【第二章】己の度量
ようやく雲から顔を覗かせた月が、妖しく真空の『鎌』を白銀に照らし…
俺を『水平』に、目の前に飛んで行った。
霧「!?」
客「おやおやぁ…これは、蝦に鯛がついて来おった…」
ギヒギヒ、と気味の悪い声で笑う老人。ふ
もはや人に化ける理由は無いとばかりに、姿が変わる。
背は曲がり、毛が生え、まるで鼬のような風貌の化け物と化した。
霧「…『鎌鼬』?」
鎌鼬「そうさぁ、私は鎌鼬…四肢を断ち、首を刈り取り、命を穿つ“妖怪”さ!」
子供向けアニメに出て来るものとは全く違う、恐ろしさだけが体現したかのようなオーラを纏い、その牙で噛みつかれればどうなるのか…予想することは難しくない。
しかし『鎌』だ。あの『鎌』は一体何処から来た?
帆楼「むぅ…しかし鎌鼬かの、これはまた厄介な奴に…」
霧「…鎌鼬ってのは、風の亜種現象じゃあないのか?」
ふと感じた疑問をぶつけてみた。
科学によって証明された事を聞くのは野暮かもしれない。
なにせ帆楼は車すら知らなかったのだから。だが、聞かずには居られなかった。
妖怪についてなら、帆楼の方がずっと詳しいのだから。
帆楼「その通り、『鎌鼬』と呼ばれる現象は風でおこる…」
霧「じゃあアイツは?偶然が重なるだけのラッキー野郎じゃあねぇよな?」
帆楼「うむ…奴は風を読む、と言えばよいのかの?」
じゃから、と帆楼が続けた。
帆楼「奴は常に風を見て、どこに鎌鼬が起こるかを把握しておる。そこへ誘導するのが奴じゃ」
霧「は?」
今の帆楼の説明では、大きな矛盾が生まれる事となる。
風を予測するだけで、操る事が出来ないなら、今この瞬間に突っ込めば勝ちとなるはずだ。
それが出来ない…いや、『していない』事への理由もあるはずだ。
鎌鼬「それはねぇクソガキ!アンタみたいに考えた馬鹿が、幾度となく死んでいったからさ!」
帆楼「そうじゃ…何故か奴は自分で『鎌鼬』を起こせる、風を読むだけではなく、な」
帆楼「だから決して不用意に近付いてはならん、奴は危険じゃ」
霧「……」
霧は思考を加速させた。あらゆるものを切断する『鎌鼬』が、自発的に発動できる?
その上見た感じでは、デメリットや反動があるようにも思えない。
それだけ強い能力で、『何故今まで桜花神社は襲撃されなかったのか』?
桜花神社の存在そのものが目の上のタンコブとなっているだろうし、削除したいはずだ。
それが今まで無事に残っている…これはおかしい事ではないだろうか。
霧(いままでの発言といい、今といい…どこか抜けてる)
霧(すげぇ強い…けど、何かを見落としてる気がする)
何処で何を見落としたのか。それさえ分かれば攻略は難しくない。
しかし見つける事は難しい。答えの無い計算式を延々と解いている気分になる。
鎌鼬「考え事かい、クソガキィッ!!」
霧「ッ!」
唸りを上げて鎌が肉薄する。身体を逸らすが、チッ、っと音を立てて服を削る。
服の表面…向こうが透ける程薄く削った『鎌』を見て、やはり戦慄する。
霧(刃物ってのは刃がうすけりゃ威力も増す…どんだけ薄いんだよッ)
帆楼「霧、戦おうとするでない。ここは奴の戦場じゃ」
ビルの群衆から風が吹き込み、障害物となりそうな壁は無い。
昼から夜に代わり、気温が変わった事で気流も狂う。木の葉が渦を巻いて飛んでいる。
帆楼「よいか、何よりもまず『風』じゃ。夜になれば空気も冷え、刃は冷えて重くなる」
霧「…風の来ない場所まで逃げるか?」
帆楼「人のおらぬ場所じゃ、一般人を巻き込むわけにはいかん」
分かった、と口にして走り出す。
帆楼にペースを合わせようか迷ったが、すぐ確信した。
隣を裕々と走る帆楼は、きっと自分にペースを合わせている。
この公園をかけぬけようとした、その瞬間。
鎌鼬「逃すかッ!」
とてつもない風切り音が聞こえ、隣の木が霧の真後ろに倒れた。
遅まきながら『鎌鼬に切断された』と理解した。
