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其の四.君は誰ですか。

「じゃあ、開けてみようか」


 財布の中身を思い浮かべつつがっくりと肩を落とした俺とは対照的に、飯田はこけた頬に満足そうな笑みを浮かべて俺を手招きした。


「草薙さん、開けて」


「え? 俺? なんで……」


「僕が開けたら多分消えちゃうよ。草薙さんが開けた方が消える確率が低い。一瞬でもいてくれた方が、様子は分かるでしょ」


 約束と違うような気もしたが、そう言われてしまっては仕方がない。しぶしぶ襖の前に立ち、右手を取っ手に添え、左手を電灯のスイッチにかける。


「……じゃあ、消すよ」


「いいよ」


 能天気な声に後押しされ、大きく息を吸って吐き、それから呼吸を止めて電灯のスイッチを押す。

 一瞬で、視界が漆黒のカーテンにくるまれる。

 暗闇に目が慣れていないため、どこに何があるのかも分からない。背後に感じる骸骨男の気配だけを心のよりどころにして、襖の取っ手をつかむ右手に思い切って力を込める。

 だが、内部で布団でも引っかかっているのだろうか。襖は重く、一分たりとも動かなかった。


「……開かねえ、飯田」


「開けてほしくないのかなあ」


 飯田の、どこかのんびりした声が響いてくる。


「やっぱりやめる? きっと姿を見られるのが嫌なんだよ。危害を加えるようなことも多分ないし」


「……いや」


 飯田という頼もしい助っ人が背後に控えてくれているこの機を逃せば、恐らくもう二度とコイツの正体を見極める機会は訪れないし、訳の分からない存在と、訳の分からないままで共存できるほど俺の神経も太くない。見られるのを嫌がっているということは、飯田を恐れているということだ。もしかしたら、飯田と邂逅した瞬間に、この場から消えてくれる可能性だってあるかもしれない。何としても、この機会に正体だけでも見極めなくては。思いも新たに、取っ手にかけた両手に満身の力を込め、足を前後に踏ん張って全体重をかける。

 だが、いくら横に動かそうとしても、襖はガタガタ揺れるだけでびくともしない。


「そうだ!」


 途方に暮れかけた俺の頭に、突然、天啓のようにナイスアイデアがひらめいた。

 やおら襖を両手で抱え込み、持ち上げるような感じで上向きに力を加えてみる。

 ガタリと溝から外れ、襖は意外なほどあっけなく外れた。その途端、襖を押しやるようにして、内部で崩れかけていた布団が雪崩を打って落ちてくる。ふとんの雪崩に押しやられてよろけながらも、うまく外せたことが嬉しくて、思わず笑顔なんか浮かべながら得意げに背後の飯田を振り返った。

 その途端、視界に映りこんできた、街路灯の淡い光に照らされた飯田の顔を見て、……凍りついた。

 飯田は、落ちくぼんだ眼窩の真ん中にある血走った目を限界まで見開き、こけた頬を縦長に引きのばしたムンクの叫びさながらの表情で、襖が取り外された押入の奥を凝視していた。

 その表情の恐ろしさもさることながら、化け物を見慣れているはずの飯田がこれほどまでに驚愕するということは、押入の中の化け物は想像を絶する姿をしているに違いない。

 襖を抱える手が、恐怖でわなわなと震え始める。

 できればこのまま見ずに済ませたい。が、中を見ようと提案したのはこの俺だ。飯田一人に恐怖を押し付けて、見ないで済ませられるわけがない。抱えていた襖を部屋の脇にたてかけると、暴れまくる心臓を必死でなだめつつ、震える足を踏みしめて、立ち尽くしている飯田の傍らに歩み寄る。

 俺が隣に立ったことすら気づかない様子で、飯田は押入れの奥を凝視し続けている。

 深呼吸して気持ちを落ち着けると、目を閉じた。押入の方に体を向け、覚悟を決めると、ゆっくりと閉じていた目を開く。

 薄墨色の居室の奥、ぽっかりと口を開けた暗黒の四角い空間に、ぼんやりと浮かび上がる白いもの。

 その姿を視界に捉えた瞬間、俺も飯田と同様、驚愕のムンク顔で固まった。

 中に入っていた厚い布団がすっかり外に流れ出し、薄い夏がけだけが残された押し入れ上段に、それは腰掛けていた。きちんと両足をそろえ、両手を脇につけて、少しだけ首を右に傾けて、じっと俺たちを見つめている。おかっぱのように切りそろえられた柔らかそうな黒髪が、白い頬の周りで揺れている。


 それは、少女だった。


 年の頃は十五,六歳といったところだろうか。ほっそりした輪郭の、色の白い、大きな目と長い睫毛が印象的な、美少女と言っても過言ではない整った顔立ちをしている。ほんの少しだけ口の端を引き上げて、微かに笑っているような表情で、心持ち斜からアホ面をひっさげて立ち尽くす俺たちを見つめている。

