カミサマと一緒 その2 剣はペンより強いが爆弾より弱い
幕前 基本的に幕前は面白くないから読み飛ばしてもいいが後悔するぞ【第2巻用】
時は近未来――世界は一国家となり、なんと全世界を日本が統一していた。日本の世界統一はその精神性にあった。曰く……武士道。
しかし、その実は、世界的大企業であるマウント・フィフス社と手を握り、その『企業傘下の国政運営』によってもたらされた、パックス・ジャポニカであった。
その日本では、西暦2080年を過ぎたころから、内乱に勝利を収め、国政の実権を手中にした官僚派が、荒れ果てた『東京』を捨てて、『新東京』に首都を移転し、そこで日本の政治をほしいままにしているのである。
一方、敗れたサムライ派は、『東京』や地方都市で細々と活動を続け、政権奪取を狙っている。
官僚派は警察機構や軍隊を牛耳っているが、一方のサムライ派も大きな幹をいくつか持ちながら、私設武闘集団を組織してゲリラ活動やテロ活動(「官僚派」の言い分。「サムライ派」は「聖戦」と呼んでいる)を行っていた。
この物語は、そのような激動の時代を熱く生きた人間たちの物語である――――。
え? 時代背景がイマイチわからない? ちゃんと「その1」を読んだんですかぁ~?
じゃあ、年表をもう一回掲載しとくから、きちっと読んで理解してくれたまえ。
なお、ここ、追試に出るから、きちんと予習・復習しておくように。いや、予讐・復讐じゃなくてね……。
(略年表)
2063年(永生元年)…「官僚派」が日本国首相として永山鉄山(42)を擁立。永山は世界的経済界の雄・マウント・フィフス社の日本支局長だったため、日本の社会的機構に大改革を行った。その『聖域なき規制緩和』により、日本の経済界(と言ってもほぼ中小企業だけだったが……)は大打撃を受ける。
2064年(永生2年)…「サムライ派」の重鎮・宮辺貞蔵(44)が「新精神政策論」を発表し、政権を非難する。永山政権は宮辺を弾圧。宮辺は郷里の肥後に逃れる。
2065年(永生3年)…肥後の「サムライ派」の雄・宮﨑八郎眞郷(30)が、「岱山郷塾」を開
講する。
2070年(永生8年)…永山鉄山首相が暗殺される(享年49。この暗殺は、永山に利用価値を見いだせなくなったマウント・フィフス社の陰謀であった)。マウント・フィフス社と組んだ軍需相の小田信名(27)がクーデターを起こし、軍事政権樹立。信名は永山首相暗殺実行犯として宮﨑眞郷を投獄、処刑する(眞郷の享年35)。
2071年(永生9年=明示元年)…4月6日、宮﨑眞郷門下生が小田政権に反旗を翻す(永生・明示の乱勃発)。サムライ派の主な人物として、武田春信(31)、上杉剣心(25)、毛利元成(33)、伊達正昌(22)、西郷大盛(35)らがいる。12月改元。
2077年(明示7年)…3月、八神主税(20)を局長、鳴神雹(20)を副長、犬神主計(20)を参謀として、200人の兵力で『協同隊』が旗揚げする。『協同隊』は、当初、武田春信の甲州軍に属して東京の制圧を狙い、新政府軍と戦う。
2078年(明示8年)…5月、武田春信戦死(享年38)。10月、毛利元成病死(享年41)。
2079年(明示9年)…8月、後世に残る『サムライ派』最後の大勝利である『利根川の合戦』が起こる。サムライ派は上杉剣心(33)を大将とした約3万人、官僚派は陸軍中将・第1師団長である佐久間信守を大将とする約2万人。この戦いに『協同隊』(隊士300人)も参加し、特に副長・鳴神雹(22)はその鉄の軍紀から“鬼の副長”、その華麗で凄絶な戦いぶりから“白い稲妻”“双刀鬼”の異名をとり、一躍サムライ派の伝説となる。
2080年(明示10年)…3月、上杉剣心死去(享年34)。5月、最大の決戦である『東京の戦い』でサムライ派が完膚なきまでの敗北を喫する。サムライ派は西郷大盛(44)を大将に、中村半太郎(34)、篠原主幹(33)、村田新吾(32)、別府晋作(30)、永山一郎(31)、池上弥四郎(30)の6個連隊・約2万人。これに鳴神雹(23)たちが属した『協同隊』(隊長・八神主税、参謀・犬神主計、副長・鳴神雹=“双刀鬼”)500人などを含めて2万5000人。官僚派は陸軍中将・第1師団長である柴田束家を大将とし、第2師団長・明智光正、第3師団長・橋場秀吉、第4師団長・庭秀長、第5師団長・竹川一益、第6師団長・前田俊英の計14万人。西郷は自刃、中村と篠原、永山、池上は戦死。村田と別府は行方不明。『協同隊』も、八神主税はじめ雹の親しい友人たちが戦死する(八神の戦死は未確認)。
2083年(明示13年)…この物語のスタートです。
【主な登場人物紹介】
鳴神雹…東京都十二支町龍崩区2丁目15番地にある『鳴神神社』の神主にして、何でも屋である『頼まれ屋』を経営している。金髪赤眼でいつもはずぼらでダメ男だが、やる時はやる男。天才的な二天一流を使う『真のサムライ』である。
佐藤清正…肥後から新政府の官吏になるために上京してきた16歳の少年。龍崩区1丁目に姉とともに二人暮らしをしている。二天一流の免許保持者で『頼まれ屋』の従業員。ツッコミ役とナレーターを勤める、“気配り草食系少年”。
雨宮霙…風魔忍群の末裔で、一家離散の憂き目にあった14歳の少女。茶髪碧眼のツインテールに、大阪弁でしゃべる可愛い子。身が軽く、忍術の腕も確かな『頼まれ屋』の従業員。KY気味で食い意地が張っているが、雹を兄と慕い、現在『頼まれ屋』に同居中。
佐藤誾…清正の姉で、文武両道、家事万端お任せのエキセントリックな性格の美人。肩までの黒髪で清楚な雰囲気を持っている。今年20歳だが嫁に行かずに弟の面倒を見ている。現在、寺子屋の訓導として勤めている。心に決めた人がいるが、それは雹のことなのか?
中西琴…陸軍大尉で武装警察『真徴組』の紅一点。剣の腕は大したものだが、酒癖が悪いのが珠にきず。雹に惚れてしまったかもしれないドM娘。
では、第5章から、張り切って行ってみよう!
第5幕 剣はペンより強いが爆弾より弱い
「||:←最初にこんなマーク入れて。で、次の段落に飛んでっと……」(注・作者からのお願い…最初に読むときは、どうぞ次の段落から読んでください)
梅雨も終わり、いよいよ日差しが強くなってきた7月の初め、僕たち『頼まれ屋』の三人――『頼まれ屋』の主人の鳴神雹さん、従業員の雨宮霙ちゃん、そして僕、佐藤清正――は、いつもどおり事務所の中でグダグダしていた。
「雹ちゃ~ん、あっついよぉ~」
僕の向かいのソファに、“FUMA”のロゴが入った赤いジャージを着て寝転がっている霙ちゃんがそう言うと、椅子からずり落ちそうにしている雹さんも
「あっつい言うな、まだ初夏だぞ。夏本番の暑さは、こんなもんじゃないぞ?」
と、声からしてダレきったように言う。
「でも、確かに今年は暑いですよ。まだ午前中なのに、部屋の中はもう29度もありますよ?」
僕はソファに座って、着物の胸元を広げながら言う。すると、霙ちゃんが僕をキッと睨んで言った。
「温度の話をすなっ! 余計暑くなったやんけ!」
「まあまあ、霙、『心頭滅却すれば火もまた涼し』って言葉、知ってるか?」
雹さんが椅子にうじゃじゃけたまま言う。
「知らへん……火は熱いにきまっとるやろ。誰や、そないなバカなこと言うたんは?」
霙ちゃんがイライラした調子で答える。雹さんは扇で仰ぎながら、
「むか~し、織田信長が武田勝頼を攻め滅ぼした時、武田方の寺の住職だった快川和尚が、そう言って放たれた火の中で座禅しながら焼け死んだって話さ」
そう言う。霙ちゃんはじたばたしながら言った。
「そんなん嘘やん! 火の中に居ったら熱いはずやで! クーラーもないこんなボロ屋におるうちたちは、その何とか言う和尚とおんなじや! 雹ちゃん、クーラー付けよう! 付けてェな!」
「ダメだ! 雹さんはびんぼうだから、クーラーなんて高価なものを買う余裕なんてな~い!」
「あ、あの、雹さん……言ってて自分で哀しくなりませんか?」
僕が言うと、雹さんは眉を寄せて言う。
「哀しいよ! あ~そりゃ哀しいよ!? 俺だってお金さえあれば、クーラーと言わずエアコンつけて快適な暮らしをしたいよ? 雹さんだって人間だもの。でも、でもでも、先立つものがナッシング!無い袖はキャンノット・シェイクだよ」
――雹さん、その英語、ちょっと違う……。(2度目はここから「D.S.」)←最初は気にしないで読んでね❤
僕がそう思って突っ込もうとした時、遠くの方でパトカーや消防車、はては救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
「何やねん?」
霙ちゃんが起き上がって言う。サイレンの音はますます多くなっていく。
「交通事故かな?……にしてはサイレンの音が多すぎるなぁ」
僕が言うと、雹さんが言う。
「交通事故には普通、消防車は来ない。何か事件があったんだろうな。おい、霙、テレビ点けてみろ」
「あいあい」
霙ちゃんがそう言ってリモコンのスイッチを押すと、ちょうど『新東京テレビ』でニュースをやっていた。画面には、新東京三鷹区の中心街で大火災が発生している場面が映った。
『凄い火災ですね。現場の穴田さ~ん!』
テレビキャスターが、取材班を呼び出す。すぐに画面は事件現場に切り替わり、可愛らしいニュース・レポーターの姿が映る。雹さんのお気に入りの穴田アナだ。
「おっ、穴田アナだ! いつみても可愛いなあ……」
雹さんが椅子に座りなおして言う。そんな雹さんをじろっと見て、霙ちゃんが言った。
「ふ~ん、雹ちゃんはこんなちっぱい娘が好みなん? うちの胸とええ勝負やん。うちは誾姉ちゃんの方がええなあ」
「いやいや、ちっぱいはちっぱいなりにいいところがあるのさ」
「あの、雹さん、今は事件のことなんですけど……」
僕がそう口をはさむと、雹さんははっとしてテレビ画面を見つめた。これは国会議事堂の近くだ。大きなデパートがほぼ半壊している。死者はない模様だったが、負傷者はかなり出ているようだ。
『近くに住む人によりますと、何回か“バーン”という破裂音がしたそうですので、爆弾か何かであると思われます。警察や『真徴組』が、テロの可能性も含めて、現場の状況を詳しく調べています』
穴田アナが、真剣な表情で、やや興奮気味にしゃべっている。
「雹さん、これって、爆弾ですよね?」
僕が訊くと、雹さんは椅子の背もたれにもたれながら、さっきの緊張感もくそもない声に戻って言う。
「だろうな……新政府のやり方に不平不満があっても、テロはよくないな」
「あ~、火事の場面見たら、また暑くなって来たっちゃ~。雹ちゃん、やっぱりクーラー付けへん?」
霙ちゃんがソファに横になって言う。
「ちょっと、これじゃ最初に戻っちゃうじゃないですか?」
僕が言うと、雹さんはめんどくさそうに言った。
「じゃ、ここに、:||←こんなマーク入れて、最初に戻って↑……で、『セーニョマーク』っと。これでいいだろ?」
「意味わかんねぇ!! これは楽譜じゃないんですよ!?」
僕がそう突っ込んだとき、事務所の玄関のチャイムが鳴った。
「おい、キヨマサ、お客さんだ」
ソファに寝転がったまま霙ちゃんが言う。僕はむっとして言った。
「何で僕が出ないといけないんだ! 僕じゃなくてもいいだろ? 霙ちゃんでもいいだろ?」
「うるさい、暑さに強いキヨマサが行け。うちは暑いと動けなくなるねん。ただでさえ今、××なのに、イライラさせんといてくれへんか?」
霙ちゃんがむっとした顔でそう言う。まあ、××中なら、オンナノコがイライラしてだるいのもしょうがないか……僕はそう思い直し、立ち上がって玄関へと向かった。
と、雹さんが霙ちゃんに聞くのが聞こえた。
「おい、霙、××って、ひょっとして女の子が月に1回なるアレか?」
うわああああ! 雹さん! 女の子に面と向かって何てこと聞くんですか~!!
すると、霙ちゃんが割と冷静に答えていた。
「ううん、ちゃうねん。××は『空腹』やねん。雹ちゃん『△▼』て思った? スケベやなぁ~」
なにぃぃぃぃぃ! 『空腹』ぅ~!? 気を遣って損したぁぁぁ!
僕がそう一人ツッコミをやっていると、玄関のチャイムがまた鳴らされた。いかん、こんなことやってる場合じゃなかった。
「あ、お待たせしました。は~い、どうぞお入りください」
僕がそう言うと、玄関が開いて、三つ揃いのスーツをびしっと決めた若い男が入ってきた。年のころは雹さんと同じくらいで、背の高さも、そして雰囲気もよく似ている。ただ違っているのは、その男はつやつやとした黒髪を長く伸ばしていたことだ。
「こちらに、鳴神信郷と言う男はいませんか? 金髪のくせっ毛で目が赤く、きりっとした男ですが」
お客の男は、そう僕に聞いてきた。僕は、『きりっとした』という部分を聞いて、雹さんのことじゃないと思ったので、こう答えた。
「いえ、金髪で赤眼の人はいますが、きりっとしていないし、名前も鳴神雹と言います。人違いじゃないですか?」
するとその男は、ニコッと笑って
「人違いかも知れませんが、ともかくその方に会わせてください。大事な用事があるんです」
そう言ったので、僕はうなずいて言った。
「分かりました。どうぞ、中にお入りください」
その男が玄関で靴を脱いでいる間に、僕は雹さんに来客を告げる。
「雹さん、お客様が事務所に入られます」
すると、ソファでうじゃじゃけていた霙ちゃんが顔を出して、
「うち、お茶の準備するね?」
そう言って台所へと入って行く。
「失礼します」
男はそう言って事務所の引き戸を開け、雹さんの顔を見た途端、
「おお! やはり信郷じゃないか。『東京の戦い』の後、姿が見えなくなっていたので心配したぞ」
そう言って懐かしげに雹さんの所へと歩いて行く。雹さんも、男の姿を見た途端に立ち上がり、何か言いたそうにして黙ってしまった。
雹さんは、握手しに来た男の肩越しに、僕に向かって言った。
「清正、霙と一緒に台所にいてくれないか? お茶はいい。自分で出すから」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「まあ座れ、主計。よく俺の居場所が分かったな?」
雹はスーツの男にそう言って、自分も向かいのソファに腰を下ろす。主計と言われた男は、ゆっくりとソファに腰を下ろすと、おもむろに言った。
「……お前のことだ、そう簡単には死なないとは思っていたが、探し当てるのに3年もかかってしまった。俺も新政府からお尋ね者扱いだから、なかなか動けなくてな……」
「清香は元気か?」
雹が訊くと、主計はその鋭い目を細めて笑い、
「相変わらずだ、お前一筋だよ。今回も一緒に来ると言ってきかなかったが、『真徴組』の動きが活発でな、なかなか二人で行動するのは難しいんだ」
そう言うと、雹の群青色の詰襟シャツとジーンズを見つめて続ける。
「群青色は、眞郷先生が好きな色だったな……“青は藍より出でて藍より青し”……先生の声は、耳にこびりついている」
「俺は、藍から出で損ねた男さ……こいつぁ俺のセンチメンタリズムに過ぎねェ……。ところで主計、何の用だ?」
雹が訊くと、主計は、ニコリと笑って言った。
「何の用だとはご挨拶だな。『協同隊』の同志が久しぶりに会いに来たんだ。俺が何を言いたいかは分かるだろう?」
その言葉を聞いて、雹はその赤眼を細めて主計を見つめ、低い、感情を込めない声で訊いた。
「……さっきのあれも、お前の仕業か?」
「あれ? 何のことだ?」
「三鷹区の爆弾テロさ。あれはお前の仕業かと聞いている」
すると主計は笑って言った。
「はっはっはっ、爆弾テロだと? 信郷……」
「俺は『雹』だ。それ以外の名で呼ぶな」
雹がそう決めつけると、主計はびっくりした顔をしたが、やがて真顔に戻って言う。
「……分かった、眞郷先生から頂いた名で呼ばれるのが嫌なら、もう呼ぶまい」
すると雹は、首を静かに横に振って言う。
「主計、信郷と呼ばれることが嫌なわけはなかろう。しかし、あの名前は眞郷先生から頂いた名だ。眞郷先生の志を継げない俺には、名乗る資格はない」
その沈んだ雹の顔を見て、主計も一瞬、沈痛な顔をしたが、すぐに元に戻って言う。
「雹、俺たちは大義のために戦った。そして俺は今でも大義のために戦っているつもりだ。俺たちの大義とは何か? 眞郷先生が言われていた、百姓昭明、四海平等こそが大義だと信じている。しかし、人々の暮らしの安寧を目指すものが、テロなどと言う人々の生活を破壊する手段を取っていいか? 俺は、一部の『サムライ派』の奴らの『聖戦』と言う言葉が、虫唾が走るほど嫌いだ。もはや新政府は武力では倒せない……しかし、やり方はある。平和的な方法で、人々を目覚めさせて、その力でこの国を変える方法は、きっとあるはずだ! そのために俺は、大野正号代議士と組んで、政治的な活動によってこの国を変えようとしているんだ」
真剣に熱く語る主計を見て、雹はその表情を緩めた。
「……すまなかった、主計。俺はあのテロを実行した奴がお前の仲間かと勘違いしていた」
