フラム
休耕期も終わり、再びジェムの下で農作業を始める日々が始まった。
昼前に農作業を終わらせ、すぐに昼食を腹に入れてマサンザへと走り出す。起伏のある街道を走り抜け、マサンザの街にある砕けたタスワラの石を横目にカロエ道場と足繁く通う。
ある日の、まだ暗い朝、瓶を手に井戸まで向かっている時だった。西の空に白く光るものが浮いている事に気が付いた。星ではない。薄暗い朝闇に強く光り輝いている。
あれは何だ?
その白い物体は少しずつ降下を始めているようだった。
あれは……、ひょっとしてフラム!?
流浪の生き字引、サルバリムが教えてくれたものと特徴が一致していた。
ライカ―ルはその場に瓶を置いて走り出した。空を見上げながらいつも走っている街道を走る。
あれはマサンザの近く! 落下するまでに間に合うか!?
時折、空を見上げながら、その足は加速していく。その速さは百メートル三秒を切っていた。一陣の風のように周りの景色を置き去りにしていく。
「おじいちゃん、あれ!」
まだ開いていないカロエ道場の朝、フィノナは天を指さした。上空に光輝くフラムを見つけたのだ。
「あれは、おそらくフラム!」
「フラム?」
「ずいぶん前に、ある老人から聞いたことがある。新しい力を授けてくれるとか……」
「それがアンデベルグ・ベルドの手に渡ったりでもしたら……」
「ああ、我々が先に取ろう。ファルナブルも起こすのだ!」
アンデベルグの側近、ウルスナ・メイローサは高台の上からフラムを確認した。
懐疑的だったけど本当に来た!
すぐさまウルスナは高台から降り、アンデベルグの下に向かった。
あれをアンデベルグが手に入れたら、ここの部族が覇権を握れる!
ここにフラム争奪戦が始まった。
所々に岩が乱立するアロア平原に、ゆっくりとフラムが降りてくる。
その下に先にやってきたのはアンデベルグ率いるラネル族だった。アンデベルグの手の届く距離まで十メートル。フラムはゆっくり降下していく。その真下にはアンデベルグが待ち構え、ウルスナを含めた十人ほどが囲んでいる。
ああ、綺麗だ……。
神秘的な光を放つ、小指大のフラムに魅せられたアンデベルグは、降りてくるのをまだかと手を広げ待つ。
そこに走って来る三つの影があった。
「あそこです、すでに人がいる!」
ファルナブルが叫び三人は加速する。
「おい、あれはパザウッドだ!」アンデベルグの取り巻きの一人が叫ぶ。「近づけさせるな!」
取り巻き達は、剣を取り出しパザウッド達に駆けて行く。
「フィノナ、君は下がっていろ!」
「いいえ、私も戦えます!」
パザウッドたちと取り巻きがアロア平原で接触する。
ウルスナはアンデベルグを守るように立っていた。
「大丈夫です、私が彼らを近づけさせません」
「頼んだぞ、ウルスナ」
ウルスナは腰につけていた二本の鞭を取り出し両手に構える。
パザウッド達は剣を相手に果敢に攻め込んだ。相手の踏み込みや肩の動きから剣尖の先を読み、懐へと入っていく。剣を無効にする間合いに入り込み、肘や膝を次々と相手に叩き込む。フィノナは一人を相手するので精一杯だったが、パザウッドは柔らかく、ファルナブルは剛拳で壁を打ち崩していった。
フラムがアンデベルグの手まで降りてくるまで、あと七メートル。
ファルナブルが四人、パザウッドが二人倒し、フィノナはまだ戦っている。
ファルナブルは連日のライカ―ルとの組み手で、実力はパザウッドを凌駕していた。
まさか、これほどファルナブルが実力を上げているとは。
近くで彼の様子を見ていたパザウッドに僅かながら嫉妬心が芽生える。
このまま私は年老いていき、朽ちていくのか……。
「師範!」ファルナブルの声にパザウッドは目を覚ます。「残りは私が受けますのでフラムとやらを!」
「頼んだぞ!」
相手の攻撃を縫い、パザウッドはアンデベルグへと駆ける。その時、高速の鞭がパザウッドの手を絡めとった。
「老いぼれは引っ込んでなさい!」
ウルスナはパザウッドに巻き付いた鞭を前後に揺らし、彼の動きを封じる。
フラムはあと四メートル。
パザウッドは掴まれた鞭を空いている手で握り、自分の動きの主導権を取り返そうと抵抗を見せる。ウルスナは空いている鞭をパザウッドに打ち据えようとしていた。放たれた鞭先をパザウッドが反射神経の限界を使って掴む。掴んだパザウッドの手から血が滴り落ちた。
その横を一瞬で残りを片づけたファルナブルが駆け、手刀で鞭を切り落とす。
吃驚するウルスナを無視して、ファルナブルはアンデベルグへと駆けた。彼我との距離は二メートル。
「くそっ!」
アンデベルグはしゃがみ込み、地面に手をついた。
予想外の動きにファルナブルは急ブレーキをかける。彼の目の前に高さ二メートルほどの土の壁が現れた。
「なっ!?」
普通の人間には出来ない魔法のような力に、ファルナブルは瞠目する。
「いただきだ」
ゆっくりと落ちてくるフラムにもう少しでアンデベルグの手が届く。
だがその二メートルの壁を飛び越えた影がフラムを掴んだ。ギリギリ間に合ったライカ―ルだった。
「跳躍力も役に立つもんだな」
ライカ―ルの手中にはフラムが握られていた。
「俺はこれを」ライカ―ルは手中のフラムを見る。「……どうするんだ?」
その場に立っていた全員の動きが止まっていたかに見えたが、パザウッドを捉えていたはずのウルスナの鞭だけがライカ―ルの右手を狙った。
「渡しなさい!!」
ライカ―ルは鞭を掴み、その膂力でウルスナを投げ飛ばした。
「きゃっ!」
そのままウルスナは近くの岩に叩きつけられる。
それを見たアンデベルグは再び地面に手をつけた。その手を起点に地面に皹が入る。その皹は拡大しクラックとなってライカ―ルを飲み込んだ。
咄嗟に空いている片手でクラックの縁を掴んだ。
なんだ、この魔法みたいな力は!
