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雪の日の林檎

『まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ』


『まだあげたばかりの前髪が 林檎の木の下に見えたとき 前にさしている花櫛の

 花のような人だと思いました

 白いや優しい手をのばして 林檎を私にくれたとき 薄紅の秋の実に 初めて恋をしました

 なにげなくでた私のため息が その髪の毛にかかるとき 恋のすばらしさを 貴女のおかげで知ることができました

 林檎畑の木の下に 自然とできた細道は 誰が踏んでできたのでしょうと お聞きになる君が愛しいです』


 これは『初恋』という詩だ。作者は島崎藤村。彼の詩集『若菜集』には51編の詩が載っているが一番有名なのはこの『初恋』だろう。

 この詩に登場する女の子が小道について尋ねた理由については色々な解釈がある。

 小道が何故できたのか分からないくらい天然だったとか、分かってるけどあえて訊く小悪魔だったとか。

 

 良い詩や物語というのは色々な謎を残す。

 それについて人々は語りたいと思う。その相手は友達だったり先生だったり、もしかしたら父や母かもしれない。

 だから良い謎がある詩や物語は世代を越えて語り継がれるのだ。

 それは謎と共に。


 中学2年の時の話しだ。夕方に初雪が降った日だった。

 僕、西宮一樹(にしみやかずき)は一つの謎に直面した。


 朝、下駄箱を開くと『果たし状』が入っていたのだ。ラヴレターではない。『果たし状』である。

 宛名部分に習字で堂々と記されている。

 めちゃくちゃ達筆だ。差出人は周防楓(すおうかえで)さん。2年A組。同級生だ。

 全校集会で列を作ると前から数えて5番目あたり。髪は短い。眉毛は濃いけどちょっと短い。

 いつも目の下にくまを作って不機嫌そうだけど、集合写真とか見返すとびっくりする位綺麗な顔の女の子だ。

 目が大きいからとか、鼻のラインが整っているとか、そういうんじゃないんだ。

『あれ? こんな綺麗な子、クラスにいたかな?』と思ってしまうくらい現実離れした整い方をした顔立ちをしている。その周防さんから果たし状だ。


 僕の驚きは筆舌に尽くしがたかった。

 果たし状は空手のイメージだけど周防さんはバレー部だ。たまにセッターとして試合に出るくらいでレギュラーではない。理科だけ学年一位を争うけど、それだけだ。

 対する僕は、学年総合首位の常連と言えば聞こえはいいけど、ただの勉強オタクだ。

 部活だって園芸部。

 肩書きは部長だけど実質の切り盛りは副部長の四方原瑞季(よもはらみずき)さんがしてくれている。

 彼女にはお世話になりっぱなしだ。

 お世話になりすぎて……。感謝の気持ちが恋に変わったのはいつからだろうか。


 一目ぼれとかではない。

 けど目は惹かれる。彼女の背がとても高いからだ。

 全校集会では万年最後列。たまにバレー部に助っ人に借り出される運動神経の良さ。

 ポジションは背の高さを生かしたアタッカー。

 試合では周防さんとコンビを組んだりしている。


 鼻がちょっと上向いているけれど、目がとてもきらきらしている女子だ。そばかすも可愛い。最近こめかみにできたと気にしているニキビすらも愛らしい。

 何より誰とでも自然に分け隔てなく話せる気配りが素敵過ぎる。

 彼女は2年C組。僕もC組だったらどんなに良かったか、といつも思っていた。

 後、背が高い親の元に生まれてたら、とも。

 というのも僕の背は列で言ったら7番目だ。

 そこまで低くはないけれど、四方原さんと話す時はどうしても見上げる形になってしまう。

 

 話がそれた。

 つまり僕は体育会系ではない。腕っ節は弱い。

 喧嘩やトラブルは余程の事でない限りは避ける。

 果たし状を貰うほどの恨みを買った覚えは無い。


 この果たし状を見て心臓が飛び上がった僕は、慌ててこれをブレザーの内側にしまい込み、トイレにダッシュした。

 個室に飛び込んで封の上部に折れ線を入れる。

 大きく破らないように慎重にちぎった。

 