「分かってくれればいい……。ところで、お前に頼みがあるんだ」
主計は、そう言って雹を見る。
「俺は、今『黎明社』という雑誌社をつくっている。お前にもそれを手伝ってほしいんだ」
「雑誌? いや、俺には無理だ。お前の活動を陰ながら支援することくらいはできるかもしれんが、活字が苦手な俺に、雑誌なんかつくれるはずがねェ」
雹はにべもなく断る。すると主計はくくっと笑って言った。
「そうか、それは清香ががっかりするだろう。まあ、気が向いたらいつでも遊びに来てくれ。ここが俺たちの会社の場所だ」
そう言うと、主計は名刺を雹に渡し、『頼まれ屋』を出て行った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
一方、こちらは子の日区13番地13号の『真徴組』屯所である。屯所の総括室に、5人の男たちと1人の女が集まっていた。男たちのうち4人は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「……で、今日の新東京三鷹区のテロ事件のことだが……」
『鬼の頭取』と呼ばれる『真徴組』ナンバー・ツー、俣野藤弥大佐が、怒りを抑えたような声で言う。
「現場を検証した結果、手榴弾の破片の他に、こういうものが出てきた」
そう言うと、俣野大佐は後ろに置いていたボストンバッグから、金属が捻じ曲がったような破片類を取り出して、テーブルの上に置く。その破片は白や黄色に塗装され、一目で翼と分かるような大きなものもある。
「……織部、こいつに見覚えはねェか?」
俣野大佐は、自分の目の前に座った、まだ二十歳をいくつも出ていない若い男に尋ねる。織部と言われたその青年、玉城織部少佐は、サラサラしたオリーブ色の髪をかき上げながらニコリと笑って言った。
「そいつぁ、間違いなく俺のスティンガーの弾の破片でさあ。いや~、もうちょっとで『新東京パイナップル娘』犬神清香を粉々にしてやれたのに、このバカ女が邪魔しやがるもんだから……」
そう言うと、自分の左手に座った中西琴大尉を肘でつつく。
「なっ!? 何言ってんですか? ボクは総括から『町中で飛び道具は使うな』と言われていたことを思い出したので、少佐殿を止めただけじゃないですか!?」
琴は眉を寄せてそう言う。それを聞いて、織部は、ハンと鼻で笑って言った。
「止めるも何も、おめぇが俺に抱き着いてこなければ、トリガーは引かなかったんでィ。あんなところでつまずいてよろけるなんて、おめぇ、近ごろたるんでねェか? 何でィ、その制服の色は? 俺ぁピンクなんてふざけた色の制服、認めねぇぞ!」
「緑だかこげ茶だか分かんない色した制服着てる、あんたに言われたくないよ、少佐。それってうん○の色じゃない?」
琴が言うと、織部は
「う○こ色って何でィ!? この色はな、オリーブドラブつってな、ちゃんとした軍隊の正規色なんでィ。そう言やおめぇ、いつぞや男から負ぶってもらって官舎にご帰還したことがあったっけな? 何かい、あの金髪の兄ちゃんと仲よしこよしでもしたかい?」
そう言って茶化す。琴はむっとして言った。
「あの人の事は関係ないでしょ! 今は、少佐殿の不始末の件で、ボクまでとばっちり受けてるんじゃないですか!?」
「……まあまあ、中西大尉、そう突っかかるな。玉城少佐、そいつぁ、ほんとにお前のスティンガーの弾なんだな?」
総括である松平准将が、そう温厚に聞く。玉城織部少佐は、「はい」とうなずいた。
「そうかぁ~。困ったなぁ~。もう新聞社やテレビには、あの事件は過激な『サムライ派』志士の仕業だと発表しちまったしなあ……」
「……今さら、ビルを壊した主な原因は、私たち『真徴組』の放った地対空ミサイルでした、なんて言ってみろ、『真徴組』のイメージはがた落ちで、せっかく准将に進級された松平総括や大佐に進級された俣野頭取も、降等処分だよ」
石原中佐と黒井中佐がそう言ってため息をつく。
「俺の降等処分なんて気にしなくていいが、一般市民に多大な迷惑をかけたからなあ……。幸い死者はなかったが、重傷者15名に軽傷者が80名……ほぼ100人が怪我したんだ。とりあえず、織部、お前は謹慎してろ。正式な処分は、俺が上と話を付ける」
松平准将は、そう言って玉城少佐と中西大尉を部屋に戻した。
「権兵衛さんよ、どうする?」
俣野頭取がそう言ってタバコに火をつける。その煙を見ながら、松平総括は笑って言った。
「織部のヤツも、一所懸命なんだよ。それくらい分かるだろう? 藤よ」
「……どうやら、アンタも俺も、織部と一蓮托生で降等処分のようだな」
俣野大佐は笑ってそう言った。その時、屯所の玄関が騒がしくなった。
「何だ?」
松平総括が怪訝な顔をすると、俣野大佐は刀を左手に持ち替えて膝を立てた。
「すいません! 総括、頭取! 酒井閣下がお見えです!」
一番組肝煎・山下官司中佐が、慌ててそう言いながら総括室に入ってきた。
「酒井の親父さんが?」
松平と俣野は顔を見合わせた。
「えっ!? 何とおっしゃいましたか?」
松平総括がびっくりした声をあげる。その顔を見ながら、陸軍次官・酒井中将はニヤリと笑った。
「聞こえなかったか? 『首都爆弾テロの犯人はサムライ派の志士』という報道発表で押し通せと言ったのだ」
松平と俣野は顔を見合わせて、
「しかし、現場からは明らかに『真徴組』のものであるスティンガー地対空ミサイルの破片が……」
俣野頭取がそう言うと、酒井次官は笑って言った。
「その件なら、すでに聞きに来た新聞社やテレビがいた。陸軍省の発表として、軍の武器が窃取されたこととして発表している。奴らが盗んだ、そして使った……なんら不合理な点はない」
「次官、私たちのためにそこまで……」
松平が言うと、酒井中将は首を振って笑って言う。
「勘違いするな。真徴組のせいだとなると、わしにも小久保内務卿にも累が及ぶ。内務卿にも敵が多いからな。しかし、これを不逞過激派浪士のせいにすれば、市中取締りの強化の理由にもなるし、『サムライ派』一斉検挙の理由にもできる。災い転じて福となすだよ」
そして、酒井次官は2枚の写真を二人に見せた。一人は長い黒髪を持つ茶色の目の男、一つは亜麻色で少し長めの髪を持つ独眼の男の写真だった。どちらも優男だが、鋭い目をしている。一目でただ者ではないことが分かる男たちだった。
「こいつらは?」
松平が訊くと、酒井中将は力を込めた声で言う。
「髪の長いのが犬神主計、短いのが八神主税だ」
「犬神と八神……『協同隊』の参謀と隊長じゃないですか? 生きていたんですか、こいつら」
俣野頭取が食い入るように写真を見つめて言う。酒井中将はうなずくと言った。
「最近、犬神の妹があちこちで手榴弾テロを起こしているので、もしやと思って軍で内偵していたのだ。二人とも生存が確認された。またぞろ、反政府活動をたくらんでいるらしい。八神と犬神が接触したという情報は入っていないが、どうやら二人とも、鳴神雹太郎を探しているらしい」
「鳴神……『双刀鬼』も生きているんですか?」
今度は松平総括が聞く。酒井中将は真剣な顔で言った。
「わしら新政府軍を恐怖のどん底に叩き込んだ『協同隊』の隊長、副長、参謀がそろって姿を現したら、またぞろ大きな犠牲を払うことになる。特に八神と鳴神は要注意人物だ。鳴神の写真は手に入らなかったが、とりあえず犬神たちをマークしておけば、鳴神の所に行くだろう。こいつらを第1級の手配犯として 『真徴組』の総力を挙げて検挙してくれたまえ」
「しかし、『双刀鬼』相手じゃ、うちもどのくらい損害が出るか、分かりませんねェ……」
難しい顔をする松平准将に、酒井中将はニヤリと笑って言った。
「手に余れば、適宜、処分してよろしい。しかし、生け捕りが第一義だ。それは忘れないでくれたまえ、松平准将、そして俣野大佐」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次の日、僕たちは至極普通の朝を迎えていた。いつもどおり8時に『頼まれ屋』に出勤した僕は、いつものように二度寝していた雹さんと霙ちゃんを起こし、いつものように朝食を食べると、3人ともいつものように事務所でグダグダする。
「……雹さん、仕事ないんですか? こう毎日暇じゃ、体が鈍ってしまいますよ」
僕はソファに座って、新聞記事のスクラップをつくりながら言う。雹さんはデスクに座って『少年マンデー』を読みながら言った。
「明日からは仕事入っているぞ。2週間、新東京三鷹区で工事現場のアルバイトだ。俺と清正で行くから、霙は事務所で電話番しといてくれ」
「了解したねん。雹ちゃん、気ぃ付けて仕事してや」
霙ちゃんがソファに寝転がって言う。心なしか昨日よりだるそうだ。僕は心配して訊いた。
「霙ちゃん、体調悪いの? 辛そうだけど……居間で寝てたら?」
すると霙ちゃんはニヤリと笑って言う。
「大したことないねん。二日目はみんな辛いねん。ここで雹ちゃんの顔見とくと気持ちええし、キヨマサのしょーもない顔見てると気晴らしになるねん」
いやいや昨日は『××』を『空腹』って言ってたよね!? 僕はそう心の中でツッコんで、
「しょーもない顔ってなんだよ!? 人が心配しているのに」
そう言う僕の顔の前に、霙ちゃんは手鏡を突き付けて言った。
「はい、それがしょーもない顔やねん。自覚したか? 『うわぁ~俺はキヨマサや~!』って」
「どういう意味!? それってどういう意味!?」
「どないもこないも、そないな意味や」
「だからそれって……あれっ!?」
僕は、新聞記事の中に、見たことのある顔を見つけてそう言った。
「何やねんキヨマサ、なんかイヤラシイ記事でも見つけたんか?」
「い、いや、雹さん、この記事の人って、昨日ここに来た人じゃないですか?」
僕がそう言うと、雹さんは『少年マンデー』をデスクの上に置いて、僕が差し出した新聞記事の切り抜きにさっと目を通した。
『……陸軍省と真徴組の発表によると、昨日起こった新東京三鷹区の爆弾テロ事件の犯人は、元賊軍であった協同隊幹部の犬神主計(26)と断定。現在、真徴組を中心とした捜査組織が、陸軍の協力のもと犬神の行方を追っている……』
すると、雹さんが今までの無気力な顔を一変させて立ち上がり、僕たちに怖い顔をして言った。
「ちょっと俺は出てくる。二人とも、どこにも行くんじゃないぞ。真徴組が来たら、俺は昼過ぎまで留守だと言っといてくれ」
そう言うと雹さんは、いつものブルゾンをひっかけ、大小の木刀を腰にぶっ差してスクーターのヘルメットをかぶり、玄関から出て行った。
「何しとんねんキヨマサ、早う支度せんかい!」
雹さんを見送った僕に、霙ちゃんがそう言う。霙ちゃんはピンク色のTシャツにGジャンをひっかけ、足首までのスリムジーンズに着替えて、僕を急かしている。
「霙ちゃん、まさか……」
そう言う僕に、霙ちゃんは怖い顔をして言った。
「雹ちゃんの後をつけるんや! うちらで力になれるなら、何とかしてやりたいと思わへんのか?」
僕はうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
その頃、真徴組の中西大尉は、パトカーで市内を巡回していた。
『お~い、中西大尉、ちょっと聞きたいことがあるんでィ、どーぞ』
中西大尉のパトカーに、そう無線連絡が入った。中西大尉は無線を取って言う。
『その声は、玉城少佐殿ですね? どーぞ』
『つかぬ事を聞くが、おめぇを負ぶって官舎まで連れてきたあの兄さん、何て名でぇ、どーぞ』
『……仕事中にそんなプライベートなこと、話せません。だいたい、なんで少佐殿がパトカーに乗ってんですか? 謹慎中でしょ? どーぞ』
中西大尉は顔を赤らめて言う。その大尉の目に、スクーターに乗って新東京方面に向かっている雹の姿が映った。
――あら、雹さん。珍しいな、あんなに急いで。それに何か雰囲気が違うし……。
『お~い、琴リ~ン、早く教えてくれ~ぃ、どーぞ』
間延びした織部の声に、琴はむっとして言った。
『その“琴リン”ってやめてくれませんか? 織部さん。どーぞ』
『“織部”じゃねぇ、おいらの事は“オリーブ”って呼べっていってっだろ、どーぞ』
『あ、確かに“織部”って、“おりぶ”っても読めますね? どーぞ』
変なところで感心してしまう琴であった。そこに、じりじりとした織部の声が入る。
『だから中西大尉、早くおめぇのオトコの名を教えろ、どーぞ』
雹のスクーターが右折の指示を出した。織部の無線を無視して、琴は運転手に命令した。
「あのスクーターを尾行けて」
「えっ!? でも、大尉殿、巡回経路から外れますが?」
運転手はびっくりして言うが、琴は動じなかった。
「雹さんがあんなに慌てているのはおかしい。これは命令だ」
「分かりました」
琴の命令で、パトカーは雹のスクーターを追いかける格好になった。
『お~い、琴リン、雹って名は分かったが、苗字を教えてくれぃ、どーぞ』
『っ!……何で人の会話を盗み聞きしてるんですか!?』
『無線のスイッチを押したまましゃべる方がいけねェンでぃ、どーぞ』
『ひ、雹さんはボクのオトコでもなんでもないんですよ! それは勘違いしないでくださいよねっ!? いいですか少佐殿? どーぞ』
『分かったから、早く雹さんとやらのフルネームを教えろ。でないと総括や頭取に報告して、寿退職させてやんぞ! どーぞ』
『分かりましたよ! 鳴神です。鳴神雹さんです! どーぞ』
『……そうかい、アリガトよ琴リン。今そいつを尾行けてんだろ? いいか、ずぇ~ったいにそいつから目ェ離すなよ。おいらもすぐ行くぜ』
――いったいどういうつもり? 雹さんが何の関係があるってのさ?
そう思いながら、何か嫌な予感がする琴であった。
「聞いた通りでぇ、総括。中西大尉がホレてんのは、『協同隊』副長の鳴神ヤロウかもしれねぇですぜ? あっしも暗がりでちらっと見ただけですがね、そいつの年恰好はちょうど25・6ですし、何よりあいつは出来る……あっしでも敵わねェと思ったくらいですからね」
パトカーの助手席でそう言う玉城少佐に、後部座席に座った松平准将が言う。
「織部がそこまで言うんなら、そいつぁかなり腕が立つ野郎だろうな。どうだ藤、久しぶりに暴れまくるか?」
すると、俣野大佐がタバコをふかしながらそっけなく言う。
「……権兵衛さん、鳴神と犬神は生かして捕えろって言われたの、忘れちゃいねェか?」
「安心しろ、あくまで第一義には生け捕りだ。しかし、相手は『東京の戦い』の時、わずか500人で明智中将の率いる第2師団2万人と互角にやりあった『協同隊』の副長だ。生け捕りなんて生ぬるい考えで行ったら、うちは全滅するかもしれねェ。殺るつもりで行かねェとな」
松平准将が言うと、織部は振り向いてニヤリと笑って言った。
「安心してくだせェ、総括。ちゃ~んとスティンガーも持ってきてますから」
「だから町中で飛び道具は使うな!」
俣野大佐が怖い顔でそう言うと、織部はフンと横を向いて言った。
「分かりやしたよ。俣野のチ○コにしときまさあ」
「おい、織部、キサマ今なんつった?」
「……またの機会にしときまさあっつったんですよ。耳ワリィな俣野よぅ、へっ」
「だから年上の上官にタメ口利くなっつってんだよ! ボケが!」
前後席でいがみ合う二人に、松平総括が言った。
「おい、藤、織部……ありゃ何だ?」
「?」「?」
俣野と玉城は、その声にふと前を見た。そこには……
「キヨマサ、もっと速く走らんのかい。お前のママチャリ、ボロやな~。自転車までキヨマサかい?おかげで雹ちゃんを見失ったやないか!」
「そんなこと言ったって、二人乗りじゃこのスピードが限界だよ!」
「何言うてんねん!? キヨマサ男やろ!? キン○マ持ってへんのか!? もうええ! うちが代わるさかい、キヨマサは荷物台に乗ってろ!」
たまりかねた霙は、強制的に自転車を停まらせて運転を交代し、自分が漕ぎ出した。
「うおりゃあ~!!!」
「うわっ!?」
霙の一漕ぎで、自転車は弾のように走り出した。しかし、すぐに停車する。
「……~~~っ!」
「……危なかったぁ~、危うく振り落とされるところだった……ど、どうしたの? 霙ちゃん」
肩を小刻みに震わせている霙に、怪訝そうな顔で清正が訊く。すると霙は振り向きざま、清正にアックス・ボンバーをかませて言う。
「どこ触っとんじゃい! このドスケベ!」
「ぐあっ!」
吹っ飛ばされた清正に、霙は顔を真っ赤にして言う。
「いちいち自転車に乗るのに、オンナノコの胸つかまんと乗れんのかいボケ! やっとれんわ。うち、先に行くさかい、キヨマサはチャリンコで来い!」
そう言うと、霙は猛スピードで走り出した。あっという間に小さくなっていく霙を見送りながら、
――霙ちゃん……そんなに速いなら、チャリンコいらなかったじゃん……。
そう、小さく心の中でツッコむ清正であった。
呆れ顔で見ている玉城と俣野の前には、国道を走る自動車をさらに上回るスピードで爆走しているツインテール美少女の姿が見えた。
――なんじゃあ、ありゃあああ!!!!
――あいつ、人間かぁぁぁぁ!!??
