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サイゼリヤ文学

【前半】今夜の宵飲はサイゼリヤ

作者: 家宝ダンゴ
掲載日:2026/08/28

カタカタとキーを叩く音が響く。

私の目は、忙しなくモニターを追っていた。


山になった請求書から一枚手に取る。

業者と施工内容を確認し、見積書と相違がないかを確認する。

請求書と領収書の金額も同様にだ。

あとは、ひたすらに画面に向かい会計ソフトに打ち込んでいく。

間違うことは絶対に許されない。


学生で例えるならば、『期末テスト』を想像してほしい。

テストというものは、己の学力を測り、不足があれば補うものだ。

そのために日々学業に励み、時に一夜漬けをする。

その行為を繰り返すことで、学力だけではなく自分がどういった人間かを知る機会を得るのだ。


つまり、不足を知り、己を知るのである。


大人の世界は違う。


そもそも、間違いが許されていないのだ。

正解することが当たり前とされる。


なぜなら社員という雇われ人は回答用紙に並んだたった一文字に過ぎないからだ。

文字は大き過ぎてはならない。

誰かがはみ出したり、窮屈な思いをしてしまうからだ。

文字が下手すぎると容赦なく消しゴムで消去され、新しい文字として書き直される。

消しゴム役が大雑把だと一文字のみならず回答欄全てを真っ白にしてしまう。


大人の世界とはそういうものだ。


さて、何が言いたいかというと今日は給料日だ。


こうして日々仕事に追われていると、アルコールに逃げたくなる。

それが大人というものだ。


私は席を立ち、ロッカーの前に立った。

黒い鞄の口を開き、皮の財布を取り出した。


席に戻り、財布のチャックをゆっくりと開く。

軽い金属の音と共に私の財産が蛍光灯の下に暴かれていく。


私は小さく息を吐き、天井を見上げた。


そっとチャックを閉め直し、ロッカーで待つ鞄に戻した。


数年前から、ある言葉を耳にするようになった。

『せんべろ』。


どうやら一千円でベロベロになるという意味らしい。

その言葉も昨今の物価高で過去のものとされてしまった。


私には、外食をする際のルールがある。

外食に予算を決めない。


物には値段がついている。

原材料や企業努力によってそれは決められている。

その料理に向き合わず、メニューを何度も覗き込み、頭の中の電卓を必死で叩く。

そんな大人にはなりたくないからだ。


では、どうするのか。

答えは簡単だ。


何でもある手頃な店に行く。

私は丁度良い店を知っている。


チラリとモニターの時間を確認する。

十七時五十五分。

退勤まであと五分か。


私は席を立ち上がると部屋の奥の扉を開いた。

カチャリと鍵をかけると、扉は使用中を示す赤い色に変わる。



「……ふう」


扉から出てきた私は思わずため息を漏らした。

手についた雫をハンカチで拭き取り、三つ折りにしてポケットに戻した。


席に戻り、デスクを上から眺める。

広がる書類の上にクリアファイルを置き、動かないように固定する。


私はふと休日のミステリードラマを思い出していた。

このクリアファイルはドラマで登場する黄色いテープと同じく現場保存の役目を果たしている。


この黄色いテープが張られた現場には刑事や鑑識しか立ち入りを許されない。

明日の私は、このテープをくぐり赤く染められた書類を精査しなければならないのだ。


などと物思いに耽っているとモニターの時計が十八時を表示した。


定時だ。

私はロッカーから黒い鞄を取り出すと、退勤を押し、数度頭を下げた。

そのまま足早に会社の扉を出て行った。


花壇の横を通り、足早に銀行の前を過ぎる。

右に曲がり少し進むとその店はあった。


いつもより看板が色鮮やかに輝いて見えた。

そこは『サイゼリヤ』。


昼のランチとは客層がガラリと変わる。

しかし、ガヤガヤと騒がしいということは変わらない。


気づいていただろうか。

私はいつもの骨伝導イヤホンを装着していない。

今日に限って充電を忘れてしまっていたのだ。


たまにはこの喧騒の中に耳を解放させるのも良いだろう。


私は案内された席に座り、メニューを開いた。


さて、赤か白か迷うところである。

肉料理なら赤。魚なら白。


はっきりと言う。それは上等な店の話だ。


この店は違う。

どっちでもいい。


直感で選ぶ、それだけでいいのだ。


私は小さなQRコードを読み取ると、スマホを操作した。


バタバタと隣の団体客が席を立ち、無人のレジに向かう。

スタッフが手際よく清掃し、テーブルを離して並べた。


隣のテーブルとの距離が近い。

仕方ない、反対側から立ち上がればいい。

私はそっと立ち上がるとドリンクバーへ向かった。


いつものように氷を四つ縦に並べ、水を一番上の氷に当てるように汲んでいく。

今日も手を濡らさずにチェイサーを確保できた。


ふと、オリーブオイルのボトルが視線に入った。

今日はこれが必要になる。

私はグラスを左手に持ち帰ると、オリーブオイルを手に取った。


席に戻りテーブルにグラスとボトルを置く。

トンというやや重い音が鳴る。


私は紙ナプキンを手に取ると手のひらをゴシゴシと拭いた。


このオリーブオイルは不特定多数と共有する物だ。

たった一人でも扱いが雑な者に当たれば、ボトルは零れた油でベトベトとなってしまう。

私はさらに紙ナプキンを数枚手に取った。

丁寧にボトルを拭きあげていく。


しかし、こうやって自分が拭いてやればこのボトルも次の人も快適に使用できるのだ。