『部活終了の17:00 貴殿を体育館裏で待つ。 周防楓』


 叩きつけるようなド迫力の習字に、ため息が漏れた。


 トイレから出て教室に向った。ドアを開ける。周防さんを目が探してしまう。

 いた。最前席窓側に着席している。

 声をかけようか迷ったけれど、結局着席することにした。

 ちなみに僕の席は廊下側の最後列。周防さんとは対角線上の位置関係である。


 ……その日、視線はひたすら周防さんに吸い寄せられ続けた。

 けれど彼女は一度も僕と視線を合わせなかった。


 全ての授業が終了して、担任の先生が今夜から雪が降るから風邪をひかないようにだとか、そんなことを言って終礼。

 掃除が終ると、彼女はさっさと体育館に消えていった。部活のためだろう。


「どうしたの? 西宮君」

 園芸部室で、四方原さんが声をかけてくれた。

 僕はその時、心ここにあらずといった感じで、アドロミスクスという多肉植物の鉢植えに霧吹きをしていたところだった。

 アドロミスクスは造形が卵みたいで可愛らしい。

 茎近くが薄い緑で先端に向うにつれて、黄色から赤に変化していく。少しサボテンに似ている。

 乾燥にも強い点もサボテン寄りだ。だから、これに霧吹きを毎日する必要はない。


「え?」

 四方原さんを見上げる。彼女は不思議な顔をした。

「昨日、西宮君霧吹きしてあげたでしょ。この子に」

「あ」

 彼女が言う『この子は』アドロミスクスだ。頬が熱くなった。どうかしている。

 でも理由も分かっていた。時計を見ると4時。後1時間で『果し合い』だ。でも分からない。

 果し合いというのは、恨みのあるもの同士が決着をつけるために死ぬ覚悟で戦うことだ。僕は死にたくない。犯罪者にだってなるのは嫌だ。

 それにもし周防さんが決死の覚悟で告白をしてくれるにしても、僕は……。


 僕は四方原さんを見上げた。真っ直ぐに彼女の瞳を覗きこむ。

「ね、四方原さん」

「え?」

 四方原さんの瞳が動揺したけど続ける。


「変な手紙貰っちゃったんだ」

「ええ?」

「だから、今日の僕は変なんだと思う」

 大きく動揺する彼女に淡々と話す。

 誰かに話すとすっきりする。

 部活のことでも、よく四方原さんに相談した。彼女はいつも聞き役に回ってくれた。

 それに聞き役だけじゃなく、こっそり根回しなんかもしてくれていたのを僕は知っている。

 簡単なチューリップではなくて手間のかかるベンジャミンを部費で購入しようとした時とかね。


「手紙の……」

「内容は言えない。書いた人の尊厳に関わる」

 僕はきっぱりと言った。

 この時、四方原さんは寂しそうな顔をしたけれど、しょうがないじゃないか。

 

