悪夢再来の被害者。
「何ですか、千影様?」
「や……どうでもいいから早く退いてくれ」
千影の呆れたような口振りに、青年、遼園はゆっくりとその身体を退けた。
「はぁ……今朝からとんだ災難だ」
そうして深く溜め息を漏らし、乱れた衣服を整える千影。
「それはこっちの台詞ですよ、千影様。いい加減小百合様の意志も汲んでやって下さい」
眉を寄せ、神妙な面持ちで遼園はその意志を告げる。
「俺も好きでここにいる訳じゃねぇよ」
「それはーーですがしかし、」
「分かってる、十年前はな。今更母さんを見殺しにした事でお前達を責めたりはしねぇよ。でもなーー」
そうして一拍の間を置き、千影は明白にその心境を吐き捨てた。
「英雄扱いされんのだけは、未だに癪でしょうがねぇ」
不意に細められた紅の瞳が、男児の両親、その墓と思しき物体へ向けられる。
釣られて同じ方向へと視線を向ける遼園だったが、次の瞬間、ふと彼は瞳を見開かせた。
「これはーー翔様の両親のお墓、ですね」
思わぬ遼園の返答に、千影は即座に疑問をぶつける。
「知ってんのか?」
その問い掛けに、遼園は力強く頷いた。
「えぇ、小百合様からお聞きした話ですが。翔様は悪夢再来のあの日、このお墓の傍に倒れていた孤児だそうです」
そうして真っ直ぐに、当時の出来事を語る。
「じゃあ、親もその時に……」
「はい。お二方とも、彼を抱くようにして亡くなられていらしたそうですよ」
儚げに微笑を漏らす遼園と、表情を曇らせる千影。
『英雄なら、何で父ちゃんと母ちゃんを救ってくれなかったんだ!!』
その言葉が、改めて千影の肩に、重くのしかかってくる。
あの子供もまた、悪夢再来の被害者だったのかと。自分と同じようにーー
しばらく考え込んだ後、唐突に、千影はその名を口にする。
「遼園……」
「はい?」
「ちょっと付き合え」
「えっ……そんな、私には小百合様というお方が」
「そっちの付き合うじゃねぇよ」
慣れた口振りで、千影は遼園の冗談を切って捨てた。
「あの坊主、ほっとく訳にもいかねぇしな。あの人だってそうするだろうし」
「?」
「つか、まず腹拵えが先だな。遼園、何か出せ」
そして、唐突の無茶ぶり。これでは某猫型ロボットにおねだりをする、某眼鏡君とまるで大差ない。世界観まるで違うけど。
「あ、そんな事もあろうと用意しておきましたよ」
まぁ、持ってる方もアレだが。
そうして遼園は、懐から笹の葉に包まれた何かを取り出した。
「じゃじゃーん! 遼園特性、愛情おにぎり~!」
「ーー何だ、その不快な効果音とネーミングセンス」
「あ、でも千影様が稽古に戻ると約束して頂かない限りお渡し出来ませんよ」
「……餌付け作戦か、成る程やる事が汚ねぇ」
「ありがとうございます」
「褒めてねぇけど」
ボケとツッコミが、何とも軽快に流れていく。
「取り敢えず分かった。ただし俺の用事が済んだらだがな」
「やっぱりおにぎりは剣より強し、ですね」
「……それ、絶対言葉間違えてるぞ」
溜め息混じりに指摘し、千影は不意に遼園の傍らへと寄り添った。
目線でその続きを促せば、その意図を理解したのか、遼園は真剣な面立ちで問い質した。
「約束ですよ」
「二言はねぇ」
短くも、しかし潔い二人のやり取り。
遼園は穏やかに微笑を浮かべ、改めてその言葉を叫んだ。
「薄桜の陣!」
その台詞と同時に左手を翳し、そこにありったけの妖力を集中させる。
二人の姿は白い幻影を残し、やがて静かに空気中へと溶け込んでいった。
ーーそれから、二人が姿を消した後。
「……人間……英雄……」
不気味な影が、木々の隙間から、不意にその顔を覗かせる。
「……殺ス……ミンナ……一人、残ラズ…………」
そうして、墓の目前へと歩み寄り。
影は積み上げられた小石を、勢いよくその足で突き崩した。
備えられていた果物が、その場で無力に散乱し。
ぐしゃりと音を立て、やがて現れた”無数の影”に、悉く踏み潰されていった。