帆楼「何をしておる!早く逃げるぞ!」
霧「…ああ」
霧が零した声に、もはや活気は残っていなかった。
…しかし、絶望や恐怖と言った感情は、最期まで入り込む余地も無かったのだが。
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鎌鼬「何処だいーィ…クソガキと古ぼけた神様ぁー…」
そこより少し離れたと…路地を歩く鎌鼬の、フェンスを挟んだ先にある、公園の遊具の中。
マジかよ…と嘆いてため息をついた。
ここから離れる気配もない、どうやらこの近くに居ることは既にバレてしまっているのだろう。
霧「このまま隠れててもいつかバレるぞ…隙を見て」
帆楼「いいや、奴が感知出来るのは人外の気配だけじゃ…儂が消えれば奴は儂を追ってくるじゃろう」
霧「…は?」
信じられない提案だった。「裏切れ」と言われるなど。
世界で一番嫌いなことは陰口やいじめなど…『弱い事』だ。
他人を裏切る…なんて愚かしい事だろう。
霧「…絶対に嫌だ」
帆楼「我が儘を言うでない…分かれ」
霧「断る」
揺るがなかった。たとえ自分の全てを否定されても、それだけは譲れないものが霧にはあった。
だが…。
帆楼「いい加減にせい!!!」
霧「!」
帆楼「お主に何が出来る!?ただの人の仔に!」
帆楼「己の度量を知れ!無理を言うてよいのは幼子だけじゃ!!」
正論だった。
いくら喧嘩が強くても、人より太い木を切り倒す化け物を相手にして、勝てるわけがない。
帆楼「儂はここから逃げる…神社の方には来るなよ」
そう言い残すと、颯爽と走り去ってしまった。
奇怪な笑い声が木霊する、駆ける音が微かになっていく。
己の無力化も怨みきれない、感じたことのない感情が自分の中を駆け巡っていく。
強ければ何とかなったのか。父親に頭を下げてでも教えを乞うべきだったのか。
霧「…俺は」
思えば、いつから『弱さ』を嫌ったのだろう。
とても幼いころ、苛められている子を庇った事があった。
喋ったこともない子だったが、ただなんとなく気に入らなかったというのが理由だった。
次の日からだった。苛めの対象が霧に変わったのは。
誉めてほしかったわけじゃない。ただの自己満足だ。
こうなる事は分かっていたが、少し想像以上だっただけ。
…ただ一つ、庇った子からも苛められること以外は。
石をぶつけられた。無視された。陰口を流された。
霧「…俺の度量…」
あの頃の霧は、己の度量を理解していなかったのだろう。
だが、後悔したことはない。
苛められ、何度も涙を流したが…後悔など無い。
霧「…俺の度量だとッ!?」
霧「ふざけるなッ!俺は保身の為に他人を犠牲にする程度の人間だと言うのか!」
霧「『違う』!!」
あのときに投げられた石は、霧の誇りだ。
庇うとき、足が震えた。恐怖でいっぱいだった。
でも…苛められていた子の方が、怖がっていたのだ。
霧「困ってるんなら…キツくて苦しいんなら!」
言い切る前に走り出していた。
迷いは無かった。ただ、心は真っ直ぐに決まっていた。
『何が何でも助けてやる』
霧(神社は俺ん家だぞ…家に帰るなっつうのかよ)
霧の眼に、覚悟の炎が灯った。
やぁ、また来たのかい?
君も好きだねぇ、これで三度目かな?
それともボクに会いに来てくれたのかな?
…そうじゃないのかい?そんな顔しないでよ。
君に楽しんでもらうため…パフォーマンスさ。
唐突だけど、君は家に帰るとどんなのかな?
家族が待っていてくれる?それとも一人暮らし?
ボクはとある家に居候させてもらってるんだけど
家に帰れば暖かい料理が待ってるんだよ。
やっぱり帰れる家があるのはいいよ…でも、それが無いって言うのなら。
この作品が君の帰ってくる場所になればいい。
霧は君を嫌わないし、ボクは君を受け入れる。
だからまた帰っておいで、暖かい料理はないけど
心安らぐ物語を用意して待ってるよ。