第9話:現地検証、神官による治療(後編)
神官による“治療の神秘”の実演を受けた後、私たちは忘れないうちに帰りの馬車の中で情報共有をはじめた。その神官の継承元によって一部アレンジが加えられた術式ではあったが、効果としては問題なく発揮されていたものとして、私とテオフィルスは話を進めていく。
「主訴の疲労回復ってところには効いてたし、予想通り使われている魔力量は膨大だった。足されてた言葉は知らねえけど、それ以外の部分は読み合わせた単語が使われているとみて間違いないだろ。」
「そうね、術式に関しては同意見。でも言葉が足されていたせいか、なにかこう……普段『自動』で扱っている時とは違う、変な感覚があった気がするの。」
「あいつが言ってた『魔力の練り上げ追加』の影響か?その違和感と同じかは分からねえが、確かに本人の魔力は流れてたぜ。でも量は普通だ。俺の再現より少ないくらいじゃねえか?」
「そうなの?ざらっとするというか、異物感……混ざってないというか、とにかく変だった。」
「俺が変だと思ったのは多分そこじゃねえな。手ェ向けられたとき、本人の魔力の後にやたらすげえのが来ただろ?あれは魔法にはない。」
「ちょっと待って。……もしかしてお互い逆のところを“変”って言ってない?」
勢いのままに考えをぶつけ合っていたところを、一度立ち止まる。
どうやら、私が“神秘に加えられた手触り”を変だと言っていて、テオフィルスは“本人の魔力の後ろに続いた巨大な何か”を変と言っているようだった。
いったん呼吸を整え、話を整理する。一気呵成に話をしすぎているが、こういう意見交換は早いほうがいい。私は再び口を開く。
「私が変だと思っているのは、貴方の言うところの『本人の魔力』の部分ね。で、貴方の言う変はきっと『神秘』そのもの。私自身は、その“巨大な何か”というのは分からなかったもの。」
「だろうな。そうなると、その『神秘そのもの』ってのが桁違いの魔力量にあたる部分か。」
私は確信を持って頷いて返す。なぜなら、業務を通じて何度も自分の体を通してきている力だったからだ。しかし、これだけではまだ仮説の証明には足りない。
「そうだとしても、糧と燃料と、拝領だったか?その辺が残ってんだろ。ここを潰さない限り、あのすげえのが『信仰の力』とは絞り込めねえ。」
機能的であるはずの古代語でできた治療の神秘。その術式に、エネルギーを扱うと思しき語は3つある。仮に『信仰を力に』が神秘の力そのものを指すとしても、残りの語が不明なままだと可視化したとは言えない。しかしあの神官は何らかの語を足していたけれど、治療の神秘そのものは発動していた。その事実は私もテオフィルスも確認済みだ。
「そうなのよね。もしかしたら『糧』『燃料』を省いても術は成立するとか?うーん、聖典には書いてあったけど、書き写しの時点でノイズが発生してる可能性も捨てきれないし……」
「おいおい、そこを動かしちまったら何も話せなくなるだろ?神官だってその2つは言ってたし、ひとまず聖典は正ってことにしねえと──」
ぐう~~~。
議論が暗礁に乗り上げかけたところで、馬車内に腹の虫が響き渡った。音の発生源もまったく予想だにしていなかったのか、目を点にしている。大事な話をしているときに何を悠長なと、ここぞとばかりに反撃に出てやろうと構えたところで、なんと今度は私の腹からも盛大な音が鳴ってしまったではないか。
そんな馬鹿な。
互いの腹の虫に邪魔をされて議論が中断する。私はこの気まずい沈黙に耐えられず、侍女へ助けを求めた。
「あ、あはは……そういえば昼食を取ってから時間が経ってましたっけ?アメリアはお腹が空いていませんか?」
「え?いや、その……私はまだ大丈夫です!」
誠実にも少し考えてからなされた嘘偽りのない返答が、今の私には深く突き刺さった。普段ならどれだけ働いても滅多に空腹を覚えることなんてないのに、珍しいこともあるものだ。そう、普段ならこの自問自答で完全に流していただろう。だが今回は違った。
