、義父は何も言わなかった。

正確に言うと硬直し、絶句していた。

着物を解き、晒された背中には導明の予想通り細いみみず腫れが幾つも走っている。

しかし傷よりもはるかに目立つのが、肩甲骨付近の異物だった。

弓なりの形をした、骨ばって細長い何かが背から生えてきていた。

薄い皮膚が破けていないのが、逆におかしく思える。

人間の背から出ていることを考慮しなければ、その形状は鳥の手羽によく似ていた。

「そんなにひどい痕が出来てますか?」

「……あ、ああ。いえ、そうではなく……背に、変なものが」

「変?」

肌寒いのか少々震え気味の声で尋ねた導明に、義父はすぐに反応できない。不自然な間を置いて答えることになった。

おそるおそる触ってみると、その部分だけが別の生き物のようにビクリと動き、義父は思わず情けない悲鳴をあげる。

「いいいっ、医者……いやいや、つ、憑き物かもしれません! 明朝、お祓いを頼みましょう! 陰陽寮には私の方から連絡しておきますから、大人しく寝ておいてください!」

持ち寄った薬の類を抱え、真っ青な顔で部屋を後にした義父をいぶかしみながら、導明は着物を直して何の気はなしにため息をついた。

「……もう一度くらい様子を見に行きたかったのですが、こればかりは仕方ありませんね」

このところ風が冷たくなってきて、紅葉していた草木も葉を落としつつある。

夜長は彼女にとっては嬉しいことだろう。ただ、一人で寒い思いをしていないかが気にかかった。

次に送る文にも再び会えないかと請う内容を書きかけていたのだ。

とはいえ、閉ざされた世界で生きている人をおかしなものに感染させる訳にもいかない。

導明は考えを改め、じわじわとした痛みをこらえながら床に就いた。

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