第5話:聖女の神秘を解体せよ(前編)-2
解呪の業務に続き、午後の業務も終えた私は、夜になるのを待ってアメリアと共に“探検”に出かけた。
職員がすっかり寝静まり、人の気配がしなくなった教会はどこか不気味な雰囲気に満ちている。私たちは極力足音を立てないように、小さなランプで地図を照らしながら長い廊下を進む。
「この地図はアメリア達一般職員に配られているものだから、図面に載っていない部屋があるかもしれない……ということよね?」
「はい、おそらくは……。王都の教会はとても広いので、全員が全員すべての部屋を知っているとも限らないのです。」
地図に書かれていない部屋を探す。そのために、ランプで壁を照らしながら長い廊下を何度も往復して探索しているが、特に怪しい箇所を見つけることが出来ずにいた。私は困り果てたアメリアの手から地図を借り受けて、もう一度地図全体を眺めてみる。
「いくら地図に書いていないといっても、偽の地図と建物の構造との矛盾が大きかったら迷子が続出してしまって問題になっているだろうから……やっぱり、地図の中にヒントがあるかもしれない。」
ランプで地図を照らしながら、二人でじっくりと地図に描かれる壁や、部屋、建物全体の配置を睨む。
すると一見、柱なのかと思わせる空白の位置が、他の柱と思しき空間と比べて少しずれた位置にある、ような気がしてきた。フリーハンドで書かれているがゆえの揺らぎなのかもしれないが、その他に同様の揺らぎは見つけられなかったので、一旦その場所へ行ってみることにした。
アメリアに地図を見てもらいながら、静かに、確実にその場所を目指して歩いていく。息を潜めた移動のため、普段よりは時間をかけて、地図上では怪しかった地点へ到着する。アメリアが一歩進み出ても一見怪しいところはなく、中に柱が入っているから出っ張っていると言われればその通りにしか見えない壁をランプで照らしていく。
昼間だったら壁を叩いて反響音を確認したりできるんだろうが、この真夜中にするのは得策ではない。どうしたものかと私は思案するべく、腕を組んで瞳を閉じる。
すると、今までには感じられなかった空気──いや、魔力の流れのようなものが微弱ながら感じられた。私はすかさずアメリアに声をかける。
「アメリア、ちょっとランプの明かりを落としてくれる?なにか感じられそうな気がするの。」
アメリアは静かに頷くとランプに揺れる火にふっと息を吹きかけた。
瞳が慣れないせいで周囲が全く見えないほどの暗闇が広がるが、魔力の流れはより確かに感じられるようになってきた。私は壁に手をついて、漏れ出す魔力を辿る。
ゆっくりと歩を進めていくと突然、『反応』が起きた。
壁につけていた掌から淡い光がじわりと広がり、指の輪郭を浮かび上がらせる。その淡い光は幾筋にも伸びて、壁に小さな扉を象った。腰を屈めて入らないといけないくらいに小さなその扉は、まさしく隠し扉と呼ぶに相応しい。
私はアメリアと視線を交わし、お互いに頷くと光の扉をそっと押して開いた。中は当然真っ暗で見ることができないが、不思議とおそれはなく、身をかがめて中へと進むことに戸惑いはなかった。
暗く狭い道を進んでいくと、やがて天井が開けた空間に出た。
ふうとひとつ息を吐いてから背筋を伸ばすと、そこにはたくさんの本棚や、石板が並べられていた。魔力によるものなのか、幻想的な淡い光がゆらゆらと揺れて、資料を読む分には十分な光量が確保されていた。アメリアはさっと背中を向けて来た道へとランプを照らす。私は彼女の賢明さに驚きながらも、とりあえず一番近くにあった石板を覗き込んだ。
──思った通りだ。
読むことは出来ないが、刻まれている文字が『言葉』であることは、これまで現存する書物を読んでいたので察することが出来た。この中から聖女が『反応』を示すなにかしらの書物を持ち出すことが出来たら──そう、本棚に手を伸ばした瞬間。
アメリアが小さな悲鳴を上げた。私はすかさず彼女の前に立って掌をかざし、静かに身構える。
「……何者ですか。名があるのなら、名乗りなさい。」
すると私たちと同様に腰を屈めていた影は、ゆっくりとした動作で立ち上がる。闇に紛れるためのフードを下ろして現れたその顔は、バルドゥイン大司教その人であった。
「これはこれは聖女様。…バルドゥインでございます。」
魔力の明かりで青白く照らされたせいか、たくわえた白鬚の不気味さが増している。
大司教バルドゥイン──今、この場でもっとも出会いたくない人物と出くわしてしまった。
「大司教様……どうして、こちらへ?」
「ほっほっ。聖女様……それは私も同じでございます。このような時間に、何故お出ましに?道に迷われたようにはお見受けいたしませんが。」
大司教バルドゥインは、私たちが仕掛けを破り、この部屋に辿り着いたことをすでに把握していた。だが、その方法を問い質すのは今ではない。この状況は何を言ったところで言い逃れは効かないだろうと本能的に理解する。
しかし、この教会内に聖女の立ち入りを禁じ、かつ罰することができる立場の人間などいないであろう事実だけが、私の武器だ。
「私、聖女の務めで用いられる祝詞の源流を知りたくなりまして。教会中の書庫から探してみても結局見つからずじまいでしたが……どうやら、こちらの書庫には数多く存在しているようですね。さっそく勉強させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
あえて包み隠さず、しゃあしゃあと目的を伝えてみた。
──さあ、どう出る?