俣野と玉城は同時に思った。そして、玉城少佐はおもむろに拡声器のマイクを握り、赤ランプを点灯させて言った。
『あ~、あ~、そこの猛スピードで走るチビ! スピード違反だ! 直ちに止まりやがれ! 繰り返す、直ちに止まりやがれ!』
すると霙は大声で怒鳴り返す。
「うるさいわい! 雹ちゃんが大変なんや! 人間が自動車追い越すと法律違反なんか!?」
それを聞いて、俣野と松平はうなずいて、
「織部、あの娘、鳴神の関係者らしいな。一応、この車に乗せよう」
そう言った。織部はそれを聞いてうなずいて言う。
『生身の人間が車道を爆走するとメーワクなんでィ。パトカーで送ってやるから止まりやがれ』
それを聞いて、霙はゆっくりと路肩に寄って立ち止まる。汗ひとつかいていない所が、彼女が忍者たるゆえんか。玉城はパトカーを霙の側に停め、ドアを開いて言う。
「乗りやがれ。俺たちはその雹っつー男に用事があるんでィ。案内してくれィ、チビ」
すると霙は後部座席の松平と俣野を見て言う。
「おっさんと同じ席は嫌や! 助手席に乗せてんか」
すると織部は、無線のスイッチを入れて言う。
『あ~、こちら五番組の玉城少佐。現在、井の頭通りの環八井の頭付近で停車中。総括と頭取が別行動される必要が出てきたんで、五番組のパトカー、すぐに俺の所に来やがれ! 繰り返す、五番組のパトカー、すぐに俺の所在地点まで集合しやがれ!』
『五番組2号車、了解!』『3号車、了解しました!』
「代わりのパトカー呼びましたから、総括と頭取はそっちで来てくだせえ。乗りやがれ、チビ」
すると霙は、凄い目で織部を睨んで言う。
「嫌や、うち、チビやないもん。女心を知らんのかボケナス! こないな可愛らしいヒロインやで?『お嬢様、お席にどうぞ』って言うたらんかい!」
すると織部は舌打ちして言う。
「チッ!……お嬢さん、早く乗りやがれ……まったく近ごろのガキは……」
「何やと!? お前もガキやろうが!? お前雹ちゃんに言うてボコボコにしてもらうど!」
織部はため息をついて、ゆっくりと助手席から降りて言う。
「はいはい……しょうがないお嬢さんだ。さ、お嬢さん、早くお乗りなせぇ」
そうこう押し問答しているうちに、五番組のパトカーが到着する。
「じゃ、織部、俺たちはこちらのパトカーで行くから先導してくれ」
松平総括と俣野頭取が、2号車と3号車に分乗しながら言う。織部は広々とした後部座席にでんと座った霙を見て言う。
「じゃ、お嬢さん、その雹さんとやらの所に案内してくれ」
「ちょい待ちぃな。せっかくやったら、後ろから来ているあのダメ男も乗せてくれへんか?」
霙の言葉に、織部がバックミラーをのぞくと、凄い形相でママチャリを必死に漕いで近づいてくる少年が見えた。少年は茶色の髪を振り乱し、袴の裾がチェーンに巻き付きそうなのを気にしながらも、猛スピードで近づいてきた。
「お嬢ちゃん、あいつぁ、誰でぇ?」
「『頼まれ屋』でうちと一緒に雹ちゃんを手伝っているダメ男やねん」
織部はパトカーから降りると、赤白の交通指揮棒を取り出して言った。
「お~い、ダメ男、ちょっと停まりな」
「えっ! いきなり『ダメ男』って何? 僕、そんなにダメなんですか? ってか、警察官が一般市民にいきなり『ダメ男』って言っていいんですか!?」
清正はそう突っ込みながら自転車を停める。織部は不思議そうな顔をして清正に聞いた。
「おめぇの名、ダメ男ってんじゃねェのかい?」
「どこの世界に子供に『ダメ男』っつう名を付ける親がいるんですかっ!? つか、誰がそんなこと言ったんですかっ!?」
「いや、このお嬢ちゃんが、後ろから来るダメ男を乗せろっつーからよぅ」
織部が指差すパトカーの後部座席には、霙がニヤニヤとして座っていた。
「ええやん、キヨマサ。一緒に乗せてってもらえばええやん。さ、遠慮せずにうちの隣に座れ。特別に許したるわ」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「新東京武蔵野区15番15号『玄洋ビル』……ここか」
雹はスクーターを停めると、昨日、犬神主計から受け取った名刺を見ながらつぶやく。
――新聞に載っていたとおり、あいつがあんな大それた、バカげたことをしでかしたのか、どうしても納得いかねェ……。あいつの眞郷先生の言葉を言った時の目は、真剣だった。
雹はヘルメットを脱ぐとスクーターの小物入れに入れ、ゆっくりと『黎明社』のあるビルへと入って行った。『黎明社』は50階建てのこのビルの48階と49階にある。ビルの名、『玄洋ビル』は、おそらく主計が合力しているという社会労働党の幹事長をしている大野正号という代議士の政策団体・玄洋会から取られたものだろう……雹はそこまで推察していた。
社会労働党は、『サムライ派』の人物、あるいはそれに思想的に近い人物が集っている政党で、現在は右派である板垣進介・労働大臣を党首としている。その中で、幹事長であり福祉大臣として入閣もしている大野正号は、『サムライ派』の領袖、肥後の宮辺貞蔵から直々に教えを受けた一人であった。
――思えば、宮辺のおっさんは、宮﨑眞郷先生をはじめ、楯井小楠、大村益太郎、頭山翔、そして大野正号と、そうそうたる人物を輩出しているな……だが、今生きているのは頭山と大野正号だけと言うのも、その思想が先鋭的すぎるのが原因かもしれない……。
雹はそんなことを考えながらエレベーターに乗る。ちなみに、雹は今まで書いてきたことくらいは十分に考え、理解できる程度の思考力は持ち合わせている男である。決してぐうたらででたらめなだけの男ではなかった。
雹が48階でエレベーターを降りると、目の前に『黎明社』という表札が見える。思ったより、大きい会社らしい。雹はちょっと面食らったが、意を決してドアを開けた。
「いらっしゃいませ、ようこそ『黎明社』へ。本日はどのようなご用事でしょうか?」
ドアの左手にいる受付嬢が、ニコニコ顔でそう聞いてくる。雹は少しおどおどしながら言った。
「主計……しゃ、社長に会いたいんだが……」
「アポイントはお取りになられましたか?」
「い、いや……気が向いた時にいつでも来いと言われたので……」
雹が言うと、受付嬢はニコニコ顔のまま電話を取った。
「はい、お客様がお見えで、社長にお会いしたいと……いえ、ノンアポですが……すみませんお客様、お名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」
電話の途中で受付嬢がそう聞いてきたので、雹はニコリとして答えた。
「鳴神雹です」
「……お待たせしました。鳴神雹様と仰っています。……はい、そうですか。はい、お疲れ様です」
受付嬢は電話を切ると、雹にニコリとして言った。
「社長がお会いになるそうです。秘書室長が迎えに参りますので、しばらくお待ちください」
「そ、そうかい。お手数かけたな……」
そう言っているうちに、フロアの向かい側にある社用エレベーターのドアが開いて、若い女が姿を現した。その女は長いさらさらとした茶髪をなびかせ、切れ長の黒曜石のような目でひたと雹を見つめながら、すたすたと歩いてくる。そのスタイルは、この場には相応しくない黒いワイシャツと革のパンツで、ワイシャツの上から革ジャンをひっかけていたが、襟元の銀のブローチがひときわ異彩を放っており、この女にはよく似合っていると言えた。
「お久しぶりです、鳴神さん」
女は、透き通るような声で言う。雹はその声を聞いて、この女の正体を思い出した。
「これは……清香ちゃんか? いや~美人になったねェ。髪の色が変わっていたし、見違えたよ」
そう言われた清香は、少し頬を染めたが、すぐに元に戻って雹に親しげに言った。
「兄様がお待ちです。雹様に来ていただけるなんて、兄様もきっと喜びます。こちらへ、私がご案内します」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
一方、雹を追いかけて来た霙と清正、そして真徴組の面々は、『玄洋ビル』を囲んで難しい顔をしていた。
「困ったな……このビルは、大野正号氏の『玄洋会』が絡んでいる物件だ。おいそれと手出しは出来んぞ」
俣野頭取がそう言うと、玉城織部少佐が不思議そうに言う。
「何ぐだぐだ考えてやんでぇ。おめぇらしくねぇぞ、俣野よぅ」
「だから上官にタメ口は利くなっつってんだろうが!」
「いや、ビルを壊すわけじゃねェし、踏み込んで犬神の野郎も鳴神の野郎もふん縛っちまえば良いんでさぁ」
それを聞いた霙と清正が、織部に突っかかる。
「おいコラ、雹ちゃんに用事があるって、そういうことやったんかい!? 雹ちゃんは何も悪いコトしてへんで!?」
「そうですよ! 雹さんはずぼらでグータラで天下無敵の無責任男ですけれど、悪いコトは出来ない人です! 罪もない一般市民を逮捕していいんですか? 真徴組って893なんですか?」
「まあまあ、お嬢ちゃんとお兄さん、玉城少佐の言葉の行き違いです。犬神はちゃんとした容疑があって逮捕するわけですが、鳴神さんの方はちょっと聞きたいことがあって任意同行願うわけですよ。逮捕するわけじゃありません」
松平総括が『仏の権兵衛』と言われるゆえんのその笑顔を向けて二人に説明する。
「じゃ、総括、あっしがちょっと行ってきやすんで……」
織部がそう言って、懐からスティンガー対空ミサイルランチャーを取り出しながら言う。
「だから町中で飛び道具を使うな! 壊す気満々だろテメー!」
俣野頭取が織部をどつきながら言う。
「だいたいてめぇは今日は謹慎中の身だ。大人しくしてろ!」
その時、中西大尉が裏口の警備配置を終えて、自身で命令受領に来た。
「頭取、裏口の方はしっかりと固めました」
「あっ、袴のお姉ちゃんや」「中西さん」
霙と清正が同時に言った。その声を聞いて、琴もびっくりして言う。
「あら、あの見習い神官さんと巫女さん……どうしたのこんなところで?」
「うちらの雹ちゃんをあのオリーブ色のバカが逮捕するっちゅうねん。あの犬神っちゅう男の新聞記事を見て、雹ちゃん慌ててここに来ただけなんや。雹ちゃんきっと、あの男に強請られているに違いあらへん! お姉ちゃん、雹ちゃんを助けて! 雹ちゃんは何もしてへんねん!」
「中西さん、雹さんはあの男とは一切関係ないんです。あの男、雹さんを誰かと勘違いしているみたいで……。どうか雹さんの疑惑を晴らしてください」
二人の真剣な目を見て、琴もうなずいて言う。
「二人の言いたいことは分かったよ」
そこに、俣野頭取が来て言った。
「おい、琴。俺が表から突っ込むから、お前は裏から突っ込め。織部を裏口に回すから、5番組が到着したら合図しろ。俺の号令で同時に突っ込むぞ」
「分かりました」
そう言う琴に、俣野は自分を見つめている霙と清正の顔をちらっと見てから言う。
「逮捕するのは犬神だけだ。おめぇの雹って野郎は、見逃して構わねェが、あとでお前が責任持って屯所に出頭させろ。いいな?」
一方、こちらは雹である。雹は、犬神清香に案内されて、ビルの49階にある『黎明社』の社長室で犬神主計と向き合っていた。
「あんな新聞記事が出たんだ、来ると思っていたよ、雹」
主計は開口一番、そう言ってニコリと笑う。それを見て、雹も肩の力を抜いて椅子に座りこんだ。
「……やっぱりな……おめぇが眞郷先生の言葉を言う時の目は、嘘ついているヤツの目じゃなかった。安心したよ、主計。だが、どうしてあれがお前のせいになっちまったんだ?」
すると主計は清香に「コーヒーを頼む。雹にはりんご牛乳だ」と言った後、
「理由は二つある。一つは、真徴組の奴らの不始末を隠ぺいすること」
「隠ぺい?」
「ああ、あの惨事は、手榴弾だけで起こったことではない。真徴組が不用意に放ったスティンガー地対空ミサイルの影響の方が大きい」
「……真徴組って、そんな大層な武器を持ってるのかい? あぶねぇ野郎たちだな……」
雹がそう言うと、主計は言いづらそうに言った。
「もう一つは……清香のせいでもある。清香は破壊工作を担当しているんでね」
雹は、びっくりして言った。
「清香ちゃんのせい? 清香ちゃんって、おめぇ、『協同隊』の時ゃ人を殺すのが嫌いだったじゃねェか?」
そこに清香が現れて言った。清香は主計にコーヒー、雹にりんご牛乳を出しながら言う。
「人は変わるんですよ? 私は今は“新東京のパイナップル娘”で有名になっちゃいました」
雹は、清香の愛くるしい顔を見ていたが、首を横に振って言う。
「……そこは変わっちゃいけないんだよ。俺たちが修羅の世界で生きていた時、清香ちゃんの純真さにどれだけ救われたか知れねェ。『東京の戦い』でも、清香ちゃんが俺を止めなければ、俺ぁきっと主税とともに死んでいたろうな」
「その八神さん、生きているんですよ。雹さん」
清香がそう言った時、社長室の電話が鳴る。主計がその音を聞いてすぐに立ち上がって言った。
「この音は緊急事態だ。真徴組の奴らが来たんだろう。清香、すぐに屋上から逃げるぞ!」
そう言うとエレベーターに向かう。清香は、立ち上がった雹の後ろにぴたりと寄り添い、その喉元に短刀を突き付けながら言った。
「と言うことで、雹さんには人質になってもらいますね?」
「清香ちゃん、何をする気だ?」
雹が言うのに、主計は雹の木刀を腰から抜き取って、笑って言う。
「こいつは、記念に俺たちがもらっておくよ。お前には守るべき者がいるんだろう? すぐに俺たちの仲間になれとは言わない。だが、目指すものが同じなら、昔と同様、よき同志として同じ道を歩んで行こうじゃないか?」
「……雹様、いえ、あえて言わせてもらいます、信郷様。私は兄様の言うとおり、あなたの行く道を信じて待っています」
そう言うと、二人は雹とともにエレベーターに乗った。
「離せ、離さんかい! うちたちも雹ちゃんを助けに行くんや!」
「離してください! 僕らにも手伝わせてください!」
『玄洋ビル』の裏口では、中西琴の6番組とともにビル内に突入しようとした霙と清正が、5番組の隊士たちに押しとどめられていた。
「だ~めでぃ! 鳴神の方は今回は逮捕しねェって頭取も言っただろう? ここから先は俺たち真徴組の出番でぇ。一般市民の皆さんはおとなしくここで待っときな」
二人の前に、玉城織部少佐が立ちふさがって言う。態度は柔らかいし、顔は笑っているが、居合腰の構えであった。自身も二天一流の免許を持っている清正は、その隙のない構えを見て、
――この人、かなりできる! この不真面目な態度は、この人独特の韜晦の仕方なんだ。
そう看破して、霙に言う。
「霙ちゃん、ここはこの人の言うとおり、大人しくしていた方がいい。この人、こう見えてもかなりの達人だ。僕らじゃ敵わない」
「何言うてんねん! キヨマサは雹ちゃんが心配じゃないのんか!? この薄情もん!」
霙はさらに激昂して、いまにも織部に突っかかりそうな勢いだったが、はたと暴れるのをやめた。
「? 霙ちゃん?」
清正は、押し黙って下を向いてしまった霙を心配して、そう声をかける。
「大丈夫だよ。今日のところは真徴組の皆さんを信じて待っとこう……ね?」
清正がそう言いながら、霙と織部の間に入った瞬間だった。
「どりゃ~あ!!」「うわわっ!」
霙が清正を織部に投げつけたのである。さすがに織部は清正の体当たりを避けたが、その隙を狙って霙は壁に取り付き、そのままするすると登って行った。その両手にはいつの間にか手甲鉤が握られていたのである。
「くそっ! とんでもねェチビ助だ。おい、野郎ども、俺ぁあのチビを連れ戻すんで、ここに伸びてる兄ちゃんと見張りは頼んだぜ」
織部はそう言うと、すぐさまビルの階段を駆け上り始めた。
「やあ、真徴組の皆さん、悪いがこちらには人質があるんでね。少し道を開けてくれないか?」
エレベーターで屋上に出た主計は、予想通り真徴組の6番組がそこで自分たちを待ち構えているのを見て取って、開口一番そう言った。
「くそっ! みんな、少し下がれ! 人質の安全確保が最優先だ!」
中西琴は、犬神兄妹にはさまれる格好で雹が屋上に現れたのを見て、部下にそう命令した。雹は、後ろに立っている女から首筋に短刀を当てられている。自分が下手に動けば、あの短刀は雹さんの首をえぐるだろう……琴はその光景を想像すると、泣きそうになった。
「よしよし、いい子だ。少しそこを開けろ!」
犬神はゆっくりと屋上の中心付近まで歩を進める。6番隊の隊士が自分たちの後ろに回り込もうとしているのを見ると、
「おい、ここの隊長! 俺たちの後ろにいる隊士を呼び戻せ。でないと……」
そう言って清香を見る。清香はうなずくと、雹の首筋に当てている短刀をゆっくりと雹ののど元に当てた。
「みんな、こちらに来い!」
慌てて琴が命令すると、隊士たちは唇を噛みながら琴のもとに戻ってきた。
「さて、真徴組の皆さん。せっかくお近づきになれたが、僕たちも忙しい身なので、ここで失礼させていただくよ」
「!?」
琴は、いつの間にか自分たちの頭上にヘリコプターが来ているのを見て驚いた。警察や軍のものではない。とすると、犬神は手回し良くヘリを呼び寄せていたのか……琴はそう思って唇をかむ。
ヘリが着陸すると、犬神主計、雹、清香の順に乗り込んだ。そのままヘリは上昇を始める。ああ、このままじゃ雹さんが拉致されてしまう……琴がそう思って駆け出そうとした時、犬神が笑いながら言った。
「真徴組の皆さん、私たちの言うことをよく聞いてくださいました。ご褒美としてこの人質は解放します。人違いでしたのでね。では、お疲れ様でした」
そう言うと、主計は雹を後ろから突き飛ばし、ヘリから落とした。
「うわっ!?」
すでに5メートルは浮上しているところからいきなり突き落とされた雹はびっくりしたが、さすがにそのまま無様に落っこちたりはしなかった。空中でとんぼ返りをうつと、そのまま足から着地する。
「雹さん! ご無事で何よりです!」
そう言って琴が駆け寄ってくる。
「何だぁ!? 琴リン、逃がすんじゃねェぞ!」
やっとその場に現れた織部は、20メートルほど浮上しているヘリを見てそう叫び、琴と雹がいるところまで走ってきて、懐からスティンガー地対空ミサイルランチャーを取り出して構えた。
「あっ! 雹ちゃん! 無事だったねんな!?」
雹が、聞き覚えのある声がした方を向いたその時である。
ズドン! ドカン!
雹たちの周りで手榴弾が炸裂した。ヘリから清香が落としたものである。幸いにして死者は出なかったが、代わりに壁を登ってようやく屋上にたどりついた霙を、爆風が直撃した。
「うわあああ~っ! 何でや~っ! 雹ちゃ~ん!」
霙は爆風で吹き飛ばされ、屋上の手すりから引っぱがされてしまった。
「霙っ!」
雹はとっさに駆け寄って霙の手をつかもうとしたが、刹那の差で霙は下へと落ちて行った。
「鳴神の兄貴! これを使いなせぇ!」
真徴組で最初に動いたのは、織部だった。織部はさっと辺りを見回すと、窓ガラスの清掃のために使われるウインチを見つけ、それにつながっているワイヤーを雹に投げた。
雹はそれを受け取ると、急いで自分の腰に巻きつけ、そのままビルの壁を垂直に駆け下りはじめた。
――霙、絶対に死なせやしねェ!
「雹さん!」
慌てて手すりに駆け寄った琴に、織部が言う。
「中西大尉! 鳴神の兄貴がチビ助を捕まえたら、教えろィ!」
織部はそう言って、ウインチを調べにかかる。そしてさっと血の気が引いた。
――いけねェ! こいつのブレーキ、壊れてやがる。さっきの手榴弾のせいだな。
しかし、もう後には引けない。織部は急いで辺りを見回し、ブレーキになりそうな物を探した。
「雹ちゃあああああん!」
「みぞれぇ~っ! 待ってろ~っ! すぐに追いつくぞ!」
雹は重力加速度を遥かに超える加速で、ビルの壁を駆け下りる。今、40階くらいのところか、霙は30階くらいのところを自由落下中だ。絶対に追いついてやる!
――何でや! 何でこんなに速く落ちとるのに、地面の様子がはっきり分かるんや!
霙は、段々と近づいてくる地面を、涙をいっぱいにためた目で見つめながら叫ぶ。
「ひょうちゃあああん! しぬのはいやだああああ!」
今、霙は20階付近、自分は25階付近だ。雹は霙の魂の叫びを聞いて、足に力を込めた。ぐんと加速がかかる。くそっ! この足が壊れたって、絶対に霙は救ってやる!――そんな思いで、雹は叫んだ。
「誰がおめぇを死なせるもんかぁ~っ!」
そして、雹はついに霙に追いついた。
「雹ちゃああん!」
霙が抱き着いてくる。雹はそれをしっかりと受け止めた。
「少佐殿!」
屋上でその様子を見ていた琴が、すぐさまウインチに取り付いている織部に知らせる。織部は、ワイヤーを繰り出しながらすごい勢いで回っているウインチを見つめて、唇をかむと
「うおおおおおおお! このボロウインチ、止まりやがれぇ~!!!」
そう叫んで、力いっぱいスティンガーのランチャーを猛回転しているドラムに叩きつける。物凄い火花が散り、金属が焼ける匂いとけたたましい音が辺りに広がる。しかし、雹と霙の重さを乗せたワイヤーを繰り出す速度はなかなか落ちない。
「少佐殿! 落下速度が落ちていません!」
叫ぶような琴の声を聞きながら、織部は一世一代の力を振り絞って回るドラムに挑む。
「と・ま・り・や・が・れ~!!」
ギャギャギャギャギャ――――!
スティンガーのランチャーは、その4分の1は摺れてなくなっている。摩擦熱でかなり熱くなり、織部の両の掌から肉の焼ける匂いが立ち込めはじめる。
「とぉ~まぁ~りぃ~やぁ~ぐぅわぁ~るぅえ~!!」
織部が渾身の力を振り絞ったおかげで、かなりスピードが落ちた。そこですかさず琴が居合わせた部下たちに命令した。
「みんな、ワイヤーを握って、雹さんたちを救え!」
おおっ! 6番組の隊士たちが、寄ってたかってワイヤーに群がり、そしてやっと落下は止まった。
「助かったな……」
地上2階のところで止まった雹は、霙をしっかりと抱きながら大きなため息をついた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
その後、雹さんは『真徴組』の屯所に呼び出されたが、結局雹さんは『サムライ派志士』とは無関係と言うことになった。屋上での雹さんと犬神兄妹とのやり取りを、中西琴大尉が洩らさず報告したのと、玉城織部少佐の口添えがあったかららしい。
それともう一つ、九死に一生を得た雹さんたちが、駆け付けたテレビレポーターたちに、
『いや~、死ぬかと思いました。でも、真徴組の皆さんのおかげで助かりましたぁ~☆』
と答えたのが効いて、真徴組のイメージがアップしたことで、雹さんは真徴組に貸しを作ったことになったのだ。
あれ以来、玉城さんもすっかり雹さんに懐き、中西さんとともに月に2・3度は『頼まれ屋』に顔を出すようになった。ああ見えて玉城少佐は真徴組の中でも人気者らしく、1番組の山下中佐や4番組の富田少佐、軍監の千葉中佐、監察の山本少佐などの面々が、玉城さんに連れられて入れ代わり立ち代わり『頼まれ屋』にやって来るようになった。
彼らは、律儀にもあちこちで『頼まれ屋』のことを吹聴してくれているらしい。おかげで少しは仕事も増えて、雹さんもぐうたらしていられなくなったとこぼしていた。
ただ、霙ちゃんは、しばらくの間、なかなか寝付けなかったらしい。それもそうだろう、地上50階から2階までの決死のバンジージャンプだったんだから、いかに忍者でも怖かったんだろう。
でも、僕は別の意味で寝つけなかった。それは、
――今回の僕は、何もいいところがなかった!
