書店物語【女性視点】(3)
本屋での仕事は思ったより簡単だった。仕事の飲み込みが早いという事で店長や奥さんにすごく気に入られた。また、他のバイトともすぐに仲良くなれた。
平賀君は店長修行と言う事で東京の出版社や版元に店長と一緒に行ったり、他の書店で修行に行ったりしたので、大橋書店にいることはほとんどなかった。
そのため、私は安心して仕事に励むことができた。そんな日々が三月前半まで続いた。
三月後半に入ると教科書販売をしたり、学校に資料集やドリルなどを納めたりしないといけないらしくて、店長と平賀君が二手に分かれて、他のバイトを使っていろんな学校に回っていた。私は奥さんと一緒に店番をしていた。
しかし、四月が終わってしまえば、教科書販売も終わってしまう。そうすれば平賀君と一緒に仕事をするようになるだろう。
そうなれば、彼のことだから未練がましく昔のことを蒸し返してくるに違いない。ちょっと、時間があれば、「仕事の後、ご飯でもどう?」と迫ってくる平賀君である。そう思った私は次の仕事を探し始めていた。
私もいけないな…と思いながらも、気付いたら昔からの惰性で平賀君のことを「雄太」と呼ぶようになっていたし、彼からも「サナ」と呼ばれるようになっていた。これが彼の変な想いを助長したのかもしれないな…。
桜がすっかり散って、四月も後半に入った頃のことだった。昔の上司でもある浮気相手から一本の電話がかかってきた。今さら、私に何の用だろうかと思いながらも、私は電話に出た。
「もしもし、さなえか…」
「はい、そうですけど…。雅文さん、一体何の用なの?」
「さなえと一緒になるために妻と別れた。会社も辞めた」
あまりにも突然のことで私は何が何だかさっぱり分からなかった。私のために妻と別れた? 私のために会社を辞めた? どうして、今さら…。もし、そういう気があるなら、私が会社を辞める前にその気持ちを伝えて欲しかった。
「本当はもっと早くさなえと一緒になりたかった。君が会社を辞める前にどうにかしたかった…。でも、妻が別れてくれなかったんだよ。だから、多額の慰謝料をあげることを約束した。ようやく、一緒になれるんだよ。一日も早く君を迎えに行きたい。二人で新しい土地に行って、二人で新しい生活を始めよう」
この言葉を本当に信じていいのだろうか? 私はいまいち信じられなかった。この言葉を裏付ける証拠が欲しかった。
「本当にその言葉を信じていいの?」
「そうだよな…。今までのいきさつを考えれば、そう思われても仕方ないよな…」
「今度、私の所に戸籍抄本を持ってきてよ。それを見れば、雅文さんの言っていることが本当かどうかすぐに分かるから」
「確かにそうだな。では、いつ持っていけばいい?」
結局、五月三日に二人で会うこととなった。彼が私の所に来てくれると言うことであった。私のために家族も会社も全て捨ててくれると言うのは、にわかには信じがたい話であるが、女性にとってこれほどうれしいことはない。
付き合っている人を信じることができずに、何もせずに東京に行ってしまった人にはこの気持ちはきっとわからないと思う。
五月三日、雅文さんはきちんと来てくれた。戸籍抄本を見せてもらった。確かに離婚している。私は安心した。そのときだった。彼が突然、私の左手を握って指輪を見せてくれた。
「これは僕の気持ちだ。受け取ってくれ」
私はうれしさのあまりに涙がこぼれた。彼が薬指に指輪をはめてくれるのが本当にうれしかった。涙越しで見た薬指のダイヤモンドはとてもまばゆかった。私は彼の全てを信じることにした。彼のためなら、どこにだってついて行ってもいい。