ラーニャ・サンメトリとベリエル・エスタニエス
ラーニャ・サンメトリはメノト村の農家の子として生まれた。幼い頃から愛嬌が良く、恵まれた美貌で周囲の村民からも一目置かれる存在だった。
それ故か、両親からも酷く愛されていた。
昼は村の学校に通い、夕方は母の手伝いに励む優しい子供だった。
母は幼くまだ、いぎたない娘に毛布をかける。
この子なら良い所に嫁いで、私たちの生活も楽にしてくれる。
両親の期待を一身に背負って彼女は育った。
蝶よ花よと育てられたラーニゃは、誰もが美しい女性になるだろうと言う容姿を保ったまま、十四歳になった。その頃、彼女は初めての恋を知る。何人かの同級生と会話しながらも、目線は彼の事を追う。たまらない気持ちになり、その思いをラーニャは母に話した。
「お母さん、最近、気になっている人が出来て……」
「誰なの?」
「村長の息子のアーベルト」
「やったじゃない、彼に好きって伝えるのよ」
「好きなのかどうかは、まだ分からないけど」
「あなたはそのままでいいわ。彼の方が絶対、夢中になるから」母はラーニャを優しく抱きしめる。「あなたの幸せは約束されたも同然なんだから」
絶対的だった母親から、そう言われたラーニャは小さく頷き抱きしめ返す。
十五になった彼女にアーベルトが話しかけてきた。
「なぁ、ラーニャ」
「な、何?」
「今日の夕方、時間ある?」
「う、うん。あるけど」
「学校の倉庫に来て欲しいんだ」
「……わかった。いいよ」
彼の誘いにラーニャは心躍った。その頃、もうすでに友達の何人かは婚姻関係が出来ていて、ラーニャも内心焦ってはいた。日頃から目で追っているアーベルトの瞳は、ラーニャには澄んで見えた。
初恋が実るほど幸せなことは無い。そう彼女の頭は恋に浸っていた。
夕方、授業が終わり、ラーニャは教室の皆が帰った後に学校の倉庫に向かった。
村の掟で婚前交渉は出来ないものの、彼には全て捧げても構わないと彼女は思っていた。
撥ねる心臓を押さえ、ラーニャは倉庫の扉を開ける。
「アーベルト、来たよ」
だが声は返ってこない。ラーニャは扉を閉め薄暗い庫内で待った。すぐに扉が開かれる。
「アーベル、ト……」
扉の向こうには、アーベルトと共に村の悪ガキどもが顔を覗かせる。想像していた景色との違いに、ラーニャは驚きの表情を隠せない。アーベルトは普段見せないげ嗜虐的な笑みを浮かべていた。扉を開き、アーベルトを含めた五人の男が雪崩れ込んでくる。
「何なのっ!」
「おい、ラーニャ、お前アーベルトの事が好きなんだな?」
「い、いやっ!」
「大人しくしやがれ!」
ラーニャは顔を殴られ、尻もちをつく。そして頬を押さえ涙を流した。
「どうしたのアーベルト! 何なのこれ!!」
「静かにさせろっ! おいっ!」
主犯格の男が、他の男に指示をする。そのうちの一人が、布を持ってラーニャに近づく。抵抗はしたものの男の力に敵わなかった。布を猿轡のように噛まされ、手も後ろで縛られた。彼女は足で最後の抵抗をするも、難なく他の男子生徒に両側から押さえられた。
「ブリケニーのようにしてやる」
主犯格の男から出た名前にラーニャは瞠目した。
ブリケニーは数日前から学校に姿を見せていない。
倉庫の扉が閉ざされる。ラーニャは観念して目を閉じ、心と体に傷を負い、ただただ涙を流した。
力で押さえつけられたラーニャは、夕張が閉じるまで五人の男に凌辱され続けた。
「今日も昼からベリエル・エスタニエスと面会をする」
「またですか、所長も物好きですよね。今日は補佐官も付いていくそうです」
マサンザの中央監獄の奥深く。特別棟の地下二階。そこにベリエルは収容されていた。
所長のカロスト・コールは定期的にベリエルと面会を行っていた。補佐官と共に特別棟へと入っていく。そこには精神に異常を来している大量殺人鬼などといった凶悪犯罪者が収監されている。壁の両サイドが監獄で、たまに手を伸ばして看守を襲おうとする者がいる。そのため線で仕切られた通路の中央を歩いて、突き当りの鉄扉を開ける。そうやって地下二階まで行き、三つ目のカギを開けて、初めてベリエルがいる独居房に辿り着く。
ベリエルはラネル族の一人で、身長は二メートルを超え隆とした体つきをしていた。殺害された人間も三桁はいっているとの話が巷では流れている。褐色の肌、伸びた銀髪。猛獣を人にしたら、という表現が風貌からもしっくりくる。独居房に入れられる凶悪犯罪者は手枷をかけたままだが、彼は着けていない。あらゆる枷を試したが有効なものが無かったのだ。
そのベリエルは鉄格子が隔てる狭い独居房で筋力トレーニングをしている。
「今日も精が出るな、ベリエル」
カロストはベリエルに声をかけるが、彼は片足スクワットを止めない。
「おい、鍛錬を止めないか!」
補佐官が怒鳴るも、彼は片足スクワットを続けながら答える。
「今、止めると意味が無いんだ。適正回数というものがある。筋肉に、これ以上無理だ、という回数の更に上を目指さないと、トレーニングが逆効果になってしまう」
独居房の向かいにある木製の椅子に腰かけたカロストは、ポケットから取り出した煙草に火をつける。
「所長! こんなところで煙草なんか吸ったら……」
隣の独居房から勢いよく手が伸びてきた。そして、よこせ! と怒鳴り散らす。彼に触れるか触れないかまで伸びてきた異様に長い手に、カロストは煙をかける。
「アンデベルグ・ベルドは、もうお前に興味は無いみたいだぞ。ラネル族から刺客が来なくなった。それなのに、まだトレーニングする必要があるのか?」
ベリエルの片足スクワットが一瞬止まるが、彼は無言で続ける。
「お前が大切にしてきた仲間が見限ったのだ。お前はもう自由なのだ。束縛されるのは嫌だろう」
そう言って、右手の甲を指で叩く。ベリエルの右手甲にはラネル族の紋章が彫られていた。
「……もう束縛されている」
「はは、それもそうだ。ところで前に言っていた話は考えてくれたか?」
「仲間になれ、という話か?」
「ああ、そうだ」
「考えていない」
カロストはベリエルに完全に魅了されていた。この獰猛で美しい獣を何とか手懐けたいと、あの手この手で勧誘を続けている。
「考えるだけでいい。自由になる切符を発行できるのは私だけだ。また来る」
そう言って立ち上がったカロストは、銜えていた煙草を長い手に渡して椅子を元に戻した。