私はいたって平静に、穏やかな聖女の微笑みで大司教の次の一手を待ち構える。すると大司教は、一瞬驚いたように息を詰めたが、すぐに元の権威ある神職者の態度へと戻った。
「聖女様──いや、ルツィア様。自らのお勤めへの探究心は非常に結構なことではございますが……」
大司教が続ける。
これは紛うことなく大司教バルドゥインの本音であり、教会の権力者としての立場の表明であった。
「聖女ルツィア様、貴方の御力は神より賜りしもの。人の知恵で解き明かすべきではありませぬ。神秘は、神秘のままに──それこそが、永きにわたる我ら教会の叡智であり、民草の希望を、命を守る唯一の道なのです。」
その言葉は、今までにない凄みを秘めていた。私は自分のコンサルタントとしての勘の正しさを証明したと同時に、想定の範囲内で最悪の抵抗勢力と対峙しなくてはならない現実を目の当たりにしていた。
今ここで、大司教に返すべき言葉などなにもない。これは明確な拒絶だからだ。
私はなんてことない小娘の仮面を被り、膝を折って謝罪をしてみせる。
「……まあ、なんということでしょう。浅はかな真似をしてしまい申し訳ございません。大司教様のご信念、この胸にしかと刻ませていただきました。」
頭を上げて来た道を見れば、大司教がその道を譲る。私はひどく震えてしまっているアメリアの手を取って、するりと抜ける。
「では大司教様、私たちはこちらで失礼いたします。あ、見送りは結構でございます。この道は狭く、腰には堪えてしまいますので……。」
最後にもう一度仰々しいまでの礼をして、私はアメリアの背中を押しながらさっさと秘密の書庫を後にした。
聖女業務の属人化ぶりは、自然発生的なものかと思っていたが──それは盛大な思い違いだったのかもしれない。あの大司教の口ぶりは、ブルーノ司祭のような小さな不正どころではない。信念を持って明確に改革を拒否するようなその姿は、私の隠居計画に大きな影を落とすこととなった。
◇◆◇
「──と、いうことがあったのですよ。」
翌日、私はモーニングミーティングで昨晩起きた出来事の仔細を、ヘルマンと共有した。彼は表立って顔には出していないつもりなのだろうが、明らかにその心証が芳しくないことは、声色が如実に語っている。
「……ルツィア様。何故私を呼んでくださらなかったのですか?アメリア殿もそうだ。こういう危険を伴う任務にこそ護衛が必要だと、ルツィア様の安全を第一に考えれば思いつくはずでは?」
ぐうの音も出ない。
理由がなくはなかったので説明は尽くすが、それでもヘルマンを納得させるには足りないのだろう。不甲斐なさで小さく縮こまってしまっているアメリアに代わって、私が答える。
「本当にごめんなさい、ヘルマン。反省しています。貴方を呼ばなかったのは、夜の教会内を探っていることが露見した際に、王宮関係者がいては貴方の立場に良くないだろうと私が判断してのことでしたが──」
「ルツィア様、その認識は完全に間違っています。私は国王陛下より聖女様の護衛を命じられてこの場にいるのです、王宮の人間だとかそうでないかは一切関係がない。護衛であるということだけが唯一の真実なのですから。」
「はい、そうですよね……。貴方の立場を考えたつもりで軽んじてしまった、私の認識が浅かったです、すみません……」
「申し訳ございませんでした、ヘルマン様……。ルツィア様の御身の安全を第一に考えて、行動いたします。」
私とアメリアは立ち上がり、ヘルマンに向けて精一杯の謝罪をした。
ヘルマンは言うべきことを言ってくれただけなのだ。今回は完全に私が甘かった。今後は少しでも危険のある動きをする際は、必ず事前に相談をすることを約束し、本題へと議題を戻す。
「それで、『言葉』の件ですが……教会内部に資料が存在することは分かったけど、もうこれ以上、あの書庫に近付くのは危険です。何か他の手段を探したいのですが、王宮の方で、教会の歴史や神秘に詳しい人物はいるのでしょうか?」
全員で考え込んでしまったのか、しばしの沈黙が流れる。
口火を切ったのはヘルマンだった。