からである。次回こそ、活躍できますように……。
【第5幕 緞帳下げ】
【第5幕・6幕 幕間 幕前で】
亜麻色の髪をした男が、テレビの前でニヤリと笑っていた。
テレビには、金髪で赤眼の男がもさっとした表情で笑っている。
『いや~、死ぬかと思いました。でも、真徴組の皆さんのおかげで助かりましたぁ~☆』
男は、テレビを消してつぶやいた。
「鳴神信郷……生きていてくれたか……。お前さえいれば、俺の望みは叶うだろう……」
男はそう言うと、袂から葉巻を取り出して火をつけた。甘い香りがたゆたう中、男のヒステリックな笑いが、部屋中にこだました。
【幕間終了】
第6幕 人を見たら泥棒と思え
俺ぁ、泣く子も黙る『真徴組』5番組肝煎で取締役助勤、玉城織部。今年で21になる。
俺が『真徴組』に入ったのは、3年前だった。ま、『入った』って言うより、総括の松平さんや頭取の俣野のドアホ、取締役の黒井さんと石原さん、山下さんや柏井さん、川口さん、千葉さん、山本さんらと共に、『真徴組』を立ち上げたと言った方が正しい。
思えば、真徴組は面白いメンバーがそろっていた。
例えば、剣の流派。
俺は松平さんや俣野のボケナス、黒井さんと石原さんと一緒で、天然理心流。
千葉さんは北辰一刀流、山下さんは鹿島一刀流で、柏井さんと川口さんは馬庭念流。山本さんは香取流棒術で、富田は新陰流、中西は法神流、そして今は亡き松岡のヤローが二天一流と、結構いろんな流派がいる。
中でも、達人と言っていいのは、俺を除けば千葉さんと松岡のヤローだったろう。が、松岡は琴から斬られたので、今では俺と千葉さんと琴と俣野のオタンコナスで『真徴組四天王』と呼ばれている。
変わっていると言えば、松平さんも結構変わっている。武人のくせに人懐っこくで、純粋で、人がいい。だから、俺ぁあの人についているんだろう。
それに、琴も変わっている。女のくせに妙に強くて、そこが気に入らねェって言えば気に入らねェが、逆に気になるところでもある。可愛い顔して、酒癖が悪いが、剣の強さは本物だ。あいつは男女を超えたところで、人間としての強さを追いかけているのかも知れねェと思う時がある。
1巻を読んでいる奴だったら知っていると思うが、もともと俺たち真徴組は『突撃隊』として編成された。当初は酒井閣下を指揮官に、松平さんと俣野のバカヤロー、そして石原さん、黒井さんが大隊長、山下さん、柏井さん、川口さん、千葉さん、松岡のヤロー、片山さん、中村さん、そして俺が中隊長を勤めていた。本部を含めて総勢千人だった。
『東京の戦い』の時、俺たちは二手に分かれて戦った。俺は酒井閣下と松平さんの指揮下で戦ったが、あまり苦戦はしなかった。しかし、俣野のチンカスが指揮した別働隊は、片山さんと中村さんの戦死を含めて300人ほどの死傷者を出した。何でも賊軍最強の諸隊と謳われた『協同隊』と真正面からぶつかったらしい。その時の生き残りの話では、神速の豪剣を揮う隊長の『死神』八神主税、二天一流の天才的な殺人剣を揮う副長の『双刀鬼』鳴神信郷、この二人に徹底的にかき回されてしまったらしい。
――俣野のボケの部隊に俺がいたら、どちらかと戦ったことになったんだろうな。
松岡がまだ生きていたある日、『双刀鬼』と戦った松岡の話を聞いた俺がそう言ったら、松岡のヤローは笑って言ったもんだ。
――織部の剣では、まだ相手にならなかったろうな。今ならどうか知らんが。
俺は、生まれてくるのが少し遅かったのかもしれねェ……。俺の愛刀・大和守貞吉は、まだ名のある敵と戦ったことはなかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「お~い、5番組ィ~。今から巡回でェ~。みんな、準備はいいかァ?」
俺は朝も早くからそう言って、組のみんなを叩き起こす。夏ともなると夜が明けるのは早い。そして新東京は今日も暑くなりそうだった。何でまた、こんな黒ラシャという暑苦しいカッコを制服にしやがったんでぇ、あの俣野のクソタレが。
俺はぶつぶつつぶやきながら、部下の整列を待った。
「肝煎殿、5番組総勢50名、全員そろいました!」
小頭筆頭の根岸がそう言う。俺はうなずいて命令を下した。
「根岸の隊は荻窪方面、手塚の隊は大宮方面に向かえ。残りの隊はおいらが率いて若宮方面でぇ。落ち合う場所は吉祥寺でぇ。そこまで行ったら自由解散でそのままオフにするぜ」
そして俺たちは、それぞれに隊伍を組んでパトロールに出かけた。
平時の俺たちの仕事は、東京方面の治安維持と不逞浪士の取締だ。不逞浪士と言っても近ごろは新政府の威令がある程度行き渡るようになったので、あまりお目にかからない。いわゆる『サムライ派』の浪士たちは腕が立つらしいが、それと同様に頭も切れる奴らが多いらしく、東京や新東京という新政府のひざ元で大きな騒ぎを起こす奴ぁ少なくなった。ま、ここしばらく首都を騒がした“新東京パイナップル娘”犬神清香も、前回俺たちに追われて首都から身をくらましているしな。
そのかわり……俺がそこまで思った時、目の前のコンビニの窓が割れ、男が飛び出してきた。いっちょ前に覆面をかぶっている。
「強盗です! 助けてください!」
コンビニから若いねェちゃんが飛び出してきて、俺たちの方へと向かってくる強盗を指差して叫んでいる。やれやれ、ここんところ、こういう奴らばっかりだ。
俺は一つため息をつくと立ち止まって、走ってくる強盗を見据えた。強盗は破れかぶれなんだろう、
「どけぇ~。さもないと殺すぞ!」
と、俺に向かって右手の刀を突きだして喚いた。
「何ィ、おいらにどけってか?」
俺はそう言いざま、相手を避けながら、俺の刀の柄を相手の腹に叩き込んだ。
「ぐわっ!」
男は無様にもそう叫んでひっくり返った。その男の背中を踏んづけて、俺は部下を呼ぶ。
「お~い、強盗を一匹捕まえた。すぐに番屋に送んな。その前に、そこのコンビニのねェちゃんからも話を聞くのを忘れんな」
俺ぁ、別に正義を気取っているわけじゃねェ。そもそも俺なんかに正義の味方なんてものは似合わねェってことは、てめぇが一番よく知っている。そんな俺が、戦もしねェ真徴組にいるのは、一つは松平さんが好きだから、もう一つは、悪いヤツならどれだけいたぶろうが誰も文句言わねェから、だった。
「?」
巡回に戻ってしばらく歩いていたら、面妖な動きをする駕籠屋を見つけた。俺たち『真徴組』の巡邏を見かけると、そそくさと道を引き返し始めたのだ。俺は怪しいとピーンときた。すぐに、懐から愛用のスティンガー地対空ミサイルランチャーを取り出して構えながら言った。
「お~い、そこの駕籠屋ぁ。ちょっと止まれェ! 止まんねぇとぶっ放すぞ!」
「いけねェ! 兄貴、ありゃ真徴組の玉城だ!」
駕籠屋の一人がそう言うと、二人して駕籠を置いたまま逃げ出した。やれやれ、『スティンガー=俺』ってことで、すっかり有名になっちまったもんだ……。
俺はそうつぶやいて、逃げる二人にミサイルを叩き込んだ。
吹っ飛んで気絶した二人の確保は部下に任せて、俺は置き捨てられた駕籠をのぞき込んだ。
「へぇ~、なかなか上玉じゃねェか」
籠の中には、どこぞで拉致られたに違いない別嬪が縛られて寝ていた。縛り方が安っぽいSMビデオに出てくるものと一緒だったのにゃ、思わず笑っちまった。
「おい、お嬢ちゃん。大丈夫か?」
俺は佩刀を抜くと、女の子の縄を斬ってやって言う。女の子はゆっくりと目を開ける。見たところ14・5歳か。きっと奴らによって廓に売り飛ばされて、初玉ってことで金持ちのエロ爺いに処女を蹂躙されるところだったに違ぇねぇ。
「大丈夫でぇ、おらぁ『真徴組』の5番組肝煎、玉城織部少佐だ。お嬢ちゃんの身柄は『真徴組』が預かった。守ってやるから心配するな」
俺を見て怯える少女に、そう言って安心させる。女ってのは安心感を与えるのが一番だ。そして、清潔感を出すことでぇ。そうしたら、どんな女でも調教しやすい。
「おい、しゃべれるか? 大変だったなあ。訳を話してくれねェかい?」
俺は、よそ行きの声と優しげな顔で少女にそう言った。少女はすべて話してくれた。ちょろいもんだ。
「肝煎殿、こいつらどうしやすか?」
やっと目を覚まして観念している男二人を引きずりながら、小頭の岡島が聞いてきた。俺は女の子から話を聞いてムカムカしていたので、上着のポケットから『真徴組服務条例』を取り出して、わざと男たちの前で読んでやった。
「真徴組服務条例第180条によると、人さらいの類で18歳未満の女子をかどわかした者を現行犯逮捕したとき、相手が逃走を図った場合又は隊士に刃向った場合、斬捨て御免とする……か……」
俺は震えあがっている男たちにニヤリと笑って言ってやった。
「おめぇたち、俺が声をかけたら逃げたよな?」
「い、いえ、滅相も……」
「逃げたよな!?」
「すみませんでした! つい出来心でして」
「出来心であんな卑猥な縛り方ができるかい!? ありゃおめぇ、『淫乱団地妻の○○』に出てきた縛り方そっくりだったぜ?」
「い、いえ……あっしらが参考にしたのは、『淫らな未亡人の××』の方でして……」
「ほぅ……あの話ゃ、確か未亡人を手籠めにして遊郭に売り飛ばす話だったなあ……てめぇら、そっくり真似しやがったな? しかもあんな可愛らしい未通女で」
俺はそう言いながら、男たちの髷をぶった切ってやる。男たちは意気地なくも小便を漏らして、卒倒してしまった。
「こいつらは屯所に運びな。後でおいらが直々に取り調べる」
俺がそう言うと、俺の取り調べ方を熟知している岡島は、ひきつった笑いを浮かべて二人の男たちを気の毒そうに眺めていた。
「あの、被害者の女の子の方は?」
隊士が訊いたので、俺はそっけなく答えた。
「親元に戻してやんな。近くの番屋まで丁重に送ってやんな。そこで口書を取っとけ……待て、番屋の巡査長に、取り調べは女の巡査に任せるように、って玉城少佐が言っていたと伝えてくれ」
俺はそう言うと、また巡回に戻った。まったく、こんな事件ばっかりだ。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
しばらく行くと、俺は知った人物に出会った。群青色の詰襟シャツに群青色の薄手のブルゾン、ジーンズに黒いバッシュ、そして大小二本の木刀を腰にぶっ差しているパツキンのもさもさ頭……『頼まれ屋』の鳴神の兄ぃだった。
「おやぁ!? 『頼まれ屋』の兄ぃじゃねえですかい? どうしやした? こんな所で」
俺が話しかけると、雹の兄ぃはその緊張感のかけらもねェ声で答えてくる。
「おや、『真徴組』のタマキン君。思わぬところで出会うもんだねぇ~」
「いや、俺、玉城です。そんなキン○マみたいな言い方、やめてくだせぇ」
そこに、あのツインテのチビ助と取り立てて特徴がないダメ男がやって来た。
「雹ちゃん、見つかんないよ~」
「ダメですね、ここらにはいないみたいです。あれっ! 真徴組の玉城さんじゃないですか?」
ダメ男がそう言うのに、チビ助が付け加える。
「ホントや、ミサイルランチャーのあんちゃんや。どないしてん、熱でもあんのか? まじめに仕事してるなんて珍しいこともあるもんやな~」
「おいチビ助、お巡りさんの心を傷つけたってことでしょっ引くぞ?」
俺がチビ助にそう言って手を取ると、チビ助はギロッと俺を睨んで言う。
「気安う触らんといてんか! うちは雹ちゃんのもんなんやから、他の男に触ってほしくないねん!」
「おめェ、歳いくつだ? チビ助」
俺はどうもコイツとは肌が合わないらしい……いや、こんなガキと肌を合わせるつもりもねェが……。俺が訊くと、チビ助は眼を据えて言う。
「乙女の歳を聞くんじゃねェよ、無粋なヤローだなおめぇも」
「そりゃ悪かったなチビ助。小学生のくせにナマ言うんじゃねェよ、ちっぱい娘」
俺が言うとチビ助はまんまと引っかかった。
「小学生ちゃう! うちはもう14歳や! こう見えてもスポーツブラから卒業したBカップやねんぞ! お祝いに雹ちゃんからいちごパンツやのうて“おとなのぱんてぃー”を買ってもらってんねんで! ええやろ~?」
それを聞くと、俺は雹の兄ぃに向かって真顔で言った。
「『頼まれ屋』の兄ぃ、一応忠告しときますけどね? 18歳未満のガキとワイセツなことをしたら、いかに兄ぃでも見逃したりできやせんからね?」
「いや、俺、ロリ○ンじゃねーから! 俺だって一応、大人の女が趣味だから! やめてくれない? そんなこと言って霙を煽るのはやめてくれない?」
「いちごパンツを“おとなのぱんてぃー”に穿きかえさせるのも、立派なワイセツ罪になりやすぜ?」
「だから、俺が変態みたいな言い方、やめてくれない? タマンキ君」
雹の兄ぃが本気で焦っている。俺的には面白いが、このまま兄ぃやチビ助と遊んでいる時間もないので、気になっていることを聞いてみた。
「ところで兄ぃ、こんなところで何やってんですかい? 探しものですかい?」
「ああ、実はですね……」
今までセリフがなかったダメ男が、ここぞとばかりに割り込んでくる。俺はそれを阻止した。
「そうですかい、猫を探しているんですかい」
「なんでええ~っ!? 何も言ってないのになんでぇぇ~っ!?」
ダメ男がセリフを遮断されて突っ込んでくる。俺はダメ男に第6幕の台本を見せて言った。
「こいつを読めば、アンタらが何探しているのかわかんねェ方がおかしいぜ」
「台本の先読みしないでください! ネタバレじゃないすか!? 玉城さんのセリフは、僕が『実はですね、猫探しを頼まれたものですから……』の後、『そうですかい、大変ですね。じゃ、俺、巡回に戻りまさあ』じゃないですか!?」
「台本通りに人生が送られれば、誰も苦労はしないんだぜ、兄ちゃん。あんたにゃアドリブの能力が足らねェンだ。だから作者はあんたをナレーターに指定したんだ」
「何それ!? 仕方がないからナレーター!?」
ダメ男がそう言うと、チビ助がここぞとばかりにダメ男にダメ出しした。
「そうやねん。だいたいキヨマサは自分の意思が出にくいキャラだから、作者も動かしづらいねん。ここしばらく出番が少ないのは、そう言ったことが関係していると、うち、思うねん」
どうしたんでぇチビ助。おいらに味方するってどういうことでぇ? まさか、おめぇ、おいらに……
「言うとくけど、うち、お前に惚れたんとちゃうで? キヨマサにもっとしっかりしてもらいたいねん。でないとうち一人では雹ちゃんのお守りはキツイねん」
「……それ聞いて安心したぜぇ……おらぁ、雹の兄ぃと一緒で、大人の女が好みでぇ」
俺がボソッとつぶやいていると、チビ助はとんでもねェことをぬかしやがった。
「キヨマサがぱっとしないと、作者はきっとうちと雹ちゃんのベッドシーンで読者サービスするしかなくなるねん! そんなことしたら、うちも雹ちゃんもロ○コン雑誌にスカウトされてしまうねん。キヨマサ、うち、お嫁に行くまでそれは勘弁したいねん!」
「でも、霙ちゃんが雹さんと結婚したら、合法的にベッドシーンがOKになるんじゃない?」
「あ! そうか❤ でも、あと2年も待てへんねん」
「この作品は近未来で、江戸時代がモデルみたいだから、14歳でも結婚していいんじゃない?」
清正君がそう言うと、雹の兄ぃがチビ助と清正君にゲンコをくれて言う。
「ちょっと待て! 主人公を差し置いて何話してんの!? ダメ、この作品は作者が珍しく『コメディ形式の人情もんで、主人公にお色気を絡ませないぞ』って決めてんだから」
「それに、結婚したって14歳じゃ、結局ロリ○ンじゃない? 大丈夫よ、霙ちゃん。あなたは可愛いいメインヒロインだから、ベッドシーンなんて汚れ役、私がさせないわ」
なんだ!? いつの間に沸いて出やがった!? てかこのアマ、誰でぇ?
俺たちが言い合っている中に、黒髪を肩まででカットした20歳くらいの女性が話に加わった。薄い青色のシャツに、ストーンウォッシュのジーンズを穿き、低いパンプスを穿いている。よく見ると結構美人だし、スリーサイズも琴とどっこいどっこいってところだ。その女がポッと頬を染めて言った。
「作者がどうしてもって言うんなら、あたしが脱ぎます!」
「誾ねえちゃん……」「姉上!」
姉上!? ダメ男の姉にしちゃ、キャラが立ってんじゃねェか。美人だし、スタイルいいし、キップもいいし、スタイルいいし、声も奇麗だし、スタイルいいし……はっ、それどころじゃねェ! 俺ぁ早く巡回に戻らなきゃ、俣野のスカタンに怒られちまうぜ。
俺は、言い争う3人をしり目に、雹兄ぃと話をすることにした。
「で、猫の手掛かりはありやしたかい?」
「い、いや、それが、目撃情報はあったんだが、なかなか見つからなくて困っているんだ」
「そう言う時ゃ、これに限りまさぁ」
俺はそう言って、ポケットからマタタビを出して兄ぃに渡した。
「猫はマタタビですぜ、兄ぃ。これで猫を引き寄せて探せばいいんでさぁ」
「ありがとう……てか、何でマタタビ持ってんの? いつも君、マタタビ持ってんの?」
俺はそのツッコミをスルーして言う。
「その猫の写真かなんかありやせんか?」
「スルー!? 俺のツッコミはスルーする~!?」
何てボケようと、ツッコミもリアクションもしてあげやせんぜ、兄ぃ。残念だけど、おらぁ慌てる兄ぃを見ていると快感なんでぇ……。
「写真があったら、おいらの部下たちにも巡回中に気を付けとくように言いまさあ」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「やれやれ、とんだページの無駄遣いしちまった……」
俺は兄ぃたちに別れを告げると、本務の巡回に戻った。まだまだ吉祥寺までは結構ある。けれど、これまでのパトロールで、ある程度の収穫はあった。
コンビニ強盗を捕まえ、少女誘拐犯を捕まえ、おばあさんに道を教えて、呑み屋のねェちゃんが男たちに絡まれているのを助けてメルアドを交換し、おっさんが昼間っから酔って暴れているのを保護し、100円拾ってネコババした。
それからおっさんと高校生の援助交際現場を見つけておっさんを袋叩きにし、高校生の方は厳重注意で帰したが、念のためおっさんに渡した下着と、おっさんとホテルで撮ったという写真は没収し、メルアドも訊いておいた。
俺は、女の子に別れ際に注意しておいた。
『いいかい、男ってのはみんなバカなケダモンだから、出会い系サイトなんかで知り合ってもホイホイついて行くんじゃねェ。もっと自分を大切にしな』
『だって、お金が欲しかったんだもん。いいじゃんか、自分で稼いだ金なのに……』
女の子が言うので、俺はため息が出ちまった。
『……おめぇの肩の上に乗っかってんのは、そりゃ頭かい? それともフーセンかい? 頭があるんなら、ちょっとは考えな。あのな、自分で稼いだ金ってのはな、まっとうな仕事をして稼いだ金のことだ。親からもらった身体をマグロみてぇにして、バカな男に好きにさせるのは、働いたっては言わねェんだよ。キモチイイことすんのは、一人前になって結婚してからにしな。でねぇと、できたガキが可哀そうでぇ』
『お巡りさん、考え方古っ! せっかくカッコいいのにそんなじゃ、女の子から“残念イケメン”って言われるよ?』
『……俺ぁな、おめぇみたいな考え方していたバカなお袋から産まれて、そのお袋から捨てられて、他人の家で肩身の狭い思いして育ってきたから、おめぇみたいな女の子にこうして注意しているんでぇ。いいか!? 俺の気持ちが分からんなら分からんでいいが、これだけは言っておく。“子供に罪はねェ“ンだい。この言葉はな、当の子供や周りが言うことで、責任ある立場のもんが言い訳に言うことじゃねェンだ。それだけは覚えときな』
その言葉を聞いても、その女の子はへらへら笑っていた。きっと、後悔する時がこねェと分からんタマだな……俺はそう思った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
やれやれ、第6幕もやっと7ページ分か。半分は済んだわけだな。あと半分は、1巻のおいらのエピソードを適当につなぎ合わせて、帳尻合わせてくんねぇかな? もうしゃべるのも飽きたし、面白れぇこともねェから、官舎に帰って寝ときたいぜ。
まあ、一幕12ページ分と言う基本線があったのに、第5幕は18ページ分もかかったから、この幕は6ページ分で終わったって、全体としての帳尻は合うわけでぇ……んなわきゃいけねぇか。
俺が、そんなことをぶつぶつつぶやきながら歩いていると、不意にその場の空気が変わった。ぞくっと背筋に寒気がする。俺はさっと地面に身を投げながら叫んだ。
「てめぇら、伏せろ!」
俺のその行動が、俺の命を救った。と言うのは、俺が地面に這いつくばるかどうかってタイミングで、俺が立っていた空間を弾が通り過ぎたからだ。
――へっ、やっと『サムライ派志士』の登場か?