「渡せ!」
アンデベルグはライカ―ルに向かって駆ける。その背後をパザウッドが先回りしていた。背後から彼は足をかける。その足に躓きアンデベルグは転倒した。
「ライカ―ル! フラムは使えんのか!」
転落を耐えたライカ―ルは手に持っているフラムをパザウッドに投げた。
「どう使えば良いのか分からないんです!」
パザウッドは手を伸ばしたが、飛んでくるフラムにアンデベルグは膝をついたまま手を伸ばす。指先に弾かれ、フラムは大地を二メートル程転がる。
「くそっ、しつこい!」
パザウッドが背後からアンデベルグに飛び膝を入れた。アンデベルグは打たれた脇腹を押さえ、もだえ苦しむ。その横からファルナブルが駆けてフラムを拾おうとした。だが片膝ついたままウルスナが鞭でフラムを弾く。
転がったフラムをパザウッドが拾った。
「やった!」崖から登り、再び大地に立ったライカ―ルは声を上げた。
フラムを手にした瞬間、パザウッドの意識に言葉が流れ込む。
皆が見ている中、小指大のフラムをパザウッドは飲み込んだ。
「えっ!?」
誰もが、その様子を固唾を飲んで見ていた。
飲んだ……。
ライカ―ルも動きを止め、パザウッドの様子を見ている。
パザウッドの身体に空気が集まり、風が巻き起こる。
「師範!」
ファルナブルの声もパザウッドには届かない。やがてパザウッドはうっすらと光を放ち、自分の掌を見ている。
「何が……」
呟くライカ―ルが見ているパザウッドの肌が、徐々に張りを増していく。痩せていた体に筋肉が隆起し、髪も黒々と変化していった。
漸く雑兵一人を仕留めたフィノナも瞠目していた。
「お祖父ちゃん……若返っている」
パザウッドは自分の肌を触って確かめ、長い髪を見た。
若返ったのか。
やがて驚きは笑みになり、高笑いに変わっていく。
その際中、アンデベルグはパザウッドとの間に、厚さ三十センチはあろう土の壁を作った。
「ウルスナ、ここは一旦退くぞ!」
「はいっ!」
ファルナブルは駆けた。「ラネル族の首魁、逃がさん!!」
ライカ―ルの対岸をアンデベルグとファルナブルが駆ける。
「待てっ!」ライカ―ルはクラックを飛び越えようとした。
その時、激震が走った。その震源地をライカ―ルは見る。
三十センチはある土の壁を、パザウッドが素手で殴り飛ばしていた。
「師範!」
後はラネル族の首魁である男を捉えれば、この国は安泰だ。
そう安心していたライカ―ルの目の前に、パザウッドが跳躍して向かい合わせに降り立つ。その跳躍力はライカ―ルと引けを取らない。
「師範、あの男を捉えましょう!」
パザウッドの脇を抜けようとしたライカ―ルを、手を広げて妨害した。
「師範?」
「ライカ―ル、私は強く朽ちぬ肉体を手に入れた」
ライカ―ルは僅かな笑みを含んで頷く。
「雑兵なんてどうでもいい。ライカ―ル、私はお前を羨望の眼差しで見ていた事に気づいていた」
何を……。
ライカ―ルから笑顔が消えていく。
「ファルナブルよりもお前の方が成長が早い。戦いながら私と武の頂きに登りつめようではないか!」
「こ、こんな時に、何言っているんですか!」
「私とお前との勝負だ、いざ構えよ!」
パザウッドは構えた瞬間に突きを放った。ライカ―ルはそれを反射的に躱す。
なっ……!
続けざまに放たれた中段蹴りを腕で防ぎ、その足は前蹴りへと移行した。両腕で防いだライカ―ルの身体が浮く。
「師範!」
「どうした! 攻撃してこイ!」




