十年
「大丈夫ですか?」
「よく……も……」
「え?」
「よくも、我が玩具を!」
アバスタスは憤怒の表情で立ち上がった。色白の美貌に青筋が走る。
「一体、何を……」
喀血していたアバスタスの口から黒い霧のようなものが漂い始める。その霧はランザを襲い始めた。咄嗟にランザは変身し距離を開ける。
玩具? 何を言っているんだ?
アリスタの頭は混迷を極めた。その霧は、アリスタを包もうとしていた。
この霧は何かヤバい!
咄嗟に後ろに飛び退り、その霧を回避する。
アリスタはナフラックたちに指示を飛ばした。「皆も下がって!」その指示を受け、彼らは門に向かって逃げていく。ただゼルトだけは巾着から小瓶に入った砂を取り出した。
「アリスタ様、閃光です!!」
「ランザ殿、目を瞑って!」
とっさにランザは目を隠した。
ゼルトの投げた瓶が宙を舞い、アバスタスの眼前で割れた。それは化学反応を起こし、陽光よりも十数倍明るい閃光を放った。
アバスタスはもろに閃光を食らい、目を覆った。
「アリスタ殿」
「ええ、何か異様な雰囲気を感じます。あの霧には触れないほうが良さそうですね。私が彼女を倒します!」
「彼女は何者かに操られているのかも知れない! 殺さないようにお願いします!」
ランザの能力は分からない。だが自分に能力を見せてくれたのならば信頼に足る人物だろう。アリスタは自分の能力を見せても良いと確信した。彼は霧の流れを読んで掻い潜り、アバスタスの鳩尾に一撃を入れた。確実に人を気絶に追いやる一撃だった。
「速い!」ランザの驚きの声が上がる。
だが彼女の霧はアリスタを覆うように動く。目くらましなどものともしない。まるで自由意志を持っているかのようだった。
「良い一撃ね、気に入ったわ!」
今だ視力が回復していないにも関わらず、アバスタスの黒い霧はアリスタを追随する。
アリスタは横転して、その霧を避けた。立ち上がって飛び退り距離を開ける。
その時、石礫がアバスタスを襲った。ランザが投擲したものだった。
彼女は避けることが出来ず全て被弾する。石礫を受けたところから、さらに霧が出てくる。濃くなった霧の帯がアリスタを追随する。
「だめだ、きりが無い! ランザ殿、仕留めます。耳を塞いで!!」
ランザも局面を考えて、頷きを返した。アリスタの言われた通り耳を塞ぐ。
一瞬の間隙を見つけたアリスタは、目に追えない程の速力で駆け、体当たりに匹敵するエネルギーを拳に込めた。音速を超えたその一撃は、空気を叩く破裂音と衝撃波を伴いアバスタスの腹部にめり込む。
貫通しない!?
驚愕の表情を見せたのはアリスタだった。その拳を掴んだアバスタスは、血を吐きながら言葉を残す。
「いい……、わ」
白目を剥き、アリスタに抱きかかえられるように気を失った。周りを漂っていた霧が自然とアバスタスの元に集まる。
「恐ろしく頑丈だな」
アリスタは倒れかかってきた彼女を、ゆっくりと地面に寝かせた。
「あれは十年程前の事です」ランザはゆっくりと語りだした。「私が遊んでいる庭先に小指ぐらいの白く輝く石が、ゆっくりと落ちてきたのです」
フラムの事だ、とアリスタはすぐに思った。アバスタスとラーナックを寝かせ、アリスタは二人きりの時に変身能力について聞いた。
「それを手にした時、輝石から天啓のような言葉を聞いたのです。願いを叶えてやる、と。当時私は絵本に出てくる優しい巨人アニバになりたかった。そんな夢があったのです。その輝石は私の夢を叶えてくれました」
「自我が崩壊する、とかなかったのですか?」
「いえ、そんな事はありませんでしたよ」
フラムが願いを叶えるだと……。それならば師範の変化は、あれは願いだったのか。残りのフラムの数が分からない。宝刀を狙っているのがフラムを手にした者たちばかりだとすると厄介な事になる。
ナフラックたちに囲まれたラーナックは目を覚ました。
「ここは……?」
「良かった、お気づきになられたようですね」ルスナが笑顔で対応する。「貴族の一人、アバスタス・ウェスラ邸の庭です。お体の具合はどうですか?」
「うむ、少し腹部が痛いのと、喉が渇いたぐらいだ」
「私、水を貰ってきます。案内してください」
ファニルカは戻って来たアバスタスの私兵に声をかけ、すぐに屋敷の中に入っていった。
「なぜ私は、ここで寝ていたのだ?」
「私にも詳しいことは存じません。ですが領主様は行方不明になっておられました。無事でいて安心しております」
「私が行方不明?」
「ええ、十年前の事です」
「そうか……、私は確かに王都からの帰りにウェスラ邸に来ていた。だがそこからの記憶がまるで無い」
「という事は、この方も御存じありませんか?」
そばにはアリスタも立っていた。ラーナックは横になったまま、しばらくアリスタの顔を見ていた。
「……面影が、どことなく息子に似ているようだが」
「そうです、アリスタ様です」
ラーナックは自分の掌に目を落とした。「十年……」
「お父様……」アリスタは声をかける。「御無事で良かった」
父親の顔は肖像画でしか見たことが無かったアリスタに感慨という感情は湧出しなかったが、父親が無事でいたことに安堵の溜息をついた。これで自分に万が一の事があっても、ライナスたちは安心だろうと。
「……そうか、立派になったな」
その時、隣で気を失っていたアバスタスが呻き声を上げた。
「とりあえず彼女から事情を聴きましょう」




