直線サイクリング
懸命に。
死ぬ気で。
後先のことなど何も考えず。
二人の馬鹿が真夏の峠道をママチャリで爆走――。
いや客観的な視点からみると、二人の馬鹿が汗をダラダラと垂らしながらナメクジのように上り坂を這い上っている、という表現の方が適切なのだが、盛りに盛り上がった二人の馬鹿としては峠道を爆走しているような気分でいるのだ。
「響! おれが一番にウォーロックをGETするぜ!」
僕の少し後ろを走ってる貧弱キュウリこと祖父江玲一は汗抱くの顔をあげて怒鳴った。
しかしその勇ましい宣言とは裏腹にママチャリのスピードほんの僅かだけ早くなっただけであった。
「そういう言葉は僕を抜いてから言ってよ!」
僕は怒鳴り返しながら、ママチャリのペダルをほんの少しだけ強めた。
祖父江のヘタリ具合から見てスピードを上げなくても抜かされそうにもないが、万が一ということがある。
祖父江とは小学校時代からの親友でジャンプを回し読みする仲だが今日だけは譲れない。
なにせ夢にまで見たあのウォーロックを手に入れるチャンスなんだから。
ウォーロック。
それは全国にあまりいないであろうゲームブック好きの聖典――。
か、どうかはわからない。なにせ僕達はウォーロックを一度たりとも手にしたことも、見たことすらないのだから。
ゲームブック信者である僕達が何故聖典を見たことがないかというと、答えは単純。
田舎の小さな本屋には売っていないからである。
マイナーな趣味であるゲームブックを紹介するマニアな雑誌など、田舎の小さな本屋の棚に置いてあるわけがなかった。
東京の大きな本屋にでも行かなければ、実物を手にすることは不可能であった。
大都会東京。
それは埼玉のそれも秩父の奥地で暮らしている鳩岡中学校二年瀬能響、祖父江玲一にとっては、心理的には海外旅行に行くのに等しく、片道千五百円という莫大な交通費は中学生の財布には痛すぎる出費であった。
それでも一度は東京にウォーロックを探しに行こうと、祖父江と盛り上がったことがあった。交通費を貯めるために二人で倹約することを誓ったが、ゲームブックやら早川文庫のファンタジー小説の新刊が発売されるたびに誓約は破られた。
二人の馬鹿はお互いの意志の弱さを罵りあった後、火の山地下迷宮の巻末ページに載っているウォーロックの表紙を眺めて互いを慰め合った。
しかしウォーロックのファンタジーな表紙を眺めれば眺めるほど、妄想が積もっていく。 ウォーロックに載っているリプレイとはなんぞや?
どこでもT&Tとは新しいゲームブックのことなんだろうか?
よく見かけるTRPGという謎の単語の意味は?
熱狂的なゲームブックファンである僕達でもわからない意味不明な単語が、僕達のウォーロック熱を煽りにあおった。
そのウォーロックが、祖父江が言うには隣町の本屋に売っていると言うのである。
隣町なら電車やバスを利用しても片道三百円ぐらいである。往復でも六百円程度
手が届く距離である。
だがそれでも交通費なんぞに貴重なお小遣いを使いたくなかった。
六百円もあれ本屋で死のワナの地下迷宮を買って、サカムビット公が作り上げたファングの大迷宮を挑戦できるというのに、なにが悲しくて電車賃なんかに費やさなければいけない?