「そう」

「うん。だから明日になれば僕はしっかりしていると思うんだ」

「うん。西宮君」

「ん?」

「頑張ってね」

 四方原さんは寂しそうに笑った。

 彼女の笑顔に胸が苦しくなる。多分すごく誤解されている。ラヴレターだとか思っている。

 僕だって正直分からない。

 本当の果たし状なのか、命を賭けたラヴレターなのか判然としない。

 けど誤解された上に応援とかされると、なんか、……もやもやする。


 このもやもやを抱えたまま部活は終った。

 後片付けもそこそこに、部室の鍵を四方原さんに預けて、体育館裏に向う。

 校舎から外に出た途端、冷たい風が顔に吹きつけてきた。

 首からうなじにかけた一帯が冷えて身震いする。雪が今晩から降る。寒くて当たり前だ。

 この寒い中を周防さんが待っている。果たし状の意図がどうだろうと待たせたくはない。

 足が自然に速くなって、結局走った。


 そうして駆けつけた体育館裏に、周防さんはいなかった。

 代わりに立っていたのは志摩軍旗(しまぐんき)君だった。

 彼は四方原さんの同級生。

 僕と学年首位を争うライバルだ。帰国子女のためか英語が完璧。国語がネックだけどいつも95点を下らない。数学はいつも満点。背は僕より5cmほど高い。

 スポーツは団体競技以外は物凄い。100m走、砲丸投げ、走り幅跳び、全部が国体レベルの帰宅部だと四方原さんから聞いている。

 彼女は体育で彼が記録を出すたびに陸上部入りを勧めるのだが、いつも『うるせえ』と言われる。そして部室で愚痴を、僕に漏らすのだ。


「もったいないよね。本当に凄いのに」

 こんなに万能なのに彼は四方原さん以外の人とは全く話さない。

 学校行事はいつも休む。修学旅行ですら欠席した。協調性は皆無だと思う。

 周りもそんな彼にはお手上げだ。

 けど苛めに遭っている感じはない。

 くまの濃い三白眼に迫力があるからだ。


 でも柄の悪い男子たちが、一度彼を校舎裏に引っ張って行くのを見たことがある。

 僕は暴力が怖い。

 けどだからこそ止めに入るべきだと思って追ったら、すぐに彼が校舎裏から帰ってきた。

 気だるい歩き方だった。

 

 男子たちは次の日から不登校になった。多分、志摩君が何かをしたのだろう。

 でも彼が何をしたのかは謎だ。追及する気もない。怖いからだ。


 そんな怖い彼が体育館裏に立っていた。気だるい視線を僕に寄越す。


 脳裏を不登校になった不良たちの顔がかすめる。怖い。けど周防さんの名前を語るのは許せない。

 胸元から果たし状を取り出す。


「これを書いたのは志摩君?」

「違う。周防だ。あいつは西宮、お前を襲うつもりだった。理由はあいつに訊けよ。この先に拘束しといたから()いてやれ」

 志摩君は淡々と応えた。親指を立てて後方、冬場は使われないプールを指す。声に険しいものは無かった。それどころか何の感情も無かった。


 僕は、そうか、と言って彼を通り過ぎた。その時、訊かれたんだ。

「四方原の事は好きか? 俺は転校するんだ。答えてくれ」

 僕は彼を振り返る。

「好きだ」

 声が驚くほど自然にでた。僕じゃないみたいだ。でもすぐに恥ずかしくなってプールに駆け出した。

 

 それが志摩君と会話をした最後だった。次の日、彼は転校していた。


 ちなみに周防さんは本当に拘束されて、プールの着替え小屋横の地べたに転がされていた。手首を後ろ手。手錠でガッチリ。口に蛍光ピンクのガムテープを貼られていた。

 小さな鍵が同じ色のガムテープで彼女の横の壁に貼りつけられていた。

 位置は四方原さんの背の高さくらい。明らかに志摩君の仕業だった。すぐに鍵をはがして錠を解いてあげる。けど周防さんは果し合いの理由については教えてくれなかった。

 代わりに僕を凄い目で睨んで立ち上がり、毅然とした姿勢で去って行った。


 次の日から、周防さんは殺し屋みたいな目で、僕を見てくるようになった。けど不良たちみたいに不登校にはならなかっただけでも、僕は嬉しい。

 結局謎は謎のままだった。でも、誰にも秘密を守る権利があると思う。

 

 あ、もう一つ、凄い事が起きたんだ。部活で四方原さんが目を合わせてくれなくてね。昨日の事を気にしているのかな、と思っていたら、部活の後、廊下で呼び止められた。

 彼女は真っ赤な顔をして俯きながら、USBを渡してくれた。

「昨日、志摩君がくれたの。これ、……わたしも、だから」

 そう言って兎みたいに通路を逃げていった。凄い勢いで遠ざかっていく背中に、狐につままれたみたいな気分になったけど、帰宅後にUSBの中身を確認した。そしてびっくりした。


『四方原の事は好きか? 俺は転校するんだ。答えてくれ』

『好きだ』


 音声ファイル。志摩君がこっそり録音していたのだ。僕は頭が真っ白になった。気がつけば四方原さんに電話をして、色々と恥ずかしいことを喚きたてていた。

 その晩から僕達は付き合うようになった。

 

