第8話:魔術師の証明と聖女の仮説(前編)
魔術師協会への訪問から3日後、契約通りにテオフィルス・アーカーマンは拠点をリヒター邸の近くへと移した。もともとの住民である家族には郊外に住居を買い与えたそうだ。なんでも魔術師協会の各派閥には貴族の出資者がついているらしく、研究成果次第で報奨金が出ることもあるとか。
かくして、無事に『神聖力行使業務』の可視化を本格的に進めていくための環境が整えられた。
あとはとにかく、動くだけだ。
私は業務の合間になんとか時間を工面して、その拠点へ通うことにした。
「──私です、入りますよ。」
そこは、かつて家族が暮らしていた気配はあるものの、生活道具はほとんど片付けられていた。代わりに、テオフィルスが魔術師協会から持ち出したであろう装置や灼符紙の束、符砂板が至るところに積まれている。あらゆる紙束が、まるで古い家の空間を乗っ取るように。空き家というより、“研究室へと変貌しつつある家”。その方が近い。
私は同行した二人とともに、床にまで広がりはじめた資料を避け、奥の打ち合わせスペースに向かった。階段が大きく軋む音とともに二階からテオフィルスが降りてきた。その髪は四方八方に寝癖をつけ、目の下にははっきりとしたクマが見える。だらしないが、いかにも研究者らしい出で立ちである。私はわざと呆れたようにため息をついてやる。
「……ちょっと。今日は打ち合わせだと言ってあったでしょう?研究を進めるのはいいけど、打ち合わせだって仕事のうちよ。」
「なんだよ、説教か?どうせあんた達以外来ねえんだから、身なりなんてどうでもいいだろ。」
それはそうだけれど。
毎度のことながら一切身分や権威に頓着しない彼の性分には、逆に感心すら覚える。打ち合わせに備えてか、彼が資料の山から必要そうな束をピックアップしている間に、私はあらかじめ今日の議題を書いておいた符砂板──魔力を利用した黒板のような筆記板──を机に置く。
「個々の術式研究に入りたい気持ちは山々だけど、まずは聖女業務のうち、どこまでが一般的な術式に翻訳可能かを明らかにしておきたくて。」
席に着いたテオフィルスに、符砂板に列挙した聖女の『神聖力行使業務』一覧を見せた。
程度の大小はあれど、大きく分ければ治療、解呪、結界維持、討伐の4種類。そのうち、今参照できる『聖典』に記載があり、“神官でも行える神秘の術”は、結界維持と討伐を除いた2種類。しかし、討伐はもちろん、結界維持についても古代語の解読と術式の解明さえできれば標準化を目指せるのではないかと、私は考えている。
私の意見を聞いている間、テオフィルスは板へ視線を落とし、思考の世界へ沈んだ。次第にぶつぶつと独り言を始めた。研究者が思考時間に入ったのであれば邪魔にならないようにと、私は同行しているアメリアとヘルマンの方を向いた。
「神官が使う治療の神秘は王宮警備隊の詰め所へ行けば見られるとして──解呪と魔物討伐に使う神官の神秘も見ておきたいんだけど、その機会はありそうですか?」
そう尋ねるとヘルマンは、少しの間を置いてから頷いた。
「ルツィア様の援護を必要とする討伐任務は発生しない方がいいですし、護衛としてはわざわざ危険地帯に赴いてほしくはないのですが……騎士団が結界外で行う哨戒や、実践訓練に同行していただくという手はあります。」
実にヘルマンらしい答え方だ。手段があること自体は隠さずに教えてくれる実直さが、私にはありがたい。続いてアメリアを見る。彼女の方は静かに首を横に振った。
「解呪の神秘は、治療の神秘よりも高位の神官様が行っているそうです。なので、接触を図れば大司教様に知られてしまう恐れがありますね……。神官様が神秘の術で魔物を退治することも、絶対ないとは言い切れませんけど、私は聞いたことがありません。」
──大司教。その名前に一瞬身が竦む。
「もしかしたら解呪と同等か、それ以上の位の神官しか知らないことなのかもしれませんね。あの書庫を調べればそういった書物も見つかるでしょうが……まあ、今は出来ることから進めましょう。」
大司教バルドゥインとは──あの隠し書庫で鉢合わせて以来、定例会議でしか顔を合わせていない。日々の業務の中で大司教と共同で行うものがないからではあるが、必要がないなら会いたくない相手ではある。ましてや探りを入れていることが伝わるなんてもってのほかだ。手が届くはずの場所にある情報を手に入れられないのは歯がゆいが、今はまだその時ではないのだろう。私たちが話している間に思考時間が終わったのか、テオフィルスが口を開いた。
