書店物語【男性視点】(3)
年が明けてから、バイトの人はみんな正月休みを取ったため、店長修行はしばらくお休みとなった。
そして、店長と奥さんと僕の三人が交代で店番をしていた。年を明けてすぐと言うこともあり、店にはほとんど人は来なかった。店の中にも正月ののんびりした空気が満ちていた。あまりにも暇だったため、眠りそうになったほどだ。
「あの、すみません。…………を探しているんですけど…」
この声で僕はハッとした。僕は今、店番をしているんだった。いや、そうじゃなくて、どこかで聞いたことのあるとても懐かしい声。でも、そんなはずはない。
「何の本をお探しですか?」
「『アホの壁』を探しているんですけど…。見つからないんですよ」
今度は確信に変わった。今、ここにいるのは確かに中松さなえだった。ずっと昔に付き合っていた人とこんな所で会うなんて…。ようやく、向こうも気付いたらしい。
「もしかして、平賀君?」
僕はだまってうなずいた。時計の針が一気に五年分戻った気がした。目の前には昔付き合っていた頃と同じような格好をしたサナが確かにいる。もう二度と会えないと思ったのに…。
それは僕が大学四年のときの秋のことだった。東京への就職を決めてから一ヵ月後のことだった。
「私、実家に帰るから、サヨウナラ、今までありがとう」
サナは残酷な一言を残して、突然消えた。彼女とはホテルの派遣バイトの先輩として、大学二年のときに知り合った。飲み会で酔いつぶれて介抱されたのをきっかけにして、僕らは付き合うようになった。
すでに専門学校を卒業していた彼女は、卒業後もこの町に残って就職活動を続けていた。僕らは幸せだった。それなのに幸せな日々は突然崩れた。
「中松さん、久しぶりだね。元気にしてた?」
もう、別れてから五年が経っているので、さすがに「サナ」とは呼べなかった。彼女も僕のことを「雄太」とは呼ばなかった。この再会があまりにも突然すぎて、お互いにぎこちなかった。
「平賀君、東京から戻ってきたんだね。私もここに戻ってきたの」
僕は彼女が探して欲しいと言った本を探しながら聞いていた。本はすぐに見つかったのだが、彼女を少しでも長く引き留めておきたかったので、わざと見つからないふりをしていた。
「ここに戻ってきたって、どういう事? ここは中松さんの地元じゃないでしょ?」
「去年、父と母が亡くなってね。もう、地元に残る理由がなくなったのよ。それに職場で上司と不倫したのが奥さんにばれてさんざんな目にあってね…。何もかもが嫌になったの。そしたら、大学時代にいたこの町がすごく懐かしくなって…。ここだけなんだよね。嫌な思い出が一つもないのは…学生時代は本当に楽しかった」
さすがにもうそろそろ本を出さないといけないと思い、本が今見つかったようなふりをしてレジへと向かった。彼女も後をついてくる。
「じゃ、今この町に住んでいるんだ。いつ戻ったの?」
「年末に大学の近くに引っ越して来たの。早く仕事を見つけないといけないのになかなか見つからなくて…大変よ」
彼女はお金を払い、僕は紙袋に本を入れて、彼女に渡した。そんな間も会話は続いた。
「じゃ、ここで働かないか? 三日前にバイトを辞めた奴がいてね…。人が一人足りないんだ。ちょっと待って、店長を呼ぶから」
僕は上で休んでいるおじさんをベルで呼び出した。おじさんにサナのことを話した。すると店長は意外なことを言った。
「これからはそういう事も次期店長に任せようと思う。だから、平賀君の好きなようにやっていいよ。七月までには一人前になってもらわないといけないから、いろいろ経験してもらおう」
そう言うと彼はまた上に上がりだした。予想もしてない答えに僕は戸惑いを隠せなかった。
「つまり、雇ってもいいという事ですか?」
僕は店長に尋ねなおした。彼は「そういう事だ」と返して二回に消えた。
「…という事は私、明日からここで働くことになるの?」
「もしかして、嫌だった?」
「いや、そうじゃなくて。人を雇うことをそんなに簡単に決めていいのかなって…」
僕は大きくうなずいて、彼女に余計な心配をさせないようにした。そして、明日は朝九時に店へ来るように伝えた。彼女は何度も僕に向かって、「本当にありがとう」と言って、店を後にした。
五年ぶりに再会したはずなのに、あっと言う間に明日から昔と同じように同じ仕事をすることが信じられなかった。