「でも、珍しいですね?ルツィア様はいつも城壁でお食事をいただく時、夕飯に障りがあるくらいの食事量が出てくるから、おかずを持ち帰りたいくらいだとおっしゃっているのに。」
私はアメリアの言葉にはっとした。そうだ、今日に限っては“腹が減るはずがない”のだと。
城壁の慰問および治療の業務では、訪問時間によっては昼食を共にする。その内容は完全に肉体労働である騎士向きのもので、私やアメリアのような女性が食べるにはボリュームが多すぎるのだ。しかし先方はもてなす立場であるから、ここぞとばかりに振る舞ってくる。私は前世からの貧乏性が祟ってか、どうしても断りきれずに食べすぎていたくらいだったのに。
治療者の数に大きな変動もなく、聖女の神秘の使用回数もいたって通常通りだった。普段と違う行いといえば──神官による治療の神秘を“受けた”こと。これしかない。
私は確認のためにヘルマンを見た。彼は黙って首を横に振っている。つまり、治療の神秘を受けた私とテオフィルスだけが“腹が減っている”。
「まさか、『糧』って」
「マジかよ……」
『糧』とは、治療対象のカロリー──体力なのではないか。少なくとも今回の一件だけを見るなら、そうとしか考えられない。アーネストの訳文に従うと『糧を燃料に活性を加速させ』であるから、すなわち。
『治療対象の持っている体力を使って自己治癒力を促進している。』
私とテオフィルスの声が重なった。思わぬ到達にテオフィルスが眉を顰める。その顔には「なぜ治療の術なのに、治療対象の体力を使うのか分からん」とはっきりと書かれている。私もその考え方に同感ではある。ではあるが、前世の記憶に新しい流行り病──特効薬のない病気との戦いは、確かに体力勝負だった。怪我を治すにしても栄養状態が良い方が回復は早い。私の前世の知識と照らし合わせれば、自己治癒力の促進に体力、つまりは体の栄養状態が影響することには納得がいく。
しかしそうはいっても、治癒力促進のための体力の消費が命そのものを削っていては意味がない。
私は、今ある材料で辿り着ける落とし所を考えながら喋り続ける。
「回復のために“先に”体力を使っているから、後からお腹が減って帳尻を合わせようとしている…とは考えられない?『信仰』は、その回復を作動させ続けたり、いきすぎないように制御する側に使われている、とか……。」
「……あー、火花を起こすのと燃やし続けるのは別の力でやってるってことか?」
首の後ろを擦り、いかにも収まりが悪いといった面持ちでいるものの、彼は彼なりに理解したようだ。私の説明に対して分かりやすい例えがすぐに出るところに、柔軟な知性を感じる。
「そう。火花を起こすのが『信仰』で、燃やし続ける燃料の方が『糧』ってイメージね。ただし治療の場合は、火花も起こし続けておく必要があるみたいだけど。」
「だとすると『練る』は魔力じゃなくて、『信仰』の調整をしてるってわけね。……全部埋まるけど、数が少なすぎんだよなあ。」
テオフィルスは乱雑に自分の髪を掻き毟っては納得しきれないのか、ぶつぶつと文句をこぼしている。もちろんサンプル数が恐ろしく少ないのは私だって分かっている。今行っている治療の神秘の研究を、学術論文として発表しようとするならば、絶対に槍玉に挙げられる箇所だろう。でも私たちは学問ではなく、仕事をしている。しかも穴を開けてはならない類の仕事を。
「その心配も分かるけど、今は先に進むしかないの。PDCA、じゃなかった。とにかく仮定、実行、振り返りをしてまた実行して……この繰り返しをしながら精度を上げていきましょう。」
長いため息をこぼし、テオフィルスはうなだれて渋々頷いた。研究者気質の者ならば耐えられないかもしれないが、今回は私がクライアントなのだから付き合うしかないことは理解したようだ。怒涛のように続いていた議論が一段落ついたのを見計らっていたのか、すかさずヘルマンが小さく手を上げ、手短に告げた。
「よろしいですか?報告します。──尾行されています。」