僕達にはママチャリという無料の交通手段があるではないか!。
天気予報のキャスターが今年最高の暑さだとか、急坂で有名な峠道を走破しなければいけないとか――。
そういう困難な現実が一瞬頭をかすめたが、いくら熱かろうが、坂が急だろうが、デストラップに溢れている地下迷宮を冒険しに行くわけではないのだ。
大丈夫、何も問題がない。
即死と不条理にはゲームブックで慣れている僕達は現実の苦難を甘く見た。
そして今、暑さと上り坂に苦しめられているわけだ。
祖父江はじょじょにスピードを落としていく。先ほどの雄叫びも断末魔みたいなものか。
「スピード落ちてるみたいだけど、もしウォーロックが一冊しか売ってなかったら、僕が熟読した後でよければ読ませてあげるよ」
体力に多少余裕ある僕は祖父江を煽った。
「なんだと! 今月のウォーロックには霊無ちゃんの特集記事が載っているんだ! おれが一番に見るんだ! 霊無ちゃん、おれに力をくれぇ!」
祖父江は、退魔戦記霊無ちゃんという微妙な人気を誇るゲームブックの熱狂的なファンであった。
「負けるものか!」
熱血ヒーローノリで叫びながらママチャリのスピードを上げるも、祖父江はもの凄い速度で猛追してくるので差はどんどん縮まっていく。
〝あの細い体のどこにこれほどのパワーがあるというのか?〟
いやパワーではない。
ソウルだ。
祖父江玲一という男はおそらくは日本一の霊無ちゃんフリークである。
なにせ小学校の卒業の文集で、将来の夢は霊無ちゃんと結婚することと恥じらいもなく書くことが出来るほどの馬鹿なのだから。
それほどの馬鹿が霊無ちゃんの名を叫んだ以上、祖父江玲一は日本一の霊無ちゃんファンという矜恃にかけて、僕を追い越そうとするだろう・
しかし僕とて男だ。楽にトップを譲る気はなかった。
ペダルを漕ぐ足にあらん限りの力を込める。
普段の僕はこんな熱血なキャラではないのだが、ウォーロックと夏の太陽、それに祖父江玲一の無駄な熱さに当てられていた。
「クククク、その程度の力でおれに対抗するつもりか! 無駄無駄無駄!」
祖父江玲一は絶叫しながら、僕を追い抜いていった。
「――負けたよ、祖父江君」
あれほどの男。
あれほどの馬鹿は。そうはいまい。あの男になら本屋にウォーロックが一冊しかなかったら、購入する権利を譲ってやってもいい。
僕はどんどん遠くなっていく祖父江玲一の背中を見つめながら――。
「うわぁああああ!」
祖父江の背中が見えなくなったと思ったら絶叫が木霊した。
「祖父君江!」と僕が叫んだ後、盛大に自転車が転ける音がした。
さては下り坂で転けたな。
僕は慌てて峠道を昇ると、祖父江玲一を助けにむかった。
幸いにも祖父江は坂の中腹辺りでママチャリとともに転がっていた。
僕の顔を見てピースサインをする余裕があるのでたいした怪我はしてないようだ。
「大丈夫、祖父江君?」
「ああ、なんとかな。下り坂になった瞬間、ブレーキが利かなくなった。ママチャリ程度のブレーキじゃ、ウォーロックにかけるおれの熱いコスモを止めることは出来なかったみたいだ」
ママチャリをぶっ壊した直後だというのに、安定の馬鹿ぶりである。
「立てる祖父江君?」
馬鹿といえども不死身ではない。あれだけ派手に転けたのだ。怪我の一つぐらいしているであろう。
「隣街にはウォーロックが待っているんだぜ! 片足一本でも立ってみせる!」
そう言って祖父江は立ち上がろうとしたが、すぐに顔を歪ませた。
「――右足から血が出ているよ」
祖父江の右足から結構な量の血が流れていた。
「畜生・・・・・・。ここまでかよ。ウォーロックはすぐそこだというのに」
祖父江は地面に座り込みながら悔し涙をながした。
「ウォーロックより自分の体を心配しようよ」
ポケットからハンカチを取り出すと、祖父江の傷口を縛った。
「すまねえ、響」
「いいよ、これぐらい」
「響、頼みがある。金を預けるからおれの分のウォーロックを買っておいてくれ」
「買っておいてくれって、祖父江君はどうするの?」
「おれは公衆電話があるところまで歩いて行く」
「公衆電話なんてそれこそ隣町に行かないとないよ」
「そうだな。響わるいが隣町ついたらおれの家に電話してくれ」
祖父江は寂しげな顔で呟いた。
ここまで来たんだ。祖父江も悔しいのだ。今月号のウォーロックたしか霊無ちゃんの特集あったしな。
「・・・・・・何言ってるんだよ、祖父江君。電話ぐらい自分でかけろよ」
「かけろってこの足みろって!」
「僕のママチャリの後ろが空いてるんだから・・・・・・」
「響・・・・・・。緩やかとはいえまだ長い坂があるというのに。お前って奴は大馬鹿野郎だな」
祖父江の目には大粒の涙が堪っていた。僕の目頭もやたらと熱い。
〝隣町にウォーロックを買いに行くだけだったよな〟
それなのにこの熱さ。これもウォーロックの魔力だろうか?