 部活が終っても一緒にいて、帰り道も連れだって歩いた。昨日から降り続いた雪は止んで静かな夕方だった。

 昼間に一度融けた雪はまた凍って、踏む度にザクザクと言う音がする。(はや)されているみたいだった。


 手をつなぎたいと強く思った。けど、僕には勇気が無かった。寒いし。2人ともダッフルコートだった。 僕らは俯いて、それぞれ自分のポケットに手を突っ込んで歩いてたんだ。

 雪に埋もれた歩道に自然とできた細道は、生徒たちが踏んでできたものだけど、変な傾斜を帯びてた。

 気がそぞろだったからだろう。僕の踵はつるっと前に滑った。僕は逆上がりをするみたいに大きく右足を宙に蹴り上げて、盛大に転んでしまった。

 すごく惨めで恥ずかしかった。

「大丈夫?」

 と四方原さんがダッフルコートを僕に屈めて、上から手を差し伸べてくれた。

 僕の真上に、彼女の髪と、そばかすの愛らしい顔と、息と雲間に星の瞬く夜空があった。

 うん、と言って、彼女の手を掴む。

 立ち上がって、手をつなぎ直す。

 その後もずっとつないで歩いた。雪がまたちらついてきた。祝福するみたいに。


 しばらく進むと道はT字路に至った。正面にはセブンがある。右が四方原さん、左が僕。それぞれの家に続いている。

 

 一緒に歩く時間が終るのが惜しくて彼女をセブンに誘った。

「あたしも入りたかったの」

 四方原さんははにかむみたいに笑ってくれた。


 雪道が寒かったからだろう。セブンに入ると、四方原さんの頬は赤くなった。

 彼女の頬の赤さ、赤に混じったそばかすが林檎みたいで、僕は島崎藤村の『初恋』を思い出した。

 そして思ったんだ。

 

 謎として語り継がれる『初恋』の彼女よりも四方原さんの方が、断然綺麗だし素敵だって。

 後、冬が寒いのも良いなあ、とも。というのも、僕は寒いと必ず風邪をひく。だからその日まで冬はあまり好きではなかった。

 これは大きな進歩かもしれない。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 新月の夜に光はない。

 闇しかない。

 先進国の都市部は夜とは言わない。あれは馬鹿みたいな照明焚いてるだけだ。


 人以外の何か、物の怪の気配。あれを感じれるのは、新月の夜だ。

 人がいない代わりに、森が、泥沼が、そして死が在る場所。

 電力の供給も遮断されて、火を焚こうもんなら9mm弾が飛んでくる場所。

 それが戦場だ。そしてこの戦場が、俺、志摩軍旗が一番落ち着く場所でもある。


 物心ついた時には、傭兵稼業の親父と戦場を巡っていた。

 子連れ狼の現代版だな、と俺を高い高いしながら、フランス人の傭兵が言っていたのを覚えている。

 子連れ狼は分からなかったが『日本かぶれが』と嬉しそうに笑う親父の顔は、俺の脳味噌にしっかりと刻まれた。 

 戦場では一通りの事を学べる。読み書きは武器の取り扱いに必須だ。


 爆弾物の処理。食糧の調達。空いた時間は武器のメンテナンスと訓練。

 親父は俺がするべき任務を『ミッション』と呼んでいた。

 ミッション、つまり任務だ。

 俺はこれをこなすことで練達する。

 生き延びる力を身につける。


 それでも余った時間は親父と本を読んだ。

 これもミッションだ。


 14歳になる頃には俺はいっぱしの少年兵になっていた。


 俺に一通りの技術そして経験を積ませたからだろう。

 ある日、親父は『お前に日本を見せたい』と言った。


 その1週間後には北海道の叔父のいる中学校に転入させられていた。

『せっかくだ。色々見ておけ』と親父は笑顔で言った。

 そして叔父に俺を預け姿をくらました。


 『色々見る』のがミッションだと思った。


 中学校には戦場とは違う社会があった。

 蟻の巣みたいなもんだ。

 ちっちぇえ中で色々している。

 俺は戦場で蟻も食べるが、まみれるのは好きじゃねえ。

 だから誰とも関わることはしなかった。

 修学旅行もさぼった。蟻どもにまみれたくなかったからだ。

 


