第2話:「雇用契約」と初仕事
聖女業務のオリエンテーションが終わり、大司教は満足したのか、恭しく礼をして執務室を出ていった。
対する私は、表情こそ穏やかを装っているものの、内心は非常に燃え盛っている。
この“聖女業務の完全手離れ実現隠居プロジェクト(仮)”を真の意味でキックオフさせるためには、プロジェクト員──つまりは改善活動を主導するチームを作ることが必要だ。
とはいえ、今生のルツィア・フォン・アイゼンシュタインの記憶は、取り戻したとはいえ鷹野瑞穂のものと比べるといまいち明瞭ではない。この改善を進めるためには誰に協力を仰ぐべきなのか……適切な候補者の名前どころか顔すらも浮かばずに、私は椅子の背にもたれてため息をこぼした。すると、コンコンと扉をノックする音とともに明るく溌剌とした声が響いた。
「聖女様!お勤め中のところ、失礼いたします!」
「どうぞ、お入りください。」
入室を許可すると、二人の男女が私の前へと並んだ。
まず私の前に進み出たのは、年の頃は十八歳前後だろうか──一人の生真面目そうな少女だった。濃紺の上質な木綿で仕立てられた、くるぶしまである長いワンピースドレスをまとっている。その上から糊の効いた真っ白なエプロンを身につけている。丁寧に編まれた亜麻色の三つ編みが、同じく白いコイフの隙間から覗いていた。派手な美しさはないが、その立ち居振る舞いには一点の曇りもない。
何よりも印象的だったのは、澄み切った空色を映したかのような、その瞳だった。一切の嘘や疑いを知らない、あまりにも純粋な光を宿している。
「侍女として、聖女様にお仕えさせていただきます。アメリア・ベッカーと申します。」
彼女が深く頭を下げた時、その頬に散ったそばかすが、どこか彼女の若さと実直さを物語っているように見えた。
「そしてこちらが、」
「聖女様、お初お目にかかります。国王陛下の命により、聖女様の護衛騎士としてお仕えいたします。ヘルマン・フォン・ホーエンフェルスと申します。」
アメリアの紹介を制して一歩進み出た男性は、まさに“騎士”という言葉を体現したかのような人物だった。身長は、私より頭二つ分は高いだろうか。磨き上げられただけではなく使い込まれてもいる鋼鉄の鎧は、目覚めた時に並んでいた騎士たちの儀礼用とは明らかに違い、実戦の匂いがした。その分厚い胸当てには、王家の紋章である獅子が誇らしげに刻まれている。薄茶色の髪は短く刈りそろえられ、その顔立ちはまるで彫刻のように硬質で一切の甘さがない。しかし、その深い森のような緑色の瞳だけが驚くほど真っ直ぐに、私から逸らされることはなかった。
「聖女様の盾、ときには剣として私をお使いください。もちろん、何時如何なる時でも御身のご安全を最優先にお守りしますことを、騎士の名においてお誓い申し上げます。」
その言葉を終えると、ヘルマンは片手を胸に添えて静かに礼を取った。
その低く、よく通る声には、自らを飾る響きは一切なく、ただ発せられた言葉の重みだけが執務室の空気を静かに震わせた。
(アメリアとヘルマン、彼らで決まりね。)
彼らの瞳や声に宿る、隠しようもない実直さに、私はひとり頷いた。
アメリアはきっと本当に私の身の回りのことをすべて任せたとしても何も問題ないだろう。小銭の一枚、ペンの一本さえなくなったりせずに整然と整えられるであろう自分のデスクが容易に想像がつく。
対してヘルマンもそうだ。教会からではなく、王宮から派遣されているという点が、きっと先々重要な役を担うことになるだろう。そして彼ならば、揺るぎない忠誠心と真面目さでもって、任務を果たしてくれるだろう。
私は椅子から立ち上がり、まずはアメリアに、次にヘルマンに、力強く手を差し出した。前世では幾多のプロジェクトメンバーと交わしてきた、信頼の証。固く、握手を交わす。
「自己紹介ありがとう。アメリア、ヘルマン……今日から、どうぞよろしくね。」
手を握れば大きな青い目をさらに丸く見開いては頬を赤らめるアメリアの反応は素直そのもので、なんだかこちらがむず痒くなってしまうくらいだ。ヘルマンも力強く頷いて、実直そうな控えめの笑みで返してくれた。
挨拶を終えた私はさっと踵を返し、ペンを片手になにか書くものを探しながら、彼らとの契約内容を検討しはじめる。きょろきょろと辺りを見渡している私に、アメリアがさっそく声を掛ける。
「ルツィア様、なにかお探しですか?ご入用の品がおありなら、教会内を見て回ってきます。」
「ありがとう。ん~、紙があればいいんだけど…ほら、貴方達も形に残ってた方が安心でしょう?もう当日からいきなり働かせちゃってるわけだし……月給とか、労働時間とか、福利厚生とか、納得した上でスタートしたいじゃない?」
「えっ?げっきゅう……、ふくり、こーせー……とはなんですか?そもそも条件とは、一体何のお話で──」
丸い目をぱちぱちとさせているアメリアを横目に、私は朝を何時スタートにするべきか、そもそも聖女の祈りの時間のスタート時間がわかっていないからなあ、などと考えを巡らせていると、どたばたと大急ぎで足音が部屋に近づくと同時に、若い神官が叫ぶように告げた。
「聖女様!!緊急のご出動要請です、大結界の魔力低下が確認されました!!至急、大至急、大結界のもとへお急ぎください!!」
……ああ、これが「有事の際」の「即時対応」案件ね。
肩で大きく息を切らせた神官が、ご無礼をと私の腕を掴む。そのまま引っ張られるように執務室を連れ出され、どこにどう繋がっているかも分からない回廊を小走りに駆けていく。背後からはアメリアとヘルマンの足音が続く。緊迫した彼らの雰囲気とは裏腹に、私の心は、どうにも身に覚えのあるシチュエーションに急激に冷えていった。
(もう始まった、まだプロジェクト員の合意すらもらえていないのに!一体この先、どんな激務にさらされてしまうの!?)