フラフラになりながらもなんとか隣街にたどり着くと、祖父江の怪我を手当するためにまずは薬局を探した。
薬局はすぐに見つかった。薬局で包帯と傷薬それに痛み止めを買った。
薬局のおばさんが祖父江が怪我してることに気づくと、買った包帯と傷薬で手際よく手当してくれた。
そのおかげか、三十分もしないうちに祖父江は歩ける程度まで回復した。
「魔女みたいな顔をしていたがあそこの薬局のおばさん、なかなかの腕前をしているぞ。体力点フル回復といかないまでも、六点以上は回復したような気がする」
「運試しに成功したのかもね。ところで本屋はどこかな?」
「地図によると、この辺りだからもうすぐつくだろう」
――一時間後
日が暮れた街を僕等二人彷徨っていた。
「――全然見つからないだけど」
「おかしいな。たしかチラシによるとこの辺なんだけどな」
「チラシって――。 そもそも隣町の本屋にウォーロックが売ってるってどこからの情報なの?」
僕は今頃になって祖父江が持ってきた情報の出所が気になった。
祖父江が自慢げに隣町にウォーロックがあると言ったとき、ウォーロックが手に入るかもという興奮で頭が一杯だったせいで、情報の出所を聞くことすら頭に浮かばなかった。
「いや、図書室にチラシが置いてあったんだよ」
「チラシって、さっきから祖父江君が見ていたやつ?」
祖父江は何度も何度もポケットからクチャクチャの紙を取り出しては覗き込んでいた。
僕も何度か見せてもらったが、明らかに手書きとわかる汚い字と、幼稚園児が描いたとしか思えない落書きのような地図が載っているだけの怪しさ満載のチラシであった。
「もしかして祖父江の情報って、そのチラシだけが根拠なの?」
「当たり前だろう。学校にいる愚民連中がウォーロックなんて知るわけないだろう。となるとおれの得られる情報はお前か、このチラシしかない」
「そんな汚いチラシインチキだよ」
二人乗りで峠の坂道を登るという無茶をしただけあって、僕は疲れ切っていたので声が尖っていた。
「なにを根拠にチラシがインチキだっていうんだよ」
祖父江はムッとした顔で言い返した。
「根拠もなにも、そんないかにもコンビニのコピー機でコピーしましたみたいなチラシ、胡散臭いにもほどがあるよ! それにこの象形文字みたいな汚い字。子供の悪戯に決まってるだろう」
「子供の悪戯だと? ウォーロックなんてマニアな雑誌、知っている子供なんてどれぐらいいるんだよ」
祖父江の切り返しに、僕は言葉がつまった。
祖父江は生き方と行動は馬鹿そのものだが、九十五点以下は零点と同じと言い切るほど地頭の出来はいいので口喧嘩や論争となると大抵僕が言い負かされる。
「響、疲れて気が立ってるのはわかるがおちつけ。おれもちょっと考えるから・・・・・・」
祖父江は顎に手をあて暫しの間考え込んだ後「そうだ! 書店の名前はわかってるんだから公衆電話に置いてあるタウンワークで調べればいいんだ!」
「それだ! それならその本屋が実際にあるかどうか確かめることができるし、電話で場所も聞くことができる」
光明が見えた途端、現金にも僕の声は明るくなっていた。
「くくくく、埼玉の神童と言われた祖父江玲一の頭を回転させらればこの程度のトラブル解決することなど容易いわ!」祖父江も元気を取り戻した。
「そういえばその本屋の名前なんだっけ」
「何度言わせるんだ。黒瀬書店――」
祖父江は喋るのを止めたかと思うと「あった! 響、そこの横道を入ったところにあるじゃないか」
祖父江が指さした先をよく見ると、文房具屋の大きな看板の裏に、ひっそりと黒瀬書店と描かれた小さな看板が立っていた。
何度もこの道を通ったのに気づかなかった。
「リアルで本屋が存在するということは、このチラシの正しさが証明されたようなものだ。響! おれ達はもうウォーロックを手にしたようなものだな」
「ありがとう、祖父江君! こんな貴重な情報を教えてくれて」
「くくくく、先ほどまではその情報の真偽すら疑っていたくせに。まあいい、とにかく本屋に突撃だぜ!」
静寂こそ本屋に相応しいのだが、僕達馬鹿二人は興奮に我を忘れていた。
ドン!