 観察は嫌ってほどしたけどな。

 クラス全員の名前。趣味志向。部活。人間関係。まあ色々だ。

 全員蟻みてえなもん、……でもなかったな。1人だけ違った。


 四方原瑞希。ひたすら明るい女だ。

 鬱陶しい程の節介焼きだ。一番意味がわかんねえ女でもある。

 分からねえ事は考える必要はねえ。

 が、親父のミッションは『色々見ておけ』っつう事だった。


 だから四方原に一番の注意を払うことにした。

 いや、したかったんだな。俺の目はあいつを追う。

 飛びぬけて別嬪とかじゃねえ。が、とにかく目を引く女だ。


 奴を追う内にあいつの周りの人間関係が見えてきた。

 園芸部長、西宮一樹。ひょろっこいが頭が良い。

 勉強って意味じゃない。

 慎重だが決断は大胆だ。

 戦場では長く生きるか、あっさり死んじまうかのどっちかだろうな。


 バレー部員、周防楓。

 こいつは俺と似た臭いがする。硝煙というより、血だ。

 ごくたまに戦場で出会って親父が苦戦してた種類の人間。

 ヒットマン。殺し屋だ。しかも現役ってやつだ。

 闇社会の格闘士かもしんねえ。

 聞いた事がある。巨大企業の利得を賭けて試合が行われる闘技場。

 目にくまを作っているのは夜に『仕事』をしているからだろう。殺しか試合かのどっちかだ。

 向こうも俺に気付いているはずだがあえて接近はしてこない。

 まあ、戦闘しないに越したことはない。


 周防について観察をしているうちに気がついた事がある。

 あいつはバレー部だが、試合の時は隙だらけになる。


 いつもじゃねえ。

 四方原と組んでる時だけだ。

 バレーボールにだけ集中し四方原と呼吸を合わせようとしている。

 恋する女みてえな献身。

 そのうち気付いた。


 みてえな、じゃなくて、そのものだ。

 あいつは四方原に恋をしている。 


 難儀なことだな。性別の壁越しの恋か。しかも四方原が好きなのは西宮だ。


 以前の俺なら周防を哂ったことだろう。

 戦場には腐るほど変態野郎がいる。

 俺も襲われかけた。そして返り討ちにしてきた。

 が、周防の事は笑う気にはなれない。

 俺は四方原が好きだからだ。『色々見ておけ』がミッションだ。

 『色々工作しろ』じゃねえ。

 ただの傭兵に、平和な国の浮かれた餓鬼どもに介入する義務も資格もない。

 だが四方原には介入したかった。


 『見る』というミッションの範囲を越えて、あいつの家に盗聴器を仕掛けたりした。

 声、会話、色々な音。聴くと股間がうずく。たぎって硬く熱をもつ。苦しい。

 自慰で解消できそうな感覚だった。が、自慰は危険だと親父に言われている。

 だからしない。馬鹿になるからだ。苦しい中で、研ぎ澄ます。それが傭兵の条件だ。

 俺はひたすら聴覚を研ぎ澄まし、微かなズレを知覚した。共鳴反応。ジャミングが起きている。もう一つ、誰かが四方原の家に盗聴器を仕掛けている。

 そんな奴は1人しかいねえ。周防だ。くそ、どこまで同じ穴の狢なんだ、全くよお。


『周防だろ』

 返事がくるまで3時間かかった。

『……志摩軍旗、か』


 これが周防との初めての会話だ。中学2年の夏。