思わず大きな声で復唱したくなるところを、とっさに口を抑えて回避する。急に背筋に冷たい汗が流れ出す。ヘルマンが言うには、城壁を出てから、同じ馬車が一定の距離を保って後をつけてきているらしい。私の動向を気にしての尾行なら大司教の関係者だろうか?そう問いかけるより先にヘルマンがテオフィルスに問い質す。
「あの神官の関係者か?」
「カスパーか?あいつならやるかもな。ったく、いるならいるって言えっての──よっ」
猫背を起こし、面倒くさそうに答えるとテオフィルスは車窓から後方へ向けて身を乗り出した。その意図を察したのかヘルマンが揺れる車内の中でその足元が投げ出されないように支える。
「やっていい相手かぁ?」
風に煽られてローブのフードや髪の毛をバサバサと靡かせながら、テオフィルスがヘルマンに、まるで天気でも聞くかの調子でとんでもないことを尋ねる。しかしヘルマンも同様に、なんてこともない様子で躊躇なく的確な指示を出す。
「遠目だが、馬車だけ見れば王族や高位神官が公的に用いるものじゃない。馬の足元を狙って驚かす程度にしろ。」
「へいへーい。」
頭で理解するよりも早く状況が動いていることだけは分かる。私は無意識にアメリアと身を寄せ合って、ただただ荒事を見守るだけとなってしまっていた。そんな私たちの様子を知ってか知らずか、ヘルマンはいたって通常通りの表情、顔色で注意を促した。
「御二方、少し飛ばしますよ。舌を噛まないように注意してください。」
そして騎士が再びテオフィルスを見上げる。互いに視線で合図を送ったのか、小さく頷いて返す。
テオフィルスは右手を掲げ、まるで銃のように人差し指をピンと伸ばして構えた。片目を閉じて照準を合わせる。その爪先に、小さいながらも強く圧縮された魔力が集まっていく。その瞬間。
「──バァン!」
テオフィルスの声と同時に、後方で小さく爆ぜる音が上がった。馬の嘶きが響く。尾行の馬車の御者だろうか、慌てた声と馬の鳴き声が交互に聞こえながら、だんだんと遠ざかっていく。
「撒け。迂回して研究室に向かう。」
ヘルマンが御者に指示を出すと車体が大きく揺れ、背中へ少し重力がかかるのを感じた。いつもより忙しなく車輪が回り、馬の息遣いが早くなる。そしてヘルマンがテオフィルスを引っ張って車内へ下ろしてやると、二人とも何事もなかったかのように平然と座り直した。特に喜びも称賛もなく、もう視線すら交わさない。ただの静寂の中、ヘルマンは淡々と報告した。
「これでもう振り切れるでしょう。お騒がせしました。」
私は動揺が冷めやらぬまま、なんとか労いの言葉を絞り出すことができた。
この恐ろしいほどスムーズで鮮やかな作戦行動に、私はアメリアと目を白黒させながら呆然とお互いを見つめ合った。アメリアが私だけに聞こえるようにひそひそと呟く。
「あの、うまく言えないのですが……ヘルマン様がお味方でよかったです。」
「……本当に。」
祈るように組まれたアメリアの両手に上から手を添えながら、私は今日一番の深さで頷いた。
(ああ、物騒なところに転生しちゃったなあ……。)
私は、つい先日自らの手で同僚を思いっきり断罪した事実を棚に上げて、そう心の中でボヤいた。
かくして、神官の神秘を直接身に受けることで自分達の仮説をより強固なものにすることが出来た。しかし、それなりの代償も払った気がする。
秘密の書庫に、今回の追手。神秘の仕組みに一歩近づこうとするたびに、政治の火薬庫にも一歩近づいている──そんな実感だけが妙に鮮明だった。
とはいえ、こんなことで怯んでいる余裕はない。今までより十分な警戒を払って、突き進むだけだ。
私は数回の深呼吸で鼓動を落ち着かせる。そしてまた、神秘の謎へと思考を巡らせていった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ブレスト、神秘の謎にまた一歩迫る回でした。
次話では、この尾行撃退後の騎士ヘルマンの報告からスタートです。
面白かった方は、お気軽にリアクションやご感想、評価、ブクマ登録などいただけると励みになります。