かくして、“聖女業務の完全手離れ実現隠居プロジェクト(仮)”よりも先に、ブラックボックスで属人化しきった聖女業務は、“大結界の緊急対応”という割り込み突発業務から始まったのだった。
◇◆◇
小刻みに揺れる馬車の中で、私たち三人は神官からの状況説明を受けていた。
王都をぐるりと囲んでいる国防の要“大結界”に、哨戒中の神官が魔力のゆらぎを感じたというのだ。
普段ならば入ってこられない小型の魔物が出現しており、そちらは同行の騎士と協力して討伐を終えている。
しかし結界が壊れているのであれば、第二第三の侵入が繰り返されてしまうので、急ぎ聖女様をお呼びすべし、とのことだった。
こちらはなにせ、つい先程聖女となったばかりだ。右も左もわかっていなかったので、業務の方からやってくるというのはある意味都合がよかった。
現場に到着するまでの間に、私は先ほどやり残していた雇用条件の取り決めに話を戻す。
「アメリア、ヘルマン。バタバタしちゃって悪いけど、まずは早いところ雇用契約を結びましょう。始業は朝の祈りを始める30分前からとして、終業は日没までで十分かしら。休日は5日の勤務ごとに2日連続で必ず取得すること、理由は問いません。その他遅刻や欠勤のある場合は誰かを通じて連絡してもらって、お給料の支払いタイミングは……月末がいい、月初がいいとか希望はありますか?ないなら20日締めの当月25日払いで──」
矢継ぎ早に条件を並べていくと、二人とも鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてこちらを凝視している。何もわからないといった様子を見て私が再び口を開きかけると、アメリアがばっと両腕を広げ、おさげを左右に揺らし始める。
「い、いけませんルツィア様!私は聖女様に仕える身です。昼夜を問わず奉仕させていただけることが名誉であり、幸せなのです!そんな休日だなんて……ましてや!お金など!いただけません!!」
ヘルマンもその言葉に意識を取り戻したのか、鎧が鳴るほどに頷いてアメリアに続く。
「そ、そうです!私も王命に従っているのです!ましてや護衛騎士が、なぜ守るべき貴方様のそばを離れて休めましょうか!?俸禄も王宮よりしかといただいておりますし、ルツィア様がお気にかけることなどひとつもございません!!」
私は思わず、えぇ……と引いた声を出してしまった。
二人とも使命感が強いのは素晴らしいことだけど、24時間365日私について働くつもりなのか?中世ヨーロッパでも何もしない安息日くらいはあったのではないか?