 俺は四方原の家にスピーカーを設置した。

 周防と話したいと思ったからだ。

 3時間の間に周防は四方原の家に出向いてスピーカーを設置したはずだ。

 あいつは俺のスピーカーを探したはずだが見つけられなかった。

 俺もあいつのは探せなかったからな、おあいこって奴だ。


『ああ、俺だ。やっぱりお前だよな。こんな事する奴、俺かお前しかいねえ』

『用件は何だ? 手短に言え』

『今、お前は迷っている。俺を始末するべきか。生かしておくべきか。始末するのは簡単だと思っている。お前は高慢ちきだ。けど俺は四方原と同じ組だ』

『……』

『沈黙は図星って事だよな。お前は四方原が悲しむ事はしたくない。あいつの事が好きだからな』

『今からお前を始末しに行く』

『俺は傭兵だ。殺し合いの経験なら、お前より長いぜ』

『……待っていろ』


 この会話の1時間後、俺たちはやり合った。

 これが最初のやり合いだった。

 その後も何十回とやり合ったが、パターンは大体決まっていた。

 あいつは黒塗りの長物を扱い夜の闇に紛れて襲ってくる。


 ひゅっという風切り音が鳴ったと思ったら肉が刻まれている。


 俺は暗視ゴーグルをつけて足りない分を軌道の予測で補い急所をかばう。

 そして迎撃する。


 環境を生かした戦いなら俺だ。ただし決め手にかける。直接戦闘ならあいつの方が強い。

 周防は搦め手に弱い。殺し屋だけあって気も強いが、やはりプロだ。

 冷静で仕事に障ることはしない。


 やり合った後は短いが会話をした。

 言葉は多ければいいってもんじゃねえからな。

 濃密な会話だ。


 その会話で周防について色々な事がわかった。

 あいつはプロの殺し屋。闇社会の賭け試合で生活している。

 趣味はバレー。やっぱり四方原の事が好きだ。それは俺と同じだな。


 四方原が西宮の事を好きだって分かっているのも同じだ。

 殺し屋だもんな。見抜けて当たり前だ。

 ただ違うのは、あいつは西宮を始末したいと思っている。

 理由は嫉妬だ。

 まあ、性別の壁からくる嫉妬で、世の中の『四方原と恋愛をする資格のある若い男』全員を、本当は始末したいらしい。

 若い男は全員始末したいっつうのも、ぶっ飛んでるが、あいつらしい。


「ギリギリなんだな。大変だ。俺もお前も。まあ、俺は西宮を応援してっけどな」

「あんたが冷静を気取ってるだけでしょ。始末したいと思わないってのは、嫉妬もない。嫉妬すら抱けないうっすい感情で、あたしと同質感を持たないで」

 きつい言葉だが事実だ。

 俺は親父が寄越したミッションをこなしている。

 少し外れても大きくは外れない。

 介入はしないし、できない。

 西宮には四方原を幸せにして欲しいし、あいつにはその能力がある。


 冬の初めに親父がひょっこり現れた。


 ミッションの進捗を訊いてきたから色々全部ぶちまけると、親父は豪快に笑った。

 それからすっげえ優しい目をして、俺の髪をくしゃくしゃにした。

「軍旗。お前は良い仕事をしてるな。で、だ。得意先から仕事の依頼がきた。中東だ。俺とお前、セットでご指名だ。行くか? それともここでまだ、殺し屋のお姉ちゃんと初々しい中学生たちを『見ていたい』か?」