俺はそうわくわくしながら、石を拾いざま立ち上がり、弾が来た方向へと礫を打つ。俺を狙っていた暴漢の顔面に、石は見事にヒットした。
「わっ!」
男は叫んで拳銃を取り落とす。そこに部下の隊士たちが殺到した。男は部下たちの刃を、後ろに跳び退くことで避け、刀を抜き合わせる。
「待てぃ、おめぇら……オイ、そこの暴漢、てめぇおいらを狙ったなあ、何か訳があるんだろ? 言ってみろよ。でねェと自分の名やおいらを狙った訳すらこの世に残らねェぜ?」
俺は、大和守貞吉を抜きながらそう言う。男はけっと吐き捨てて言った。
「俺は、『浜田屋事件』でてめぇから斬られた水戸藩士、中谷五郎の弟、八郎だ。真徴組の玉城織部、兄の仇としてそっ首貰い受ける!」
「きょうび、仇討とは穏やかじゃねェな。新政府の通達を聞かなかったか? 仇討は天下のご法度でぇ。それに、おめえの兄者も志士として命かけてたんだろう? 俺っちだって新政府与力としてこの仕事に命張ってんでぇ。いわば主義の戦よ。主義の戦で討死しても、そりゃ遺恨を残すことじゃねェ。あんたとの試合、俺は受けられねェぜ」
俺がそう言って男に背を向けると、八郎って名乗った男は激昂して言う。
「何を言いやがる! 玉城織部、尋常に勝負せい!」
俺はニヤリと笑って、男を振り返りざま言った。
「仇討? 違うな。おめぇはこの俺っちを暗殺してぇんだろう? でないと、そこいらにいる刀ぁ持った奴らは、どう説明するんでぇ?」
俺の言葉を聞いて、明らかに八郎は怯んだ。そして、ヒステリックに笑いながら言う。
「さすがは『真徴組四天王』筆頭の玉城少佐殿だよ。みんな、出て来い。こいつの首があれば、俺たちゃたんまり礼金をせしめられるぞ」
すると、橋の下やら土塀の陰やら、隠れていた男たちがぞろぞろと姿を現した。だいたい50人くらいか? 俺っちの率いる部下は、いまは15人くれぇしかいない。
「少佐殿! こいつらはただの浪士じゃありません。血路を拓いて逃げましょう!」
小頭の岡島がビビった声で言う。俺はそれを叱り飛ばした。
「おい、岡島ぁ。てめぇ、声が震えてんぞ? 相手がどれだけ多かろうと、俺たち真徴組は東京の治安維持のために戦うだけでぇ。けどよぉ、危なくなったら逃げな。こいつらの狙いは俺っちだから、おめえ達が逃げても深追いはしねェと思うぞ?」
俺はそう言いざま、真正面にいた大男に必殺の三段突きを見舞った。男が刀を上げる暇さえ与えないほどの素早さだった。
「ぐっ……」
大男が斃れるまでに、俺は続けざまに5人を始末した。全員、両の手首を斬り飛ばしてやった。
「うおっ!」「だあああっ!」
俺を狙って左右から同時に跳びかかって来たが、俺は一瞬速かった右の奴から始末し、その返す刃で左の奴を斬り捨てる。
周りを見ると、地面にくたばっているのは全部、敵方だけだ。15人とはいっても、真徴組の粒選りの奴らだ。おいらが見込んだ隊士一人に、そこいらの侍が3人かかったって敵いっこない。見る見るうちに敵の頭数が減っていく。
「くっ……」
八郎は唇をかんでそう呻いたかと思うと、部下たちの間隙をついて俺に斬りかかって来た。俺はそれを刀で受けとめる。久しぶりの骨のある相手だ……俺はその手ごたえから、そう感じていた。
「では、こっちも行くぜ」
間合いを開けた八郎に対し、俺は無造作に間合いを詰めた。八郎のテンポにはない動きだったらしく、俺が懐から刀を突きだすまで、八郎は動かなかった。
「おおっと!」
八郎はそう言って慌てて跳び下がる。しかし、俺もそれに合わせて八郎への間合いを詰める。何度かそれが繰り返された。俺が突きだしては相手が跳び下がる。それに合わせて俺が間合いを詰める……。
やがて、相手は辛抱が切れたのか、大上段に振りかぶって俺に斬撃を叩きつけてきた。俺はその時を待っていた。相手が振り上げた刀をこするようにして、俺は相手の背後へと跳んだ。跳びざまに真一文字に『大和守貞吉』を振りぬく。何も手応えはなかったが、俺には八郎を両断した自信があった。
「ぐっ!……ぐぐっ……ぐはっ!」
八郎は、俺が振り向くと同時に、血を吐いてうつぶせに倒れた。俺は念のため足元へとまわり込み、八郎のぼんのくぼ辺りにとどめを刺した。
「おい、おめぇら! 首魁の中谷八郎は討ち取ったぜぇ。ま~だやるつもりかい?」
俺がそう言うと、残りの奴らは明らかに怯んだ。そして総崩れとなった。逃げようとして斬られる奴が多かったが、中には踏みとどまって隊士5人を相手に奮戦し、血みどろになるまで戦い抜いて散った奴もいた。
「ひい、ふう、みい、よう……」
俺は、小頭の岡島にけが人の手当てをさせながら、ここに残された奴らの死体を数えた。32人が俺たちに斬られたわけだった。
18人くらいが逃げ延びたわけだったが、それでも奴らは大なり小なり手傷を負っている。潜伏場所がある奴ならともかくとして、そうでない奴はここ数日中に捕まる運命にある。奴らも落ち着いたらそう思い至るに違いない。その時は、自首して出るのが一番だ。俺たち真徴組は、改心して自首し、何もかも包まずしゃべる奴に対してはそうひどい仕打ちはしないことにしていた。
「おい、岡島、手傷負った奴らはここからオフにする。名簿に名前と受傷カ所を控えててくれ。後で俺から総括に説明しとくから」
俺がそう言うと、岡島はニコリとしてうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
結局、この日の5番組の巡回は、俺の隊だけがいろいろと事件に巻き込まれ、斬り捨てた不逞浪士33人、逮捕者3人、厳重注意6人を処理し、8人の負傷者を出した。
根岸隊も手塚隊も、平穏無事なパトロールだったらしい。俺と一緒にいた岡島と石井の小頭には、忙しい思いをさせてしまった。
次の日、俺は非番だったので、『頼まれ屋』の兄ぃの所に行ってみることにした。
「よぉ、『頼まれ屋』の兄ぃ、猫は見つかったですかい?」
俺は、神社を掃除している鳴神の兄ぃを見つけ、そう声をかける。鳴神の兄ぃはいつものすっとぼけた声でにこやかに答えてくれた。
「ああ、おかげさんで見つけることができたぜ。ただ……」
「ただ、何でぇ、鳴神の兄ぃ。何か困ったことでも起こったのかい?」
俺がそう言うと、鳴神の兄ぃは笑って言う。
「マタタビにすっかり酔っぱらった猫たちが、この神社に住み着いて困っているのさ。何匹か引き取っちゃもらえねェか? タマンキ君」
「俺ぁ玉城だって言ってるでしょ? 冗談キツイですぜ兄ぃ」
俺がそう言うと、雹の兄ぃは竹ボーキをしまいながら笑って言う。
「ちょっと社務所に寄ってかないか? 茶ぐらい出すぜ。そうだ、琴も来ている。今、猫を品定めしている最中だから、一緒にどうだい、玉置君?」
「だから俺ぁ玉城ですって、しまいにゃ怒りますぜ?」
そう言いながら歩いて行くと、開け放たれた社務所の窓から、
「わぁ、このにゃんこかわいい~❤ ボク、この仔もらってっちゃおうかなぁ~♪」
「あかんねん! その子はわてが目ェつけてた仔やで!」
「でもぉ~、このくつしたがと~ってもかわいいんだも~ん❤ うちに来るよねェ~『フンベルト・フォン・ジッキンゲン2号』♪」
「『踏ん張ると・フォン・失禁ゲロ2号』って何やねん? そんな上と下から何か出てるような名前、下品やねんか? この仔の名は『冬彦5号』に決まっとんねん! 変な名つけんでくれへんか? な~『冬彦5号』?」
「何その『冬彦5号』って? マザコンみたいな名前じゃない? やっぱり猫は男爵だよ。ボクは断然『フンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵2号』がいい!」
そう、琴リンとチビ助が言い合っているのが聞こえる。
「お~い、タマキン君が来たぞぉ~。霙、お茶出してくれぇ~」
雹兄ぃがそう言うと、チビ助は一度俺の顔を睨みつけてから、席を立って台所へと消えた。
「あの……雹兄ぃ、俺、玉……」
「ん? どした玉城君?」
「いや、いいっす、もう……」
なんか俺、弄ばれているに違いない……でも、雹兄ぃとこうしてやりあうのも何か楽しいな……って俺、Mっ気もあったの!?
俺が自分の中の隠された一面を発見して茫然としている時、琴リンが聞いてきた。
「ねぇ、玉城センパイ、この猫ちゃんの名前、何がいいですかァ~? ボクは『フンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵2号』にしたいんですけどぉ~❤」
俺は茫然としたまま答えた。
「『サド侯爵8号』……」
「え゛!?」
「俺の言葉に、琴リンも、茶を持ってきてくれたチビ助も、雹の兄ぃも凍りついた。あ、もう一人、あの美人の姉上さんの弟のダメ男も凍りついた」
「いや、ダダ漏れだから? 考えていること口走っちゃってるからね? タマキン君?」
「『あ、もう一人』って何ですか!? それになに回りくどいこと言ってんですか!? 『清正君』って言えばいいのを『あの美人の姉上の弟のダメ男』って、僕ってそんなに存在感薄いですか?」
清正君が血相を変えて言ってくる。俺はそれを見て、はっと我に返って言った。
「い、いや、別に存在感が薄いってんじゃねェよ。結構ツッコミではいい線行ってると思うからよ。ただ何となく地味かな~っては感じてるけどよぉ」
「それは言える!」
俺の言葉に、清正君を除く全員が激しく同意し、清正君はしばらく立ち直れないでいた。
結局、猫は琴リンが貰い受け、『真徴組』の屯所で飼うことになった。
「琴リン、『冬彦5号』をよろしくね? いじめられたら戻っておいで『冬彦5号』」
「大丈夫♪ 可愛がるからさ。霙ちゃんも屯所においでよ。ボクが案内してあげるから❤」
おやおや、琴リンとチビ助は何げに仲良くなっているんだな。ま、俺にも雹兄ぃやダメ男君が友達としてできたからな。
そう思った時、俺は不思議な感じがした。今まで戦いの中で、松平さんや俣野のボケナスに感じたような親近感を、俺は敵だったかも知れないパツキンの兄ぃに感じている……。それは雹兄ぃが持っている不思議な存在感かもしれねェし、優しさかもしれねェ……。
「お~い、玉置君、またいつでも遊びに来いや」
「だから俺ぁ玉城ですって。兄ぃひょっとして俺をからかってませんかぃ?」
俺は、不思議な安心感の中で、そうこの不思議な男に口答えするのだった。
【第6幕 緞帳下げ】
第7幕 アイスクリームを長く外に放置してたら融ける
「暑い……」
うちは雨宮霙、雹ちゃんがやってる『頼まれ屋』の従業員にして、雹ちゃんの幼な妻やねん❤
うちは今、愛するダーリン・雹ちゃんの事務所で留守番しているのやけど、暑くて暑くてかなわへん。雹ちゃんの机に突っ伏していると、5分もせぇへんうちに、うちの形の汗の跡がくっきりと残ってしまう程やねん。なじょして、うちがこのくそ暑い『頼まれ屋』の事務所で、一人グダグダしているかと言うと……
『お~い、霙。今日、雹さんと清正君は、新東京三鷹区の工事現場でアルバイトだから、電話番よろしく頼むわ~』
『暑いから、窓を開けて換気をよくしとかないといけないよ? それから水もちゃんと飲まないと、熱射病になるからね? 一応、冷蔵庫に“バーゲンダッシュ”と“バビゴ”と“クロクマ君”入れといたから、勝手に食べていいからね』
雹ちゃんとキヨマサがそう言って出て行くのを、
『うん♪ 雹ちゃんも仕事、無理せぇへんといてや? キヨマサもサボるなよ?』
そう言って送り出した霙ちゃんであった、まるっ。
「ゔ~、しかしあっついわぁ~。やっぱ夏はクーラーがあらへんと地獄やわ……」
うちは、どうせ雹ちゃんもキヨマサもいないし、『頼まれ屋』にお客が来ることなんてめったにないので、いつもの赤いジャージは脱ぎ捨てて、ブラといちごパンツにインナーをひっかけただけのあられもない姿で、大好きな雹ちゃんの椅子に座ってグダグダしているわけなんや。
「そやけど、このカッコじゃ窓開けられへんな……」
このカッコで窓を開ける度胸は、さすがのうちにもあらへん。何よりいちごパンツは雹ちゃんのお気に入りや。このカッコを他の男に見られるのは、うちにとって雹ちゃんへの裏切り、あるいは浮気にも等しいことやねんから……。
かと言って、このままこのカッコでいても、窓を開けへんことには部屋の温度は上がるばっかりや。今、ちらっと温度計見たら、まだ9時やというのに30度もあった。このままいけば、お昼時には絶対、35度を超えるやろう。そしたらうちは蒸し焼きや。
「しゃあないな……窓開けよ。その前に水風呂入って、いちごパンツも替えへんといかんわ」
うちはそう決めて、ジャージを引きずってお風呂へと行った。
「ふわぁ~、極楽や~❤」
水風呂にしようかと迷ったけど、ぬるいお風呂にすることにした。37度くらいのお風呂につかると、なんやと~っても気持ちええ。夜中に雹ちゃんに抱っこしてもらっているような感じがして、うちはちょっと恥ずかしかった。
「…………なかなか大きくならへんなぁ……りんご牛乳が足らへんのかな?」
うちは、自分の胸を見てつぶやく。まあ、まだうちは14歳やから、これから大きくなるとは思うねんけど、キヨマサの姉上の誾ねぇちゃんや、うちの実の姉・霰姉ちゃんの胸を見ると、やっぱうらやましいと思うねん。
「そう言えば、琴リンの胸も、結構あったなぁ……うちも20歳くらいになったら、あんなでっかい乳になるかなぁ?」
男の人から揉んでもらったら、乳がでかくなると聞いたけれど、それ本当やろうか? ホントだったら、今夜から雹ちゃんに揉んでもらおうかな。でも、雹ちゃんにそないなこと頼んだら、絶対怒られるに違いあらへん。
『お前さぁ~、俺はお前のお姉さんから、お前のことを大事にするだろうって見込まれて、お前の世話を頼まれたんだぞ? そんな俺がお前に手ェ出したら、俺、みんなからロリ○ン侍ってバカにされちまうよ。そしたら俺、切腹もんだよ? いいの? 雹さんが切腹していいの?』
雹ちゃんは、きっと半分冗談顔で、こういうに違いないのだ――それは分かってんねんけど……。
――うち、いつの間にか雹ちゃんのこと、お兄ちゃん以上の何かを感じてしまっている……。
そのことに気が付き、激しく動揺してしまった霙であった……。
――安手の昼メロみたいやんか~。うちのアホ~!
うちは気分を切り替えることにした。このまま雹ちゃんのことをうだうだ考えとったら、ホンマに昼メロのインラン団地妻みたいになってしまう気がしたんや。
「あ~、さっぱりした♪」
うちは身体をふくと、雹ちゃんから買ってもろたブラといちごパンツを着け、いつもの赤いジャージを着た。ちょっと大きめのジャージやから、風も通すしちょうどええと思ったけど、その通りやった。
「う~ん、やっぱ窓を開けると涼しいわぁ~❤」
窓を開け、ドアを開け、襖も開けると、一気に風通しがよくなった。この事務所兼社務所は、鎮守の森の側にあるから、日陰になるところはそれなりに涼しい。そこから入ってくる風は、うちにとって極楽の風やった。
「ついでに扇風機もつけよっと」
扇風機をつけると、さらに涼しくなり、温度計は24度まで下がった。これならなんとか大丈夫や。時計を見ると、10時を少し回っていた。うちはアイスクリームを食べることにした。
「へっへっへ~、アイスクリームや~❤」
うちは迷いに迷って、一番好きな“バーゲンダッシュ”は3時のおやつに取っとくことにした。昼ごはんのデザートとして甘いもん食ったら血糖値が上がりすぎていかんのやさかい、昼はかき氷にするとして、消去法でまず“バビゴ”アイスから食べることにした。
“バビゴ”アイスを真ん中からぷちっと二つに分ける。そして、片方を融かしながら、片方のバビゴをちゅうちゅうと吸う。ああ、シアワセやわぁ~。雹ちゃんもオンナノコのおっ○い吸うときは、こんな感じなんやろうか?……あかんあかん、そんなはしたないこと考えたらあかんやんか!
その時、事務所の電話のベルが鳴った。
「もしもし、『頼まれ屋』ですけど? どちらさんですか?」
うちが言うと、電話の向こうから慌てた男の声がする。
『あ、俺だよ俺』
「だれ? 雹ちゃん?」
『そう、雹ちゃん雹ちゃん』
「雹ちゃん、何や声がおかしいねんで?」
『い、いや、ちょっと風邪引いちまってなぁ~。それより困ったことになっちまった。さっき俺、車でオンナノコ跳ねちまって、慰謝料とか治療代とかでお金が必要なんだ、すぐ300万ほど都合してATMから振り込んでくれないか?』
「それ、誰も見てへんかったんか?」
『え? ああ、だから今のうちに示談すればいいから、お金を振り込んでくれ』
「……アホ! 誰も見てへんのやったら、トドメ差して逃げて来いよ」
すると電話の相手はあからさまにびっくりして言う。
『い、いや、そんなことしたらいけないだろ~』
「ええって。トドメ差して、死体に『天誅! 真徴組玉城少佐』って書いとけよ。玉城のドS野郎、雹ちゃんのトモダチやろ? それくらいのお茶目、許してくれるがな」
『え!? 真徴組とトモダチ!? 失礼しました~!』
いきなりその男は電話を切って、二度と電話をかけて来ぇへんかった。
「ざ~んねん♪ 雹ちゃんはスクーターしか乗らへんのや。ちゃんと調べてからオレオレ詐欺せんかいボケ!」
うちが2本目の“バビゴ”を食べている時、また電話のベルが鳴った。
「はい『頼まれ屋』やけど、どなたはんでっか~?」
うちが電話を取ると、何や馴れ馴れしい男が電話口でけったいな話をし始めた。
『すみません、こちらは大東京不動産株式会社と申しますが、今日はマンション経営についてお電話差し上げました。東京でマンションを経営すると儲かりますよ~』
「……シツレイやけど、アンタ、アホ?」
『は!?』
「いや、東京の一軒家に住んでるもんが、何が悲しゅうて住みもせぇへんマンション買うたらなあかんねん?」
『い、いえ、買うのではなくて、経営をしていただくんですが?』
「マンション経営してどないなるんねんか? 大家は大変やで~? 修繕費はださなあかんし、家賃払わん奴の対応も大変やし、部屋で自殺でもされたら事故物件になって値段ガタ落ちやん?」
『い、いえ……その辺りのノウハウは、うちの会社で責任持ってやりますので……』
「嘘やん! 責任持って瑕疵物件買わされたらたまらんがな。築50年とかいうマンションのオーナーになって、どこが儲かるねん?」
『そこは責任持って、わが社がサポートしますので』
「……うち、お金持ちやから、これ以上お金は要らへんねん。そないに儲かる話やったら、もっと貧乏で可哀そうな人に紹介したってんか?」
『……で、でも、お金はあるに越したことないでしょう? そのお金のほんの少しでいいですので、投資してはいかがですか?』
「凍死したら寒くて、お腹が空いて、眠いやんか! うち、そないなことできへん。しつこい勧誘はお金いっぱい持ってるからいらへんって言えって、阿久根のおじちゃんが言ってたねん」
『阿久根のおじちゃんって誰!? とにかく、お金がいっぱい儲かりますけど……』
「あのね、“金は天下の回りもの”っちゅうけど、うちが雹ちゃんの家に来てから、雹ちゃんのお財布の中に英世のおじちゃんが3人以上いた事ってないねん。諭吉のおじちゃんなんてめったに回って来てくれへんねん。分かるか!? これ以上長電話して、会社の経費無駄遣いせぇへん方がええって。そして二度とかけてくるな、おかげでバビゴが融けてしもうたやないかい!」
うちはそう言って、何かまだしゃべろうとするアホの相手はせずに電話を切った。
今、11時30分や、一番お腹が空くころや。うちはじりじりと上がって行く温度計の目盛をじ~っと見つめながら、イライラしていた。
「お客さんも来ぇへんし、変な電話ばっかやし、なんや詰まらんなぁ~」
うちはそう言ってテレビをつける。でも、この時間帯はテレビショッピングと外国のドラマばっかりやった。
「あ~あ、近ごろテレビも詰まらんようになったなぁ~。あかんでホンマ、もっと知性と教養が身につくような番組をつくったらんと」
ちなみにうちは、大自然のドキュメンタリーとか、旅番組が好きやった。『大自然+旅+大冒険』やったら最高や! ああ、誰か『ドラ○エⅩ』の実写版、作ってくれへんかな~。
そう思っていた時、電話のベルが鳴った。
「はいはい、『頼まれ屋』やけんど?」
『あ、こんにちは~、こちら“家庭教師のドライ”ですけど~、子どもさんは何人いらっしゃいますかぁ~? 家庭教師のご案内ですけどぉ~』
「子どもはおらへん。おっきなガキとダメ男はおるけど」
『あの~、今お電話に出ていただいているあなた、お幾つですか? とても若く聞こえますが、中学生くらいですか?』
「うちは雹ちゃんの幼な妻やねん。そやからガッコ行かんでええねん」
『そうですか~、新婚さんですか~。でもお客様、今は生涯学習の時代ですよぉ~? お若いのに結婚して、やりたいことを我慢しているんじゃないですか? 夢をかなえるため、お家にいてもしっかりと学力がつく家庭教師はお奨めですが』
「やりたいこと……」
『そう、お若いお客様なら、諦めかけているやりたいことがあるんじゃないですか?』
「やりたいことは、雹ちゃんとの××やなぁ~。でもまだうち14やから、雹ちゃんが相手してくれへんねん。ひどいと思わんか? 毎日抱っこして寝てくれるのに、そっちの方はなしやで? うちかて健康な乙女や、たまには妄想が膨らむこともあるねん」
『え!? 14歳ですか!? 学校に行ってない?』
「あ、そのことなら心配いらへんねん。うち、風魔の学校では結構優秀やったから、高等部卒業程度の学力認定は受けてるさかい、心配せんといてや、兄ちゃん」
『はあ、優秀なんですね。では、それ以上のスキルとキャリアアップを図るため、ぜひうちの家庭教師をお使いいただけないでしょうか? うちの家庭教師には、優秀な先生をそろえていますし、スクーリングや通信検定のほうも充実しています。文部省認定資格も取れますが?』
「そやなあ、じゃ“高等忍術”の先生はおらへんか?」
『へ!? 忍術?』
「そや、うち、一般教養は、自慢やないけど雹ちゃんやキヨマサよりあると思うねん。だから、うちの得意分野である忍術をもっと磨きたいねん。特に忍術の科学的・体系的な理解と実践の部分が、うちが足りてない所やと思うねん。そやから、『実践・高等忍術』とか、『体系的高等忍術』とか『科学的忍術のススメ』なんちゅう講座や、そないな学問教えてくれる先生がおったら、受けたってもええなぁ」
『あ、あの~、うちの家庭教師は、一般大学の学生さんとかが多いので……』
しどろもどろに言う兄ちゃんに、うちは言ってやった。
「何やねんそれ!? ドライさんなだけに師弟関係もドライに割りきっとるんか!? もうええ、そんなら『資格講座のエーキャン』の方がええわ。そないな先生が入ったら、また電話してェな?」
兄ちゃんは哀しそうな沈黙とともに電話を切った。
「えっへっへ~、雹ちゃん、いただきま~す❤」
お昼になった。幸い気温はそんなに高うはなってへんけど、室内はやっぱり28度前後の暑さになった。けれど、お昼ご飯やねん! うちはお釜の中のご飯をがっつきながら、キヨマサが作っておいてくれた鶏肉とキャベツの炒め物で、お腹いっぱい食べさせてもらった。ああ、シアワセやねん……これでゆっくりお昼寝したら最高や~!
