初めての武道
「刈り入れも終わったし、これからしばらく農作業は暇になるぞ」
朝食が終わって、ジェムは農耕具の手入れをしながら言う。
「本当? それならちょっと出かけて良い?」
「ああ、いつも手伝ってくれているからな。羽を伸ばしてくるといい」
「じゃあ、ちょっとマサンザまで行ってくる」
「は、はぁ? マサンザって……」
ライカ―ルは風を残して、すでに走り出していた。
「……冗談を言う歳になったのかの」
ライカ―ルは快足を生かし、昼前にはマサンザの街に着いた。そこは交易都市で、商人や農民、剣を帯刀しているものまで多種多様な人で溢れかえっていた。ライカ―ルはその街並みを物珍しそうな表情で歩く。街並みはルマリノの村よりも頑丈そうな建物が多いが、ライトノベルに出てくるような中世ヨーロッパよりは、まだ文明が低いように感じられた。ただ窓ガラスはある。
「すいません、カロエ道場ってどこにあるのでしょうか?」
道行く人を捕まえてライカ―ルは尋ねる。
「カロエ道場? 入門希望者かい?」壮年の男性は反問してきた。
ライカ―ルは頷く。
「カロエ道場は、この東通りを真っすぐ街の中央に向かって歩いて左側にある。あそこの稽古は厳しいから覚悟しろよ」
「はあ……」
厳しいのか。でも今まで走り込んで鍛えた体がある。
謎の自信に満ち溢れていたライカ―ルは、左側を意識して東通りを進む。
「よう、そこの兄ちゃん、腕自慢していかないか?」ガタイの良い中年の男性に呼び止められる。「このタスワラの石を割ることが出来たら、五万ルコラをやろう。参加費は三百ルコラだ」
それは石というより岩だった。高さ一メートル五十センチほど。ライカ―ルより少し低い。
ライカ―ルは財布を覗いた。たしか昼飯代を含めて三千ルコラ程度を持っていたはずだ。余計な出費は控えたいが、五万ルコラはおいしい。
「やってみます!」
数舜迷ったものの、参加する事にした。
「毎度あり。使う武器は好きな物を選んでいいぞ」
剣や斧、槌といった武器が雑に置かれている。ライカ―ルは一番可能性のありそうな槌を選んだ。手に取ってみると、確かな重量感はあったが振れない事は無さそうだった。
「ちょっと素振りしても?」
「おう、いいぞ!」
何度か槌を振り回し、軽くコツを掴んだライカ―ルは「では、いきます」と一声かけて、タスワラの石の前に立った。
大丈夫、僕は強い。
確信を持って降り下ろした槌は、大きな音を立ててタスワラの石に当たる。手ごたえはあったような感じはしたものの派手な音を響かせただけで、タスワラの石は無傷だった。
「兄ちゃん、良い感じだったけど、割るまではいかなかったな」
おかしい。僕には力があり、金属の槌で岩を叩いたのにビクともしない……。
カラクリが分かるまで手は出せないと思い、次の挑戦は断った。一食分損したライカ―ルに群衆の中にいた一人の男性が話しかけてきた。
「良い感じだったのにな。あの岩には金属が含まれていて、とても硬い。あの人はそれを知っていて力自慢にそれを吹っかけている。また一つ勉強になったな」
なーんだ。
タネを聞かされたライカ―ルは、これ以上関わるのを止めてカロエ道場を探した。道なりに進むと、やがてカロエ道場が見つかる。鳥居のように組まれた門に古めかしい木製の看板がかけられ、ちょっとした広場になっている。そこには数人の大人に混じって三人の若者が一心不乱に拳の稽古をしていた。その中にフィノナの姿を見つけた。近づいてくるライカ―ルに気づいた彼女は手を止め、飛び跳ねながら手を振った。
「やあ! フィノナ、来たよ」
手を振り返し、ライカ―ルはその群衆に近づいた。
「来たのねライカ―ル、待ってたわよ」
「ようやく畑仕事が終わって暇が出来たから参加しに来た」フィノナが手を出してきたので、ライカ―ルは握手する。「結構人がいるんだね」
「ええ、言ったでしょ。有名だって」
「おかげですぐに見つかったよ」
「ちょっと待って、師範を紹介するわ」
フィノナは、そのまま手を引っ張り、奥にいた老人の元へと向かった。
「ルマリノからここまでどのくらいで来た?」
「朝、日が登って出発して、今着いたよ」
「やっぱり速いのね! 師範、この人がこの前言っていたライカ―ルよ」
紹介されたその老人は白髪を束ね、ライカ―ルよりも一回り小さい体躯をしていた。