 その姿からは、確かに恐ろしさは全く感じない。

 でも、俺たちはアホ面のまま動けない。

 幽霊だか妖怪だかわからないその少女が、一糸まとわぬ姿だったからだ。

 暗闇に緩やかな曲線を描いて浮かび上がっている透き通るように白い肌。細い首から繋がる華奢な肩の下には、意外なほど豊満な乳房が二つ並んで揺れ、その先についているピンと上向いたくすみのないピンク色の乳首が、はち切れんばかりの若々しさを物語っている。キュッとくびれたウエストと、適度に張りのある腰骨が緩やかで優しい曲線を描き、細かい部分はうまいことに暗闇になじんで見えなかったが、その先にはすらりと細く長い足がきちんとそろえられて行儀よくぶら下げられている。

 要するに、この幽霊だか妖怪だかは、人間とすればかなり「いけてる」部類なのだ。しかも、まるで生きているみたいに存在感がある。君は誰ですか、と思わず聞いてしまいたくなるほどだ。先ほどまでとは全く違った意味の緊張を覚え、慌ててごくりと粘つく唾液をかわいた喉に流し込む。

 その時だった。


【……寒イ】


「え?」


 俺と飯田は、互いにアホ面を見合わせて、それからもう一度、ゆるゆるとその幽霊だか妖怪だかに目を向けた。

 そいつは小首を傾げたまま、俺を見て少し笑った……ような気がした。


「寒い?」


 俺の声に驚いたのか、そいつはびっくりしたように、そのくりっとした大きな目を見はった。

 その途端、そいつの姿は暗闇に溶けるように消え始め、薄墨色に染まっていき……あっという間に背後の壁に馴染んで、すっかり見えなくなってしまった。


「……消えたね」


 隣から、ややぼうぜんとした感のある飯田の声が響いてきた。


「うん、消えた」


 俺もぼうぜんと頷き返しながら、電灯のスイッチを押す。

 蛍光灯の寒々しい光が、四畳半の狭苦しい居室を覆っていた薄墨色の暗闇を、一瞬で見事なまでに駆逐する。

 もう一度、押入れに目を向けてみる。

 白い光に照らし出された押し入れ内部には、当然のことながら何もいなかった。押入れの外側に雪崩を打って流出した布団が、うずたかく積み上がっている様が見えるのみだ。


「凄かったね」


 感極まったように飯田が呟く。


「うん、凄かった」


 俺も半ば夢見心地で頷き返す。


「あんなんだったら、ついてきてくれてもいいかも……」


「昼飯おごらなくていい?」


 飯田は隣に立つ俺を見て、骨格標本顔に苦笑いと言えなくもない表情を浮かべた。


「冗談だよ、冗談。違った意味でまずいって。あんなのが来たら、奥さん怒っちゃう。奥さんも見える人だから」


 そう言うと、先ほど見たものを思い出すかのように天袋のあたりに目を向ける。


「でも、あんなのならいいじゃない。悪さする動物霊よりはよっぽど」


「いいって、おまえ……訳わかんない存在には変わりねえだろ。てか、あれが何なのかわかったのか?」


「あ、ごめん。何か夢中になっちゃって、そこんとこ見極めるの忘れちゃった」


「おまえなあ……」


 あきれ果てたのと、気が抜けたのと、諸々の感情に一気に襲われて言うべき言葉を見失ってしまった。

 飯田は気恥ずかしそうに笑いながら再び中空に目を向けた。


「でも、プラスの働きかけをしそうな存在で、少女の姿で、あの髪形でしょ。それにこの古い家……」


 首を曲げ曲げブツブツ呟いていた飯田は、突然、いかにも得心がいったというようにポン、と手をたたいた。


「座敷童子だ!」


「……座敷童子?」


 その言葉を聞いた途端、子どもの頃に好きだった妖怪アニメに出てきた、着物を着て座敷の片隅にたたずんでいる、不気味な子どもの姿が脳裏を過ぎった。 


「あの、ゲゲゲのなんちゃらに出てきたようなやつ?」


「うん、そういう感じ。ただ、年齢や性別も地域や伝承によっていろいろみたいだよ。さっきみたいなのもありなんじゃないかなあ」


 そう言うと飯田は、こけた頬にはっきりした影を刻みながらにんまり口の端を引き上げた。


「よかったじゃない。座敷童子はきちんと祀れば幸運を呼んでくれるらしいよ。取り敢えず着物でも供えてみたらどう?」


「き、……着物?」


 いささか引きながらその言葉を反すうすると、飯田は自信ありげに頷いた。


「たぶん、それが言いたくて現れたんだよ。冬が来るし、裸じゃ寒いって……。きちんとやってあげるといいよ。供え物だから、もちろんお古じゃなくて、新品を」


「新品って……俺が買うの?」


「そりゃそうだよ。それで祀れるんなら安いもんだって。とにかくよかったね。座敷童子なら僕についてくることもないから、昼飯は明日とあさってだけでいいよ」


 落ちくぼんだ眼を細めて見たこともないくらいニコニコしながら、飯田は機嫌よくそう言った。

 そのあまりの喜びように、俺はなんとなくそうじゃないような気がしながらも、そう思っておいた方がいいような気がして、飯田に中途半端な笑みを返しつつ、取りあえず頷き返しておくことにした。

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