書店のドアを開けた瞬間、僕は女の人をぶつかった。
「――すいません」
僕は謝ろうとして言葉を失った。僕とぶつかった女の人は泣いていたのだ。
顔はやつれているが、綺麗な人であった。
〝なんで泣いているのだろう?〟
大人の女性が泣いてる姿なんて、僕は一度も見たことがなかった。
泣き顔の女性は逃げるようにその場を去っていた。
「響、興奮するのはわかるが、ちょっとは落ち着けよ」
僕より後から入ってきた祖父江は、女性が泣いていたことに気づいてないようだった。
この中で多分一番興奮しているであろう人物に諭されてムカッときたが、祖父江の言うことは最もなので、僕は興奮を押さえて静かに書店の中に入っていった。
黒瀬書店のなかは狭くもなければ大きくもなかった。
どこにでもある普通の街の本屋であった。
ただ歴史政治コーナーや哲学のコーナーが街の書店とは思えないほど充実していたり、店主があまりきれい好きではないのか店内はなんなく薄汚れているように見えた。
「古本屋と見紛うばかりの汚さだな! マニア心を擽りやがる店構えだぜ」
「祖父江君、声がデカイよ」
お店の人に聞かれたらどうするつもりなんだ、この男は。
「くくくく、心配無用だ響! 店主がいないのはすでに確認済みだ。いくらここで叫ぼうがウォーロックの表紙に頬ずりしようが、誰にも見られることはない! おれ達はフリーだぜ」
祖父江の言うとおり、店内には僕達以外だれもいなかった。
興奮しているようでも抜け目なく店員の有無を確認するとは。油断出来ない男だ。
「まあでもウォーロック見つけても頬ずりするのはやめてよね、祖父江君」
「ああ、おれだってこれでも常識人だ。獣のような衝動が襲ってこようとも、常識という鎖で縛る自信はある。しかし、だ! もし表紙が霊無ちゃんだったときはおれの獣を押さえる自信はない! そのときは響! お前の拳でおれの獣を鎮めてくれ」
「まったくもってお断りだが、僕もまだポリスのお世話になりたくないから、その時は遠慮無く拳をたたき込ませてもらうよ。ところでウォーロックどこかな?」
僕はキョロキョロと店内を見回す。
「くくくく、おれはすでに見つけたぜ響!」
祖父江は本屋の隅をビシッと指さした。祖父江が指さした先には、汚い文字でゲームブックコーナーと書かれたポップが貼られていた。
「ここにウォーロックが・・・・・・」
「ああ、間違いない。だが気をつけろよ、城塞都市のカーレもビックリの即死トラップが仕掛けられてるかもしれないからな」
「・・・・・・うん。たしかにここは慎重にいこう」
本屋に罠など仕掛けられてるはずなどないのだが、脳みそがゲームブック漬けになっている僕はウォーロックならあり得るという分けのわからぬリアルティーを感じていた。
僕達は辺りを警戒しながら、ゲームブックコーナーに近づいていった。
本棚が見える位置までにくると、あの夢にまでみたウォーロックが置いてあった。
「あった・・・・・・」
金貨の山を前にした冒険者のように、僕達は息を飲み込んだ。
ああ、夢にまでウォーロックが僕の目の前にある。
ウォーロックの表紙を目にした途端、それまでの警戒を忘れて手を伸ばした。
「ゲットしたよ、祖父江君!」
「おお、おれ達はついにウォーロックを手にいれたぞ!」
祖父江も喜びに全身を震わせている。
「祖父江君! 酒場で浴びるほどエールを飲んで、オークをぶちのめしてやりたい気分だよ!」
中学生なのでエールを飲むどころか酒場に入ることさえできないし、列を作れば前から五番目の僕にはオークがいたとしても喧嘩をふっかけることなんてできない。
でも今の僕の喜びを表現するならこれしかなかった。
「・・・・・・おい、響」
ウォーロックの目次を読むのに忙しいというのに、祖父江のやつが僕の脇腹を肘でつついってきた。