「行く」

 俺は即答した。

 俺は傭兵だからだ。

 そうして生きてきたし、これからも生きていく。


 親父は歯をみせて、にやりとした。

「そう言ってくれると思っていたぜ。さすがは軍旗、俺の息子だ。出発は明後日だ。準備しとけよ」

 そう言って親父は立ち上がり、叔父さんに挨拶をして玄関から出ていった。

 玄関を使うのは親父にしては珍しい。

 日本って感じがして切なくなった。俺はこの国に愛着が湧いている。


 その晩、俺は周防に連絡を取った。

 盗聴器越しの会話だ。


『周防、聞いているか』

『……なんだ』

『明日、四方原と西宮を恋人にさせる。両思いだから簡単だ』

 長い沈黙の後、返事がきた。

『じゃあわたしは西宮を始末する。正式な手順で果し合いを申し込み、潰す』

『勝手にしろよ。ただし俺はお前を阻止する、試合を潰されたら四方原の事はあきらめろ、元々赤い糸でつながってる奴らだ』

 返事を待ったが、結局来なかった。


 翌日、俺は周防をがちの戦闘で破り、四方原と西宮をカップルにした。

 胸の奥が甘く疼いたが、これが恋ってやつなんだろうな。

 傭兵にあるまじき大きな介入だが、後悔はしていない。

 だがその感傷は今でも胸に疼いている。


 ……周防に勝てたのは夕方だったからだ。

 闇の中のあいつは、あの頃の俺には厳し過ぎた。


 四方原と西宮がカップルになった次の日の夕方。


 親父のヘリが到着するまで時間があった。

 俺は四方原と西宮が下校する姿を遠くから眺めていた。

 2人とも、歩き方がぎこちない。緊張してるんだろうな。

 全く初々しいぜ。まあ、日本を発つ直前まで見守る俺も大概だけどな。


 俺の隣には周防がいた。酷く恨めしい目で西宮を睨んでいる。

 四谷怪談を思い出させられる恨み具合だ。


「狙撃とかすんなよ」

「しないわよ。わたしだってわきまえている」

 どうだか、と思ったが口には出さない。


 西宮が転んだ。四方原が屈み、あいつらは手をつないだ。

 映画とかなら拍手とか歓声、口笛、あとクラッカーでも破裂するんだろうな。

 代わりに周防がしゃがみ両手のひらに顔を埋めて泣き出した。

 俺は肩をすくめた。

 周防は泣き続ける。雪が降ってきて、こいつの頭に積った。

 払ってやると、触んないで、と手を払われた。

 まあ、それはそうだ。俺は四方原じゃない。


「あんた…じゃ駄目…なのよ」

 かすれたアルト。

「ああ、そうだな。四方原じゃねえと駄目だ。四方原も、西宮しか受けつけねえ」

「知ってる……!」

 また泣き出した。小さな、無防備な頭だ。殺し屋らしくねえ。


 こいつが落ち着いたら汁粉缶でも買ってやろうと思った。


 殺し屋になんかに何かを買ってやろうと思ったのは、初めてだった。



 ……あれから9年が過ぎた。相変わらず俺は中東の戦場にいる。

 今は都市の奪還戦の真っ最中だ。

 あの冬の初めから数えて3つ目の現場。

 その最終局面。


 仲間たちは先に拠点に仕掛けて、俺の部隊が迂回して後方から叩く。

 昼から始まった戦闘は、新月の夜になっても続いている。

 最終だけあって、敵も必死だ。俺はゆっくりと闇を這う。焦らずに進む。


 親父は3年前に死んだ。戦死だった。

 今回みてえな最終局面で、敵を引きつけているうちに流れ弾にやられた。

 ドラマティックでもなんでもねえ、糞みてえな死に方だ。

 糞みてえじゃなくて糞だ。

 作戦なんか適当に切り上げて、さっさと引き上げときゃ良かったんだ。

 だが親父は拘った。作戦の成否がかかっていたからだ。


 やられるちょっと前に、お前は先に行けよ、と指示してきた親父に俺は嫌な顔をした。

 すると奴は困った顔をした。


「これは仕事の仕上げだからな。俺たちの仕事は文化的じゃねえ。究極の野蛮だ。形にも残んねえ。刻むのは歴史だけだ。だからこそ、よお。ここ一番! って奴にはたぎるよなあ、軍旗」

 髯面(ひげづら)をくしゃくしゃにして笑う親父の顔が、ずっと脳に焼き付いている。

 


 先に進む時に、俺はちらっと親父を振り返った。

 めちゃくちゃ楽しそうだった。


 いつもは『焦るな』って俺を諌めてたのに、だ。

 そうだ。奴は俺をよく諌めた。

 それは言葉や、時には拳で。


 ……もう俺に『焦るな』と言ってくれる奴はいない。


 

 


 視界がブラックアウトした。暗視ゴーグルの故障か? 

 いや、外部からも音が消えた。代わりに悲鳴。かけ声。停電か。

 違う。これは電磁パルスだ。

 範囲はわからねえが使った奴がいる。


 外は新月の闇で、敵も味方もお手上げだ。銃声がやんだ。かけ声だけが響いている。膠着状態に入ったんだ。


 ひゅっと風切り音がした。

 直後にくぐもった唸り声。人が死ぬ時に出す。

 声は後方、仲間のものだ。


 風切り音と唸り声が続く。襲撃。だが建物内、しかも闇の中では銃は封殺される。

 全員分かっている。だから声をあげない。


 だが、ひゅっという音は止まない。


 暗黒の中、味方がなすすべもなくやられていく。

 酷い状況だ。けど、なんだこれは?


