確かな英雄の証。刻印人種。
「しかしあいつの奔放ぶりにも困ったものだ。最近ますます悪化しているように思える」
そうして湯のみを盆へと戻し、小百合は溜め息混じりに小言を漏らす。
「まぁ、それを制御しきれていない私の責任とも言えるがな」
「小百合様はよくやられていますよ」
「……いや、それでも未だに母として見られてはいないだろう」
その事実を再確認するように呟き、小百合は怪訝そうに眉を寄せた。
「十年前、私はあいつの本当の母親を見殺しにしたのだからな。炎の刻印を守る為とは言え、非情な決断をしてしまったと思っている」
会話を続けながらゆっくりと千影の寝室へ足を踏み入れ、散乱していた本の一冊を手に取る。
表題『仁珊の英雄』と書かれた表紙の隅には、”著・紅葉志史”の文字が小さく記されていた。
「炎様ーー千年程前、この国、仁珊を鬼の脅威から救ったと言われている三英雄の一人、でしたね」
確かめるような遼園の問い掛けに、小百合は手にした本を壁際の本棚へと仕舞いながら、大きく頷いた。
「あぁ。千年前の争いは、十年前の悪夢再来より壮絶なものだったと聞く」
その事実を話し、本棚へと背を向け、そのままもたれ掛かる。
「その圧倒的不利とも言われた戦いを終結へと導いたのが、炎含む三人の英雄達の存在だ。私の祖先、朱鷺もそのうちの一人である事は、既にお前も周知の事実だろう」
小百合の確信めいた口振りに、遼園は穏やかに肯定の意を唱える。
「えぇ、小百合様の予知能力は朱鷺様譲りのものですから」
「私のこれは八咫鏡あってこそのものだ。朱鷺のような天性のものではない」
そうして即座に指摘し、不意に小百合は、障子の先に広がる緑の大地へと目線を向けた。
そこから入り込む穏やかな風に、彼女の端正な紫髪が靡く。
「あの両頬に示された刻印こそ、英雄である何よりの証拠。我が先祖、朱鷺の言伝を守り、それを全うする事こそ、我々天照の巫女に与えられた使命でもあるのだからな」
ふと差し込む陽光に、彼女の白い素肌が照らし出される。
「『炎の魂、長き時を経てこの地に蘇る。仁珊に再び嵐吹き荒れる時、鏡は炎の刻印を示す、確かな鍵となるだろう』」
「……朱鷺が残した、最期の言葉ですね」
「あぁ、そしてその予言は的中した。あやつーー刻印人種の存在が、何かしら意味のあるものである事もまた確かなのだ」
その事実を改めて強調し、小百合は遼園へと向き直り鋭く言い放つ。
「恐らく、全てはまだほんの予兆に過ぎん。これ以上仁珊を危機に晒さぬ為にも、あいつに英雄としての自覚を持ってもらわねば」
そう言い切る、小百合の瞳には強い決意と志が宿っている。
遼園の顔付きも、徐に神妙なものへと変化していった。
「小百合様……」
彼女の名前を口にし、改めて付け加える。
「何処までも貴方にお供致します。力になれる事があれば、遠慮なくお申し付け下さいませ」
「あぁ、そうして貰えると有り難い」
主従の絆、と呼ぶに相応しいか。二人の間には、月並みの人間には存在しない確かな信頼関係があった。
「何はともあれ、千影を探さなくてはな。遼園、後は頼む」
「承知」
そうして短く了承し、遼園はゆっくりと両目を閉じ、何かを唱え始める。
次の瞬間、彼の身体はゆらりと空気中に溶け、その場から消え去っていった。