「初めまして、ライカ―ル・ハムラスと言います」
「うむ、良い体をしているな」その老人はライカ―ルの身体を品定めしているようだった。「パザウッド・カロエだ。そこのフィノナの祖父でもある」
「何てお呼びすれば」
「一応、周りからは先生、師範と呼ばれている。好きに呼んで良い」
そう言ってライカ―ルはパザウッドと握手した。
「では師範、今日はよろしくお願いします」
パザウッドは笑顔で応対してくれた。
「よし、では早速だが乱取りして素質を見るか。ファルナブル、相手してみてくれ」
ファルナブルと呼ばれた弟子の一人が動きを止める。長めの髪に上半身裸で、体にはいくつもの傷がある。身体はしっかりと汗を掻き、準備は万端と言ったところだった。
「分かりました」ファルナブルの低い声が響く。
「ちょっと待ってください師範!」弟子たちのうち一人が手を上げて声を上げる。「ファルナブル師範代が出るまでもありません。私が相手します!」
若者のうちの一人、アルト・アニールが前に出てくる。短く刈った黒い髪で、体格はライカ―ルと同等だった。
パザウッドは半眼で顎を掻きながら言う。
「ゆめゆめ油断するでないぞ」
「大丈夫です!」
ライカ―ルは、いきなりの組み手で面食らっていた。
こういう時、どうすれば良いんだろう。初めての相手だ。何をしてくるか分からない……。
「いつでもかかってきていいぞ」
アルトは自信たっぷりに言い、指でライカ―ルの攻撃を誘う。
先に攻撃していいって事か。ようし……。
二人の距離は三十メートルほど。足元は石畳で、しっかりしている。ライカ―ルはしゃがみ込んだ。
「どうした、もう始まっているぞ」
クラウチングスタートだった。だがこの世界では見たことがない構えだったのだろう。腹筋と下半身の筋肉を爆発させ、発火するかのような勢いでライカ―ルは弾けた。
一瞬だった。
三十メートルもの距離を秒で縮めたライカ―ルはそのままの勢いでタックルをした。
パザウッドやファルナブル、その他の生徒は瞠目する。
十数メートル吹き飛んだ二人。アルトは背中から落ち、ライカ―ルはタックルをしたものの次にどうすれば良いのか分からず、アルトを抱え込んだままになっている。土埃の中、腹部に衝撃を受け、背中を強打したアルトは力なく気絶していた。
「アルト!」フィノナが慌てて駆け寄る。
やべ……。
抱え込み、力なく気絶するアルトを見下ろす。他の生徒からもどよめきが上がった。
ファルナブルはパザウッドと目を合わせ頷く。
「次は俺が相手になろう」
ファルナブルの低い声が唸る。生徒が道を開けた。
その佇まいは周りの生徒とは雰囲気から違っていた。
攻撃の仕方が分からない……。でも同じ事をするしか、今の僕には出来ない。
またしても三十メートルほどの距離を開け、ファルナブルと対峙する。ファルナブルは力を抜いた状態でゆっくりと両手を前に出し構える。師範代の戦いを見られるとあってか、周りの生徒の中に固唾を飲み込む音が聞こえる。
「行きます!」
ライカ―ルは再びクラウチングスタートの構えを採った。
そして再び発火するような勢いで飛び出したライカ―ルは、日頃走っている事で養った動体視力で彼の動きを見ていた。一瞬でファルナブルに肉薄する。再び同じように腰を捉えられる。そう確信したライカ―ルだったが、掴む瞬間ファルナブルの腰は消えていた。そして地面と空が交互に流れる。ライカ―ルはしゃがみ込んだファルナブルに躓き、宙を舞っていた。そのままの勢いで今度は自分一人だけが二十メートルほど飛び、激しい音を立てて隣の建物の壁に突き当たる。
なっ……!
頭部と背中に強烈な痛みを感じた。その衝撃に呼吸が出来ない。
「武道家に同じ手は通用しない」
立ち上がったファルナブルが、ゆっくりとライカ―ルに近づいてくる。
「そこまでだ」
パザウッドは中止を宣言した。ファルナブルは直立し礼をする。
「その足腰、スピード。驚嘆に値する。これは飛びっ切りの原石、掘り出し物かもしれん」
パザウッドは顎を摩りながら笑みを隠せない。
「ええ、構えてはいたのですが、感覚で追えるギリギリの速度でした」
漸く呼吸が整い始めてきたライカ―ルは視界の端にファルナブルを捉え思う。
はは……、これが武道……。