「――なんだよ、忙しいところなのに」
「横を見ろよ、響」
祖父江がうるさいのでちらりと横を見ると、はたきを持った黒髪の少女が立っていた。
少女の目は心なしか赤くはれていた。黒瀬書店と書かれたエプロンをつけてるところを見ると、ここの店員のようだ。
それにしても若すぎる。
見たところ、僕と同年代。中学生が本屋でバイトなんて出来るはずないから、ここの本屋さんの娘さんかな――。
あっ、僕はこの人を知っている。
「闇の精の人だ・・・・・・」
秋の体験学習の時キャンプファイヤーの出し物で、黒いゴミ袋をまといブスっとした顔で闇の精の踊りを披露していた少女だ。
「おれも思い出したぞ! たしか一人だけワンテンポ遅れて踊っていたアノ闇の精だよな?」」
「・・・・・・」
闇の精の少女はブスっとした顔のまま、ゲームブックコーナーにはたきをかけ始めた。
「待ってよ、闇の精の人。僕達はまだ選んでる最中だから」
僕が止めるようお願いしたら、闇の精の人は棚ではなく僕達の頭をはたきをかけ始めた。
というかハタキで殴っていると言った方が正解かもしれない。
「おい、響! おれ達までハタキで叩き始めたぞ。ひょっとして闇の精と呼ばれるのがいやなんじゃないのか?」
「そっ、そうなの闇の精――。 じゃなかった。えっと――。」
「・・・・・・黒瀬司」
闇の精こと、黒瀬司はぼそりと呟いた。
「黒瀬さんか、僕達は――」
「瀬尾響君、祖父江玲一君でしょう。知っている」
「えっ、なんで僕達のことを知っているの?」
「闇の精だから使い魔かなんか使役しておれ達のことを探ってるじゃないか?」
祖父江がボケた途端、黒瀬さんのハタキが炸裂した。祖父江は鳩尾を押さえながら呻いている。
あのハタキはなかなかの威力を備えている。これはうかつにボケられない。
「――瀬尾君は学校の図書室でよく早川文庫借りに来てるでしょう? 祖父江君は朝日ソノラマ文庫ばかり借りてる」
「――最近はスニーカー文庫もよく借りてるぞ!」
祖父江は何故か胸を張った。
「祖父江君突っ込むのはそこじゃなくて、なんで僕達の借りてる本を知ってるかだよ」
「言われてみればそうだな。黒瀬司、何故おれ達が借りてる本を知っているんだ!」
まさか黒魔術・・・・・・。
と祖父江が呟いたところで、またもやハタキが飛んできた。
「図書委員だから――」
黒瀬司はもだえている祖父江を無視して、ごく常識的な答えを呟いた。
「そうだよね。図書委員だからだよね」
「当たり前すぎてつまらんな・・・・・・」
床で呻いていた祖父江は早くも復活してきた。
「だがしかし、この店の品ぞろいは面白いぞ、店主! おれが欲しかったネバーランドのリンゴに霊無ちゃんのずっこけ探偵シリーズの三巻、ずっこけすぎだよ霊無ちゃん、それにウォーロックのバッグナンバーも揃えているとは――。おれを破産させる計画なら成功しているぜ」
「えっ、ウォーロックのバックナンバーまで揃っているの? どこ? どこにあるの?」
「おいおい、そんなに慌てるなよ。そこの本棚の下を見ろ、宝の山が隠されてるだろう。それにお前が欲しがっていた暗黒教団の陰謀もゲームブックコーナー店員のオススメのところにあるぞ」
「店員のオススメって、これは店員のオススメと書いてあったのか」
字が汚すぎて読めなかったよ・・・・・・。
感想を口にした途端、脇腹にハタキの柄がたたき込まれた。
「痛った! てっなにするんだよ黒瀬さん・・・・・・」
とそこで僕はあることに気づいた。
「これってひょっとして黒瀬さんが書いたの?」
僕はPOPを指さしながら尋ねると、答えはハタキであった。
「痛い、痛いよ、黒瀬さん。てか、黒瀬さん恥ずかしいんだね、恥ずかしいのはよくわかったから、赤い顔のまま無言で叩くのやめて」