「ごちそうさま~♪ おっと、デザートデザート❤」
うちは、“クロクマ君”かき氷のふたを開ける。その時、電話のベルが鳴った。
「はい『頼まれ屋』ですけど?」
うちがそう言っても、電話の先で誰も話をしない。ただ、ハァハァいう息遣いや、『うっ』とか『うっうっ』とかいう変な声だけが聞こえた。
「……オイ、用事がないなら切るで!?」
うちが言うと、若い男の声で、
『ハァハァ、お、お姉さん……今、ヒマ?』
という声がした。
「ヒマやない。これからアイス食うんやさかい、用事があるならチャッチャと言うたらんかい」
うちが言うと、その男は『うっ』と声を漏らし、なんか電話口でティッシュかなんかを引っ張り出す音がして、『ふう~』というため息をついて、電話を切った。
「……何やねん? けったいなヤローやな?」
うちはそう言って受話器を置くと、“クロクマ君”を口に運んだ。
「う~ん、おいしいねん~❤ 最高やねん~♪」
うちが、かつかつとかき氷を食べ終わった時、また電話のベルが鳴った。
「はい、『頼まれ屋』ですねん」
うちが電話を取ると、さっきの男がまた『うっ』とか言いながら電話をかけて来ていた。
『お、お姉さん、今、ヒマ? アイス食べた?』
「さっきの人やな? アイスは食べたで」
『お姉さん、一人?……ハァハァ』
「何や、お前息が荒いで? 病気とちゃうか?」
『……お姉さん、今、パンツ穿いてる?』
「当たり前やがな。パンツ穿かんと股がスースーして気色悪いねん」
『うっ!……お、お姉さんのパンツ、何色?』
「そないなこと、乙女に聞く方が野暮やねん。だいたいお前幾つや?」
『……25……ハァハァ……うっ』
「お、おい、ホンマに大丈夫か? 医者に行かんとええんか? なんや苦しそうやけど」
『お、お姉さんはいくつ?……』
「うちは14や、だからお姉さんって言わんといてんか?」
『じ、14……うっ!』
「そや、もうすぐ15になるねんけどな」
『キ、キミ……中学生?』
「アホ、中学に行っているヤツが平日の今頃、電話に出るかい!? うちは雹ちゃんの幼な妻や」
『ああっ!……お、おさまづま……い、いい……よすぎるぅ……』
うちはそこでやっと気が付いた。そしたら顔が真っ赤になった。ああ、うちのアホ! こないな奴にうちと雹ちゃんのスイートな生活を話しそうになるやなんて!
「……っ!……」
『ハァハァ……キ、キミ……スリーサイズいくつ?……毎晩やってるの?……旦那さんはどう?……』
うちはもう答える気がなくなっていたし、心配する気もなかった。こいつにどうやって天誅を下したろうか……。ええい、忌々しい!
「……ねぇ……もっとそばに来て……ね?」
うちはささやくような声で優しく言う。ホラ、早う受話器にその耳をぴったりくっつけんかい!
『な、なに……聞こえないよ……ハァハァ……』
今やっ! うちは胸いっぱいに息を吸い込んで、必殺の超音波ボイスを電話口に叩きつけた。
「おめぇ! ヘンタイやろ~! 平日は働かんかいボケ!」
うちはそう言って電話を切った。それきりそいつから電話はかかって来んかったけど、何や恥ずかしゅうて、穴に雹ちゃんを入れたい……もとい、穴があったら入りたい気分やった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「ああ~ん、バカバカ、うちのアホ~! あんなヘンタイと電話ででも話すなんて~! 雹ちゃんが知ったら嫌われちゃうよ~!」
うちはしばらく立ち直れへんかった。電話でイヤラシイことを話すアホがいることは知っていたんやけど、そんなヘンタイとまさかうちが話すことになるやなんて!
うちが恥ずかしさと悔しさでのたうちまわっている時、電話のベルが鳴った。びくっと体が震える。
うちは電話を取ったろうかどうか激しく迷ったけど、雹ちゃんから頼まれた電話番であることを思い出し、思い切って受話器を取り上げた。
「……はい……『頼まれ屋』ですけど……」
『おう、霙。ご飯食べたか?』
「雹ちゃぁん❤」
電話の主は雹ちゃんやった。うちはとたんにぱぁーっと視界が明るくなった気がした。
「雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃん雹ちゃ~ん❤」
うちはうれしかった。どれだけ雹ちゃんの名前を呼んでも足りない気がしていたんや。そんなうちに、雹ちゃんは笑って優しい声で言ってくれた。
『どうした? 甘えんぼモードじゃねェか? 一人でお留守番は寂しいか?』
「……寂しいねん……つまらんし、変な電話かかって来るし……雹ちゃんが居らんと寂しいねん」
『変な電話?』
「……い、いや、それはええねん。ひ、雹ちゃんはご飯食べた?」
うちは慌てて話題を変える。変態のテレホンセ○クスの相手させられそうになったなんて話したら、雹ちゃん、きっとうちを嫌いになる気がしたから、怖かった。
『ああ、午後からもうひと踏ん張りしなきゃな。お前の声も聞きたかったし、一人で留守番させて悪いな~とは思っているけど、背に腹は代えられなくてな?』
その言葉で、うちがどれだけ幸せな気分になったかは、読者のみんなには分かってもらえると思うねん。え~やろ~、のろけてやるねん。へっへ~❤
「うちのためにアリガト雹ちゃん。でも、なるべく早う帰って来てや?」
『ああ、だいぶ疲れたから、風呂立てて待っててくれ。それから、お土産何がいい?』
そんなこと言われたら、ホンマにうち、夫の帰りを待つ幼な妻やないか~(テレテレ)
「あ、アイスがええねん」
『アイスか~。そうだよな、今日も暑いからな~。分かった、じゃ、楽しみに待ってろ』
「あ、雹ちゃん……」
『ん? 何だ?』
「……その……ええお兄ちゃんやな……」
『おう、アリガトよ。じゃ、仕事にかかるぜ』
そう言うと、雹ちゃんは電話を切った。うちは受話器にそっとつぶやいた。
「……あいしてる……って、こういうことなんかな? 雹ちゃん……」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
雹ちゃんの電話のおかげで、うちの沈んでいた気持ちも少しましになった。けれど、相変わらずお客さんもないし、こういう時に限って回覧板も回って来ぇへん。
「そや、晩ごはんの準備もしたらんといけへんな」
うちはそう思いついて、台所に行ってみた。あかん、朝とお昼のお茶碗もまだ洗うてへんかった!
うちは慌ててお茶碗を洗うと、続けてお米をとぐ。雹ちゃんが1杯、キヨマサが2杯食べるとして、うちは5杯にしとこ――そしたら8合炊けばすむねん。
お米をとぐと、おかずにふさわしいものを見つけるため冷蔵庫を開ける。野菜とお肉とお魚があるけど、何がなんやらようわからへん……。え~と、これがキャベツっちゅう野菜で、この赤いのがトマトで、このお肉、牛なんか豚なんか?
「……おかずはまだ後にしとこ~っと」
うち、雹ちゃんとこに来てしばらく経つけど、実はまだおかずが満足に作れへんねん。カレーと卵焼きと目玉焼きと、お茶漬けくらいしかレパートリーないねん。でも、誾ねえちゃんから少しずつ教えてもらっているので、うちが雹ちゃんのお嫁さんになるころには、何でも作れるようになっとったるで!
そうこうしているうちに、3時になった。おやつの時間や! うちはホクホクしながら、冷蔵庫に入れていたとっておきの“バーゲンダッシュ”アイスを持って事務室に向かう。
雹ちゃんのデスクにドカッと座って、アイスのふたを取る。
「くううぅ~っ! “ストロベリーバニラ”や! これ最高やねん」
この手の乳製品は、最初の一口が至福の味がするものや。まだ固いけど、うっすらと冷気がまとわりつくアイスを口に運ぶと、冷たさと同時にほんのりとした甘さが広がり、舌の上にゆっくりと広がるアイスの味と、鼻孔へと抜けるストロベリーの香り……ううっ! 最高や!
マミィが、最初の母乳には赤ちゃんの大切な栄養素が入っているって教えてくれたけど、アイスの最初の一口を食べると、それが実感できるねん。
うちが最初の一口を食べて、その至福の味に酔いしれていた時、電話のベルが鳴った。
「はい、『頼まれ屋』ですけど?」
うちが言うと、電話口の向こうで、『はあっ』とため息が聞こえ、やがて思い詰めたような女の人の声がした。
『あ、あの……何でも相談に乗っていただけると聞いてお電話しましたけど……』
何や何や!? 今度は何かまともな仕事の話らしいで? うちはいつも雹ちゃんがやっているように、メモ用紙を机に広げると、片手に鉛筆を持って話を聞く態勢を整えた。
「はい、お話の内容次第ですねんけど……差支えない範囲でええから、名前とご相談の内容を教えてくれへんか?」
うちが言うと、相手の女の人は、恐る恐る聞く。
『あの……秘密は守っていただけますか?』
「クライアントが秘密にせぇ言うたら、口が裂けてもしゃべらへんねん。安心してや」
それを聞くと、女の人はほっとしたようにしゃべりだした。
『あの、私、十二支町馬渡地区2丁目のハルミって言います。今日は、私の主人のことでご相談があって……』
「何? 旦那が浮気でもしとんの? それは旦那が悪いねん! しばいたりや、奥さん」
『い、いえ……別に女をつくっているわけではなくて……』
「えっ!? じゃ旦那さん、別に男作って男色に走っとんのか!? そりゃご愁傷様やな~。雹ちゃんによると、男色は禁断の蜜の味やそうやから、旦那さんをこっちの世界に引き戻すのは大変やで?」
『い、いえ……色恋の話じゃないんです。あの人、そんなことに特に疎いひとですから……』
うちのボケで、奥さんの声が少し大きくなって、しっかりしてきた。雹ちゃん直伝の電話術、こないなところで役に立つ思わんかったわ。
「う~ん、夫婦間の問題で、色の話じゃなかったら、次は金の話や。奥さん、旦那さんがよう働かんとかいうのんか?」
『いえ、主人の稼ぎはそんなに多くはないですけど、一所懸命働いてくれてます。ただ……』
「ははぁん、バクチやな? 雹ちゃんとおんなじや。そやけど一所懸命働くゆうから、その点では雹ちゃんよりマシやで?」
『いえ、主人はバクチはしません。タバコを吸うくらいで、お酒もあんまり呑みません。ただ……』
「おかしいで奥さん。旦那は働いている、酒もバクチもせぇへん、女遊びもせぇへん……何が困っとるんや?」
うちが訊くと、ハルミさんは泣きながら言った。
『ただ、お金を家に入れてくれないんです……』
「なんでや!? 旦那の給料はいくらなんや?」
『よく知りません。明細書も見せてくれませんので……。ただ、子どもも多いし、家も新築したので、そんなこんなで主人もあちこちの支払いで大変だろうなって思っていました』
「子どもさん、何人や?」
『5人です』
「またぎょうさんつくったなあ……旦那さんと奥さん、仲ええんやろ? でないとそないに子どもできへんもんな~。コンチクショー、当てられるぜぇ。ヒューヒュー」
『そ、それは……確かに主人はその、××で××××××ですから、私も××××ですけど』(放送できない内容です。お見苦しい点はご容赦ください)
「旦那さんが××で××××××やから、奥さんも××××なんやて!? うちなんか雹ちゃんから××どころか××××すらしてもろうてへんのに……あかん……奥さんちょっと待ってェな、想像したら鼻血でてきた」
うちは鼻にティッシュを詰めて、ハルミさんに言った。
「……話聞いとるとなぁ、ハルミさんは旦那さんのことがホンマに好きなんやなぁ」
『はい……』
「けど、お金入れてくれへんかったら、生活大変やろ?」
『はい、私の指輪なんかを質に入れて凌いでいます』
「うわ~、そりゃあかんわ。旦那さんと話してみたらどやねん?」
『ダメなんです、あの人、“フィギュアに使う金はあるが、妻子を養う金はない”なんて言うんです。思えば、最初、私が主人から頼まれて萌え系の雑誌を買ったのがいけなかったんです……それからあの人はずるずると萌えにはまって、フィギュアは集めるは、DVDは買いあさるわ、挙句の果てには萌え系のオンゲーにはまってしまって……』
「旦那さん、その“萌え”に、月に幾らくらい遣っとるんや?」
『さあ……詳しくは知りませんが、この間買った“美少女戦車クルー・恋々”ってDVD5巻ものは、初回販売特典付きで6万円くらいって自慢していました』
「そらアカンわ……。で、フィギュアは?」
『……お恥ずかしい話ですが、主人の部屋いっぱいに飾っています。500体はあるみたいで、その中でも“テイキューブ”っていうオンナノコたちの6分の1フィギュアを“ヤッホー・オークション”から5人セットで10万で競り落としていました』
うちは呆れて開いた口がふさがらんかった。何やこの旦那? キモっ! 可愛い(かどうかは会うてないから知らへんが)奥さんと、ガキ5人もこさえてて、“萌え”!? そりゃ萌えがアカンとは言わへんけど、物事には限度っちゅうもんがあるやろ?
「オンゲーは?」
『何でも“大艦隊萌え萌えコレクター提督”とかいうゲームや“萌えキュン着せ替え遊びっ❤”とかいうゲームに、月に10万は課金しているみたいです』
「……うちから言わせれば、PCを叩き壊して、萌えフィギュアをヤホオクで売っ払えばええやんと思うねんけどな?」
「そんなことしたら、私が殺されてしまいます! 今やあの人にとって、“萌え”は命ですから」
怖気をふるうようにして言うハルミさんが、うちは不憫になった。何やその“萌えは命”って!?
「だったら、旦那さんの目ェと腎臓を売っ払うとええんや。目も腎臓も二つあるんやから、片方のうなっても死にゃせんがな。ハルミさん、そんくらいの迫力で旦那さんと話さんといかんよ?」
『はい……あっ! 主人が帰りました! ちょっと話をしてみます……オラこのヴォケェ! 今日こそは金入れんかい! 子どもが腹ぁ空かして泣いとるやろが!』
うちがよく聞くと、電話の向こうで何やら哀願している男の声が聞こえた。
『わっ、ハルちゃん、ちょっと待って待って! そんな包丁はしまおうよ? 落ち着こうよ? ね、ね?……うぎゃ~っ!!…………(プツッ、ツー、ツー、ツー、)』
「…………ま、いっか」
電話の向こうで、どんな修羅場が繰り広げられたのか、そこまでうちには責任が持てへんねん……。
うちは、発信音だけになった受話器を下ろし、融けてドロドロになった“バーゲンダッシュ”をごくごくと飲んだ。
うちがさっきの電話の内容を、雹ちゃんへの報告書にまとめている時、電話のベルが鳴った。
「はい『頼まれ屋』ですけど?」
うちが言うと、息も絶え絶えの男の声が聞こえる。
『はあっ、はあっ……す、すいません……はあっ……ちょっと、ご相談がありまして……』
うちは念のために聞いた。
「お前、まさか電話口でイヤラシイことしてへんやろな?」
『は!?』
「つまりやな、×××を×××ながらオンナノコにイヤラシイこと言うつもりやないやろな? と聞いてるねん」
『テレホンセッ○ス!? ち、違います。ちょっと家でごたごたしてたもんですから、息が上がってしまいまして、お聞き苦しいところはお詫びします』
「まじめな相談やったらええねん。で、どないな相談や? 察するにオンナやな? 不倫を清算したいゆうなら、家庭裁判所に行ってんか?」
『不倫なんてしませんよ! 僕には可愛い妻と子と、カホリンと改・赤城ちゃんがいるんですから!』
「……一つ訊いてええか? カホリンとか改・赤城ちゃんって何や?」
『えっ!? 知らないんですか? 今人気の萌え系ゲームの主人公ですよ』
……コイツ、まさかさっきの萌え旦那? うちはそう直感したので、こう言った。
「アンタ、奥さんから目ん玉と腎臓売っ払われようとしてへんか?」
『えっ!? 何で分かるんですか? そうです、いつも優しくて従順な妻が、いきなり包丁を持って僕に“家に入れる金がないんなら、目ん玉と腎臓を売っ払って来い”って……こ、怖かったです』
「そうなったことに関して、心当たりはないんか?」
『……別に、何も思い当たることはないですが……』
「ホンマやな!?」
『はい……』
「お前、家に金入れんと、萌えのDVDやフィギュアを500体も集めたり、萌えのオンゲーで月10万も課金するくらいハマってはおらんのか?」
『なじょして!? フィギュア500体とか、オンゲーに課金10万とか、その数字の根拠は何!?』
「カンや、女のカンや。お前“千里眼の相談員”ミゾレッチをなめんなよコルァ!」
男は観念したか、急に謝りだした。
『すいません! 初めて“萌え”を知った時、こんなに素晴らしい世界があるのかって思って……そしたら、どうしてもフィギュアやDVDが欲しくて! カホリンと改・赤城ちゃんの笑顔がまぶしくて、忘れられなくなったんです!』
「2次元に癒しを求めるのは結構やけんど、3次元にはアンタを必要としている愛する奥さんが居るんやろう? アンタをパピィと慕い、アンタの稼ぎで露命をつなぐガキが居るんやろう? だったら、2次元で癒された心を、3次元の家族に注ぐのが筋っちゅうもんやないんかい?」
『……そ、そうでした。僕は間違っていました』
「アンタはよう働く旦那やと思う。子供や奥さんには優しい、ええ父親、ええ夫やとも思う。そやけどな? “金の切れ目が縁の切れ目”にならへんとも限らんのやで?」
『ううっ……ぐすっ……ハルミぃ、ごめんよぉ……』
「奥さんはアンタに、そんな元の旦那に戻ってほしくて、包丁を振り上げたんと違うんか? 人間、誰かて弱いもんや、タバコやアルコール、スポーツや読書、そして変態的な趣味でその弱い部分を隠したり、明日への活力を得たりすることは、悪いコトやない。それならただのリア充や。そやけどな、その趣味が生活を脅かしはじめたら、それは目覚めんといかんちゃうんか? 戻ってやるんや、奥さんや子供さんのために……今ならまだ間に合うで? フィギュアやDVDを売っ払って、その金を奥さんに渡したりぃ、ええか?」
『ぐすっ……ううっ……そ、そうします。ありがとうございました』
男はそう言って電話を切った。これで、一組の夫婦の危機が救われたんや。うちはそう思うと、少し心があったかくなった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
さて、5時も回ったし、雹ちゃんに何かおいしいもん作ってやらんとな。
うちはそう思って、何をおかずにしようかと、再度、冷蔵庫を物色し始める。う~ん、ジャガイモ、玉ねぎ、にんじん……そして肉……。
おお、これはカレーや! 神さんがわてに言うとるんや!