「お待たせいたしました」


「デカンタ大と小エビのカクテルでございます」


私は軽く会釈すると、カトラリーケースからフォークを取り出した。

軽く小エビとドレッシングをフォークで和える。


一度フォークを皿の上に置き、グラスにワインを注ぐ。

色は白ではない。瑞々しい赤色だ。


サイゼリヤのデカンタ大の一杯目には注意が必要だ。

サイゼリヤのワイングラスはやや小さめだ。

このグラス目がけて容器を傾けなければならない。

一滴も零すことは許されない。


万が一、勢い良く注ぎワインの飛沫がシャツに飛んでしまえばもうピンク色の水玉模様が付いたシャツとして着るしかなくなるのだ。


ワインのシミは決して落ちない。


私は小さく息を飲み、デカンタ容器を傾けていく。

液体が音を立てグラスは無事に赤で満たされた。

ふわりとアルコールの香りが広がる。


私は息を吐き、背もたれに背中をつけた。


クスッと笑う声が聞こえ、隣の席に視線を移す。

長髪の女性が口元に手を置き、微笑む。


「……ごめんなさい。あまりにも真剣だったので」


「いえ」


小さく会釈する。

何と言うべきだったのだろうか。

私が学生であれば、話を盛り上げるために大袈裟に口元を緩め、くだらない冗談の一つでも口に出しただろう。


相手が女性だからというわけでは決してない。


私はそんな安い男ではないのだ。


さて、話を戻そう。

私は気を取り直しワイングラスを手に持った。


ワインを飲む際に、鼻を近づけ芳醇な香りを楽しみ、グラスを軽く振りボルドーやバーガンディといった色で熟成を判断したりする人もいるだろう。

この店ではそういった慣例は全く意味をなさない。

はっきり言うが、必要がない無駄な行為だ。


私はグラスを傾け、口に含むとすぐに喉に流し込んだ。

(うまい……これでいい。)


私は小さく頷いた。

隣から視線を感じたが、わざわざ応対する必要もない。

私は硬派な男。

いや、そうなりたいと思っている男だ。


私はフォークを持ち、小エビのカクテルと向き合うこととする。

皿の底には海藻が沈み、まるで小エビを私のもとに祀り上げているかのようだ。


私はふと幼少期のある寺で行われていた儀式を思い出していた。


夏の夜、大人達は寺の敷地内に薪を組み立て火をつける。

キャンプファイヤーのように燃え上がる火の周りを輪になり囲む。

やがて灰になり始めた木を平に伸ばし、その上を素足で渡るという謎の儀式だった。

熱い地面を跳ねながら渡る大人達を子供は羨望の眼差しを向けるのだ。


私はフォークに小エビ達を突き刺していく。

口に運び、咀嚼する。


小エビのサラダを覚えているだろうか。

はっきりと言おう。


あれと全く同じ味だ。


私はフォークにだんご状に並ぶ小エビを一気に口に運んだ。

ワインで流し込む。

やはり、エビは好きだ。


ここで小エビを全て食べてしまってはいけない。

次の料理がやって来るまで海藻をつまみながらゆっくりと待つとしよう。


「お待たせいたしました」


「エスカルゴのオーブン焼きです」


グツグツと煮え立つオリーブオイル。

バターの香りがワインを傾けるよう後押しする。


私はグラスを注視しながらデカンタを傾けた。

音を立ててグラスに注がれる。


ここまで減ればもう怖くはない。

ふと、私は隣のテーブルに視線を向けた。


長髪の女性のテーブルにはバッファローモッツァレラのカプレーゼと生ハムが並ぶ。

横にはデカンタ小のワイン。


「……なるほど」


しまった。と思った時にはもう遅かった。


長髪の女性はクスッと笑い、微笑む。


「それ、美味しいんですか?」


エスカルゴのオーブン焼きを指さす。

硬派な男もここまでらしい。

私は、口角を少し上げる。


「よろしければ味見しますか?まだ、手はつけていませんし」


我ながらなかなか気持ちの悪い返答をしてしまったなと頭を抱えたくなる。

だが、意外にも女性は顔色を変えなかった。


「いいんですか?」


「どうぞ」


女性は席を立つと、小皿を持って戻ってきた。

一つの穴から具をスプーンで掬う。


「いただきます」


何度か息を吹きかけ、口に運んだ。

私は、前歯を使えば良いのになと唐突に思った。


さて、隣にばかり気を取られていては私がこの店にきた意味がなくなってしまう。

一つ空いてしまった穴に他の穴から少しだけオイルを汲み足す。

これは後に重要になる。


私は具を掬い取り、口に近付ける。

軽く息を吹きかける。


はっきり言おう。

この料理において息を数回吹きかけたところで温度は大して変化しない。

これは、ただのポーズである。


私は前歯を使い、スプーンから削ぎ落とすように口に運んだ。

隣から空気が漏れるような音が聞こえた気がしたが、今は反応しないでおこう。


私はこのオーブン焼きをワインと共に食べ進めていく。

六つの穴の具がなくなった。

残ったのはバターの風味がついたオリーブオイル。


小エビのカクテルを覚えているだろうか。

好物であるエビを半分ほどで我慢し、海藻のみを食していたあの皿を。


この油に小エビを投入するのだ。

迷う必要はない。これが正解だ。


さらに先ほど拭き上げた例のボトルを傾ける。

オリーブオイルを六つの穴に継ぎ足していく。


これで小エビのアヒージョが出来上がった。

まだデカンタには半分ほどのワインが残されている。


さあ、後半戦の始まりだ。


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