「解呪なら解呪屋の魔術師がいるだろ。でも、その術の仕組みが教会の神秘と同じかどうかを奴らが知ってるかどうかは──研究成果物を当たるか、吐かせるしかないだろうな。」
「研究成果を生業としているならば、それをやすやすと話してくれるはずはないか……あの魔術師協会の人なら、なおさら交渉は難しそうね。──で?なにか分かったの?」
私が話を本題に戻すと、意外にも彼はすぐに頷いた。この短い時間に解決の糸口を掴んだのか、その灰色の瞳には一切の誤魔化しはなく、明確な方向性を持っているように映った。
「解呪は、解呪屋に吐かせる以外にも呪いをかける方を専門にしてる派閥もある。そっちを当たって調べるのもアリだ。それに解呪や治療を魔法で実現しようとして失敗してる研究だって過去にあったはずだ、魔術師ってのは分からないことが大嫌いな生き物だからな。──でも、結界については何にも分からねえ。教会は、結界には王宮付きの魔術師さえ近寄らせないって聞いたことあるぜ。実際のところどうなんだ、騎士さんよ。」
そう吐き捨てるように言ったテオフィルスが、忌々しげに王宮所属であるヘルマンを睨みつける。
まったく口が悪いったらありゃしない。私の護衛騎士は生意気な若造にいちいち腹を立てたりはしないのだが、返す視線には、私やアメリアには決して向けない険しさがある。ヘルマンはテオフィルスを一瞥し、私の方へ向き直って答えた。
「……結界周辺の警備には必ず神官が配置されます。実際にこの目で見たことはありませんが、事実かと。結界監視の任務も騎士か神官が担当していますし、魔物討伐の際も魔術師は常に後衛で、騎士より結界に近付くことはありません。」
「ありがとう、ヘルマン。……そうなると、いつかは私の業務にテオフィルスを連れていくしかないってことね。この、無礼が服着て歩いているような男を。」
ふふっとアメリアから笑い声が漏れた。おっと、つい口が滑ってしまった。
「声に出してんじゃねえ。」
テオフィルスからのツッコミは一旦無視をする。
実際のところ、これは相当大きな問題だった。このいかにも魔術師らしい風体で、態度も口も悪い男を、協会関係者もしくはホーエンフェルス家関係者に仕立てあげなければいけない。魔術師に結界維持の秘術を見せたということがバレてしまえば、大司教はおろか教会全体のタブーに触れることになるからだ。知らなかったという体で私は許されるかもしれないが、テオフィルスはまちがいなく捕まるだろう。
いやしかし、イルムガルト先生に徹底的な躾を頼めばあるいは……?と、一縷の望みを賭けてアメリアの表情を窺い見る。すると、彼女は私の言わんとすることを察知したのか、両掌を上げておさげが揺れるほどに首を横に振った。
「無理です、絶対に無理ですよ!この人のマナーは一朝一夕で直りそうもありませんし、そもそもイルムガルト様にお会いいただける状態ですらないですから!!」
「そうですね……さすがの母でも槍を持ち出しかねません。私からも勧められません。」
ですよねぇ……と、私は肩を竦める。この反応を見て、私は近いうちにまたメッツガー精肉店にでも行って、二人の心労をねぎらう必要性をにわかに感じてきた。彼らの世界には絶対にいなかったであろう人種とこうも顔を合わせて仕事をしなくてはいけないのは、きっと大きなストレスだろうから。
当の本人は、このやり取りを仏頂面で聞いていた。口を挟まなかったのは自覚があるからだろう。変に否定をして話をややこしくしなかったことは褒めてやってもいいが、やめておく。
「──と、いうわけだから。結界の神秘に手を付けるときまでに、少しは敬語や振る舞い方を身につけておいて。私は成果さえ出してくれれば貴方の態度は気にしないけど、他の人間はそうはいかないからね。いくら聖女といえど、守り切れないかもしれない。」
真剣な声色で注意をしてから、私は今までの打ち合わせ内容を元に符砂板にチェックを入れていく。現時点ですぐに着手が可能、かつ低リスクな『神聖力行使業務』は──治療。術式そのものの種類はあるかもしれないが、手持ちの聖典に古代語の記述もあるし、実演を見るのにも結界に近付く必要まではない。そして私の古代語翻訳作業が最も進んでいるのも、治療についてだった。私は書き加えの済んだ板をテオフィルスに見せてから議論をまとめる。