『霙、今夜のご飯は、雹ちゃんの好きなカレーにしなさい』って……。
うちは張り切って、カレーを作りにかかった。
「え~と、ジャガイモは芽を取って、皮むいて、にんじんは皮むいて、肉は筋を叩いて柔らかくして……っと……」
うちはそうつぶやきながらだんだんと顔が赤くなるのが自分でもわかった。あかん! 『皮をむく』とか『筋を叩く』とか、どうしてもイヤラシイこと想像してしまうねん! うち、ひょっとして欲求不満なんやろか?
――でもでも、雹ちゃんに頼んでも、そないなことしてくれへんし……自分でやるのも何や、ハズカシイし、インランみたいやし……。
うちがもじもじしていると、急に玄関のドアが開いた。
「ただいま~、今帰ったぞぉ~霙ぇ~」
雹ちゃんや! あかん、赤い顔をしてたらアカン! うちはそう慌ててしまったので、包丁で指を切ってしまった。
「あ痛っ!」
その声に、雹ちゃんが驚いて台所に来てくれた。
「どうした霙?」
「あっ、雹ちゃん、お帰りなさい……ちょっとびっくりして指切ったんや。大したことあらへん」
うちがそう言うと、雹ちゃんは“バーゲンダッシュ”がいっぱい入った袋を床に置いて、うちの指をくわえてくれた。
「あっ❤……ふぇぇん❤……」
うちは変な声出してもうた。だって、あんな想像の後やから、何やぞくぞくするんや。雹ちゃんはびっくりして、
「何? どうした? 変な声出すな! ご近所から変な想像されるじゃないか」
そう言うと、指に絆創膏を貼ってくれた。
「今夜はカレーか? うまそうじゃないか?」
雹ちゃんが鼻をひくひくさせながら言う。うちはうれしくてにっこり笑って言う。
「雹ちゃん、アイスありがと。キヨマサは?」
「ああ、アイツは疲れたからって家に直帰したよ。お誾ちゃんのご飯が食べたいんだろうよ、あのシスコン野郎、うらやましいぜ」
「……うちの料理じゃダメ?」
うちがしょんぼりして言う。そりゃ、うちと誾ねえちゃんだったら、勝負にならへんのは分かってる。けど、雹ちゃんはうちの頭をなでなでして言ってくれたねん。
「いや、清正の奴、こんなおいしそうなカレーを食べそこなって、不憫な奴だと思うぜ? ところで霙、風呂は?」
「あっ! ごめぇん雹ちゃん。カレーつくるのに一生懸命で……」
すると雹ちゃんは、笑って言った。
「分かった分かった、風呂は俺が立てるから、先においしそうなカレーを食べさせてくれ。腹がペコペコだ」
そう言って座る雹ちゃんに、うちは特別一杯に盛ったカレーを差し出しながら訊いた。
「雹ちゃん、お風呂一緒に入っちゃダメ?」
雹ちゃんは頭をかきながら言う。
「ダ~メだ。俺は一人で入りたい。風呂とトイレくらいはゆっくりしたいんだ。それに……」
雹ちゃんはパクッとカレーを食べて言う。
「俺は、お前を妹として見ていたいんだよ。せっかくできた家族だ、しばらく俺に兄の気分を味わわせてくれないか? お前がお前の家族のもとに帰るまではよ?」
「雹ちゃん……」
うちは、自分のカレーをつぎながら思った。じゃ、うちが霰姉ちゃんやパピィと一緒に暮らしはじめたら、うちのこと……妹以外の目で見てくれるんだよね?……って。
それは雹ちゃんには聞かなかったけど、うちは自分でそう思い込むことにして、雹ちゃんとの日々を精いっぱい楽しむことにしようって心に決めたのである……まるっ。
【第7幕 暗転】
第8幕 女の子の友情と男の子の友情って、どっちが長く続くんだろう?
僕は佐藤清正、16歳。東京は十二支町で『頼まれ屋』を営む鳴神雹さんの弟子で、『頼まれ屋』の従業員である。
僕は、今、『鳴神神社』の境内を掃除しながら、ちょっとした不安に陥っていた。それは、
――僕の出番が少なくなっている……僕はこのままレギュラーから外されてしまうんじゃないだろうか……。
ってことであった。
思えば、第1幕では、僕は栄えある最初に登場した人物として、この作品のいわば『開幕投手』を務めた。そして、第2幕以下、1巻では話の構成上必要な部分は別として、僕がナレーターを勤めたのだ。
しかし、第2巻においては、第6幕ではまさかの玉城少佐がナレーターを務め、第7幕では霙ちゃんがナレーションも含めてほぼ一人芝居状態となり、僕は初めて欠場となった。
それに……
「お~い、ダメ男、ちょっと停まりな」
「えっ! いきなり『ダメ男』って何? 僕、そんなにダメなんですか? ってか、警察官が一般市民にいきなり『ダメ男』って言っていいんですか!?」
清正はそう突っ込みながら自転車を停める。織部は不思議そうな顔をして清正に聞いた。
「おめぇの名、ダメ男ってんじゃねェのかい?」
「どこの世界に子供に『ダメ男』っつう名を付ける親がいるんですかっ!? つか、誰がそんなこと言ったんですかっ!?」
「いや、このお嬢ちゃんが、後ろから来るダメ男を乗せろっつーからよぅ」
織部が指差すパトカーの後部座席には、霙がニヤニヤとして座っていた。
「ええやん、キヨマサ。一緒に乗せてってもらえばええやん。さ、遠慮せずにうちの隣に座れ。特別に許したるわ」
<第5幕から>
……とか、
「台本通りに人生が送られれば、誰も苦労はしないんだぜ、兄ちゃん。あんたにゃアドリブの能力が足らねェンだ。だから作者はあんたをナレーターに指定したんだ」
「何それ!? 仕方がないからナレーター!?」
ダメ男がそう言うと、チビ助がここぞとばかりにダメ男にダメ出しした。
「そうやねん。だいたいキヨマサは自分の意思が出にくいキャラだから、作者も動かしづらいねん。ここしばらく出番が少ないのは、そう言ったことが関係していると、うち、思うねん」
「俺の言葉に、琴リンも、茶を持ってきてくれたチビ助も、雹の兄ぃも凍りついた。あ、もう一人、あの美人の姉上さんの弟のダメ男も凍りついた」
「いや、ダダ漏れだから? 考えていること口走っちゃってるからね? タマキン君?」
「『あ、もう一人』って何ですか!? それになに回りくどいこと言ってんですか!? 『清正君』って言えばいいのを『あの美人の姉上の弟のダメ男』って、僕ってそんなに存在感薄いですか?」
清正君が血相を変えて言ってくる。俺はそれを見て、はっと我に返って言った。
「い、いや、別に存在感が薄いってんじゃねェよ。結構ツッコミではいい線行ってると思うからよ。ただ何となく地味かな~っては感じてるけどよぉ」
「それは言える!」
俺の言葉に、清正君を除く全員が激しく同意し、清正君はしばらく立ち直れないでいた。
<第6幕から>
……とか、ことさらに僕の存在感の薄さを強調する記述が目立っているのである。
――まさか作者、僕をレギュラーから外して、玉城さんや中西さんをレギュラーメンバーにしようなんて考えているんじゃ?……
僕はそう考えだすと、不安でたまらなくなってくるのであった。
「これはいけない、このままじゃ僕は、ただのダメ男になってしまう」
僕がそうつぶやいたとき、
「そうね、このままじゃいけないわ」
そう、眦を決して姉上が登場した。
「姉上……お久しぶりです」
僕はそう言ってしまって、はっと口元を押えた。しまった! 口が滑った!
姉上はギロリと僕を睨むと、低く押し殺したような声で言った。
「ええ……確かにお久しぶりだわ……清ちゃんはナレーターを他のキャラにとられるんじゃないかって心配しているみたいだけど、出てないのは第7幕だけじゃない? その第7幕にも、最初の霙ちゃんの回想シーンに出てくるわよね? 姉さんは、第6幕に変な役回りで出ただけで、まともな話にはお呼びがかからなかったのよ?……」
「そ、それはきっと作者の大人の都合じゃないかと……」
僕はじっとりと汗をかいて言う。姉上はフッと虚無的に笑うと、続けて言った。
「そして、何? あの第7幕は何? 霙ちゃんが雹さんを狙ってるっての? だから姉さん、雹さんと霙ちゃんの同居には反対だったのよ! 絶対こうなるって気がしてたもの!」
「い、いや、あれも作者の読者サービスじゃないかと……」
僕が言うと、姉上はますますムキになって言う。
「だいたい、私は7つの時から雹さんのことが好きって設定なのよ!? 霙ちゃんが、いかにメインヒロインだって言っても、昨日今日現れたケツの青いガキよ!? しかも最初は雹さんの財布を狙ったじゃない? 何がツインテールよ! 何が14歳よ! いちごパンツが何よ!? そんなのタダのロリ○ンじゃない! 不肖、この佐藤誾、雹さんのためなら勝負パンツだって着けるわ! 二十歳の女の魅力で、雹さんをメロメロにするっていう話を書いてくれたっていいじゃない!?」
……あの、姉上、話がだんだん逸れています……それに、設定上はともかく、現在は姉上が7歳の頃出逢った“鳴神信郷さん”と“雹さん”は同一人物だと断定できない状態なんですけど……ネタバレじゃねェか?
僕がそう心の中でツッコんでいると、姉上が僕の手を取って言った。
「とにかく、霙ちゃんには負けられないわ。それに、読み返してみたら『犬神清香』っていう22歳の女と、真徴組の中西琴っていう20歳の女が、雹さんに急接近しているじゃない!? さ、清ちゃん、私たちも早く雹さんのところに行きましょう。でないとますますライバルに差をつけられるわ」
「ちょっと姉上、雹さんとこって、どこに行くんですか? 今日は平日で姉上も寺子屋のお仕事があるでしょう? それに雹さんは、今日から10日間『頼まれ屋』には帰って来ませんよ?」
それを聞くと、姉上はびっくりしたように僕に聞く。
「え!? 雹さんいないの!? どこに行っているの!?」
「何でも、神主の資格のレベルアップのために、神社庁で今日から10日間、泊まり込みの講習会があるそうなんです。雹さん、早起きしてもう出かけちゃいました。ですから、霙ちゃんは今夜から僕たちのうちに泊まらせてくれって、雹さん言ってましたけど?」
すると姉上はがっくりと肩を落として言う。
「そんな……せっかく手料理を食べてもらおうと有休とって張り切っていたのに……」
すると、
「ほっほっほっ、そんなにがっかりせんでもよかろう、お嬢さん」
という声とともに、神社の隣にある『東天寺』の住職・川田方谷和尚が現れる。
「あ……和尚様、おはようございます」
姉上は慌てて立ち上がって言う。顔を真っ赤にしてる姉上に、和尚は優しい微笑みを向けて言った。
「若い者たちは不器用でいかんの。雹もあんたも、もっと素直になれればいいんじゃがのう」
「え……その……」
姉上はますます顔を赤くしている。
「ふむ……ときに、そこのお兄さん」
「はい、僕の事ですか?」
うおおっ! なんでいきなり僕に振るんだ?……そんな僕の心のツッコミをあざ笑うかのように、和尚さんが僕に言った。
「うむ、そなたの事じゃ。ちょっと頼みごとがしたい。『頼まれ屋』に住んでいる茶髪のおちびちゃんと一緒に、うちの台所の汚れ物を片付けてほしいんじゃ。礼は家賃1か月分ということでどうじゃ?」
おおっ! 家賃と引き換えなら、雹さんも喜ぶに違いない! 今は別に仕事も入っていないし、どうせヒマつぶしのための境内の掃除だったんだから、これは渡りに船だ!
「承知しました。すぐに霙ちゃんを呼んできて、仕事にかかりますね?」
「うむ、頼んだぞ」
和尚さんのうなずきを見て、僕は『頼まれ屋』の事務所に向かって駆け出した。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「さて……」
駆け去っていく清正を、優しげな眼で見つめていた方谷和尚は、所在無げに突っ立っている誾に目を向けて言う。
「お誾さんは、今日は仕事じゃないのかね?」
「え……あの……有給休暇をもらっていますので……」
悲しげに言う誾に、和尚は笑ってうなずいて言う。
「せっかくの休みじゃったのに、雹がいなくて残念じゃったな?」
「え……お、和尚さん、からかわないでください」
「からかってはおらん。ただ、お誾さんを見ていると、春秋の過ぎ行くの速さを惜しむのみ、じゃ。雹の話によると、お誾さんたちは肥後から出てきたそうじゃな? お父上は確か5年前まで大番役頭だった佐藤筑前殿じゃったかの?」
「はい。よく御存じですね、和尚様?」
「雹が聞きもせんのに話して行きおったわい。まったく、『肥後から来た佐藤筑前の娘と息子に会った』と、たいそう嬉しそうに話していたものじゃ」
「え? 雹さんが?」
思わず笑顔になる誾に、和尚は静かな笑みをたたえた顔で言う。
「嬉しかったのであろうよ、雹も。こんな都会で、同郷人に会うのは懐かしさとうれしさを感じるものじゃ」
「同郷人? 和尚様、雹さんも肥後の出身なのですか?」
びっくりして訊く誾に、和尚は目を丸くして言う。
「おや、雹は何も話しておらんのか?」
「はい。雹さんは、生国とか、今までの事とか、自分のことを少しも話してくれません」
「ふむ……」
和尚はどことなく遠くを見る顔つきをする。誾は思い切って聞いた。
「和尚様、ご存じであればお伺いしたいことがございます。昔、宮﨑眞郷先生の『岱山郷塾』という私塾にいた鳴神信郷様のことを、何かご存じでしょうか?」
“宮﨑八郎眞郷か……懐かしい名を聞くものじゃ……”
そうつぶやいた和尚は、
「のう、お誾さん。雹がしゃべっておらんのであれば、それは雹にとってまだしゃべれぬと言うこと。わしがとやかく言うことではあるまいの……なに、雹の事じゃ、きっと時が来ればお前さんにも話してくれることじゃろうて」
そう言うと、にっこりと笑い、
「せっかくのお休みじゃ。少し寺で遊んでいくといい、お誾さん」
そう言うと、飄々と寺の方へと戻って行こうとした、そこに、
「すみませ~ん、鳴神の兄ぃはいらっしゃいませんかぁ~?」
そう、すっとぼけた声を二人にかけながら歩いてくる若者がいる。若者は黒ラシャの制服に大小の刀を差し、襟元に鈍く『髑髏マーク』を光らせて、同じような制服を着た4・50人の男たちを引き連れている。真徴組5番組肝煎の玉城織部少佐だ。
「おお、これは真徴組の玉城少佐殿ですな? 雹殿に何かご用事ですか?」
方谷和尚が如才なく織部に話しかける。織部はちらっと誾を見て、続けて言う。
「いや~、別に用事ってほどのもんじゃございやせんけどね? ただ、兄ぃがいるなら顔を見て行きたいなって思っただけでさあ。近くまで来たもんですからね?」
「さようか……じゃが残念ながら雹はおらん。あいつも一応神主じゃからの。今の神職直階では大したことが出来んので、正階や明階という位を取りに講習会に出かけたわい」
すると、織部がきらりと目を光らせて訊く。
「出て行ったのは、今日ですかい?」
「今朝の7時ごろには出て行ったのう。足柄山の検定会場に10時には着かんといかんと言っておったからの」
すると織部は、はた目から見てもホッとした様子をありありと出して言った。
「そうですかい、足柄山ですかい。で、今朝の7時……分かりやした和尚さん、邪魔しやした」
そう言うと織部は方谷和尚に一礼して踵を返す。その時、誾が訊いた。
「玉城少佐殿、何か雹さんが疑われるような事件でもありましたか?」
織部は、心配そうに自分を見つめている誾を見て足を止め、笑って言った。
「いえ、今朝の7時ごろ、新東京小金井区で辻斬りがありやしてね。出社してきた『五井商事』の社長を狙ったテロなんすけど、その時の犯人像が、年のころは25・6で長身、中肉でパツキンの両刀遣いってんで」
「それで雹さんを疑って、こちらに来られたわけですね?」
誾が言うと、織部はすまなそうに言う。
「まあ、兄ぃを知っている者なら誰でも、犯人像を聞いたら兄ぃを思い浮かべまさあ。ましてや逃走手段がスクーターとくりゃ、兄ぃ以外の何者でもないじゃないすか。しかし、兄ぃは7時にはここにいた。それに向かった先も全然違う足柄山方面だ。兄ぃが黒であるはずがねェ。俺もホッとしやしたぜ」
そう言った後、
「しかし分からねェのは、犯人が自らを『双刀鬼』と名乗ったということでぇ……。兄ぃが『双刀鬼』なのか、それとも兄ぃと『双刀鬼』に何らかの関わりがあるってことですよねェ……そこが分からねェンでさあ……」
そうつぶやく。
「玉城少佐殿、犯人は自ら『双刀鬼』と名乗ったと仰いましたな?」
話を聞いていた方谷和尚が、そう話の中に入ってきた。織部はうなずく。
「ええ、何人ものやじ馬たちが聞いてまさあ。だが、妙ですねェ? 犯人が雹の兄ぃに成り済ますことを狙ったとしても、雹の兄ぃは『明示の乱』には関わり合いがねェはずでしょう? わざわざ『双刀鬼』っつー伝説の剣鬼の名をかたらなくてもいいでしょうに」
「玉城少佐殿、その『双刀鬼』って、何のことでしょうか?」
誾が訊くと、織部は笑って言った。
「はっはっ、お嬢さんに聞かせるにゃ、ちょっと刺激が強え話ですけどね? 『双刀鬼』ってのは、賊軍の諸隊であった『協同隊』の副長・鳴神信郷の二つ名でさあ。天才的な二天一流の遣い手で、そいつの通った後には屍しか残らねェって噂でした。あっしはそいつと戦ったことはねェンですが、真徴組の古株の中では、結構有名な話でさあ。もう一人、『四二が八』から取った『死神八神』と並んで、賊軍の中ではぴか一の剣士だったって言う話でさあ」
そんな話をしている織部を、部下が急かす。
「隊長、白なら、別の方面に聞きこみに行きましょう」
「おう、そうだったな。では和尚さん、それから姉上さん、ごめんなすって」
そう言うと、織部たちはぞろぞろと境内を出て行った。
「ふむ……やっかいな事件じゃのう……雹がそのようなことをする男ではないが……」
方谷和尚はそうつぶやいた後、誾に向かって笑って言った。
「しかし、まがい物であったにしても、『双刀鬼』と名乗るからにはそれなりの力量は持っていよう。お誾さんたちも夜歩きは控えた方がよい様じゃな?」
その和尚に、誾が必死の面持ちで聞く。
「和尚様、教えてください。雹さんは、雹さんは……鳴神信郷様ではないのでしょうか?」
すると和尚さんは、慈愛に満ちた目で誾を見つめていたが、やがて静かに言った。
「お誾さん、雹が信郷であったとしたら、どうなさるおつもりじゃ? 信郷は新政府のお尋ね者、その信郷と手を取り合って生きていくおつもりか?」
誾が何か言おうとしたが、さらに和尚さんは厳しい声で続ける。
「先の『明示の乱』に参加した『サムライ派』の武士たちの中でも、『協同隊』を率いた6人――隊長の八神義郷、副長の鳴神信郷、参謀の犬神智郷、参与の久坂眞徳、軍監の高杉眞仁、そして監察の犬神眞礼――彼らは『サムライ派』の伝説に等しい存在となっている。久坂と高杉は討死したが、彼らを神と祀っている神社すらある。しかし、残念なことに、生き残って野に隠れている志士たちも、いくつかの派閥に分かれており、互いに競争している状況じゃ。犬神兄妹は右派の巨星で、八神は死んだと伝えられているが極左の西郷派の生き残りの中で不穏な動きをしている者もおり、わしは八神は生きていると信じている。そして、鳴神信郷……彼のみが『サムライ派』にあって何の動きもしていない。つまり、同志たちから見ると裏切り者と見られている可能性もあると言うことじゃな……。お誾さん、雹が信郷だったとして、そのような状況の中でお誾さんを受け入れると思いますかな?」
「……和尚様、私はどうしたらいいのでしょうか?」
誾が訊く。和尚さんはニコリとして言った。
「雹を雹として好きになることじゃな。それが一番いい」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
それから2日が過ぎた。
中西さんや玉城さんたち『真徴組』は、『双刀鬼』のテロを警戒して、首都周辺を常時パトロールしていたが、そのかいもなく、1日目の夜には『友住コンツェルン』の会長が、2日目の昼間には『剣菱重工業』の社長が、それぞれ『双刀鬼』に襲われた。
おかげで、雹さんへの疑いは晴れたようだったが、中西さんや玉城さんは、パトロールの途中で『頼まれ屋』に立ち寄り、雹さんの話をしてくれた。
まあ、職務柄、聞きこみの話は裏を取る必要があるからかもしれないけれど、中西さんと玉城さんはそれぞれ別の日に『足柄山』の神社庁講習会場を訪れ、雹さんと面談していたのだ。おかげで雹さんが3日目の講習終了時に神職正階を取り、10日間終了すれば試験によって神職明階を取ることができるとあって、張り切っているという話も聞けた。
「雹ちゃん、頑張っているみたいやな。珍しいな、あのぐうたら兄ちゃんがこないに頑張っているなんて」
2日目の晩ごはん、霙ちゃんがご飯のお代わりをしながら言う。僕もあの雹さんが柄にもなく勉強している姿を想像して、思わず笑ってしまう。
「雹さんのことだから、居眠りなんかして立たされたりしてね?」
「あ~、ありうる! あの焦点が合っていない目で教科書とか読めるんかいな?」
僕たちが楽しそうに話している中、姉上だけが憂鬱そうな顔をしていた。
「……姉上? どうしました。ぼ~っとして」
「誾ねえちゃん、どっか具合が悪いんけ? あまり顔色もよくないっちゃ」
僕と霙ちゃんが言うと、姉上ははっと我に返った様子で、慌ててご飯を食べながら言う。
「べ、別に。雹さんのことなんて気にしてないわよ?」
すると恐れを知らぬ霙ちゃんが、大胆にも姉上にチョッカイを出す。
「ふ~ん、誾ねえちゃんは、やっぱり雹ちゃんのことが好きやねんな?」
「な、何言ってるの霙ちゃん? 大人をからかうもんじゃないわよ? 霙ちゃんこそ第7幕では雹さんに首ったけって様子だったじゃない?」
うわあ、姉上の声に嫉妬の響きが混じってる! これは霙ちゃん、早く謝らないと後が怖いよ?
