フッサールのフェノメノロジー(現象学)についての小論
フッサールのフェノメノロジー(現象学)についての小論
まずはじめにフッサールの現象学とは。すべての現象を意識に還元するということです。
つまり意識が先か、現象が先かという次元でいえば
意識が先だということです。
なぜならそもそも現象は、、意識の指向性によってその都度意味づけされるべき現象であり、
現象の先の「物自体」などというのはあくまでも意識の仮想でしかないからです。
現象を現象足らしめるのは、意識であり意識の指向性です。
しかし科学とはそもそも、その研究対象である「事象」を意識の外に実在すると仮定して
定立することを大前提にしているわけです。
しかし、フッサールは
「それは意識の思い込みにすぎない」と断言する。
純粋に思惟すればそもそも意識の外に対象が実在しましてや
「物自体」というような客体が実存するというのは
いかにしても証明することは不可能なのである。
なぜなら?我々は意識の外部で現象を考察することができないからである。
だからすべての思い込みを捨象して
現象そのものから。再吟味しよう。
これがフッサールの「現象学」の出発点、原点なのである。
現象がすべて実在するという思い込み。
現象の背後には「物自体」が実在するという思い込み。
それを今、捨象しよう。
そして意識の側から再検討しよう。
そうすると、
現象とは、現象自体として実存するのではなく
私の意識の指向性の範疇で意味づけされて
初めてそこに、現象しているという事実に気が付くだろう。
第一定理
「現象は意識の指向性の意味づけに於いてのみ存在する」
その原点からフッサールは改めて諸現象の再吟味をすると、
まず、現象の実在性をいったん「保留」エポケーするべきだとフッサールは言う。
そして現象が意識にどう働きかけるのかを再吟味するべきだと主張する。
このコペルニクス的還元によって
フッサールは、現象が実在するという定見を保留して
意識の方からの現象への指向性によって現象がどうとらえられるかという
現象への能動性を、、指向性を
「現象学的還元」と名付けた。
ここにいわゆるフッサールの「現象学」が、定礎されたのである。
第2定理
「意識の側からの現象学的還元をせよ」
ここからフッサールはさらに進めて
科学の客観性と人間の生活世界の乖離についても疑問を投げかけるのです
すなわち人間の主観はあくまでも、ただの幻想であり
科学の客観性と事物の実存こそが真理だという科学的態度こそが
そもそも誤謬なのではないか?というテーゼ。
桜を科学的に分析してじゃあ、さくらは美しいという結論が得られるだろうか?
答えは否である。
そうではなく、意識の側からの指向性途意味づけこそが
桜を美しいと意識するのではないのか?
そういう意識世界こそがむしろ
正しいのではないのか。
フッサールはそういう現象への意識付けを
「生活世界」と名付けて本来の現象認識の正しい姿としたのである。
第3定理
「生活世界からの現象の再吟味をせよ」
晩年のフッサールは
哲学を人間の生の学問といちづけて
すべての現象を人間の生に還元しようとしたのである。
第4定理
すべての現象は人間の生に還元される」
こうしたフッサールの研究は
後の心理学
社会学
精神医学などに
多大な影響を及ぼしているのである。