「それでは、まずは治療の神秘について解明を進めましょう。近いうちに神官の治療の実演をもう一度確認する必要が出てきます。ヘルマンは出来るだけ騎士団に関係の深い、治療の神秘を行える神官を探してみてください。アメリアも、大司教や保守的な層とは距離がありそうな方を探してみて。テオフィルスは、魔術師協会で治療の神秘もしくは魔法として研究された痕跡を探して、あれば再現を進めてください。私は──今の訳文が正しいかアーネスト卿に確認して、聖典掲載分の翻訳を完成させます。」
私の号令に、アメリアとヘルマンからはすぐに応答があった。だがテオフィルスは何か思うところがあるのか、返事をしなかった。何か問題があるのかと聞き直せば、リヒター邸の方角に顎を向ける。
「俺がやること自体は異論も問題もない。でも、古代語の訳文確認は一回で済ませられるようにしてやってくれ。……あいつの時間は、そんな簡単に借りていいものじゃないだろ。」
テオフィルスは、今までの反抗的な態度とは打って変わって神妙な面持ちだった。テオフィルスもアーネスト──リヒター家の合理的ながらも非常な仕組みを知っていたのか。彼の表情に初めて陰が浮かぶ。私はアメリアやヘルマンがその話題に触れる前に、しっかりと頷く。頭では理解していても改善を焦る気持ちがあったのだろう、私はテオフィルスの言葉でアーネストのあの物悲しげな微笑みを思い出し、胸の痛みを誤魔化すため机の下で聖衣をぎゅっと掴んだ。
「──分かりました、私の方でほぼ仕上げてから確認に行くことを守ります。では他に質問や確認がなければ打ち合わせは終わりましょう。次はそれぞれ成果を持ち寄って話せるようにね。」
終了の合図と同時に椅子の軋む音が鳴る。早速魔術師が席を立ち、協会標準のローブを身に纏う。すぐ協会に行くから乗せてくれとせがまれたので、仕方なく運んでやることにした。その車内の空気といったら、初めてアメリアとヘルマンと顔を合わせた時ですら感じたことのない緊張感に満ち、私は今すぐにでも精肉店に馬車を向けてしまいたい衝動に駆られたのだった。
◇◆◇
前回の打ち合わせから一定の準備期間を置いて、私は再びテオフィルスの住居へ向かった。今日はヘルマン、アメリアともにヒアリングに出てもらっている。私は急ぎの『神聖力行使業務』だけ処理してから、一人で訪れた。国王陛下への謁見以降は、ホーエンフェルス家から御者を付けてもらったので、セキュリティの面でも安心だ。
時間の経過と共に、研究室化が進むほど混沌が極まってきているその部屋をかき分けて、私は机の上に書類を広げる。翻訳を記した符砂板と、聖典と──リヒター家から借り受けた古代語の辞典だ。テオフィルスが降りてくるのを待つ間に、私は『聖女の治療の神秘』を小声で確認する。普段は無意識に『実行』されてしまうので自分がなんと口にしていたのかは記憶にないが、古代語辞典の単語を読み上げては、それと思しき単語にチェックを入れていく。
研究をはじめて分かったことだが、聖女特有の神秘の術は“空打ち”ができない。なんとも地道な作業だが、術の対象がいない時間はこれしかやりようがなかった。ICレコーダーでもあったらいいのにと、前世の記憶が舌打ちをする。
ほどなくしてテオフィルスが資料を手に降りてきた。先日よりも目の下のクマを濃くしているが、その表情はどこか愉しげに見えた。どうやら成果はあったようだ。机の上に広げられた灼符紙からは、筆記直後のような焦げ臭さが漂っている。
「先行研究、ギリギリのところで見つかったぜ。協会の記録と派閥の伝手を片っ端から当たって、研究者とっつかまえて焼き付け直させた。」
テオフィルスによれば、治療の神秘の再現を試みた研究はいくつか見つかったが、そのうちの一つが決定的に似ていたそうだ。
魔術師が好んで使う灼符紙は、筆記した人間以外の魔力が通ると燃えてしまう性質を持つ。私の感覚ではそんな性質は研究に不向きだとしか思えないが、魔術師の理屈としては『本当に必要とされる研究ならば本人によって繰り返し書き直されるから焼失しない』らしい。つまりテオフィルスは焼失寸前のところで資料と研究者本人を見つけて、筆記者本人の魔力を通して焼き付け直させたということになる。さすが、研究にかける執念というべき行動力だ。
「それは意外ね。魔術師って、てっきり自分の研究が他人に渡るくらいなら燃やしちゃうかと思った。」
「もちろんそういう奴もいる。でもこれは失敗してるしパトロンも付いてない研究だ。だから、もうどうでもよかったんだろ。」
私の率直な感想にテオフィルスは得意げに唇の端を上げる。ページをめくり、まるで自分の研究だったかのように流暢に研究レポートを読み上げはじめた。