僕がそう思っていると、霙ちゃんはハナクソをほじりながら言う。
「あ~、あれ? あれは作者の読者サービスやねん」
「読者サービス!? 何それ!?」
思わず僕は素っ頓狂な声をあげてしまう。姉上も呆れて点目だ。霙ちゃんは構わず言う。
「実は作者、この話をオンラインで流す計画を持ってるねん。読者の中には“萌え”や“ロリ○ン”も居るやろ? そないなオタクどもをファン層に持っていれば、長続きするっちゅうもんやねん。と作者がゆうとったで?」
「つ、つまり……あの“雹さん首ったけ”の霙ちゃんは、演技だと?」
僕が言うと、霙ちゃんはニコッと笑って言う。
「せや。そりゃうちかて、雹ちゃんのことは好きや。けど、12も年離れてるやん? なんや“恋人”ゆうより“兄ちゃん”みたいな感じがするんや。それに、うち、せっかく結婚すんならパツキンやのうて純粋日本男児がええねん。雹ちゃんは顔はタイプではあるんやけどな? せやけど布団の中でオナラしたり、トイレに30分も籠ってたりしたら、どないにええ男でもさすがに興ざめするねん」
それを聞いて、姉上はほっと胸をなでおろした。
「よかった……。正直、私は雹さんがロ○コンだったら、絶対霙ちゃんには敵わないって思っていたのよ。霙ちゃんって顔も性格も可愛いし、キャラコンしたら人気もありそうだもの。でも、それを聞いて安心した。やっぱり、霙ちゃんはあたしの妹ね?」
「誾ねえちゃん……」
霙ちゃんがうるうるした目で姉上を見つめる。姉上も、これ以上ない位に慈悲深い顔で霙ちゃんを見つめた。そして二人は、ひしと抱き合い、変わらぬ友情を誓うのだった……って、どういう話? これ。
その時、玄関のベルが鳴った。
「? は~い」
姉上がそう言いながら玄関へと出る。そして、
「きゃっ! どうされたんです!? 清ちゃん、霙ちゃん、ちょっと来て!」
慌てた姉上の声に、僕たちもご飯をやめて玄関へと向かう……そこには、身体中を朱に染めた中西さんが、姉上に支えられながら玄関に座り込んでいた。
「中西さん! どうしたんですか? いったい何があったんですか!?」
僕が訊くと、中西さんはうっすらと目を開けて言う。
「これは……清正君……。『双刀鬼』に会いました……」
『双刀鬼』! 今、巷を騒がしている、新政府の重要人物を狙ったテロリストだ。
「しゃべらない方がいいわ。部屋に上がれる? 中西さん。清ちゃん、客間に布団を出して。それから、真徴組の本部に連絡を入れてくれないかしら?」
「分かりました、姉上」
僕は霙ちゃんと一緒に布団を出し、中西さんをそこに寝かせた後、真徴組の本部へと電話した。電話には俣野という男が出て、中西さんをすぐに迎えに行くと言って電話を切った。
やがて、真徴組のパトカーが僕たちの家の前に停まった。パトカーからはきりっとした役者のような男と、目じりが下がってはいるが百戦錬磨であることが分かる鋭い目をした大男と、なじみの玉城さんが降りてきた。
「どうも、中西大尉をお世話していただいてありがとうございます。私は真徴組取締役頭取の陸軍大佐・俣野藤弥と申します。こちらは1番組肝煎の陸軍中佐・山下官司と5番組肝煎の陸軍少佐・玉城織部です」
キリッとした男は、そうきびきびと誾にあいさつをする。それを見ていた玉城さんが、いつものすっとぼけた声で言った。
「俣野よぅ、この佐藤さんご姉弟とそこのチビ助は例の鳴神兄ぃの知り合いでぃ。そんなかてぇ挨拶は抜きにしようぜ。なぁ、お誾ちゃん」
「え、ええ……。とにかくどうぞ」
「かたじけない、お邪魔いたします」「失礼いたします」「お邪魔♪」
三人は、俣野、山下、玉城の順で客間に入った。そこには、とりあえず姉上によって血止めがされた中西さんが布団に横になっていた。
「琴、何とか生きていたようだな」
俣野大佐がそう言うと、中西さんはゆっくりと目を開けて言う。
「すみません……ボクのせいで、隊士が10人も殺られちゃいました……」
「相手は『双刀鬼』か?」
山下中佐が、渋い声で訊く。中西さんはうなずいた。
「はい、自分でそう名乗りました。でも、あれは『頼まれ屋』の雹さんではありませんでした」
「何故、そう言いきれる?」
俣野大佐が言うと、中西さんはニコリとして笑って言う。
「まず、金髪はヅラです。そして、あの剣捌きは『二天一流』ではありません。『小野派一刀流』です。『陽炎剣』を会得していると見ました」
「む? 『陽炎剣』……」
「知っているのか? 官司さん」
俣野大佐が訊くと、山下中佐は眼を細くして答える。
「一刀流の太刀筋で、立ち会った相手を必ず拉ぐと言う無双の剣です。いわば、わが鹿島流の『烟の打』や富田の新陰流『西江水』と並び称される奥義……」
「ふむ……厄介な相手だ。とにかく、中西大尉、お前は休暇を取れ。その身体じゃ『双刀鬼』の相手は務まらねェ……官司さん、織部、今回は俺たちで片を付けようじゃねェか?」
俣野大佐はそう言うと、僕や姉上を見て笑って言った。
「すまねぇな、お誾さんとやら。体力が戻ってくるまで、琴をここで見てもらえねェかな? 官舎に連れて帰っても、こいつのことだ、抜け出して『双刀鬼』と勝負すると言い出しかねねェからな」
「はい、私どもは別に差支えございません。中西さんは私の友達ですから。それより皆さん方こそ、お気を付けてくださいましね?」
姉上がそう言うと、俣野大佐は少し顔を赤くして言った。
「かたじけない。そのお言葉に甘えて、琴をお願いいたします。監察の山本少佐を定時連絡によこしますので、何かあったら山本少佐にお伝えください」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「……しかし、いつまで『双刀鬼』を名乗りゃいいんですかい? 八神さん」
闇の中で、男がそう言った。黒いスーツを着て、腰には大小の刀を差している。その顔は冷え冷えとした雰囲気が漂っている。険悪な人相であった。
「本物の『双刀鬼』が現れるまでだ。それまではマウント・フィフス社の息がかかった企業の連中を一人一人あの世へ送ってやればいい」
八神と呼ばれた男が、少しかすれた声で言う。彼は絣の着物を着流しにし、長めの刀を腰にぶっ差している。そしてその亜麻色の髪は無造作に額にかかっていた。
「でも、鳴神信郷がそう簡単に姿を現しますかねェ?」
八神の後ろで、女がそう言った。チャイナ風の服を着たその女は、腰まである黒髪を手で触りながら、どことなく虚無的な風貌を月に向けて続ける。
「犬神主計と清香は、政治的にこの国を変えるとか言いやがって、あたし達の計画には反対だとぬかしやがった。この計画の発案者は、八神さんだよ!? 仮にも『協同隊』では隊長と奉っていた八神さんの命令が聞けないなんて!」
「よせ、卑弥呼。人は変わるんだ」
八神は煙草をふかしながら、右目のアイパッチをさわって言う。
「ふふ……『東京の戦い』か……あの時も信郷だけは最後まで俺とともに戦ってくれていたな……」
「しかし、その鳴神信郷が現れた時ゃ、俺はどうすればいい? あんたらの仲間だろう? 俺には斬れねェぜ?」
黒いスーツの男がそう言うと、八神は冷たく言い放つ。
「斬れ。腑抜けた『双刀鬼』はもういらぬ。斬っておぬしが新たな『双刀鬼』の伝説となるがいい。……ところで来島又野助よ、今夜は『真徴組』の頭脳と言われる俣野か、四天王筆頭の玉城を始末してほしい。頼んだぞ、昨夜のようなヘマはするなよ?」
そう言うと、八神は、卑弥呼を連れて夜の闇へと消えて行った。
そう、昨夜、中西琴の真徴組6番組を襲ったのは来島だった。その時は隊士30人を相手に戦い、隊長の中西琴にも重傷を負わせたが、部下たちの壁に阻まれて取り逃がしてしまった。もっとも6番組隊士は、来島一人のために15人も斬られてしまったが……。
「ふん、八神主税か……四二が八、死神八神……何考えているかよく分からんが、とにかく不気味な奴じゃあるな……しかし……」
来島はそうつぶやくと、八神の言葉を思い出してニヤリとする。
『斬っておぬしが新たな『双刀鬼』の伝説となるがいい』
「おお、そうさせてもらうぞ。来島又野助の名を天下に挙げてやる」
来島は胴震いをして、ゆっくりと東京のまちの中へと歩き出した。
「あ~、は~やく出てこねェかな~」
真徴組5番組肝煎、玉城織部は、部下として小頭の手塚中尉一人を連れて、のんびりと町中を歩いている。一緒について来ている手塚中尉は、きょろきょろと辺りを窺っていた。
「心配するねェ、手塚中尉よぉ。ちゃ~んと根岸中尉と石井少尉、岡島少尉は隊を率いてついて来ているぜぃ?」
何の屈託もなく織部が言うと、手塚中尉は顔色をやや蒼くして小声で訊く。
「肝煎殿、『双刀鬼』を釣り出そうなんて、余りに危険じゃないですか?」
「バァカ、俺っちくらいの獲物でねェと釣れねェヤツなんだぜ? 『双刀鬼』ってやつはよぅ。おケツに入らずんば×ン×に入れろって言うじゃねェか?」
「い、いえ、虎穴に入らずんば虎児を得ず、です」
「そうそう、その乞食はSって奴でぇ。でぇ丈夫だ。ヤツが出たらおめぇはヤツが逃げねェように隊を率いて路地を封鎖しな。今夜は俣野のドアホと官司さんの隊もいるから心配すんな」
そう、織部は囮を買って出ていたのである。それは何故かと言うと、
『俣野ぉ、おいらが囮やってもいいすぜ』
佐藤家からの帰り道、パトの中で考え込んでいる俣野大佐に、織部が言う。
『なっ? てめぇ、自分が言っていることの意味分かってんのか?』
俣野がそう言うと、織部は真顔で言う。
『だってよぅ、琴リンがあれだけ苦労する相手じゃ、俺かてめぇか官司先輩か、はたまた千葉さんくれぇしかそいつの前に立てる奴ぁいねェぜ?』
『む……』
『松平さんは俺たちの大将だから、囮なんてさせるわきゃいかねェし、てめぇだって一応副長だからそんなことさせられねェし、官司さんも筆頭組頭だからダメだし、千葉さんも軍監だからダメだろ?――だったら俺しかいねぇじゃねェか?』
俣野は難しい顔をして黙っている。いつもはケンカしてそりが合わねェと思っている織部だが、こう素直に『俺がやる』と言われたら、その若さと言い、腕と言い、惜しい人物だと思わずにはいられない俣野であった。
『……仕方ねェ、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。おい織部、危なくなったら逃げろ。官司さんと俺がてめぇを護るからよ』
そう、作戦発動を(松平総括に告げずに)決心した俣野であった。
――そして、今、俺っちがここにいるんでい……。
織部はフーセンガムを膨らませながら、のんびりと歩いている。その織部たちを、一定の距離で見守りながら、山下の1番組と、臨時に俣野が指揮を執っている織部の5番組が続いている。いや、それだけではなかった。俣野はもしもの時のために、真徴組四天王の一人、軍監の千葉中佐にも命令して出動させていた。千葉中佐は臨時に琴の6番組を指揮していた。
――いつ出てくるか分からねェ、気は抜くな……。
俣野は自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、山下と千葉の両中佐を見る。二人とも抜かりなく、織部を守る位置についている。俣野は少し安心した。その時である。
「!?」
俣野は言い知れぬ背筋の冷たさを感じて、思わず後ろを振り向いた。そこにはスクーターに乗った金髪で黒スーツの男が、ニヤリニヤリと笑っている。俣野はその男のすごい殺気を感じ、抜刀して言った。
「やい! てめぇか『双刀鬼』ってェのは?」
すると男はゆっくりとスクーターから降り、両手で大小を抜いて笑って言った。
「真徴組頭取・俣野藤弥だな?」
「そうだ、相手にとって不足はねェぞ?」
俣野がそう言った時、5番隊隊士が男に一斉にかかった。
「ふん、雑魚には用はないんだけどねェ?」
男はそう鼻で笑うと、途端に剣を振りかざして前へと走る。いきなり間合いを詰められて慌てる隊士を2・3人ひとまとめにしてたたっ斬ると、男はそのまますごい勢いで俣野に斬りかかって来た。
「くっ!」
俣野は相手の左手の小刀を弾き、そしてすぐさま右の大刀から逃れるように後ろへと跳ぶ。
「頭取!」
異変に気付いた山下中佐が、一散に駆けてきて、俣野と男の間に割って入った。
「『双刀鬼』よ、真徴組筆頭組頭・山下官司が相手だ!」
黒スーツの男は、ふっと笑うと、いきなり間合いを詰める。そのスピードは山下の想像を超えていた。
「ぐっ!」
すりあげてきた男の大刀を受け流しざま、山下は小刀で左腕を斬られる。山下の左袈裟は男に躱されていた。
「うぉりゃあ!」
俣野が突きを入れるが、男は難なくそれを外し、逆に俣野の左わき腹を男の大刀が浅く斬り裂く。
「くっ!」
山下は、俣野に斬りかかろうとする男の横合いから、鋭い斬撃を放つが、男はそれを予想していたのか、俣野へと向けていた剣先をとっさに山下に向ける。山下の必殺の左逆袈裟・烟の打が炸裂した。
「ぐおっ……」
しかし、苦悶のうめき声を上げたのは山下中佐だった。男の袈裟斬は、山下の左逆袈裟を上回る速さだった。山下は刀を折られ、右太ももをざっくりと割られて地面に転がる。
「官司さん!」
山下の危機を救うため、飛び込んできた俣野を、男の両刀が狙って来た。
「くっ!」
俣野は辛うじて後ろに避け、頭を真っ二つにされずに済んだが、俣野もまた、右太ももを刺されて地面に転がる。
「待てぃ! 曲者! おいらが相手だ!」
やっと異変に気付いて駆け付けた織部が、愛刀『大和守貞吉』を抜きながら言う。男は笑って言った。
「若造、死にたいか?」
「けっ、そちらさんこそ死にてェか? おいらぁ真徴組の玉城織部。会いたかったぜ『双刀鬼』」
そう言うと、今度は織部がいきなり男に斬りかかった。
「むっ!?」
男が驚きの声をあげる。織部の身体能力は、男の想像をはるかに超えていた。男は両刀で織部の『大和守貞吉』を押えながら言う。
「なるほど、できるな」
「だろ? 人は見かけじゃわかんねェもんだろ?」
織部はそう言うと、さらに剣を回して両刀を弾き返し、その開いた男の胴に一閃をくれた。
「やるな……だが、まだまだだ」
男がそう言うと、織部の両脛がぱっくりと割れ、血が噴き出した。
「ぐおお……」
織部もたまらずに地面に転がる。
「さて、誰から息の根を止めましょうか?」
ニヤリニヤリと笑っている男に、山下中佐と俣野大佐は闘志をむき出しにして立ち上がった。
「ほう、立ちましたか。では、階級順に討ち取ってあげましょう」
男はそう言って両刀を構えた。その時である。
「お~い、その辺にしとけや?」
そう言いながらこの場にゆっくりと現れた男がいた。
「!」「お前は……」「兄ぃ……」
月の光の中、現れた男は、群青色の詰襟シャツにジーンズ、そして群青色のブルゾンをひっかけ、太い革バンドに大小2本の木刀をぶっ差していた。月の光がその金髪をキラキラと輝かせている。
「何だ、てめぇは?」
黒スーツの男がそう言うと、雹は相手から10メートルほどの所に立ち止まり、ズボンのポケットに両手を入れたまま言った。
「俺ぁな、真徴組の皆さんにゃ悪ぃが、『双刀鬼』のファンなんだ。主義主張も持たねェヤツが、『双刀鬼』の名をかたってほしくねぇなぁ……」
「貴様……本物の『双刀鬼』か?」
思わず男――来島又野助――が言うと、雹は笑って言った。
「あ、やっぱりアンタ、偽物だったんだ? よかったぜ、真徴組の皆さんの前で偽物って言ってくれてよぉ」
「……それがしの名は来島又野助。そなたの名を問おう、『双刀鬼』よ」
来島の言葉に、雹はニヤニヤした笑いを浮かべて言う。
「俺ぁ、『頼まれ屋』って商いしている鳴神雹。行っとくがな、北島くん。『双刀鬼』なんて奴ぁもういねェンだ」
「俺は来島だ! 『双刀鬼』覚悟しな!」
来島はそう叫ぶと雹へと肉薄する。右手の大刀が雹を唐竹割に狙って振り下ろされ、左手の小刀は雹の左脾腹を狙って突きだされてきた。
雹も動いた。その動きは、二人の立ち合いを凝視していた俣野や山下、織部でさえ目で追うことができないほどの刹那の動きだった。
来島の刀は空を斬り、鋭い音とともに来島の大刀が折れた。
「く……こ、この腕で……『双刀鬼』じゃ……ない……だ……と……?」
来島は、雹の小木刀で胸を刺し貫かれ、仰向けに斃れた。雹はゆっくりと小木刀を来島から抜くと、血振りをして真徴組の三人に言った。
「あんたたち、早く帰って治療した方がいいぜ。俺も検定会場を抜け出して来てんだから、早く帰んねぇと神職明階が取れねェんでぇ」
そう言って去ろうとする雹に、織部が問いかけた。
「待ってくれ兄ぃ……アンタ、まさか『双刀鬼』……」
すると雹は、人懐っこい笑いを浮かべて言った。
「言ったろ? 『双刀鬼』はもういねェンだよ」
【第8幕 緞帳下げ】