 ひゅっという音。懐かしい音だ。



 俺の部隊は6人。

 5人目がやられた時、俺は闇に向かって口を開いた。

「周防か?」

「……」

 返事は無い。

 代わりにがつん、と衝撃。

 どこだ。顎だ。顎を蹴られた。

 闇を俺はごろごろと回る。背が壁につく。

 俺は床に腰をおろしたまま、脚を緩く曲げて、右手で小銃を構える。


 この音。風切り音の主は周防だ。

 闇の中。あいつは俺を切るのではなく、蹴った。やれたはずだ。


 また、ひゅっという音。


 今度は近い。長物による斬撃。

 軌道は、そうだ。俺の手首だ。

 奴の目的が俺の始末ではなく無力化なら、銃を持つ手首を狙う。

 だから俺は銃を握る手首を、くいっと曲げてグリップの底に左手を添えた。

 衝撃に備えるためだ。


 がん! というでかい金属音。

 銃身と刀身がぶつかって、火花が散る。綺麗な花だ。


 俺は闇に脚払いをする。

 刃の軌道、衝撃と火花の角度。

 そこから推測される二の足に、脚を絡め、倒し、馬乗りになる。 

 柔らかい弾力。女。周防。

 闇の中で長物相手に馬乗りは自殺行為だが、それは相手に『殺意』がある場合だ。

 胴体、肩から推察されるそれ。柄を握る腕を極め、長物を奪い、遠くに放る。


 改めて訊く。


「周防だな。久しぶりだ。俺の仕事を邪魔しに来たのか」

「……」

 返事は無い。俺もこいつを潰したくはない。

 が、仕事だ。腕を潰して首を絞め、気絶させよう。


「あんたを止めに来たの」

 久しぶりの周防の声だ。

 俺は何故か胸がくすぐったくなった。言葉を出せない。


「志摩、あんたがここを攻略するって、闇社会で情報を得た。この先を守っているのは、闇社会最強の奴。あんたじゃ勝てない。確実に死ぬ」

「周防、お前は優しいな」

 闇の中で口元が緩んだ。

 本当にいい奴だ。そして不器用だ。

 俺を止めるためだけに、電磁パルスを使って、部隊も壊滅させた。

 部隊のやつらとは付き合いは長い。不憫だがハプニングで死ぬのも仕事のうちだ。

 闇社会最強、か。その筋では有名な奴だ。


 部隊は俺1人。

 退くか進むかなら、退くのが適当だろう。


『俺たちの仕事は文化的じゃねえ。究極の野蛮だ。形にも残んねえ。刻むのは歴史だけだ。だからこそ、よお。ここ一番! って奴にはたぎるよなあ、軍旗』

 不意に、親父の笑顔が頭ん中に甦った。

 楽しそうに御託を述べる親父の、あの顔だ。


 親父は歴史を刻んだ。そして死んだ。

 俺は……。

 


 そうだ。今夜は最終攻略、つまり歴史を刻む夜だ。

 俺が奴を引き付けているうちに、表の部隊が全体を制圧すればいい。

 そうすれば作戦は成功する。

 親父が言ってた、ここ一番ってやつだ。

 そうだ。俺は進むべきだ。


「だがこれは仕事なんだ」

 周防の顔部分に手のひらを伸ばす。

 真っ暗闇の中だが女の匂いにあたりをつけて、出来るだけ優しく触れる。

 手のひらの向こうの頬が一瞬の硬直を示した。

 親指を顎の下にかけ、上を向かせる。

 左の手で手刀を頚に打ち下ろす。おそらく動脈に命中。

 対象は気絶。

 

 ……悪いな。周防。殺意の無いお前は弱い。


 脱力する周防の頭を手さぐりで撫でる。

 髪が随分と長くなったな、と思う。

 戦場の埃にまみれているが、手触りの良い髪だった。


 俺は周防から離れて進行方向に耳を澄ませた。

 何も感じない。


 だが、この闇が地続きする先には、闇社会最強がいる。


 何となく、あの時の親父の気持ちが分かる。

 すげえ怖え。だが笑いがこみ上げてくるくらい、たぎる。


 俺はひとまず、手持ちの装備を手さぐりで確認することにした。

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