「──『かつて私が王宮所属の魔術師をしていた頃に一度だけ受けた治療の神秘。その不可解さに取り憑かれ、夜も眠れなくなった私は職を辞し、治療の神秘の再現実験を行うことに決めた。』……大分イカれてるだろ、こいつも。」
相変わらずの口の悪さで、テオフィルスは続ける。
「『治療の神秘を受けた傷口は、はじめのうちは痛みが広がったが次第に傷口が塞がれていった。患部周辺の血が巡ると血溜まりが固まり、その次の段階では傷口を埋めるための皮膚が再生され、盛り上がっていった。その現象の一部始終が起きている間、神官は掌を私の患部へ向けていた。以上の実体験に基づき調査、研究を進める。』──で、こっから色々仮説立てて実験してるんだけどよ。最終的に“人体の再生能力促進”なんじゃないかって推定になってる。」
“人体の再生能力促進”──そのフレーズに心当たりのあった私は、すぐさま聖典の該当ページと、治療の神秘の訳文を記した符砂板を指し示す。
「再生能力促進、細胞賦活だとすると──ここ!『活性』『巡らせる』『加速』!」
先行研究者の推定は、なんと古代語の連なりの上に記した訳文と一致していたのだ。まるで、異なる時代の研究者が、同じ式を別の言語で書いていたようだった。
その訳文をすかさず自分の板へ書き写すテオフィルスが、矢継ぎ早にその他の単語の意味を尋ねる。『信仰を力に』『拝領』『練る』──ここまではアーネストが訳してくれた単語だ。『燃料』『糧』──この二語は、私が自力で訳したものとを順に回答する。残りの語群は、発声と語句と結びつけられず翻訳が進んでいない。コツコツと板を小突く音に顔を上げると、テオフィルスが真剣な面持ちで訳文──術式の領域に踏み込んでいるのだろうか、視線は板に落ちたまま、焦点は結ばれていない。
もしかしたら、先行研究の知見と合わせれば不完全な訳でも再現が可能なのだろうか。私は期待を込めて、彼の中の処理が終わるのをじっと待った。
数分ののち、灰色の瞳に現実が戻った。おもむろに自分の手指を観察してから、右手を左手の親指にかざし、瞼を閉じる。私はテオフィルスの掌に“力”が集まるのを感じた。魔法を使用しているのだろうか。しかし本人はまだ試行錯誤の途中らしく、眉間に皺を寄せ、同じ動作を微妙に変えながら繰り返す。私の感覚では確かに“力”の発生は認められるが、対象となっている指──大きめにささくれて赤い皮膚が覗いた箇所には、何も起きていない。ああでもないこうでもないと煩悶しながらテストを繰り返す姿に、私は“神秘”と“魔法”がなぜ別物として扱われているのかを徐々に理解していった。
(……神秘は古代語を必要とするけど、魔法の発動は必ずしも発声は必要ないのか。だとすれば、見た目だけじゃなくて、学び方も全然違う体系になっていて当然かもしれない。)
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。テオフィルスは何かを掴んだのか、掌に淡い光が浮かぶ。淡い光を出しては消し、出力を刻んでいる。魔術師というのは、こんな長時間にわたって集中力を維持できるものなのか──まるでゾーンにでも入っているかのように鬼気迫る表情、その額に汗が滲む。瞬間、光が一段強くなり、弾けるように両手が離れた。
「いってぇ!!──くそっ、やりすぎたか。」
最初はただのささくれだった指から血が流れているではないか。私が声をかけようと息を吸ったその瞬間に鋭い視線に制される。『手を出すな、黙ってろ』と怒鳴られた心地がした。私は言葉を飲み込み、やり場のない衝動を込めて両の手を組んだ。成功を願う気持ちと身を案ずる気持ちが綯い交ぜになればなるほどに握る力が強まっていく。
傷が更に大きくなる動きがあれば止めるべきなのか?今目の前で起きていることは術者の命に関わるような事態なのか?苦痛に歪む顔をただ見守るほかない時間が過ぎ、ようやく光が止んだ。患部を見れば、時間経過によって血は止まっているが、傷口はまだそのままだった。テオフィルスが、呼吸を整えてから口を開いた。
「──出来た。よく見とけ。」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
先行研究を元に、治療の神秘の再現実験をする回でした。
次話では、実験の結果がわかります。
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