8:不思議な剣術
レシリスと対峙した青年は、僅かに目を細めて呟いた。
「……なら、いかせてもらうぜ」
青年はレシリスに向けて地を蹴った。そのまま大きく剣を振り被る。彼女はそれを真正面から受け止めた。
と、誰もがそう思った。剣を振るった青年自身も例外ではない。
しかし、一瞬後、彼の剣は宙を斬っていた。
「っ!」
誰もが目を瞠る。
彼の剣を受け止めたはずのレシリスのそれは、彼の首を捉えんばかりの勢いで、真横に振り被られていたのだ。
体勢を立て直した青年は、なんとか足を退いてそれを紙一重で交わし、今度は斜め下からレシリスを斬りつけようと剣を振り上げる。
それをレシリスがひらりと避けて、青年の眼前に剣を突き付けた。
「……くっ!」
切っ先を自分に向けてくるレシリスの瞳に冷たい何かを見て、青年が思わず息を呑む。
しかし、己を奮い立たせた彼は、後方に飛び退いて間合いを計った。
「……やはり、只者じゃないな」
感心した風情でそう呟いたのはディアレスだった。
サイファはそれに無言で頷きながら、総団長であるガルウィスが言った言葉を思い出していた。
レシリスの剣はただの剣ではなく、それを扱えたとしたらこの騎士団《白》に於いてもトップクラスの実力といえる、《白》の総団長にそう言わしめたその剣は、太陽の光に美しく煌めいている。
しかしその魔剣の力を使わず、剣術のみでここまで戦えるとは、驚きを通り越して感動さえ覚えるほどだ。
先日のディアレスとの手合わせでも驚かされたが、今日はそれ以上の切れがあるように感じる。
彼女の剣術を目の当たりにすると、ディアレスの言う通り、自分と同等か、下手をすれば敵わないかもしれないと思えてしまう。
「あの男も、決して未熟な使い手ではない」
「そうだね……二番隊の騎士じゃ、相手にならないくらいの腕だ」
隊長二人は、冷静に目の前の戦いを分析する。
と、その時、レシリスの剣が再び青年の剣を受け止めたように思えた直後、彼の剣へ向けて上から振り下ろされた。
思いも寄らぬ方向からの衝撃に、彼は剣を取り落としてしまう。
その錯覚のようにも思える光景に、誰もが己の目を疑った。
一番驚いていたのは、瞬き一つの間に剣を叩き落された青年本人だ。愕然とした表情で、己の手元を見つめている。
妙な静寂が、辺りを包んだ。
「……勝っちゃった、ね」
サイファがそう呟くと、周りの騎士達が一斉にどよめきだした。
「見事な太刀筋だが……」
「やっぱり、見た事もない剣の流れだね。まるで、剣だけが瞬間移動したみたいだ」
冷静な会話を交わす二人の視線の先で、レシリスは青年の剣を拾い上げてそっと差し出していた。
「これで、満足しましたか?」
「……流石《白》といったところか。使用人の女がこんなに強いなんてな」
青年は剣を鞘に戻しながら悔しそうに呟くと、周りの騎士達を一瞥し、皮肉げに唇を歪める。
「だが《白》の騎士が、保身のために女に戦わせて傍観してたって、国民が知ったらどう思うかな?」
負け惜しみのように言った青年に対し、周りの騎士達が明らかに反応した。
だがこれで彼らが剣を抜いては相手の思う壺となり、自分が戦った意味がなくなってしまう。そこでレシリスは、あえて満面の笑みを浮かべた。
「でも、その女に負けたのは貴方です。まさか女相手に剣を弾き飛ばされた、などとあなた自身が世間に触れて回るんですか? それに、使用人の女でもこれだけの強さがあると、あなた自身が今認めたじゃないですか。雇う使用人さえ強いという事で、《白》の名が折れる事などありません」
にっこりと、しかしきっぱりと、続けて言い放つ。
「さ、手合わせは済みました。もう夕食の準備をしなくてはならないので、お引取り願えますか?」
笑顔だが有無を言わせぬ口調でレシリスが言うと、青年は何を思ったのか小さく嘆息し、それから何やらおかしそうに笑い出した。
「ははっ! アンタ面白いな。気に入った。じゃあ帰るから、出口まで案内しろよ」
彼は踵を返して数歩進んだが、振り返ってレシリスが動くのを待つ。
突然の申し出に、彼女は戸惑いを隠せずディアレスとサイファを見たが、彼らは揃って肩を竦めた。
「勝手に敷地内を動き回られても困るから、門の手前まで見送ってやれ」
そう言われてしまうと仕方がないので、彼女は青年に続いて歩き出した。
庭を後にして、門へ向かって歩みを進めながら、青年は感心した風情で呟いた。
「……それにしても、アンタ、強いな」
まだ何をし出かすか解らない青年に、レシリスは警戒しながらも表面的な笑顔で応じる。
「ありがとうございます」
「……ジアルドの目に、狂いはなかったって事か」
「え?」
彼の口から零れた人物の名に、レシリスは思わず足を止めた。
すると彼も立ち止まり、彼女の前まで戻ってくると、藍色の瞳を細めて笑う。
「レシリス・ブライン、だろ? 話は聞いてる」
「……どうして? 貴方は一体何者なんですか?」
困惑する彼女の問いに、彼は声を潜めて答えた。
「俺は、アルク・ガゼロット。ジアルドの仲間だ」
「そうだったんですか……でもそれならどうして、《白》に手合わせなんて……」
「俺はアンタをまだ信用してねぇ。だから、俺の目で見極めに来たんだ」
「……どういう事ですか?」
彼の言っている事がさっぱり理解できず首を傾げると、今度は彼が露骨に驚いた顔をした。
「……おい、まさか、何も聞いてねぇのか?」
信じられない、そう如実に顔に書いてある彼の顔を、レシリスはきょとんと見つめる。
「え、ええ。ジアルドさんからは何も……此処に来て初めて、此処が《白》の宿舎だと知ったくらいですし……そもそも、《白》を知ったのもレイモストに来てからですし……」
その言葉に、アルクは愕然とした様子でレシリスを見つめた。
「……ジアルドの奴、血迷ったのか……?」
「え?」
「……いや。何でもねぇ……まぁ良い。今日はこれで帰る」
何やら自己完結した様子で呟くと、彼は片手を上げて身を翻し、そのまま歩き出した。
門を潜り、足早に去っていく。
(……何だったのかしら……アルク・ガゼロット、妙な人ね)
訝しく思いながらもあまり深く考えず、彼の姿が見えなくなるくらいまで見送ると、彼女はその足で台所へ向かった。これから急いで夕食の仕度をしなければならないのだ。
一度だけ門の方を振り返ったアルクは、屋敷に戻っていくレシリスの姿を見て、何か思うように目を細めたのだった。
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