不穏な兆候
大統領は、関税の効果を確認するため、街のパン屋を視察に訪れることにしました。店先には、以前よりも心なしか活気があるように見えます。
「ありがとう。これで店のパンが売れますよ」
A国のパン屋のおやじが、深々と頭を下げた。その喜ぶ顔を見て、大統領はここちよい満足感を覚えた。
(ふむ、やはり関税は効果があったようだな。やはりわしのやること
はすべて正しいのだ!!)
パンを選び終え、店を出ようとしたその時、近くの親子連れの会話が耳に入った。
「ちぇっ、A国のパンはいまいち美味しくないからねぇ~。あー、J国のパンが食べたいなぁ…あのふわふわの食感と、口いっぱいに広がる香りが忘れられないんだよなぁ~」
「我慢しなさい! 高くなったんだから、そう簡単に買えるものじゃないのよ」
そのやり取りに大統領は思わず眉をひそめた。
(まあ、そういう子供もいるかもな……)
特に気にしないように大統領は店を後にしました。
※
その日の夕食は、毎週楽しみにしていた近所の寿司屋の出前を取る予定でした。しかし、秘書からの電話で衝撃の事実を知らされました。
「大変申し訳ございません、大統領。いつもの寿司屋ですが、先月いっぱいで店を閉めてしまったそうです」
「なんだと!? あの老舗が……一体なぜだ?」
「J国からの新鮮な魚介の仕入れ値が高騰し、経営が立ち行かなくなったとのことです」
大統領は電話を切り、苦虫を噛み潰したような顔をしました。まさか、自分の政策が、ささやかな楽しみさえも奪ってしまうとは。今夜は官邸の料理人に別の食事を用意させるしかない。
(まさか、こんなことになるとは……まあ、致し方がないな……)
自室のソファに深く腰掛け、大統領は小さくため息をついきました。
※
翌日、公用車での移動中、予期せぬ出来事が起こりました。
「ききーっ!」
突然の急ブレーキに、後部座席の大統領は前のめりになりました。
「なにをしている、危ないじゃないか!」
大統領が声を荒げると、運転手は青ざめた顔で振り返えりました。
「も、申し訳ございません、大統領。A国の自動車は、少々ブレーキの加減が難しくって……以前のJ国製の車に慣れておりまして。」
「J国製…? そういえば、最近新しい公用車に買い替えたな。経費削減のためだと聞いたが」
「はい。A国製のほうが、維持費が抑えられるとのことで…」
大統領は、諦めたように深くため息をつきました。安全に関わる部分で、品質が劣るものを選ばざるを得ないとは。
(これも、J国からの輸入品に頼っていたツケなのか……)
窓の外に広がる灰色の空を眺めながら、大統領は言葉にならない苛立ちと虚しさを感じました。自分の決めた政策が、少しずつ、しかし確実に、自身の生活の質を低下させている。その事実に、彼は複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。