僕は頭を庇いながら、冒険者に命乞いする惨めなゴブリン野郎のようにペコペコと頭をさげると、その卑屈な姿に哀れみを覚えたのか、黒瀬さんはハタキを下ろしてくれた。
「・・・・・・瀬尾君、暗黒教団の陰謀好きなの?」
「好きというか、凄い難しいゲームブックだって祖父江君が言ってたから興味があるんだよ。今まで僕はファンタジー一本槍だったし、ここいらでホラー作品に手を出してみるのもいいかなって」
僕の言葉を聞くと、ほんの少しだけ黒瀬さんは嬉しそうな顔になったような気がする。
鳩岡の闇の精としては、暗黒の勢力を得るようで嬉しいのかもしれない。
「止めとけ止めとけ、暗黒教団の陰謀なんてゲームバランスがクソだぞ、クソ。なにせおれが買って三日後に古本屋に売り飛ばしたクソゲームブックだからな。おれなら地獄の館を勧めるぜ。こいつも難易度は激むずだが、暗黒教団の陰謀ほど理不尽ではない」
「――そうなんだ。地獄の館もいいかな・・・・・・」
ウォーロックともう一つゲームブックを買えば、僕の予算は終了である。
冒険したい気持ちもあるが、手堅く行きたいという気持ちもある。
ゲームブックでは大抵冒険するとろくな目に合わないしな・・・・・・。
「作者も大御所のスティーブ・ジャクソンだからな。暗黒教団の陰謀などという際物を買うより・・・・・・」
ゴスっと、音がなったかと思うと、祖父江は呻き声をあげて倒れた。
「祖父江君・・・・・・」
僕がビックリして、祖父江の元に駆け寄ろうとしたその時――。
「瀬尾響!」闇を切り裂く雷火のような声が、僕を打った。
誰だ!?
驚いて振り返ると黒瀬司が立っていた。
いや、本当に黒瀬司か?
僕の知っている黒瀬司は嫌々ながらも闇の精を演じた少女であり、ハタキを
しかし今目の前に立っているのは少女は本物の闇の精――。
――のような迫力を備えていた。
「あのう・・・・・・」
僕のおどおどした問いを闇の精は無視した。
「瀬尾響。お前は暗黒の縁を覗いたことがあるか?」
僕は大きく首を横に振った。
「この本をクリアーしたとき、お前は暗黒の縁を覗くことが出来るだろう」
闇の精はちょっと自慢げであった。
「・・・・・・それって覗いたら不味くない?」
僕は妙な所で冷静であった。
僕と闇の精との間に気まずい沈黙が流れる。
「お前も幾多の冒険を乗り越えてきた冒険者なんだろう! 少しぐらい暗黒の縁を覗いたって大丈夫だ!」
闇の精は力づくで僕を説得にかかった。
「・・・・・・そっ、そうだね。僕も頑張って暗黒の縁を覗いてるみるよ」
「よく言った。それでこそ歴戦の冒険者だ。頑張ってるお前には褒美にこれをやろう」
闇の精こと黒瀬司はエプロンのポケットから、短冊のような者を取り出した。
ふんぐるいむぐるうなふ・くとるふ・るるいえ・うがふなぐるふたぐん
人間の喉では発音不可能な呪文と、溶けかかった雪だるまのよう絵が載っていた。
「これは?」
「禁断の呪文と恐るべき神の姿を書いたものだ」
――溶けかかった雪だるまじゃないんだ。闇の精の突っ込みを警戒して口には出さなかった。
「あとこれもやろう」
闇の精はどこからともなく黒いゴミ袋を持ってきて、僕に押しつけた。
「これどうするの? まさかゴミ袋を被って僕に闇の精になれっていうの?」
それは勘弁して、と言おうとした瞬間、僕の脇腹にハタキの柄が食い込んだ。
「――外は雨が降っているから、これで鞄をつつめ。そうすれば本は濡れない」」
闇の精の言う通り、外は雨が降っていた。それも結構な大ぶりであった。
話に夢中で気づかなかった。
この雨のなか帰るのか、僕は家路の困難さにため息をつくと、ウォーロックの最新号と暗黒教団の陰謀を買うべくポケットから財布を取り出した。