「私自身は正直、まったく心当たりがないのですが……陛下ならば、きっとなにかご存知のはずです。」
陛下とはすなわち、国王ジークムント・マクシミリアン・フォン・アーデルシュタイン。
定例会議で見た、あの威厳に満ちた立ち居振る舞いを思い出す。
確かに、この国を治める王族が管理している情報は存在するだろう。それがこの国の双璧を成す教会の歴史に関することであってもなんら不思議はない。
しかし、国王相手ともなれば、相手が聖女だろうと国王の方が圧倒的な権力者となる。なにか少しでも粗相があればタダでは済まないだろう。
そんな私の苦悩を察したのか、ヘルマンが言葉を重ねる。
「陛下は時折あのような大胆な行動に打って出られることはありますが……基本的には聡明で、慎重な御方でいらっしゃいます。この間の一件でルツィア様にも大変興味をお持ちでいらしたので、謁見の申し出と陳情のひとつやふたつは、何も問題にならないかと。」
「確かに、あの場ではっきりとルツィア様のことを同志とおっしゃってくださいました!」
アメリアの記憶も、ヘルマンの見解ももっともなのだが、私の中では不思議と踏ん切りがつかない。
今までは『聖女ルツィア』として、すべて自分の意思と責任のもとで行動をしてきたが、いざ王宮と関わるとなれば、『ルツィア・フォン・アイゼンシュタイン』という、家名を背負う貴族の立場になるからだろうか?おぼろげな記憶のままで、貴族として間違いのない振る舞いができるかどうか、自信が持てないのかもしれない。しかし、もう打てる手はそれしか残されていない。
「……分かりました。陛下への謁見を申し込みます。ただし、この動きが教会側に一切漏れぬように手配していただけますか?大司教の耳に入れば、間違いなく書庫の件で探りを入れているとバレてしまいますから。」
「承知いたしました。私の伝手や家名を使い、何としても秘密裏に事を進めます。通常の手続きよりは時間を取るかもしれませんが、ご承知おきください。」
ヘルマンの応答を受け、私は細く長いため息をこぼす。
正直なところ、不安だ。企業の代表どころではない権力者と相まみえる経験はさすがに持っていない。
(貴族子女としての礼儀作法はアメリアと一緒に確認したらいいのだろうか?いや、生家に戻るべきか?しかしそれでは大司教に気取られてしまうし……)
私が珍しく悩み、唸っている様子を心底不思議そうに眺める二人と目が合ってしまう。失態続きでマネージャーとしては情けない限りだが、自分の力で解決できないのならばチームに頼るしかない。
私は再び覚悟を決めて、いま抱えている全ての不安を二人に話すことにした。
「……とても情けない話なのだけど、私は『聖女顕現の儀式』以前の記憶が曖昧なところがあるのです。ですから、陛下を前にして貴族として正しい作法が取れるのか……自信がまったく持てません。」
するとアメリアは申し訳なさそうに首を横に振った。アメリアも教会務めは長いだろうが、貴族の生まれではないと聞いている。それとは反対に、ヘルマンは事も無げに答えてくれた。
「なるほど、それで謁見には消極的だったのですね。ならば私の母を呼びましょう。今では武門の人間ですが、生まれ育ち自体は貴族でした。」
その、なんとも頼もしい返答に、私は初めて自然と神へ感謝の祈りを捧げた。
こうして私は、業務終了後に密かに貴族子女としてのマナーの再特訓を行いながら、国王ジークムントとの謁見に備えることとなった。特訓の合間に、ヘルマンの母君から、若き日の国王陛下の逸話や戴冠後の武勇伝まで様々な話を聞くことで、この得体の知れぬ緊張感が大分緩和されるようになったのは──大きな収穫だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
大司教バルドゥインとの明確な対立が明らかになった回でした。
次話では、いよいよ国王ジークムントとの謁見です。
面白かった方は、お気軽にリアクションやご感想、評価、ブクマ登録などいただけると励みになります。