私のために働いてくれるのに、私が彼らに賃金を払えないというのもいただけない。
「そうは言っても、休みがないと疲れも取れないでしょう?身の回りの世話も身辺警護も、体力に神経も使うのだから。私は貴方達まで過労で倒れさせるような上司にはなりたくないの。」
「過労だなんてとんでもない、聖女様のために身を粉にして働けることこそが本望です。」
私が何を言い返してもアメリアもヘルマンも頑として譲らない。
困ったな、二人の生真面目さがいきなり立ちはだかってきてしまった。ここで無理を通していきなり関係が悪化してしまうのは避けなければ。
私はひとまず彼らの想いを受け入れることにした。この先にかけてしまうであろう苦労を案じて長いため息をこぼす。
「……わかりました。もう無理に休めとは言いません。ですが私は貴方たちが私に仕えることで心身を害することはあってはならないと考えています。少しでも体調や気分がすぐれないときは報告すること。聖女の力をもって治療させてください。これでいいですね?」
すると二人は安心したように息をつき、力強く頷いた。
「聖女様の御手を煩わせることがないように、励みます!」
「聖女様の治療を受けられるなど、騎士の誉れです。身命を賭してお守りいたします。」
……やれやれ。
雇用契約とはいかなかったけれど、休息の代わりとなるように「治療」が出来るのなら一旦よしとしておこう。私達三人の問答に所在なげに肩を小さくしていた神官が窓を見る。どうやら現場は近いようだ。そこからさほど時間も経たないうちに、馬が小さく嘶き、馬車はゆっくりと動きを止めた。
◆◇◆
「聖女様、魔物が発生した現場はこちらでございます。」
馬車から降りると、目の前には広大な平原が広がっていた。ここは王都から西へ向かった城壁の先、そのはるか向こうには西の隣国であるヴェストファーレン連合が存在している。“大結界”は王国のみならず、魔物が隣国へ向かわないための防波堤的な役割もあり、それが両国の関係性の土台となっているのだった。
なるほど、確かにこの場所では問題を長引かせるべきではないのだろう。神官は柱のごとく天へと伸びる白い光を見回しては、大きく肩を落とす。
「小型の魔物が発生しているので大結界のどこかが綻んでいることには違いないのですが……我々ではどうにもわからないのです。聖女様、やはり中央より神官の一団を結成させ、結界建立の儀式の準備をした方がよろしいでしょうか?」
問題の原因が分からず消沈している神官に、アメリアが神妙な面持ちながらも優しく言葉をかける。
「そうですね…。聖女様、こういった場合は教会としても儀式をもって聖女様の御力を高め、結界をより強固にしていただくものと伝え聞いております。ここを守る騎士団に早馬を借りるべきかと……」
私は目の前の“大結界”を見た。聖女の魔力で作られた、超巨大な電気柵のようなもの──そう、頭で分析することは出来た。
しかし、それとはまったくの別次元で、結界の構造と、その不具合の箇所が、まるで頭に設計図を直接流し込まれたかのように“分かって”しまった。
何故分かるのか、問いを上げる暇もないまま、私の身体はまるでプログラムが自動で作動するかのように動き出していた。そっと綻びに手を伸ばす。絶えず循環しているはずの魔力が、この部分だけ薄くなっている。
薄いのはいけない、均一に強く、同じだけの出力にしなくては。
そう思った瞬間、口から『言葉』が自然に紡がれた。
その『言葉』を合図に身体の中に力──魔力が巡るのがわかる。その力が腕に流れ、白い光となって大結界へ注ぎ込まれる。
私には不思議と、この一連の動きに対してすべて確信があった。何かはわからないがとにかく“こう”するのだと、文字通り突き動かされるように結界へと向き合い、力を行使する。魔力を注いでから数分ののち、「これでよし」とでもいうように手を下ろす。
ほんの僅かの静寂を、アメリアの万雷の拍手がかき消した。
「素晴らしいです、聖女様!神官様ですら原因のわからなかった大結界のひずみをいとも簡単に修復されるなんて!!なぜひずみがその場所だとお分かりになったのですか?私達には、いつもどおりの大結界にしか見えていませんでしたのに。」
──え?
アメリアの言葉を一度反芻しなかったら、また自然に答えてしまっていたかもしれないという事実に気がついてしまった。
そう、私がもっとも避けるべき、改善すべき事象を、なんと自分が何食わぬ顔して起こしてしまっているではないか!
「ああああああ~~!!」
私は法衣が土につくなど考える間もなくがくりとその場に膝をついた。両手で頭を抱え、髪を掻き乱す。アメリアやヘルマンがすかさず駆け寄ってくる。
気が触れたとでも思われただろうか、いや、今は本当に気が触れてしまいそうなほどの悪夢に直面している。
(……なんてこった。何故分かったのか、どうやって直したのかが…『全く説明できない』!)
大結界の前に立った瞬間に、私はすべてを直感的に理解してしまったのだ。そしてその解決もまた、身体に刻まれた動きをただ反復したくらいの無意識さでいとも簡単になし得てしまった。なのにこの理屈を、言葉にすることがどうにも出来そうにないのだ。はいはいから二足歩行になった瞬間のことを説明できないように。
アメリアや神官、ヘルマンや周囲の騎士団からは歓声が上がっている。まさしく聖女の御業であると。無邪気な称賛は私の心に重い影を残す。これでは……だめだと。
私は、私自身が『最大のブラックボックス』であり『究極の属人化要因』であるという、致命的な課題に直面してしまった。興奮と喜びに沸く皆からの視線に、ひきつった笑顔で手を振り返しながら、私の頭の中は、新たな闘志が燃え上がっていた。
(──面白い、上等じゃない。)
この、私自身という、最も厄介で、最も難解な“聖女システム”を、完全に解体し、マニュアル化してみせる。
私の“聖女業務の完全手離れ実現隠居プロジェクト(仮)”は今、本当の意味で、その最初の、そして最大の“壁”にぶつかったのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ルツィアの初仕事と、プロジェクトメンバーである二人と出会う回でした。
次話では、いよいよ「業務分析」がはじまります。
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