積み上げて来た物
午前中、審査をした広場で二人は対峙した。
ライアスは宝物庫に眠っていた剣を手にしている。
「アリスタ様、剣は……?」
「大丈夫」
ライアスはその言葉に一礼し後ろに下がる。彼がアリスタに全幅の信頼を置くのもナリサの言葉を信じての事だった。
「いやいや、剣が無いと無理でしょう」
アリスタは笑みを浮かべたまま立っている。
「……人を斬った事が無いのかい?」真顔でアリスタは問う。「人を斬った事が無いなら連れていけない。人を斬る可能性だってあるからだ。土壇場で躊躇されると、こっちが困る」
ナフラックの顔から笑みが消えた。素手で、しかも貴族の人間に、ここまでコケにされて黙ってはいられなかった。
「止めて下さい。私は殺人罪で、しかも貴族を斬って死罪になりたくはない」
「覚悟が無いなら、クビだ」
抑え込んでいたナフラックの怒りが頂点に達そうとしていた。
「馬鹿な事を言わないで下さい!!」
「じゃあ、私から行こう」
アリスタは対剣用の構えをとり、ナフラックににじり寄る。
ナフラックは威嚇の為に腰に佩いた剣を抜いた。何百万と素振りしてきた剣だ。剣の間合いに入るギリギリで彼はアリスタに剣を振る。ナフラックの剣は寸でのところで歩みを止めたアリスタの鼻先で空を斬る。
「なっ……!」ナフラックはバックステップして再び距離を開けた。
間合いを見切っているのか?
そう考えている間にもアリスタは近づいてくる。
追い込まれているナフラックに対し、ファニルカは気が気ではなかった。心境はナフラックと同じ戸惑いに満ちている。
確かに隙が無い。
ナフラックは徐々にアリスタの構えに気が付き始めていた。
ファニルカ、ごめん……!
ナフラックはアリスタを斬るつもりで剣を降り下ろした。傷つくぐらいで、内臓には達しないだろう。表皮を斬る思いで振った一撃だった。
アリスタはそれを躱し、半回転して裏拳をナフラックの顎目がけて放った。
顎が粉砕され、これからの人生、まともに食事が出来なくなるだろう、という一撃だった。
その一撃をアリスタは寸でのところで止める。
猛風が巻き起こり、ナフラックの頬肉と髪が風に踊る。
「勝負あり、ですな」
ライアスは、そこで戦いを区切った。
「良い一撃だったが、まだ踏み込みが足りない。わざとそうしたのだろうけど」
膝から崩れ落ちるナフラックに対し、アリスタは冷静に分析する。
確かにナフラックにとっても会心の一撃では無かった。だがアリスタの返しはナフラックの想像の上をいっていた。
「も、もう一度……!」
その言葉をウォルバーグが体で遮った。
「私でも敵わないとおっしゃいますか?」
「ああ、力自慢なだけでは私に届かない」
アリスタが構える前に、ウォルバーグは彼に向かって駆けた。だがアリスタに触れた瞬間、ウォルバーグは腕を捻られ、一回転半して背中から叩きつけられる。
「ほら、言わんこっちゃない」ルスナが指の間から様子を覗い言う。「アリスタ様は俺たちとは身体の出来が違うんだ。アリスタ様の走りを見てきた俺だから分かっている!」
何もしていないルスナは得意げに胸を張る。
「アリスタ様の走りを見てきて、俺は走りに目覚めたから、ここまで来れたんだ」
「そうだったのか。えーっと……」
「ルスナです。以後お見知りおきを」
そう言って、ルスナは差し出された手を一礼をもって握り返した。
「丁度いい機会だ、その剣士と力自慢、ルスナは私と時間のある限り訓練しよう。残りの二人は私の書架へ」
ライアスは一礼をし、二人を案内した。
「この量を一人で……」
呟くファニルカの隣で、ゼルトは絶句していた。
この世界の為と備忘録の意味で仕上げた手書きの書が書架の一角を占めていた。後世に残るよう背表紙も記入されており順序良く並んでいる。そのうちの一冊をファニルカは手に取った。そして開き目を落とす。
「……この理論は間違っているわ。いや……待って」ページから目を離し、空で考える。「あっ! 確かに……。この理論だと整合性がとれる!」
「ああ、この技術、素晴らしい……」ゼルトも手に取って文章を目で追っていた。「なるほど、この鍵だと開けるのが困難だ」
ゼルトは本を一旦机に置いて長い前髪をかき上げ、メモを取り始めた。
それを見たライアスは咳払いをする。
「あ……すいません」
「技術は流用してもいいですが、悪用しないように」
「はい、重々気をつけます」
「どうやってこの理論を導き出したのですか!?」
我慢ならないといった表情でファニルカはライアスに問う。
「あれは十年近く前になりますが、ラーナック様が行方不明になられた頃からです」
「ラーナック様というと、前の領主の……」
ライアスは頷く。
「行方不明になられた頃から人が変わられました。それまでは講師を呼んでいたのですが、突然いらないと言い出し、ここにある書物を書き始めたのです。そして訓練も欠かさないようになりました。あの幼いアリスタ様が、次期領主として、自覚なされたのを、わ、私は……、し、失礼……」
感極まったライアスは胸ポケットに入れていたハンカチで鼻をかんだ。
「と、とにかく、アリスタ様は盲目的なまでに文武両道を極め続けてきたのです。その日以降、メイドのナリサは食事面を、私はこの書庫を管理してきました。ここにある書物は天啓とでも呼べるものでしょう。おかげで私はこの領土がここ何百年と安泰であろうと確信出来て、この世を去ることが出来ます」
「一つお願いがあります。今日から、ここに宿泊しても宜しいですか?」
「ええ、もちろん。来賓用の部屋も用意してますので、ご自由に」
その日はファニルカとゼルトの瞼が痙攣するまで耽読していた。




